もの凄いユルい勢いで誰かが質問に答えるスレpart2

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54無名武将@お腹せっぷく
結局、曹豹は文官だったんでしょうか? 武官だったんでしょうか?
55無名武将@お腹せっぷく:02/06/30 13:41
>>54
どうも陶謙の死後、陶謙の旧臣たちは、
陳珪・陳登を首魁と仰ぎ劉備とは距離を置く一派。
劉備にそのまま流れていった一派。
臧覇に率いられて、劉備には寄り付きもしない一派などに
分裂してしまったようです。

そういった、バラバラに解体していった陶謙の旧臣たち中でも、
やや特殊なのが、揚州丹陽兵を中心としていたらしい地閥一派です。
この集団は曹豹個人に従っていたようです。
曹豹自身の立場が「下[丕β]の相」でありますので、
政治軍事を一括して取り仕切ることが出来る影響力が、曹豹にはあったのでしょう。

文官か?武官か? という二元論ではなくて、
曹豹は、非常に強力な集団を率いていた、徐州屈指のオピニオンとして見るのが
適当かと思われます。
56無名武将@お腹せっぷく:02/06/30 13:42
>>54
呂布伝注『英雄記』によれば曹豹の官職は下ヒ国の相。
相とは劉氏の王が封じられた郡国の責任者であるから
すなわち普通の郡の太守と同格。
太守と言えば郡の軍・政両面の責任者。
従って曹豹は文官でも武官でもなく文・武両面の責務を担った官職に就いていた人
(強いて言うなら行政区の責任者だから文官とも言えるけど)。

曹操迎撃の際には劉備と同格扱いで出陣したりしているし
(劉備ともども曹操に撃破されたが)、
彼が張飛に殺されたことをきっかけに許耽らが呂布に寝返って、
劉備が徐州を失うことになったことを鑑みればそれなりに人望もあったんだろう。

結論。曹豹は演義でのイメージほど無能ではあるまい。