170 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/04 22:02
犬(いぬ)
[名詞](分類:三国志・戦国)
動物の一種類。家畜、もしくは愛玩動物として人間に飼育されることが多い。
狩りが武門のたしなみである時代では、良犬は珍重されることも多かった。
また、犬は社会性の高い動物で飼い主に忠誠を尽くすところから、
「・・・の犬め!」などの罵声にも、代名詞としてその名が応用されることがある。
戦国時代で「犬」といえば、普通は前田利家の幼名・犬千代を指す。
三国志では、正史の記述から、
董卓が犬を飼い、けっこう可愛がっていたらしいことが推察される。
171 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/04 23:21
温井景隆(ぬくい かげたか)
[人名](分類:戦国)
元は能登の畠山氏の家臣。石動山にて戦死する。
172 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/05 12:54
郭勝(かくしょう)
[人名](分類:三国志-後漢)
霊帝時代に朝廷に圧倒的な権力を持っていた宦官・十常侍の一人。
十常侍はなぜか演義では10人、正史では12人と数が違う。
しかも、演義に登場する十常侍は、単純に正史から人数が削られているだけではなく、
演義オリジナルの人物が混ざったりしていたりするので
ややこしいことこの上ない。
郭勝は正史・演義共々出演している。
173 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 22:33
馬廻(うままわり)
[役職?](分類:戦国)
大将の周囲を警護する精鋭の騎馬武者。馬廻役の略称。
単に大将の乗った馬の周囲をこう呼ぶこともある。
174 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/06 00:04
李儒(りじゅ) ※次は、「ゆ」
[人名](分類:三国志)
三国志演義では、董卓の女婿。西涼董卓軍の謀事を一手に引き受ける有能な謀士として、
先帝の皇后と子を暗殺したり、献帝擁立に関わったり、貂蝉の連環の計を見破ったりと、
物語序盤を大いに盛り上げてくれるために、その知名度は非常に高い。
しかし三国志正史に李儒の名は無い。
後漢書に一箇所だけ李儒の名は出てくるが、それっきりという端役中の端役である。
小説家・羅貫中の筆の冴えを如実に物語る人物であると言えるだろう。
弓屋(ゆみや)
弓矢と読みは同じだが、こちらは弓を作る人や店を指す。
矢来(やらい)
[名詞](分類:戦国?)
陣地の回りなどに施される、竹や丸太を粗く組んで製作された仮の囲い。
使われた材質や組み方によって、竹矢来など、「〜矢来」と呼ばれることも多い。
177 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/07 14:39
伊籍(いせき)
[人名](分類:三国志)
元々は劉表の家臣で、荊州時代の劉備に出会うとそのまま劉備に付いて行くこととなる。
演義では、劉備の乗る馬を凶馬と見抜く。
178 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/07 23:19
許(きょ)※次は「よ」か「きょ」
[地名](分類:三国志)
豫州に属する都市名。
曹操が帝(献帝)を奉戴した折に、許昌と改名する。
鉅鹿(きょろく)
[地名](分類:古中国)
現在は平郷県、項羽が秦の章邯の軍を大敗させた地。
演義の第壱回で張角が山に入り、南華老仙から、
『太平要術』という天書三巻を授けられるている。
郡県制(ぐんけんせい)
[行政制度](分類:中国史)
六国を滅ぼした後、秦の始皇帝が確立した制度で、
国家全てを郡県単位に分けて皇帝の直轄地とし、中央集権制を確立させたもの。
続く漢も、郡国制という過渡制度を経て程なく秦の郡県制を引き継ぎ、
現代の多くの国家も中央集権制を敷いている事から、
始皇帝の確立したこの制度は、現代まで連綿と続いているともいえる。
以夷制夷(いいせいい)
[後漢書、{登β}訓伝](分類:四字熟語)
異民族を利用して異民族をおさえる。
日本の身近な国が今でも・・・
182 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:44
>>450 その説の根拠を希望。
天正十五年五月八日の義久降伏以前、四月十七日の日向根白坂の合戦後に
島津家久、伊集院忠棟は降伏済み。
出水城主島津忠辰も四月二十七日に秀吉が薩摩出水に至った後に降伏。
(島津忠辰は薩州家で義久の婿)
「樺山紹剣自記」によれば、義久は秀吉が泰平寺に着陣した(五月三日)
ことを聞いた際、
「今は別の才覚これ無し。向かう敵に懸け合わせ一命を極むべし」
(今はもう考えることもない。向かってくる敵と合戦し、死に花を
咲かせよう)と述べたが、重臣達が、
「天下殿江御礼御申し候て然るべく候」(秀吉に降伏するべきである)
と説得した、とある。
「勝部兵右衛門聞書」によれば、先に降伏した伊集院忠棟も日向から
薩摩に帰っており、義久の供をして泰平寺に出頭している。
伊集院の説得も義久の降伏に大きな役割を果たしたと考えられる。
あと
>>404で挙げた通り、義久の家臣統率には外部から弱腰との
批判が出ている。
ついでに言えば、この時点でまだ義弘は降伏していない
(五月十九日秀長の陣に出頭)。
以上の点から考えると、独裁権を持ち、家臣を厳しく
統率できていたとは考えにくい。
183 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:52
大坂城、天守閣。
四方の柱に惜しみなく金箔が貼り込められた大広間。
西軍に馳せ参じた一同、幼君・豊臣秀頼に拝礼する。この時、七歳。
秀頼の隣には、その母である淀の方が座している。この時、三十三歳。
長束正家が今も続く戦況を詳細に申し述べた。
あれから、家康の嫡男・秀忠は真田によって甲斐の国で討ち取ったが、
肝心の家康の消息は未だ不明。
九州では、黒田如水、加藤清正、島津龍伯らが、
陸地を三分する勢いで奮戦し、東軍を絶滅。
奥州では上杉がいまだ最上を相手に激闘を重ねているという。
「こたびの働き、まことに見事じゃ。秀頼様もお慶びであるぞ」
艶やかな声で場にある西軍大名、一人一人に労いの言葉をかける。
「ところで、城外に控えている、あの不気味なものは…」
淀の方が眉にしわ寄せながら訊ねた。
「お話は既に聞き及んでいる事と思われますが、
この戦で類のない武功を立てた大入道様にござる」
「あれが…豊臣を救ったのか。これはまあ…」
淀の方は言葉のかけようがない。
三成が室町式の礼をとって申し上げた。
「朝廷に奏上し、あれに官位を願おうと思うております」
ここで秀頼様がすっと立ち上がった。
子供らしい足取りで天守の外を見下ろす。
ザクの姿があった。
「あれはその後、どうするのじゃ」
「それはどうぞ、この治部少にお任せ下さいませ」
三成の口元が暗く微笑んだ。
渭水(いすい)
[河川](分類:中国史)
北部から流れ、函谷関の西方で黄河へと合流する河。周囲は盆地(渭水盆地)となっている。
歴代長安のうちのいくつかは、交通運輸の利から、この渭水のほとりに建てられた。
三国志では、馬超と曹操の戦いを「渭水の戦い」と呼び、また渭水は北伐時の激戦地でもあるが、
世間一般的には、渭水は、「周の都・鎬京の所在地」、もしくは、
「太公望が釣りをしていた河」として広く知られている。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/09 11:41
しりとりage
186 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/09 15:23
井上元兼(いのうえもとかね)
[人名](分類:戦国)
毛利元就の家臣。権力を持っていたため疎まれ、殺された。
次は「ね」でどうぞ。
値釜(ねかま)
ネット上で男が女かのような口調で話して女のふりをすること
出会い系やチャットなどで出没することが多いらしい
次は「ま」です
秣陵(まつりょう)
[地名](分類:三国志)
建安17年、孫権によって秣陵を建業に改められる。
埋火(うめび/うつみび) ※次は「ひ」か「び」
[兵器](分類:戦国)
戦国時代後期に使われたと言われる忍者兵器。
地面に火薬の入った壊れやすい箱を埋め、その上に2つに割った竹に火縄を入れて埋めることで、
敵が竹を踏むと火縄が火薬に引火して敵を倒すしくみ。原始的な地雷。
ただし、火縄が燃え尽きると引火しないところがかなしい。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/10 00:34
美髯公(びぜんこう)
[代名詞](分類:三国志)
関羽の異名の一つ。髯が美しいことから。
191 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/10 17:47
于吉(うきつ)
[人名](分類:三国志)
琅邪の人、東方の道教の仙人。
孫策に民を惑わすとして斬られて命を落とした。
演義や捜神記では、死後に孫策を呪い殺すというアクティブな仙人。
月夜見尊(つくよみのみこと)
[人名](分類:日本神話)
伊弉諾、伊弉冉の子
現在の日本では知名度なし。
193 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/12 22:11
隗より始めよ(かいよりはじめよ)
[故事成語](分類:春秋戦国時代)
燕・昭王が郭隗に人材を集める手段を問うたところ、
「まず、隗(私)を厚く遇しなさい。そうすれは、「あの郭隗ですら厚遇された」
という噂を伝え聞いた天下の賢人たちが、ほどなく燕に集まるでしょう」、と応えた。
昭王がその通りにすると、果たして大勢の賢才たちが仕官してきて、
燕は再び国勢を回復した。という故事に基づく。
現代では、「まず自分自身から進んで行動を起こしなさい」、という意味にも使われる。
194 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/12 22:21
195 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/14 14:22
馬印/馬標(うまじるし)
[道具](分類:戦国)
戦場などで大将の所在を知らせるために、側に掲げておく機幟の一種や祭器のような目印。
いろいろな形があって、工芸品として見ても美しい。
刺客(しかく、しきゃく、せっかく)次はく
[職?](分類:古代から現在)
暗殺を得意とする人。
荊軻と秦王の話が有名。
車菱(くるまびし)※次は「じ」でもオケー
[武器](分類:室町〜戦国〜江戸)
金属製の針を八方に広げた形状で、大きさは手のひらに乗る程度。
敵の侵入路などに設置して兵馬の足を傷つけ、歩行不能にさせる定置式の武器。
忍者が使う撒き菱は投射武器なので、車菱とは性質がやや違う。
四神旗(ししんき)
[旗](分類:?)
朝廷で元旦朝賀・即位礼などの時に立てられた。
四神とは東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武の事。
匈奴(きょうど) ※次は「と」でもオッケー
[民族](分類:中国史)
xiongnu。言語体系も同じであることから、フン族の中国表記といわれる。
春秋戦国時代から漢代にかけて北方に割拠し、中国史のみならず、
世界史全体に多大な影響を与えた民族。
美女王昭君、霍去病の活躍、李陵の悲劇、西洋ではニーベルンゲンの歌、と、
匈奴の強大さに由来する逸話は枚挙にいとまが無い。
匈奴はユーラシア大陸の歴史には無くてはならない超越した存在だったが、
三国時代には単于争いから完全に分裂衰退しており、今ひとつインパクトに欠けるのが惜しい。
200 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 01:47
藤甲(とうこう)
[鎧](分類:三国志)
孔明南蛮征伐のおり、兀突骨率いる藤甲軍が着ていた鎧。
藤を油につけ乾かすという作業を何ヶ月も繰り返し、刀や矢も通さない堅固な鎧のことである。
この鎧により蜀軍を苦しめたが、孔明の偽退の計と火に弱いことが災いし、兀突骨を含めた
鳥カ国3万の兵は盤蛇谷で焼かれ全滅した。
雲崗(うんこう)
[地名](分類:中華)
山西省北部の大同の西にある丘。
雲崗石窟跡が有名。
202 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/21 01:14
馬(うま)
[動物](分類:世界史全般)
人に慣れやすく、種類によっては温和な性格である大型獣。
しばしば人間に家畜として飼育される。
東ユーラシア文化圏においては北方の騎馬民族から乗馬の風習が伝わり、
時代が下がるにつれて、荷駄農耕以外にも、乗用として戦場へ駆り出されることが多くなった。
満寵(まんちょう)
[人名](分類:三国志)
曹操の幕僚
徐晃を説得する。
対袁紹戦では劉表の攻撃に備える。
対劉備戦で曹仁を説得しきれず大敗。
対関羽戦で曹仁を説得し大敗を防ぐ。
対孫権戦で呉に大勝する。
204 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/27 21:41
age
205 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/28 21:31
羽後(うご)
[地名/国名](分類:戦国)
旧国名のうちの一つ。現在の秋田から山形にかけて存在した。
206 :
コギャルとH:02/09/28 21:33
次は、「ち」
後漢書(ごかんしょ)次はしょ、し
[書名](分類:南朝)
范曄の撰で本紀10巻・志30巻・列伝80巻からなる。
ただし志は晋の司馬彪の「続漢書」を纏めた物。
「ち」なのか。・゚・(ノД`)・゚・
あらしこうこく、もういやや……
(
>>207)
稚児(ちご)
[役職名](分類:戦国)
元は「幼児」の意。公家や寺社仏閣などに召し使われる雑用係りの少年。
戦国時代においては、武将も雑用係りに稚児を召した。
(
>>208へ…)
※次は次は、「しょ」、「し」
211 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/02 18:41
諸葛亮(しょかつりょう)
[人名](分類:三国志)
正史の政治家、演義の魔術師。
宇喜多秀家(うきた ひでいえ)
[人名](分類:戦国)
梟雄・宇喜多直家の嫡男。
秀吉にその才を愛され、五大老の地位と秀吉の養女豪姫を娶るなど
豊臣政権下で順風満帆な人生を送るが、関ヶ原の合戦で西軍に着いたため没落。
命だけは助けられるが八丈島に流され、その地で没した。享年83歳。
213 :
こおろぎ│・ω・) ◆QQQQqqq. :02/10/06 23:53
袁熙(えんき)
[人名](分類:三国志)
あざなは顕奕(けんえき)。袁紹の次男で、美女・甄氏の最初の夫。
袁紹は生前、次男の袁熙を評して「器ではない」としていたが、
いざ袁紹が没してみると、後継者争いに没入する長男・袁譚、三男・袁尚の争いをよそに、
ひとり黙々と領地を保守していたのは袁熙だった。
袁尚とともに遼東に落ち延びるが、裏切りにあって命を落とした。
騎馬隊(きばたい)
[組織](分類:三国志・戦国)
騎兵のみで組織された部隊。その機動力と衝撃力から近代まで最強の決戦戦力とされる。
我が国で騎馬隊といえば甲斐武田氏があげられるが、そんなものが存在した事実はないのに
世間一般に定着した謝った事実が一般常識として流布されているのが実状。
215 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/23 22:10
石田三成(人名)
豊臣秀吉に仕え、五奉行となり太閤検地や朝鮮出兵の兵站輸送など行政面で活躍、
秀吉死後、家康と対立。西軍の中心となり、関ヶ原で家康率いる東軍と戦うが、敗れ
京都六条河原で斬首。
216 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/23 22:16
竜造寺隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)
:人名:
寡兵の島津家久に散々に打ち破られた挙句逃亡中に討ち取られた悲劇の大名。
実は結構強かったらしい。
かなりのデブで、出陣するときは家臣に輿を担いでもらって出陣したという。
217 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/23 22:35
>>216 武家諸法度(ぶけしょはっと)
江戸時代の大名に対する基本法令。
1615年秀忠の元和令をはじめとし、家光の寛永令で整備された。
違反者は厳罰。将軍代替わりごとに発した。
218 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/23 23:30
戸川達安(とがわみちやす)1567〜1627
宇喜多三老の一人、戸川秀安の嫡男。13歳で初陣。宇喜多家の侍大将として数多くの
合戦で活躍、朝鮮の役では碧蹄館戦にも参戦した。その後宇喜多家中の内紛で失脚追放、
徳川家預かりとなる。関ヶ原の合戦では東軍に属し、岐阜城攻めに功を挙げ、備中庭瀬に
二万九千二百石を領した。
その後戸川家は曾孫安風の代に嗣がなく改易されるも、弟達富により九千石の旗本として
存続した。達安のウサちゃん付き兜↓
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透破(すっぱ)
[組織名](分類:戦国)
忍者のこと。素破、水波と書くこともある。
また、地方によって忍・草・乱破など呼称があるが、どれも大差はない。
彼らは主に情報収集や破壊工作、謀略などを手がける事が主な仕事だが、
北条家の風魔党の様に戦時にゲリラ戦を仕掛けるような者もいた。
有名な流派は甲賀流・伊賀流・風魔流・世鬼流・楠流など。