戦国時代・三国志時代にある言葉人名なんでもオッケー。
しりとりしよう。解説入れてね。勉強になるから
最初は「ザビエル」
解説は?
そりゃそうだw
ごめんなさい。ザビエルはキリスト教を日本に広めた人
織田信長に気に入られてた
「る」
流刑 処罰のひとつ。島流しのこと。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 01:24
「い」
伊勢 三重県の旧国名。伊勢エビとか。
「せ」
瀬名 今川義元の娘。松平元康に嫁ぐ。決して若菜瀬名ではない。
11 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 01:26
石田三成
豊臣家の五奉行の一。関が原の戦いでは西軍の実質的指導者。
ごめん、遅れた
利休
お茶の人
14 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 01:32
「な」
長尾景虎 上杉謙信のこと。
宇喜田秀家 豊臣政権下の6大老の一人
あ、
>>15字が違いました。正しくは宇喜多ですね。すいません。
江戸時代
徳川十六代の時代
次は「ら」?それとも「え」?
>>17 「い」
伊賀 現在の三重県の一部にあたる。
伊賀では狭い国土であるにもかかわらず、
城・砦が200以上も存在したという。
提案があるのですが、>>レスの番号
という風に、どれに対するレスなのかを明確にし、
また重なってレスした場合は先に答えた方に続くという
ようにしたら良いと思うのですが、どうでしょうか。
いいんじゃない。なるべくたくさん人がくるように頑張りましょう
22 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 01:43
では今後は19にならってかきます
出すぎたことをしてすいません。
24 :
こんなふうに:02/05/23 01:45
>>19 「が」
蒲生氏郷 信長の娘婿。40で死んだ。
>>24 「と」
土佐 現在の高知県にあたる。戦国時代は長宗我部氏が支配した。
関が原後は山内一豊が拝領し、以後その子孫が支配することとなる。
>>25 佐久間盛政
柴田勝家のおい。しずが岳の戦いで中入りを強行し、柴田陣営の敗因を作る。
27 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 01:56
>>26 「さ」
佐々成政 信長配下の黒母衣衆筆頭。信長死後は
秀吉に下り肥後を与えられるが、国人一揆の
咎により切腹させられた。
>>26 「さ」
佐々成政(さつさなりまさ)
信長の小姓であったが、後に黒母衣衆となり、本能寺の変時には
越中一国の大名であった。
本能寺の変後は秀吉に従い、統一後は肥後一国を与えられるが、
検地に失敗し改易される。
>>27 「さ」
三枝虎吉
武田家臣。三枝守友の父。武田家滅亡後、
守友の子、守吉と共に徳川家康に仕えた。
「し」
司馬徽
言わずと知れた水鏡先生。字は徳操。
どんな相手でも「善きかな、善きかな。」
と言って煙に巻く喰えない爺さんである。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 02:04
>>27,28
榊原康政
徳川四天王の一。家康の四男忠吉の岳父。
>>31 すいません。シバ何と読むんですか?
チョウでいいんですか?
35 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 02:09
き
36 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 02:11
37 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 02:16
>>36 「う」
于吉(うきつ)
仙人。人心を惑わしたとして孫策に斬られた。
>>37 「つ」
九十九髪(つくもがみ) 名茶器。松永久秀が信長に降る際に献上した。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 02:21
>>37 筒井順慶
天王山の戦いで日和見を決め込み、「洞ヶ峠」という慣用句を作った人物
>>38 「み」
三原重秋
島津家臣。遠江守。忠良、貴久、義久三代の家老を務めた。
41 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 02:26
>>40 「き」
紀霊
袁術軍一の大将。三尖刀の使い手。
一騎討ちで関羽には何とか引き分けたが、
何故か張飛には十合せぬうちに倒されてしまった。
>>40 「き」
北畠具教(きたばたけとものり) 伊勢国国司。伊勢南五郡を支配。
信長の次男信雄を養子に向かえ、信長により
半ば強制的に家督を継がされ隠居。
その2年後(1年後だったかもしれない)に
信長の謀略により殺される。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 02:37
>>41 「い」
市(いち)
信長の妹。浅井長政に嫁ぎ、次男三女をもうけた。
浅井氏が信長に滅ぼされ、信長が本能寺で死ぬと、
柴田勝家に嫁いだ。
>>43 「ち」
筑前守(ちくぜんのかみ)
秀吉の通称。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 02:44
>>44 「み」
三好三人衆(みよしさんにんしう)
三好長逸、岩成友通、三好政康。
>45
「う」
鵜殿長照(うどのながてる)
今川家臣。桶狭間合戦時の大高城主。
>>46 「る」
呂宋の壷(るそんのつぼ)
中国南部、福建地方あたりの雑器窯で造られたもの。
ルソンを経由して輸入された高価な宝物。
前田慶次を気絶させる程の威力を持つ。
>>47 「ぼ」
木鹿大王(ぼくろくだいおう)
蜀の南征の折、敗走した孟獲に頼られ出陣した八納洞主。
自ら象に乗り、虎、毒蛇などを操って蜀軍を迎え撃つが
諸葛亮の制作した火を吐くからくり木獣によって軍は壊滅、戦死。
>>48 「う」
宇佐美定満(うさみさだみつ)
上杉謙信の軍師ともいわれた戦略家。
1564に長尾政景と舟遊び中に溺死した。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/23 22:05
51 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 00:23
>>50 「ま」
満寵(まんちょう 字:伯寧 はくねい)
早くから曹操に仕え、楊奉のもとにいた徐晃を説得し、曹操傘下に加えた。
樊城を関羽の水攻めから守った。
52 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 01:19
>>51 宇喜多秀家
秀吉の猶子で豊臣家の五大老の一人。関が原の戦いでは西軍に属し、戦後八丈島に流刑。
53 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 01:33
失礼つかまつった。
55 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 01:46
では結果は52と同じで(w
>>51 宇喜多直家(うきたなおいえ)
謀略家として知られる備前の大名。騙し討ちと暗殺が得意技。
中国攻めの羽柴軍に恭順後病死する。秀家の実父。
56 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 02:00
>>55 袁煕(えんき 字:顕奕 けんえき)
袁紹の次男。父には軟弱と誤解されていたが、戦いで父の窮地を救ったりしている。
妻は三国志の中でも一二を争うほど美しいとされる甄氏だが、敵の曹丕に奪われる。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 02:10
>>56 麹義(きくぎ)
袁紹の武将。涼州に居た経験が有り羌の騎馬戦術に長けていたので
公孫サン等の騎馬軍勢を、撃ち破る事が出来た。
のち、戦功を立てたが傲慢な態度に腹を立てた袁紹に殺された。
59 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 02:13
>>57 「よ」
楊奉(ようほう)
李確配下の武将。ヒップホッパー。
60 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 02:31
>>59 宇喜多忠家
というのもそろそろ反則っぽいので
烏丸族(うがんぞく)
中国北部(幽州)に勢力を持つ異民族(漢民族から見て)
っつーか、三国志の武将だと母音で終わるのが多すぎると思われ。
いっそ、臨機応変に字まで含むのもありとかにするのはどうよ?
その辺は任せます
63 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 04:54
>>60 狗奴国(くなこく)
魏志倭人伝に記述された倭の国名。邪馬台国の南にあったとされる。
邪馬台国とは戦争状態だった。
>>63 苦肉の計(くにくのけい)
周瑜と黄蓋のSMプレイで曹操を惑わし、
魏の戦船を鎖で繋ぐ緊縛プレイへ誘導、
赤壁での大勝利に導いた遠大な計略のこと。
65 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 05:47
>>64 稲葉一鉄(いなばいってつ)
美濃三人衆の一人。土岐氏、斎藤氏に仕えるが、竜興の代で信長に寝返る。
文武両道の名将として知られ、また「一徹者」の語源ともなった頑固親父。
66 :
風の谷の名無しさん:02/05/24 09:28
>>65 土屋惣蔵昌恒(つちや まさつね)
武田信玄、勝頼に仕える。金丸虎義の五男.
長篠敗退時に勝頼にしたがっていたのは、この昌恒と初鹿野伝右衛門昌久
の二人だけだった。
天目山の戦いでは、残り40名になっても滝川勢に何度も果敢に攻め込み、
20歳の若さで討死。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 10:35
>>66 禰寝重長(ねじめ しげたけ)
大隈の豪族。肝付氏にとっては不可欠の同盟者。
禰寝氏が島津氏に属すと、すぐに肝付氏も降伏。
対明貿易をしており、その財力は侮れないものだった。
ゲーム中では肝付氏の数少ない家臣の一人。
68 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 14:48
>>67 献帝(けんてい)
後漢朝最後の皇帝。諱(いみな)は劉協。
董卓に担ぎ出され即位してから、曹丕に禅譲するまで実権を持つことはなかった。
退位後は山陽公に封ぜられる。滅亡した王朝の帝にしては平穏に生きられたほう。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 18:03
>>68 今井宗久(いまい そうきゅう)
茶人、豪商。茶は武野紹鸚に学ぶ。後に婿養子となり、資産や茶道具を総て相続した。
本業の商いでは、問屋業を営む側ら、薬・鉄砲の製造でも成功を納め、巨富を築く。
信長、秀吉の茶頭をつとめ、1593年に73歳で天寿を全うするまで活躍した。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 18:25
>>69 ウ吉(うきつ)
道士。護符入りの水で民衆の治療をしていたところ、孫策に嫌われ斬られる。
後に重傷の孫策の元に現れ悩ませる。(演義)
彼が現れる何年も前にもウ吉という名の道士が存在しており、
ウ吉という名は代々受け継がれているものなのではないかという話もある。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:02/05/24 18:33
>>70 于吉は
>>37でガイシュツでございます
しかしこっちの方が解説は詳しいのねw
あ、ごめん。
じゃ代わりに
>>69 ウ禁文則(うきんぶんそく)
魏の武将。張遼、徐晃らと共に「魏の五将軍」と呼ばれる。
厳格で剛直な性格で知られ、曹操に背いた昌[豕希]を有無を言わせず切り捨てた。
ハン城で関羽に捕まり、命乞いをして助かったことは有名。そのせいか後世の評判は悪い。
魏に送り返されたとき自分の命乞いをする絵を見て病気となり死亡する。詞。
しょうがねえヤシだな・・・あまり詳しくないが。
>>74 海野六郎(うんのろくろう)
講談などで「真田十勇士」として描かれる真田幸村の配下。
海野家は真田家の本家とも言われている。
>>75 烏獲(うかく)
戦国時代、秦の武王に仕えた大力の勇士。
陳琳が袁紹のために書いた檄文に、
勇士の代名詞として登場する。
77 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/10 03:23
>>77 根津甚八
47年12月1日生まれ。山梨県出身。69年、状況劇場に入団し
79年の退団まで看板俳優として活躍。
現在、演技派俳優として映画を中心に幅広く活躍中。
主な映画出演作に「影武者」(80)「乱」(85)…
もとい、転々と流浪を続けた末、海賊の首領にまでのし上がった。
流浪の途次に居候をしたのが鎌之助の生家、鎌之助とは 格好の喧嘩友達であった。
九鬼水軍の情勢を探っていた幸村に巡り会い、十勇士に名を連ねる。
最期は「真田左衛門佐、今日ここに討死す」と叫び壮絶な討ち死を飾る。
79 :
伊達小次郎 ◆4hKlIzaE :02/06/10 17:05
80 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/10 18:18
>>78 陳宮(ちんきゅう)
呂布の懐刀。でも最後は仲が悪かった。
81 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/10 23:38
>>80 浮田温泉(うきたおんせん)
岡山の温泉。宇喜多氏と関係あるようなないような・・・
82 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/10 23:40
終了。
以降は
>>79のリンク先でお楽しみ下さい。
終わりかよ(おわりかよ)
つっこみ。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/16 03:12
もういちど 最初からやろう!!
関羽雲長(かんう うんちょう)
ひげの似合う男 なんばーわん。 もてまくり
86 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/17 08:41
また「う」?
戦国属性の人、助けてください。当方
>>76。
三国志で「う」から始まる名前って、
おそろしく少なくかつほぼ既出。
助けを求めるためage。
今までに放置されてしまったしりとりのつづきとして、
>>14 長尾景虎(ながおかげとら)→「ら」
>>32 榊原康政(さかきばらやすまさ)→「さ」
>>39 筒井順慶(つついじゅんけい)→「い」
>>42 北畠具教(きたばたけとものり)→「り」
そして、新しくはじめようという
>>85 関羽雲長(かんう うんちょう)→「う」
ここまで調べて力尽きたのであとよろ。
陳宮も関羽も「う」だから「う」で続けていいかな?
>80>85
于禁文則(うきんぶんそく(文則は字))
魏の将。オカマ。
字入れるのありだよな。
あ、がいしゅつじゃん。ごめん…女装して逝ってくる
再挑戦。
>80>85
于茲(うじ)
徐州南部のサク融(劉ヨウ配下)の配下。演義には出てこない。
>>92 荀イク(じゅんいく)
字は文若(ぶんじゃく)
王佐の才を持つといわれた人物で、
曹操の右腕となってはたらいた。
しかし、曹操が九錫の礼を受けるのに反対したため、
その寵愛と信頼を失ったとされる。
曹操から空き箱を送られて自殺したという説もある。
※「八頭身の武将はキモイ」スレッドでは、
やたらと自殺するキャラとしてとりあげられた。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/23 13:57
age
96 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/28 03:19
求む「く」age。
来島通総(くるしま みちふさ)
1582に河野氏から秀吉に転仕した。
四国征伐で一万四千石を領し、朝鮮で戦死。
水軍S。
98 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/28 06:07
>>97 左慈元放(さじげんほう)
ひとりでも せんにん。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/28 06:30
上杉景虎[うえすぎ かげとら]
北条氏康の子。ホモの謙信に気に入られ養子となる。
後に景勝と跡目争いを演じるも(御館の乱)、あえなく敗退
なんでもかなりの美形だったらしい。謙信もメロメロ
100 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/28 07:14
>>99 羅漢中(らかんちゅう)
元末・明初の小説家。山西太原の人。著に『三国志演義』。雑劇『竜虎風雲会』などがある。
生没年未詳。
101 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/28 07:47
>>100 氏家直元(うじいえ なおもと) ||V||
ト全(ぼくぜん)の通名の方が有名 (・ヘメ)
稲葉一徹、安藤守就と並び称され西美濃三人衆と呼ばれた
伊勢長島一向一揆討伐の際に殿を務めるも泥沼にはまり落馬して討たれた
102 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/04 06:45
>>101 董卓(とうたく)
字は仲穎(ちゅうえい)
三国志の序盤で大活躍する肉欲魔神。
うまいこと帝を奉戴して好き放題にやったが、呂布に殺される。
別名、人間蝋燭。
103 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/04 06:54
>>102 くわまん
本名忘れた。
日本を代表するドキュソ、田代の親友。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/04 09:53
103 桑野信義
105 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/04 10:32
司馬師(シバシ)
シバイの子供
106 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/04 10:46
107 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/04 11:08
司馬徽(シバキ)
良いぞ良いぞ。
字:徳操
爺キャラとして書かれるが、実際には劉備の13歳も年下である。
劉備に諸葛亮、[广龍]統の存在を知らしめた。
>108
紀霊(キレイ)
袁術配下の武将。
コーエーの三國志シリーズで、袁術での統一をめざすなら彼の起用法が鍵となる。
三国志演義では関羽相手に三十合渡り合った腕前。顔良・文醜以上か?
でもまぁ、そのあと勝負バックレたけど。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/04 19:42
尹大目(インダイモク)
三国志の後半に登場する。初心者やゲームの前半ばかりする人には
馴染みのないキャラクター。名は伝わっていない。
だから彼の呼び名を尹大目と呼ぶのは「諸葛孔明」と呼んでいるのと同じ。
コーエーさん、統一してください。
文欽が司馬師の反逆に腹を立て、曹家の復権を目指していたとき、
尹大目は司馬師の病が重いのを見て文欽に待てと遠まわしに諭すが
文欽はこれを理解できず。尹大目は「モウコネェヨ ウワァァァァン」と泣いて帰った。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 05:31
求む「く」age。
112 :
マジでゴメン。:02/07/08 05:48
公家(クゲ)
ゴメン。にわか三戦板住人だからよく知らない。
言葉だけは結構聞くんだけど・・・(汁)麻呂?
誰か解説代って。
113 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 11:08
>>112 公家(くげ)
「朝廷」などの意もありますが、大概は「公卿」の意でもちいるかと。
公=太政大臣および左大臣、右大臣、
卿=大納言、中納言、参議および三位以上の朝官
この「公」「卿」をあわせて「公卿」→「公家」らしいでござる。
ひらたく言えば、お貴族さま。くらいの認識でよいのではないかと。
114 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 11:23
厳顔(ゲンガン)
出身地不明。元は劉璋の家臣で、巴郡に駐留していたが
張飛の猛攻を受けて落城、捕虜となる。張飛の恫喝にも
媚びず恐れず、堂々と意見を述べたので感心され釈放。
劉備軍に加わった。得意武器などは全く不明、将器のほども
未知数。ある意味で、完全に謎の人物といえる。もちろん、張飛との
虚々実々の駆け引きなどは正史に無い。
最期も不明。何歳で死んだのか、どこで死んだのかも
明らかでは無い。なお、正史に伝は立てられていない。
肩書:巴郡太守(劉備に降伏)
光栄三国志だと中レベルでバランス取れた微妙な香具師
115 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 11:24
玄徳(げんとく)
三国志に登場する劉備の字。
大きな耳、長い手で有名な人。
116 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 11:35
>>115 国司元相( くにし もとすけ )
高氏の一族と伝わる
安芸毛利氏譜代の重臣。
元相は元隆の傅役を勤めたのち五奉行の一人となる。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 14:03
>>116 熊谷直盛(くまがいなおもり)
石田三成の娘婿。
キムチ征伐で目付けとして働き、順調に出世するも、関ヶ原で石田方にくみし、謀殺された
「り」で終わっちゃったので、次は三国系かと予想してみる
118 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 14:16
>>117 李儒(りじゅ)
董卓の腹心。
董卓に数々の献策をし、洛陽を混乱に陥れる。
決して自分がトップに立とうとはせず、悪いことは董卓にやらせるあたり、コイツが一番性悪なんじゃないかと思わせる。
最期は董卓の暴政に荷担したとして首をはねられる。
由比正雪(ゆいしょうせつ)
江戸時代初期の人。幕府を潰そうとクーデターを画策するも失敗。
その背景には、幕府の武断政治による大名家取り潰しによって発生した
おおくの職にあぶれた浪人達の問題が絡んでいる。
120 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 14:24
>>119 津川雅彦
大河ドラマ「徳川葵三代」で徳川家康役を演じる。
121 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 14:40
123 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 15:29
>>117はしりとりを知らないらしいが、そっから続いてるからいいかw
ところで、くわまんってありなの?
三戦キャラじゃなくてもいいのか
124 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 15:50
>>123 当然なしだろ。
あーゆーのは荒らしとして無視・放置。
ちゃんとしたものの最後から続けるべき。
>>120みたいなのはオッケーだろ。
そうしないとなかなか続かないだろうし。
くわまんがなんかのドラマにでてたとしても、
何役ででたのかわからん(書いてない)から無効。
馬鹿殿の爺とかいうオチはいらんからな。
よって
>>103-105は無効。以降、指摘せず続けたやつも同罪。
ちゃんとした三戦板住人なら
>>102の続きの「く」からはじめるのがよかろう。
125 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 15:56
>>120 高沛(コウハイ)
劉璋配下の部将。
同僚の楊懐と謀って劉備の暗殺を計画する。
が、逆に捕らえられ劉封・関平に斬首された。
126 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 16:01
>>125 伊籍(イセキ)
はじめ劉表配下。
蔡ボウが劉備を暗殺しようとしているのを察知し、劉備を逃がす。
後、劉備の幕僚へと加わる。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 16:45
>>126 木下勝俊(きのした かつとし)
北政所の兄の子。
つまり秀吉の甥にあたる。
秀吉に仕え若狭の小浜城主となるも、関ヶ原での行為を咎められ所領を没収される。
以後、京都に隠棲し風流三昧の生活を送る。
秀吉の一門には珍しい一流の文化人であった。
>>127 宍戸隆家 (ししど たかいえ)
安芸の土豪。
祖父の代に毛利と和を結び、元就の娘を隆家の室に迎える。
以後毛利の一門衆並の扱いをうけ、中国制圧に活躍。
1592年没
今度も流されちゃったりして・・・(笑う
>>123-124 「くわまん」は「ん」なわけで
三戦云々以前に、どう考えても、
しりとりとして駄目なのでは。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 20:52
>>128 越吉(エツキツ)
曹真の加勢に来た西羌の元帥。
15万の鉄車軍(?)で蜀軍を苦しめるも、諸葛亮の策にはまり落とし穴に(藁
最後は関興に討ち取られた。
死ぬ為だけに生み出された哀れな人物。
合掌
131 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 20:58
>>130 津田宗久(つだそうきゅう)
宗達の子。茶人。『宗及他会記』の著者
堺の豪商「天王寺屋」の主で、信長、次いで秀吉に仕えた。
光秀との交友も深かったが、「変」当時は、堺遊覧中の家康の接待役を務め、
光秀の追及から家康を逃すために奔走したとされる。
133 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/08 21:50
>>133 内ヶ島氏理(うちがしま うじまさ)
飛騨帰雲城城主。
戦国最強の不幸武将。
1585年、佐々成政要請におうじて出陣したが、
留守中に金森長近に内応した家臣に城を奪われ、
長近に詫びを入れて城を返してもらったら、
その年の内に大地震が発生。
さらに山崩れと洪水まで発生して一撃で城もろとも埋没、
そして滅亡・・・(TДT)
一応埋蔵金伝説あり。
135 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/09 23:01
>>133 崔州平(さいしゅうへい)
諸葛亮の友人。
そんだけ。
じゃ、つまらないので、ちと解説。
崔氏譜という書物によれば、後漢の大尉崔烈の子供だそーな。
崔烈といえば、「銅臭」の故事で有名な人物。
後漢の霊帝み世に官位をお金で買って出世したらしい。
呂布が李カク・郭に敗れた時に殺されている。
崔州平はその前に荊州に避難していたんだろーね。
州平ってのは字だと思うんだが、名がわからないんだ。
知ってる人は教えて下され。
136 :
人名じゃなくてもいいんだよね:02/07/09 23:09
>>135 夷陵の戦い
言わずと知れた蜀と呉の大戦争。
関羽を失った悲しみで冷静な判断力を失った劉備が、まわりが止めるのも聞かず独断で進軍したと言われる。
はじめ蜀軍は勝ち進むが、やがて呉の反撃にあい敗走する。
う〜ん、あんまり思い出せない。だれか補足してくれる人いたらキボンヌ。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/09 23:44
>>136 三・戦板ネタだと「〜の戦い」だらけになると思うので、
「夷陵(の戦い)」というふうに、しりとりでは「〜の戦い」の部分は
ないものと考えるのはどうだろう?
あと、城も「大坂(城)」とか…。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/09 23:51
>>136 千禁
済北の牧・ほう信の配下。曹操がえん州を掌握すると仲間たちと曹操陣営に参加。
弓馬に秀でているのを認められ、点軍司馬となり、以後重用される。
が、赤壁からその栄光は崩れ去り、最後は、はん城にて関羽に降伏。
それをきっかけに病を発し死亡
______________終了______________
なるほどね。
じゃあ
夷陵(イリョウ)(の戦い)
で続きは「う」でお願いします。
ああ、168じゃねえや。
いまカンチューハイ一気のみしたから酔ってるのか・・・。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/09 23:54
142 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/10 00:19
143 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/10 01:04
>>138 于禁はガイシュツなので無効
かと思ったら千禁て・・・
問題外なので次は「う」からで
>>138 では末尾の「禁」をとって、
禁中(きんちゅう)
皇居の中。宮中。
次は「う」からどうぞ。
禁中並公家諸法度(きんちゅうならびにくげしょはっと)
江戸時代の法令。
金地院崇伝(こんちいんすうでん)起草。
天皇以下公家全体を幕府統制下に置くことに定めた。
147 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/29 00:01
トッティ
イタリアセリエAのローマに所属。司令塔としてチームを指揮するローマの王子様。
井伊直政(いいなおまさ)
諸国を放浪(?)した後、ホモ達小姓として徳川家康に仕える。
本能寺の変後、破格の勢いで出世するが、働きすぎ・関ヶ原での戦傷により
一六〇二年、42歳の若さで世を去った。
武田家の猛将山県昌景をパクった「井伊の赤備」はあまりにも有名
149 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/29 02:00
いや、ツッコむべきはトッティだろ!
真田大助 (さなだ だいすけ)
真田幸村の嫡男。幸村流配中の紀州九度山で生まれる。
大坂夏の陣では父に従い敵将の首級をあげるなど奮戦するも、
父幸村討死の報を聞き大坂城にて切腹。十四歳の若さであった。
和歌山で生まれ大阪で世を去ったのに、信州上田でお土産が
売られていても目を瞑ってあげよう。
>>151 郤正(げきせい)
字は令先。
蜀の滅亡辺りから登場する、蜀の秘書令。
蜀滅亡後の劉禅と司馬昭のやりとりにからんだ所が有名かも。
郤正の祖父郤倹(げきけん)は益州刺史であったが、税の徴収に不正があったために逮捕されている。
ちなみに、後任の益州刺史は劉焉(りゅうえん)。
郤正の父の郤揖(げきしゅう)は、孟達が魏に降った際に行動を共にし、魏で中書令史となった。
このとき郤揖の妻子は蜀に留まっていたようである。
このように、彼の家系は益州と密接な関係があったようだ。
かなり苦労してそうだな。
郤正は蜀滅亡後晋に仕え、巴西太守となっている。
>郤正の祖父郤倹(げきけん)は益州刺史であったが、税の徴収に不正があったために逮捕されている
「逮捕された」のではなく、劉焉(りゅうえん)に「取り調べをされることになっていた」の間違いですた
正確には、劉焉と会う前に自称黄巾の馬相らに殺されています
し、死にたい・・・
逝ってきます
↑は152の間違いです
死のう・・・
石川文吾 (いしかわ ぶんご)
後に五右衛門と改名。
百地三太夫の弟子となり伊賀流忍術を極めるが、その術を使って数多くの盗みを働く。
最後は豊臣秀吉に捕らえられ、京の三条河原にて釜茹での刑に処されたという。
このときに詠んだ辞世の句は「石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」。
下から火を焚いて沸かす「五右衛門風呂」とう名称は、この話にちなんで名付けられたとか。
歌舞伎や新劇で演じられる五右衛門は「金持ちから盗んだ財宝を貧しい人たちに施した」
「盗みを働いた際に煙草をくゆらせながら『絶景かな』と呟いた」など、義賊のイメージが強い。
んなーこたーない。
なお、彼より13代目の子孫は、仏の泥棒の3代目とつるんで盗賊稼業に勤しんでいるようだ。
↑
仏の泥棒の → 仏国の泥棒の
としたほうがわかりやすいですね。
157 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/08 21:58
保全保全・。。。
>>155 後藤基次(ごとうもとつぐ)
又兵衛の名で知られる。
黒田家の家臣で黒田八虎に数えられたほどの猛将。
黒田家当主長政とそりが合わず出奔。乞食を経験するほどの極貧生活の後、大坂城に入城。
大坂の陣で秀頼四天王のうちの一人として活躍した。
徳川側から内応の使者が来たとき「わしが死ねばこの城はすぐに落ちる、そのほうが良いだろう」と嘯いたのは有名。
保守
保守。しりとりに参加できる知識が…(泣)
161 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/23 02:11
軍団長(ぐんだんちょう)
信長の部下柴田勝家や明智光秀、羽柴秀吉らが有名
最前線にて敵大名と戦い、信長の天下布武のために
戦う
162 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/23 02:25
>>161 うつけ者(うつけもの)
若い頃の織田信長は、かなりDQNな行動をとっていたため、周りからこういわれた。
だが、唯一斎藤道三は信長の才を見抜いてたっぽ
保守
164 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/01 11:25
野々村真(ののむら・まこと)
[人名]1964年6月24日〜
タレント。初代いいとも青年隊。
草野仁司会の歴史クイズ番組「日立世界ふしぎ発見」の
オチ担当回答者として、この板住民にはまずまず馴染み深い。
165 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/01 11:47
藤堂高虎(とうどう たかとら) 1556〜1630
北近江・浅井氏に仕え軍功をあげる。浅井氏滅亡後は阿閉貞秀、磯野員昌、織田信澄に仕えた後、羽柴秀長、秀保に仕え各地を転戦活躍する。
武略に秀でる一方で築城、算術、外交などにもその才を見せた。秀保死後は、豊臣秀吉の直臣となり、朝鮮出征に参加。
秀吉死後は徳川方に属して、関ヶ原の戦い、大坂の陣にも参加して所領を増やした。
166 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/01 11:58
雷薄(らいはく)
[人名](分類:三国志)
袁術の部将。後に主君を見限り、山賊となって、
救援を求めてきた袁術を撃退する。
167 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/04 00:45
車裂き(くるまざき) [※車裂(しゃれつ)]
中国の刑罰の一つ。頭両手両足に結びつけた縄を別々の車にくくりつけ、
いっせいに走らせることで罪人の五体をバラバラにするという恐ろしい刑罰。
車ではなく直接牛や馬に括り付けて引き裂くこともある。
あまりにも残酷なので、漢代は執行が控えられていたようである。
三国志で車裂きを行った人物には、呉の孫皓がいる。
168 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/04 21:46
金環三結(きんかんさんけつ)
[人名](分類:三国志)
南蛮軍第一洞の主。侵攻して来た蜀軍に対抗するも、
趙雲に一突きにされて殺された。
……つまり、羅貫中作『三国志演義』での架空の人物。
169 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/04 21:51
筒井順慶(つついじゅんけい)
[人名](分類:戦国)
大和の大名。
洞ヶ峠の日和見で有名。
170 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/04 22:02
犬(いぬ)
[名詞](分類:三国志・戦国)
動物の一種類。家畜、もしくは愛玩動物として人間に飼育されることが多い。
狩りが武門のたしなみである時代では、良犬は珍重されることも多かった。
また、犬は社会性の高い動物で飼い主に忠誠を尽くすところから、
「・・・の犬め!」などの罵声にも、代名詞としてその名が応用されることがある。
戦国時代で「犬」といえば、普通は前田利家の幼名・犬千代を指す。
三国志では、正史の記述から、
董卓が犬を飼い、けっこう可愛がっていたらしいことが推察される。
171 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/04 23:21
温井景隆(ぬくい かげたか)
[人名](分類:戦国)
元は能登の畠山氏の家臣。石動山にて戦死する。
172 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/05 12:54
郭勝(かくしょう)
[人名](分類:三国志-後漢)
霊帝時代に朝廷に圧倒的な権力を持っていた宦官・十常侍の一人。
十常侍はなぜか演義では10人、正史では12人と数が違う。
しかも、演義に登場する十常侍は、単純に正史から人数が削られているだけではなく、
演義オリジナルの人物が混ざったりしていたりするので
ややこしいことこの上ない。
郭勝は正史・演義共々出演している。
173 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/05 22:33
馬廻(うままわり)
[役職?](分類:戦国)
大将の周囲を警護する精鋭の騎馬武者。馬廻役の略称。
単に大将の乗った馬の周囲をこう呼ぶこともある。
174 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/06 00:04
李儒(りじゅ) ※次は、「ゆ」
[人名](分類:三国志)
三国志演義では、董卓の女婿。西涼董卓軍の謀事を一手に引き受ける有能な謀士として、
先帝の皇后と子を暗殺したり、献帝擁立に関わったり、貂蝉の連環の計を見破ったりと、
物語序盤を大いに盛り上げてくれるために、その知名度は非常に高い。
しかし三国志正史に李儒の名は無い。
後漢書に一箇所だけ李儒の名は出てくるが、それっきりという端役中の端役である。
小説家・羅貫中の筆の冴えを如実に物語る人物であると言えるだろう。
弓屋(ゆみや)
弓矢と読みは同じだが、こちらは弓を作る人や店を指す。
矢来(やらい)
[名詞](分類:戦国?)
陣地の回りなどに施される、竹や丸太を粗く組んで製作された仮の囲い。
使われた材質や組み方によって、竹矢来など、「〜矢来」と呼ばれることも多い。
177 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/07 14:39
伊籍(いせき)
[人名](分類:三国志)
元々は劉表の家臣で、荊州時代の劉備に出会うとそのまま劉備に付いて行くこととなる。
演義では、劉備の乗る馬を凶馬と見抜く。
178 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/07 23:19
許(きょ)※次は「よ」か「きょ」
[地名](分類:三国志)
豫州に属する都市名。
曹操が帝(献帝)を奉戴した折に、許昌と改名する。
鉅鹿(きょろく)
[地名](分類:古中国)
現在は平郷県、項羽が秦の章邯の軍を大敗させた地。
演義の第壱回で張角が山に入り、南華老仙から、
『太平要術』という天書三巻を授けられるている。
郡県制(ぐんけんせい)
[行政制度](分類:中国史)
六国を滅ぼした後、秦の始皇帝が確立した制度で、
国家全てを郡県単位に分けて皇帝の直轄地とし、中央集権制を確立させたもの。
続く漢も、郡国制という過渡制度を経て程なく秦の郡県制を引き継ぎ、
現代の多くの国家も中央集権制を敷いている事から、
始皇帝の確立したこの制度は、現代まで連綿と続いているともいえる。
以夷制夷(いいせいい)
[後漢書、{登β}訓伝](分類:四字熟語)
異民族を利用して異民族をおさえる。
日本の身近な国が今でも・・・
182 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:44
>>450 その説の根拠を希望。
天正十五年五月八日の義久降伏以前、四月十七日の日向根白坂の合戦後に
島津家久、伊集院忠棟は降伏済み。
出水城主島津忠辰も四月二十七日に秀吉が薩摩出水に至った後に降伏。
(島津忠辰は薩州家で義久の婿)
「樺山紹剣自記」によれば、義久は秀吉が泰平寺に着陣した(五月三日)
ことを聞いた際、
「今は別の才覚これ無し。向かう敵に懸け合わせ一命を極むべし」
(今はもう考えることもない。向かってくる敵と合戦し、死に花を
咲かせよう)と述べたが、重臣達が、
「天下殿江御礼御申し候て然るべく候」(秀吉に降伏するべきである)
と説得した、とある。
「勝部兵右衛門聞書」によれば、先に降伏した伊集院忠棟も日向から
薩摩に帰っており、義久の供をして泰平寺に出頭している。
伊集院の説得も義久の降伏に大きな役割を果たしたと考えられる。
あと
>>404で挙げた通り、義久の家臣統率には外部から弱腰との
批判が出ている。
ついでに言えば、この時点でまだ義弘は降伏していない
(五月十九日秀長の陣に出頭)。
以上の点から考えると、独裁権を持ち、家臣を厳しく
統率できていたとは考えにくい。
183 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/08 20:52
大坂城、天守閣。
四方の柱に惜しみなく金箔が貼り込められた大広間。
西軍に馳せ参じた一同、幼君・豊臣秀頼に拝礼する。この時、七歳。
秀頼の隣には、その母である淀の方が座している。この時、三十三歳。
長束正家が今も続く戦況を詳細に申し述べた。
あれから、家康の嫡男・秀忠は真田によって甲斐の国で討ち取ったが、
肝心の家康の消息は未だ不明。
九州では、黒田如水、加藤清正、島津龍伯らが、
陸地を三分する勢いで奮戦し、東軍を絶滅。
奥州では上杉がいまだ最上を相手に激闘を重ねているという。
「こたびの働き、まことに見事じゃ。秀頼様もお慶びであるぞ」
艶やかな声で場にある西軍大名、一人一人に労いの言葉をかける。
「ところで、城外に控えている、あの不気味なものは…」
淀の方が眉にしわ寄せながら訊ねた。
「お話は既に聞き及んでいる事と思われますが、
この戦で類のない武功を立てた大入道様にござる」
「あれが…豊臣を救ったのか。これはまあ…」
淀の方は言葉のかけようがない。
三成が室町式の礼をとって申し上げた。
「朝廷に奏上し、あれに官位を願おうと思うております」
ここで秀頼様がすっと立ち上がった。
子供らしい足取りで天守の外を見下ろす。
ザクの姿があった。
「あれはその後、どうするのじゃ」
「それはどうぞ、この治部少にお任せ下さいませ」
三成の口元が暗く微笑んだ。
渭水(いすい)
[河川](分類:中国史)
北部から流れ、函谷関の西方で黄河へと合流する河。周囲は盆地(渭水盆地)となっている。
歴代長安のうちのいくつかは、交通運輸の利から、この渭水のほとりに建てられた。
三国志では、馬超と曹操の戦いを「渭水の戦い」と呼び、また渭水は北伐時の激戦地でもあるが、
世間一般的には、渭水は、「周の都・鎬京の所在地」、もしくは、
「太公望が釣りをしていた河」として広く知られている。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/09 11:41
しりとりage
186 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/09 15:23
井上元兼(いのうえもとかね)
[人名](分類:戦国)
毛利元就の家臣。権力を持っていたため疎まれ、殺された。
次は「ね」でどうぞ。
値釜(ねかま)
ネット上で男が女かのような口調で話して女のふりをすること
出会い系やチャットなどで出没することが多いらしい
次は「ま」です
秣陵(まつりょう)
[地名](分類:三国志)
建安17年、孫権によって秣陵を建業に改められる。
埋火(うめび/うつみび) ※次は「ひ」か「び」
[兵器](分類:戦国)
戦国時代後期に使われたと言われる忍者兵器。
地面に火薬の入った壊れやすい箱を埋め、その上に2つに割った竹に火縄を入れて埋めることで、
敵が竹を踏むと火縄が火薬に引火して敵を倒すしくみ。原始的な地雷。
ただし、火縄が燃え尽きると引火しないところがかなしい。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/10 00:34
美髯公(びぜんこう)
[代名詞](分類:三国志)
関羽の異名の一つ。髯が美しいことから。
191 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/10 17:47
于吉(うきつ)
[人名](分類:三国志)
琅邪の人、東方の道教の仙人。
孫策に民を惑わすとして斬られて命を落とした。
演義や捜神記では、死後に孫策を呪い殺すというアクティブな仙人。
月夜見尊(つくよみのみこと)
[人名](分類:日本神話)
伊弉諾、伊弉冉の子
現在の日本では知名度なし。
193 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/12 22:11
隗より始めよ(かいよりはじめよ)
[故事成語](分類:春秋戦国時代)
燕・昭王が郭隗に人材を集める手段を問うたところ、
「まず、隗(私)を厚く遇しなさい。そうすれは、「あの郭隗ですら厚遇された」
という噂を伝え聞いた天下の賢人たちが、ほどなく燕に集まるでしょう」、と応えた。
昭王がその通りにすると、果たして大勢の賢才たちが仕官してきて、
燕は再び国勢を回復した。という故事に基づく。
現代では、「まず自分自身から進んで行動を起こしなさい」、という意味にも使われる。
194 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/12 22:21
195 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/14 14:22
馬印/馬標(うまじるし)
[道具](分類:戦国)
戦場などで大将の所在を知らせるために、側に掲げておく機幟の一種や祭器のような目印。
いろいろな形があって、工芸品として見ても美しい。
刺客(しかく、しきゃく、せっかく)次はく
[職?](分類:古代から現在)
暗殺を得意とする人。
荊軻と秦王の話が有名。
車菱(くるまびし)※次は「じ」でもオケー
[武器](分類:室町〜戦国〜江戸)
金属製の針を八方に広げた形状で、大きさは手のひらに乗る程度。
敵の侵入路などに設置して兵馬の足を傷つけ、歩行不能にさせる定置式の武器。
忍者が使う撒き菱は投射武器なので、車菱とは性質がやや違う。
四神旗(ししんき)
[旗](分類:?)
朝廷で元旦朝賀・即位礼などの時に立てられた。
四神とは東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武の事。
匈奴(きょうど) ※次は「と」でもオッケー
[民族](分類:中国史)
xiongnu。言語体系も同じであることから、フン族の中国表記といわれる。
春秋戦国時代から漢代にかけて北方に割拠し、中国史のみならず、
世界史全体に多大な影響を与えた民族。
美女王昭君、霍去病の活躍、李陵の悲劇、西洋ではニーベルンゲンの歌、と、
匈奴の強大さに由来する逸話は枚挙にいとまが無い。
匈奴はユーラシア大陸の歴史には無くてはならない超越した存在だったが、
三国時代には単于争いから完全に分裂衰退しており、今ひとつインパクトに欠けるのが惜しい。
200 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/18 01:47
藤甲(とうこう)
[鎧](分類:三国志)
孔明南蛮征伐のおり、兀突骨率いる藤甲軍が着ていた鎧。
藤を油につけ乾かすという作業を何ヶ月も繰り返し、刀や矢も通さない堅固な鎧のことである。
この鎧により蜀軍を苦しめたが、孔明の偽退の計と火に弱いことが災いし、兀突骨を含めた
鳥カ国3万の兵は盤蛇谷で焼かれ全滅した。
雲崗(うんこう)
[地名](分類:中華)
山西省北部の大同の西にある丘。
雲崗石窟跡が有名。
202 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/21 01:14
馬(うま)
[動物](分類:世界史全般)
人に慣れやすく、種類によっては温和な性格である大型獣。
しばしば人間に家畜として飼育される。
東ユーラシア文化圏においては北方の騎馬民族から乗馬の風習が伝わり、
時代が下がるにつれて、荷駄農耕以外にも、乗用として戦場へ駆り出されることが多くなった。
満寵(まんちょう)
[人名](分類:三国志)
曹操の幕僚
徐晃を説得する。
対袁紹戦では劉表の攻撃に備える。
対劉備戦で曹仁を説得しきれず大敗。
対関羽戦で曹仁を説得し大敗を防ぐ。
対孫権戦で呉に大勝する。
204 :
無名武将@お腹せっぷく:02/09/27 21:41
age
205 :
こおろぎ│・ω・) ◆8T0pwV36 :02/09/28 21:31
羽後(うご)
[地名/国名](分類:戦国)
旧国名のうちの一つ。現在の秋田から山形にかけて存在した。
206 :
コギャルとH:02/09/28 21:33
次は、「ち」
後漢書(ごかんしょ)次はしょ、し
[書名](分類:南朝)
范曄の撰で本紀10巻・志30巻・列伝80巻からなる。
ただし志は晋の司馬彪の「続漢書」を纏めた物。
「ち」なのか。・゚・(ノД`)・゚・
あらしこうこく、もういやや……
(
>>207)
稚児(ちご)
[役職名](分類:戦国)
元は「幼児」の意。公家や寺社仏閣などに召し使われる雑用係りの少年。
戦国時代においては、武将も雑用係りに稚児を召した。
(
>>208へ…)
※次は次は、「しょ」、「し」
211 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/02 18:41
諸葛亮(しょかつりょう)
[人名](分類:三国志)
正史の政治家、演義の魔術師。
宇喜多秀家(うきた ひでいえ)
[人名](分類:戦国)
梟雄・宇喜多直家の嫡男。
秀吉にその才を愛され、五大老の地位と秀吉の養女豪姫を娶るなど
豊臣政権下で順風満帆な人生を送るが、関ヶ原の合戦で西軍に着いたため没落。
命だけは助けられるが八丈島に流され、その地で没した。享年83歳。
213 :
こおろぎ│・ω・) ◆QQQQqqq. :02/10/06 23:53
袁熙(えんき)
[人名](分類:三国志)
あざなは顕奕(けんえき)。袁紹の次男で、美女・甄氏の最初の夫。
袁紹は生前、次男の袁熙を評して「器ではない」としていたが、
いざ袁紹が没してみると、後継者争いに没入する長男・袁譚、三男・袁尚の争いをよそに、
ひとり黙々と領地を保守していたのは袁熙だった。
袁尚とともに遼東に落ち延びるが、裏切りにあって命を落とした。
騎馬隊(きばたい)
[組織](分類:三国志・戦国)
騎兵のみで組織された部隊。その機動力と衝撃力から近代まで最強の決戦戦力とされる。
我が国で騎馬隊といえば甲斐武田氏があげられるが、そんなものが存在した事実はないのに
世間一般に定着した謝った事実が一般常識として流布されているのが実状。
215 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/23 22:10
石田三成(人名)
豊臣秀吉に仕え、五奉行となり太閤検地や朝鮮出兵の兵站輸送など行政面で活躍、
秀吉死後、家康と対立。西軍の中心となり、関ヶ原で家康率いる東軍と戦うが、敗れ
京都六条河原で斬首。
216 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/23 22:16
竜造寺隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)
:人名:
寡兵の島津家久に散々に打ち破られた挙句逃亡中に討ち取られた悲劇の大名。
実は結構強かったらしい。
かなりのデブで、出陣するときは家臣に輿を担いでもらって出陣したという。
217 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/23 22:35
>>216 武家諸法度(ぶけしょはっと)
江戸時代の大名に対する基本法令。
1615年秀忠の元和令をはじめとし、家光の寛永令で整備された。
違反者は厳罰。将軍代替わりごとに発した。
218 :
無名武将@お腹せっぷく:02/10/23 23:30
戸川達安(とがわみちやす)1567〜1627
宇喜多三老の一人、戸川秀安の嫡男。13歳で初陣。宇喜多家の侍大将として数多くの
合戦で活躍、朝鮮の役では碧蹄館戦にも参戦した。その後宇喜多家中の内紛で失脚追放、
徳川家預かりとなる。関ヶ原の合戦では東軍に属し、岐阜城攻めに功を挙げ、備中庭瀬に
二万九千二百石を領した。
その後戸川家は曾孫安風の代に嗣がなく改易されるも、弟達富により九千石の旗本として
存続した。達安のウサちゃん付き兜↓
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透破(すっぱ)
[組織名](分類:戦国)
忍者のこと。素破、水波と書くこともある。
また、地方によって忍・草・乱破など呼称があるが、どれも大差はない。
彼らは主に情報収集や破壊工作、謀略などを手がける事が主な仕事だが、
北条家の風魔党の様に戦時にゲリラ戦を仕掛けるような者もいた。
有名な流派は甲賀流・伊賀流・風魔流・世鬼流・楠流など。