三国志、戦国時代の詩とか和歌とか

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68地雷魚:02/05/16 22:46
飲馬長城窟行 陳琳

飲馬長城窟    馬を長城の窟に飲えば  長城では馬に水を飲ませると、
水塞傷馬骨    水寒くして馬骨傷る   その冷たさに馬の骨まで凍るほどだ。
往謂長城吏    往きて長城の吏に謂う  寒さに耐えかねて人夫が工事の役人に願う
慎莫稽留太原卒  「慎んで太原の卒に稽留する莫かれ」
            「太原来たわしらを、どうか期限どうりに帰してくださえ」

(以下、長城工事人足の夫婦の嘆き)
官作自有程    「官作 自ら程あり
擧築諧汝聲    築を挙げ汝が声を諧えよ
生女哺用脯    女を生まば哺むに脯を用いよ
君獨不見長城下  君独り見ずや、長城の下
死人骸骨相擋拄  死人骸骨相擋拄するを」
夫「こんなひでえところに連れてこられたわしじゃ、よそ様の娘を嫁にくれなんて言えやしねえ。もし男の子が生まれても、とり上げるでねえぞ。女だったらたんと干し肉でも食わせて、大切に育てるだよ。おめも知ってるだろが、ここらは骸骨と死人が重なり合っている」

結髪行事君    「結髪、行きて君に事え
慊慊心意關    慊慊として心意関る
明知邉地苦    明らかに知る、辺地の苦しきを
賤妾何能久自全  賤妾、何ぞ能く久しく自ら全うせんや」
妻「若いときあんたに嫁に来て、離れ離れの寂しさにも耐えて、あんたの事ばかり考えてきただ。ここらの苦しさはわかってる。あんたになんかあったら私も生きていたいとは思わねえ」

69地雷魚:02/05/16 22:51
>>68
 曹操への檄文で有名な陳琳の作品です。
 この時代も続いていた万里の長城工事に駆りだされた民の苦しみを、
夫が現場で問いかけ、それに妻(郷里で?)が答えるという形式で描いています。
 曹操もそうでしたが、建安の詩人たちは民や兵士たちの労苦を身近に感じ、
それを詩に描く事で世に問うてました。
 彼らは乱世において文人として徒食するのではなく、実際に戦いや民たちの苦しみに接して、
それを現場で見て、あるいは同様の苦労を感じつつ描いているというところで、
後世の詩人としてでなくジャーナリスト的や役割も果たしていたと言えるでしょう。
70地雷魚:02/05/18 01:27
>>48
>>50
 ふと思いましたが、吉田松陰と土方歳三の辞世ってそっくりですね。
 土方も幕府側にいたとはいえ、“勤皇の士”として松陰には敬意を払っていたのでしょうか?
 それにしても、土方と高杉には一度、逢わせてみたいものですね。
 天才にして変人の詩人高杉と下手の横好き歌人土方の会話ってのは、見てみたい気がします。
その癖、「勤皇の犬」とおらぶ土方。
五稜郭で賊となる土方。
哀れなるアホ土方。
72地雷魚:02/05/18 17:42
白馬篇 曹植

白馬飾金羈 白馬金羈を飾り      金糸で飾られた白馬が
連翩西北馳 連翩として西北に馳す   天を駆るように西北に駆けて行く
借問誰家子 借問す 誰が家の子ぞ   あれはいったい誰なのか?
幽并游侠兒 幽并の遊侠児       あれこそかの有名な幽州并州の伊達男!
少小去郷邑 少小にして郷邑を去り   若い頃に故郷を離れ
揚聲沙漠垂 名を沙漠の垂に揚ぐ    砂漠の周辺で勇名を馳せたお方よ!
宿昔秉良弓 宿昔 良弓を秉り     そんときゃ、いい弓を持たせれば、
[木苦]矢何参差 コ矢 何んぞ参差たる 長短いろんな矢を背負っては、
控弦破左的 弦を控きて左的を破り   弦を引いて左の的を抜いたと思えば、
右發摧月支 右に発して月支を摧く   たちまち右の『月支』的を砕く。
仰手接飛猱 手を仰げて飛猱を接ち   上をめがけて『飛猿』の的を射て、
身散俯馬蹄 身を俯して馬蹄を散ず   下を向いては『馬蹄』の的を貫く。
狡捷過猴猿 狡捷なる 猴猿に過ぎ   その早業は猿でもかなわず、
勇剽若豹螭 勇剽なる 豹螭の若し   勇猛さは豹や蛟も凌ぐってお方だよ!

邊城多警急 辺城 警急多く      辺境は警戒の報が多い。
胡虜數遷移 胡虜 數遷移す      「えびすの兵どもが襲ってきたぞ!」
寵從北來 寵 北從り來り     北から援軍の要請がくれば、
飼n登高堤 馬を獅ワして高堤に登る  彼の勇士は長城へと馬を駆る
長蹈駆匈奴 長駆して匈奴を蹈み    「さあ、一騎に匈奴どもを蹴散らし、
左顧凌鮮卑 左顧して鮮卑を凌がん    その勢いで鮮卑も倒してくれよう。
棄身鋒刃端 身を鋒刃の端に棄つ     ひとたび、戦場に立つならば
性命安可懐 性命 安んぞ懐う可けんや  命などは惜しくはない。
父母旦不顧 父母すら旦お顧みず     父母ですら顧みぬのに、
何言子與妻 何んぞ子と妻とを言わんや  どうして妻子にかまけてなどいられよう。
名編壮士籍 名を壮士の籍に編せらるれば 軍に籍を連ね士と呼ばれたからには、
不得中顧私 中に私を顧みるを得ず    私情など挟むことはない。
捐躯赴國難 躯を捐てて国難に赴く    身を捨てて、国難に立ち向かう身なれば、
視死忽如歸 死を視ること忽ち帰するが如し 死すらも意に介するまでもない事だ
73地雷魚:02/05/18 17:46
>>72
 またまた曹植の詩ですいません。どうにも魅力的でありすぎます、彼の詩は。
 この白馬篇は勇猛をもってなる北方出身の騎馬武者を描いた詩です。
 前半の華麗なる勇士の描写と後半の悲壮ですらある勇士の覚悟の対比が見事ですね。
 一説にはこの勇士のモデルは并州出身と張遼とのことですが、確かに後半の私情を捨て国難に立ち向かうあたりの台詞は彼らしいと言えるかもしれませんね。
74無名武将@お腹せっぷく:02/05/22 17:32
age
75地雷魚:02/05/25 21:56
星落秋風五丈原          土井晩翠



祁山悲秋の風更けて 陣雲暗し五丈原、
零露の文は繁くして 草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く 鼓角の音も今しづか。

丞相病あつかりき。

清渭の流れ水やせて  むせぶ非情の秋の聲、
夜は關山の風泣いて  暗に迷うかかりがねは
令風霜の威もすごく  守るゥ営の垣の外。

丞相病あつかりき。

帳中眠かすかにて  短檠光薄ければ
ここにも見ゆる秋の色、 銀甲堅くよろへども
見よや侍衞の面かげに  無限の愁溢るるを。
 
丞相病あつかりき。

風塵遠し三尺の  劍は光曇らねど
秋に傷めば松柏の  色もおのづとうつらふを、
漢騎十萬今さらに  見るや故郷の夢いかに。

丞相病あつかりき。

夢寐に忘れぬ君王の  いまわの御こと畏みて
心を焦し身をつくす  暴露のつとめ幾とせか、
今落葉の雨の音  大樹ひとたび倒れなば
漢室の運はたいかに。

丞相病あつかりき。

四海の波瀾収まらで  民は苦み天は泣き<
いつかは見なん太平の  心のどけき春の夢、
群雄立ちてことごとく  中原鹿を争ふも
たれか王者の師を學ぶ

丞相病あつかりき。

末は黄河の水濁る  三代の源遠くして
伊周の跡は今いづこ、 道は衰へ文弊れ
管仲去りて九百年  樂毅滅びて四百年
誰か王者の治を思う。

丞相病あつかりき。
76地雷魚:02/05/25 21:57
   二

嗚呼南陽の舊草廬  二十余年のいにしへの
夢はたいかに安かりし、 光を包み香をかくし
隴畝に民と交れば  王佐の才に富める身も
たゞ一曲の梁歩吟。

閑雲野鶴空濶く  風に嘯く身はひとり、
月を湖上に碎きては  ゆくへ波間の舟ひと葉
ゆふべ暮鐘に誘はれて  訪ふは山寺の松の影。

江山さむるあけぼのゝ  雪に驢を驅る道の上
寒梅痩せて春早み、 幽林風を穿つとき
伴は野鳥の暮の歌、 紫雲たなびく洞の中
誰そや棊局の友の身は。

其隆中の別天地  空のあなたを眺めれば
大盗競ほひはびこりて  あらびて榮華さながらに
風の枯葉を掃ふごと  治亂興亡おもほへば
世は一局の棊なりけり

其世を治め世を救ふ  經綸胸に溢るれど
榮利を俗に求めねば  岡も臥龍の名を負ひつ、
亂れし世にも花は咲き  花また散りて春秋の
遷りはここに二十七。

高眠遂に永からず  信義四海に溢れたる
君が三たびの音づれを  背きはてめや知己の恩
羽扇綸巾風輕き  姿は替へで立ちいづる
草廬あしたのぬしやたれ。

古琴の友よさらばいざ、 曉さむる西窓の
殘月の影よさらばいざ  白鶴歸れ嶺の松
蒼猿眠れ谷の橋  岡も替へよや臥龍の名
草廬あしたはぬしもなし。

成算胸に蔵りて  乾坤ここに一局棊
ただ掌上に指すがごと、 三分のはや成れば
見よ九天の雲は垂れ  四海の水は皆立て
蛟龍飛びぬ淵の外。
77地雷魚:02/05/25 22:00
   三

英才雲と群がれる 世も千仭の鳳高く
翔くる雲井の伴やたそ、東新野の夏の草
南濾水の秋の波 戎馬關山いくとせか
風塵暗きただなかに たてしいさをの數いかに。

江陵去りて行く先は 武昌夏口の秋の陣、
一葉輕く棹さして 三寸の舌呉に説けば
見よ大江の風狂い 焔亂れて姦雄の
雄圖碎けぬ波あらく。

劒閣天にそび入りて あらしは叫び雲は散り
金鼓震ひて十萬の 雄師は圍む成都城
漢中尋で陥り 三分の基はや固し。

定軍山の霧は晴れ ベン陽の渡り月は澄み
赤符再び世に出でて 興るべかりし漢の運、
天か股肱の命盡きて 襄陽遂に守りなく
玉泉山の夕まぐれ 恨みは長し雲の色

中原北に眺むれば 冕旒塵に汚されて
炎精あはれ色も無し、さらば漢家の一宗派
わが君王をいただきて 踏ませまつらむ九五の位、
天の暦數ここにつぐ 時建安の二十六
景星照りて錦江の 流に泛ぶ花の影。

花とこしへの春ならじ 夏の火峯の雲落ちて
御林の陣を焚き掃ふ 四十餘營のあといづこ、
雲雨荒臺夢ならず 巫山のかたへ秋寒く
名も白帝の城のうち 龍駕駐るいつまでか。

その三峡の道遠き 永安宮の夜の雨
泣いて聞きけむ龍榻に 君がいまわのみことのり
忍べば遠きいにしへの 三顧の知遇またここに
重ねて篤き君の恩 ゥ王に父と拜されし
思やいかに其宵の。

邊塞遠く雲分けて 瘴烟蠻雨ものすごき
不毛の郷に攻め入れば 暗し濾水の夜半の月、
妙算世にも比なき 智仁を兼ぬるほこさきに
南夷いくたび驚きて 君を崇めし「~なり」と
78地雷魚:02/05/25 22:02
    四

南方すでに定まりて 兵は精しく糧は足る、
君王の志うけつぎて 姦を攘はん時は今、
江漢常武いにしへの ためしを今にここに見る
建興五年あけの空、日は暖かに大旗の
龍蛇も動く春の雲 馬は嘶き人勇む
三軍の師を隨えて 中原北にうち

六たび祁山の嶺の上 風雲動き旗かへり
天地もどよむ漢の軍 偏師節度を誤れる
街亭の敗何かある、鯨鯢吼えて波怒り
あらし狂ふて草伏せば 王師十萬秋高く
武都陰平を平らげて 立てり渭南の岸の上。

拒ぐはたそや敵の軍、かれ中原の一奇才
韜略深く密ながら、君に向はんすべぞなき
納めも受けむ贈られし、素衣巾幗のあなどりも、
陣を堅うし手を束ね 魏軍守りて打ち出でず。

鴻業果し収むべき その時天は貸さずして
出師なかばに君病みぬ、三顧の遠きのむかしより
夢寐も忘れぬ君の恩 答て盡すまごころを
示すか吐ける紅血は、建興の十三秋半ば
丞相病篤かりき。
79地雷魚:02/05/25 22:02
  五

魏軍の營も音絶て  夜は靜かなり五丈原、
たたと思ふ今のまも  丹心國を忘られず、
病を扶け身を起し  臥帳掲げて立ちいづる
夜半の正空雲もなし。

刀斗聲無く露落ちて  旌旗は寒し風清し、
三軍ひとしく聲呑みて  つつみ迎ふ大軍師、
羽扇綸巾膚寒み  おもわやつれし病める身を
知るや情の小夜あらし。

諸壘あまねく經廻りて  輪車靜かにきしり行く、
星斗は開く天の陣  山河はつらぬ地の營所、
つるぎは光り影冴えて  結ぶに似たり夜半の霜。

嗚呼陣頭にあらはれて  敵とまた見ん時やいつ、
祁山の嶺に長驅して  心は勇む風の前
王師ただに北をさし  馬に河洛に飮まさむと
願ひしそれもあだなりや、  胸裏百萬兵はあり
帳下三千將足るも  彼れはた時をいかにせん。
80地雷魚:02/05/25 22:03


成敗遂に天の命  事あらかじめ圖られず、
舊都再び駕を迎へ  麟臺永く名を傳ふ
春玉樓の花の色  いさほし成りて南陽に
琴書をまたも友とせむ  望みは遂に空しきか。

君恩酬ふ身の一死  今更我を惜まねど
行末いかに漢の運、 過ぎしを忍び後後計る
無限の思無限の情、 南成都の空いづこ
玉壘今は秋更けて、 錦江の水痩せぬべく
鐵馬あらしに嘶きて、 劍關の雲睡るべく。

明主の知遇身に受けて  三顧の恩にゆくりなく
立ちも出でけむ舊草廬  嗚呼鳳遂に衰へて
今に楚狂の歌もあれ  人生意氣に感じては
成否をたれかあげつらふ。

成否を誰れかあげつらふ  一死盡くしし身の誠、
仰げば銀河影冴えて  無數の星斗光濃し、
照すやいなや英雄の  苦心孤忠の胸ひとつ、
其壯烈に感じては  鬼~も哭かむ秋の風。
81地雷魚:02/05/25 22:04
    七

鬼~も哭かむ秋の風、 行て渭水の岸の上
夫の殘柳の恨訪へ、 劫初このかた絶えまなき
無限のあらし吹過ぎて  野は一叢の露深く
世は北邙の墓高く。

蘭は碎けぬ露のもと、 桂は折れぬ霜の前、霞に包む花の色  蜂蝶睡る草の蔭
色もにほひも消去りて  有情も同じ世々の秋。

群雄次第に凋落し  雄圖は鴻の去るに似て
山河幾とせ秋の色、 榮華盛衰ことごとく
むなしき空に消行けば  世は一場の春の夢。

撃たるるのも撃つものも  今更ここに見かへれば
共に夕の嶺の雲  風に亂れて散るがごと、
蠻觸二邦角の上  蝸牛の譬おもほへば
世々の姿はこれなりき。

金棺灰を葬りて  魚水の契り君王も
今泉臺の夜の客  中原北を眺むれば、
銅雀臺の春の月  今は雲間のよその影、
大江の南建業の  花の盛もいつまでか。

五虎の將軍今いづこ、 ~機きほひし江南の
かれも英才いまいづこ、 北の渭水の岸守る
仲達かれもいつまでか  感極まりて氣も遙か
聞けば魏軍の夜半の陣  一曲遠し悲笳の聲。

更に碧の空の上  静かにてらす星の色
かすけき光眺むれば  ~祕は深し無象の世、
あはれ無限の大うみに  溶くるうたかた其はては
いかなる岸に泛ぶらむ、 千仭暗しわだつみの
底の白玉誰か得む  幽渺境窮みなし
鬼~のあとを誰か見む。

嗚呼五丈原秋の夜半  あらしは叫び露は泣き
銀漢清く星高く  ~祕の色につつまれて
天地微かに光るとき  無量の思齎らして
「無限の淵」に立てる見よ、 功名いづれ夢のあと
消えざるものはただ誠、 心を盡し身を致し
成否を天に委ねては  魂遠く離れゆく。

高き尊きたぐひなき  「非運」を君よ天に謝せ、
青史の照らし見るところ  管仲樂毅たそや彼、
伊呂の伯仲眺むれば  「萬古の霄の一羽毛」
千仭翔る鳳の影、草廬にありて龍と臥し
四海に出でて龍と飛ぶ  千載の末今も尚
名はかんばしきゥ葛亮。 
82地雷魚:02/05/25 22:10
>>75-81
 三国志でも戦国時代の詩ではなく申し訳ないですが、この際、三国志、戦国時代を題材にしたものもありという方向で。
 有名な土井晩翠の『星落秋風五丈原』ですね。
 “丞相病篤かりき”のリフレインが泣かせます。
 もうメロメロにセンチメンタルな詩ですねえ。
 同じ中国の『赤壁賦』など三国志を描いた詩は勇壮かつ雄大に彼の時代を思うといったとらえ方をするのに対し、日本ではこのような悲壮感漂うものが好まれるようですね。両国の“三国志”へのとらえ方をちょっぴり反映しているようで、面白い傾向だと思います。
83無名武将@お腹せっぷく:02/05/25 22:15
星落〜で思い出したけど
土井晩翠さんの著作権が切れるの、今年の11月だったような気がする
(死後50年?)
84無名武将@お腹せっぷく:02/05/25 22:20
曹丕の「雑詩」が好きだ・・・
85無名武将@お腹せっぷく:02/05/25 22:37
曹植だったっけ?兄貴に七歩歩くうちに一句作れといわれ作った氏がイイな。ってこれくらいしか知らないんだけど(w
豆を煮るのに豆がらを焼く・・・ってやつ。どんなんだったけ?
86ななし:02/05/25 22:56
>>地雷魚さん
神!
感動して涙が・・・。
87地雷魚:02/05/25 23:11
雑詩 曹丕

西北有浮雲 西北に浮雲あり       西北に浮雲があった
亭亭如車蓋 亭々として車蓋の如し    まるで車蓋のように見事な雲だったのに
惜哉時不遇 惜しい哉 時に遇わず    惜しいことに折悪しく、
適與飄風會 適適飄風に会う       旋風に遭ってしまった
吹我東南行 我を吹きて東南に行かしめ  私も風に吹かれて東南へ
行行至呉會 行き行きて呉会に至る    行くうちに呉・会稽の地についてしまった
呉會非我郷 呉会は我が郷にあらず    呉・会の地は我が故郷とあまりにかけ離れ
安得久留滯 安んぞ久しく留滞するを得ん 長く留まってられる地ではない
棄置勿複陳 棄置してまた陳ぶること勿らん ああ、しかしもう何も言うまい。
客子常畏人 客子は常に人を畏る     どこへ行っても旅人は他人に心を許せぬ事には変わりないのだから
88地雷魚:02/05/25 23:15
>>87
 >>84さんのリクエストにお応えして、曹丕の『雑詩』の二首うち一首を挙げてみました。
 風の吹くまま気の赴くままに漂う旅人の気持ちを、曹操の息子として後継者に選ばれるかどうかの瀬戸際に立たされた自分となぞらえて。
 思うに任せぬ運命、他人に心許せぬ自分を嘆いた詩と言われています。
 ここでもあるように、中原の人にとっては呉や会稽あたりの地域は地の果てといった印象があったようですね。
 結果的に曹丕も帝として呉討伐に遠征するのですが、今の人間が思う以上に遠隔地への辛い旅路だったのでしょうね……。
 ゲームだとあっという間ですけど゚∀゚)
8984:02/05/25 23:17
どうもです。
一首目よりこっちが好き。
90地雷魚:02/05/25 23:28
赤壁歌送別 李白

二龍争戦決雌雄 二龍争戦雌雄を決す
 「魏呉の二龍が雌雄を決すべく」
赤壁楼船掃地空 赤壁の楼船地を掃うて空しく
 「魏軍は赤壁に楼船を並べて攻むるも空しく敗れた」
烈火張天照雲海 烈火天に張って雲海を照らし
「その炎は天にも届き、雲海をも照らすほどだったという」
周瑜於此破曹公 周瑜此に於いて曹公を破る
 「かくして呉の周郎こと周瑜は彼の地にて曹操を破った」
君去滄江望澄碧 君去って滄江に澄碧を望めば
 「君が彼の地にて澄んだ長江の古戦場に臨めば」
鯨鯢唐突留余跡 鯨鯢唐突余跡を留む
 「二頭の鯨、即ち魏呉の戦いの跡を見る事だろう」
一一書来報故人 一一書し来たって故人に報ぜよ
 「友よ、願わくば私に逐一その様子を手紙にて知らせてほしい」
我欲因之壮心魄 我れこれに因って心魄を壮んにせんと欲す
 「私はその手紙を読んで彼らの壮気にあやかろうと思うのだ」
91地雷魚:02/05/25 23:32
>>90
 珍しくたくさん人がいらっしゃったので、もう一つ調子に乗って挙げて見ました。
 李白の南方へ赴任する友人との送別の際に歌った詩です。
 送別会の酒席で「やっぱ長江つったら赤壁だろう? な?」などと酔っ払って絡みながら、自分の好きな三国志の物語を思いつつ意気揚揚と歌った詩という感じがして、陽気で明るい歌だと思ういい詩だと思います。
92無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 00:00
このスレ最高です。1さん有難う!
曹操が好きになりました(w
93無名武将@お腹せっぷく:02/05/26 18:14
吉川age
94感動家:02/05/26 20:07
忠烈ソ授之詩
「忠烈」は誰ぞ?
みよや!河北にソ君あり。
心には、涌きいずる戦のてだて、
眼には、仰いで読みとる星の教訓。
鉄石の心、死にも砕けず、
気は澄めり、身はあやうくとも。
曹公、心に悼めり、
孤墳に題す「忠烈」の二字。

俺の一番お気に入りの小説、村上知行訳三国志からの抜粋です。この小説
武将の名場面や非業の最期にこのような詩をたくさん盛り込んでいて非常に
感動するのでおもわずのっけてしまいました。場違いだったらスマソ。
95無名武将@お腹せっぷく:02/05/29 00:06
ag
96無名武将@お腹せっぷく:02/06/03 10:00
300代後半まで下がっていたので保守age
97ななし:02/06/08 14:16
再度あげ。
>45
大風歌

この詩は得意絶頂という詩ではないと思います。
この詩を詠んだとき、
劉邦は匈奴に屈したことが頭にあったのではないでしょうか。

安得猛士兮守四方 いずくにか猛士を得て四方を守らん

あるいは天下を平定後、
多くの功臣を粛清した事実から
晩年の劉邦の不安な気持ちが詠まれているという気もします。
自分の死後に各地で反乱が起こり秦のように滅びはしないだろうか?
というような不安です。
99白n雷魚゚∀゚):02/06/08 18:15
>>98
 申し訳ないです。
 こっちの勘違いでした(笑)
 確かに調べてみたらそういう詩でしたね。
 というわけで、そのような突っ込みも大歓迎ですので、お願いいたします。
 本当、そういう指摘はこちらとしてもありがたい限りであります。
100きり:02/06/08 20:55
100げっと
もっと読みたい保守
102無名武将@お腹せっぷく:02/06/14 03:04
風流だね〜 
103無名武将@お腹せっぷく:02/06/22 15:33
上留田行    曹丕


居世一何不同 上留田   世に居て一に何ぞ同じからざるや
富人食稲与粱 上留田   富むる人は稲と粱を食らい
貧人食糟与糠 上留田   貧しき人は糟と糠を食らう
貧賤亦何傷  上留田   貧賤は亦た何ぞ傷ましきや
禄命懸在蒼天 上留田   禄命は懸かりて蒼天に在り
今爾嘆息         今なんじ嘆息し
将欲誰怨   上留田   将に誰を怨まんと欲するや


〔意訳〕

人間ってのはみんな同じじゃないのかよ
金持ちはいいモノを食い
貧乏人は麦を食う
ああ、貧乏なのはつらいね
みろよ蒼い空白い雲
いま君はため息をつき
誰のせいにしようってんだい?


最近、新しいのが出てないのであげ。
「人間三国志」の五巻入手したので書く。
”上留田”てのは地名だけどここではただの合いの手なんだそうだ。
104質問です:02/06/23 01:27
このスレ >>7 に出ていた
>老驥伏櫪 老驥 櫪に伏しても   
>志在千里 志は千里に在り
なのですが、私はずっと「英雄は老いても大志を忘れない」という意味だと
思っていたのですが、先日漢和辞典を引いたら
「才のある人間が年をとっても用いられないことの例え」とありました。
2つの意味があるということなのでしょうか?
105謙信公の足軽:02/06/23 01:48
四十九年一睡夢

一期栄華一杯酒
106地雷魚:02/06/23 01:58
おひさしぶりです。
すいません、このスレを長らく放置しておりました。
>>104
 確かにそのような説があり、“老”というのは中国では優れている、秀でているという
意味がありますが、この詩の場合、

老驥伏櫪 老驥 櫪に伏しても  
志在千里 志は千里に在り 
烈士暮年 烈士 暮年にして 
壮心不巳 壮心已まず   

 の後に、

盈縮之期 盈縮の期は  
不但在天 独り天のみに在らず 
養怡之福 養怡の福は  
可得永年 永年を得可し 
 
 と寿命について語っているので「英雄は老いても志を喪わない」と訳しておいたほうが自然だと思います。
 また曹操の事跡から見て、優れた人物が用いられないという事を嘆く歌であった場合、短歌行のように、
「用いられない者は我が下へ来たれ」とか、もっとその悲哀を嘆く意味の歌になるのではないでしょうか?
 人物好きの曹操にとっては、もっとも忌避すべき事態であったでしょうから。
 と思うのですがいかがでしょうか?
107104:02/06/23 02:54
>>地雷魚さま
ありがとうございます!
>人物好きの曹操にとっては
説得力のあるお言葉ですね!(w
108地雷魚:02/06/27 17:34
   梁甫吟    諸葛孔明

  歩出齊城門 歩して斉の城門を出で
  遥望蕩陰里 遥かに望む蕩陰里
  里中有三墓 里中に三墓有り
  累累正相似 累累として正に相似たり
  問是誰家塚 問う是れ誰が家の塚ぞと
  田彊古冶氏 田彊古冶氏
力能排南山 力は能く南山を排し
文能絶地紀 文は能く地紀を絶つ
一朝被讒言 一朝讒言を被りて
二桃殺三士 二桃三士を殺す
誰能爲此謀 誰か能く此の謀を為せる
國相齊晏子 国相斉の晏子なり

  歩いて斉の城門のそとに出て
  遥かに蕩陰里を眺めると
  里に三つの塚が見える
  相重なって皆似ている
  これは誰の墓であろうか
これこそ田開彊・古冶子・公孫接の墓である
彼らは、体力は南山を押し退けるほどに足り
学徳は地維を絶地天地を動かすほどの人たちだった
ところが一朝讒言を被って
二個の桃がこの三士を殺すことになった
誰がこの謀をしたのだろう
それは斉の国相晏子のやったことである
109地雷魚:02/06/27 17:39
>>108
 今度は有名な歌で、諸葛亮が愛唱した『梁甫の吟』ですね。
戦国時代に斉の晏子が、2つの桃で三人の士を殺し合いさせた、
という故事からなる歌で、諸葛亮が作った歌とも、
彼が愛唱したためそう呼ばれたとも言われています。
 ちなみに梁甫吟を諸葛亮が愛唱したのは、正史にも書かれている
(こちらでは『梁父吟』ですが)史実だったりします。

 それにしても、こんな歌を愛唱している諸葛亮は意外と強かな性根の持ち主
だったかもしれませんね(笑)
110無名武将@お腹せっぷく:02/07/03 19:04
歌はいいねぇ〜
111無名武将@お腹せっぷく:02/07/11 20:54
日本人の漢詩、和歌も読みたいです
112無名武将@お腹せっぷく:02/07/17 01:12
やらせはせんぞ。
113地雷魚 ◆AHYAVWIw :02/07/23 00:12
お久しぶりです。
トナメに夢中で、つい放置してしまって申し訳ありませんでした。
>>111さんのリクエストで、日本人の漢詩というものを探していたら、
こんな珍品が見付かりました。

  国交途絶幾星霜 国交途絶して幾星霜
  修好再開秋将到 修好再開の秋(とき)将に到らんとす
  隣人眼温吾人迎 隣人の眼温かにして吾人を迎え
  北京空晴秋気深 北京晴れて秋気深し

 なんと、あの田中角栄が中国国交回復を記念して作った詩らしいのですが。
 どっか思い出すものがありませんか?
 そうです>>37で「ドヘタ」と評した司馬懿の作にそっくりなのですな。
 あちらも迷作の名高い駄作ですが、こちらも輪をかけてアレですね。
 にしても、田中角栄は司馬懿の詩を知っていたのでしょうか?
 知っててわざと駄作を真似したのだとすれば、メチャクチャ食えない事したもんですね(笑)
 しかし、司馬懿と田中角栄の詩の類似という、思わぬ面白い事実を発見できて、
だから歴史は面白いと思わず感心してしまいました。
114地雷魚 ◆AHYAVWIw :02/07/23 00:15
>>113
 ちなみによく見ると、それほど似てないかも……
 だからおそらく偶然なんでしょうね(笑)
 下手の横似といったところですか(笑)
 ただ一読して司馬懿の下手漢詩を思い起こしたのは確かです。
そういえば、家康も歌詠みの才能がないという話を聞いたことがある。

ということは、家康も司馬懿タイプなのか?
短絡的過ぎるなあ。
116地雷魚 ◆AHYAVWIw :02/07/29 16:32
>>115
 詩情を理解せずに現実的な人のほうが、天下をとってしまうのかもしれませんね。
117無名武将@お腹せっぷく
空揚するべきなのか、ネタでもいいからなんか書いて上げるべきなのか