伊達政宗が天下をとるには・・・

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201無名武将@お腹せっぷく:02/04/25 16:53
92才まで生きたらしいからな。
忠輝がいたから政宗の野望が阻止されたのでは??
202無名武将@お腹せっぷく:02/04/25 16:58
だから政宗と忠輝が協力して、
秀忠を倒して天下を取ればよかったって事ですよ。
203無名武将@お腹せっぷく:02/04/25 17:02
忠輝に天下をとらせて影で政宗が操るって事か。。。。
204無名武将@お腹せっぷく:02/04/25 17:26
実際、政宗は中年期以降はそれを狙っていた節があるよな。
自分の娘を嫁がせてるし。見込んでたんだろうな。
ただ家康から忠輝は目を付けられてたから、あっさり芽を摘まれたけど。
205無名武将@お腹せっぷく:02/04/25 18:56
松平忠輝ってどんな人物だったの??
昔大河ドラマでやってたような気がしたが。
波乱万丈な人生を送りながら92歳まで生きたんでしょ??
性格的にも1番家康に似てたみたいなのに何で将軍になれなかったの??
野心家で、大阪城を俺にくれと家康に言ったとか言わないとか。
政宗と似たような性格をしていたと思う。気があったっぽい。
207無名武将@お腹せっぷく:02/04/25 19:16
秀頼との友情を守って、攻めなかったから家康に怒られたんじゃなかったっけ??
208無名武将@お腹せっぷく:02/04/25 19:46
柳生の剣も磨くほどの戦闘力に、
四カ国語と南蛮医学を身につけたほどの
能力があったから優秀ではあったと思う。
顔が怖かったから、家康に捨てられたんだよな(笑)

秀忠は凡人だから将軍になれた
209史上最強の天才軍師スネオ:02/04/25 19:49
僕を使えば楽勝だよ!
210無名武将@お腹せっぷく:02/04/25 20:04
鬼っ子様・・・・・
211無名武将@お腹せっぷく:02/04/25 20:11
政宗が天下をとれる可能性があるとしたら
やっぱ、九州征伐で島津が秀吉を打ち破るか、せめて膠着状態に
もってけないと無理だと思うな。天下統一のゲーム並に
本当に強ければ、勝てるかもしれんけど(爆)個人的には
領地が広がれば広がるほど、天下取りのチャンスは上がると
思います。でも、もしかして、島津より北条のほうが、秀吉に
抵抗した期間が長いように思えるのは、俺だけかな。
東北でせっせと領地広げて、富国強兵に励んで、豊臣の移封を断る。
豊臣軍団が攻めてきたら、その合戦に勝ち、また雪国、山国ということを
最大に利用して、そこで頑張っちゃえば、家康のような存在になるんじゃない?
豊臣もあまりそこに手を焼いていると、他の勢力への威信が低下するし。

あとは「俺の最大の武器は若さだ!」ということを本人が思いさえすれば
213無名武将@お腹せっぷく:02/04/25 20:55
やっぱ、東北全土と佐竹を潰す時間は欲しいと思います。
そうすれば、秀吉相手の北条との幻の連携取れる実現性も
上がると思いますし、その後、傘下に入って、秀吉死後の
天下取りレースに参入できると、思います。
214無名武将@お腹せっぷく:02/04/25 23:33
大坂夏の陣の軍役の分析ハケーン

騎馬 628
鉄砲 3470
槍 1310
弓 100
総数 不明ながら1万8000程度か

全軍で騎馬が600しかいないのに片倉が800の騎馬鉄砲を
率いる事は無理ですな。
>片倉が800の騎馬鉄砲
のソースは、何処から?
>>215
講談でお馴染みのネタだから、何ってこともあるまいよ。
『名将言行録』で真田幸村が伊達の騎馬鉄砲800を破った話とか
有名ジャン
( ´_ゝ`)フーン
>>214
実際800だったどうかはしらんが
3400の鉄砲にたいして600の騎馬だったらそのうちのいくつかはあったのかもな、
って逆に思いますた。
219無名武将@お腹せっぷく:02/04/26 01:40
>>218
あれは鉄砲足軽3470という意味ですぞ。
220無名武将@お腹せっぷく:02/04/26 01:43
まあ、そうとは限んないかもしれないけどね。
221無名武将@お腹せっぷく:02/04/26 02:10
800の兵で2〜3000の真田幸村に向かっていったら
そりゃ騎馬鉄砲でも負けるわなw
>>221
前日、片倉重綱隊は三千の後藤又兵衛を討っている罠
つまり幸村にゃあ、そんなこけおどし通用せんかったってこった
224無名武将@お腹せっぷく:02/04/26 02:33
そもそも片倉隊は800なのか?
800だったと語り継がれてる
226無名武将@お腹せっぷく:02/04/26 02:43
「800の騎馬鉄砲隊」
まあ火の無いところに煙は立たず。
政宗が何らかの形で「騎馬鉄砲隊」という発想を持っていたことは間違いないんだろうな。
228無名武将@お腹せっぷく:02/04/27 00:54
>>227
講談や軍記の類では火の無い所が大火事になったりしますがね(w

大坂冬の陣の時の前田家の軍役には騎馬弓兵と騎馬鉄砲が数十騎ずつ
書かれています。
まあ鎌倉時代まで武士=騎馬弓兵なのであり、その慣習が形式的に
旗本隊などに残された、弓に代わって鉄砲が出てくれば「騎馬鉄砲」も
当然出てくる、そういう感じではないでしょうか。
まあ形式的な部隊だったとは思います。
229質問:02/04/27 01:13
昔映画で、弓矢が刺さって片目を失う政宗を見たのですか
これは事実ですか?
230無名武将@お腹せっぷく:02/04/27 01:15
>>229
それは三国志のカコウトンだよ。
政宗は疱瘡の痕がひどくて・・・だ。
231無名武将@お腹せっぷく:02/04/27 11:47
騎馬鉄砲隊の予想
1、パレード用部隊。朝鮮出兵のときと同じ。
2、護衛用部隊。敵が迫ってきたら第一射を発砲し、後はまとまって逃げる。
3、単なる伊達者。
4、試験目的。・・・味方の神保相手に。
232無名武将@お腹せっぷく:02/04/27 14:51
>230

いやたぶん柳生十兵だよ
俺が思うに、奥羽時代、騎馬鉄砲隊を考案して使ってたものの
あまりにも実戦で使えないことが判明、その後やめたって、ところだと
234無名武将@お腹せっぷく:02/04/27 17:24
「政宗の天下」→尾張に幕府を開く。
「異戦国志」→息子を徳川家に養子に出し徳川幕府を乗っ取る。
「戦国覇王伝」→豊臣家と同盟しての奥州独立構想。
「戦国大乱」→直江の策略にハマりあっさり滅亡。
235無名武将@お腹せっぷく:02/04/27 19:35
騎馬鉄砲隊って、戦闘してる最中に敵の側面に、高速移動で
鉄砲を撃ちこむ部隊じゃなかったけ?小手森攻めと摺上原の合戦で
やってたような気がする。あったらの話だけど、いきなり、戦ってる
最中に、横から鉄砲撃たれたら、結構効果あるような。
236無名武将@お腹せっぷく:02/04/27 19:42
記憶では、予備兵の扱いだったような。小説で、読んだだけなので
嘘かもしれませんが。
237無名武将@お腹せっぷく:02/04/27 23:14
>>235
足軽に撃たせりゃいいじゃん。
騎馬弓が廃れたのと同じ理由で、騎馬鉄砲もあまり役に立たない。
それにそんな兵科が独立して存在したと裏付けられる確実な史料も無い。
238無名武将@お腹せっぷく:02/04/28 14:47
>>237

馬で移動して撃つ時は下馬すればいいじゃん。
馬はあくまで高速移動の手段。
239無名武将@お腹せっぷく:02/04/28 18:37
>>238
当時の軍制では「騎馬のみ」の部隊は存在しないの。
騎馬武者にはその数倍から数十倍の人数の徒歩兵がつく。
よって移動は徒歩に合わせないといけない。
240無名武将@お腹せっぷく:02/04/28 20:22
一発撃ったら、銃は捨て
後続の足軽が使います

騎鉄隊は槍か刀に持ち替えます
241無名武将@お腹せっぷく:02/04/28 21:42
>>240
意味ねーなーソレ
ねえねえ、
「合理的じゃないからありえない」っていう論は通用すんの??????
243無名武将@お腹せっぷく:02/04/28 23:54
>>242
まあ政宗はそういう無意味なことやりそうな人間ではあるけどね。
他の行動とか考えると。どちらにしろ騎馬鉄砲隊は天下取りに
役に立ちそうも無いし、某ゲームのように強力なものではない。
むしろ足手まといになるんじゃないか?
当時の鉄砲で騎乗射撃は、無理でしょう…
245無名武将@お腹せっぷく:02/04/29 00:03
馬上筒とか短筒とかいうのはあるけどさ・・・
そういったものや「騎馬鉄炮」が軍役として課された形跡は無いわけ。
つまり個人的に馬上で射撃した武士がいた可能性はあるけど、
政宗が騎馬鉄炮という兵科を組織的に運用しようとしたとは
無いと言えるわけだね。
>>244
島津家はどうなる
>>245
鉄砲と同じくくりになったんだろ。
248無名武将@お腹せっぷく:02/04/29 19:41
>>238
下馬して鉄砲撃ってる間鉄砲の音聞いて暴れる馬を抑えるのは誰の仕事?
249無名武将@お腹せっぷく:02/04/29 21:06
>>247
はて何を根拠にそのような事を
>>248
馬を小さい頃から鉄砲に慣らすことから始まる