>>189 1日だけ軍団員になって突撃しましょ、って企画です。
北条家募集してましたよ。
え、知らなかった。
北条家の方は1000レスいってから後は、
後継スレを見落としましたので、いまだ発見できず・・・。
歴史板の方にず〜といたので機を逸してしまった。。
>>191 月曜深夜にやるからまだ間に合います
選対スレにも告知あります
もし気があるならどーぞ
>>193 通りすがりさんへ。
ありがとう。
名前が変わっているのですね。
>>190 本来は当方が紹介しなければいけないのに。かたじけないです。
北条家では氏政、氏時、氏広、為昌、氏光、氏房、直定などの一門も
残っております。どうぞ参加して下され。当家以外の方も募集中です。
当方の若も参加予定です。
詳細は下記スレを覗いて下され。
>>195 外郎屋さんへ。
大丈夫、三戦板に投票しますよ〜♪
なんだか、盛り上がっていますね。
6月4日ですよね。忘れない様にしないとね。
>>195 いえいえ。
外郎屋殿には痰の薬で世話になっているのでせめてもの恩返しにござる。
ようやく投票する事ができました。
あ〜よかった。
>>200 おかげさまで勝ち抜くことができました
ありがとうございます
>>201 201番(ROM)さんへ。
次回の戦は6月22日ですね。その時も遊撃戦を敢行します。
一時はインターネットに接続できなくて危機に追い込まれましたが、
投票できてよかった!
age
え〜と、お久しぶりです。
今日は神流川合戦(前編)の日という事を、
つい先ほど思い出しましたので書き込みますね。
六月十八日、織田軍は滝川一益が指揮する軍勢一万八千。
進軍してきた北条軍は北条氏邦が指揮する軍勢二千(先鋒)。
(軍勢は正確な数字かどうかはわかりませんが。)
神流川を中心に戦闘が展開される事になります。
数の違いが結果に出たようですね。初戦は織田軍の勝利。
関東の諸将は強い方になびきやすい。
にもかかわらず、一万八千の軍勢を動員できた事は、
滝川一益の実力を感じますね。
北条氏邦も兵二百六十を討たれるほどがんばったのは、
織田軍の結束の弱さを知っていたからでしょう。
ともあれ、戦況は前哨戦。
明日の合戦が双方の命運を賭けた一戦になります。
また、明日に書きますね。
ごめんなさい。昨夜は眠りに落ちてしまいました。
ではつづきを・・・。
六月十九日、北条軍は北条氏直が率いる軍勢五万五千が、
先鋒の北条氏邦と合流し戦況は一変してしまいます。
戦闘が再開されると命運をかけた一戦は、
今度は滝川一益が率いる織田軍が壊滅してしまいます。
やはり、数の違いが結果に出たといっていいでしょう。
(北条氏直の軍略も光っていたみたいですが。)
また、織田軍の内部では本国からの援軍が期待できないため、
上野を死守する事の難しさも分かっていたのでしょう。
滝川一益の決断は最良の選択と思われますが、
清洲会議の扱われ方は少々理不尽ですね。羽柴筑前の策略なのでしょうか?
何はともあれ、この一大合戦は北条氏直の軍略が光っていましたし、
事実上、(織田家の)関東管領をまたもや打ち破りましたから、
北条家の名声が高まった事でありましょう。
後日、北条軍は信濃へ進軍してゆき、
徳川軍との戦闘を展開する事になります。
ここからは、私的になりますが、
野戦だけでしたら北条家もいい線いっていると思います。
しかし、調略戦が絡んできますと三河の狸の独壇場ですね。
若神子合戦(対陣)の長期化は徳川軍の望むところとなり、
北条軍にとっては長くなればなるほど戦況の悪化を進める事になります。
では、また。
北条氏邦ホント好き。
もっと評価されてほしい。
うん。北条氏邦ってかっこいいね!
208 :
無名武将@お腹せっぷく:02/06/27 05:36
難しいところだね。
そうですね、有名な人物という訳でもないですし、
北条氏照の存在が目立ちますからね。
ところで、北条氏邦って兄弟の中で一番の武闘派の様な気がします。
な〜んとなくネ。
氏照は外交を用いて正攻法で進めていくタイプ。
氏邦は謀略を用いて何でもやってのけるタイプ。
あれ?こう書くと悪役になってしまうよ〜。
でも、武田信玄や上杉謙信を相手に上野戦線を戦い抜いてきたのですから、
まともな人物ではダメなのでしょうね。
いよいよ明日は・・・。
天正十八年七月五日。小田原城、落城。
百年の栄華を誇った北条家も戦国の乱世に消ゆ。
これをもって戦国時代は終わりを告げる・・・。
そんな日である今日に乾杯。
先日石垣山より小田原を臨みました。
乾杯
>>212 212番さんへ。
私に付き合って頂いてありがとう♪
なんだかとても幸せ。
天正十八年七月十一日。北条氏政、自害。
戦国時代を切り開いたのが北条家なら、
戦国時代の幕を引いたのも北条家。
歴史のこういうところが好きです。
辞世の句。
『雨雲のおほえる月も胸の霧も、はらたりけりな秋の夕風。』
月星殿がおられる気がしました。
兄とともに、北条氏照も…
『天地あめつちの清きなかより生れ来てもとのすみかに帰るべらなり』
氏直の命は助かりましたが。
そして兄ふたりを解釈したという氏規の心中は如何ばかりや。
7月5日につづき、7月11日までも!
>>215 215番さんへ。
北条氏照(辞世の句付き)の事、かたじけないです。
北条氏規や北条氏邦達は武門の意地を通したのですから、
心は意外に晴れていたのかもしれませんよ。
天下を賭けて戦ったのですから、
武運つたなく敗軍の将なれど決して恥じる事は無し。
当時の心は今に届かず、ただ記録が残るのみ。
そう思いますと、少し歴史が面白く見えますね。
217 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/17 01:13
ほしにねがいを
私もお願い事をしてみます♪
『私にも幸せが訪れますように。』
天文十年七月十七日、
北条家第二代当主、
北条氏綱、逝く。
彼がいたからこそ、
北条家が関八州に覇を唱える事ができたといっても良いほどの、
文武両道の名将。
昨日は氏綱公の助けで地黄八幡が河越城を攻め取った日でしたっけ。
220 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/17 02:44
北条一族に凡人無し
>>219 219番さんへ。
河越を制した事により武蔵国の戦況は北条家が有利に展開していく事になります。
わーい!北条氏綱の戦略、お見事。
>>220 220番さんへ。
北条家ってすごいですね。
月星さんは来られるかな?
今日は大道寺政繁が自害しました。
この人も複雑な人ですね。
>>218 氏綱公が亡くなった日を今日とする説もあるようですね。。
自分は他家ファンですが、北条家ではこの方が一番好きです。
>>222 222番さんへ。
時、既に遅し。ごめんなさい。
というより、ありがとう。
私、大道寺政繁の命日は知らなかったんですよ。
ということは、松田憲秀の命日も気になりますね。
北条家が好きな人には嫌われているお二人ですが、不思議な事に好きです。
北条家の家臣は好きですね。(一押しは、垪和氏続です。)
224 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/30 23:45
1502年、連歌師の飯尾宗祗がなくなった日。
墓は二代氏綱の建立した箱根湯本の早雲寺にあります。
225 :
無名武将@お腹せっぷく:02/07/31 00:41
キショスレさらしあげ
魂が貧しい人は可哀想だね。
長いこと、三戦板に住んでいますが、こんな良スレがあったとは・・・
北条好きな俺としましては、嬉しい限りです。
ところで、質問はよろしいでしょうか?
河越夜戦(無かったという話も聞きますが)で、城方と連絡を取った
北条綱成の弟(勝千代でしたっけ?)は、その以後はどうなったのでしょう?
一応、福島勝広と名乗っていた位しか確証がないんですが、
最近、北条五代記に「福島伊賀守河鯰を捕手柄の事」という項を見つけたのですが、
この福島伊賀守は綱成の弟でよろしいのでしょうか?
この福島伊賀守は、伊勢備中守(氏康に上方から招かれた人物?)・山角紀伊守(御馬廻り衆筆頭山角康定の弟定勝か?)と共に、北条氏直の武者奉行を努めていた事から
それなりの出の人だとは思うんですが・・・
なんか、妙な質問な上わかりづらい文面で申し訳ないんですが、
どなたかご存じの方がおられましたら、教えて頂けませんか?
>>224 224番さんへ。
7月30日は飯尾宗祗が逝かれた日ですか〜。
あ、今日は8月1日!
慶長五年八月一日。
伏見城陥落。鳥居元忠、戦死。
北条家が滅亡して十年、再び戦乱の火蓋が気って落とされた!
>>227 227番さんへ。
あら、質問が・・・!?私は答えることができません。
知っている人がいるのかな?
伊勢貞運は好きですよ。別に知っている訳ではないですが・・・。
小笠原康広、大和晴統と合わせて三軍師!かっこいいと思います♪
福島勝広は後に北条綱房と名前を変えてませんでしたっけ?
みなさんよく知ってますね。尊敬♪
永正十六年八月十五日。
乱世の梟雄、伊勢新九郎、逝く。
戦国時代の扉を開き迷うことなく進んだ、この北条早雲。
彼に敬意を表して書き込みます。
北条家の人たちは、みなさん生き様がかっこいい♪
いろんな意味で八月十五日。
天文十四年八月十六日。
駿河で今川軍と北条軍が戦闘。
いわゆる『今井狐橋合戦』ですね。
今日は何の日?あげ
明日は有名だが・・・
8月18日・・・?
う〜ん、わからない・・・。
アレかな、豊臣秀吉の命日でいいのかな・・・?
できれば正解を教えてね。
235 :
無名武将@お腹せっぷく:02/08/23 01:47
北条氏政は陰険なイメージがありますな
氏照が無骨者のイメージがあるから意外にまとまってたのかも
人の想いそれぞれ・・・。
イメージといえば、織田信長や明智光秀、豊臣秀吉といった有名人は、
もう同一人物とは思えないほどに人それぞれ・・・。
過ぎ去りし過去に思いを馳せる。いいですね♪
今日は三船台の戦いの日でしたか。
飛び入りごめん
いきなり、向こうが書き込めなくなって
管理ミスかな、スレが終了しちゃってます
で、
おかげで
短い間だったですけど、楽しかったですよ
それに、有意義だったですよ
あーいった感じで、中世、戦国史を捉えたこと無かったですから
お礼まで
>>238 藤原三位卿さんへ。
今、確認しました。本当だ〜。残念。
444KBがいけなかったのでしょうか?
そうですね、あっという間に進行してしました。
考えや見方が勉強になりました。
こちらこそ、ありがとうございました♪