なんで木曽路を越えて早い段階で織田を直接たたかなかったのだろう・・
いろいろ意見があるが、このスレで三国板の結論を出しませんか?
大軍の行軍に不向きだったから
3 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 13:42
4 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 13:43
悪路。
一応秋山に岩村は攻略させたけどね。
いきなり敵の本拠に攻め込んでも
敵も大軍集めて長対陣になって
遠征軍の武田が大いに不利に。
それに上洛するには徳川を何とかしたかった。
三国志演義、魏延の一気に長安衝いちゃいましょうってのと同じこった
6 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 13:50
徳川の抑えの今川は?
7 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 13:51
8 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 13:53
>>6 今川もいたけど・・実際は役に立ったのかね?
9 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 13:54
>>8 今川はどこにいたの?
小田原ってことはないよね?(笑)
10 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 13:57
今川は消滅してるだろ。
これって、過去に議論があったと思うんだけど
12 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 13:59
徳川を攻め、降伏させて自軍に加える。
13 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 14:00
つーか、今川って武田と徳川で挟み撃ちにして滅ぼしたんだよな・・・
14 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 14:00
>>10 だれも元亀2年とは言ってないように思えるが。
>>1をよく読んだら?
>>11 過去って言うか現在でも他スレで議論されてます。
16 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 14:02
>>14 すまんすまん、織田に懐柔されたてたからじゃないのか?婚姻とか贈り物とか・・・
信長は異常なまでに気を使ってるよ。
17 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 14:05
>>14 では何時の時点の話をしてるんですか?
少なくとも信玄が織田を討つために上洛しようとした時点では今川家は滅亡していたと
記憶していましたが?
19 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 14:27
>>18 信長が信玄のご機嫌取りをしていた時期のことだろ?
20 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 14:44
織田を直接〜って書き方からすると元亀二年の事だと考えるのが普通のような気もするが?
21 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 15:00
70 :真・信長おた :02/01/26 12:19
信玄が生きていたら徳川は滅亡。これはあり得る。
ただし、信玄ならば織田とは戦わないだろう。
徳川を滅ぼしたあとぬけぬけと復縁するんだ。そんでもって次は北条か上杉を攻撃。
これだね。
信玄は義昭如きの陰謀なんて口実にはしても自分で踊ったりはしない。
奴は似ても焼いても食えない親父だってことさ。
101 :真・信長おた(>70の根拠) :02/01/30 17:59
仮に武田が上洛できてもせいぜい2−3カ国と副将軍が関の山。足利義昭がいるかぎり
武田幕府はあり得ないし、義昭を殺せば旧信長包囲網が武田包囲網として復活しかねない。
そんなどん詰まりの状況が見え見えなのに義昭の誘いに素直に乗るとは思えない。
だから徳川攻めは天下取りの一環というよりむしろ信州や駿河攻めと同じく弱小勢力攻撃
による自領拡大が主目的とみるべき。だから仮に徳川攻略が成功してもそのまま織田攻め
にはつながらないとおもう。
そもそも所謂武田上洛戦を思い起こせば、主力を遠江三河に、別働隊を岐阜へ送っているが
本気で織田打倒を目指すなら主力は岐阜に送っているはずだと思うのだが如何だろうか。
102 :無名武将@お腹せっぷく :02/01/30 18:19
主力を岐阜に送るのは無理、まずは徳川、次いで尾張に入るのが定石
岐阜に二万の軍を送っても遠江を徳川が牽制するし物資の確保が難しい
東海を征圧しないと織田に対抗できない
103 :今川仮名目録 :02/01/30 18:31
仮に信玄が徳川を征圧したら浅井も朝倉も死力を尽くして抵抗する
信長は信玄との決戦に勝つしかない
信長はどれくらい軍を集められるのか、しかも短期で決着をつけないと
機内が不安定なだけに苦しい
武田軍が三河にいるだけで織田家にとって脅威なはず、謙信タンに頼るしかない
104 :無名武将@お腹せっぷく :02/01/30 18:36
>>103 謙信に蘭丸を送ると約束したら死力を尽くして猛攻をすると思われ
105 :真・信長おた :02/01/30 19:37
>102
>>物資の確保?
信濃と美濃は隣接してますが?美濃で織田軍と戦ったこともありますよ?
>>東海を征圧しないと織田に対抗できない?
東海の制圧に手間取ってた時間切れが史実なんですけど? 美濃に主力を送れば
浅井朝倉や一向宗と連携がとれるし一気に短期決戦に持ち込める可能性が高いんですが?
織田軍は籠城戦を嫌うからね。もしそうしていれば朝倉も兵を引かなかったでしょうしね。
展開は全く違ったでしょう。もちろん今川のように返り討ちに会う可能性も高いけどね。
106 :無名武将@お腹せっぷく :02/01/30 19:41
徳川の抑えに兵を裂いといて決戦か、おめでてーな
だいたいどこで戦うんだよ
22 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 23:08
ん、この議論にはまず上洛目的か、単に領土拡張か
これを解決せんとはじまらんな。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 23:13
1に言っておくが甲府から美濃にいく際に
木曽路は東海道と比べてもそんな近道ではない。
南アルプスを越えれない以上どちらも「迂回路」である。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 23:15
武田が滅ぼされたときあそこから大軍が来てんだから
こっちからもいけるはず。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 23:21
>>24 それは木曽が寝返ったからね。
それに元々信玄は東海方面攻略を重視してた。
金山もあるし海もあるし。
まずこの2つを手に入れるために嫡子すら捨てて
駿河を攻めた。
26 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 23:38
結局の所、信玄が本気で信長を倒して上洛する気があったのか、
それとも、それを口実にしてただ単に東海地方へ領土拡張したかっただけなのかが問題だ。
棚ぼたを狙っていたんじゃないの?
武田が織田領に進行すれば、反織田勢力の抵抗が強くなり、
うまくいけば尾張、美濃を削れる程度で。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 00:01
>>26 一応、信長は倒すつもりだったんじゃない?
でなきゃ、家康を力で潰しとけばよかった訳だし。
29 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 00:23
作戦としては例えゆっくりでも織田領を削り取るしかないだろう。
織田の成長スピードは北条や上杉とは比べ物にならないから放っておくと
どんどん怪物化していく。例え苦戦続きでも織田と戦い続けるしかない。
まあ織田の拡大を停止させるのが精一杯かもしれないが、それでも戦う
しかないだろう。武田も死ぬほど苦しいだろうけど。
とりあえずしゃぶしゃぶが食いたくなったよ
31 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 00:30
とりあえずしゃぶりたいよ
32 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 00:45
でどっちなのよ?
33 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 01:12
信長は、信玄に南蛮の珍しい物を送ったりしてご機嫌をとっていたからな。
信玄が本気で怒ったのは、比叡山焼き討ち以後。
その頃には、信長の石高は信玄の倍以上。あと、信玄は兵農分離ができていない。
こういった状況で、美濃に攻めるのは危険と判断したのではないか。
東海攻略なら、農閑期に徐々に徳川の領土を削り取っていけばなんとかなるし。
それで、領土が信長に対抗できるようになってから決戦と。
直接、美濃を攻め取るのは、万が一、浅井朝倉が非協力的になったときにリスクが
高い。
遠江や三河で、徳川家康と衝突していたから、
三河経由で攻めたのでは……?でも弱いなぁ。
35 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 01:34
いまさら美濃から攻めるのは義信に対して申し訳がたたない
もともとは義信が主張した侵攻ルートだから
36 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 02:49
>>35 親を追い出し倅を殺した男がそんな下らん事にこだわるわけないじゃん
単に疲れるのがイヤだったからじゃ。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 03:09
>>37 あながち無い話でもない。
何せ病気でヒィヒィ言ってたんだから。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 03:26
もし木曽路から攻めるなら軍団配置はどうするよ、木曾に何人連れて行けるのよ
40 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 04:01
美濃からいっきにいく自信がなかったんだろ
41 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 04:01
木曽路を攻めたら、今度は最悪徳川−上杉同盟に挟み撃ちに遭うんじゃないか?
そうでなくても、武田に攻撃的な連中なのに。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 04:08
>>41 確かに織田勢と直接対決となると長期戦になるかもしれないから、その時
背後でチョロチョロされるのは不味いですね。
やはり手前の徳川から叩いて次に織田に当るのが無難だったのでしょう。
それと武田が織田と戦っているときに上杉が背後を突くことは無いのではないかと思います。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 04:18
信玄は徳川攻の際邪魔が入らないよう越中の一揆を支援してる
44 :
真・信長おた:02/02/02 04:52
東海筋にいくのが安全だという人が多いようだが、当時の状況を思い起こすべきだ。
四面楚歌で徳川への援軍が三千しか遅れない状態だったのだよ。織田軍は。
そこへ武田軍二万が美濃に乱入すれば浅井朝倉、本願寺、足利義昭、三好等も一気に
攻勢にでるだろうし本拠地が危ないとなれば織田軍も引かざるを得ない。織田を攻め滅ぼす
千載一遇のチャンスだ。
この状況で安全確実な徳川攻めを選択する信玄が本気で上洛を目指していたとするならば
「老いては麒麟も駄馬にも劣る」のたとえ道理耄碌していたとしか思えない。安全確実で
天下が取れる立場なのか?当時の武田は。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 04:55
>>44 徳川家が一万を下らない兵力を有しているのだからそれに
備えられるだけの兵を割いたら美濃には二万も動かせない。
46 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 04:57
移動や補給路などを無視してるとバカをみるな
47 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 05:04
>>43 それ、実際でも遠征終わるまでには片がついちゃってるよ。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 05:38
美濃の本城の稲葉山城ってか岐阜城はおいそれと落とせるような
城ではない。時間ばかりかかってついには・・・
49 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 06:14
現実には秋山信友以下春近衆3000が木曽路より約3千の兵で本体の陽動兵として岩村
城を陥落させている。信玄西上時には美濃に相当の工作を行っており。遠藤某および安藤
氏を調略している。ただ遠州は家康の領国となって日が遅いことと、裏切る土豪が多くこ
らからのほうが対家康工作の側面からよかったのでしょう。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 06:21
織田軍は慣れていない山間部の木曽には入りたくない
→武田軍は城を落せるだけおとして山間部を確保
→徳川をあぼーん
→三河から尾張を牽制する
→信長タンどこにも攻められない
→松永タンや畿内の豪族が裏切る
51 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 06:22
安土と岐阜は近距離であり信長も防衛に徹すれば
たとえ包囲網が敷かれようとも万全だったろう。
52 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 06:50
美濃・三河に進出したのはいいが
信長の余裕綽々振りに絶望してしまい、
寿命を縮めた。小僧にしてやられた。
53 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 07:11
安土に城を構えた信長タンの戦略眼には
ただただ恐れ入りまする。
54 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 07:11
>51
まだ安土に移転してなかったような
55 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 07:13
クリティカルヒット!
ガーーーン!!
元亀2年・・・
逝ってきます。
57 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 18:18
1583年大雨で大西田村の木崎道が崩れていて、大軍は通るのに困難な状況だったと
村の古老が自慢げに郷土史に書いていました。
58 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 18:39
美濃に興味がなかったんじゃないの?
武田は本格的に海や水軍が欲しかったから北進、南下を繰り返した。
敵首都への直接アプローチ戦略は有効だと思うのだが
それを避けた信玄の考えがしれん
60 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 19:04
天下を取るならば、徳川織田を蹴散らして東海道を堂々と進軍してこそ王道だろ?
武田の世が来たことを街道の下々の者にまで喧伝しないと。
それが政治というものだ。木曾から美濃を攻めれば良いとか言ってるやつは
戦術のみ見て戦略無し。
61 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 19:39
低血圧だったからさ。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 19:45
桶狭間で同じことやる信長萌え
64 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 21:34
挟み撃ちにあうから
65 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 23:30
>>59 姉川とか野田・福島攻めで出払ってる時にそれやられたら
脅威だろうね。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 23:34
>>65 敵の本拠を攻める準備を始めたらすぐに察知される。
当然信長も本拠地を手薄な状態で放置するわけは無い。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 23:37
そりゃそうだ
岐阜在時には通用しないだろうけど
そういう時にやれば心理的に追い詰めることが・・・
と思った
69 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 23:41
>>65 司馬の小説では、信玄が西上の動きを見せたら
逆に浅井・朝倉攻めに向かったとあるよ。なんなんだろうね。
完全になめられちゃってるのかな。
70 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 23:49
山縣に遺言したというぐらいだから
京都に武田菱の旗を立てるのは宿願だったのだろう。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 23:53
>>70 若狭武田氏が上洛した際に立ったからもう十分だ。
72 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 23:54
73 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 23:55
新田氏のストーリーでは信玄の命令に逆らって引き返してたけど
あのまま信玄の命令通りに進んで
死んだ後に大敗でもしたらどないするん?って思った。
74 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 23:57
代わりに父信虎が単独上洛してる。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 23:57
>>73 つーか信玄がいなきゃまとまらないし勝てっこない
76 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 23:59
包囲網が信玄の想像より弱かった
77 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:04
>>76 そんなことはないと思う。
信長が彼等に反撃できたのは信玄死後だし
信玄が生きてれば十分機能。
それに朝倉も都合よく引き上げたから
上洛後の押しおきの口実もできた。
78 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:08
>>77 >信長が彼等に反撃できたのは信玄死後だし
結果論だろ
79 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:08
三年間力を蓄える余裕があると思っていたなら
浅井も朝倉も簡単には滅ぼされないと思っていたんだろう
畿内で包囲網が粘る→力を蓄えた武田軍が再上洛
が信玄の構想、実際は信玄の死後あっという間に
畿内を制圧した織田軍に対抗し難くなった
80 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:09
81 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:10
>>78 織田軍は背後の憂いがなくなり
信玄が死んだおかげで包囲網の士気も下がったんだよ
82 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:12
>>79 そん時はもうとっくに上杉が越中平定して、織田−上杉同盟が成立してるから、
うかつに最上洛は出来ない。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:16
>>82 一応伏せてたけど織田・徳川はすぐに確信して
勢力挽回に。
北条は影武者の応対で3年も気がつかなかったらしいけど。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:17
なら、将軍のほとんど無い力で将軍家と仲良い大名集めて
包囲網に加えて、反信長戦線ってはればいいんじゃない?
西国大名とか戦線投入させて、早急に信玄に上洛請求してりゃ勝てたかも。
ついでに謙信とかもいれれば・・・非現実な話で御免。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:18
>>84 北条だって気づいてたに決まってるじゃん(笑)
87 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:21
>>79 そこまでは予想できないだろ、北条か本願寺に抵抗してもらうなり勝頼が考える
徳川も信玄が死んで半年も経たない内に長篠城を攻略してるし、
あっという間に勢力を回復してきてる。
当然、信玄の死を知っていなければこの動きは無いと思われ。
ついでに、徳川が知ってれば、同盟者の織田上杉も知っていたことになる。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:27
1573年5月に板部岡のオッサンが甲府にやってきて
信廉の演技に騙されて帰り、「信玄は生きているようだ」と
報告したのは確からしいが。
謙信は7月に裏を取るまでは動かなかったが、裏を取ってから
信長あてに手紙を書いた。
「いまこそ好機、挟み撃ちにしよう」
90 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:31
>1573年5月に板部岡のオッサンが甲府にやってきて
>信廉の演技に騙されて帰り、「信玄は生きているようだ」と
>報告したのは確からしいが。
板部岡のオッサン@お腹せっぷく!(笑)
91 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:50
>>89 信玄死後は勝頼に謙信を頼めっていってる。
結局、信玄はバカってことか?
92 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:54
少なくとも殺りあっている場合ではない
>>91 本気でそう思うなら、自分でもうちょいどうにかしとけよって感じだな(w
少なくとも彼のやってきたことからすると矛盾してる。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 01:01
勝頼ではダメだと思うからそう言ったわけで
お家存続のほうにかわったんだろ。
だったら何としても信長に詫びを入れるようにはからう
べきだと思うがな。信玄など大した事無し。
とオレは断言しちゃうのだ。
95 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 01:01
96 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 01:05
謙信との塩の話もあるし、こいつらってほんとわかんねぇよ。
97 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 01:06
>>89 そうだったのか?
信長の野望では家臣に今こそ武田を攻める好機ですと進言されて
謙信は弱みに付け込むのは本意ではない、というセリフがあったがあれは
嘘だったのか!
98 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 01:18
どうやら矛盾にまみれた信玄の頭脳が明確になってきたな。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 01:19
>>98 そーじゃなくて
どこまでが信玄の本当の台詞で
どこからが後世の創作かを
見極めないといかんのではないかと思われ。
謙信は信長に信濃せめちゃおうかっていったんじゃなかったっけ?
だって海見ながら攻めたほうが、開放感あるじゃん
102 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 01:35
個人的に、海の「塩」だと思うが・・・そうしゅっちゅう「塩」を買ってる暇ないし
104 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 01:42
その海をほしいがために義信やオブをころした
代償のわりには報われていない。こいつのやってきたこと
ってオイラは納得できんぞ。
>>96 ・・・謙信の塩の話はただの逸話で真実じゃないって話だが。
謙信ならそれくらいやってくれそうだっていう後世の願望だよ。
106 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 01:46
今川の方が同盟解消してきたんだがな
107 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 01:46
>>107 うい、なんの歴史的証拠も無いし、戦国で利害関係がある時に
そんなことするはずない、後の時代にしかみえない創作的逸話だそうだ。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 01:51
まさに矛盾だらけの信玄坊主だ。
110 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 01:54
>>106 禿堂。
信玄が織田と同盟。
氏真、ぶち切れて上杉に同盟もちかける。
アッサリばれる。
信玄もぶち切れ。同盟破棄決定。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 01:55
112 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 02:04
上杉に同盟持ちかけるどころか、武田に妹返せって要求して
北条を仲介して返してもらってる
ただし、これは武田が駿河国境に兵糧を集めたり、兵を集めたりしたから
今川からすれば、信玄が信用出来んので、人質を返せって事ですな
氏真ってバカじゃなかったんだ
114 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 02:12
信玄が撒いた種ってことか
115 :
真・信長おた:02/02/03 02:14
>113
いや十分馬鹿だと思うぞ。桶狭間後はいきなり内紛で重臣何人も殺してるしな。
まあ蹴鞠ばかりしてる馬鹿殿様っていうのはかなり誤解があるが。劉禅とは違う
116 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 02:19
>>114 なんか勝頼がかわいそうになってきたよ。
117 :
真・信長おた:02/02/03 02:24
>108
然り。正々堂々と戦う逸話はむしろ信玄の跡継ぎの勝頼にならある。
武田滅亡の前年人質となっていた織田勝長(御坊丸)が送り返されている。
118 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 02:28
>>113 内紛で重臣殺したのは、氏真に弟がいて
家督争いになったからという説もある
今日はすごく知識がふえてるよ。
ほんと、感謝だね。
120 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 02:54
121 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 02:55
この時はなんか信玄はあせりにあせっている感じだな
122 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 02:57
>>121 自分の死期を悟っていたんだろうね。
それと自分が死ねば武田家が没落する事も。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 03:01
また小説のネタで恐縮だけど
山が動いたら終わりだっていう信長のセリフがあったけど
なんかわかったような。
124 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 04:13
信長は武田と事を構えないように努力してたからな
傍若無人になったのは随分後の話しで
125 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 04:32
>1
木曽路方面からうんこの臭いがしたから
126 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 07:40
>>107 塩止めの逸話自体、怪しいんだが、
もしその話しが史実としても、
塩は越後の大きな産業の一つで、塩止めなんかに参加したら、
越後の塩製造者や商人が大きな打撃を受けるんだよ。
127 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 07:49
>>1の疑問よりも不思議なのだが、
信長は信玄の死を確認した後、信長包囲網に怒涛の反撃をした。
まず、信玄の死も知らずに挙兵した足利義昭の二条城を降し、
浅井・朝倉を滅亡させ、長島の一向一揆をせん滅した、
まさに電光石火の勢いだが、
何故、そんなことができるのなら、信玄が上洛している最中にそれをしなかったんだろう。
まず、彼らを各個撃破してから、信玄との決戦に備えるのが有利だったのでは?
ナポレオンも百日天下の時、失敗したが各個撃破の戦略をとった。
だって山の中通ったらヘビとか出るし・・・・
129 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 08:49
130 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 11:15
>127
これからやるんだったかも
>127
当時すでに織田の勢力は巨大で武田や朝倉が単独で戦える状況ではなかった。
浅井朝倉や本願寺も堅固な城郭をに依って抗戦を続けていたが積極的に攻勢に
でることはできなくなっていたのだ。
単純に戦力の問題ばかりでなく物資や戦争資金の不足もあったのかもしれない。
織田軍は付け城を築き兵を入れ長期戦の構えを取っており守備側もそれに応じて常時兵
を雇い臨戦体制を採らざるを得なかったからだ。
抗戦1年を過ぎようやく武田が動き出した頃には浅井朝倉特に朝倉は既に限界であった・・・。
132 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 12:16
128の説が一番説得力があるな
133 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 13:57
義信が自害したと書いているのは甲陽軍艦だけ
信用度が一番低いといわれる甲陽軍艦だけ
他の資料は全て謹慎処分になっている
134 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 15:09
>>133 んで、結局どうなったってことになるの?
ずっと謹慎処分→後病死?
謹慎処分→殺害?
まさか、追放とかは有り得ないだろうし
135 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 16:52
>>134 最も信頼性の高いのは『勝山記』。
ここでは「病死したらしい」とだけある。だがあくまでも「らしい」、
すなわち伝聞または風聞である。
自害して果てたのを「病死」とした可能性は大いにある。
なお、異説として東北は南部家におくられてそこで余生を過ごしたという
なんとも怪しい説もある。
136 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 22:44
>>129 孫子に「兵とは勢いであり勢」という言葉がある通り、
兵を下手に温存するより、闘い続けて勢いをつける方が有利なんだよ。
もしも、信長が信玄が近づいてくるのに、包囲網を打破しようともせずボーッとしてたのなら愚将だよ。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 22:47
>>136 信玄が野田城を攻めていた段階では、信玄は一日あれば尾張に
侵入できる位置にいた。あまり遠出するとマズイと思うが。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 22:49
そも小谷城が落城したのは家臣の裏切りが原因
信玄が来なくなれば勝つ見込みがなくなるから
139 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 22:50
>>137 そうだが、とにかく武田が迫るまでの時間の間に
浅井・朝倉・本願寺・足利を叩いておく方が有利なはずだ。
信長は彼らに対しては抑えの兵を置いておき、
信玄と決戦と考えてたのだろうか?
少し、甘いと思う。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 22:52
>>139 小谷城は簡単には落ちないし、越前までこちらから遠征するのは
いざという時に引き返せないし、本願寺も同じく遠すぎる&堅固過ぎる。
将軍だけは実際に叩いているが。
142 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 22:54
>>138 うーん、思い切って大攻勢をかけた方が良かったと思うんだが、
信長は意外と慎重なとこがあるからな。
もしも、信玄の病状が悪化してなかったら、やはり攻勢がベストだったと思うよ。
あるいは信長は信玄病気の情報を得ていたのかもね。
143 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 22:57
信玄の到来を信じる九千の篭る小谷城を
相手に力攻めは甚大な被害をこうむると思ふ
むしろ四万では陥とせないかも
まあ当時の状況が完全に解るわけではないけど
144 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:00
>>142 岐阜―大垣で一日。大垣―清洲で一日。
小谷を囲んでいる間に信玄が尾張に侵入した場合、浅井勢5000の
追撃を受けながら二日間休み無く行軍せねばならない。
それで信玄に勝てるのか?
信玄が動き出してからも、しばらく猶予があったからね。
その時間で何とか努力すべきだとは思うけどね。
座していたら滅亡を待つだけって気もする。
信長は意外と無理をしない慎重派みたいだしね。
146 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:07
なんか本当に信長が四面楚歌のような気がする
どうにも手がだせねー
謙信に媚び諂うのも仕方がないのか
147 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:10
>>145 その頃は朝倉勢二万が近江に出張ってきていたので動けません。
ちょうど三方ヶ原の頃に朝倉が引き篭もったので岐阜まで帰れました。
もし朝倉が居座っていたら信玄は一気に岐阜まで進んだと思うよ。
148 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:12
家康にすべてを託していた
149 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:13
家康に三千しか送らなかったのは
大攻勢のためかもね。
150 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:15
つーか、当時は自国以外の情報って揃っていたのか?
151 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:16
兵農分離してない信玄は長期間の滞在は無理。
152 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:18
徳川が片付けば拠点移したかもよ
153 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:20
>>150 信玄はスゴイよー。寺社に残る記録とか見てると合法的に全国を
回れる僧侶・神官・歩き巫女なんかを諜報員にしていたらしい。
全国全ての国に最低一人以上の連絡員を置いていたという記録もある。
>>151 「兵農分離」は信長もしていない。
154 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:21
とりあえず銭で大量の流れ者を雇ったのは確か
156 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:23
信長も武田に遠江割譲で手を打とうとしたのかも。
信玄も遠江占領ぐらいしか考えてなかったのでは?
157 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:23
三河さえ征圧すれば織田軍は動けなくなる
一年後に再び大軍を連れて織田領に侵攻
158 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:24
>>154 流れ者を雇ったってえのは殆ど作家なんかの妄想。史料記録一切なし。
つーか人口に対する動員兵数が3%程度なのにそれを賄えるほど
流れ者がいる方が怖い。
信長の長期の軍事行動は商人から巻き上げた金で大量の食糧を
支給し続けた所に秘密がある。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:26
160 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:26
161 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:30
羽柴秀吉に二万くらい預けたような気がする、多分・・・
162 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:32
仕官したての滝川一益に千人程指揮させた気がする
163 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:33
>>161 それだけじゃあ分からないっす。
秀吉には北近江を所領として与えたほか、
摂津・播磨などの諸将を率いる権利を与えました。
つーか「所領」を与えてそこから兵を率いさせてる時点で兵農分離してません。
まあこの程度の規模なら朝倉家にもあったか
165 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:34
>>162 滝川家は、一益よりも前の代から尾張にいたことが確実だと思いますが。
完全な兵農分離はしてないだろうけど
四国攻めで信孝が指揮した兵はただの農民兵ではないと思う
167 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:35
>>24 仕方ないく抱かれてるのに感じる、これ最強。
169 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:38
>>167 尾張国内での滝川氏の初出は、文明10年(1478)の
織田大和守清洲城衆としてのもの。
年代的に尾張国で数代は重ねているはず。
つーか自分の子供を前田家の養子にしたりするやつがただの流れ者のわけが
ないでしょう。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:39
兵農分離というか大量の流れ者を兵に仕立て上げた事
江戸時代のように武士と農民の身分が違う状況ではない
171 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:39
173 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:41
農業しに帰らなくてもよい状態
174 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:41
>>170 「大量の流れ者」って発想がよくわからんよ。一体何人いたんだ?
支配地を広げて、地元の国人領主を従える。どうしてすぐに「流れ者」の
軍隊が編成できるわけ?
175 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:41
近江出身じゃないの?>一益
176 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:43
>>173 朝鮮出兵の時、20万人の半数以上は農民。
農業したくても帰りようがないわな。
負担を強いれば帰らないことはできるよ。
177 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:43
戦国時代に流れ者なんていくらでもいるでしょ
あちこちで戦争が起きてるんだから
178 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:45
>>175 それはないでしょ。
1478年の段階で清洲衆の一員だった家なんだからさ。
ある程度の地位がある尾張譜代の家だよ。
179 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:46
滝川一益検索したけど前半生不詳が多い
甲賀出身で信長に使えた時期も不明確
どゆこと?
180 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:47
>>176 甲斐国のばやいは帰さなきゃまずいだろ。
重税課しているし。
181 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:47
秀吉も光秀も前半生不詳
182 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:49
>>180 課税一切無しの「御家人衆」が主力で
課税半分の「軍役衆」が交代要員。
農業に専念する「惣百姓」だけ税負担が重い。
183 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:51
甲賀忍者出身とまで言われた一益が譜代のはずはないと思うが
184 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:53
>>183 だが現実に尾張に「滝川家」がずっと存在するんだよね〜
他国出身だとしても養子か何か。尾張譜代滝川家の家格を継いでいるんだから
それなりの扱いを始めから受けるのはかなり当たり前。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:56
186 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:57
>>182 なんと!!
その「惣百姓」って、そんなに人口多いの?
2万7千での出陣で百姓がいないと、
そもそも甲斐って人口どんなもんだったのかな?
187 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 23:59
なんでもソース見せろと言う連中に限って
史料教えてもまともに読まない
188 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:00
>>186 当時1200万人
64国、小国を除く
1200÷60=20万人
なんてね
189 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:00
といあえず見せてくれ、真面目に見るから
190 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:01
文明10年に織田大和守清洲城衆として滝川家が登場するし、
その後も何度か書状が出ている。それ以上でもそれ以下でもない。
191 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:02
192 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:04
>>186 百姓がいないなんて言っていない。普通の農民なら半分が税で取られる上に
各種の賦役で自腹を切らねばならないが、それが一切ない。
一家から一人御家人衆を出せばあとは家族だけで普段の半分の収穫が得られれば
収入は変わらない。ついでに食費を一人分浮かせる。
あとな、甲斐・信濃・西上野・駿河・遠江・三河の諸将が参加しているんだよ。
甲斐一国で二万人なんて出るわきゃーない。
193 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:05
織田家の古文書見たけりゃ、織田信長文書の研究って本を見たら良いんじゃないの?
それ以前の古文書は、地元の神社仏閣の古文書漁りぐらいか?
194 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:07
>>192 それなら納得したよ、てゆーかほっとした。
>>190とは違うよ
だけどどこで知ったのかは気になるな
196 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:08
もし織田軍が農民兵で構成されていたら
2年間も城を囲ませて国土は大丈夫なのか?
197 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:11
2年も同じ兵だけで城を囲んでる訳じゃないだろ
198 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:12
>>196 武田氏だってそれなりに動員の工夫がある。織田氏でも同じか、
あるいはもっとヒドイかだな。
朝鮮出兵ではかなり国土が荒れたし。(秀吉に工夫がないってこったね)
とすると信長もどれぐらい工夫していたのか分からんな。
199 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:15
60万石で三万人もだせるかっつうの>秀吉
200 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:16
与力兵は農民ではないと思う
201 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:18
>>200 具体的に何を言いたいんで?
与力武将はそれぞれに所領を持って軍勢を率いているんだが?
202 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:18
与力兵
203 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:24
信玄がいなくては徳川・織田連合軍を壊滅できなかったか
信玄の遺言を守るべきだったのか、あれでよかったのか
204 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:26
織田軍は2年間三万の兵を土地から切り離しても
問題ないような仕組みがあったのでは?
他の大名は2年間も城を囲めるか?
205 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:27
>>203 謙信が死ななければ同時侵攻で勝てた可能性はあるんだが……
207 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:29
>>204 漏れの研究なんだが、秀吉が諸大名を動員する時の条件が「兵糧支給」なんだね。
信長も武田攻めの前に徳川家に兵糧を送っている。
どうも兵士を長期動員すること自体よりも、動員した兵士を長期維持することの
方が難しいらしい。
その点、織田家は金持ちだからさ……
208 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:30
209 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:32
210 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:33
上のほうで誰かが書いてたけど
織田・上杉密約説って無かった?
>>209 小田氏の意見はこの点に関しては漏れと近いんだけどね。
つーかあそこはよく利用してました(笑)
212 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:42
>秀吉や、一益が戦力を整えるには、信長から与えられる「貫
>目」で数えられる給金を元にして、農村流出人口を雇うしか
>ありません。
雇用兵?
214 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:47
>>212 「貫」は当時は金の単位でも土地の単位でもあるから、一概には言えない。
当時の知行ってのは「この国はオマエ、この城はオマエ」とサクサクわける
ものじゃなくて、「この村のこの土地はオマエ、こっちはオレ」みたいな
感じで、一人の武将の持つ所領が何箇所にも分散しているのが当たり前だった。
だから「城を持ってないから土地を持ってない」なんてことは全然なくて、
普通の屋敷に住んでるやつだって当然、土地を持ってる。
215 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:48
給金と書いてあるだろう
216 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:50
>>215 「貫目」で与えてる証拠はあるが、それが「給金」だと示す証拠が一つも
ないんだよ。土地の単位も「貫目」なんだから。
自分の家で使ってる家人とか直属の従者とかを扶持(給料)で
雇ってることは当然だろうが、それだけでは「兵農分離」にはなり得ない。
217 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 00:59
一益と秀吉の新参者にに何処の土地をやるんだよ
古くから土地の人間を使っていたわけでもないのに
とくに一益は金で流れ者を雇っていたんだろう
秀吉一益が伊勢、美濃を攻める時に使った
数100、1000人は雇用兵が多い
218 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:00
一益に1000人単位を徴兵できる土地をやれるか?
219 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:01
信長包囲網の時、謙信は信長の友好勢力だよ。
ただ、信玄の上洛に呼応して、本願寺顕如が
一向一揆が蜂起させていて兵を出せなかった。
ただ、数ヶ月で鎮圧されていたので信玄が死ななくても
上洛はうまく行かなかったのでは?
220 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:01
>>217 滝川家は譜代だってば。
新参者は君主自身の所領を割いて与えるのが普通だよ。
221 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:03
あと能力ある者なら本人の知行・手勢に加えて他武将の指揮権を
与える場合もある。
222 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:03
織田家に古くからの滝川一益の記述はないだろ
40過ぎから突然現れた人間を譜代扱いするほうがおかしい
223 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:04
224 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:04
>>220 ちょぉぉぉぉと待て
新参者に主人自ら所領を与えるなんて、滅多にないぞ
225 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:04
>>219 北条家が関東で動く手筈だったと思うが。
まだこの時期の謙信はそれを無視できるまいて。
実際に信玄死んで「挟み撃ちにしよう」なんて手紙を書いても
信濃に入る余裕はなかったし。
226 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:04
秀吉も一益も自分で数100、1000を管理していた
227 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:05
>>223 過去ログ少しでいいから読んで。一益自身が甲賀出身でも
滝川家自体は古いんだよ。
>>224 信玄もやってましたが何か?
228 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:06
だいたい数百単位の兵を雇って装備を整えて飯を食わせるのにいくら
かかると思ってるんだ?
229 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:08
なんで滝川氏が古くて一益の前半生が不明なんだよ
一益は最初は新参者扱いだぞ
230 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:09
231 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:10
>>205 無理っしょ、謙信は徳川の同盟者で、すぐ後には徳川の仲介で
織田とも直接同盟を結んでる。
書状を見ても、どちらかと言えば謙信の方が積極的に
武田侵攻を働きかけているんだから。
この時点では武田の方に目を向けてたんでしょう。
232 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:12
勘助に与えた破格の200貫、石高に直すと1000石程度
これでは自分で管理する兵は100人もいない
1000の兵を指揮するために一益にいくら禄を与えればいいんだ?
新参者にそんなに多くの土地をやれるわけがないだろう
233 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:13
>>231 いや、自分の死後は武田より強大化した織田を優先して攻めると予想していたんでしょう
234 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:18
光秀には500貫文与えている。
235 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:19
朝倉タンがね
500の兵は一時的に借りたもの
236 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:20
>>233 いや、織田上杉同盟とかは信玄死後の話よ。」
237 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:21
>>230 まず信虎の代に外からやってきた連中。
小幡虎盛
多田満頼
原虎胤
横田高松
安間三右衛門
諸角虎定
信玄が取りたてた連中でも
山本勘助
大熊長秀
小浜景隆
向井政勝
間宮武兵衛
間宮造酒丞
などには所領を与えているが? 有名武将クラスだけでこれだけいる。
238 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:21
>>232 ヲイヲイ、信玄が新参者に土地与えたと言う例が甲陽軍鑑からですか?
239 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:22
与えた禄はどうよ
240 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:25
>>238 たとえ勘助が架空の人物であっても200貫を
与えたのは当時としては破格だと主張できる
一益のように1000人の兵を管理したわけではない
241 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:25
242 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:26
>>240 意味不明なんだが。
当時として破格かどうかじゃなくて、その話自体がネタだという事。
>>239 仕え始めた時にいくら与えたかはよくわからん。
だが最終的には数千石〜数万石持ちになっていたが。
秀吉あたりを引き合いに出して「新参者にいきなりそんな土地を与えるはずがない」
と言っても、それだけの兵を雇い維持するだけの給料は土地を与えた時に
その土地から上がる収入と結局大して変わらない。
だから現実的なのは与力武将をつけることぐらいだろうね。
244 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:30
>>242 >>230にレスしたわけではなく、当時破格の条件ですら100人未満の兵しか指揮
できない貫を与えられるにとまったのに一益は1000人以上の兵を指揮していて
それだけ一益の所領から出るわけがないと言っているの
245 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:31
>>233 土地を持っていないのに自分が管理する兵力を
持っていたことが他と違うんじゃないのか
246 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:33
>>244 一益の所領の兵力+信長がつけた与力武将
というのが一番現実的だと言っている。
単純に給料を与えたとしても1000人分は莫大になる。
それに仕えてすぐなのか、あるいはある程度実力が認められてからなのか、
その他にも色々な条件が提示されていない。
247 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:38
それに滝川家自体は以前から織田家にあると過去ログにあるんだから
それぐらい踏まえてくるべきだろう。
一益が全く土地を持っていないなんてあまりにもナンセンスだし、
ある程度認められている家格ならば与力武将がいて当然である。
「指揮権を与えられる」のと「直属の手勢」とは別である。
「1000人を管理していた」というのであれば管理の実態について
説明するべきだろう。
248 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:38
>>237小幡虎盛
>多田満頼、原虎胤、横田高松、安間三右衛門、諸角虎定
この中で、所領を持ってなかった将は皆無
しかも新参と言っても、所領を与えられた形跡が残ってるのは
最低でも仕えてから、7〜8年以上たってから
>大熊長秀、小浜景隆、向井政勝、間宮武兵衛、間宮造酒丞
つか、全て侵攻先で降伏した地侍や海賊上がり
249 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:38
伊勢に攻めこみますから兵を貸してくださいではなく
一益に管理させて伊勢攻めを任せる、または従軍する
当時の秀吉、一益の所領なんて雀の涙程度
250 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:40
>>247 一益自体が織田家に古くから仕えているわけではないし
40過ぎまで他国にいた人間を譜代扱いすることはない
第一ソースくらい示せよ、見せなくてもいいからさ
251 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:43
>>248 >この中で、所領を持ってなかった将は皆無
他国出身なんだから全て信虎が与えたことは明白。
大熊は越後の将だから所領を維持して投降したはずもなく。
小浜景隆は3000貫の約束で伊勢から仕官させ、手付として
300貫が与えられた記録が残っている。この土地が信玄自身の
所領を割いたものであることは疑いないが。
つーか一益が所領を持っていなかった「証拠」が欲しいね。
>>249 全然答えになっていない。「管理」とは何か?
「与力武将の存在」を否定できてもいない。
252 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:44
169 :無名武将@お腹せっぷく :02/02/03 23:38
>>167 尾張国内での滝川氏の初出は、文明10年(1478)の
織田大和守清洲城衆としてのもの。
年代的に尾張国で数代は重ねているはず。
つーか自分の子供を前田家の養子にしたりするやつがただの流れ者のわけが
ないでしょう。
253 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:46
>>249 「伊勢攻めを任せる」=「軍勢の指揮権を与える」だろ。
何も手勢だけでそんなに揃える必要は全く無い。
与力武将をつければ済む。
254 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:47
>>252 一益の子供ではない、養子にだしたのは実力がついたころだろう
255 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:48
256 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:50
257 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:51
>>251 >小浜景隆は3000貫の約束で伊勢から仕官させ、手付として
>300貫が与えられた記録が残っている。この土地が信玄自身の
>所領を割いたものであることは疑いないが。
記録とは?「信濃史料」や、「新編甲州古文書」、「戦国期甲斐国の権力構造」、「甲斐武田氏家臣の文書」
どれに記載されてるんだ?
258 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:54
>>253 司令官直属が各与力の指揮する兵力より少ない事はない
新参者を司令官にした時点で土地から徴兵した兵と違う
兵力を一益が動かしていたことがわかる
259 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:54
>>252 問題はその滝川氏が一益の滝川氏と関係あるかどうか。
同じ苗字でも全く別流ということもありうるので、それだけで一益が譜代とは言い切れない。
あと前田家の養子にしても利久の妻の連れ子であるだけだから、
妻だけが尾張に縁がある可能性もある。
一応『勢州軍記』では一益は甲賀郡大原村の生まれになってるようです。
1630年代成立の軍記物なので全面的に信用するわけにはいきませんが。
260 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:57
>>252 養子なんて結構簡単に取るよ
織田家中で頭角をあらわしてきた男なら
養子を取ってもおかしくはない
261 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:59
>>257 笹本正治氏の本で見つけた。原典は忘れた。
>>258 新参者という証拠がねー
つーか一益自身宛の書状は天文年間から既に出ている。
例え新参でも伊勢攻めなんてそうとう時間経ってからだよ?
262 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 02:05
>>261 笹本氏の本なのか探そう
つか、君の新参者とは仕えて何年ぐらいまで言うの?
263 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 02:07
>>261 当時織田家は50万石、直轄はもっと少ない
そのなかでどれだけ一益に所領をやれるんだ?
40過ぎから使えた男が家老並の所領を持つはず
がないし、実際に持っていない
てか天文に使えたとしても充分新参だぞ
264 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 02:40
滝川一益もしくは滝川家が新参か譜代かの論争は
スレちがいでは?
265 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 02:55
武田軍は兵農分離していないから三河に長期間滞在できない
織田軍もたいしてかわらない
滝川に持たせた軍はなにか?
滝川は新参なのか?
スレ違いではあるがこちらの方が本題よりレス数を食っているな
266 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 03:05
>>262 たぶん笹本さん……記憶が怪しいんだが……
水軍関係で森本繁さんか山内譲氏だったかもしれん。
出典を覚えていない事に関しては謝るしかない。
新参つーてもわしは文明年間の書状もあるし
滝川一益自体が古参の将だと思っているんだが。
何しろ古い方の滝川家がどうなったか分からんので難しいんだが。
つーか甲賀出身で一族総出で織田家に仕官したの?何年?
甲賀出身の根拠は?
267 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 03:09
268 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 03:09
ところで一益っていつ頃その「1000人」とやらを率いていたの?
それによって変わると思うけど。
269 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 03:13
本格的な伊勢攻めの時は確実に2000近く率いていたな、司令官だし
義元が死んで美濃を征圧するまでの間に伊勢攻略も任せていたから
1560〜1566までの間にはそれなりの軍を抱えていたはず
270 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 03:18
>>269 1525年生まれで40年代に仕えたなら10年以上ある。
2000のうち何人が直属だろうか。
旗本だった頃の金森長近なんかでも長篠で別働隊2000を任されているし、
1570年にはまだ旗本をやっていた簗田広正が1577年に加賀一国を
任されるまでに出世した例もある。
271 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 03:21
ま、織田家は生え抜きの人間が少ないからだろうね。
信長の尾張平定戦以前から仕えていて裏切った経験がなくて
有能なら新参者でもかなり出世する可能性があるってことだろう。
近江甲賀郡の土豪伴資清の子という、滝川家は甲賀の伴氏の一党であり、
のちに甲賀53家と呼ばれる忍者集団を形成した忍びの家柄だそうだ。
鉄砲の射撃術に巧みで、信長にその智勇を見込まれて直臣となったらしい。
その時期は桶狭間の戦いの前とも、美濃攻めの前後ともいわれるが定かではない。
最初の城は尾張蟹江の城で水軍も指揮していた。
273 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 03:25
>>272 滝川一益って天文年間には仕えていたって言うんだけど、
1532〜1555じゃあ幅があるよね〜
>>270 >簗田広正が1577年に加賀一国を任されるまでに出世した例もある。
任されたというよりは、加賀一国が与えられたが正しい。
275 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 03:37
>>274 あまり変わらないと思うが……旗本に一国が与えられる織田家なら
出仕10年で一軍を任されるヤツがいても良さそうな気はする。
276 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 03:41
16歳で信長に出仕という記述を発見したよ。
つまり1541年出仕だね。26年仕えていれば
一軍を任されるぐらいに出世することもあるかもしれないね。
一益のことね。
続き…
このときの簗田広正は本領の九坪から馬廻だった佐々長穐・島一正・朝倉氏旧臣の堀江景忠ら
を率いて桧屋城・大聖寺城を守備した。兵力は不明。
279 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 03:50
>>272 『寛永諸家系図伝』では一益のオヤジは「滝川一勝」になっているんだが。
……何か矛盾がどんどん出て来たな。
一益が16歳で織田家に出仕というのは現在の滋賀県にある滝川城の立て看板に
伝承として書いてあったものなんだが、1525年生誕説とあわせると
1541年の出仕(数え年ならもっと早い)になる。
しかし曹豹氏の
>>272によれば「鉄砲の射撃術に巧みで、
信長にその智勇を見込まれて」ということになるが、鉄砲は
まだ伝来すらしていない。
また父親に関しても複数説あるし……おいおい(笑)
281 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 03:58
まあ甲賀衆ってのはただの同盟組んだ地侍で、忍者なんぞではない。
忍者集団とか忍びの家柄とか出てくる段階で、
>>272の説は
後世の創作だろうな……
282 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 04:03
滝川城の方では滝川氏は大原氏の一族だとしていたけどな。
283 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 04:17
285 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 04:21
江戸期の史料では一益についてほとんどが「幼年の頃より鉄砲に秀でていた」と
しているけど、幼年の頃はまだ鉄砲が無いんだよね。
多分、誰かがそう言ったのをみんなで真似してるんだろうけど、
根拠って何なんだろうね?
286 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 04:24
>>284 …………
清洲同盟の頃に徳川家の石川数正と事前交渉したという
『寛政重修諸家譜』の記述を信じるなら、1561年頃に既に
押しも押されぬ家老クラスでないと辻褄が合わないよね。
どう考えても「新参者にいきなり1000人もの兵を任せた」レベルの方が
与太話と言わざるを得ない感じなんだが……
287 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 04:31
>>286 そういや、その話は結構採用されてるね。
よく、これだけの重要事(というか死活問題)をなぜ新参者のテストに
したんだろうとは思った・・・。
確かに、そういう考え方もあるね。
でわ、また傍観。
288 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 04:39
>>283より
>一益の仕官時期ははっきりしませんが、かなり早くから仕えていたのは
>確かなようです。信長の乳兄弟である池田恒興の父・恒利が滝川家の出身で、
>一益の叔父にあたるといわれ、その縁で織田家に仕えたとおもわれます。
池田家の由来は美濃国池田庄、摂津国池田庄、尾張国春日部郡の池田郷の
諸説がある。摂津の池田家は池田勝正なんかがいるんだけど、
これと別系統とすれば美濃か尾張か。
仮に尾張出身だとするとこれの身内の滝川家ってのも文明年間の書状にも
ある尾張の滝川家になりそうなんだけど。
もっとも池田家も系譜は不明で恒興の父・恒利からしか分からない。
恒利の妻が信長の乳母になったから恒興は信長の乳兄弟として育ち、
活躍することになるんだが、恒利の代に織田家に仕えたんだとすると、
恒利は滝川氏の出身でごく早い時期に近江からやってきて、そのうち池田郷を
与えられて池田氏を称したということになるのかもしれない。
289 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 04:45
やはり思い切って滝川家も池田家も昔から尾張にいた譜代!
系図は全て捏造!とか言ってしまった方が扱いの高さは
説明しやすいな(笑)
>>286 信長は新参者の明智光秀に元亀元年、近江国滋賀郡を与えましたが、なにか?
それに滝川一益は尾張蟹江の城主でしょ。一軍を任されるのは何の問題もない。
柴田勝家の場合、親の名前すらわからないとされている。(今はどうかわからんが…)
それだけ書物がない、ということ。滝川が譜代ならば、せめて桶狭間あたりに名が出ていても
おかしくはない。しかし出てない(と思う)、ならば信長の天性の勘で与太で取立てられたの
ではないだろうか…
291 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 04:53
>>290 >信長は新参者の明智光秀に元亀元年、近江国滋賀郡を与えましたが、なにか?
明智光秀は将軍のオマケでもあるからただの新参者と同列に扱うのはどうか?
>れに滝川一益は尾張蟹江の城主でしょ。一軍を任されるのは何の問題もない。
それってつまり「一益は金で兵を雇っていた。兵農分離だ!」という主張の
敗北を宣言してるのかな?
だとすればオレの勝ちか(笑)
>滝川が譜代ならば、せめて桶狭間あたりに名が出ていても
>おかしくはない。
『信長公記』の桶狭間の場面では前田又左衛門利家・毛利十郎・木下雅楽助
しか名前が出ていないんだよね。
>ならば信長の天性の勘で与太で取立てられたの
>ではないだろうか…
それが一番あり得るのが信長の怖さだね(笑)
292 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 04:54
>>290 名前は分かんないかもしれないけど、柴田家自体は古くからの尾張三河一体に
広がってた土豪の一族だね。
家康の家臣にも康忠ってのがいる。
現在でもこの地域には多い名字で、確か今の岡崎?の市長さんも柴田さんのはず。
>>291 >それってつまり「一益は金で兵を雇っていた。兵農分離だ!」という主張の
>敗北を宣言してるのかな?
>だとすればオレの勝ちか(笑)
意味わからん。俺はそんなもん主張してない、相手を間違えるなよ。
294 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 05:12
>>293 ああそうだったね。スマソ。
うーむ……しかしこうしてみると、ワシが何かいうたんびに非難轟々だったのに、
一益が新参で仕えて「すぐに」1000人も兵を任されたなんて話を
単純に信じ込んでたヤツって……痛いよな(笑)
295 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 05:19
寝るわ
>>291 >明智光秀は将軍のオマケでもあるからただの新参者と同列に扱うのはどうか?
はぁ?関係ねーだろ、器の問題だ。足利義昭のことで信長と接触し、上洛後京都及び
畿内の政務に携わっている。有能だから信長が取り立てたのだ。前田利家も元は前田家の
当主ではなかったはずだ。
>>292 柴田勝家の発祥地は名古屋の名東区上社あたりらしい。看板があった。
ちなみに南区には柴田町がある、ヘルス等の繁華街だ。
297 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 05:25
>>296 >はぁ?関係ねーだろ、器の問題だ。足利義昭のことで信長と接触し、上洛後京都及び
>畿内の政務に携わっている。有能だから信長が取り立てたのだ。
いやまあそれはそうなんだけどさ。
秀吉が仕えて城持ちになるまで何年かかったかとか考えるとさ、
義昭がらみで交渉役から入った分、始めからそれなりの扱いを受ける
だろうっていうか。
鳴り物入りで入団したドラフト一位ならいきなり先発スタメンかもしれんが、
トライアウト受けて入団したやつじゃそーはいくまいってこった。
秀吉は武士身分じゃない。さすがに信長でも城持ちまでは取り立てるのができなかったんじゃ
ないのかなぁ。身分っていうのが大きかったと思うよ。
テスト入団か、信長の家臣にそれに該当するやつといえば…
だれだろう?
300 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 05:54
300げと
風 疾きこと風の如し、
林 静かなること林の如し
火 侵略すること火の如し
山 動かざること山の如し
柴田勝家が代表格かな
302 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 07:58
木曾から責めないのは単純に側面攻撃を恐れての事じゃないか?
三方向囲まれれば、最弱の兵から打つ。これ基本。
純粋な戦術学的に言うと以上なんだけどね。
304 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 09:24
武田家において新参で出世といえば真田幸綱であろうか。
305 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 09:38
とりあえず折衷案。
滝川家そのものは古くからの織田家の譜代家臣。
しかし一益ははじめ滝川家の人間ではなく甲賀出身で、信長が思いつきで気に入って取り立てた。
その後、滝川家に婿入り、滝川姓を名乗る。
306 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 09:49
とりあえず、
・1561年頃には滝川一益は徳川家と交渉にあたる重臣であったこと。
・蟹江城を預けられていたこと。
・従って伊勢攻めを受け持つ以前からそれなりの所領と兵を有していたことは
不思議でもなんでもないこと。
・一益が幼い頃にまだ鉄砲はなかったこと。
は確実ってことで。
思いっきりスレ違いなところで盛り上がってるな・・・
308 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 10:16
一益の話なんてつまんねー
スレ違い、逝ってよし!
309 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 13:55
 ̄~^ヽ、;ヽ;;;;ヽ;:ヽ
'~" ̄ヽヽ;i;;;i;;;;i;;;;i
ノ:ノ::ノ;/;;;;;i;;i.
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/^~"´ ̄-‐‐‐'''"´/:/;ノ;;;;ノ://.
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310 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 13:57
311 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 14:56
いやだが滝川一益にしろ池田恒興にしろ、有名なわりに知らないことって
多いもんだな。
ところで、何でこんな話になったんだっけ?
兵農分離の話になって、一益は新参者だから金で兵を雇っていたって話になって、
実は新参者じゃないか、あるいは新参者だけど破格の厚遇で重臣クラスって
ことになったんだよね。
で、兵農分離はどうなったんだ?
312 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 15:16
なにがどう狂ったら、
「武田信玄は何で木曽路から美濃に行かなかったの?」の問いから、
織田軍団の譜代・新参者の話題になるんだ?
313 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 15:20
>>312 武田軍は兵農分離できてないから侵攻は無理!
↓
織田軍も兵農分離できていない。長期動員の秘密は別の所にある。
↓
一益は新参者で領地もなくて金で兵を雇っていたんじゃあ!
↓
,一-、
/ ̄ l | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■■-っ < んなーこたーない
´∀`/ \__________
__/|Y/\.
Ё|__ | / |
| У.. |
ということで、一益の問題は織田vs武田の継戦能力の問題でも
あるのだよ。
羽柴秀吉はどうだ、姉川の合戦の時に3000の衆を率いていたが
これは周りの重臣、譜代と同じ規模の兵数
石高に直すと10万石は必要、どこから連れてきた兵だ?
秀吉に限らず姉川の戦いでは太守でもない将が3000程の兵を連れている
もし戦の前に兵を貸すのなら本番の戦のときに統率が取りかねると思う
316 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 17:10
>>315 え〜まず誰が何人の兵を率いていて、何が根拠でそう言えるのかを
説明して欲しい。
あと、秀吉は美濃攻めにおいて寝返り工作でかなりの功績があるから、
それなりの所領とかなりの指揮権を与えられている可能性があるぞ。
武田家の真田幸綱(幸隆)は城攻めと寝返り工作の功績で
旧領・真田本城を与えられた他、戸石城・松尾城などいくつかの城と
信州小県郡と上州吾妻郡の管理を任されている。
秀吉もそれなりの所領と指揮権を与えられたと見て間違いはなかろうて。
317 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 17:35
3000人だせる程の所領を貰っているなら長浜を貰っても嬉しくないのでは?
318 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 17:40
>>317 3000人=10万石ぐらいか。
しかも多分、自分の直轄+信長に与えられた指揮権で合計3000だろう。
長浜は20万石ぐらいだとされているけど、それが全て自分の直轄。
大幅な加増だよ。
319 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 17:44
12万石だと思う
>>317 長浜はもと今浜のこと。近くには国友があるし、港もある。当然近江商人もいる。
俺なら嬉しいよ。
>320
所謂近江商人が隆盛を誇ったのは江戸時代になってからだよ。
もちろん当時も交通の要衝だったからそれなりのものはあったとはおもうが。
武将の指揮する兵がどれくらい自前かどうかも問題か・・・
323 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 21:58
スレ違いの話を堂々とするなよw
324 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 23:04
>>321 何を言ってるんだ?
戦国時代に近江商人はとっくに隆盛を極めてるよ。
>324
それは新説だな(w。まさか天秤棒商いのことじゃないよね。
326 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 00:57
>>315 信長軍って相当弱かった理由はここにあるのかも
327 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 00:58
だから数でおしきったと・・・
328 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 01:03
だから膨大なお金が必要になる。
だから経済政策至上主義だったんだ。
329 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 01:07
織田軍にも軍役状が少しばかり残ってる。つまり武将たちには
自腹で兵と装備を整える義務があったってことだ。
しかし信長がいくら商人から金を巻き上げても地方の領主まで
それが回るわけもない。織田軍も無数の小領主の部隊の集合体で
ある以上、巷間に流布するような「傭兵制」の兵農分離なんて
そもそもが出来っこないのである。
330 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 01:11
各領主の田畑は信長の官僚たちが面倒見ていた。
だから領主はいつでも出陣できた。
331 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 01:14
332 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 01:17
>>331 兵隊を雇ったんじゃなくてむしろ百姓をする人を雇った
あえて、新説をとなえてみる。
333 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 01:20
>>332 あやふやな傭兵制の上にさらに不確定要素を積み上げてどーするよ。
334 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 01:23
信長の中央集権のあり方をもう一度考察する必要があるな。
新スレ立てたら?
>>335 それもおもしろそうだね。
「信長最大の魅力がいまここに暴かれる!!」
でもこのスレって、すごい発展性あるね。
338 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 08:57
タイトルだけ見ると駄スレとして消えそうなのにね・・・
339 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 09:33
>>1 1寒かったから
2木曽路は木曽義仲以来縁起が悪いから
3そもそも三河侵略が目的だったから
4交通の便が悪かったから
340 :
名無しさん?:02/02/05 09:36
山賊がいたから、無駄な被害を避けるため。
341 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 09:43
過去レス読んでないので既出かもしれませんが
木曽路からは秋山某が侵攻しましたよね。
339さんのいうとり「4交通の便が悪かったから」では・・・
木曽路からは陽動部隊は侵攻できても大規模な本隊はむりかと・・・
これと逆に、織田信忠の武田家滅亡作戦は木曽路から侵攻しました?
もしそうなら、わたしの説は無効になりますが・・・
342 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 12:12
思うに、当時の信長の兵の動員力は
信玄の予想を上回るものだったと思います。
で、信玄としては正面決戦は避けねばならず、
将軍が引いた浅井・朝倉や毛利・本願寺との包囲網を駆使する事になる。
それは畿内から最長距離があるからこそ効果のある包囲網ではないでしょうか?
もし、信玄率いる本隊を美濃に侵攻すると、
信長が乾坤一擲の大勝負に出て時間差つけて
兵力集中の各個撃破戦法を選択させる可能性があるので、
いかな信玄といえども苦戦は免れないと思われます。
畿内から見て東海道よりも美濃の方が距離的に近いでしょう。
東海道に出たのは各個撃破戦法を防止するためだったのではないでしょうか?
信玄が亡くなった後に
信長は将軍の追放や浅井・朝倉などを各個撃破しているわけだし。
343 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 16:19
てか徳川
344 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/05 16:26
単純に東は北条、北上杉、西織田で
一番攻めやすいのが徳川だったからじゃないの?
いざ
>>290に舌戦を挑まん!!・・・ぐはッ(憤死。)
馬鹿は自分が厨房だという事に気づいてほしいですねプ
347 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 00:42
>>341 秋山信友は木曽路からは攻めていない。
飯田街道から刈谷のあたりで間道に入って、岩村に直接出た。
織田信忠はこのコースを逆にたどって信濃に入った。
織田軍が武田を攻めた時は、別働隊が木曽路に入り、木曽義昌と共に
鳥居峠で武田軍を撃退している。
348 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 03:38
木曾路なんて挟み撃ちされたら一網打尽って気がする。
今通ってもなんか怖いよ。
冬場行かないんで知らないけど
木曽方面て雪って積もるの?
351 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 09:53
じゃあ、信玄は飯田街道から上洛すりゃあよかったじゃん
352 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 10:08
>>1 家康を放置して上洛するわけにはいかなかったからだよ。
主力をもって、家康を叩いてから、信長と戦うつもりだった。
353 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 10:15
家康をまるきり放置して、木曾路なんかいったら、
家康に武田領を攻撃されるだけだ。
あるいは後方もしくは横から襲撃されて、
かなり不利になるな。
354 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 10:58
状況によっては家康が寝返るのを期待していたのでは?
355 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 10:59
このスレって本題に帰るとガイシュツな意見しか出ないのに、
脇道にそれるとすごく盛り上がるんだよね(笑)
356 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 11:17
>>355 確かに本題はずっとガイシュツの連発で全く進展が無いね(笑)
357 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 11:29
358 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 13:29
まあそっとしといてやれ
木曽路にはワシが寝てるから
361 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 20:07
たとえ大軍を擁して木曽路から侵攻したとしても
木曽〜美濃西部ラインには数万の大軍を”展開”できる場所がない。
当然のことながら時間の無い武田軍が望むであろう
大会戦というものは地理的に不可能。
岐阜近辺まで進出しなければ大きく開けた場所すらないのだ。
要するに織田側としては数百の兵が篭もる城や砦を
幾重にも配置して相互支援できるネットワークを
整備しておけばいいわけ。これだけで数万の軍勢の大部分は
後方で無為に時間を潰すだけの存在となりえる。
武田が木曽から侵攻しなかったのは至極当然のことだろう。
362 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 22:17
>>361 織田信忠が武田討伐で入った飯田街道はどうなの?
>>数百の兵が篭もる城や砦を幾重にも配置して相互支援できるネットワーク
六角も武田も山ほど城はあったが機能しなかったけどな(W
364 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 22:30
>>363 小数の兵で大軍を防げる、
もしくは相当の時間稼ぎができるはずだったが、
武田滅亡の時は次々と自壊していった。
抵抗したのは仁科盛信だけだ。
しかも半日で突破された。
365 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 23:02
>>364 史料にはほとんど記述が無いが、時系列だけ追えば、伊那でかなりの
時間を稼いでいると思うけど。
団忠正と森長可が先遣隊として太平街道から伊那に侵入したのが2月14日。
この時、太平街道出口を守る松尾城城主・小笠原掃部太輔が寝返り。
また下伊那の要衝・飯田城がこの日の夜に自落。
信忠の本隊が飯田街道から伊那に入ったのが16日。
この日、下伊那と上伊那の境を守る大島城が自落。
だがこの後、伊那北部の要衝・高遠城を攻めたのが3月2日で、
それまでに時間が空き過ぎている。
これこそ伊那での時間稼ぎがそれなりに上手く行ったという証拠ではないかと
思うんだが。
366 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 23:08
>>365 禿堂
さすがに半日で落ちたってのは眉唾かと。
それぐらいの勢いで進軍してたってことなんだろうけど
城に篭った相手を早々簡単に落とせないだろ。
高遠城っていったら、それなりの城なわけだし。
>>366 ん? 高遠城が半日で落ちたのは本当でしょ。
ただ高遠城に辿りつくまでに時間がかかり過ぎているってだけで。
実際、高遠まで落ちてからはもう雪崩の如し。
3月2日 高遠落城
3月3日 勝頼、新府城に火を放つ
3月11日 勝頼、天目山の麓、田野にて討死(自害?)
高遠城を攻めるまでに時間がかかったのは
武田方の時間稼ぎが功を制したのではなく、
信長が自分が行くまで待ってろと滝川・河尻にクギを刺したため、その論議のため止まってただけだ。
信忠が独断で滝川、河尻を説得して進めさせたようだけどね。
369 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 04:01
鬼親父に堂々と反対して討伐を成功させた信忠カコイイ
370 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 04:04
信長が「わしの到着を待て」というには、信長の行動、遅過ぎないか?
信長が信濃に入った頃には武田家滅亡してる。
信忠を何もさせずに一月も放置する気だったとはとても思えん。
それに命令違反に対する信長の怖さって有名だけど、それで信忠や
長可や秀隆が罰せられたとも聞かないし。
371 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 04:31
@武田にはなお二万の兵が残っていたので信長本隊が到着するまで待機
→武田の兵は逃げ散っていた、信忠の好判断で速やかに討伐成功
自分の予想より簡単に武田が滅び嬉しい、よくやった息子よ
A武田討伐には信長自身が出馬して威信を見せつけたかったから
信長は武田に深い恨みがあるみたいだからこれもありえる
とくに失敗しなかったから許してやる、勝頼の首は蹴るけど
出馬の準備が遅かったなら@の可能性が高いんじゃないの
織田家臣の命令違反って結構あるよーな。
命令違反も事例によって処罰されたり、されなかったりしてると思う。
司馬の太閤記なんかに
「ここは命令どおり殿に指示を仰がねば」とか
「ここは命令違反でも独自に処理せねば殿の機嫌が悪い」
などの秀吉一流の処世術みたいな、そんなとこじゃないのかな。
374 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 09:18
信長は何もせずにただやられてるだけってのに一番厳しいからな・・・。
375 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 09:30
>>371 信長が勝頼の首を侮辱したとかは、創作という説もあったが?
376 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 09:47
>>375 たしか、信長公記の記録でなかったかな?
信長が勝頼の首を蹴飛ばしたの本当だと思う。
また、勝頼を盛信、信廉、信勝と共に京都で獄門に晒した件自体、侮辱とも言えると思うがる
377 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 09:50
なんにせよ、長年、苦しめられた、
朝倉義景、浅井久政・長政の首に金箔を貼って、
酒の肴にした信長ならありえる話しだよ。
少なくとも死んだ勝頼に敬意を表するなんてことはなかっただろう。
378 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 11:35
信長公記だと信用できるかもしれない
ような気がしないでもない
379 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 12:26
信長が自分の倒した敵に敬意を払った例ってあったっけ?
そういえば、義元の首はどう扱ったの?
381 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 12:46
>>380 今川義元の首に関しては今川軍想崩れの中、岡部元信が一人、気を吐いて、
尾張にとどまって抗戦し、主君の遺骸を引き渡すように要求したため、
彼に渡して退却させた。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 13:01
>>379 ぬう、家臣で生きて奮戦した相手やなら、敬意を払ったことはある。
しかし、倒した相手はね。
今川義元、斎藤竜興、北畠具教、六角父子、浅井父子、朝倉義景、
足利義昭、波多野父子、一向一揆、一色一族、武田一族、
あんまり、敗者はかんばしい扱いを受けてない。
強いていえば石山城を講話したくらい。
383 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 00:30
>>382 石山はどうやっても埒があかないんで、天皇に頼んでやっとこさ講和しただけ。
別に信長が敬意を表したわけじゃあない。
信長の行軍はほとんど物見遊山だったつーぐらいのろのろしてたらしいから、
始めから信忠に攻めさせる気だったんじゃないの?
織田・武田・北条の合同作戦だったから、武田軍が二万いても
分散されてしまうのは目に見えてたし。
384 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 00:36
気が付いたら信玄の行軍路の話から織田軍の行軍路の話になってる。
やっぱり武田には華が無いのかのう・・・
385 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 00:37
馬鹿言うな
386 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 00:39
>>385 すまん、言い方を変える。
「武田家は夕焼けに染まる朝顔のようだ」
武田は勝頼ほかになし
388 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 01:27
>>383 二万の兵員どころか、武田滅亡時に組織的抵抗をしたのは
仁科くらいなんだよね。
甲乱記によると当時の甲斐は大混乱で抵抗どころではなかった。
日頃から年貢を厳しく取られた恨みから、武士の財宝や妻女を掠めとろうと地下人が一斉に蜂起し、西に所領を持つものは東に逃げ、
東に所領を持つ物は西に逃げ、穴山梅雪の所領に逃げ込む者もいたそうだ。
389 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 01:32
武田はただでさえ、租税や軍役などの諸役の負担が高かったのに
新府城の建設やその他の軍備増強で
さらにさまざまな諸役をかせられた、その為、領民や領主の恨みを買いソッポを向かれた。
390 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 01:36
人は城、人は石垣じゃなかったの?
391 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 01:44
得てして滅亡する時は雪崩を打つが如しですからなあ。
まあこれは重税とかなんとかと言うよりは、兵力の根幹を成す
国人領主たちが有利な方へ一斉に寝返るからなんですな。
こと重税で織豊政権に敵うものはありませんからな。
まあ『甲陽軍鑑』『甲乱記』などの悲惨な描写もまた型通りの
描写というか何というか。
穴山の寝返りが無ければ諏訪上原城に集結した武田軍二万と
織田信忠軍四万の合戦が見られたかもしれませんなあ。
上原城を引き払って諸将を解散した時からは、もう悲惨でしたな。
ケンカはビビッたほうが負けだもんな。
393 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 11:09
ちんこまんこ
394 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 11:27
>>390 その「人」を纏められなかった結果が武田家滅亡ですね。
395 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 14:05
>394
その責任の半分は信玄にある
396 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 15:06
397 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 19:05
勝頼の性格は傲慢だったと記憶する
398 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/09 15:10
木曽ヨシ
399 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/09 15:36
マサ
400 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/09 15:44
勝頼2万対信忠4万
圧倒的に信忠有利だが。
だが。
勝頼と信忠の武勇も圧倒的に勝頼っぽい。
信忠が勝つにせよ、戦国屈指の戦いになったような。
401 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/09 15:47
日本人の判官びいきって口だけなんだよな
402 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/09 16:41
一益が補佐しているから大丈夫
403 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 04:36
そうかい
404 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 04:37
信忠くんは補佐してくれる人がいていいな〜
406 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 04:42
お前には朝比奈泰朝がおったろ。
408 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 04:53
じゃー三浦右衛門佐は?
俺を補佐する奴がマジでいねえよ
有能なのな
410 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 12:32
ちゃんと真田昌幸の言うこと聞いていたら
滅亡はしなかった
411 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 13:33
>>410 禿しく同意
小山田信じたのが最大の汚点
412 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 13:36
真田と小山田なら小山田を信じちゃうわな・・・・
413 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 13:39
そうか?
木曽路って蕎麦屋はうまいのか?
415 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 13:49
>>1 2ちゃんねらーが誰も「武田騎馬軍団VS織田家」のスレを
立ててくれなかったから。
416 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 13:57
>>410 >>411 美濃を制圧した時点の織田家が、突如武田家に攻められて、滅亡
寸前になったと仮定して、徳川家と甲賀忍者(滝川一益)の
どっちを頼るかという選択をしたら、普通は徳川家を選択して
当たり前ではないか。
417 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 14:00
>>416 そのたとえはちょっとどうかと思うが。
俺も小山田と真田なら小山田を信じちゃうな
418 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 14:50
累代の譜代と先代から仕えた、しかも信濃衆の外様、うーん
小山田を選ぶのも仕方ないかなあ。ただ、郡内に逃れても逃げ場
がないというのも事実だし・・・。勝頼が甲斐で死にたいと思って
いたのなら、この選択も間違いではないかも。
419 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 16:53
>>418 それを言うたら上州に逃げても逃げ場は無いと思うが……
むしろ移動距離が長いため、女子供老人連れての行軍は不可能だと思われる。
北条に補足される可能性も増すし。
>>419 確かに上州行きを選んでも、展望が暗いのは事実だと思う。
それならいっそのこと甲斐には帰らずに、そのまま上州に落
ちたほうが良かったのではないか?当然、女、子供は見捨てる。
甲斐に戻らないからタイムロスも少ない。それに裸同然で上州へ行く
よりもこちらのほうが軍勢が多い分だいぶマシだろう。
この状況なら真田の狙いのひとつだった上杉の支援も得やすい
かもしれない。(まあ我ながら望み薄だとは思いますが)
ご指摘の通り、どちらを選んでも必死の情勢ですが結局のところ彼は
(ナイーブな見方かもしれませんが)勝負の行方には見切りをつけてい
て、上州に落ちて野垂れ死にするより、武田家数百年の本拠地甲斐で
最期を迎えたかったのではないでしょうか。
もしそうでないのなら、彼にはもうちょっとあがいてほしかった、と後世
を生きる自分は勝手なことを考えてしまうのです。
信廉叔父上ではなく信繁叔父上が生き残っていれば俺の力になってくれたろうか?
生島足島神社にある信玄の願文って、本物なの?
423 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 21:07
木曽方面には大量の地雷があった。
それを越すのは大変だったからだよ
424 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 21:14
思えば、武田の齒車が狂いハジメタノって、
信繁討ち死にからだよなぁ。
……信繁が生きていたら……
信繁ならば、勝頼を補佐した気がするが。
どっちかというと、信繁が信勝の後見人になりそうだ。
426 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 21:43
>>420 穴山が寝返った時点で勝頼はもう死ぬことを決めていたんじゃないか
という気は、確かにしますね。
>>424 信豊も勝頼をよく補佐してるよ。
427 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 23:36
>>426 でも、高坂が殺せと言った親族衆に、信豊もはいってなかったっけ?
428 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/10 23:42
長篠の戦い以後に武田軍の再編成が行われれば少しはマシになったのでは?
429 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/11 00:01
>>427 もうあの辺は『軍鑑』も無茶なこと、平気で書くから。
430 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/11 00:31
最近、甲陽軍鑑見直しの意見が出てるけど、
あの本って
「武田軍と上杉軍が合戦を終結させるため、
相撲勝負で紛争地の領有権を決める事になり、甲軍のデカが越軍のチビに負けて土地を取られた」
とか無茶苦茶なことも書いてあるんだよね。
431 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/11 09:59
まあ参考程度にッてことで
432 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/12 00:07
まあ『甲陽軍鑑』を完全に排除したら武田家は語れなくなるしね。
勝頼「ワシも設楽ヶ原の敗戦で学んだつもりよ。戦う気の無い者を戦場に置けば士気が奮わないのはしかり」
434 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/12 15:44
それからどした
436 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/14 23:58
あげ
437 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/23 17:38
度々度度々度々小戸度々度々度々小戸度々度々度々度度々度々度々おどおどおどおど緒おどおど度々おどどどどどどどどおどどどどどおdなっておる
438 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/23 18:14
終了
439 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/25 23:28
織田厨がおおいな(藁
440 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/27 23:07
信玄公は天才です!!
他の大名が何人かかろうが負けません!!
441 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/27 23:28
あげ
442 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/28 23:35
信玄は織田なんかいつでも倒せると思っていたのでしょう。
間違った認識ではありませんが愚息には荷が重かったようですね
443 :
根本的な疑問:02/02/28 23:44
叩かれそうだけど
なぜ上杉や武田や北条は連合して織田にあたらなかったんだ?
どう考えても一番やばいのは織田だろう。
信玄は謙信となぜ講和だけでやめたの?
謙信と信玄のダブル進撃ならまちがいなく信長を撲滅できたと思うんだけど
厨房すぎる?
確執がありすぎる?
謙信が義に生きたという俗説があるから?
でも神保氏なども攻略しているから勢力拡大の意志はあったろうし、
伊達や島津同様、謙信も信玄も人身ばいかいをしていたから
全然クリーンじゃないでしょ。
なぜ?
444 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/01 00:07
>人身ばいかいをしていたから
人心ばいかいwwwwwwwwwwwwww!!!!!!!!!!!!!!
オモロスギ!!!!!!!!!!!!!!
間違った認識ではありませんが愚息には荷が重かったようですね
>
信玄は勝頼をあまり後継者にとは考えていなかったような。。。。
たまたま突然の死亡だったから勝頼がなんちゃって跡継ぎ
だったようなイメージがあるんだけど
446 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/01 01:55
信玄まんせーーーーーーーーーーー
あげ
448 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/01 07:34
>>443 >なぜ上杉や武田や北条は連合して織田にあたらなかったんだ?
>どう考えても一番やばいのは織田だろう。
まず北条。これは関東地方だけが大事だから、その時その時の強者に
付いて関東地方だけ安堵させればそれでよいと考える。
それだけに信玄の西上には勝ち目ありと踏んで援軍を送ったが、
その後勝頼劣勢で謙信も死んだとなって織田に乗り換えた。
次に謙信は基本的に室町幕府の枠組みの中で生きる男。
信長が将軍を奉戴している限りはアクションを起こさない。
よって信玄との「ダブル進撃」は時期的に夢のまた夢。
>信玄は謙信となぜ講和だけでやめたの?
和睦してない。
>謙信が義に生きたという俗説があるから?
「義」ではないが「権威」にはこだわっていた節がある。
そうでなければ関東管領になって関東遠征に何十年も費やさないだろう。
>でも神保氏なども攻略しているから勢力拡大の意志はあったろうし、
越中方面への進行は父祖の代からの方針だったし、謙信も踏襲している。
だが関東に時間取られ過ぎ。また一向宗にてこずった。
越中方面に本格的に勢力拡大できたのは本願寺から和議の申し入れが
あったから。
>伊達や島津同様、謙信も信玄も人身ばいかいをしていたから
>全然クリーンじゃないでしょ。
>なぜ?
いやそれは当時の慣習であまり戦略には関係ないぞ。
>>448 北陸方面は一向一揆の本拠地で、
多くの門徒が越後に乱入していた。
越後を安定させるためにも平定する必要が
あったんだろうね。
450 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/01 23:20
信玄様こそ最強ですよ
451 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 21:04
信玄はあまり頭が良くない。
451もなー
453 :
名無しでGO!:02/03/02 22:19
そいいえば、たしかに勝頼が正式な後継者と認知されてたかっていうのは疑問だね。
某氏の歴史小説にだまされてたかも。
454 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 23:04
小説なんてのは話半分に読んどけ
455 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 07:44
木曽路はすべて街の中
しゃぶしゃぶ喰いてぇ。
456 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 09:36
>>443 まず、信玄と謙信の友情だとかいう、講談的な話しは信じるべきではない。
武田方の記録にも上杉方の記録にも、相手をネチネチと恨みごとを書いて罵る表現があるばかりだ。
謙信は信玄を領土欲から信濃を侵略する「無法者」と罵り、
信玄も謙信を信濃支配の邪魔をする敵でしかなく、常に「自分より格下の男」とあざけり、憎みあってた。
それと、謙信も信玄も皆が思ってるほど、器量の広い、将来の戦略を見据えた男ではない。
そもそも、二人は北信濃の支配権を巡って10年も争った男にすぎない。
謙信は領国経営と信濃防衛と関東管領の使命を果たすための関東遠征で手いっぱい
信玄は信濃支配など目先の利益獲得に夢中なだけ。謙信と講話する度量などない。
信玄と謙信は不具載天の敵同士で、不戦条約ならまだしも
攻守一体の同盟など無理な話し、
どうしても二人が攻守同盟をするのであれば、
謙信は条件として保護している北信濃の諸将への土地の返還を求め信玄がそれに応じなくてはならないが、
それは、信玄にとっては不可能な相談だ。
457 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/03 09:42
もう一つ言うと信玄と謙信が同盟を結んでも、
謙信は関東攻略に夢中になるだけだと思うが、
実際、最後の大動員も所詮は関東攻略のためにすぎなかったんだし。
謙信は関東管領の使命を果たすのが常に最重要課題で、そのことで頭がいっぱいのようだ。
458 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/07 10:15
良スレあげ
459 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/07 10:34
北条がオダワラにコダワラなかったら天下取ってただろうな。
460 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/07 18:46
信玄も甲斐にこだわりすぎだが
∧∧ ミ _ ドスッ
( ,,)┌─┴┴─┐
/ つ. 保 守 │
〜′ /´ └─┬┬─┘
∪ ∪ ││ _ε3
゛゛'゛'゛
462 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/22 14:59
あげ
463 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/23 00:39
木曾から攻めるなんて予定案にも入ってないし
464 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/23 00:43
甲斐は守りやすい良い土地だよ。
徳川幕府の緊急避難先に指定されてます。
465 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/06 23:29
G
466 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/06 23:36
1よ、木曾から攻めるのは無理だよ。
大軍を進めるには補給線に無理がありすぎる。
東海道を固めた後ならまだしも。
徳川の抑えに兵を裂いて岐阜まで攻めるわけにもいかないし
武田軍優位の山間部なら秋山信友が制圧しているから
徳川さえ降せば完全包囲できる、遠江三河を合わせれば
織田軍と同等の兵力を有するので勝てるっしょ
468 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/08 15:52
ゲームで出来ることを実際に出来ると考えたら駄目やろ。
明らかに木曾から侵攻するのは下策だろ。
補給路を徳川に断たれておしまい。
しかも水軍の方が輸送量も速度も上。
美濃を尾張より先に攻める理由もない。
469 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/08 22:21
敵の本拠を突くのは兵家の常道
何の理由もないと言うのは頭が悪いな
470 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/08 22:25
>敵の本拠を突くのは兵家の常道
>何の理由もないと言うのは頭が悪いな
んなのはよほど条件が揃ってないと成功しないだろ。
さてはオマエ、頭悪いなw
471 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/08 22:28
理由はあるだろ(w
理由のあるかないかを言ってるんだ、頭悪いな(w
472 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/08 22:30
あるかないかだけか。オマエの頭は1ビットだな。
悪い以前の問題か。すまなかったなw
473 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/08 22:31
ぷ、負け惜しみですか(w
474 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/08 22:32
467,478がのべているとおり、それは無茶すぎます。
木曽路は凄いですよ。スキー場一杯あるので是非一度行ってみて下さい。
あ、高速使っちゃダメね。醍醐味伝わらないから。
でも街道としは当時から一流(何じゃそりゃ)
は、ともかく
信長の武田攻で木曽口からも進行できたのとは状況が違いすぎます。
信長の時には木曽口〜塩尻だけでなく飯田口〜伊那口、そして駿河からも軍を進めています。
包囲体勢を取りながら、戦力的に圧倒的に有利な状態で兵を進めています。
つまり、背後の憂いは無く物資の輸送に問題が無いわけです。
武田の場合はね…。飯田口の先は徳川で、駿河も遠江から守って、
狭い美濃に本体?
しかも甲斐〜諏訪〜塩尻口〜木曽〜岐阜って難所ばっかりな上、東海道ルートより時間かかるよ。
>ゲームで出来ることを実際に出来ると考えたら駄目やろ。
>明らかに木曾から侵攻するのは下策だろ。
468のこれにつきるね。ちなみに出展求める人がいたら明日まで待って。
本棚発掘してくるから。たまたまこの前偶然色々見てたので…。
あと、高遠城ですけど一度花見に来てください。資料かもあっておもろいかも。
476 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/09 18:56
>>469 じゃあ美濃から攻める理由はなんだ?
いきなり美濃を攻めて勝てるのか?
尾張からで十分だろ。
477 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/09 19:06
突然の質問ですいません・・。
武田の軍師って中村かんすけって名前だっけ?
そんなに優秀な人物だったのかな?
>>477 後、現在に伝えられてる業績はほとんど眉唾もの。
実在はしていたらしいが、信玄に助言できるほどの身分
じゃなかったらしい。
480 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/09 19:14
>>478-479 レスありがとうございました。
中村勘九郎となんかダブってました。
山本さんは事実では三下みたいですね、情報ありがとう。
481 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/09 19:28
荷駄には大規模な護衛部隊を付けることによって何とでもなる。
(武田の場合名だたる武将が荷駄隊を任されることも多いし)
前にも書いてあったけど、問題は補給よりも
木曽路では大軍が展開できないからでしょ。
長期戦になればなるほどジリ貧だってのは武田も分かってたはずだし
短期決戦を望むには木曽路は不利な地形すぎる。
1582年の織田による侵攻はすでに木曽義昌が
織田方に寝返ったから可能だったんだよ。
>>481 てーか、荷駄隊に大規模な護衛つけなきゃいけない時点で失敗
だと思うが。
483 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/09 20:25
日本の戦国期の軍隊はおおむね10%以上の兵力を
荷駄周辺に展開させて補給の安定を図ってる。
484 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/09 20:27
485 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/10 00:23
木曽から東山道を進むのであれば補給よりも兵力分散が痛い。
ただでさえ国力で劣るのだから家康を抑えるために兵を残して
残りだけで織田信長と当たるのは無理がある。
飯田から遠江に出て家康の領地を横切りながら拠点を潰していき、
おそらく最後は吉田に家康を閉じ込めたまま岡崎を攻めたと思う。
家康相手ならば病気でさえなかったならどうとでもなっただろうし、
遠江と三河の兵を加えて全軍で尾張に進めば信長とも戦えたのでは
ないか?
なんか、雪で上杉が動けないあいだに織田を叩く短期決戦の予定だった
ような話を聞いたことがある・・・
487 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/10 06:08
上杉は一向一揆で動けないようにしてたYO!
488 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/10 10:18
しかも北条でてきたら謙チンは関東優先しなきゃなんないしね。
489 :
無名武将@お腹せっぷく:02/04/10 20:23
ここは所詮電波のスレです