1 :
無名武将@お腹せっぷく:
主家を支えた名宰相達。
誰が一番の名宰相なんだ?
2 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 12:36
直江をヒイキしたいが、どうも支持は得られんだろうね。やむなしね。
3 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 12:37
吉川の馬鹿を、残り二人と同列に並べるな、ヴォケ!!!!
4 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 12:38
消去法で片倉だろう
6 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 12:39
小早川は?
7 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 12:44
吉川が名宰相ってことはないわな
こいつのせいで毛利は大減俸くらったんだし
8 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 12:47
9 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 12:50
>>8 直江は絶家してまで家を守ったじゃん
それに拾家は汚い裏切りの上での大減俸だもんな
減俸+家名を貶めた馬鹿家臣が名宰相なら日本中名宰相だらけになっちまうよ(笑)
10 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 13:16
直江兼続 カス
吉川広家 カス
片倉景綱 マアマア
11 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 13:17
よかれと思ってやったのに
13 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 13:23
片倉家はいいよなぁ
結局、日の本一の兵の血が交じって
そらぁ〜も〜株あがりまくりじゃん!
14 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 13:26
15 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 13:31
でも広家いなかったら御取り潰しだったヨナ-
だのに村八分にされて悲惨と同情する広島県民は
俺だけなのか?俺、唯一広家が毛利家中で当時軍事が分ってた
武将だと思うんだけど・・・
16 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 13:35
>>15 ハァ?
吉川が関が原でいらんことしたから120万石→36万石になったんだろ。
吉川の武将が皆、関が原戦でこの後ろから家康本陣を突けばお味方勝利間違いなし
と広家に意見したのに馬鹿広家が家康を信じた結果がごらんの通りなんだよ。
糞スレ立てるな。
>>17 誰に向かって言ってんの?
おりゃてててねーよヴォゲ
20 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 13:52
吉川が律儀に家康に突貫しても小早川の大部隊が寝返ってる時点で
無理な気がするし、吉川だけを責めるのは理不尽だと思うんだけどな
しかもどう「勝てたはず」っても、調略こみで負けてるしな
結局、吉川も石田本陣に突撃するくらいやったら減俸せんかったろうに
弁当ばっかし喰ってるのがいかんかったわな
21 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 14:07
広家が邪魔せずに西方になれたら、小早川の寝返りもなかったかも。
であれば、少なくとも関が原での戦は勝てたでしょう。そのまま順調かは別だが。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 14:28
最終的に1万6000石の城持ちになった片倉小十郎が一番じゃのぉ。
>おりゃてててねーよ
うけた(w
24 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 16:21
25 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 17:08
>>13 >>24 片倉重長は真田幸村の娘を側室にしただけで、二人の間に子はなかったと思ったが。。。
26 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 17:12
>>25 司馬遼の城塞には子供あったって書いてあったよ
27 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 17:21
>>25 側室は不味いだろ〜後妻さんだったらしいよ
28 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 18:10
>>15 軍事わかってても、政治わかってなかったからね。
関ケ原後の領土再配分の時
いったいどこをもらうつもりだったんだろーね?
29 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 18:17
ゆきむーたんのむすめってことはぶっさいむすめっこだったろうなー
しげちゃんかーいそ
30 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 18:41
>1
三人とも宰相じゃないだろ。
31 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 18:46
>>20 小早川が裏切る前に毛利本隊が家康の本陣を突けばそれで済んだ話。
このスレの趣旨は広家一人が悪いかどうかではなく、広家が名宰相かどうかだと思うが、
彼の読みの甘さはどう贔屓目に見ても名宰相とは言いがたいと思う。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 19:23
小早川が裏切る事も知っていただろうし
大体輝元が出馬もしてないんだから仕方ないだろう
大将が乗り気でないくせに部下に責任をなすりつけるなよ
33 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 19:26
隆景の死後は一応輝元の軍師
34 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 19:29
>>28 中立で所領安堵の筈、どっちに転んでもおいしい選択
元就の遺言とおり家が残ったから幕末に活躍できた、輝元も戦をするなら
中途半端な事をせず天下を狙うくらいの心意気でやるべきだった
35 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 20:04
幸村は人質時代兼続に育てられたんだぞ!
ある意味、幸村の育ての父と言える。
ついでに慶次と友達。
とどめが、家康に送った「直江状」!
直江最強。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 20:05
直江状は汚点だな
37 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 20:53
広家をカスと思ってる人が多いいらしいが、それは違うと思う。
老練な家康&正信コンビのほうが1枚上手だっただけだろう。
それに関ヶ原後、彼の居城となった岩国城を見れば決して彼が
凡将では無かったことがわかると思う。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 20:57
>>35 直江状で威勢のいい事言っ割には、口ほどにもなかったね。
大体三成挙兵を聞いた家康が軍を反転させたときに、追撃していかなかった時点で
こいつはアホなんだよ。
三成の戦略でも家康軍を東西から挟撃するはずだったんだから。
ストップ・ザ・名城=名将。
1人で建てたわけでもなし、不落を謳われたわけでもなし、
清正も同列になるぞ。やだぞ。
40 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 21:05
広家は2流の策士だろ。
物事の見通しが甘すぎた。
毛利秀元みたいに、的確に事態を見通していた奴もいたのにね。
豊臣秀長
関ヶ原前後を語るスレっぽいな
43 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 21:48
田中角栄に比べりゃみんな糞。
>37
まあそれを言ってたら毛利輝元は広島城を建てたから良将とも言える訳で、なかな
か簡単には言えないのでは無いかと。
ただやはり広家の代わりに元春・隆景公を入れて頂きたかったと(地元民としては)
思います。
45 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/25 23:13
年代だな
46 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 00:36
広家名宰相説に一票
47 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 00:40
昔、上越市に住んでいたのですが、クラスに「直江さん」が
いました。可愛い女の子でした。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 00:59
萌え〜
49 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 01:10
角栄まんせー
こいつら糞
50 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 01:37
>>36、38
直江状は偽作らしいから許してやってくだちい。
返状はしたらしいけどああいう威勢のいいものかは不明。
51 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 01:44
主家を傾かせたら名宰相じゃないよな。
小十郎に一票かな。
52 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 03:05
直江さんハァハァ・・・・
53 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 03:13
太原雪斎はどうよ
54 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 08:57
>>53 雪斎もすごいと思うよ。
まぁ、上の3人のなかなら直江だろうな。
広家のDQNは問題外だし。
55 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 09:05
広家はDQNじゃないって。
ただ一事のみを見て、何言ってんだ・・・・
56 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 09:14
>>38 謀略や越後近辺以外の事がどうでもいいのは
謙信譲り。
直江状はハッタリかました訳じゃなく、家康に本気で喧嘩を
売って来いと言う意味だったと思う。
57 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 09:33
羽柴秀長に一票
58 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 09:40
小早川隆景に二票
59 :
名無し募集中。。。:02/01/26 09:52
本多正信は裏切ったことがあるから上がらないのか?
60 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 09:56
太原雪斎葉何した人なの?詳細きぼ〜ん。
61 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 10:03
>>60 googleなんかで検索してみ?
君が戦国史に興味あるなら自分で調べたり
本読んだりしてると、もっと面白くなるよ?
しかし秀吉め、一体何考えて秀秋なんかを小早川の養子にしたんでしょう。
あれなら手を出さない方が良かった。
隆景公が生きておられたらどうされたのやら。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 10:06
秀長とか隆景とか雪斉とかが有能なのは当り前。
ここは、名参謀かどうか微妙な所にいる武将について論じるところじゃないの?
64 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 10:06
>>60 たしか今川義元を補佐した人間じゃなかった?
義元は信長に討たれたから評価が低いけど、なかなかの名君だと思う。
そしてそれを補佐した太原雪斎もなかなかの名宰相。
この人が生きていれば義元が信長に討たれる事もなかったかも。
>>56 >>謀略や越後近辺以外の事がどうでもいいのは
>>謙信譲り。
それなら最初からそういう態度をとれば上杉家は安泰じゃなかったのか。
前田家みたいに人質を家康に差し出すべきだった。
中途半端に戦うそぶりを見せておいて、越後近辺以外の事はどうでもいいって
いうのはあの時代通用しないだろ?
戦うなら戦う、非戦なら非戦で徹底すべきだった。
上杉家は兼続の中途半端な戦略方針で、減封されたと言っても過言ではないよ。
>>65 中途半端に戦うそぶり?上杉は領土内に攻め込まれたら徹底的に戦った
と思うが?討って出なかったのは、狸が上杉の家風を見抜いていたからと
みるよ。現に上杉の家風を見抜いてなかったら、上杉の手に落ちるであろう
江戸を留守には出来なかったのでは?
五大老の中で景勝と家康がソリが合わなかったのは
確かだろうし、少なからず実直な家柄で鳴り響いた上杉家を
三成が豊臣の為にと色々と目をかけていただろう。
中途半端な戦略と言うが東軍が勝ったのは、戦略より
謀略と見るが?。
>>67の
補足: 家康が大阪城内で秀吉無き後、我が物顔で
取り仕切っていて秀吉の遺言や取り決め(両家だけの勝手な婚姻等)を
守らなかった事実がある事を書いておく。
69 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 10:45
>>67 全部ひっくるめて戦略だろ?
個人的には、戦略面含めるとこの頃の上杉家も、直江も、
まわりに思われていたほどには
(秀吉に持ち上げられてたほどでは)
強くなかった、とは思う。
自他共に「そう思わせる」くらいの実力はあっただろうが。
実力、器的には、100万石クラスではあるが、
天下をどうこう出来る家でも、その家老でもなかったのじゃないかね。
>>中途半端に戦うそぶり?上杉は領土内に攻め込まれたら徹底的に戦った
>>と思うが?
確かに戦うそぶりというのは言いすぎだった。
でも攻め込まれたら徹底的に戦っておいて、家康が軍を反転させたら後は
知らないという態度は中途半端と呼ぶに値すると思うが?
>>討って出なかったのは、狸が上杉の家風を見抜いていたからとみるよ。
>>現に上杉の家風を見抜いてなかったら、上杉の手に落ちるであろう
>>江戸を留守には出来なかったのでは?
俺もそう思うよ。上杉家の家風というのも理解はできる。
でもだからと言って家康軍を追撃しなかったのは理解できない。
そもそも兼続は家康vs三成の戦いをどちらが勝つと思っていたのだろうか?
家康が勝つと思っているなら、最初から家康に対して前田家のように
人質を出して恭順の意を示しておくべきだった。
そうすれば加賀100万石のように領土は安堵されただろう。
三成が勝つ、あるいは家康の勢力には付きたくないと思っていたなら、
家康を追撃して徹底的に叩いておくべきだった。
家康が三成との戦いが終わった後に上杉家をそのままほうっておいてくれる
と考えていたなら、見通しが甘いし、名宰相などとはとても言えない。
>>69 全てひっくるめてだな、確かに。
でも当時の越後兵は最強と謳われていたからね。
上杉が関が原に向かう東軍を突かなかったのは戦略で見れば
失敗だったろうなぁ。。。まあ、ここで問題なのは最終決断は
直江じゃなくて、景勝にあったと見なくてはならないかもね。
>>70 すまん。>71のレスの最後の方に言いたい事が書いてある。
俺も家康を追撃しておくべきだったと見るよ。
だけど権限は景勝が握っていて、直江はあくまでも
決断を下す立場では無かったと言う事が言いたい。
>>71 越後兵が、この頃でも日本屈指の精強さだったことは間違いないだろう。
ただ、天下を取る戦略、その意思、気概、総合的な実力において、
やはり秀吉、家康と同じ土俵には上がれていないと思う。
この頃の大名、それも100万石級で考えてもトップクラスであることは
間違いないのだろうが、それでも家康とやりあうには、
「あそこでこうしとけばよかった」を全部実行してても、勝てなかったんじゃないかな、と。
ただ、「あそこでこうしとけば・・・」という幻想を
自他ともに(徳川家中にも)抱かせるだけ実力はあった、と思う。
>>だけど権限は景勝が握っていて、直江はあくまでも
>>決断を下す立場では無かったと言う事が言いたい。
そうだね。俺もちょっと兼続にきつい評価をしすぎたかも。
確かに景勝が否と言ったら、兼続はどうもできんよな。
75 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 11:07
吉川広家は語るに及ばないと思うが。
片倉景綱について誰レスっておくれよ。
>>73 >>74 秀吉無き後に関が原と云う戦いが起きたのは家康の地位が
揺るがないものとなっていたと読めるし、その結果反発分子が現れて
家康も反発され争う事を望んでたと思う。
だから、家康が一番あの戦いに賭けていたと思う。
ぬかりなく謀略や戦略を重ねた家康が一枚上手なのは確かだね。
後、北の政所が三成嫌いなのが東軍の勝因かも(w
答えになってなくてスマン。スレ違いになりそうだからそろそろ落ちます。
38さん69さん楽しかったです。では・・・
俺も楽しかったよ。
ジャア、マタネー。
78 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 11:36
上杉が前田みたいに人質差し出して領土安堵してもらってたら
今日の景勝・直江人気はなかったと思うYO!
>>78 難しい所だね。
名を取るか、実を取るか。
ただ一国の君主で配下の生活の面倒をみる、という責任がある以上は、
名より実を取った方が良かったかもしれない。
80 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 13:59
直江のどこが名参謀なのかわからん
81 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 14:12
>>79 戦後、兼続の農地改革のおかげで、
30万石が実質100万石になったんだろ?
82 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 14:24
てことは上杉鷹山のころでも実質50万石はあったと?
83 :
名無し募集中。。。:02/01/26 14:50
直江の顔グラフィックは天翔記→将星録でいきなりカッコよくなった。
逆に上杉景勝はいきなりダサくなった(w
84 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 14:58
でも今の景勝の顔グラ、肖像画に激似だと思ふ。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 15:11
てことは景勝の顔はダサイと。
86 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 15:35
景勝も直江もよぉ、あっさり降伏するぐらいならハナから喧嘩売らなきゃいいじゃねーかyo!
87 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 15:36
>>86 広家がちゃんと背後を突いて西軍勝ってればこんなことにはならんかった。
やっぱドキュソは広家(w
88 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 15:45
景勝直江、調子に乗って挙兵
↓
関ヶ原で東軍大勝利
↓
景勝直江あっさり降伏
↓
120万石から30万石へ大減封
↓
ウマー
うまくねぇよ、大方の諸将たちは降伏に反対してた。。。
直江たんハァハァ・・・・
90 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 21:29
広家のせいで豊臣家が潰れたと言っても過言ではないね。
91 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 22:31
広家は最初から東軍に付きたかったんだろ?あんこくじと対立したのが
悪かった。
簡単にアレコレ言えない人間の深さがあるのが戦国史。
勝ったら何でもありが家康!後々、少しでも害になりそうな福島もお家
取り潰しされたし。
92 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 23:37
>>91 その人物がどんなに凄かろうと、後世の人間は結果からしか判断できない。
結果だけみると、
奥州の暴れん坊、政宗を支えた名参謀、片倉小十郎。
謙信以来の武門の意地を貫き通した上杉家の名宰相、直江山城守。
関ヶ原での背信行為、毛利家衰退の元凶、奸臣、吉川岩国領主。
93 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 23:59
>>92 意地のために貧しい暮らしをさせられた家臣たちはたまったものじゃないけどね。
でも直江の家を潰してまで主君に尽くした兼続はたいしたものだ。
94 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:04
>>93 家臣たちもそれだから着いていったのだろう。
西の謀略好きゴチャゴチャ事を荒立てるバカ家臣団ではなかったのだから。
江戸時代でも今でも新潟辺りでは謙信を尊敬してるし。
義を重んじた謙信の意思を景勝は継いだまでの事。
95 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:13
あれは厨臣、だな。
上杉家の兼続。石田家の左近。毛利家の小早川親子。
秀吉の人材の使い方はすごいよ。
これで利家が生きていたら家康は五大老で終わってたと思うけど。
96 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:18
97 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:23
仮に毛利本隊が家康に襲いかかって一時の勝ちを拾ったところで、
秀頼ー輝元ー三成の体制で安定した政権運営がなされるとは思わない。いずれ崩壊して、毛利家だってどうなるかわからないだろう。
南宮山での広家の考え方は中国大返しのときに秀吉に襲いかからなかった小早川隆景の発想と同じなんだよ。
98 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:24
>95
何が言いたいのか、よくわからないんですが・・・・
99 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:25
いずれ崩壊して天下が取れるかもよ?
100 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:28
だからと言って家康を三成より組み易いと見るかね?
発想は良かったけど隆景には遠く及ばないな…。当然だが。
101 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:31
元就のねらいどおり明治維新の主役になれたからいいんだよ
102 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:32
103 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:34
>95
兼続と左近が家中で重用されたのは秀吉の口利きってか?
家臣団のトップを自分贔屓にすることによっていざって時豊臣方につける。
もしそうなら秀吉の読みは当たったことになるが。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:34
>>97 秀吉は織田家の一武将、家康は東軍の総大将。
どこを同解釈すれば同じ発想と言えるのか理解に苦しむ。
105 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:34
>>97 最後の一文には同意。
ただ、広家は、西軍についたら「一時の勝ちを拾える」とは思っていなかっただろうな。
どう動いても家康が勝つ、と判断した上で、安国寺に意趣返し。
その手段としては、叔父が昔取ったスタンスがいいから真似しよう・・・
ということじゃない?
106 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:37
西軍が負けた後でも戦前の密約が守られると信じた時点で広家の読みの浅さがわかる。
107 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:37
>>101 おもしろい!
しかし残念な事に明治維新の主役になったのは毛利家じゃないんだよな(笑)
108 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:39
>101
というより長州藩として存続した時点で元就の狙い通り
109 :
今だに・・・:02/01/27 00:40
なべおさみの吉川広家・・・
「空弁当」でなく「替え玉」かよ・・・
110 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:44
誰か家康に約束を反故にされ慌てうろたえる広家の画像アップしてくれ。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:44
>106
まあ、その点はね。
本当は広家としては輝元も毛利本隊も広島から動かしたくなかったろうな。
それが安国寺に先手を打たれたから、中途半端な動きしかできなくなった。
112 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:45
>110
葵の総集編には収録されなかったからねえ。
なべおさみ「やんぬるかな!」
113 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:46
安国寺の馬鹿たれが悪い
広家の浅知恵が悪い
輝元の腰抜けが悪い
114 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:48
>>97,104,105
広家というか、毛利には常に隆景の外交策が念頭にあったんじゃないか?
元就の遺言が大前提として、それに沿って豊臣政権で成功した隆景パターンは、
毛利の基本戦略として、当然、広家の考えの中心だったろう。
要は、まわりの状況が隆景の時と全然違ってるのに
「自分では隆景の真似してるつもり」をした広家が、
真似にもならずに失敗した、ということじゃない?
115 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:49
安国寺と広家の不仲が原因ってことになるな。
そこを突く家康に負けたんだな。
116 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:50
もし広家が安国寺と一緒になってノリノリで三成に加担したら、それこそ真性のDQNでは?
家康と関係を保とうとした点で、まだまだ常識人と言える。
117 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:52
というわけで、ノリノリで西軍に加担した直江は真性のDQN
118 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:51
広家 大殿が出馬した以上戦うべき、御家を守ためでもそれでは裏切り者
兼継 激しく喧嘩を売って負ける、敗戦後は秀康を頼りすぐに降服
>>114 その通り。
広家のフォローをすると毛利家の事を考えての事って一点。
今の構造改革に似てなくもない。小泉VS抵抗勢力
どっちが吉に出るか。
120 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:50
毛利大減封
↓
広家=「裏切り者!!」と非難轟々
↓
せめての罪滅ぼし、毛利守備のためにと岩国城築城
↓
一国一城令発令
↓
岩国城破却
↓
(゚д゚)ウマー?
121 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:52
>117-120
書き込まれた時間が時系列に沿ってないのは、なぜ?
>>116 何故DQN?
西軍についてればまず、減封はない。
124 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:56
負けるだろ、西軍は
125 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:56
その場合加担するのは三成ではなく豊臣に、だな。
家中をまとめて五大老の職務を果たせなかった輝元にも問題ありかな。
126 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:56
127 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:57
128 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:57
毛利が関ヶ原に出てきたら宇喜多はどう出るかな。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:58
毛利軍が背後から家康本陣襲っても?
ちなみに小早川は正午過ぎまで動かなかった。
広家が内通しても結局、分け与える領土って点で減封されるのは三成も言ってた事だ。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 00:59
>>62 超遅レスですが・・・
秀吉は毛利と縁戚になりたくて,毛利家に秀秋を養子に出そうとしたけど,
「それでは毛利家が豊臣にのっとられる」と,隆景が待ったをかけて
自分の養子にしたんだと・・・・・・思うが,もしかしたらどこかの小説の創作かも.
131 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:00
>125
輝元や景勝なんかに大老をやらせる秀吉に問題あり。
豊臣政権の不安定さを物語ってるな。
132 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:00
隆景ならやるだろ。
133 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:00
西軍についた事がドキュソとはいえない、毛利は西軍なら総大将、勝てば中国の雄
家康についても褒美は少ない、上杉は越後が欲しかったし兼継ー三成のパイプもある
毛利がついた事で西軍に属する大名家も増えたのだから間違った選択ではない
134 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:01
135 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:02
片倉影薄っ。そつが無いとはこういうことか。
136 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:03
広家以降、吉川家が領主止まりで支藩格になれなかったところに、
毛利家及び家臣団の広家に対する恨みの根の深さがうかがえるようだ。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:03
>129
それは広家・秀秋の内通という事実の上に成立した状況でしょ。
広家がノリノリだったら・・・・
黒田如水の喜ぶ長期戦になるか、
秀忠軍合流後やっぱり一日で東軍が勝利するか、
だよ。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:03
>>133 煮え切らない態度を取ったのが大誤算。
毛利家で後に吉川が冷遇されたのもお前のせいで毛利はこうなったと言う
一語に尽きる。
139 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:04
>>133 いまいち意味がわからないな
毛利が西軍の総大将になって勝負に出ていればつじつまは合うが、実際には
輝元は大阪でプルプル震えてるわ、広家は家康と内通してるわ・・・
西軍に属する大名が増えたお陰で得をしたのは勝利を収めた家康だけ。
140 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:04
今日のベストオブスレッドだね、こんな速さでレスがついたのは久しぶり
141 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:05
142 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:05
>135
広家や兼続で盛りあがってるというより、関ヶ原をめぐって徳川萌えとアンチが激突しているように見える。
143 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:06
関ヶ原に勝ったもん勝ち。ってことは戦術が戦略の決定要素に成るんだろ?
それを変えうる力が毛利にあったから家康は広家を利用した。はめられたんだよ。
こいつがいなければ上杉が奥州の押さえに回った意味がある。
144 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:06
関ヶ原の前田地味
145 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:06
広家萌えとアンチじゃないか?
兼続はおまけ
146 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:07
>>139 震えてるというより輝元は3万連れて関ヶ原にくるはずだった。
でも増田奉行が謀叛するって噂に踊らされて出なかった。
147 :
正直・・・・:02/01/27 01:08
毛利萌えの僕としては、元就の孫にして元春の息子・吉川広家を弁護したいのです。
それに豊臣嫌いで滅んでざまあみろって感じだし、家康もは家康で好きなので。。。。
148 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:09
>>146 そうか!輝元はただの臆病者の優柔不断ではなかったのか!
149 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:09
結論:逆立ちしたって家康には勝てません。だって、神様だもん。
150 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:09
>>147 毛利萌えでなんで家康が好きか理解できない。
家康のせいで毛利は苦渋をなめるようになったのだが。
151 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:10
>>146 広家をそっちにまわしておけば・・・・・
152 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:10
>137
秀忠は真田を抜けんだろ。
プルプル.....
154 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:11
>144
まつが直江状みたいなのを書いておけば、ね。
155 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:11
てるくん萌えー
156 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:11
両川とバカ息子どもを一緒にするなぁ!
>>148 臆病者でも3万の直属の兵がいれば心強くなると思われ。
2千程度の安国寺や名束は本当にぶるってたらしいけど。
158 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:12
>>146 違うだろ?
広家が輝元に大阪城にいる様に進言したんだろ?
主家をも謀る不忠不義の奸臣だな。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:12
>152
無視すりゃいい話。現に家康の手紙は届いてからは前進してるし。
こわくなんてないもん!
でもむほんのうわさがあるからうごけないんだもん!
(ほんとはぼくがながしたんだよ、うふふ)
プルプル.....
161 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:14
広家の動きは輝元も了承の上だったんじゃないかなあ・・・
暗黒寺には用心しろ、と隆景も遺言してたらしいし。
162 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:15
広家は本当に家康を頼りにしていたんだね、ある意味先代に忠実とも言える
163 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:15
>>158 そうそう。
増田奉行が輝元離坂後、謀叛を起すって。
輝元を信じさせれる噂を流せる人物として親家康の広家が流したとされる。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:15
宇津井健の輝元はそれっぽかった・・・
165 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:16
結局毛利って死人に動かされて没落したんだね
でも幕末での長州の半狂乱ともいえる倒幕活動って
やっぱりこの時の悔しさが原動力なんだね。
家康が死の間際、徳川を脅かす物は西から現れると言ったらしいが当たってるわけだ。
167 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:20
>165
死せる元就
逝ける広家を走らす
168 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:21
>>166 つーか江戸自体が日本の東端にあるんだけどね(笑)
169 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:21
>>166 毛利家では毎年祝賀の席で「今年は(倒幕するのか)?」という発言が
藩士同士で交わされていたらしいからな。よっぽど徳川を恨んでいたんだろう。
幕末の半狂乱的暴走は、薩摩に利用されてただけのような気がする。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:22
西は京都のことだと思ってましたが何か?
171 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:22
172 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:22
173 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:23
首相大量に出したしいいんじゃねーの>長州
>>168 確かにな。江戸の東は御三家と海しかないな(笑
175 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:30
伊達くんがいるけど、もはやあんまり問題視されてなかったんだね。
>>171 それ事実よ。
年賀のアイサツの時に社交辞令的に毎年やってたって、
で、君主は
「まだ、そのときではない。」って言うのが決り文句だったってさ。
177 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:32
>>175 伊達は距離的に近すぎて返って動きにくかったのかもしれない
178 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:32
江戸に足向けて寝るっていう話もなかった?
西枕になるけど
179 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:33
>>175 伊達は仙台と宇和島に分割されて、芯だからね。
倒幕どころか伊達宇和島家は幕末に徳川家を支えた
四賢侯を輩出したくらいだからな。
180 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:33
181 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:35
秀吉が、人質にきた広家(当時、経言)を小早川秀包(当時、元総)と同じくらい手元に置いて可愛がっておけば、多少歴史は変わったかも?
182 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:36
>>178 幕末には薩奸会賊って下駄の裏に書いて歩く風習まであったらしい。
他人を恨むこと婦女の如しだな。
183 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:37
>>180 そりゃーヒデモトが始めた事だからね…。
つーか、タカモト生きてりゃもうチョットちがったんだろーけど…。
関ケ原だけじゃなくてね・・・。
184 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:38
粘着な家風だ。
185 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:40
>>181 そだね。
なんか好き嫌い激しそうだから、そうしてたら秀家並みにマジで戦いそう。
でも秀吉は広家の親父が大嫌いだったから、無理か・・・。
186 :
信玄の家臣:02/01/27 01:42
187 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:42
秀元は相当頭にきたみたいね。
広家の追い出しも秀元主導だったみたいだし。
以後、毛利家の中心は広家から秀元になったとか。
188 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:43
元春と気が合いそうな奴って…織田に居る?
189 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:43
>>187 秀元。どうせなら関ヶ原で広家を切り伏せてでも
徳川軍の背後を突いてほしかったね。
190 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:44
毛利ってなんか嫌な感じだな・・・
191 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:46
192 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:47
>>191 俺も柴田だと思う。
猿と犬猿の仲だし。
193 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:49
じゃあ中国に柴田がきてたら…話にならんか。
194 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:50
195 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:52
>188
毛利降服後は黒田如水も秀吉から遠ざけられつつあったこともあって、黒田如水とは割かし仲が良かったとか。
四国の仙石・長宗我部・十河トリオと違って、九州征伐の両川・如水はあうんの呼吸だったみたいなことを「播磨灘物語」に書いてあった。
あとは仲がいいかどうかはともかく宮部継潤は元春を高く評価していたとか。
前田利家なんか、それこそ気が合いそう。
まあ、元春は小倉で死にましたが・・・
197 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 01:58
利家は人徳あったらしいね。
けちだったけど。
198 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:00
>193-194
本能寺の時点で鳥取城ぐらいの感じでしょうか?
宇喜多は織田方に回っていたかどうか。
199 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:00
片倉君が仲間外れにされて泣いてますが、どうしましょうか?
200 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:01
>200
ネタふって。
ところで、どの片倉君
1.西郷輝彦
2.幸村の娘婿
201 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:02
199の間違いでした。
202 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:02
片倉は誰が評価してもなかなかの名参謀ちゃう?
大失態をやらかしたことってないよナー
203 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:03
ふと気がつけばスレ違いな話題で200。
204 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:05
それだけに話題がない。というか知らない。
「城塞」の幸村の娘との出会いはなかなか渋くて良かったな。
今まで見たことがないぐらい美しい幸村の娘萌え〜(実際はどうか知らんけど
205 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:06
>>202 つーか、つかえた君主に恵まれてるってのもある。
輝元が「ヒロイエの行動を先読みして手を打てるだけの聡明さ」を持ってれば、
安心して、切腹でもなんでもしたんじゃない?
206 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:09
直江は隆慶一郎の印象が強くて美化してしまう。
207 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:09
つーか政宗の守役だからな
主従の呼吸はピッタリ
208 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:10
広家は周りが使えない奴ばかりだったということか・・・
そういえば、NHKの歴史番組で作家の浅田某が「毛利家にあって彼だけが状況が見えてた」とか言ってたな。
209 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:11
>>208 確かに時代の流れは見えていたのかもしれない。
しかし肝心の毛利家中が見えていなかったのが痛い。
210 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:12
えらい勢いでこのスレのびてないかい?!
直江は忠義を重んじたまで。よって他大名のような浅知恵や
損得で動いたわけではない。
211 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:13
通常の3倍のスピードで動く暗黒寺に出遅れた。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:14
豊臣家への忠義というのがわからん。
五大老とはいえ、上杉は所詮外様だぞ。
213 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:14
忠義とかじゃなくて単に家康が嫌いだったんだろ。。。
214 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:15
上杉・毛利は豊臣政権を存続させるのが正解だった。
だから直江>広家なんだよ。
215 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:15
存続できなかったじゃんよ(藁
216 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:17
その原因が毛利にあるんだろ。
217 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:17
>豊臣政権を存続させる
無理
家康、如水、政宗・・・野心家がわらわらいるし。
218 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:18
豊臣から天下を奪うのが正解
219 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:18
十年もてば家康が死ぬんだから…。
220 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:19
豊臣から天下を奪おうとすれば徳川が毛利のスタンスになるだろ。
221 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:19
所詮は外様大名中心の連合政権。
すぐに崩壊する。
222 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:21
隆景と利家の死が五大老を崩したな。
223 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:22
>>212 世の中が安定に向かってたのを、家康の野望から
争いになったわけよ?
それを五大老としてそのまま動いたまでの事。
外様と言っても徳川幕府から締め付けを厳しくした家康が
印象悪くしたんだよ。
224 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:23
>221
はげどー
旧織田系の武将だって、ほとんどは元同僚だし。
225 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:25
旧織田系の武将挙げてみな。
226 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:25
朝鮮出兵やら人の女房に手を出したりするような奴の一族をそのまま政権の座に着かせておくこと自体、悪なり!
227 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:28
仮に秀吉が最後までまともで家康に禅譲したとすれば、
理想だったかもね。
228 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:32
家康と利家のいない3大老で豊臣家が
安定政権でありえたかってのは疑問だよね。
第二の家康なんて、九州と東北に一人ずついるんだから…。
229 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:33
つーか抑えきれずにまた群雄割拠の時代に逆戻りだろ。。。
230 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:34
片倉萌えの人、そのへんどうよ?
231 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:41
>>228 秀吉が死んでからは家康の一人舞台だったろうね。
家康はあまり好きではないが300年も機能させた幕府を
作り上げたのは大したものだ。
まあ幕末の動乱も半分は外圧で起こったものだから、
家康がこの国を知り尽くして、洗練された幕府を作ったのは確かだ。
232 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:43
関ヶ原のあと、直江山城ってどうなったの?
233 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 02:47
おひっこし。
234 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 03:05
>>231 謀略の数々をしてきたから、他の人間を信じる訳も無く
その結果かなり陰湿な幕府を作って、島国根性の基礎となった人物が
家康。
235 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 03:08
>島国根性の基礎となった人物が家康。
鎖国をやったのは家光からだが・・・
家康は貿易にも熱心だったぞ
236 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 03:38
>>235 三戦板住人にそんなこと言っても無駄無駄。
237 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 04:20
無駄無駄。
238 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 04:55
俺の性格がせせこましくて陰険なのは400年前の先祖のせいです。
239 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 05:20
俺が童貞でヒッキーなのも家康のせいです
240 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 05:37
我々は秀吉&家康に感謝すべき、今の日本の生活があるのはこの二人のおかげ
安全 規則を守る 勤勉 権力者に逆らわないetc…
外国にいくと日本のすばらしさとそれを作った二人に感謝の気持ちを感じるね
特に秀吉の刀狩は世界的にも奇跡じゃないか?それを持続させた家康も偉い
>130
毛利にやろうとしたと良く言われますが、それやったらもっとDQNでしょう。
>234
明や朝鮮よりは対外政策が(海側には)盛んでしたし、逆にヨーロッパ人の行動が
異常だったとも言える筈。第一日本人には「鎖国」という意識は無く、この言葉は
ヨーロッパ人が使用したものを幕末に訳したもの。
242 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 08:35
>>225 前田、池田、森、蒲生、丹羽、堀、生駒、稲葉、中川、筒井、細川、みんな豊臣家を見限った。
243 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 09:50
誰も景綱のこと言わないんで、俺が書こう。
景綱は秀吉から大名に取り立てようと言われたときに即座に断っている。
直江をはじめ、主だった武将が受けたのに、景綱は伊達家に骨を埋める
覚悟だと言って辞退した。政宗は真っ青になったが、秀吉は感嘆したらしい。
後に家康が江戸屋敷を与えようとした時にも固辞。自分は生涯伊達家の家臣で
あるという立場を貫いた。小田原の役の時には家中のほとんどが主戦論を唱える
中にあって、殺されるのを覚悟で降伏論を説き続けた。結局、伊達家は遅参を
咎められたが、奥州仕置きを受けなくてすんだ。最後には要衝白石を任されて
いるから、政宗の信頼も並々ではなかったはず。子の小十郎は大阪の陣に参戦、
鬼小十郎の異名を取るほどの活躍ぶりで、天下に名を知らしめた。
ということで、
片倉>>直江>>>>>>>>>>>>>>>>>吉川
244 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 11:49
>>243 ちくしょう、あまりの名宰相っぷりに涙が出るぜ!
他の二人と比べるなんて失礼じゃないか!
景綱マンセー、マンセー!
243マンセー、マンセー!
それでも「命がけで降伏論を」とか、他の大名家の話よりどうもスケールが
小さい気がします。伊達信者しか誉めない逸話では。
国土防衛=国内戦の英雄の目立つ韓国の英雄みたいな感じがするというか。
それに伊達家自体歴史への影響が強かった訳では無い筈。(小説除く)
246 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 12:02
>>243 秀吉や家康の大名取り立てを拒否したってあたりは、泣かせるね。
247 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 12:04
>243
広家は爪の垢煎じて飲ませてもらった方がいいよ。
248 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 12:07
>>245 伊達がイスパニアに使者を派遣して、
イスパニア艦隊の来援を請うたのを知らんのか?
伊達幕府式目を作ってみたり、他の地方大名とはスケールが違う。
249 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 12:10
しかし結局は命を永らえたほうが勝ちなわけで
直江兼続の直江状などは結果として
関が原後の会津没収に一役買ってしまったわけだ。
主君の暴走を抑えきれなかったという点で直江が
片倉に劣ると考えるのも道理といえる。あの暴走キチガイ
政宗を抑える方が景勝抑えるより大変だろうし。
250 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 12:14
>>248 最近では、あれはソテロの暴走という説がある。「修道僧にしておくには
惜しい野心家」というのが当時のヨーロッパでのソテロ観だったらしく
実績をあげるために大風呂敷を広げたらしいんだな
実際、伊達家はサンファンバウティスタ号を作るのに技術がないため
わざわざ幕府から船大工の派遣を要請しているし、派遣にあたっては
幕府が相当関与しているのが資料でも伺える。政宗としては貿易以外
それほど考えてなかったというのが正直なとこだろう。
>>245 名宰相というものはそつなく、状況に的確に対応できる者を言う。
主家を結果として減封に追いやるのはDQNのすること。
スケールが小さいとか伊達信者以外誉めないというのはどうかと思う?
それに伊達家の歴史への影響は大きかったはず。
というのも、関ヶ原で上杉を牽制し続けたのは伊達家。
家康を追っていきたくてもいけなかったのでは?
>248
結局何にもなりませんでしたが・・・。第一1603年以降オランダやイン
グランドに押されていたスペインに何を期待したのやら。
発想はすごくても、格好だけでは意味がありません。
253 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 12:23
片倉は地味かもしれないけど、名宰相って呼ぶにはふさわしい人物だな。
254 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 14:47
255 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 14:53
>>248 他の大名と違って自分の能力の限界を悟っていなかっただけ。
その証拠に思いっきり空振りしたしね(笑)
256 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 15:17
257 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 15:19
やっぱり、吉川や直江みたく大博打を打った人間はどうしても派手でカッコイイイメージがあるね。
片倉が日本史の教科書に載ることはまずないでしょ。
258 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 15:26
259 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 15:27
ていうか主君の政宗が大博打大好き人間なので地味で堅実な
小十郎や綱元タイプがいないと伊達家はかなり大変なことになる。
なんつーか、直江ってどちらかというと成実タイプだよな
260 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 15:28
>>257 吉川は博打でイカサマをしようとしてへましただけ
261 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 15:29
262 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 15:30
片倉が日本史の教科書に載ることはまずないでしょ。
263 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 15:33
>>262 それを言ったら吉川も直江も乗ってないでしょ?
のってるのは小早川秀秋。吉川は残念ながら、
目に見えにくい活躍だったんで、落選。
264 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 15:37
265 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 15:38
直江あたりは載ってそうだけど、どうなのかな。
267 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 17:10
268 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 17:22
レスの中に直江(上杉)と三成とで家康を東西から挟撃云々〜
って言ってる奴らいるけど本気だとしたら厨房確定。
269 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 17:23
>254
東軍・西軍や特定の人物を絶対視して何かを前提としたら歴史なんて分かりません。
271 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 17:59
吉川広家は山川の日本史用語集に載ってるよ。
272 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 18:00
吉川広家:関が原の合戦では主家を裏切り東軍に付き毛利家の力を殺ぐのに貢献した
273 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 18:06
はいはい
274 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 18:25
275 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 19:49
>>272 そういや諸説によると、
広家は関ヶ原後の毛利家取潰しには仰天したが、
吉川家は30万石に加増されると聞いて安堵していた。
しかし屋敷の周囲や毛利家家臣団の中には、広家を殺して
しまおうという動きがあり、自分の家臣団の中にまでそうした
考えを持つ輩がいると知って、ほとんど脅迫状態で、
毛利家の助命嘆願をしたらしい。
276 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 20:04
この3人の中で広家を支持する理由がわからん。
277 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 20:38
べつに一番いい奴を選んでいるわけじゃないよ
278 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 20:48
279 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 20:55
280 :
慶次郎利益:02/01/27 20:58
仕方ないとは思うが、関ヶ原の状況判断だけで名君・名宰相・名軍師が
決まる傾向がある。光栄とか。といってみるテスト。
281 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 21:18
>>280 人間追い込まれたときに本性がでるからね。
そういう危機的状況の時に力を発揮できた人こそ、
能力があると判断されるのは、あたりまえ。
282 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 21:20
>>276 指示してるのは一部のマニアだろう。豊臣嫌いとかの
まとものなのは評価してないよ。
こういう穴のあるスレのほうがレス伸びるんだな。
283 :
光栄とか。:02/01/27 21:59
とか、いっちゃうと(w
直江兼続と同等の能力+騎鉄のスキルを持つ
片倉景綱が攻政共に使えていい感じっすね。
284 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 22:03
>>283 あのゲームだと、3人ともヘタレだよな。
名参謀というと、真田親子あたりが、鬼の様に強いけど。
285 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 22:25
>275
いかにも本家側の人間が広家を貶めるためにでっちあげた話っぽい。
286 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 22:27
ゲームの能力だと(信長の野望)・・・・
====政治=戦闘=智謀=采配=野望=義理
直江兼続84_77_70_81_71_11
片倉景綱87_69_75_81_69_10
吉川広家73_66_52_74_35_09
287 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/27 23:37
>>287 もう400年ちかく前に逝ってますが何か?
289 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 00:15
>>285 私も広家ぼんくら説は支持するけど275の話はどうもね。
広家自身は毛利家の事を思っての判断だったんだと思う。
ただ読みが甘すぎて結果的に主家を裏切ったと言うだけでね。
290 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 00:34
広家が希代の名将だと主張するつもりはないけど、当時の毛利家では一番確かな人物だと思うんだが・・・
291 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 00:42
どちらにしても広家を名宰相扱いした>1は何を考えていたのか…。
292 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 00:45
秀元が宰相で、広家は侍従じゃなかったっけ?
どうでもいい話だけど
広家は草履取りに降格じゃ!
プルプル.....
294 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 07:01
>>291 いや、広家は名宰相だと思うよ。
関ヶ原の一件さえなければね…。
>>290 どこがどう確かなのか教えてくれ。
関ヶ原では毛利三川(実質二川)の1つの宿老格で
他の毛利一族より年配であったから単に年の功で
一目置かれてただけに思えるのだが。
296 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 09:31
>>289 読みは良かった(東軍勝利)が、相手(家康)が悪かっただけ
>>295 毛利三川って?小早川、吉川ともう一つは誰?はじめて聞いたよ!
>>296 ああ、やっちゃったー。おかしいと思ったよー。
毛利ニ川だ。 逝ってきまーす。
298 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 10:15
隆景亡き後、一軍人という存在は穂井田とかまだ一族中に居たんだけど
謀り事等に明るい人間がいなくなった。そのなかで安国寺は貴重な存在だが
あまりにも豊臣寄りで広家から見たらほんとに大丈夫か?と見えたんだろう
安国寺(←秀吉に大名化されてるし)の私情で毛利家が危ない橋渡らされてると
思ったんだろう。で、拙いながら隠密外交したんでしょう。
で、結局公然協議してなかったし保証人も文章もなかったんで反故にされた。
でもさすがにお家潰しは不味いので毛利家は減俸にし吉川毛利の関係悪化をねらった
論功行賞をした。結局、家康のえぐさだけが目立つ話だ
299 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 10:17
>>297 さらに言えば毛利ニ川ってのも初めて聞いた・・・
毛利両川なら聞いた事あるんだけど・・・
300 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 10:20
>>296 ガイシュツだけど広家が東軍に荷担したから東軍が勝ったんじゃないの?
毛利勢が本気で戦っていればどう考えても負ける戦ではないと思うが。
301 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 10:23
>>295 吉川&小早川も毛利一族に入れてやっちゃぁもらえまいか?
302 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 10:52
>>300 いろんな見方があるんでなんとも言えんが
ただ、その減俸された毛利の所領は福島家の領地になった
なぜなら福島政則の働きが抜群だったのと
政則が東軍に付いた事で豊臣諸将が
寝返るきっかけを作ったからである
また黒田長政も外交手腕を使って豊臣家中を切り崩していった
さらに福島政則は家康に天下を取らせたのは
自分だと声高に吹聴し家康に大分、煙たがられた。
黒田と福島が西軍についてたら勝ってたな西軍では・・
303 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 10:52
304 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 10:59
広家が軍を動かさなかったという事は確かに
大きかったかもしれんが、
それをそうなるべくしてやった人間のほうが
広家よりも影響がでかいと思われるのは俺だけか?
逆に広家が得ていた情報と立場では
日和らざるおえなかったのではないか?
その諸将の寝返りの実状と家康の実力を推し量るだけの才覚はあったが
寝返りに踏み切る時間も立場でもなかったのがこの場合悲劇的。
戦場に輝元が広家と同時に居ればあるいは輝元を説得して
寝返りに踏み切れて所領も安堵できて
広家一人が悪者になってなかったかも・・・
305 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 11:02
吉川広家スレ
306 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 11:36
広家一人が動かないのはどうでもいいが、
弁当を食いながら街道を塞いだせいで、長束や安国寺の軍勢すら
通さなかったのは痛すぎる。秀元の怒りもすさまじかったらしいし。
もし俺が長束なら、その場で広家を道連れにして、
死んで護国の鬼となったろうに。もし俺が秀元なら(以下略)
307 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 12:38
>>306 そら、通さないのが目的だったんだもの・・・
308 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 13:10
>>307 本当はただ弁当を食っていただけだった方がおもしろいんだけどね(笑)
309 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 14:50
>>306 広家にしたら親心。自分が仕方なく日和見してんのに
ここで本家が突撃したら、吉川だけ助かって毛利がぽしゃる事に
なったら身もフタもない。ここで押さえて本家安堵させようと言う
気持ちが多分にあったのではないか?
それも広家の頭の中には「家康対三成で三成が勝つわけがない」という
安国寺等と違った、現実的な戦術観(戦前数字で勝った負けたでない)
があったからではないか?西軍総大将の名目上、西軍敗北時、
輝元斬首もありえる。安国寺ずれに本家をそこまでひきずられて行くのは
広家にしたらバカバカしい話だったろう。
310 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 15:16
斜陽の大毛利の唯一の才覚人(直江、片倉には遠く及ばないが)
お人好しの家中で孤軍奮闘って感じで嫌いじゃないんだけど広家。
でも、防州に減俸された後起こった大坂の陣の大坂方に内々に
兵を送った毛利の人情も嫌いではない。
とにかく家康が嫌い
ねえ。宰相って官職についてたの?三人とも。
312 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 15:46
では、このスレタイトルは・・・
314 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 15:56
>>313 宰相格って意味だろ?
それくらい理解してくれ
315 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 16:40
毛利が西軍についていればとの声が高いが、
毛利が西軍の旗幟を鮮明にしていれば家康はあんな布陣をしなかったんじゃないか、
と思うのは俺だけかな?
名宰相ってのは主君に策を献じては過たないものだろうから、
景綱>>兼続=広家
宰相格なんて言葉、在りません(w
317 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 16:45
>>309 広家が動けば西軍勝ったと言い続ける人もいるがそれは結局算盤でしかない。
家康といえばその当時では無類の戦上手で一番の大身の大名で
(武家の頭領たる幕府を開いていたわけだし)
当の石田なんて勝負にならないし、豊臣よりも領国は多い。
毛利とは領国こそ均衡しそうだが実戦能力はまったく違ってたろう
また、西軍の命令系統は小身の三成が指揮してたため統一されてなく
豊臣武闘派はねこそぎ東軍にあるし、西軍についた面子も
そぞろ裏切りそうで・・・・
こんな状況で広家が動いたら勝てたって言うのは
あまりに耳目を塞ぎ数字だけを見てる人間にしか言えない言葉だなぁ
318 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 16:50
319 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 16:54
>>317 現実に小早川が裏切る前は良い勝負だったと言う事実を見逃してはいけない。
ましてや吉川毛利は東軍の側面に位置していたのだから仮に東軍の側面に攻撃を
仕掛けていれば違った結果になったとは想像に難くない。
320 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 17:24
>>319 内応や静観の約束を取り決め、相手が三成であり西軍の指揮は
混濁している状況で、一時各部隊が奮戦し突出したからと言って
必ずしも勝てるわけではないと思う。結局
321 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 17:29
>>320 じゃあ何やっても西軍は勝てなかったって事だね。
言い方を変えれば広家なんて居ようが居まいがどっちでも良かったと(笑)
322 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 17:34
>>321 全体の戦況にとっては広家はどうでも良かったかも知れないが、
今はそういう話をしてるわけじゃないだろ。
323 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 18:09
>>322 存在自体が無意味であれば名宰相も糞も無いと言う事では?
324 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 18:12
この三人で300レスまできた事が信じがたい
325 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 18:16
326 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 18:20
327 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 18:21
328 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 18:24
>>327 全体の戦況にとって意味があるか否かということと、
毛利家の存続という目的に対して意味があるか否かということは
別な問題であるということ。
329 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 18:27
>>328 ついでに毛利家が大減封になって存続した事と無事存続したと言う事は別である事も重要
330 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 18:31
>>329 そりゃそうなんだけど、
>>321の言い分が論点を違えていることを指摘したまでですから。
「毛利家が大減封になって存続した事と無事存続したと言う事は別である事」
が重要であろうとなかろうと、
>>321には関係ないですね。
331 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 18:44
・毛利の参戦が関ヶ原の戦況に対して何の影響を及ぼさないのなら、毛利軍を
戦闘に参加させないことで後々の交渉に有利に働く。
・毛利の参戦により関ヶ原の戦況が大きく動くのであれば、広家の判断は甘かった。
こういう流れで話をしているのかと思っていたのだけど。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 18:48
>>317 何で誰も1600年関ヶ原当時に家康が将軍になってないの指摘しないんだよ。
333 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 18:49
あ、本当だ。
334 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 18:59
>>332 チラッと見ただけで読む気が失せたから気がつかんかった(笑)
335 :
パンツェッタ・ジローラモ:02/01/28 19:17
たか景の安国寺、評ってどーだったの?
奸臣だっていわれてたの?
ヒロイエが馬鹿か、安国寺が馬鹿かを
たか景の意見を参考にしたい。
337 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 20:56
隆景と安国寺の才能を買っていたはずだぞ。
高松城のときだって、豊臣の背後を突けってうるさい
吉川一族を、安国寺と2人がかりで諌めているし、その後の、
豊臣政権家での毛利家存命策は2人の合作といっていいくらいだ。
まぁ、DQNな吉川一族の責任で、水泡と帰したがな。
338 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 21:18
339 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 22:25
隆景って遺言で「安国寺を信じちゃダメよ♥」みたいなこと
言ってなかったっけ?
1.輝元は器量ないから戦争とか無茶なことすんなよ
2.安国寺は佞臣だから信じるなよ
3.船着場に屋敷を設けさせてと言ってくるけど許すなよ
1と2が的中したため、のちに黒田長政が「土地貸して」って言ってきたときに
断ってる。
こんな話を聞いたことがあるけど、創作なのかな?
340 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 22:38
たぶん後世の創作だと思うけど、とりあえず転載。
きっと吉川一族が、自分たちの行動を正当化したいがために流した、
デマだろうと思うよ。
一、たとえ天下が乱れても輝元が表にでて戦争をしてはならない。ひたすら領国を守って寸分の領
土も失わぬよう方策をたてよ。なぜなら輝元には天下を治める器量はないからだ。
二、安国寺恵瓊は奸智にすぐれており、これに乗せられれば家を滅ぼすこととなる。絶対に騙され
ぬよう注意せよ。
三、筑紫国の大名が船着場に屋敷を設けさせてくれと頼んでくるだろう。それは毛利家を侵略する
基地にするつもりだからこれを許してはならない。
341 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 22:57
しかし吉川自身が一を犯してしまっては言い逃れは出来ない気もするが・・・
342 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 23:37
しかし、岩国城完成の七年後には、元和の一国一城令が出され、実戦に遭わないまま、廃城という処分が待っていた。
広家は反対した。この城は家康も承知のこと、字義通りの一国一城なら、周防には岩国にひとつだからよいではないかと述べたという。
しかし、関が原一件を気にする毛利本家の容れるところでなかった。
広家の想いは破れ、山上の建物は取り壊されたのである。
343 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 23:43
344 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 23:50
>字義通りの一国一城なら、周防には岩国にひとつだからよいではないかと述べたという。
屁理屈やん(w
345 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/28 23:56
逆に「なにが何でも壊すべき」と言うと毛利家中から「こわすな!」という
声が出たりして・・・
346 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 00:45
>>345 相当恨まれてるもんな、吉川。
きっと肩身が狭かっただろうな。
一番家康を恨んでたんじゃない?
347 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 01:07
良かれと思ってやったことが裏目に出て、
在世中は「裏切り者」と罵倒され、
せっかく作った城は破却され、
後世このようなところでも罵られるんだもの、
悲惨すぎるよ、広家…
348 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 01:13
戦国武将たちが現代に蘇って自分に対する評価を耳にしたらどう思うんだろう?
広家なんかショックだろうなあ…(笑
349 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 01:20
毛利家おもろすぎ。
350 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 01:23
吉川広家は吉香神社に他の一族とともに祀られとる。
明治維新までは鎮照神社という社で単独で祭祀されていた。
351 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 01:29
喜劇だな、毛利家。
偉大な父(祖父)と凡庸な息子ってのは腐るほどあるパターンだけど
これほどコメディタッチな家はない。
なんだここは西軍厨の集まりですか?
なんて煽りはおいといて・
毛利が動けば西軍が勝ってたとか・・・。
戦争なんてのは政治外交の最終手段、家康は戦術うんぬんをいうまえに戦略ですでに勝ちきまってたでしょ。
そういう事前の戦略を考えずに「たられば」で人を厨房あつかいするほうが厨房じゃないの。
まずもともとの大方針としての広家の「徳川につく」は間違ってなかったでしょ。
倫理的な点で「裏切り者」って批判する人いるけど、それいったら東軍についた大名の多くがそれにあてはまるんでないの。
このスレでいう「宰相」って観点から考えればなによりまず主家でしょ。
広家の読みとしては毛利の意向にかかわらず東軍の勝ち、万が一西軍が勝ったとしても西軍の様子考えりゃあ乱世に逆戻り。
乱世になって天下ねらえる器が毛利にあればそれでいいだろうけどその点は元就、隆景の指摘どおり。
結局東軍について家守るのがベストな選択でしょ。
ただ、外を見る目はあったが内を見る目が無かったって批判があったが、その点は同意。
内にたいする甘さで毛利は史実のような動きをとり、そのペナルティーで減封。
広家批判するならここでしょ。
名宰相だったかって事で広家考えるならやはり結果として減封くらったわけだし意見はわかれるところだろね。
もちろん人それぞれ考え方やら評価の尺度はあるだろう。
それは否定しないけど、好き嫌いで評価しちゃってる人が多すぎるんじゃないかな。
353 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 03:43
>>352 ペナルティーがなかったとしても徳川家が毛利をそのままにしておくだろうか?
東軍についた時点でいずれ粉かけられるのは目に見えていたような気がする。
第一、毛利領を削らなければ、関ケ原の恩賞用の領地が足りなくはないか?
354 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 04:59
>>352 キミも照れずに、こうなっていたらいいなぁとか言って御覧。
356 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 08:26
>>352 毛利の気質を知っていたからこそ、三成も輝元を総大将に祭りあげたんだけどね。
西軍の総大将ともなれば、戦を指揮するしかなくなるわけで。でもね、ここれ日本史上
の汚点ともいうべき「総大将の寝返り」という事件が発生してしまうわけね。関ヶ原に
布陣していた兵力のうち4万が毛利軍、1万5千が小早川軍、そして吉川に街道を塞がれて
参加できなかった軍が1万5千。あと、三成らの主力部隊(半分は宇喜多勢)が3万って
ことなんだけど、そのうち7万が戦えなかったわかだから、痛すぎる。もう毛利がいるから
こそ戦いになっていたわけで、その総大将が寝返るなんてことは、歴史上探しても他にない
大馬鹿な事件としか言いようがないよ。そのせいで、後世では輝元は馬鹿殿あつかい。
小早川は日本史上最大の裏切り行為のようにいわれてしまってる。はっきりいって毛利は
関ヶ原で恥を残したね。吉川の恥知らずが、勝手に家康と結んだせいで、毛利の天下を
とるチャンスが250年も遅くなったのだけは確か。
357 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 09:09
やれやれ、352の最大のミスはここを戦国板と理解せずにマジレスしたことだな(笑
358 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 09:25
>>356 総大将が裏切るに近い事は大坂の役の大阪城内で結構起きてるぞ
関ヶ原でも言えるが大坂方にはちゃんとした御大将が存在しない状態で
(三成はしょぼいし嫌われてる。秀頼はお飾りだったし)
大戦をしかけるのが無茶。戦争起こしてから総大将決めるなんて
順番逆だろとつっこみたい。そりゃみんな裏切るわ・・・
相手家康だし・・・
359 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 09:36
>>356 だから恥知らずってどーしてそこまで言えるわけ?
広家の場合と小早川秀秋が裏切ったのと根本的に違うだろ
単純に裏切ったってだけでそこまで言うならガイシュツ記事を読めよ。
兵の数字だけで勝てたのになんていうなよな。
どっちか言うと浅野とかのほうが激しく恥知らずだと思うがな俺は
360 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 09:48
ようするに勝敗決まってたわけよ。
状況分かってる大名は家康についた。前田家なんて良い例。
毛利家はわかってなくて大将に祭り上げられたりしてたんだが、吉川は状況理解してた。
だからああいう行動とったんでしょ。
広家いなきゃあ最悪とりつぶしだってあったんでないの。毛利は。
おっと、頼むから「広家がいなきゃあ西軍勝ってた」みたいなIF小説好きの妄想はやめとくれよ。
関ヶ原の布陣ってのは政治的な状況をふまえてああいう形になったわけであって、
毛利やらほかの形式西軍の動きがどうなるかわからん状況だったら家康ももっと慎重にいってたでしょ。
家康にとって動きの確信がもてなかったのが唯一小早川だったんでないの。
352言うとおり分かってたのに家中をまとめられなかったのは吉川の実力不足だな。
この点で方向間違ったとは言え家中しっかりまとめてた直江(+歴史的評価として名を残した)やら、片倉よりは一段下の評価かもね。
ちなみに戦後減封って点について、家康にだまされたわけだけど、
この点大幅加増の約束を反故にされた伊達も騙されたと言えば騙されたわけで。
これも含めて西軍好きの人たちは「伊達が上杉あしどめしとかなきゃ〜・・・。しかも戦後は騙されて。 政宗、片倉DQN〜」なんて言うのかな?
結局あの時点で家康(と本多?)が一枚、二枚上手だったって結論になっちゃうんじゃないかな。
俺も某漫画のイメージが抜けきらなくて直江好きだけど、関ヶ原の件に関してはまさに手のひらの上で踊らされた感じだね。
361 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 09:57
>>360 激しく同意
下手したら輝元以下全員打首なってたかもな〜現に安国寺そうだし・・・
それを広家は一番危ないと思ってたんだと思うよ・・・
ただそれじゃぁ戦後毛利家輝元以下がほんと阿呆みたくみれるので
吉川バッシングがはじまったんだと思う・・・
ほんと・・・かわいそ・・・
362 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 10:01
>>361 言ったらあの状況(吉川空弁当決行)で
西軍が仮に勝っても吉川が責任とれば
毛利は総大将だし傷付かなくてすむし、
広家にしたら一番安全な本家維持のためには
ああするしかなかったんだろうと思う。
本家所領減については
>>360も言ってるが
家康が悪辣(毛利を危険視)だっただけで
広家のせいではないんじゃなかろーか
363 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 10:05
秀吉の後継者が家康である事を多くの人が分かっていたからこそ豊臣恩顧の諸大名まで東軍に荷担したことは間違いない。
そして徳川が天下を取れば西国の大大名である毛利気が無事で居られるはずが無い事もこれまた周知の事実だった。
それ故に毛利は不利を承知で西軍に付いて徳川の天下にしてはいけなかったのに、広家が中心となって東軍に寝返ってしまった。
そして毛利家は没落し、広家は肩身の狭い思いをする事になった。
364 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 10:12
勝つか負けるかのいちかばちかかどちらにせよとにかく生き残る
この二つの選択肢で広家は後者を選んだ
結局、生き残った。広家の目論み通りに。
おまけに後世幕府も倒す。あの時もし西軍に忠義立てしてたら・・・
365 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 10:13
>>364 江戸時代が広島時代になっていたとか?(笑)
366 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 10:19
もし仮に西軍のままで関ヶ原西軍勝ったとしても
家康に従った豊臣武将を三成は許さないだろうから
関ヶ原から東(美濃〜江戸)はすべて家康方で
固められてるし、足留め喰らってるとはいえ
徳川本陣も到着してないし、次ぎの戦があるとすれば
それは家康の勝ちだろうし・・・
367 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 10:22
368 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 10:25
370 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 10:26
>>366 大きな戦で負ければ西軍に寝返る諸大名が続出するのは明白。
例えば奥州の伊達あたりが西軍に寝返ったら周辺の諸大名も上杉伊達の二大勢力に
従わざるを得ない。
そうなると常陸以北は西軍、美濃以西も西軍、間に挟まれた東軍。
しかも残った戦力は徳川本隊のみ。
これで東軍が勝てたら秀忠は軍神だな。
371 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 10:31
>>370 三成、襲撃したりした面子がすんませんでしたって言うわけねーだろうし
奥州だけならとりあえず伊達&最上で上杉潰したほうが得だし
弱小はいざしらずほとんど寝返りはないだろうな
徳川本陣を家康が率いれば楽々勝てるな。
その点、西軍に次ぎはない。
372 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 10:32
>>370 伊達は勝手に戦線拡大して奥州切り取りをはじめそうだ
373 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 10:42
>>370 関ヶ原で家康が捕殺できなかったら次戦で徳川が勝つだろう
西軍に付くのはひどい分が悪い賭けだろう・・・
現に西軍は一戦で壊滅。東軍はそう簡単にはいかんだろう
すげぇ叩かれると思ってたのでちょっと意外です。
>>363 戦後の毛利家の処理について。
なんといっても毛利は結局西軍の総大将だったわけで。
これはもう、叩く側からすればいくらでも追求できるネタだったと思うよ。
それがまぁ先程言った最悪取りつぶしってやつだけど。
それを防いで、毛利の家を残し、さらには後世の長州につなげたのは広家の功績だとおもうんだよね。
戦後の毛利の空気やら西軍びいきの人にとってはそれが「罪」にあたるわけなんだけど。
俺の意見としては、毛利家は西軍の総大将に迎え入れられてしまった時点で時局を大きく誤ってしまったんだとおもうんよ。
要するに自分がどっちにつこうが、負けてしまう方に祭り上げられてしまったって事。
良い例がちょうそかべでしょ。
毛利とほんとに同じような行動とったけど、広家的存在がいないからとりつぶされた。
あと、西国の大大名として家康に削られる運命にあったのに東軍についた点だけど。
たしかにこれは否定できないところあるけど、それはもう天下取りレースに負けた時点でしょうがないでしょ。
関ヶ原後の処遇については敵側の総大将にしては決して酷くはない扱いだったとおもうよ。
広家にしてみりゃあ、「俺の言うとおり最初から東軍ついてりゃこんな事にならなかった」って感じじゃないですかね
375 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 10:52
if好きの西軍厨になりきって想像するなら
関ヶ原で毛利全軍大奮闘
→西軍勝ち
→東軍にとっちゃ1局地戦の負け 勝った西軍も三成に従う?
→日本全国大混乱
→戦国期に逆戻り
→九州かすめとった黒田軍が上京開始
→毛利併呑
最後の二つは冗談だけど、当時東軍についた諸大名の多くはこれにちかいこと予想してたんでは?
流れとして秀吉→家康なんだって。
結局おぢいちゃんもおじさんも「これ以上は無理だ」って考えてた輝元毛利にとっては結果論からしても広家の選択がベストだったんだよ
>>371,373
西軍は一度で崩壊したが東軍は次の戦いで絶対に勝と断言できる根拠を知りたい。
377 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 10:54
>>374 言えてる
でも最初から東軍にいても毛利のあの領土は家康にしたら
脅威だし、結局転封か減封はあったかも・・・
ほんとそう考えれば考えるだけ広家不憫
前田みたいにすりよって行くしか生きる道はなさそう
378 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 10:54
吉川広家については結論でそうだね(笑
ところで片倉って実際どんなことしたの?
379 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:01
>all
というか
>>321みたいなことを書くアホにマジレスしてはいけない。
380 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:06
>>376 黒田(子)細川、池田、福島、浅野 福島←(反三成)
黒田(親)伊達 ←(三成なんざ知った事ちゃっない)
小早川他吉川以外←(寝返っておいてさらに寝返れない)
確実に上記は依然徳川方に付いているだろうし(伊達は家康存命なら)
これに甲斐、信濃、三河、遠州、駿河、関東諸州の家康が健在という
状況で三成に勝てるか?
>>370 371.373じゃないけど。
まず俺らは結局実際の結果をふまえたうえで話をしているわけで、
「もし関ヶ原で西軍が勝ってたら」っていう仮定に対しては絶対にこうだっていうことはできない。
んで、たられば論争になるのを覚悟の上で当時の状況を考えたなら、俺も371.373の言うとおりなんじゃないかなって思うよ。
大きな要因としては石高やら軍団も含めた家康の力。 西軍の実質的指導者が三成であること。
この2点。
あと、当時の状況を考えるに、後世の我々がどんなに想像するよりも、当事者である大名達はそれこそ死力を尽くして状況分析、判断してたとおもうんだよね。
俺らはああだこうだ言うだけでいいけど、彼らは一族郎党の運命をかけた選択であったわけで。
その結果が多くの大名の豊臣離れ、徳川化であったわけで。
ってことで何度もいわれてるように、関ヶ原ってのは家康にとっては戦略、外交的勝利をみんなに披露する出来レースにすぎなかったっておもうのさ。
毛利が本気で戦ってくるって家康にとって考えられない(まぁ実際無かったわけだが)事件によって関ヶ原の勝敗が変わったとしても、大きく世の中の流れが変わってたとはなかなか想像できないよ。
繰り返しになるがここらへんのif話は所詮たられば。なんにせよ断言はできないんだけどね。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:11
>>376 三成の地力と徳川の地力じゃぁ差がありすぎるし
豊臣と徳川でも徳川の方が圧倒的にえぐい
結局、本腰入れて戦った西軍勢は大谷、宇喜多、程度で
どっちみちあぼーん
383 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:15
>>380 黒田(父)と伊達は西軍勝利を知ったら大喜びすると思うよ(笑)
それに今話してるのって吉川がボケずに家康と戦った場合の話だから、当然
輝元が大阪城でぼけっとしているわけでもないし、小早川が西軍が優勢なの
に寝返るとも思えないけど。
反三成と徳川本隊だけで西軍の大軍ともう一度ガチンコ勝負が出来るのかな?
384 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:16
しかしあらためて考えてみると、戦国後期の名宰相候補ってことでいえば1のあげた3人だねやっぱ。
ちょっと考えてみたけど他にいないな。
1はなかなかやるな(笑)
385 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:20
>>381 激しく同意
西軍が関ヶ原で勝ったら西軍の世が・・・
ってのは正直難しいしありえん
西軍の世が来るくらいなら関ヶ原以前に遡って
歴史を随分否定してからじゃないと無理だろ〜
西軍各将が家康よりも三成を買うのが絶対条件だし
家康がもっと小身じゃないと不味いだろうし
言ったら反三成派が西軍に付くには
秀頼が出馬してるぐらいじゃないといかんだろうし
そうなると淀君が邪魔なんで死んでもらわんといかんし(笑)
無理だろ・・・
結論として、当時の情勢では関ヶ原の勝敗に関係無く、どこをどう考えても
家康の天下になる事は明白だったと言う事ですね?
であれば輝元が西軍の総大将になるのを防げなかった時点で広家はあまり
よろしくはなかったと言う事ですね。
387 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:22
388 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:22
>>380 つーか、小早川と吉川が東軍に寝返ってる時点で勝てねーよ。
389 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:24
>>383 万が一西軍勝ったとして、三成指導の元にまとまることは不可能。
結局西軍は一番やる気のあるやつが一番のネックだったっていう矛盾もってた。
383氏あげてる黒田やら伊達は西軍の勝利を喜ぶんじゃなくて、
これで「徳川で決まりだと思ってた天下がわからなくなった」って事で喜ぶんでしょ。
なら当然西軍天下になるわけじゃなし、まして毛利幕府になるわけもない。
ようするに戦国群雄割拠に逆戻り。
実力のある野心もった大名はこれを歓迎するかもしれんが、身内の元就、隆景が駄目だと判断した輝元をいだく毛利はこんな状況うれしくないでしょ。
391 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:27
>>386=321
いや、当時の広家が毛利家中で絶対的な権限を持っていたのならともかく、
実際そうではないのだから彼にそこまで求めるのは酷というものでしょう。
392 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:28
毛利はそもそもぼんくらを当主に戴いた時点で、関ケ原は決まってた。
393 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:28
>>383 383が言っているのは将棋で負けてあの駒が取られてなかったら
勝っていたのにと言うのに等しい。
駒を取られたのはそこまでの経緯があってそれを防げなかった
当人の落ち度である。一つの駒を取られるまでにいくつも
相手は罠やら策を弄している。その罠や策を論ぜず一足飛びに
あの駒が取られなけりゃ・・・じゃないだろ?
それでは一つの出来事に言及して他を切り捨てて
都合よく解釈してるだけだ。人、それを妄想と言う
394 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:29
一人で何役もするのって大変そうだな
>>386 1人でたくさん書いて失礼。 俺個人の意見としては386にあるとおりだと思いますよ。
名宰相たらんとするならばやっぱ内もしっかりまとめんといかんよね。
このスレッドの主題で考えるならそこは片倉、直江に劣ってると言えるかもね。
まぁ「主君」ってめちゃくちゃ大きな要因があるけどさ。
でもDQN扱いやらボケ扱いは酷すぎると思ったのでいろいろ書いて見たよ。
396 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:32
>>386 それは言えてるかも・・・でも直江や片倉ほど発言力があったかどうか・・・
とにかく不憫→広家
>>388 なんか笑った
397 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:33
鍋島は宰相でおさまらず大名になっちゃった。
島は宰相ってよりやはり戦術レベルの軍団長じゃないですかね?
398 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:35
>>394 広家に対して言ってるのか、それとも続いている広家擁護に対して言ってるのか。どっちでしょう?(笑
399 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:35
>>394-395 少なくとも4人はいる(笑)
おもしろいスレになってるなぁ直江片倉立場ないけど
400 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:38
とりあえず俺は広家馬鹿派の一人(他にいるか?)
吉川はおしまい
片倉についてどうぞ
402 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:43
がいしゅつだが、真田-片倉の結びつきの逸話には激しく萌えるものがある
403 :
本物の400:02/01/29 11:43
>>401 片倉のお姉さんの墓石はえらい事になってるらしい
本人は・・・・・ようしらん
404 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:44
西軍勝利したらちょっとまた戦国に半歩戻るって感じか?
家康が死んでたら二歩くらい戻るって感じか?
奥州北陸 伊達VS最上VS上杉VS前田VS佐竹
関東甲信 徳川VS真田
近畿東海 三成VS反三成
四国 長我部他 九州からの侵攻に備える
中国 毛利 九州からの侵攻に備える
宇喜多 反三成と交戦
九州 島津VS黒田
そのうち三成は殺られてそーだ。ひっそりと
405 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:44
片倉はよく分からないですねぇ。
なにせ、主君のイメージがあまりにも強烈過ぎるし、
特筆すべき(講談等のネタになるような)活躍が少ないように思える。
406 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:44
>>390 毛利家の動向しだいでは、毛利幕府って手もあったと思うよ。
毛利+小早川+吉川なら、かなりの勢力になるしなー。
三成の家康倒しは馬路で忠義心からやったぽいし、その後のことは
長束やら増田やらに任せるんじゃないの?そんなときに秀頼の横で
どんと座っている輝元が西軍総大将たる威勢を発揮して、うまく
たちまわれば、うまくいけたと思う。
それが現実的で、悔しさがあったからこそ、幕末に基地外じみた尊皇攘夷運動
を展開して、勝ち組になったのではないかね?
407 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:46
>>403 すまん、騙るつもりはなかった。
ただ、きり番ゲット目論んだだけ・・
ちなみにきり番ゲットおめ!
408 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:47
>>403 詳細キボンです。
しかし片倉については主人が主人だけに宰相としての話が無いのかな?
輝元はあれだし、景勝は直江に任せてる部分が大きかったみたいだけど、政宗ってほとんど自分でやってそー(笑
409 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:47
>>402 結局、片倉と真田の子はでけたんか?
司馬の『城塞(下)』にはできたとあるが・・・
410 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:47
411 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:49
412 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:50
抜けた実力もってた家康でさえ関ヶ原、大阪の陣と苦労して幕府もったのに、それを輝元にできるとは思えないなぁ
あと、長束やら増田ってのはやばそうだ・・・(笑
413 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:51
>>408 片倉は政宗の暴走をよく止めてた。
たとえば小田原参陣を勧めたのも、徹底抗戦に傾く家中で彼だけ!
必死に政宗を諌めたらしいよ。
414 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:52
まぁ、最終的に天下を獲ったのは毛利(長州)だけどなー。
415 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:52
>>413 なるほどー
いつの時代も状況判断ができてる部下ってのは1人は欲しいもんだね
416 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:53
すごいね、ついに毛利幕府という言葉が…
417 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:54
まー戦国板にしては朝から面白い議論ではあったな。
418 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:54
>>405 鬼小十朗と呼ばれる
その由来は大坂の陣で真田相手に凄まじい働きをしたからだそーで
自ら槍を取って首級を4つあげたんだそーだ。片倉勢だけでも
4個の部隊長を討ったって凄いわなぁ
しかもその前日に真田の娘を預かった逸話あり
419 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:55
>>416 毛利オタは吉川スレ逝けって言っただろ、負け犬マンセー共(藁
420 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:56
421 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:58
>>419 直江も片倉も負け犬だと思うんだけど・・・
かろうじて幕末勝ったぶんだけ毛利は勝ち犬じゃあなかんべか?
422 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:58
ちなみに、片倉という人はもともと米沢八幡宮の宮司の家
(それでも立派に士分ではあるのだが)から
「一家」の筆頭にまでのし上がってることから考えても
相当な功績をあげてることは想像に難くないわけですな。
423 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:59
>>421 幕末はこっぴどく負けたな毛利に>上杉&伊達
424 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:59
>>419 俺は毛利オタじゃないよ(w
つーかあまりに突飛な言葉にびっくりしただけ。
425 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 11:59
>>418 そっちは二代目重長ぞな。
宰相は、一代目景綱の方。
426 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:00
427 :
本物の400:02/01/29 12:01
>>407 そういう意味ではなく、単純に区別するために「本物の」とつけただけです。
>>408 片倉景綱の姉が政宗の乳母だったことはご存知かと思いますが、
その姉(喜多)が賢女であった事から、肖りたいと思った後世の人たちが墓石を
少しずつ削って持ち帰ってしまったために墓石が原形を留めないほど小さくなっ
てしまったそうです。
具体的にどう賢女だったのかは・・・・・知りません。
428 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:02
429 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:02
毛利の殿様は明治になってもまだ
いつ自分が征夷大将軍になれるか考えてたという話は本当ですか?
430 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:03
>421=423
ばればれDQN
431 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:03
>>423 おいらは別に毛利も上杉も伊達も好きだけど、そう言う風に考えると
歴史って面白いねぇー
スレ違いだけど、実際に関ヶ原で戦っちゃった島津がおとがめ無しってのは、よっぽど島津ってのは恐れられてたのかな。地理的要因もあるか。
結局はそれが徳川にとっては失敗だったわけだよねー。
関ヶ原から幕末への流れを思うとなんだかおもしろいなぁ。
432 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:04
433 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:06
>>427 知りませんでした。ありがと!
しかし考えようによっちゃそうやって削られた石最高の墓かもね!
434 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:11
>>431 さすがに260年も間が空いてるから、こればかりはさすがの家康でも想像できないんじゃないかな。
ちなみに、戊辰戦争の時に片倉小十郎家は仙台藩の大将にまつりあげられてますね。
吉川家の岩国藩は、四境戦争で芸州口で井伊、榊原軍相手に大健闘している。
それぞれの先祖がけっこう活躍しているということですね。
436 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:15
>>431 島津家の場合は本田忠勝ら徳川家の宿将達や、前田家、福島家などが必死に
助命嘆願や本領安堵を願い出たらしい。特に関ヶ原で負傷させられて死にかけてた
井伊直政達まで必死になって家康を諫めたので、家康も島津に手がつけられなかった
らしい。
それが義久の裏工作にあるのか、はたまた義弘の勇名に感嘆してなのか、
それとも島津兵の精強ぶりから、戦うのを渋ったのかは解らない。
ちなみに島津はいけしゃーしゃーと宇喜多親子を匿ってやったりしているところが、
怖いもの知らずとしか言いようがない。彼らの助命嘆願までしてるし、本当に負け組か?
と思ってっしまう。
437 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:15
直江はたしか家をつぶしたんじゃなかったっけ?美談として聞いてわりと感動したけど
詳しくは知らない^^;
438 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:18
>>435 知らない。
江戸時代初期には五万石を持っていた筈だけど、
他人に譲渡したりしてなくなってしまったそうだから、
没落してしまっていることは間違いないでしょう。
439 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:20
>>436 わざわざ九州最南端まで兵を出すのが面倒だったんじゃない?
さすがに江戸から薩摩は遠すぎるだろ。。。
440 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:20
幕末にも上杉鷹山の時代にも、直江家はまったく出てこないですね。
色部家とか甘粕家とか竹俣家とか千坂家とかは出てくるのに。
441 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:24
>>431 凄腕外交官龍伯がいたからでない?嗚呼ああああああ
442 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:24
443 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:26
毛利が軍事的に脅威だったのは東軍厨にも分かるでしょ?
実際に家康が脅威だと思ったから広家を利用したんだから。
広家が家康にのせられて西軍の敗因をつくったとこまでは理解できるかな。
結果として毛利は減封されるんだからこれは広家の判断ミスだろ。
ここの話題は西軍が勝っていたらというifの話ではなくて、
関ヶ原における広家の判断のまずさを叩くところじゃないの?
もし毛利が味方しても…なんて言ってる時点でifの話には違いないんだから。
444 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:41
広家と関ヶ原の話をするとループに陥るのでもうやめよう。
445 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 12:43
>>443 頼むから360あたりからもう一度ちゃんと読み直した上で高説のべてくれ。
俺はここで話されてるよりはもう少し西軍にもチャンスあったんじゃないかと思ってる。
東軍は家康個人頼みだったところとか。
けど443は酷すぎるぞ すれの番号100間違えたかと思うぐらい議論がもどってんじゃねえか
446 :
本物の400:02/01/29 12:49
>>435 確かわざと絶家して主家の禄を増やしたはず。
毛利家が完全に家康についたとして、
毛利家に与える土地って、大阪城落さない限りもうなくない?
仮に毛利が勝ち馬家康に完全にまたがったとしても、
吉川―毛利ラインをあわせると石高が巨大になりすぎて、
どーしてもつぶしたい大名NO1になるんじゃないかな。
だったら、関ケ原で負けて石高を減らされて・・・結果として生き残る。
おいらとしては偶然なんだけども、もっとも良い選択だった気がします。
448 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 14:59
>>409 片倉重長と真田氏との間には子はなかった模様。
449 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 15:07
450 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 15:37
>>449 自分も話を振り出しに戻す手伝いしてるのに気がつかないか?
451 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 21:18
とりあえず、現在までの状況だと・・・
宰相:片倉景綱>直江兼続>>>>>>>吉川広家
主君:伊達政宗>>>上杉景勝>>>>>毛利輝元
名君には名参謀ありってことだね。
>>429 それたぶん島津の殿様。
板違いなのでsage
453 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 22:21
>>452 というか、維新も毛利の殿様は存在感なかったからな。
やっぱり部下だけで暴走したって感じだったしな。
>>453 土佐なんかその典型例ですな。
藩主の意向を完璧無視だもんな。
>>452 429じゃないが、漏れもその話しは毛利の藩主の話しと記憶してるんだが・・・違うの?
455 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/29 23:54
長州藩の藩主が将軍になるくらいなら西郷さんは天皇になっちまう(笑)
456 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 00:33
>>454 >土佐なんかその典型例ですな。
土佐勤皇党の暴走と、大政奉還後の上士たちの暴走(と言ってよいのかどうか)とは、
ちと性質が違いますけどね。
>429じゃないが、漏れもその話しは毛利の藩主の話しと記憶してるんだが・・・違うの?
毛利の殿様じゃないですか?明治四年頃に毛利の殿様が言っていたとか司馬遼太郎が書いてたけど、
毛利のそうせい公はこの年にまだ生きてたかな?
島津の殿様(のお父様)は、この頃花火を大々的に打ち上げて憂さを晴らしていたそうな。
457 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 00:36
>>456 司馬遼太郎っていろいろ書いてるけど本当にちゃんと調べて書いたのか疑わしい
気がしないでもない。
458 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 00:39
はい、みなさん板ちがいですよー
日本史板いってらっしゃーい
459 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 00:40
>>457 伝説では、彼が一本の小説を書き出すと大阪じゅうの古書店から
それ関係の本がなくなるほど調べまくっていたらしい。
ただ、なにせ小説家だから、「この辺の事実は不明」と書くわけにはゆかないし、
話を面白くしないとお話にならないから、その辺は割り引いて考えないと駄目ですねえ。
たんなる記憶違いだってするだろうし。
460 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 07:46
>>459 幕末の大名ってのは大概が、虚弱体質か馬鹿になっていたらしいからね。
殿様育ちだから、馬にも乗れない、文字も読めないってのが多かったらしい。
だから毛利の殿様が政治的状況を理解できず、征夷大将軍になれると思っても
しかたがないでしょ?実際、あの時代の流れを理解できていた大名級の人間は、
四賢候と松平兄弟、徳川慶喜くらいのものでしょ?あとは馬鹿。
461 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 09:22
>>459 このへんの記述は疑わしいとか普通に書いてるぞ
で筆者はこう思うてな感じに
司馬遼太郎氏はなんかジャーナリスト魂のままで小説書いてる感じ?
462 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 09:29
463 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 10:14
片倉景綱について書いてある本知りませんか?
464 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 10:19
>>460 他にもきっとまともなお殿様はいたと思うけど、藩に表舞台に立てるほどの
力が無かったんじゃないかな。
465 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 10:21
466 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 10:37
なおえ、じょおおお。(家康って)
467 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 18:44
片倉景綱は凄いぜ、妻の腹に子がいると知った景綱は
守役が当主の政宗より先に子が出来てはならん、と
腹にいる子を殺そうとした男だぜw
468 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 19:00
それはちょっとしたDQNだな(笑
469 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 19:11
その件で政宗から手紙をもらっているな。
子供を殺したらいかんぞって内容の。
ええ話や・・・
いい話か!?
いくら何でも引くだろ、当時の人間でも。
472 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 22:30
>>429 島津久光の話しだね。
明治維新を薩摩藩が天下を取ったのだと勘違いしてて、
廃藩置件の時、大久保に騙されたと激怒した話し。
473 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 23:25
>>467 当時はそれも忠誠心を表す行動と取られたんだろうな。
474 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 23:42
>>467 当時政宗は家督を継いだばかりで、景綱をのぞく家臣たちはみんな政宗を将の器ではないと思っていたそうな
そのような厳しい状況で、おのれの決意のほどを行動で示そうとしたんじゃないかな
475 :
無名武将@お腹せっぷく:02/01/30 23:43
>>473 島津久光も脳みそ空っぽだったからね。
大久保に騙されて色々されたあげくに、版籍奉還。
武市半平太が言ったように、
「長州毛利公がごとく凡庸にましませば藩も動かしやすい。激動期には名君ほど害を成す」
の言葉どおり、島津公も立派な馬鹿殿でありました。
476 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 11:27
吉川と直江は父親が偉大だからな。
正直、宮司の息子から伊達家NO2まで上り詰めた片倉は凄いと思う。
大名にもなれたのを、断っているし。
477 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 11:51
>>476 大名の重臣を大名として独立させるってのはある種の切り崩しだから断るのが正解。
478 :
みのもんた:02/02/01 12:19
479 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 12:49
480 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 18:03
直江兼続の父親は台所役人だよ。
謙信に見込まれて名門の直江家を継いだ。
481 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/01 23:48
482 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 00:59
>>481 ヘアヌードを解禁させた女優の先祖ですな
ン、樋口ね。
直江景綱の娘婿が御館の乱後の論功考証のいざこざで殺害されて、その後妻さんもろたの。
で、直江家を継いだのね。
その後、娘婿に本多正信の次男、政重とかもらってたりする。
その娘も若くして死に、今度は弟の娘を養子として政重に嫁がせる。
でもね、正信の息子は、兄貴の事件の絡みかどうか知らんが、本多姓に戻しちゃうのね。
まぁ、そんなこんなで、「直江の家なんていいすけ、他ンしょに分けてくんなされや」
と言ったか定かではないけど、禄を返してここに直江家断絶。
ちなみに当方、揚北の出ゆえ兼続の方言には多分に間違いがあると思われる。
ああスマン。後妻さんでなく、後家さんだ。
拙者も生まれも育ちも揚北
俺、揚北の風雲児
488 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 01:56
御館の乱は謙信の大失敗だったな。
謙信にとって鶴岡八幡宮の殴打事件並の失敗だったろう。
たくさん重臣が死んだし。可哀想な直江の娘婿。
489 :
ちかのり☆:02/02/02 01:59
そうそ、謙信公がちゃんと後継者決めておかなかったから・・・
それに戦後の論功行賞がちゃんとしてれば信綱もあんなことには・・・
蜃気楼に感謝
>>488 失敗かどうかはさておき、景虎が上杉継いでたら、どうなっていたんだろ。
ストレートに景虎が継いだ場合、武田北条間の同盟も維持されたろうし。
そうなると徳川も武田と結ぶ可能性も大きくなる。
スレ違いだな。sage。
491 :
ちかのり☆:02/02/02 02:08
景勝公に越後国主、景虎殿に関東管領ってすごく曖昧・・・。
>>491 ン、それは単なる妄想家の発言だと思うよ。
最初は景虎に上杉家を継がせる気だったのかもしれん。
でも、景勝がかなり優れたお子さまだったから心が動きまくりだったのかも。
大好きなお姉さんの子供だったしね。
493 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 10:02
>>492 謙信が溺愛していたのは景虎のほうでしょ?
景虎という自分の旧名も与えているし、優秀なお子様だったらしい。
逆に景勝は奸臣長尾政景の息子。無口で愛想悪かったらしい。
まぁ、景勝が勝利できたのには直江の才能があったからだろうし、
それが無ければ死んでただろうね。正直、景虎が継いでいてくれたら、
上杉・北条・武田の3国同盟で織田軍を撃退できただろうに。
>>493 ン、景虎ね。
確かに溺愛はしていた。でも景勝を嫌っていたって事はないと思う。
景勝元服からその後の経緯とか見ると、謙信は景勝も景虎同様にかわいがってるのよ。
ただ家中では、圧倒的に景勝の方が立場が上。
政景死後に取り上げた兵と領地をそのまま返したり、自分の官位をそのまま与えたり。
謙信が何を考えていたのかは解らないけど権威第一だった謙信が
弾正少弼の位を景勝に与えてる事を考えると、後継は景勝と考えていたとも思える。
まぁ、何も考えてなかったのかもしれないけど(w
景勝スレじゃないので、この辺で退散。
495 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 19:05
樋口与六はもともと低い身分の出身。
それを謙信の姉(名前忘れた)がとても気に入って景勝のご学友に抜擢し帝王学を授けた。
利発で長身で美少年だったらしい。
謙信の姉を主役に上杉家の興亡の小説書いたら面白いのじゃないのかな。
「まつ」なんかよりエピソード多いぞ。
夫は長尾政景。弟は謙信。息子は景勝。お気に入りは兼続。
謙信もシスコン気味だったようだし。
竹中は除外なの?
個人的には、武田の勘助。
497 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/02 19:14
498 :
ちかのり☆:02/02/02 22:12
499 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 00:12
>>496 あいつらは宰相というより、ただの策士じゃない?
直江や片倉の様に軍政謀略の前面で活躍したわけじゃないよ。
それに2人とも眉唾だし。勘助は実在すら疑わしい。
半兵衛は史実ではたいして活躍した形跡が見当たらない。
秀吉は半兵衛死後に、子供に3千石しか与えていないし。
2人とも伝説やらが一人歩きしてできた想像の人物だと思う。
500 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 06:20
>>499 名軍師かどうかともかく、勘助の実在は確認されてる。
また、秀吉がことあるごとに「こんな時、竹中がいればなあ〜。」嘆いていたのも事実。
でも、たしかに家老として全権を任されていた直江や片倉とはカテゴリーが違う気がする。
秀吉における秀長、毛利における小早川隆景なんかも全権を任されていたと
いえるじゃないかなと思う。
501 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 11:09
このスレに鍋島直茂を加えてください。
肥後の英雄にして、稀代の名宰相です。
502 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 15:43
そして主家をのっとり初代佐賀藩主になったと。
503 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/03 15:57
化け猫騒動の家。
504 :
ちかのり☆:02/02/03 17:06
確か夜這いして斬られたんじゃなかったけ?
第一東軍と西軍に二つ家を分けて家を存続させる家も数多くあった。
毛利は総大将だからそんなことができないから代わりに吉川がやったと自分は解釈する。
っという見習い。
506 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:16
>>505 全く意味不明。
もうちょっと勉強してこい。
507 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/04 01:35
ねぇ…平手政秀も入れてくれない…かな?
508 :
平手政秀@お腹せっぷく :02/02/04 01:40
ダメ
太原雪斎が最高じゃ!!
てめえらついてこれないからってなんでも羅列すりゃいいとおもってんだろ
個人的には、三人ともそれなりに優秀だと思うな。
いろんな逸話とか実績などを鑑みての私見だが。
直江は花も実もある武将。
何となく小早川隆景に似てるような気もしないでも無い。
片倉は鉄の男。
なんかもう、ハードボイルド一直線って感じ。
吉川は不幸な男。
色々考えてみると優秀だが、余りにも坊ちゃん過ぎた。
思いっきり私見かつ乱暴な意見だけど。
512 :
ちかのり☆:02/02/06 01:22
花も実もあるって、鬼小島弥太郎みたいだな
513 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 03:49
まあ所詮、毛利も伊達も上杉も負け犬じゃん。
歴史を動かすほどの力は無かったと。
>>513 その力はあったでしょ。伊達は良く知らないけど。
毛利は腐っても大毛利だったよ。
515 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 09:50
>>513 頭大丈夫?もし煽りならやめとけ。
煽り負けして泣く羽目になるぞ!
516 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 10:45
517 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 10:51
>>513 まてまて、伊達は勝ち組みだろ。
常に勝者の側にあって、東北一の大藩になったうえ、
宇和島に支藩までこしらえたんだから。
518 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 17:04
吉川広家と直江兼続ではレベルが違いすぎる。
何が名宰相だ!!広家のどこがだ?
519 :
514-517:02/02/06 17:34
∧ ∧
/ ヽ ./ .∧
/ `、 / ∧ ふ〜自作自演は疲れるニダ
/  ̄ ̄ ̄ ヽ
/ . :::::\
/ ヽ-=・=-′ ヽ-=・=-′::::∧/ ∧
ヽ \___/ :::::::/ ヽ / ヽ
ヽ \/ ::::::::/ ヽ_____/ ヽ
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| / ヽ
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\ -‐´ ヽ/ /´
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/ ヽ ./ .∧
/ `、 / ∧
/  ̄ ̄ ̄ ヽ って何見てるニダ!
/::::::::: .\
/:::::::::: ヽ-=・=-′ ヽ-=・=- ∧/ ∧
ヽ::::::::::: \___/ / ヽ / ヽ
ヽ:::::::::::::: \/ / ヽ_____/ ヽ
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| / ヽ
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\______/____/
>>518まぁまぁ熱くなるな。
ワシに比べりゃおまえらなんぞ小粒じゃ。
521 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/06 19:02
乱暴な意見だけど、>511に同意。
直江の評価がちと高い気はするが。
522 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/07 00:05
523 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 00:41
伊達は唯一の価値組みだろ?
524 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/08 02:14
このスレ見てると、なんか逆に、
戦国大名ってワンマンばっかやなあと思えてくる。
樋口って木曽四天王だな。海音寺さんの本でそう書いてあった。
そうじゃその子孫だ
だからまんざら身分が低いわけではない
527 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/11 11:53
あげ
528 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/16 09:36
529 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/21 02:03
age
530 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/26 20:56
片倉は名宰相だあげ
531 :
無名武将@お腹せっぷく:02/02/27 16:37
とりあえず晒しておく
532 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/02 01:08
にんにん
533 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/05 19:00
あげとくか
534 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/06 05:53
片倉は国政を預かれる器じゃないでしょ。
広家は語るまでもない。
よって直江が一等賞。
535 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/06 08:07
>>534 関ヶ原以後、一国一城制度施行にもかかわらず、特例として白石城主になることを認められ、1万6千石の領国(実質は10万石とも)を経営していますよ。
直江より評価が低いのは、ひとえに藩主伊達政宗がこれまた優秀な人間だったからでしょう。
536 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/06 13:44
ふむ、よって伊達家を3度救った片倉氏が一等賞。
537 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/06 14:20
>>534 馬鹿か(w
負け組みは黙ってなさいって
538 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/06 14:29
直江ってもし上田長尾の上杉家乗っ取りクーデターが真実とすれば
相当の野心家で結局家を取り潰されてあぼーんしたドキュソって事になるな。
539 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/06 14:29
直江先生と片倉先生にこの日本を救って欲しい。
540 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/06 17:43
3人のうち誰を部下にしたいかつったら断然片倉だな
冷静沈着頭脳は切れるが、万事控えめで自分の手柄も俺にくれそう。
他の二人はいらんことまでくちばし突っ込みそうでなんか嫌だな
541 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/07 08:41
上杉景勝と直江兼続の関係って、秀吉と三成の関係に似ていたのではないか、
と思うのは、俺だけだろうか?
542 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/07 09:04
直江兼続は三成みたいにお上のためには他の家臣を蹴落とすようなことしたのか?
543 :
直江家家臣:02/03/07 09:34
>>542 まとこに申し上げにくいことですが、いたしました。
本庄繁長さまを出羽検地の際に、一揆を煽動したとか何とか難癖をつけて蟄居
させた、などと聞いております。
三成さまは太閤秀吉公が主君だったため、「お上のため」になりますが、
わが殿においては「上杉家のため」になります。
544 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/07 16:54
>>543 まぁ、本庄は本庄で、結構勝手なことしてるしね。
あんまり力つけられるのも困るし、当然といえば当然でしょ。
545 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/07 17:37
結局のところ家臣団の権力闘争に過ぎないな
546 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/07 18:21
本庄の件は家臣団の権力争いじゃなく、上杉に都合が悪いからでしょ。
547 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/07 18:56
揚北で最大勢力だしな。
色部もあったけど、軍事力ではやっぱり本庄?
まぁ譜代ってわけでもなく謙信時代から
「一応」傘下に入ってる感じだから
上杉からもそんな扱いで見られてたんだろー。
548 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/07 19:02
最上と結んだりしてたからじゃない>本庄
549 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/09 14:02
おい、皆認めんなよ。
本庄が改易とか、そんなの認めたら大変なことになるぜ。
本庄改易後は色部長実が揚北最大勢力になっちまったんだからよ。
それでなくても席次は本庄より色部のほうが高いってのに。
また「第二の松永」とかいって降臨してきたら、お前ら、どうするんですか?
550 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/09 14:05
>>548 最上とは結んでないような気が。
最上とは合戦したんじゃなかったけ・・・。
551 :
25x987:02/03/09 14:31
兼続はん、息子を殺された親父があまりにしずごいんで
閻魔大王に交渉するからって、使者に遣わす為、その親父を
殺したって本当ですか?
552 :
鬼武者武田菱:02/03/09 16:25
なんか安国寺のボーズが強くて頼りになるヤツなイメージが
こびりついて離れない・・・
554 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/10 21:21
景勝=兼続による謙信暗殺が正しいと仮定した場合、ここでの議論はどうなる?
555 :
無名武将@お腹せっぷく:02/03/10 21:26
色部長実が「第二の松永」として降臨するに900ペリカ
557 :
無名武将@お腹せっぷく:
隆景の死後は広家は実質毛利家を動かしてたんだから有能、なはず