信長軍の足軽は弱かったらしいな

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1坂上田村麻呂
でもそれでよくあそこまで勢力伸ばせたな。
2無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:19
弱さゆえに、勝つこともある。
人類が地上の支配者となれたのも、その弱さゆえ
3無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:21
ライオンと人間一対一で戦っても勝てないだろ。信長は頭使ってんだYO!
4無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:22
>>5がいいこと言った
5無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:22
まんこ
6無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:25
>5
(・∀・)イイ!!!!
7無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:29
三河兵一人に尾張兵三人とかなんとか。
8無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:30
弱いわけ無いじゃん。
9無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:30
武田兵と織田兵の比率は?
10無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:37
基本的に商業が盛んな国の兵は弱かったらしい。
(戦国時代も旧日本軍も)

農業しかないところだと封建的な権威がよりいっそう大きくて、
上からの命令は絶対に従うという気風が強いんだと。
11軍師唐、じざね:01/12/04 20:40
「尾張兵など1人で5人を相手にできる」と武田軍に侮られ、
弱兵として勇名だった織田軍を無敵の集団として組織〜(中略)
ってPC88の説明書でかいてあるYO。
そういえば姉川の戦いも三河兵が頑張ったから〜
ってコーエーの本に書いてあったっけナ。
12無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:43
>>8
尾張兵が弱かったから信長が
長槍や鉄砲で弱さをカバーした。

しかし兵農分離して戦だけすればよくなった兵が
弱兵っていうのもな・・・
13無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:45
中世武士団のころは、京文化に染まっていた西日本主に畿内の武士団は士気が低かったように記憶している。
14無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:52
大兵力を短期間に集中させ、
必要によっては長期間の維持を可能にさせた「戦略」の有無が
織田が天下人として君臨できた理由ではないだろうか。
兵の質が1:5でも兵力差で10:1にすればよいのだ。
15無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:53
軍団化した理由だな。
16無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:54
弱い弱いというけど、織田兵の強みは年がら年中戦えるという事。
これは無論、兵農分離したからだけど、考えてみてみ。
一年中戦場にいる事がどれだけ大変なのか?
例えば美濃侵攻をみればわかるけど、戦場では信長軍に勝っていたけど
結局、農民兵は戦場にいる事が出来なかった費用的にもそうだけど、
心理的にも限界だった。専業兵士と農民兵の違いはそういうこと。
1710:01/12/04 20:55
>>12
兵農分離=季節に縛られない兵の運用。
個々の兵の素質にはあんまり関係ないのでは?
(そりゃ兵の訓練がしやすいので、分離以前よりは強くなると思うが)

自分のイメージでは
尾張等=攻勢時はいいが、劣勢になると逃げ腰
甲斐、越後等=劣勢になっても粘り強く戦う
といった感じでだが。
18無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:58
織田兵って装備は良さそうな気がする。
19無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 20:58
>17
自分たちの土地があらされ、母ちゃんが犯される姿は見たくないからね。織田軍は土地への執着心がないんだな。
20夏侯操 ◆60wHXQlc :01/12/04 21:00
織田が弱いだあ〜
小田の間違いだろ
21無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 21:01
傭兵なんて、ろくなもん集めてないんだから戦で死ぬつもりなんてさらさら無い
頑張るのは手柄が立てられるときだけ、農民兵は自分の国を守るてために戦うし
戦場で逃げたりすると郷土で告げ口叩かれるし帰れない
22無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 21:01
大負けしても兵力の回復が早ければ、
傷は浅くてすむ。
何しろ織田は負けた後からの再動員が早い早い。
23無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 21:05
>>19
同感。
でも、その土地への執着心が武田軍の限界で、
天下を取り損ねた最大の原因だと思う。
24無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 21:06
なんか、尾張の兵が弱くて三河の兵が強かったってのは、江戸時代の徳川方の
プロパガンダって気がしないでもない。
25無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 21:08
>>23
んなことない
2623=10:01/12/04 21:11
>>25
そうか?
27坂上田村麻呂:01/12/04 22:38
じゃあ逆に聞くけどよ、戦国時代に一番強かったと思われるのはどこの兵よ?
28ちんこ:01/12/04 22:43
やっぱ薩摩兵
29無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 22:45
甲州兵でしょう。
信玄によってミッチリ鍛えられていたらしい。
武田滅亡後は井伊直政の赤備えとして活躍した。
30無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 22:50
甲州or越後or薩摩のどれか。
尾張兵が弱いってのは本当らしい
兵が弱かったのに活躍できたのは
信長を初めとした指揮官が有能だったから。
31ちんこ:01/12/04 22:54
いやいや薩摩兵でしょ!

薩摩統一戦
九州統一戦
対秀吉戦
朝鮮役
関ヶ原戦
琉球遠征     いつでも、どこでも大活躍!!
32無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 22:55
尾張兵が弱かったから
姉川や長篠では敵を圧倒するだけの
兵力を率いて出陣する必要があった
33無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 23:00
小部隊なら、甲斐。薩摩。越後。三河。
大部隊なら、武蔵。河内。美濃。
34無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 23:08
薩摩兵は九州征伐の堀ずれに
「毎日城を落とすのは忙しくてかなわない、もう少し抵抗してくれ」
といわれています。
35無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 23:11
甲斐と越後だね。
でも他地域とさして変わらんと思う。
36無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 23:12
>34
堀ずれってなに?
37無名武将@お腹せっぷく:01/12/04 23:14
>>36
堀秀政だろ?
ずれ=ごときという意味で
38夏侯操 ◆60wHXQlc :01/12/05 02:12
紀伊の兵が一番強いにきまってるだろ〜
この国の人達は傭兵として生計立ててたんだからな
実際に雑賀とかすげえもんな
39無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 02:20
信長の兵農分離=実は根拠無し
尾張の弱兵=信秀の時代は戦も強かったのに……
越後の強兵=謙信の時代は確かに強かったが……

やっぱり指揮官の問題だと思う。
40無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 03:58
「兵隊やらなきゃ食ってけない」地域の足軽と、
「兵隊やらなくても食うには困らない」地域の足軽じゃ、
精神面に差が出てもおかしく無いかも。

中、下級指揮官の充実度も大いに関係あると思うけど。
41無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 05:00
でも、大阪城攻めでも上杉軍は名をはせているよ。
それに、たとえば15年戦争でも大阪東京は弱く
九州東北は強かったと言われていたから、やはり
先進地域=都会=弱兵、の法則はホントじゃないのか。
42無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 06:51
>>19
そのかわり武田の兵は武田滅亡時には
逃げまどうばかりでほとんど戦わなかったよ。
農民兵や半農半武はいったん主家を見限ると徹底的だね。
43無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 07:13
だか〜ら〜
>>42
信長の兵農分離=実は根拠無し
尾張の弱兵=信秀の時代は戦も強かったのに……
越後の強兵=謙信の時代は確かに強かったが……

やっぱり指揮官の問題だと思う。
44事実から真実を想起せよ:01/12/05 08:09
1.主家が危機に陥ったときの対応
織田=本能寺では逃亡無し全員討ち死 桶狭間でも脱落者無し
武田=滅亡時は家臣一門衆、兵隊のほとんど全部が寝返る。勝頼は逃げ回ったあげく殺された
徳川=今川や織田に寝返る者多数、ついに今川傘下に。桶狭間後は織田傘下に。
     三方が原では武田に大敗。長篠では存在感ゼロ。真田にはこてんぱんにされる。
     関ヶ原でも家臣のはたらきに目立ったものは無い。大阪の陣でも本陣が危うくなると
     家康より先に逃げ出す譜代の旗本たち
2.獲得領土
織田=尾張半国よりスタート30余年で日本の3分の一獲得
武田=信虎が甲斐統一し信濃侵攻。信玄は甲斐一国より信濃駿河+遠江の一部
     勝頼はさらに上州獲得し三河遠江に攻勢かけるも失敗し滅亡
徳川=家康は人質よりスタート。桶狭間のどさくさに三河の一部で独立。ほぼ自力で三河統一
     武田と図って遠江獲得。武田滅亡にさいして駿河を恩賞として信長より拝領。
     本能寺のどさくさに甲斐信濃を獲得。秀吉の命で関東へ国替え石高は大幅に増加・・・後略
45無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 08:25
>>44本能寺は逃亡なしつーか、できる状況じゃなかっただろ。
46無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 08:38
>>44
単に自論(織田マンセー)に不都合な個所を隠蔽してるだけじゃん
織田も今川家に寝返る者が多数いた。
織田家臣だった豊臣は主家を乗っ取ってるし、
簒奪政権に鞍替えする無忠義な織田家臣も多かった。
>織田=尾張半国よりスタート30余年で日本の3分の一獲得
いくらゲーヲタでも織田家の独力で成し遂げたとは思ってないよな?
47無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 08:41
織田なんて、それこそ信長死んだら
とたんに家臣が息子や孫使って大混乱じゃん。
48無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 08:46
>>48が良い事言った!
49無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 09:06
自分かよ
50無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 09:06
織田信長家自体が名門武家ではなく、織田信長のカリスマや統率などの個人的能力に依存していたし、信長死後混乱したのは信長自身が譜代の家臣団を大事にしてこなかったツケダト思う。
51無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 09:10
つーわけで>>44はアホ
52無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 12:01
武田は家な対する義理
織田は信長に対する義理

うーん、織田に関しては賛成だけど、
武田も勝頼に義理立てする者、多かったかな。
53これ読んだら?:01/12/05 12:38
www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/read007.htm
藤木久志『雑兵たちの戦場』

あと鈴木真也氏の『鉄砲と日本人』がいい。
54無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 14:21
天正元年頃の兵士の強弱(根拠なし)

島津>上杉>武田>徳川>毛利>北条>織田
55夏侯操 ◆60wHXQlc :01/12/05 14:24
だから一番は紀伊(雑賀)だって
56無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 14:32
重要なのは最後に勝ったのが家康ということ。
57無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 14:33
>>55
「単なる殺し合いならで勝つ」という比較なら同意する。
5857:01/12/05 14:45
「三河・甲州兵みたいに粘ったりするのも強さに加えられてる」
のとは違う、ということ。
59坂上田村麻呂:01/12/05 21:29
長曾我部の兵は強かった?
一応四国を統一したけどこれもやっぱ指揮官の問題?
60無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 21:33
一領具足って時代遅れ・・・
61 :01/12/05 22:54
て優香、半農半兵なんてこの時代珍しく無いのに何故
一領具足だけこんなに有名?
62無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 23:03
土佐では半農半武は名誉とされた。
63無名武将@お腹せっぷく:01/12/05 23:06
一領具足は大名による国家総動員体制。
ここまでやっているのは通説では薩摩、土佐ぐらい。
甲斐、越後でさえここまでの総動員体制はひいていない。
64無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 00:27
結論!!
一番強いのはアイヌ!!
65無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 00:38
姉川戦後の稲葉一鉄のエピソードは創作なの?
66 ↑:01/12/06 20:54
どんなの?
67無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 21:08
戦争で個々人の武勇なんて意味無いからねえ
68坂上田村麻呂:01/12/06 21:10
>64
アイヌ人は戦の時鉄砲の音を聞いて逃げ出すほどだから、、、
それに兵法を知らない。
69蠣崎信広:01/12/06 21:32
>>68
お前の認識古すぎ。
>>69
そら坂上田村麻呂だから
71無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 21:42
認識古いといえば、ドキュソ司馬さんの小説が与えた誤りが凄いよな。
72無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 21:42
ナコルルたんみたいなのは本当にいたんだろうか。
いたなら最強。
73蠣崎信広:01/12/06 22:28
>>70
いや。。。。。いいや。君はなんというか・・・・・だめ・だ・・・な・・・・・・。
74無名武将@お腹せっぷく:01/12/06 22:43
>>65
姉川の戦いで側面ついたのと関係が?
75坂上田村麻呂:01/12/07 22:33
>69
じゃあ正しい認識はなによ?
76坂上田村麻呂:01/12/08 21:24
おいおい69は言いっぱなしかよ、、、
77有楽斎:01/12/09 20:23
>>44
オレは隠れて助かったけど、何か?
78信忠:01/12/12 10:32
>>77
お前は妙覚寺にいただろーが! どうせ殺す価値もない下人だと思われたんだろ。
79無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 01:19
「下天は夢か」に、
織田と浅井の足軽連が土木現場で喧嘩して
多勢の織田方がアッという間にボコられ
数丁も逃走するシーンがあったような。

あの時代に鉄砲が伝来してなければ
信長は天下取れなかったんじゃないか
と思うことがある。
80飛蝗:01/12/23 01:40
一人一人の腕力の強弱は余り問題では無いと思われ。
肝心要は、一兵卒が何の疑いも無く、一つの作業に一心不乱に取り組む事が可能な
作戦を組み立てる事が出来るか否かがポイントと思われ。
81無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 02:21
アメリカ軍の歩兵だって弱かったゾ。

アメリカの将軍、ドイツの士官、日本の下士官・兵士を集めれば、最強の軍隊ができる。
82無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 02:28
>81
ヒトラーとかは、「堕落した民主主義国家」アメリカの子弟は兵として
全く軍国ドイツ兵の敵ではなく、戦ったらイタリア兵のように一瞬で
崩壊する、とか考えていたが、蓋を開けてみると、アメリカ兵は
(ビンボ国日本とかと比べればゼイタクな兵ではあったが)
決して弱兵ではなく、合理的かつねばり強く戦い、ヒットラーは
自分の認識の誤りを知り憮然とした、とあった。
>>81
はあ?
第二次大戦中のドイツの強さは下士官の強さだったんだが・・
第一次大戦で破れたドイツは十万の兵力に制限されたが。
士官の数は制限されたが、下士官の上限は設定されてなかったので、
全員を最低、下士官にする方針がとられ、全員を最低、小隊の指揮がとれるように入念に教育されたという。
そのため、ドイツの下士官は他国の士官なみの有能さだと恐れられた。
アメリカの将軍ってのもわからないなあ・・・
ドイツの将軍は最も優れてたしね、
アメリカの経済と生産力と政治家、ドイツの技術と将軍と下士官、日本の兵士が正しいのでは?

スレ違いスマソ
84無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 21:22
>>81
フー。
独の下士官は職業軍人 ちなみに士官はオタク。
米の将軍も職業軍人  ちなみに兵はDQN。
日本の兵は逃げ場がなくて戦うしかない(ヤケ)ちなみ・・・書けません(TT)。
だから強い。
すれ違い須磨祖。
非民主主義の方が兵は強くなるのかね。
民主主義では人的損害が著しくなればそれは支持率低下に繋がるし。
神風特攻隊も民主主義国家相手だからこそ有効だったの鴨。

戦国時代で言うと、(本当に)全く死を恐れない一向一揆軍や島津軍はやはり強かったと。
86無名武将@お腹せっぷく:01/12/23 21:53
87坂上田村麻呂:01/12/23 22:07
今もこのスレが生きてることに深い喜びを感じる俺!
88無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 12:14
じゃあageてやる
89日本@名無史さん:02/01/03 14:44
>39 が妥当なところかなあ。

大体、豊臣政権下の朝鮮役の時でも、軍隊には多数の農民がいた
くらいだから(建前では非戦闘員だけど)、信長時代の織田軍は
専業兵で構成されていて、農民兵からなる他大名の軍と違い、
農繁期の出陣も長期の出陣も可能だった云々なんていう発想は、
根本的に間違っていると思う。
楽市楽座で儲けた金を雇用兵に使う

雇用兵は農繁期戦える、相手と比べて農民兵の負担も減る、美濃攻めはこれが効いた
農民兵は土地を治めている者が指揮する、雇用兵は信長の直系でいつでも召集できる
木下秀吉や滝川一益ら新参者に指揮させる事もできる
91無名武将@お腹せっぷく :02/01/03 15:29
有能な働き者は補給部隊に
無能な怠け者は伝令兵に
有能な怠け者は将軍に
無能な働き者は殺せ
92日本@名無史さん:02/01/03 15:36
>90
おいおい、信長が楽市令を出したのは美濃を制圧した後だろうが。
それに、そもそも楽市楽座政策は限定的なもので、信長は基本的に
旧来の座を保護していた。

それから、信長が農繁期にある程度有効な数の兵を雇って活用して
いたという証拠はあるのか?
>>92
まず農繁期に雇用兵が動けない理屈を語れ
94日本@名無史さん:02/01/03 15:44
>92
「農繁期に雇用兵が動けない」なんて言っていないぜ。
雇用兵は、もちろん農繁期に動けるよ。

勝手に主張を創作するなよ。
活用できるなら問題無いじゃん
96日本@名無史さん:02/01/03 15:50
>95
だから、信長が農繁期にある程度有効な数の兵を雇って活用して
いたという証拠はあるのか? と訊いているんだよ。
ここは寧ろ>90に兵農分離の出来ていない上尾張の弱兵で
いかに織田が所謂強兵を制圧し得たかの分析をお願いしたい
>>97
信長の適切な采配
9997:02/01/03 15:53
そう言う回答が来るのが一番嫌だったのに・・・
それ以外にあるのか?
年表を見ると
農繁期の戦いは姉川、長篠、羽柴の鳥取兵糧攻め、柴田の魚津攻め、木津川の海戦
は見つかった
まあ長篠で武田は一万三千しか集まらなかったからな
103日本@名無史さん:02/01/03 16:09
>101
農繁期の戦いがあるのはいいのだけど、兵農分離を
やらないと農繁期には戦えないとか、信長はいち早く
兵農分離を行なって勢力を拡大したなんて発想が
おかしいのではないかと思う。
そんな発想した人いる?
あと墨俣城に兵を入れてたとき斎藤方はそれに備える兵を集めるのに苦労したとか
織田軍は美濃にちょこちょこ出兵したけど
斎藤は回を重ねるごとに兵を集められなくなったとか
107日本@名無史さん:02/01/03 16:13
>104
以前ネットで検索してたら、そういう見解が少なからずあった。
108無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 16:14
じゃあさ、織田の総石高と他の大名の総石高の比較
実際に動員できた兵の総数を比較してみてよ、誰か。
>108
それくらい自分でやれよ
110日本@名無史さん:02/01/03 16:18
>106
斎藤氏は龍興の代になって内紛もあったし、それに付けこんで
信長が調略により斎藤氏を弱体化させていったのだと思う。

>108
それは難しい。織田領国内でさえ、貫高制と石高制の並存だから。
少なからず雇用兵の力で勢力拡大できたでしょ
家臣が統制する兵と違って確実に数とし計算できる
農民兵の負担減→国力増強、農民の反乱減
地方指令軍にも雇用兵が使われたよな
114日本@名無史さん:02/01/03 16:27
>112
いやだからねぇ、信長が他大名以上に(農繁期には)雇用兵に
頼っていたという証拠を提示してもらいたいのだけど。
115日本@名無史さん:02/01/03 16:28
そもそも、何をもって「雇用」と定義するかも難しいかもね。
長篠、差が健著に出たね
117116:02/01/03 16:29
変換ミスしすぎた
>115
銭で雇った兵?
119日本@名無史さん:02/01/03 16:32
>118
色々と特典があるから。棟別銭免除とか。そういう兵をどう
定義するのか、難しいかなあと。
専門→雇用兵
徴兵→農民兵

あとは蜂須賀党等の独立勢力もある
121日本@名無史さん:02/01/03 16:54
「専門兵」が「雇用兵」という定義なわけか。
信長時代の織田氏の軍隊に占める「専門兵=雇用兵」の割合が
他大名の軍隊よりも異なる水準で高かった可能性はあると思う。
ただ、それは天正年間の後半以降のことだと思うけど。
122日本@名無史さん:02/01/03 16:55
天正年間の後半というのは違うか。信長は天正10年に
死んでるしな。1570年代の後半以降に訂正。
123無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 16:58
銭で雇われる足軽は応仁の乱の頃にはもう存在していたはずですよね?
織田の兵農分離は信長の発想の新しさを証明するものではないよ
尾張の経済的な豊かさを証明はすると思うが
124無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 17:00
鎌倉時代はどうだ
125無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 17:06
誰か答えてくれ
平将門が百姓を銭80枚で雇ったと記録がある
まあ、職業軍人ではないが
127日本@名無史さん:02/01/03 17:11
有償で軍に加わるというのは、昔からあった。
平将門の頃のことも指摘されていたけど、
当然、源平争乱期の頃にもあった。
128日本@名無史さん:02/01/03 17:14
源平争乱期に有償で民衆を徴発したというのは、人夫のこと。
建前としては非戦闘員なんだろうけど、人夫も矢を放ってくると
『愚管抄』に見える。
129無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 17:23
>>123
織田家ほど兵農分離した家がどこにあるというのだ?
130日本@名無史さん:02/01/03 17:27
脇田修『織田信長』P178

信長は中世以来の在地領主制を否定していないし、
都市自治や座組織も存続させているが、中世数百年の
歴史と信長の出身階層をみるならば、その方がはるかに
自然である。むしろ秀吉のように兵農分離をやって侍を
農村から切りはなし、都市に移して「鉢植え」の境遇に
おいたことのほうがよほど不思議で、ヨーロッパ封建制と
くらべても大きなちがいとなったのであった。

という見解もあるね。
131無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 17:34
日本@名無史さんの主張はなんだよ
132無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 17:35
それと123の電波はなんだよ
133無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 17:35
上杉謙信等は土地の豊かさが無いから兵農分離できなかったとでも?
金が余るほどある謙信はなんで雇用兵を使わなかったんだ?
信長は関所を廃止して人の流れをよくして大量の流れ人を集めたんだぞ
当時流れ人は信用できないというのは常識、多少の浪人を集める事はしても
流れ人を何千人も集めて戦力にしようなんてどこの大名も考えてないぞ、
137日本@名無史さん:02/01/03 17:54
>131
信長時代の織田軍は特に弱かったとは思われない。
特に強かったと主張するわけでもないけど。

基本的に戦乱の拡大は「兵農分離」ではなく、大量動員の可能となる
「兵農一致」志向をもたらすもので(武田・北条・徳川など)、信長
時代の織田氏も途中まではむしろ「兵農一致」志向だった(永禄・元亀の
頃は農村の軍事組織を丸抱え)。

ただ、周囲を圧倒する勢力になれば、一定単位(人口・経済力・領域など)
あたりの動員率を下げることが可能となるので、いわゆる「兵農分離」を
遂行することが可能となる。だから、織田政権末期には他大名と異なる
水準で兵農分離がなされていた可能性も否定できないけど、それも疑問が
残る、というのが私見。


>135
京都七口の関所をはじめとして、畿内の関所は結局廃止できなかったらしいけどね。
138無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 17:55
それは公家の反発を抑えるため、それでも幾つかは廃止した
139無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 18:08
堺屋太一『秀吉』

信長がすごいです、読んでない人は読んでみてください
140無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 18:47
>>134
>137が書いているがプラス
今でも地方に求人があってもいかんだろう。
それこそあの当時は人は移動するだけでも大変だった
足軽(浪人)は自分のの足で移動、なおかつ近畿、中京、関東ぐらいならば
平時は農民以外でも生きていけるがその他の地方は一部の町以外は難しそうだ。
141無名武将@お腹せっぷく:02/01/03 18:52
>堺屋太一『秀吉』
むしろ「鬼と人と」
の信長の方がすごいが。
142無名武将@お腹せっぷく:02/01/08 01:06
傭兵ってずっと昔からあったんじゃないかな。お金とかできる前から。
「ぶた1頭やるから山賊から村を護ってくれ」とか。

とはいっても、専門の職業軍人を組織した信長はすごいんだけどね。
商業の発展した地区は当然農地を持たない流れ者が
多く流入しており、生活の手段を持たない彼らの
少なくない者が専業兵士となった。しかし元々自分の仕える主家に対して
しがらみの少ない(領民でない)彼らは、
戦で旗色が悪くなるとすぐに逃げ出していた。
しかし普段農民として土地にしばられた生活をしている者は
逃げ出しても帰るところはやはり自分の家であり
戦場で逃げ出した噂や風評はどうしても近隣に広まってしまう。
結果的に戦場での働きには農業地区出身兵と商業地区出身兵で
差が出てしまうのだ。

それから織田家=兵農分離という妄想はそろそろ払った方がいい。
兵農分離を推し進めていたのは確かだが、多くの将兵が信長の死後まで
土地と共に生きているは当時の文献を調べれば分かるはずだ。
144無名武将@お腹せっぷく:02/01/09 00:25
>ぶた1頭やるから山賊から村を護ってくれ

なんかほのぼのしてるな(w
145無名武将@お腹せっぷく:02/01/09 00:35
徳川マンセー時代、尾張が弱いほうが徳川の強兵
の引き立て役に都合がよかったのだろう。
明治になってからは、これまた尾張が弱いなら
信長個人を引き立てるのに都合がいいので
参謀本部あたりが広めたのでは?
146坂上田村麻呂:02/01/10 23:05
スレ1ヶ月記念age
147無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 01:59
雑魚
148無名武将@お腹せっぷく:02/01/26 21:17
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1011594229/

71 :無名武将@お腹せっぷく :02/01/24 20:25
>>67
菅屋が信長の野望に登場しないのは不満だが、
それよりも長谷川秀一が登場しないほうが不満。
豊臣政権下で11(15とも)万石の大名、
しかも朝鮮出兵時には朝鮮側から
最も強い武将だと評価されている。
さらにそのとき動員した兵は5000というから
かなり頑張っているね。

81 :無名武将@お腹せっぷく :02/01/25 23:41
>71
えっ。朝鮮からそんなに高く評価されてたの?
ソース教えてくれ。

89 :無名武将@お腹せっぷく :02/01/26 14:39
>>81
朝鮮側の記録、「中興志」。
実際読んだことはないけど。
149無名武将@お腹せっぷく:02/02/11 04:05
>>149
その無言ageやめてくれ。気味が悪い。
151無名武将@お腹せっぷく:02/02/19 13:08
天下無敵
152無名武将@お腹せっぷく:02/02/21 14:39
貧弱
153無名武将@お腹せっぷく:02/02/21 14:59
まあ東京、大阪、名古屋は事実弱いけどな。
今も昔も商地区だもの
155無名武将@お腹せっぷく:02/02/21 23:44
まあ単純に足腰の強さなど基礎体力については、
平均値では平野部在住の人間より、山間部在住の人間の方が
強かったかもしれない。
156無名武将@お腹せっぷく:02/02/21 23:44
んなわけない
157無名武将@お腹せっぷく:02/02/22 00:43
軍事版の名スレ「イタリア軍弱さの秘密」によると、
メシのうまい軍隊は弱いという結論になっていた。
信長軍のメシはうまかった?
158無名武将@お腹せっぷく:02/02/22 00:44
898 :無名武将@お腹せっぷく :02/02/17 00:15
信長が安土に移った時、旗本たちの多くが家族を岐阜に残して
「単身赴任」していたことで信長がぶち切れて彼らの岐阜の家を
焼き払った逸話は有名である。
ではなぜ、このようなことが起こるのか。
それは「兵農分離」できていなかったからである。
つまり、信長の旗本たちは自分たちの領地を濃尾平野に持っていて、
その経営のために家族を岐阜に残して置かざるを得なかったのである。
もし領地ではなく給料を与えられていたならば、旗本たちもおとなしく
安土に引っ越したことであろう。同じ給料ならその方が金が掛からない。
家族を岐阜に残してわざわざ単身赴任して来ていたという事実は、
信長の本拠移転が「兵農分離」といった「先進的」政治の結果なのでは
なく、ただ単に家臣に負担を強いていただけのことであるということの
証左である。
159無名武将@お腹せっぷく:02/02/22 00:48
>>157
 覇権国になったオランダ・イギリス・アメリカの料理が
イマイチなので料理なんかにこだわらない大雑把な国民性のほうが
覇権を取れるのかもしれん。
 
160無名武将@お腹せっぷく:02/03/01 20:12
家臣が統制する兵と違って確実に数とし計算できる
農民兵の負担減→国力増強、農民の反乱減
161無名武将@お腹せっぷく:02/03/24 18:48
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162無名武将@お腹せっぷく:02/03/24 18:58
>>157
いえてるね
一日の中で食事に何時間もの時間とエネルギーを使っている人間が
料理以外で他国民よりも優れた分野を持てるわけがない
163無名武将@お腹せっぷく:02/03/24 19:02
織田軍は君主(信長)が金持ちだったからいいもん食ってた可能性は
あるな。
秀吉が九州出兵の時に全軍の兵糧を支給したが、
一人一日分の米が一升だった。
『雑兵物語』などからすると普通は6合ぐらいだったらしいから、
それ以前から織田軍の感覚は他と違った可能性はある。

でもそれだと無駄飯喰らいの弱兵ってことに。
ダメダメじゃん……
>>157、162
 そうだね。オランダ・イギリス・アメリカあたりの料理はパッとしないもんな。
織田軍はどうかね。名古屋というと味噌煮込みうどん、ウイロウしか思いつかないが。
料理の味や作法にこだわらず、腹いっぱいになればいい、という考えの組織が強いのかも。