玄はなぜ岐阜を攻めないで三河を攻めたのでしょうか?
秋山が岩村城を攻めているが本体も美濃をせめて信長を倒すべきではなかったか。
この時期信長はどんどん勢力を伸ばしており勝頼の為にも信長を攻めるほうが良かったと思うのだが。
もうひとつ、なぜ今川を攻めたのか、あんなへっぽこいつでも倒せる。
信長を真っ先に攻めるべきだった。
2 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 21:12
1さんワッショイ !!
゚ \\ 1さんワ ッ シ ョ イ !! //
。 + + \\ 1さんワ ッ シ ョ イ !! /+
* + . \\ + 。. . / + *
,,,,, * 。 o
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)| | \\ (mn)__ ヽ *
+ ( _l ∧_∧ nm 〉 .〉 ∧_∧ / / 。 ゚
\ \_(´∀` ) / ノ ∧_∧ / ./ (´∀` )/ / 。
。 * \_ ̄_ ̄ )/ / (´∀` )/ ./ (~⌒\ ト/ ) *
/ ̄ \ /\  ̄ ̄ ~ / \\ \_/ / ・
,⊂二二/〉 /  ̄ ̄| イ./ \\__/| + *
/ / ヽ | ,) ノ
。゚ ( <./ \ \/⌒\ ノ、 * 。
\ \ 〉 /\ \ γヽ 。 +
* / \ \ / _/~ / \ V _ノ
/ / > / / /^ / | \__)| + ゚ 。
* 。゚ / / | / \ \ / / \ \ 。 +
/ / | / \ \ / / \ \ 。 o
< 〈 / /__ __> _><_ <_ _> _>
* + \_) 〈_ ___) (__/ \__) (__/ + *
* + 。 + 。 + * 。 。 +
* o + 。 +* + 。 +
+ 。 o
3 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 21:13
r、 ./')')')') / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| l-、(\|_|_|_|_| | さあ
>>1さん、レッツ・ダンス!!
. / 〉 \_ ) ,! | ______________
/ / ヽ. \ |/
. / / 〉 〉 (⌒ ̄`8
/ / / ./ ヽ. \8
. \ \∧_∧/ / .__ \ \
\ ( ´Д`) ( \___/  ̄ ̄ ̄ i
`ヽ ヽ ` __,ノ
\__ \ _,___ / ̄ ̄
 ̄  ̄ | |
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|. |
| ,|
| )
| 〈
c.ノ
4 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 21:21
今川攻めたのは海がほしかったからとも言われてるね。
それと徳川が駿河に間で来ちゃうと困るしね。
余命幾ばくもない震源の心理としてはまずは戦国大名の夢である京都に上洛を果たし、天下に号令をかけたかったのでしょう。そのためには京都への最短ルートとして考えられるのは力をつけてきた織田よりもまだ勢力の小さい徳川を撃破した方が京都への路がより近いでしょう。
6 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 22:13
恐れながら申しあげます。2と3が引っかかりました。
7 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 22:15
>もうひとつ、なぜ今川を攻めたのか、あんなへっぽこいつでも倒せる。
逆に言えば今すぐ取らないと北条や徳川に取られちゃうってことだろ。
頭使えよ。
その当時の兵力分布を考えれば一目瞭然。
攻めなかったのではなく、攻められなかったのだ。
9 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 22:39
それはその・・・・あの・・・・・
笛の音のせいだと思われ・・・・
10 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 22:59
>>もうひとつ、なぜ今川を攻めたのか、あんなへっぽこいつでも倒せる。
>逆に言えば今すぐ取らないと北条や徳川に取られちゃうってことだろ。
>頭使えよ。
馬鹿かお前は?武田と同盟結んでる今川を攻められるかよ。
義元倒してから何年ほおって置いたんだ。攻められないんだよ。
11 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 23:16
12 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 23:25
お隣の徳川が少しずつ今川領を削ってたってのもあったかも。
今川は家康に独立して2年足らずでほぼ三河全土を押えられたんだし、
一揆で一時停滞してたものの、西に不安が無い家康は
東を安心して攻められる(っていうかそこしか無い)んで、
早めに分割しといて正解と思われ。
13 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/05 23:42
今川を攻めたのは4同様海の獲得が目的でしょ。海路をつかっての輸送がしたかった。
山国で輸送の難しさをいやというほど知っている信玄なら当然。現にすぐ水軍を創設
している。それに今川の繁栄を支えた金山も欲しいしね。
そのせいで、わしゃ糞漏らした・・・
あはは
16 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 02:36
信玄は信長に外交でまるめこまれていたからだろ
いつでも倒せると思ってたのかもナー
今川責めたで氏康が(それが許されるならとっくに家が責めてたわゴルァ!!
と思ってたかは謎
17 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 07:26
もし、今川を攻めないで信長攻めてたら、義信は謀反を起こさなかったわけですよ。
大分変わってきますね。
まず、今川領分割は信玄と家康ではなく、
信長との合意だと言われてますよ。
それと武田家の衰退の理由の一つに
「武田家の経済を支えてきた金山が枯渇したから」と
いう説がありますが、そのために駿河の金山の確保が
必要だったわけです。
あと海が欲しかったんでしょうね。
武田は駿河確保後に早急に水軍や港の整備していますしね。
19 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 08:38
な
まず「武田信玄が天下取りの野望を持っていた」という前提自体がいろいろ反論もあるのです。
最後の西上ですら、「天下取りのためではない」という意見もあるくらいですからね。
まあ、少なくとも「信玄が若い頃から天下取りを目標として、その目標のために行動していた」なんて事はなく、
せいぜいが「状況の変化により天下を狙えるようになり、本人も徐々にその気になってきた」というところでしょう。
「義元死後の今川領の侵攻が何故遅れたか」
という疑問自体が「信玄が若い頃から天下取りを目標として、そのために行動していた」論からくるんじゃないですか?
すいません、1さんの疑問にあまり答えてないですね。
まず「信長を早期に何故攻めなかったか?」という問いに対しては
信長の外交に丸めこまれていたのと、
信濃を固めたり、上杉家や上野(長野氏など)の問題と
信長包囲網もなかった(信長包囲網が信玄主導というのも疑問)し、
第一、攻める理由がない、信玄が早い時期から信長を脅威と感じていたり天下を狙っていたとも思えません。
また、最後の西上の時に何故、美濃ルートにしなかったかというと戦略的理由です。
徳川を放置して美濃に大軍を送るのは徳川に駿河を攻められたり、横腹を突かれる危険があります。
だから、東海ルートで徳川を潰しながら進み、美濃に牽制の小兵を送るのは妥当な作戦です。
22 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 09:52
本当1はあほってかくそ。おまえは徳川をなめすぎ、っていうか徳川家康って人知ってるのかぼけ?
武田家はその時点で3万まで動かせた、徳川は1万はうごかせたんだぞぼけがほっといたら武田がおわるぞくそぼけぇーが。
23 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 11:42
徳川を買いかぶりすぎ。後の歴史を知ってるからそんなことがいえる。
信玄、信長、秀吉を手本にし力をつけていったんだ。当時はそこそこの
武将だったにしろその当時ではまだまだ若造だ。馬鹿だな兵の数を第一
みるか。石田光成といっしょやなあんた。
24 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 11:43
攻めなかったのではなく、攻められなかったのです。
信長>信玄ってことです。
だから、とりあえず勝てそうな家康を攻めた。
上杉、北条には手が出せませんから。
25 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 11:49
>>23 遠江・三河の二国を治めるなかなかの勢力で
しかも、織田の同盟者の徳川を放置しておいて、
美濃からの上洛なんて無理。
26 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 11:53
27 :
軍オタ、戦国も好き:01/10/06 12:54
>>23 信玄だってたいしたことない。
「徳川と戦って勝ったことがある」から信玄が神格化され
「その信玄と互角に戦った」から謙信が神格化された。
馬産地だということも有り信玄の諸兵科の中で白兵戦要員
の馬の比率が高かった為、下級指揮官(寄子)までもが馬に乗り、
馬に乗る寄子は視線が高いため相手が崩れた時の追撃の命令を
下すのが早く、馬の比率が高かったのと、「追撃」という
敵兵が無防備になるのを襲う戦術行動の為、機動力も
槍騎兵の衝撃力も十二分に活かせる追撃が可能であっただけ。
と、同時に彼は鉄砲を軽視していた訳でもなかった。
戦術・戦闘での優位を第一に考える人だったため寧ろ重視していた
のではないか。戦略としては、単純な「弱肉強食」に陥ってしまった
感は否めず、終始戦術戦闘の優位を追い求めた人だったと感じる。
その為一般に言われているのとは逆で、戦略性豊かで現に広域を治
め大軍を擁する信長に対して直には手が出なかった出せなかったのが
現実ではなかろうか。
28 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 12:59
補給の問題って大丈夫なのだろうか?
それ以前にあの戦国時代で領地空けられるの?
29 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 13:11
22だけど23はもバカだないくらどんなカスでも強く国から兵がたくさんいなくなったら攻められない理由がなければ攻めるっつうねんボケ。三河武士が手ごわいのはそのじてんで知られてんねんぼけが。28信玄が手をうたんで自分の領地空けるようなことするわけねーだろボケ。
30 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 13:11
22だけど23はもバカだないくらどんなカスでも強く国から兵がたくさんいなくなったら攻められない理由がなければ攻めるっつうねんボケ。三河武士が手ごわいのはそのじてんで知られてんねんぼけが。28信玄が手をうたんで自分の領地空けるようなことするわけねーだろボケ。
砦群等の陣城は縦深防御施設であり、機能的に守れるように
信玄だけでなくあらゆる武将が腐心していたようだ。が
織田領域とは違い山がちで大きい道も限られる武田領内は
敵の侵攻をその砦群で鈍らせその間に自らの外征軍を
呼び戻し、敵の攻勢限界点を叩き、あわよくば再起不能の
状態に追いやることがたやすかったのではないか。
このような防御行動を打ち破られる軍団は余程統制された大規模な
軍隊でかつ、補給に対する確固とした考え方を持った君主でないと
無理だったはず。
32 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 13:38
当時の武田氏が軍を発するには、遠江・三河のが 美濃より攻略しやすかった。
甲州からだと美濃は遠いぞ
それに、徳川を後回しにして美濃へ出兵した場合、旧今川領国
(駿河・遠江・三河)を徳川に荒らされ、本国甲斐の隣国(わき腹)に
一大敵国が出現しちゃう可能性もあった。
そうすると、上杉・北条・徳川・織田という4大国に囲まれてしまう
ことになり、戦略的に好ましいとは思われず。
それよりは、当時小国だった徳川を滅ぼして、旧今川領国を併合して
甲斐の兵力を増強してから、次に織田をっていう方が安全とおもわれ。
甲斐・信濃・西上野・飛騨の一部・駿河・遠江・三河を領国化すれば
常時5万程度の兵力を使えるようになるから、この武力を背景にすれば
北条と同盟もできる(復活?)。
もし、同盟できなくても1万の兵力で北条を牽制し、上杉の押さえに
1万の兵を配しても、残り3万の兵力を常時つかえることになる。
こうした体制を作って、後顧の憂いを経ってから美濃へ出陣って
考えるのが普通では?
敵は正面に織田のみになるし、織田の包囲網(朝倉、浅井、本願寺、
北畠の残党、三好もはいる鴨)がそれなりに機能すれば、3万の武田
軍団が織田を踏み潰せたと思う。
織田が機内を押さえていたとはいえ、美濃・尾張・伊勢を武田が奪う
事ができれば、関東でも武田につく武将が増えるだろう。
宇都宮・小山・佐竹・忍・深谷・里見等は武田に組すると思われる。
さすれば、北条も武田と好みを通じるだろう。
会津の芦名氏とも同盟できるようになるだろう。
これで、関東・芦名・北陸(加賀の一向宗)で上杉を囲んでおき、
その他の兵力(この時点で5〜7万位は動かせるだろう)で上洛戦戦を
すれば、織田など武田の敵ではない!
33 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 13:38
28補給の問題だときさまは武田がなんのために水軍作ったんだボケ。それに今回は短期間の戦じゃボケ、そんなんもしらんのか?まともに語るなら新田次郎くらい読めボケが。
34 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 13:38
>>18 信玄の今川領への侵攻は、主に穴山梅雪と酒井忠次の間でのやり取りの
記録も残ってますし、互いに血判の起請文が出されていたことも
分かってますよ。
実際、両者示し合わせて同日に侵攻を開始してますからね。
この点はあくまで、信長−信玄というより家康−信玄の合意でしょう。
信玄が遠江を攻めなければならなかった理由としては、
家康が織田とは逆に謙信と単独同盟を結んだこともあるのでは?
これは明らかに武田領への拡大の意思が見えると思われます。
というか徳川は織田に臣従に近い同盟の形をとっている以上、
武田領以外に拡大の余地は無いですからね。
姉川の合戦で過剰なほど自信をつけた家康が、さらなる拡大の意思を
持っていたことは信玄も十分知っていたでしょうし、
ですから、まず家康を叩いておくことは、西上への必須条件だったと
思われます。
>当時小国だった徳川を滅ぼして、旧今川領国を併合して
>甲斐の兵力を増強してから、次に織田をっていう方が安全とおもわれ。
それは余りにも容易すぎる考え。それをしている間、主敵も動いている。
それと兵力は多ければ多いに越した事はないが、その様な「弱肉強食」
→「領地拡大」っていう単純な戦略が身を滅ぼす元になったといっても
過言ではないと思う。
36 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 13:53
32の続き
計算違いは、信玄の体調と 徳川が予想以上に強かっただけだろう!
寿命が長くないと知った信玄は、徳川征伐〜織田征伐を1回の西上戦で
行わなくてはならなくなっただけでは?
三方原で大勝した後、健康の問題さえなければ、おそらく 徳川を懐柔し
被官と化して、三河・遠江を完全に領国化したであろう。
この時点では、完全ではないが北条との同盟も復活してたし関東には
憂いもなかった。上杉を北陸に釘付けにもできてたし・・・
さすれば、、、、
>>36 今では死間近の徳川侵攻戦(いわゆる武田上洛戦)は上洛戦では
ないことが示唆されている。
38 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 14:03
あの戦はあくまでも織田を攻める戦だボケ。きっかけをあたえれば織田は包囲網にかかってすぐ終わるにきまってんだろボケ。
39 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 14:05
しかしながらこれらは信玄の責任だけではない。
日本の伝統的な軍制に依存せざるを得なかった
そういう軍制を背景に活躍した
所に「武田軍団」の鷲の爪をかんじる。
>>38 包囲網というのはじわじわ縛り上げていくような均整のとれた
圧力と包囲環同士の密接な連携が不可欠である。勝手に越前に帰って
しまうようなのがあると余計に邪魔である。
42 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 14:28
>>34 武田と徳川だけでは力関係から合意は難しいし、
今では武田と織田の間の今川分割協定説の方が有力。
武田と徳川の間でもいろんな詰めはあったろうけど。
それと徳川が信長に断りもなく、そういう話しを進めるのは
難しかったろう。
43 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 14:29
朝倉は信長の策略にはまったんだよボケが。自分が攻めて一戦まじえたら春になればまた朝倉が攻めてくるだろうと考えたんだろうがボケ。信玄が織田の軍をある程度けちらせば信長が畿内に兵が出せないだろボケが。
44 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 14:39
まあ、家康が今川分割でそんな対等に近いような協定を結べたのは
たんに徳川の後ろ盾に信長がいたからにすぎないね。
しかし、織田と武田の連絡は当時、密だったし、
とても、この件について話しがなかったとは思われない。
武田と織田の間で予め、概ねの合意ができてたんだろうね。
>>43 信長が間抜けな遅滞はすれど「各個撃破」に陥るとは到底思えない。
まあ貴方のようにボケボケ言いながら・・(以下略
私への絡みがないのもまたオツナモノ。
いやだいぶ批判が来ているみたいだね。別に信玄が信長より強いとか、攻めれば
勝てるとか言ったかな、私。ただ徳川を過大評価しるぎとそのことだけをいったん
ですけど。まあかってな解釈してボケを連発するおっちょこちょいな人もいる見たい
だけども皆さんそれはやめましょう。そういう自分も馬鹿といってわるかった。
48 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 15:19
三河、遠江を手に治め、
一万の兵を動かせる
家康を過小評価はできない。
さらに彼は姉川で
ほぼ単独で朝倉の大軍を撃破してるし、
バックには信長いるし、、、
49 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 15:32
>>48 俺もそう思うなあ。
背後にほとんど心配の無い家康は単純な数以上に恐いと思うんだけど。
姉川見ても分かる通り家康軍は織田の中で最強の軍団と言えると
思うんだが・・・、それ以上でもそれ以下でも無いとは思うが。
50 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 15:33
23はきっと徳川家に恨みがあるんだな。きっと今川氏真なんだな。それに武田信玄が信長と戦ったらまずまちがいなく信玄の勝ちなんだな。信玄以外に敵がいないならわからないけどなんだな。
51 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 15:43
本当に23はおおぼけだな。武田が日本で一番強いだろうが三河武士もそうとうつえーってイッテルだろうがボケ。家康がどんなぼんくらであってもだ、過小評価してもつえーことにはかわらんのじゃボケが。どこが過大評価なんじゃボケ!
52 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 15:46
23がこの煽りに見事に乗るかどうかが見物(w
53 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 15:47
45の言ってる意味がわかんねーんだボケが。一個人に対することだけで終わらせてんじゃねーボケが。じゃーどうしたら信長が勝のか説明しろボケが。曹操でも無理だボケ
54 :
28(知識不足):01/10/06 15:53
戦国時代の書物で武田信玄の能力を記しているのって
どんなのがあるんですか?
家康地元だし好きですよ。おそらく信玄は信長攻めても局地的には
勝つかもしれないけど大局的にはやっぱり信長だと思う。時代は信長
を選んだとそんな気がする。過大評価はどうかとは言ったが過小評価
してるわけでもない。ただ姉川で最強だった軍団が信玄の前であっさりと
大敗したという事実はあるが・・。まあ家康を信長の東方方面軍の一員
とみれば局地戦(三方ヶ原)でかって戦争で負けた(撤兵とその後の武田
家の衰退)とみることができますね。どうでしょうか皆さん
56 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 16:08
>>55 それなら同意っすね。
三方が原の家康は慢心もあると思われ。
それまで負けらしい負けもしておらず、しかも姉川である意味こちらも
奇跡的なほどに大勝してしまった。
太平洋戦争前の日本軍のような心境だったのでわ?
ただ、信玄にしてもそうなんだが、名将と呼べる人間は負けたことからも
十分に学びさらに成長していくってことでしょう。
しかし、信長と家康の同盟ってホントに互いにとってベストチョイスだよな・・・。
そもそもこれがなければ共倒れの可能性が大きい気が・・・。
57 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 16:14
書物を特定するのは無理。28さん武田信玄はまず、内政面では水の争いをうまくさばいたり、釜無川の治水工事や甲州法度など良き政治をおこなっている。戦争は巧みな戦略に臨機応変な戦術は兵法の利にかなっている。中国より騎馬は用いずらいので孫子と独学による無敵の軍
58 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 16:14
zhe li de taolun hen renao! jiayou ba er shi san !
59 :
榎本武揚 ◆6iUxCERM :01/10/06 16:14
信玄が海を目指した理由で港を上げてる人が何人かいたけど、さらに言えば塩も大きな一因だね。
今川が義元の代までにあそこまで財を成せたのは何故かって言うと塩が取れたからだ。
まぁ他にも理由もあるけど、俺は今川が財を成せた最大の理由だと思うね。
今川は、基本的に領民には塩を取らせずに、取らせる場合も5割近くの塩を税として納めさせた。
また、塩関なる関所を設置して他国への塩の流出を制限し、他国へ売る場合にも高額な値を付けて売りさばいた。
これらの理由から見ても、塩はかなりの財を生む。
>続く
60 :
榎本武揚 ◆6iUxCERM :01/10/06 16:19
今まで買う側だった信玄には塩のもたらす力の大きさが痛い程身にしみて分かって いたのだ。
61 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 16:21
岡田ボケが一度信玄は塩を止められたことがあるから海の無い大名のつらさがいやというほどわかるんだぼけが。
62 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 16:27
司馬良太郎かなんかがいまでも信州のひとは新潟から来た人に頭をさげるって
書いたよね。塩はほんとにありがたいんだね。中国でも塩はずっと専売品で密売す
ると死刑だったそうだ。海は日本人にとって宝だ。
63 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 16:31
23は本当ボケだな。なぜのこのこでてきたのかわかんねーのか?ぼけが。武田の騎馬隊の機動力が予想以上だったんだボケ、信玄が家康が信長みたく一か八かの賭に出るような状態にもってったんだよボケが。援軍までよんどいて西上させたらめんぼくがたたないだろボケが
64 :
28(知識不足):01/10/06 16:31
>>57さん
てことは大規模な騎馬軍団とかはいなかったんですか?
それにしても塩にせよなんにせよ生活必需品て怖いなあ…
>>戦争は巧みな戦略に臨機応変な戦術
どこが?まさか父祖の領地奪回作戦がじゃないでしょうね。
66 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 16:35
騎馬の時代から鉄砲の時代に移るとやはり騎馬より足がる歩兵隊により鉄砲の集団戦術になりますからやはり騎馬なら武田が最大でしょう。大規模の騎馬軍団は必要ありません。
67 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 16:35
28さん、信玄は高い税率や、頻繁に無駄な戦を行い徴兵したりで
民を苦しめました。
信濃での戦でも村上義清などに負け続け、多くの功臣を失っています。
おまけに父は追放、実の息子は殺すわ、義理の息子を攻めるわと
非常に非人間的な人物です。
でも姉川の合戦での徳川軍、特に榊原隊の動きはすごい。
でもそれを可能にできるとは島津軍団の様に軍律が厳しかったからか?
69 :
28(知識不足):01/10/06 16:38
>>66さん
なるほど、ある無い以前にいらないんですか。
>>67さん
結局武田軍の強さは重税にささえられていたということですか?
70 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 16:39
それに三方が原で織田軍が戦わないからだボケそれに一番に戦わずに逃げて士気をめちゃめちゃにしたんだよボケが。そんなへっぴり腰の織田軍がどうやって武田に勝んだボケが。
71 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 16:41
>>68 榊原康政はスゴク活躍した時もあれば、いまいちな時もあって
非常に判断しにくい人物だよな・・・。
加藤清正も彼にあやかろうと馬印を借りていったらしいし、
当時、かなりの名声はあったんだろうけど。
>>66 そういう安っぽい考え方じゃないって・・
27に武田騎馬の強かった理由が書いてあるだろが。
73 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 16:46
>>70 確かに25000の兵で攻めてくる武田軍に対し、
織田軍3000の援軍ってのは酷い話だよな、散々、助けてもらったのに・・・。
まあ、自分の方もピンチだからってのは分かるけど。
74 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 16:56
父を追放しなければ自分や甲斐の国が危ういでしょう。今になって村上の話しをもちだすとはね、志賀城の人間的に問題ある行為のせいであるしかも若いときの話しであるし、この戦の負けから信玄と名をかえて一度も負けていない。戦況をみながらの用兵は類をみない
75 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 17:02
なぜ武田が騎馬を用いたかわかってませんね。土地的にも馬の産地ですし騎馬の最大の魅力は高い機動力による用兵によってのハイレベルな戦術を可能にします。
63の方は何に対し反論し、何が言いたいのか今ひとつ汲み取りにくいんです
けど。内容は三方ヶ原の戦いのことを言っているようですが。三方ヶ原の結果を
書きましたけど、なぜ出陣したかとかそんな話してましたっけ?なんか一方的に
敵意をもたれて話がとんでいますが。
77 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 17:07
23おまえがとべボケ。
78 :
28(知識不足):01/10/06 17:11
皆さんいろいろ知ってますね、すごいです。
所で騎馬隊は相手の防御が完璧だと役立たずって聞いたんです
けど本当ですか?
ここでは一部に感情的になってしまう人がいるようです。ここでは
まともな話が出来ません。のぞみどうりここから出で行きましょう。
他の人たちとも議論したかってんですが、煽りにのったのがまち
がいでした。ボケを連発する人に相手してあげてください。議論で
きるように諭してあげてください。
80 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 17:17
>>74 若い頃って30過ぎは若い頃なのか?
まあ、いいけど・・・。
そういや三方が原の家康も31歳ですね。
この後、負けたっけ?
信虎の改革はいろんな評価があるね。
追放時の借りによって、信玄が各豪族に持たせたことが
後の滅亡の原因という話も聞く。
どちらが良かったのかはわからんけど。
81 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 17:20
ボケさんはただだれにでもボケって言ってますよね(笑
23さんが出ていくのはなぜですか?ボケボケ口が悪いキャラなようですよきっと。
ボケはよけいだけど以外とまともな意見言っていますしね(笑
82 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 17:20
>>78 騎馬隊も周囲の従者や足軽は馬に乗ってるわけでは無いので、
言われる程の機動力とかは疑問とか聞いたけど・・・。
従士置いてけぼりで、将だけで突撃するわけじゃ無いだろうし。
夢もロマンもないが合戦の大まかな経過について簡単に書く
対峙する(日本には大軍でなくとも隠れる地積が無い為)
↓
300bぐらいまで距離が詰まった後、盾兵が遮蔽しながら鉄砲兵が射ち合う
お互い前進
100bぐらいになるとお互いの盾はぼろぼろになり、そこへ弓兵が曲射。
この段階では白兵戦要員は後方に下がり、戦闘は鉄砲と弓とボロボロの盾兵
のみで行われる。
↓
@詰めていった後、あと一回射撃できる距離になったとき長槍歩兵が用意
そして白兵戦に。鉄砲兵は翼の警戒等に回る。武将達はこの段階に到っても
戦闘に参加しない。この後死力を尽くし白兵戦を行う。
そして片方が優勢になったとき優勢方武将達は戦闘に参加し従者と共に首狩に
不利方の武将達は多くの場合逃亡する。
A白兵戦の距離になるまでに片方の射撃要員が全滅した場合、その方の軍は
丸裸になり、そこで白兵要員は追撃をする。
武田のような旧式の軍制の場合どうしても寄子が勝手かつばらばらに追撃を
開始してしまう(一首でも多く獲る為)
しかし深追い等の不要な行為が起きてしまう可能性も孕んでいる
だからこそ武田の戦闘での強さは騎兵の機動力+衝撃力が超人的であった
のではなく、騎兵の装備率が少し高いのと追撃のタイミングが良かったからだ
とおもう。
84 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 17:26
高天神上の戦いとか勝頼が血気盛んのとき家康さんざんやられた
んじゃなかったっけ。
信虎って追放された後も信玄に情報あたえたり援助し、それと信玄
も信虎の生活費を送ってるよ。それは情報費か?恐るべし信玄親子。
85 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 17:28
人間50年なのでたしかに現在の視点からの若いにはあてはまりませんね。家康もこの後は負けていません(高天神城の取り合いはぬきにして)。負けることによって知ることは多くあります。徳川の強さも武田あってのものだと私はかんがえます。
合戦の仕方について改めて書いてみると、しかし日本の戦闘は
防御的だなと思う。
87 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 17:36
88 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 17:39
83の戦い方は広い平地での戦いだけで平地の少ない日本では一つの例でしかないし、そういうおきまりの戦法を変えたのが信玄や信長などである。兵は機動力を高める為に軽装になったし、側面から切りくずしたり、突破するには騎馬の力と機動力が必要不可欠だ。
89 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 17:42
それに戦国時代の合理的考えからして歩きと騎馬がバラバラに配置されるようなことは極力ないし、そんなことをしたやつは勝てない。
90 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 17:42
91 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 17:43
まーそうだね、守ったほうが地形的にも有利だし、攻めるのはむずかしいね
92 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 17:44
>>89 だから、歩兵と騎馬兵が行動を共にしてる以上、
機動力はかなり相殺されるんじゃないの?
でも武田の機動力は群を抜いている。山地に領国があるから
主兵たる足軽の足腰が異常に強いのかそれとも
マラソンやらダッシュやらを多めにやっていたのか?
この辺り詳しいひと居ないかなー
94 :
konojidai:01/10/06 17:46
この時代に、ほうとうはあったの?
戦略機動は足軽や輜重の機動力があがれば当然上がるが
戦術機動では軍制上(部下のものは外国の様に君主が
軍事的合理で纏められない)
歩騎が合一して動くのでそんなに能力は変わらない
そういう政治・軍事体制をかえ組衆に纏め上げようとした
のが信長。しかし旧態領主の反発は根強かった。
96 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 17:56
三方が原では機動力をいかして敵の背後にまわって勝ったじゃんようするに武田には有利な条件だったが、長篠は織田徳川にとっての作戦には有利だった。
例えば、戦闘単位として一番小さいので5、6人なのだが
それをひきいる伍長みたいなのがすでにいち領主であり
5人いれば一人が鉄砲一人が矢残りが槍みたいな感じで
その領主の自腹である。当然編成もばらばらである。
こんな領主を何百も集める。そして戦闘をおこなう。
経験則(?)から前方に投射兵器を集め後方に白兵戦要員を
置くことだけ。保守的だった東国編成で騎馬の比率が少々高かった
武田は騎馬を存分に活かす為「騎馬隊などでなく騎乗伍長がばらばらに
追撃をかけ」たのである。此れを騎馬→鉄砲にそっくりそのまま置きかえると
雑賀衆のような火力集団になる。
98 :
優良スレにて:01/10/06 18:48
age age ageとく。
99 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 22:01
おまえらはわかっちゃいねーんだよボケが。
100 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 22:03
ボケ
信玄が国賊家康をきっちり殺っておけば、日本はもっといい国になったのにな。
102 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 22:26
後一年生きていれば余裕で殺れた。
103 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 23:17
あのー、戦国時代の馬って今のサラブレットみたいな馬じゃなく、在来馬でしよ。
歴史群像の武田信玄に載ってた様に体高1メートルくらい。
じゃ無かったら、わしに続けーとか言って侍大将がダッシュしたって足軽はついていけないよ。
馬は鎧着た人間乗せたらスピード遅いよ。機動力なんてたかがしれてる。
BSの三国志だって小さい馬でしょ。あれが実情。日本のドラマは馬がいないから今の輸入馬を使ってるだけ。
負けた方の撤退戦で死傷者が多いのは防御なして逃げるから。馬に乗って逃げても足軽の走るのとそうスピードは変わらないよ。
104 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 23:25
日本の馬は強いんだボケ。調教されてんにきまってんだろうがボケ、どさんこはサラブレットの100倍強いんじゃい考えなおしてケツの殻がとれてからこいこのボケナスが
105 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 23:32
機動力はたいしたものだ。いまの人から見れば小さいが足軽より
ずっと持久力がある。小さいが今の馬に比べて格段に脚が強く太い。
つまり田んぼでもずんずん走れるわけだ。日本は平地がすくない。
すくない中で米を作る。田んぼで戦ったことも多かったはず。
歴史を見るときよく否定的にみてしまう。違った視点でみるのも
大事では。
106 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 23:38
持久力はあるがスピードの遅いものは遅い。
ポニーのナリタブラリアンはポニーで世界最強だがサラには勝てない。
107 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 23:40
いや、当時の農耕馬は今よりかなり小さい体で、人間も鎧を含めると100kgぐらい
あったんで、そんなに速くは走れなかったらしいよ。
もちろん人間よりは上だけど。
今のモンゴル馬がそれに近いらしいが、あれも子供を乗せてこそ
格段に長く速く走れる。
馬の体が小さければ小さいほど、少々の重さの変化にも影響が大きく
負担がきつくなるらしい。
詳しくは競馬板にでも聞いてくれ(w
108 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 23:43
BSの三国志みて見ろ。あれが実情。スピードは大して速くない。
馬で攻めてくるのを石を持った足軽が待ち構えて、射程に入ったら石ぶつける、外しても逃げたら逃げれると思うよ。
109 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 23:47
108きさまはボケじゃ映画の撮影で本気で走らすぼけぇーがいるかぼけ。映画を事実とみるそのくさった根性をスポ根ものでもみてたたきなおせボケ
110 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 23:55
戦場にでるのは農耕馬じゃないだろ、いくらなんでも。なんかで
みたけどそれなりの調教もしてるし、品種改良のようなこともやって
る。短期的な速さはなんか意味あんの?でも馬に乗った兵はやっぱり
のらない兵より圧倒的に強かったのは事実でしょ。でも皆さんは映画
のようなのじゃなかったといいたいだけですよね。
111 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 23:55
モンゴルの馬マラソンみたいなやつでは8時間以上走ってない?
112 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 23:55
重い荷物を背負わせて山の斜面を登るのに優れていたが速く走るのはどうだかね。
113 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 23:57
このすれずっと見てるけどものすごく白熱してるね。
114 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 23:58
鍛えても速くなるのはたかがしれてる。
アラブとサラは馬格が全く同じでも速さは違う。
115 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/06 23:59
モンゴル馬と近いならすごいじゃん。あの大モンゴル帝国の
チンギスハーンは騎馬をつかって世界中の国々を滅ぼしたん
だからね。
116 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:00
>>110 日本史板で、ホントに戦う時は武将も馬から下りて戦ったって聞いたけど?
117 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:02
遅い遅いといっても俺らが実際目の前でみたら恐怖を感じるほど
早いと思うぞ。ましてよろい武者がそれに乗って襲い掛かってくる
と思うと死ぬほど怖いと思う。
118 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:02
前から思ってたんだけど、勝ち戦の時騎馬武者の乗っていた馬っていちいち集めて持ち帰ったのかな?
俺だったらそうする。そして、他国に忍者差し向けて馬全頭毒殺する。
これで機動力は上がる。
119 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:05
なんか光栄のゲームみたい。でもやっぱり戦利品としてもって帰る
というか乗って帰るでしょ。
120 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:07
>>110 競馬でもそうなんだけど、鍛えても限界があるし、
体の大きさが変わらない以上、限界はあります。
速い馬はそれだけ脚が脆くなりますし、脚が強い馬は遅いです。
これだけはどうしようもありません。
そして、当時の馬ほどの大きさだと、通常の状態ならともかく、
完全武装の人間はかなりシンドイです。
モンゴル兵のように軽装ならともかく。
そのため、現在の競馬ではより強くより速いアラブ馬が使用され、
モンゴル馬は駆逐されていったわけです。
121 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:08
>>117 初めていくさにでたらそうだと思う。でも、慣れれば違うでしょ。
当時の馬はチャリンコを舗装路で走らせるより当然遅いでしょ。
馬上槍もってチャリンコで来る基地外にこっちはそれより長い槍と石もってれば俺は怖くない。
122 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:10
>>117 実際戦う時は降りたらしい。
あんなものに乗って戦えば、馬は敏感な生き物なので、
弓とか刺さったらロデオ状態だと思われ。
123 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:10
サラブレットが鎧武者のせてあんな荒れた道走ったら足折れるぞボケぇ。どさんこは雪国でも飼えるぐらいつよいんじゃボケ。
124 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:11
俺だったら待ち構えてるお前に馬上やり投げつけるぞ。
125 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:12
>>123 だから、どさんこに乗って戦ったわけじゃないって・・・(;´д`)
126 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:14
>>124 俺だったら馬に乗ってトコトコやってくるお前の馬めがけて
連射するな。
んで、馬から落ちたとこを袋叩き(w
127 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:15
強いよ。でもおそいって。
俺だったら音に敏感な馬にこら−とどなり石ぶつける。ポニーに毛の生えた馬なんて怖くない。
三国志みたけど本気だしてもスピードたかが知れてる。
でも影武者の設楽が原の突撃、結構スピード出てたね。
128 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:17
>>90 長篠は平地戦ではないですね。他でだいぶ既出ですが・・・
それと、皆さんが騎馬についていろいろ意見なされていますが
馬の速さがそれほど重要とは思えません。追撃戦でも人間よりも速ければ
良いわけです。完全武装の騎馬武者が槍をかざして追いかけるわけですから
足軽、雑兵には相当の恐怖だったと思います。
129 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:18
123よ撮影の鎧は本物じゃないだろうが影武者は悪路をかなりのスピードで走ってたぞ。
あの撮影で何頭骨折したか調べてくれ。
130 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:21
屍が増えれば増えるほど追撃のスピードは鈍ると思う。
あの馬じゃ屍飛び越えるなんて無理だから避けていかなければならない。
他の馬との接触などあっただろうる
131 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:25
金属バット持ったスクーターと馬上やり持ったチャリンコどっちが強いかな?
チャリンコは手放しで運転できるからやり使えるでしょ。
132 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:27
馬ってのは非常に繊細で臆病な生き物だからなー・・・。
今でも実際見てみればわかると思うけど、音や光だけでも
興奮してしまうし、敵に突っ込んでいってもそのままぶつかってくれるとは
思えない。
目線も人間よりちょっと高いだけだよ。
133 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:27
129お前は本物のボケだ。その道での映像としての時間は何分じゃボケぇー。戦争が1時間で終わるかボケ。昔しの日本の道がどんだけすごいのか知らんのかボケぇーが。馬は山登ったり下りたりすんだぞボケぇ。競馬であんなきれいな道で数分走ったら足折れる馬いるだろボケが
134 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:31
>>132 だからさ、それは訓練次第でしょ。
使い物にならないものを、使うことって意味あるんやろか?
135 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:32
>>133 競馬のコースってのは近くで見ると意外に芝が深く、一日何レースも
やるんでボコボコなもの、ヨーロッパだと自然に近い状態になってるんで
さらに酷い。
それを一日で100頭以上が全力で長ければ3000m以上走るわけだが、
脚を折る馬はそんなに出るわけでは無い。
出ても数頭で、出ないことのが多い。
136 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:34
スピードは遅いと思う。でも強い、そして槍屏風に突っ込む馬鹿もいない。
主に白兵戦になったらでてきて白兵戦で力を発揮するんだよ。ちなみに馬は
122の言うように臆病で敏感、しかしその反面乗り手を信頼し見を任せる。
槍投げるとか論外としていろいろ弱点はあっただろうとは思います。
137 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:36
>>134 あのね、今の競走馬だってそれこそ生まれたときから人と接して
散々調教してるわけだけど、それでも、大声を出されたりすれば
暴れるし、基本的な性質は変わらない。
能力で限界を超えられないのと同じ。
移動や追撃戦で効果があるのは認めてるよ。
ただ、それが過大評価されてるかなと。
138 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:37
おまえらは当時の馬をなめすぎてる。モンゴルの馬は我慢づよくそして体も強いし運動能力もある。度胸もあんだよ。きみたちの考えてる昔の馬はポニーなんてなまやさしいものとでも思っているのか?あんな荒荒らしさは今の馬どもの比ではないし言うこときかせるのもたいへん
139 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:42
ヨーロッパとかどうよ。日本よりずっと思いよろい着てたんでしょ騎士は。
速くないにしろ力があって強い。つよけりゃいいんだろ殺し合いなんだから。
同時代人が馬の価値を認めている。
これは数々の書・文書で確認できる。
それを否定できる材料が、どこに存在するのか。
馬の価値を認めない人間が理解できん。
141 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:49
そういや、頼朝じゃないけど落馬が原因で死んでる武将も結構多いね。
今さらここで馬の性質を云々するのもなんだが、サラでもアラブでも
モンゴルでもドサンコでも結局基本的には性質は変わんないよ。
なんなら、そういう色んな馬集めた牧場とかもあるから見てきなよ。
体の大きさ(体重)から来る能力の限界というのもあるってのも
いい加減分かって欲しい。
142 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:49
そうだな。戦ってない人がいうより当時の戦いのプロがそういう
戦い方をしてたんだもんな。まっ映画のようじゃないといっときましょう。
143 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:49
144 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:53
140その通りだ。馬がつかえねーだの馬の価値を自分の狂牛病でスカスカになった脳ミソで考えた意見をいってんじゃねーボケ。移動のみだけにしか役にたたねーならそんなにたくさんつかわねーよボケぇ。武田の強さを支えたのは騎馬隊だってことを学び直せボケぇ
145 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:54
なんか理屈じゃなく感情論になってきたね。
146 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 00:58
それもまたよし。でも140だと議論終わっちゃうね。せっかく白熱
してたのに。というわけで騎馬兵はすごいということで。
147 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 01:03
ということはこのスレでは、近年の専門家の研究の結果である
戦いの時には馬から下りて戦ったというのはデマカセってことでOK?
148 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 01:06
>>147 いや、合戦においては出鼻の牽制と追撃戦に主に使われたと思う
だからな〜個々の戦術論だけに注目してどうするんだ?
一回自分で10キロなり20キロある・・・バカには説明しても
150 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 01:17
>>148 んじゃここの上の方じゃそれすら分かってないのもいたし、
やっぱ過大評価されてるね。
それか戦において出鼻の牽制と追撃戦だけが重要だったか・・・。
151 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 01:18
それはそれで一つの説でしかねーんだボケ。おれたちがこんな数分の話しじゃ結論でねーんだよ
152 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 01:18
それはそれで一つの説でしかねーんだボケ。おれたちがこんな数分の話しじゃ結論でねーんだよ
>>147 何のために騎馬鉄砲が生まれたのか。
騎馬兵用の槍やらは何に使うのか。
馬から降りた方が良い時は、そうしたってだけだと・・。
>>146 議論するための資料として、当事の人間の書が最良と考え、
それを主張した。議論は、白熱するのが目的ではないと思うがいかがか。
154 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 01:23
>>151 いや定説(wらしいよ。
俺たちより数倍時間掛けて話し合った結果。
そうじゃないとしたら、どういう風だったと思う?
>>150 って言うか、何が過大評価なの?意味不明だ。
それに追撃戦は戦において相当重要だと思うが。
156 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 01:29
>>153 騎馬鉄砲はもう少し後だね。
これなら、近づかなくても良いんでどーにかなるかも。
それに追撃戦の時に馬に乗って戦ったことは否定しないよ。
ただ、通常戦では降りたってことじゃないかな?
その辺が武田騎馬軍というイメージで過大評価の原因ではないかと
思ったんで馬の性質や能力から始めたってとこだね。
157 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 01:37
>>156 騎馬鉄砲なんかと武田騎馬隊を一緒にするなよ(w
白兵戦の場合は降りて戦ったのだろうが、それが過大評価だった
ことの裏づけになどなり得るのかね・・・
一緒にはしていないよ。
馬のタフさが、戦闘時における運用に、充分耐えうる
ことの一例として出しただけ。
言葉足らずであったこと、反省する。
徒歩の兵などに対し、騎馬が白兵戦で有用であったと思う。
毛利家では、突撃のことを総乗と言ったそうであるし、
馬を入れるという呼び方もあるようだ。
特に、馬を入れるとは、
敵兵の集団に対し、突撃し分断するといった意味が感じられる。
武田騎馬隊という名称が、
騎馬隊のみで組織されたものを指しているとは考えていない。
しかし、騎馬の比率が多いものであったことは、充分に読み取れるし、
実際、それが当事恐れられてもいたのだと思う。
過大評価されていたという点には異論はないが、
過小評価しすぎの御仁が多過ぎもするのでは。
159 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 01:53
じゃーなんのために武田が騎馬の上からくそボケわら人形に攻撃せにゃーならんのだボケぇ。実践で使わないのにわらに槍さすかボケぇ。
158で騎馬隊のみで組織ってのはおかしいね。
騎馬武者のみだね。5行目もちと変。許せ。
一番槍って、ほぼ、騎馬武者なんだよね。
わざわざ降りて、徒歩になって短い槍で一番槍。
想像つかねーな。
161 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 02:08
過小評価ね・・・、確かにその辺のバランスは難しい。
ただ、実際の馬を見てるととても戦闘で思うとおりに、
それこそ小説やドラマのように使いこなせるものでは無い思ったし、
それと件の説が自分の中でイメージが合致したんで、
ここまでこだわってみたが、結構勉強になるなあ(w
ただ、個人的には今でも300kgそこそこの馬で100kg近い人間を
乗せて思うように動き、長時間走らせるっていうのは無理が
あるように思うなあ。
その点では今でも疑問がある。
俺も専門家じゃねーし、これ以上件の説の中身そのものに
疑問があるなら日本史板でどーぞ。
162 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 02:18
昔の人間は今よりもめちゃ小さいんじゃボケェ。馬に慣れてないやつは平地のほうがいつもいるから戦いやすいというやつもいるだろうが、何何十年も乗ってるやつが下りていちいち地の利がいい高い位置からの攻撃をしないのは考えられんだろボケが。相手が鉄砲のみなら別だが
163 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 03:09
>>162 ちっちゃいって例え40kgしかなくても鎧兜が30kg近いんで70kg、
これでも、かなりの酷量だぞ。
しかも、武将クラスになると栄養状態からしても一般より良いだろう。
現在のモンゴル馬でも、大人と子供では走る能力に大きな差が
つくというのに、その倍近いってのは凄まじい差と言える。
現在の乗馬でもわかるが、500kg近いサラでも80kgとかのデブを
乗せるとかなり動きも変わってくる。
それが300kgそこそこに80kgとかだぞ。
それ以前に馬の場合、マジで弓とか当たったらヤバイ。
下手したら周囲の味方を巻き込む。
やはり通常戦では危険だと思われ。
164 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 03:45
163お前はやはりボケぇだな。馬に乗らずに戦うのになんで馬からひきずり落として殺すって記載があるんじゃボケぇー指揮官以外でもそういう記載があるだろうがおまえはまずモンゴル人を笑わせることから始めろ
165 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 04:06
>>164 誰も指揮官しか乗ってないとも言ってねーやん(w
その点では君が「ボケぇ」だな(w
だから通常戦でいざ戦う時は馬から降りるって言ってるだろ。
それに従士まで馬に乗ってるわけじゃないんだから。
大体、一騎につき5名くらいの従士が付いてんだろ?
逃げる時にとかには馬にも乗ってるだろーよ。
んで、体重バランス的に騎馬の機動性がイマイチってのはOKなのか?
166 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 04:12
騎馬の機動性がイマイチだったらだれも騎馬なんてつかわねーよボケぇが。そんな学者の考える一説を簡単に信じるなボケェが。なんで馬にのんのかわかるか?馬に乗っても馬がへこたれないからだこのくそボケが。中国の歴史から読み直せこのボケェが。
167 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 04:17
おまえは戦国時代の合理的考えがわかってねーな。馬から下りたら馬見張るやつが必要だろうがボケェ。おまえのいうように5にん従者がいて一人見張ったらものすごい数の戦わない兵が増えるだろうがボケェ。それにすぐ馬どっかいくだろ一人何頭飼うんだボケェが
168 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 04:19
信長は強い勢力に対するおもねりが並じゃないんで
そのへんが謙信とはりあってしまった信玄との違い
謙信のほうが信長との戦にはかちそうだが
彼かんがえてることがわけわかんないので、、、 (´Д`;)
169 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 04:24
それに誰が指揮官しか乗ってないなんかいったかボケぇー。ちゃんと読めぼけが。それにどうやって接近戦で馬に弓があたんだボケェが。味方にあたるだろボケが。お前のいうように馬から下りて戦うのは鉄砲のせいかでしか考えられねーんだよボケが。
170 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 04:28
168勝ちそうだが?じゃなくて謙信はかってんじゃねーかボケぇー。圧勝だボケ
171 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 04:45
あ は なのか?
172 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 04:48
171お前普通にむかつくなボケぇー。
173 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 04:55
うんうん、最近の専門家の定説とも言える考えは間違ってると、
俺は当然馬を御する従士が一人は必要なことを前提で書いてきたが
それも間違ってると。
いや、そこまで来れば立派!
俺は基本的に騎馬一騎に5人程度の従士がついてるのは常識として考えてたんで、
そこまで来るともう理屈じゃないんで何も言い様が無いです。
頑張って歴史学を覆して下さい(w
ちなみに、前にも出てたように弓じゃなくても石なども使ってたようですな。
これなら味方に当たらないように使うのも可能ですよ。
貴方の言うとおりもちろん鉄砲もありますわな。
馬の機動性はあくまで、日本の戦時に重装備での戦いを前提に考えてんだよ。
10kg20kgの差の大きさってのがわかんないかなー。
柴田勝家にかってもいばれんべ>170
それにありゃ局地戦のいきでてねーよ
おばかさんがむりしてここにいないよーに (´∀`)
175 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 04:59
>129お前は本物のボケだ。その道での映像としての時間は何分じゃボケぇー。戦争が1時間で終わるかボケ。昔しの日本の道がどんだけすごいのか知らんのかボケぇーが。馬は山登ったり下りたりすんだぞボケぇ。競馬であんなきれいな道で数分走ったら足折れる馬いるだろボケが
戦は一時間では終わらない。でも、敵に突っ込む何分間しか全力で走らない。
今のサラブレットとかでも、大丈夫でしょ。昔の馬のスピードは楽に出せただろうから。
赤兔馬って結局、アラブ馬みたいなやつだと思う。中国には未だにモンゴル馬がいるけどあの馬に対してアラブだったら一日に千里を走ると表現したのはうなずける。
176 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 05:04
>>175 ありゃりゃ、「ボケぇ」キャラが破綻してきてる。
どーせやんなら、最後まで志を貫いて欲しかったな(w
チョット萎え。
177 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 05:07
当時の人が当時の馬を評価してるって?
そりゃいる方が役に立つからね。
もし、今のアラブが骨折し易くてもアラブを知ったらみんなアラブ選んだと思うよ。
タイの競馬はサラブレッド使ってるけど草競馬のサラだかアラブなんて主人に引かれて一時間二時間歩いてくるよ。
そしてレースをやる。結構タフだよ。
178 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 05:15
173は本当ボケだな。横で刀で切りあってるのぬ石ひろうって投げまくるわくねーだろ、あれはあくまでもある程度距離がねーと使えねーんだボケが。それにおまえのは勝手に一説をあたかも本当にあるように言って、それで批判すれば定説を否定するだとか無意味な反撃にでる
179 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 05:23
>>178 うーん、かなりキャラが破綻してきたな。
チョットおもろみが無くなって来た(w
さっきからなんだが、刀で切りあう中とか投げまくるとか状況を
勝手に後から作られても困るな、仮定してた状況が違うから。
んじゃ、当時の騎馬兵はどんなもんなのか具体的に君のご高説をヨロシク!
ってなわけで、今日は寝ます。
明日楽しみにしとくよ。
180 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 05:22
あのー、厨房なんで教えて下さい。信玄が駿河進行する前に美濃を目指したとしたら兵力差はどれくらいでしょうか?
181 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 05:33
179は一人で二キャラ演じてんじゃねえボケ。前で全部説明したは読み直せボケが。石を馬に当てられてさわぐから馬から下りんなら接近戦しか考えられねーだろボケが。177はいつのまにかアラブの馬がタフかタフじゃねーかなんて話しだけになっとんだボケが。
182 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 05:37
キャラが破綻してきた?おまえがおもしろいおもしろくないが話しに関わるのかボケェー。それと前に戻ってヨムトキはまともに書いてあんのもあるから騎馬が下りて戦わないのに肯定的なのはおれだわかったかぼけぇが
183 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 05:45
175にいっとくがなせきとばはかんけつばなどの品種改良のたまものだボケ。かんけつばによって馬の能力が一段とあがったんだよぼけが。三国志の将をみてもわかるように重装備で体もでかいだろボケが。日本とは違うだと?中国人が乗るのと日本人が乗るのがちがわねーよボケ
184 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 05:50
かんけつばってなに。BSでやった三国志に出てるのがそれ?
185 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 05:53
それにお前の常識を人に押し付けて被害妄想にひたるほど脳がスカスカになったのかボケぇが?おまえは10、20キロの差が馬に鎧を着て乗った事もないのにおまえにわかるのかボケェ?いくら妄想してもいいが妄想を何回も言うように人に押し付けんなボケェ。
186 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 06:55
騎馬軍団なんてのは
もはや否定されてますよ。
>>186 禿同。
>>183 違う理由は95とか97とかで書いたぞ。
ナポレオンフランスが強かったのも技術革新によるところではなく
こういう所が大きかった。
それとなんでここの住人は三国志戦国の史実について語る時も
「武田騎馬軍団」みたいな妄想のまま話すんだ?
188 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 08:54
進んだ機甲化に注目して機甲師団、
駐在地域に注目してアフリカ軍団、
作戦単位の呼称として中央軍集団、
このように呼称はもともと大まかなものでしかない。
その意味での騎馬軍団という呼称は間違いではない。
>183 日本人と中国人は違わない思いますが、日本にいる馬は汗血馬なのですか?
おぼろげな記憶ですが、日本の在来種はポニーよりちょっとましぐらいのはず(違ったかな)
それががんばっても、汗血馬には至らないでしょう。私は知りませが、汗血馬が日本で育成された事実があるのですか。
確かに足軽より騎馬のほうが有効であっても、貴方が言うほど、日本の騎馬隊が有能とは思えません。
勉強不足なので、間違ってたら、いろいろご教授ください。
いま所有している本の中からこんなの見つけた。
歴史群像マガジン2000年春→夏号
の特集の内の一つが三方が原合戦でこのスレタイトルのように
信玄の視点からの外交・戦略・戦術が書いてあり秀逸。
>>178 小山田の投石部隊知らんのか
それと勘違いしてらっしゃる方も多々見うけられるので言うが、
「日本の戦国大名はヨーロッパの専制君主、中国の皇帝の様には
自由に差配できるものではなかった」
「晴信政権武田は国人一揆による政権のような物だったので
信玄の戦略はややもすると即物的な譜代家臣に従わざる
を得なかった。だから結果的に周りの弱いところから食い散らかす
形を採った」
「騎馬隊、鉄砲隊のように簡単には高価な兵器部隊は纏められなかった。」
>>188 無論そうかもしれません。しかしながら、家臣の集めた白兵戦兵器
の馬の比率が少々高かった、またそれらは君主が指令してかき集めた
ものではなく直に編成統率できない、馬の比率は東国で一般的なものである
こんな物のどこが「武田騎馬軍団」なんですか?
むしろ使い方(戦闘教義等)を熟知していなかった
T34の10キロ後方への突進とかわんない
武田騎馬軍団という呼称は間違いであろうか。
東海一の綱取り(賞賛)笹の才蔵(故事)仏の茂助(印象)、、
これらをいちいち間違いであると指摘するのであろうか。
間違えではない。故事や印象、好みの武将の見解等としては。
しかしながらこのスレの様に史実のネタを取り扱う場合
そのような「印象」は不要である
残念ながらそこには戦国時代の習慣や物の考え方から
導き出される「合理的現実」しか必要ない。
例えば鬼島津、
日本人は鬼も神様の一つ、強さの代名詞ととらえるが、
朝鮮人がよんだ鬼とは非難と蔑視でしかない。
このような解説は有意義であると思うし、
>>191のような事実の考察による指摘も有意義であろう。
しかし武田騎馬軍団とは呼称に過ぎない。
例えば仏の茂助、
実際の合戦での厳しさや、人柱伝説などを持ち出して、
だから仏と呼ぶななどといちいち噛み付くのであろうか。
呼ばれた背景を、妄想などとさげずむのであろうか。
188さんの様に軍事的教養がありそれをわきまえて「間違いでない」
といっている人に向けていっているのでは決して無いのです
ただ
「武田騎馬軍団」を中東〜西洋の騎兵の様に考えておられる方が
多々見うけられ、そのような感覚で合戦の話をされておられる方が
多いので書いたまでです。
だから合戦小話等と言うものを否定するつもりも無いですし、
私が思うにこんな時代だからこそ人間形成等に役立つと思いますし
私自身も大好きです。
しかしながら、「信玄は何故信長を攻めなかったのか」
と言う戦略戦術話をするとき、やはり優先されるべきは彼の時代における
冷酷な現実にもとずく考察ではないでしょうか
>>196 同感。
この場合の判断基準は、
「信玄は何故信長を攻めなかったのか」という命題の議論に
有益かどうか、ということである。
「武田騎馬軍団」という呼称が、当時の状況を理解するのに
過ちやすい名称であれば、避けるべきだと考えられる。
>>188の指摘は間違ってはいないが、このスレにおいては
適切ではない、そんなところだな。
198 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 10:47
武田騎馬軍団の論議がこのスレの命題と関係あるとは思えませんね。
199 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 11:09
騎馬鉄砲とか言ってる奴がいるけど、そいつはボケ。
騎馬を動かしながらの鉄砲狙い打ちは無理。
結局、撃っては騎馬で後方へ、ってのの繰り返しをするだけ。
騎馬鉄砲は高い位置からの打てるのが利点。
だけど意味無し。
伊達アホ
200 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 11:14
それと比べて、雑賀衆や根来衆はお利口さん。
騎馬は移動のみに使う。
敵の騎馬の機動性を利用して、敵の背後や脇に突如として現れ、騎馬から降りて鉄砲を撃ってまた移動。
お利口さんだね。(^∇^)/~
201 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 11:49
騎馬軍団でいいんだよ日本では。ジャパニーズスタンダード。
202 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 12:13
201の言う通りやがな
日本との引き合いに西洋出して来る欧米カブレは消えろ!
欧米文化がこの国で本格的に通用し始めたんは黒船以降じゃ!
汗血馬はこの国の原産種ではない、従っていないとか薬でぶっ飛んでるとち狂った野郎がいるが、中国から輸入して配合したらいけねーのか?
おめーらが例えに出す西洋なんかとは違って、中国とは昔から深い絆で結ばれてんだよ!
203 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 12:16
鉄兜が30kgとか寝言言ってるアホがいるけど、そんなの頭に付けてたら首折れてるっつーの。
具足フル装備でも20kgで治まるんだよ。
27と188の両者を纏めると、
武田騎馬軍団と呼ぶのはいいが、
その内容には注意が必要だってことだろ?
202は凄い厨房だが。
205 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 12:31
202は某クソスレの302です。
相手をするととつけあがるので完全無視でお願いします。
どっちにしろ日本の戦国時代の戦闘では馬は寄り子が自分の手持ちの
馬を(武田では自らも騎乗の可能性大)劣勢の敵の追撃等に使う、その
為の機動力だったんだから。寄り子の高価な自腹兵器なんだから
損失の出やすいダイナミックな使い方の可能性は戦国時代は希少では。
>>199 うん、戦車と同じだね。それはその通りさ。
騎馬鉄砲なんて、数がそろってそれでもなお、一時的制圧
程度なんだろうなって思うよ。
>結局、撃っては騎馬で後方へ、ってのの繰り返しをするだけ。
言いたいのはまさしくそれ。凄ェタフじゃん。馬って。
武田の足軽大将の一人、武藤喜兵衛クンの場合、
率いていたのは、騎馬兵15に足軽30を率いていたと記録にある。
(武田法性院信玄公御代惣人数之事)
少なくとも、騎馬兵の比率が高い部隊がつくられていた可能性はある。
合戦図屏風とか見ても、騎馬の比率はそこそこだし。
とはいえ、騎馬による突撃はあっただろうし、それが有効的であったとも考える。
馬防柵を一所懸命つくる家もあったしな。
ムトークン、あんたは親も子も本人もカッキーな。
好きだぜ。
設楽が原での織田徳川軍の戦闘は、形上は関が原の石田隊笹尾山
陣城同様の防御戦闘てな所でしょうか?
209 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 12:59
天気良いんだから外へ出かけようぜ27よ・・・
おまえ朝からずっといるじゃねえか(藁
210 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 13:00
>騎馬による突撃
有ったとしたらどう言う状況で?
211 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 13:26
奇襲、突破によって敵の背後に回るんだボケぇが。おまえが言うようにいちいちおりてたらいざすぐ命令があって突破するのに時間がかかるだろボケェが。孫子を読んでる信玄がそんな戦術面の大切なミスをおかすかボケぇ。用兵は兵の動きできまるんじゃいボケぇ。
212 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 13:30
>>211 孫氏の兵法は中国だからこそ可能はものもありますが…
そもそも奇襲で騎馬なんてそう簡単に使えないと思うのですが…
213 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 13:31
それに武田は一撃離脱戦法をつかっとんじゃぼけぇ。そんな中で馬に下りたり乗ったりを何度も繰り返せるかボケェが。騎馬の強みを鎧が重いから遅いとか言ってるボケぇは今までの騎馬の歴史をくつがえすきか?ボケぇがまったく。
戦術の基本もしらん211が何が「孫子」だよ。
鉄砲いくさから矢入り
↓
敵と接近したところで、敵の乱れた部位に対し突撃。← ここだね。
↓
一番槍・一番首
↓
生きて帰り、お味方勝利
↓
首実検
↓
お手柄確定
↓
ご褒美
↓
ウマー
216 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 13:38
27は孫子しってんの?
217 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 13:38
孫子の兵法書は中国では可能で日本日本ではなんで可能じゃないか言ってみろボケェが。
敵の乱れたところに的確に投入できたのかな?
それとも寄子・寄親単位での機動打撃ってなところか。
騎馬武者の鎧の方が、徒歩のものより重いんだよ。
重さを馬が負担してくれるから。
これは歴史群像の 戦略 戦術 兵器 日本戦国編 に書いてあったよ。
220 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 13:45
お前らの思っている鎧が鎌倉だと思ってたら氏ね
>>218 御大将の下知のもと、突撃でござる。
中央突破、敵陣分断、各個撃破。
信濃・甲斐は、牧だらけ。比率は東北以上でござる。
軍団の一つもつくれるぞい。
山内一豊ずれは、馬の良さで出世しおった。
222 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 13:47
214の戦術の基本てなんですか?
孫子って戦略から外交ぐらいの部分は今でも有用だとはおもうが
戦術そのままでは時代遅れ。
孫子がいる時代はまだ漢民族は騎乗していない。
孫びんの時も無い 。
いやだから俺が何度も書いているが君主が東国型貴重兵器=騎馬
を危険な段階で投入させられんってば。
応用できない人が可哀想。
兵法書って、そこに書かれてる状況にないと
意味を持たないとでも考えてるのかなー。
日本の教育システムのまずさだな。
>>225 そうかなー?
戦いのポイントでは、それが有効なら使うと思うな。
なにしろ、兵器なんだし。
無謀な突撃は、確かにせんとは思うが。
無理を承知で戦局挽回のために突撃させることもあるかも。
太郎を助けるべく動いたのは、騎馬隊ってイメージだな。
これは例外だろうが。
228 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 13:58
うん27さんの説明ですっきり行いったなあ。
俺ももう少ししっかりした知識をつけねば・・・。
>>182 どれかわからんぞ、ついでにどっちみち具体的な当時の騎馬隊像説明
してるのは無いんで、まともに書き込めるってんなら具体的に書いてみろよ。
他人にいちゃもんつける前にさ(w
>>185 実際、乗馬をやってみるor競馬に詳しい人に聴けば一発で分かると
思うよ。
300kgそこそこの馬に80kgの人間が乗っても十分に動けるか聞いてみ。
>>203 もう一回よう見てみな。
鉄兜じゃなくて鎧兜て書いてあるでしょ(w
>>226 いや戦術の部分は時が移ろえば変わるので
アメさんの「戦いの(9)原則」
の方が有利 というだけ。
>>221 余程自らが自由に使え且つ鉄の規律を持って機動し
大量の騎馬も有り他兵科の援護を受け指揮通信が
しっかりし御大将が絶大なる権力を持たないと無理
つまりよっぽど敵が間抜けでないと無理。
>無謀な突撃は、確かにせんとは思うが。
>無理を承知で戦局挽回のために突撃させることもあるかも。
それは十分有り得る。士気が崩壊していなかったら。
でもハンニバルやチンギスハーンのようには絶対に使えない。
231 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 14:07
223はボケェだな兵は神速を尊とむという言葉があるように部隊の機動性がだいじなんじゃボケェ。孫子が古くて使えねーのを証明しろボケェが
232 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 14:16
>>231 だから229に書いたぞ。使えないのじゃなく普通の人が孫子を
戦術的に使うならば孫子の時代の戦争形態を知らなければならない
部分がある。というだけ。兵は神速を尊とぶは普遍です。
233 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 14:17
つまり孫子は騎馬戦未対応なんだ。
234 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 14:18
騎馬の大軍がすごい勢いでつっこんできたらそれだけでびびって腰をぬかす。それに武田の騎馬隊はきみたちの思っている馬術のレベルではないし、高い位置からの有利な攻撃に加え高度な用兵を可能にするのはわかっている。みんなが言うような騎馬ならだれも使わないだろ
>>230 地形等も違うし、確かに武田は領主連合の長的なものだしね。
ちょっと、約束があるので、明日まで撤退です。
いろいろな角度からの考え、新知識など、ためになったっス。
あとは、231にお任せします。
我ら武田騎馬軍団の素晴らしさ、強さ、偉大さ、教え込んでやってください。
そいじゃねー。
あの時代は日本の戦国時代の馬に乗るような身分の人が
戦車に乗っていた。漢民族が騎乗するのはBC300年ごろから。
最初は鞍だけで鐙はなかった。
237 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 14:24
鐙がない騎馬軍団って有効に使えたの
確かアーサー王くらい。
フン族が鐙使っておおあばれ。
>高度な用兵を可能にするのはわかっている
あなただったら他人の貴重品を「有効だから」と言う理由で抽出
できますか。自分の持ち物なら分からんが。
それと槍歩兵は槍騎兵に対してまだ組みやすしですよ。
五人たかられてバシバシ叩かれればひとたまりもない。
>>237 匈奴の真似をしたのが最初だからね。
戦術はとても真似できなかったが(真似すると敵前逃亡の恐れ有り)
239 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 14:35
232きさまは信玄が普通の人だといってんのかボケぇが。風林火山でもわかるように兵のつかいかたを書いたりもしてんだボケぇ。騎馬が出てきてから戦争で孫子がつかえないことがあるか?ねーだろボケぇが。
240 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 14:44
>>239 今の日本には沢山の経済学者がいます。
しかしながらその人達が財務省大臣になったからといって
極端に変わるのでしょうか?
トップが変わったからといって産業や政治の形態が変わらない限り
根本的なところは変わりません。
変わったとしたら信玄が中世日本の軍事革命を起こしたことになる
そんなはずがない。
241 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 14:45
238他人の持ち物?武田は豪族のあつまりであるが、信玄の言うとおりに動かないものは初期はまだしも晩年はいない。利害関係もわからずに他人の持ち物とはね。日本での騎馬を用いた集団戦術がモンゴルのマネをするわけがない。草原しかないんだよモンゴルは、わかる?
>>241 「騎馬隊」と呼ばれるほど編成され、有るだけの騎馬がその部隊に配属
されるようなことはなかった。日本には地積がないせいもあるだろうが
其れだけではないはず、両翼に集団で騎兵を置かないのは。
それをまだ出来うれたのは鉄砲兵を抽出させたりしていた
信長の方なのでは。
243 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 14:54
>>240 今の官僚政治と比べるのは無茶だと思うよ。
トップが変わって滅亡したり衰退した大名は他にもたくさんある。
それが証拠。
244 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 14:55
240今の省と国を一緒に考える時点でおかしいんだよボケぇが。今の日本のいけねーところを戦国時代に持ってきて同じだと考えるボケぇがいたとはな。そもそも戦国時代は大名の意見が今いまみたく発言力や決定権が少ないとでも思ってるのか?民主主義だぞ頭つかえボケが
245 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 14:56
240今の省と国を一緒に考える時点でおかしいんだよボケぇが。今の日本のいけねーところを戦国時代に持ってきて同じだと考えるボケぇがいたとはな。そもそも戦国時代は大名の意見が今いまみたく発言力や決定権が少ないとでも思ってるのか?民主主義だぞ頭つかえボケが
>>243 いやそういうことじゃなくって、まあ例えばナポレオンは
革命によって政治体制が変わったせいで軍制も何も
かも変わったのが大きい(其れまで貴族の名誉職状態だった
将校が能力主義に変わった、それまでいやいやの兵隊が国民意識
によって防衛意識のある軍隊になった みたいな大変わり)
247 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:04
騎馬隊というのは大小あると思うしすくなからず。武田の騎馬は能力が高いのは戦闘で証明されている。戦闘のおおまかな指揮は信玄がとっていただろうし、騎馬がなだれのように来るという記録があるように突撃は100%あったと思う。そもそも馬は多少の矢傷ではあばれないよ
248 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:09
246の意見は自分の弁護でしかないし、無理やりだね。いいたいこともよくわからないし。なにが言いたいの?
個々に分散した騎兵(というよりも馬と言う高価な乗り物)を
機動力・衝撃力を活かしやすいようにとの意向で纏め上げて
一部隊にするなんてのはそれぐらいの大変わりが無いと
無理です。
250 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:12
>>247 >そもそも馬は多少の矢傷ではあばれないよ
ここの人たちって馬をなんだと思ってんだろう?
馬が繊細で臆病な生物だっての知らない?
競馬とかで必死に走ってるのだって、子供の頃から本能的に何かに
追いかけられてるって草食動物の本能を利用して調教して
無理矢理走らせてるんだよ。
>騎馬がなだれのように来るという記録があるように
どういう状況で突っ込んできたの?
252 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:17
馬は目の前に槍が一本あるだけで前進を止めます。
騎馬突撃なんて簡単にできるほど世の中甘くない。
253 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:22
馬も長い年月をかけて軍事用につかわれてきているのに、戦争に適応してこないわけねーだろボケぇが。きさまの知ってる馬は走る為だけの馬だけだろうがボケぇ。馬をおくびょうというなら、イギリスの騎馬隊の馬はロボットかボケェが。
254 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:25
>>253 実戦で使われている馬がそうなんですよ。
何に書いてあったか忘れましたが馬は自分の
鼻先に槍が突きつけられていると「本能的に」
動きを止めてしまうんだそうです。
だから槍兵に価値があるんですよ。
中世ヨーロッパとかだと騎兵対策用に
槍兵を組んだりもしてましたし。
255 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:27
252は馬を槍でとめたのか?すごいな
>>247 突撃ってそんなに簡単なもんじゃない。ゲームなんかでは
突撃でバタバタ死ぬが、そうじゃない。
突撃って実行するのは229に書いた様に難しいもんだ。
騎馬の大集団で襲い掛かる「武田騎馬軍団」
かっこいいし俺もそうであって欲しい
でもそうじゃないんです。(哀
258 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 15:31
僕のイメージですが、
騎馬が足軽を倒すときは真正面じゃなくて
槍を持つ右腕側からの斜め状態じゃないの?
だったら鼻先に槍なんてしてる間に刺される。
どっち向いても槍ばっかだと困るけど。
上杉謙信の車掛りの陣って、
右から左前に突撃しながらぐるぐる回るやつだったと思うし。
違ってたらごめんなさい。
259 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:35
おまえらの意見で馬を数千何百年軍事用に使うか?おまえらの意見で世界の歴史が変わるよ。すげーなー、こんな場所に立ちあえたのを感謝するよ
260 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:35
>>253 今の競走馬だってその子孫だ。
ついでにモンゴルや中国産のも見たことあるが似たようなもの。
軍事用にって言っても、馬は草食動物で本能的に肉食動物から
逃げるために必死で走っているというのは変えようがない。
調教して人になついて、人の意思を反映できるようになっても、
本能を変えることは出来ないし、それは遺伝しない。
また一から調教を積む。
仔馬が人を乗せられるようになるまでは、それこそとても大変な
調教をつまなければならない。
あの時代の兵器だと
軍団規模でもそうですが、人間は右側からの攻撃にはつよい
それと車かがりの強みていうのは、行軍隊形のまま戦術機動に
移行できるということ。
262 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:39
>騎馬が足軽を倒すときは真正面じゃなくて
槍を持つ右腕側からの斜め状態じゃないの?
だったら鼻先に槍なんてしてる間に刺される。
その間の人間の動きは?
263 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:41
あの、あなた「車がかりの陣」を信じてるのか?
264 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 15:41
>>262 騎馬武者の槍を持つ腕の脇を狙う。
ここは、間接駆動のため、鎧の隙間になっている。
俺は変えてないぞ(驚
「武田騎馬隊」という言葉が勘違いの元なんです。
「武田騎馬隊はなかった」定説です。
それと誰か251に答えてね。
>>263 「廻りながら云々」の俗説は否定ですが、
「これが所謂車かがりだろう」と推定されるものは
訓練次第でできるとおもいます。攻撃じゃないし。
267 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:50
きみらの騎馬だとあらゆることが否定されるな。まず上杉謙信のいくさはフィクションになり、武田の騎馬の強さは不明で騎馬を使った合戦もうそになる。三方ヶ原の戦いも武田の策略はできなくなるから策略なしにただバカみたく徳川がのこのこ出てきたことになるな。
268 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 15:52
え?車がかりの陣って、そこまで確証性無いの?
伝説的なことは知ってたけど、なんか理由があって無理なの?
269 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:54
>>267 騎兵隊とは統率が非常に取りづらいんです。
西洋を例にあげるならクレシーの戦いで
4万のフランス騎士軍は統率の取れない
騎馬突撃を1万のイングランド軍に撃砕され
ぼろぼろに負けています。
騎馬隊というのは敵の陣形が完璧だと
突撃しても無意味で、騎馬隊が活躍するのは
敵が逃走に移ったり陣形が崩れたときです。
それまではひたすら突撃の好機を待たないと
いけません。
270 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:55
>>267 全体の戦術戦略機動力の上昇はあったでしょう。
それとその三方ヶ原の戦いも武田の策略ってのは
崖のことか?
あのねー 徳川や武田の状況戦闘推移をみないで三方が原の事
を語るのは愚でしょう
269さんありがとう。でもね、この人達分かってくれないんだよ。
272 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 15:59
前からさっきみたんですけど騎馬に乗りながら攻撃したりしないとか武田に騎馬隊がないとかいうのはどうかと思うんですが?では武田はなぜ恐れられたんでしょうね?武田の強さもわからないまま定説定説という意見ではよくわかりません。だれか説明してください。
27さんこちらこそ有難う。
結局騎兵隊は使い辛い上汎用性に乏しいんですよね。
274 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:06
イングランド軍とフランス軍が同じだとでもおもってんの?イングランド軍は戦術を心得ているんだよ。フランス軍は騎士の名誉のために戦っているだけで戦術もくそもあったものではない。フランス軍とイングランド軍の違いもわからずに語らないように。
275 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:09
イングランド軍は基本的に弓ですが?
かの国の某国王は日曜日のスポーツを
弓意外禁止にしたりしてますし。
それから騎馬隊は先ほども言ったように
防御陣に突撃は出来ません。
私の発言に間違いがあるのでしたら
何処が何故間違っているのかお教えください。
276 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:10
>きみらの騎馬だとあらゆることが否定されるな。
ナガシノは殆どフィクションじゃん!!
何度も何度もかいてくたびれますが書きます。
@兵法に熟知した信玄の駆け引きの巧さ
A戦術的に有利な相手を選んで叩く
B山地で農民をやっている兵士の(足腰の)相対的強さ
Cまた其れによって生まれる機動力の相対的大きさ
D追撃時の騎兵の(他の大名と比べて)多さ、
追撃タイミングの迅速さ
だと思います。ただ俗説的に@〜Dが合わさって
「徳川軍に勝った」というのが江戸中期に知れてそれが決定的になり
「信玄騎馬軍団!!」みたいになったのだと考えてます。
>>277 乙カレー。
俺も前にここでやったことあるが、多分彼等とどこまでやっても
変わらんとおもわれ。
なんせ、研究の成果より新田次郎の小説とかを優先するやつまでいるんだぜ。
279 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:20
武田の騎馬兵は強かった。でも追撃、奇襲の時に主に活躍。
槍屏風に突っ込む事はしない。しかしそれでも武田騎馬軍団。
280 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:22
あの戦いで騎馬隊は肯定されたんだぞ。イングランド軍は鉄人チャンドスの不敗の陣で勝ったが、決定的打撃を与えたのはガスコーニュ貴族による騎馬の側面への攻撃だ。これから先騎馬の移動力をいかした側面への攻撃が主流になるんだよ。
281 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:25
>>276 確か長篠は、酒井忠次の奇襲で長篠城を落とすことが出来ず、
退路を断たれて、やむを得ず織田・徳川軍に突撃、
待ち伏せている織田軍は鉄砲もクソもなく横綱相撲で次々撃破って話だったね。
282 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:28
のちにフランス軍の元帥ベルトランは鉄人チャンドスのイングランド軍の不敗の陣を騎馬戦術と歩兵戦術によってやぶっている。ようするにイングランド軍とフランス軍の話しで騎馬が使えないというのはとうてい無理な話だ。
283 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 16:31
なんとなくですが、27さんに降伏します。
口惜しいが、武田騎馬軍団の見方をちょっと変えます。
284 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:33
敵の陣計をくずしたりしてるだろ、相手が防御していてもバラバラにしてから乱戦に持っていってる、騎馬を使うチャンスやタイミングはいくらでもある。そんな防御してっとこにつっこむバカはいねーよ、戦争は生き物なんだぞどれだけうまく速く動くかで戦がきまんだよ。
285 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:35
>>284 騎馬が役に立たないと入ってないでしょう。
問題なのはそれを投入するタイミング、
それができる人間が少ないから使い辛い。
286 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:36
283かってに話しを自作自演するな
287 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:38
結局騎馬はあくまで補助戦力なのでしょうか?
288 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:39
「機動力は敵の精神を破壊する」
運動エネルギー=1/2mv二乗
これを信玄もつかっていたのは間違いないです。
ただし殆どの場合今さっきのとうり歩兵でね。
289 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:39
>>286 俺も自作自演かは分からんが、
そうとしか思えん人間も寂しい気がするな。
自説を曲げない頑固さだけじゃなく、相手の意見でも良いとこは
取り入れねば。
27さんはそれだけ中身のあることを言ってると思うが。
マジバナおれじゃないよ。283は。
288は名前入れ忘れた。
291 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 16:45
283です。
自作自演じゃないわー。
俺は243からこの名前で生きてきたんじゃ。
292 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:48
もうすこしで騎馬否定派にだまされるところだった。まじ汚いやつらだ
293 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 16:50
285ようするに信玄は騎馬をつかいこなしたから武田は強いんだろ。
誰のことを逝ってんだい?
295 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:04
>>293 おぬし実戦兵力の騎馬の比率どれくらいだと思ってる?
296 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:07
295そんなのは戦いやその大名大名によって違うっちゅうねん。
297 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:08
298 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:10
ここは狂牛病患者専用の会話スレです
正常な人達は感染するので早急に避難してください
メジャーな大名同士だったらそんなに変わらんよ。
織田の鉄砲組織率も「高い方」であって「最高」でない
雑賀衆の方が断然高い
300 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:11
___
‐=≡ヽ=@=ノ
‐=≡ (;´Д`)変な296がいるのは
‐=≡_____/ /_ このスレでありますか!?
‐=≡ / ._||_`<;;>゛゛\ .∩
‐=≡ / / / /::| . /\ /\//
‐=≡ ⊂_/ / / .\_/
‐=≡ /=◎=/
‐=≡ | _|__
‐=≡ \__ \
‐=≡ / / /
``) ‐=≡ // /
`)⌒`) ‐=≡ / | /
;;;⌒`) ‐=≡ / /レ
;;⌒`)⌒`)‐=≡ (  ̄)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
301 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:15
騎馬隊を主力にした軍隊っているんですか?
てか主力にして勝てるんですか?
302 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:19
もうすぐ母なり家臣なりが出てくるのかな…
303 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:19
300氏ね。狂牛病だけならまだしもバクテリアまでに犯されてるとはすくいようがない。よって逝ってよし。
304 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:20
チンギスハーン
じんぎすかんなべ
306 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:25
当時の馬の数は武田が一番。上杉のほうが騎馬の比率は高いはず。
307 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:26
_ __ __ 〉 レ
l l ロロ l l l l 〈 ス
l \ l__l l__l /7 〉 を
| |\l l`ヽー―/ \ / / 〈 す
l_l l /_/ 〉 る
l \ 〈 な
l \ 〉 !!
l \ 〈
人 <●> <●> /\ \ ∨∨∨∨
/ /ヽ、 、_---_, /l \ ヽ /
/ / \_ `ー' _/ l l l /
/ /  ̄`ー'ヽi \l し' ,-^
し' _-‐' ̄
ー―、____ _,-―――'
`ー――' ̄ ̄ ̄
303=新田信者
309 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:27
ちんぎす
310 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:28
⊂⊃
__∧_∧__ ∧◎∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| __( | |) | (´д`; )< 成す術を尽しましたが、
>>303は…
|\ ⌒⌒⌒⌒⌒⌒\ (\ / ) \____________
| \ \ |__Ω____|
\ |⌒⌒⌒⌒⌒⌒|(_(___)
\ |______|
311 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:28
300のティンポがなっとうくさいのがむかつく
312 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:28
バカばっかで困る。
313 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:29
||
Λ||Λ
( / ⌒ヽ
| | 303 |
∪ 亅|
| | |
∪∪
,,,,,,,,,,,,,,
[,|,,,●,,|] / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ゜Д゜)<糞レス罪により、絞首刑!
(” :”) \_____________
|./___.:._|
(__)__)
314 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:29
300のケツが処女じゃないのがむかつく
315 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 17:30
あれ?
何で荒れてるの?
316 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:31
貴様等よくも優良スレをぶち壊しに……
317 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 17:32
27さん、どこいったの?
楽しかったのに。
318 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:32
305の意見を聞いて羊になろうとおもわされたのがむかつく
319 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:34
313の乳首が陥没してるのがむかつく
320 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:35
303のマシンガンチンポがモデルガンなのがむかつく
321 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:35
≡∩∩≡=
≡| | || ≡=
ゴゴゴゴゴ ≡| | || ≡=
≡∧∧∧∧ | | || ≡= / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
≡(( ´Д`)///≡= < 先生!地震です!
≡// //≡= \_____________
≡/ / /| //≡=
_≡| | | .| || ≡=
≡\\  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\\≡=
≡| ||\ \\≡=
≡| ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄≡=
≡| || |||  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||| ≡=
≡||| ||| ≡=
27さんもいない、
反論してくれた方もいない。
最早…
323 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:36
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| おまえらも |
∩_∩ | |
(´ー`) < 暇な奴ら |
( ) | |
| | | | だなぁ |
(___)__) \_____/
324 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 17:37
325 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:37
変な絵のやつが出てきてからおかしくなってる。
誰でも良い!古き良きこのスレの復帰を!!
327 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:38
202が全ての原因だな・・・
328 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:39
____
,: 三ニ三ミミ;、-、 \/  ̄ | --十 i 、.__/__ \ , ____|__l l ー十
xX'' `YY"゙ミ、 ∠=ー  ̄ヽ | __|. | | / ヽ / __| ,二i ̄
彡" ..______. ミ. (___ ノ. | (__i゙'' し ノ /^ヽ_ノ (__ (__
::::: ::;
,=ミ______=三ミ ji,=三ミi
i 、'ーーー|,-・ー |=|,ー・- | ,-v-、
i; ':: ::: ーー" ゙i ,ーー'j / _ノ_ノ:^)
ーi:: ::i: /`^ー゙`、_ ..i / _ノ_ノ_ノ /)
|:::. ゙"i _,,.-==-、;゙゙i / ノ ノノ//
〉::.:.. 丶 " ゙̄ .'.ノ ____ / ______ ノ
/ i, `ー-、.,____,___ノ\____(" `ー" 、 ノ
ー'/ 'i. ヽ、 ,二ニ/ \ ``ー-、 ゙ ノ
/ 'i、 /\ / > ( `ー''"ー'"
\ 'i," (__) / / \ /ノ
329 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 17:39
27さーん、
何でもいい。得意分野を語ってくれ。
330 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:41
では、これ以上レスがつかないように、大耳が
ここを管理しておきます。
+
. + (\_/)(\_/)(\_/) +
( ´∀`∩(´∀`∩)( ´∀`)
+ (( (つ ノ(つ 丿(つ つ )) +
ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) )
(_)し' し(_) (_)_)
結論として騎馬軍団と言うのは皆が想像してるのとは違って
敵が混乱したり逃走したりして追い討ち掛け敗残兵の
首を取るのが仕事。
332 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:42
202ってだれだよ。
333 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:43
珍しいほどの優良スレだったのに・・・。
いろいろ勉強になりました、皆さんありがと。
復興を望む。
そうした現実を考えると騎馬軍団に必要以上の
兵力を割くことも出来ないから騎兵の割合は
それほど高くないのではないか?
335 :
269(誰か来て):01/10/07 17:44
騎馬隊はあくまで補助戦力で結局は
事前の謀略その他や歩兵部隊の
運用などが勝敗を分ける。
336 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:44
よしじゃーこのスレのとおり織田が武田と戦ってたらどうなったかなんてどうだ?
337 :
269(誰か来て):01/10/07 17:45
こんなところでしょうか?
誰か反論なりなんなりしようよ!
338 :
269(誰か来て):01/10/07 17:47
ええと、対織田戦における双方の動員兵力は?
突撃やら車かがりやら「無敵の騎馬軍団」やら騎鉄やら
どう考えてもコーエーゲームが偽報の振りまき役なのは
確実っぽいな。
340 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 17:48
>>336 織田はこのとき、回り敵だらけだからどうなるか分からん気がする。
341 :
269(誰か来てマジで議論して!!):01/10/07 17:48
ていうか当時ってランチェスター法則通用します?
342 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:49
331それはおまえの意見ではなくあくまで学者の一説をまるで自分の意見のように語っただけの結論だろ。どさくさにまぎれてかってに結論にするな。
343 :
269(27さん有難う):01/10/07 17:50
結局コーエーゲーを信じちゃいけない。
そもそも放浪軍劉備(2万5千)が袁紹軍6万
に勝てる時点でドキュソ、武装度がやっぱ必要。
344 :
269(342さんすみません):01/10/07 17:51
何でも良いからスレの崩壊を防ぎたかったんです。
無茶に書き込んですみません。
345 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:53
それにその一説はだれの一説なのか?それは今ままでの騎馬戦術を否定できるものなのか?できるわけがないだろ、日本の騎馬の使い方が海外とそこまで違うわけがない。それにそれを否定するならば日本の歴史をも否定することになる。源義経も泣いているだろう。
346 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:54
まあまあゲームなんだから。むきんなんなよ。
347 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:55
あっ孝史だ!
348 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:56
遊んでばっかいないで少し勉強しなさい!
通用するよ。た・だ・し士気やらキルレシオは抜きだけど。
フランクで「強いものに尻尾を振りやすい」都市部兵
と太平洋戦争でもそうだけど物知らずだが一般的に強いといわれ
る田舎兵ではどれぐらいの交換比率だったんだろう。
それと損害が3割を超えると戦える状態じゃなくなりますし
戦闘中も大きく士気がかわるのでそのあたりも考慮が必要です。
350 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:56
>>338 織田は多面的に作戦を展開してるから、
割こうと思えばかなりの兵力を動員できるんだろうけど、
当時、どれだけ動員できたかってのは難しいよね。
実際、三方が原に三千しか援軍を送れなかったんだから、
かなり厳しかったのかもしれない。
ただ、家康の一万の兵をどう捉えるかが問題。
無かったことにするのか、常に信玄の背後を突いて来る可能性を
考えるのか(そうなると武田の動員兵力を減らさざるを得ない)、
織田と合流したと考えるべきか。
ただ
現実的には背後を突かれる可能性を恐れて、直接織田ではなく、
家康から攻めたんだろうけどね。
ある意味これしかない。
>>345 ですからスレの崩壊防止にテキトーに書いたんです。
ランチェスターは通用するんですね。
それにしても兵の数だけでなく出身地も
考慮に入れるとなると…
353 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:59
あぁカワイソウ。上の人は頭が少し足りないんだね。
354 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 17:59
339のとらえ方はようするに、一切その事実はないということだな。
むしろその自身がどこからくるのかや、だれの意見を語っているのか知りたい。騎馬鉄砲は本当にあった。うそっていうならば理由を述べよ。無敵の武田なんて意見があったのか?あまりいいがかりつけるな
355 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:02
コーエーのゲームで、劉備が袁紹に勝つからなんなんだ?さっきから例え話しがおかしすぎるし真理をついていない。くだらない理屈をならべても意味がないのだよ。
356 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:03
さくら!355番ゲットなんかしないもォォォォン!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ パンチラゲットですわ〜
 ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
, _ ノ) ---
γ∞γ~ \ ホエー γ==== ヽ ハニャーソ♪
| / 从从) ) ヘノ) |_|||_||_||_| | \ヘ
ヽ | | l l |〃 \ (´´ __||ー. ー |) ゞ / \ (´´
`从ハ~_ーノ) ヾ / (´⌒(´ |0.ハ ワ ~ノ| ヽ ___ / (´⌒(´
⊂ >< /⊂ __/つ≡≡≡(´⌒;;;;≡≡≡ └⊂ >< /⊂ _」__/つ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
(´⌒(´⌒;; (´⌒(´⌒;;
ズザーーーーーッ ズザザーーーーーッ
357 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 18:03
信玄上洛時の信長の敵
@本願寺
大阪から京都を脅かしてます。
A浅井・朝倉
姉川で大敗してますが、戦力的には健在。
信長の岐阜〜京都連絡線を脅かします。
B三好
追い払ってもすぐ四国から出てきます。
本国が安全なため。
C足利
諸国にがんがん挙兵を促します。
自身も出馬しました。
C松永久秀
謀反
よって、信長は防戦しかできない状況です。
武田の敵、上杉は一向一揆で動けません。
358 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:03
なんか微妙に荒れぎみっすね。
もう少し待避すべきか・・・。
武田のほうはどうなってるんですか?
360 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:06
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| なにをするんだ?
| ________
V
v -―^ ̄∠
/ , 、 ヽ, __
{ ノ(( ())) )|^ ` v
w (|〒テ iテ.|w〃´^^^ヽ }
`゙.ト ""_´ ノ^ |,ニ、,ニ、 |) / ̄ ̄ ̄ ̄
/´ ̄` F ―、 、 _ ノ < まあまあ
{. \ r| _;─ L \____
\ \_⊥-―´ ̄ ミ ヽ
| \ _,-―ヽ |
| ` -―l ̄ / /
} | / /
/| , { / ノ|
| U| |/ / {
ヽミ_\ ,_./, /===コ
|ニ_  ̄~ ////|_| {/⌒}
}  ̄T ̄ .| `T´ |
| | | | |
| | | | |
| | | | |
361 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:08
お願いだから荒らさないで!!
あなた方には血も涙も無いのか!!
いいかげんにしてください!!
362 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 18:09
>>360 上杉が動けない以上、ほぼ全軍を動かせたと思います。
最大の敵は冬将軍。武田は包囲網の一環でありながら
短期決戦をしなければなりません。
岐阜城がおとせるかな。
363 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:09
>>354 有ったのは確かです。しかも伊達隊となると戦国後期、かなり
こなれた使い方・隊形だったのでしょう。しかしながら、いくら射程が
長いとはいえカラコ−ル同様突破する力が有ったかどうか
突破しても他の歩騎がその穴を有効に使うことができるかどうか
分かりません。
コーエーの騎鉄は余りに利き過ぎです。
武田は信玄が死んでも徳川を瞬殺できてしまいます。
それだけです。
364 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:10
騎馬鉄砲は存在したけど無意味だって言ってるだけ。
そして、自称騎馬鉄砲作った男、伊達政宗は使えない薬中男って事。
支倉を派遣したのもドラッグ欲しさからなのさ。
薬やるなら人に迷惑かからない様にしなくちゃね。
近隣諸国の方、私が不肖・伊達政宗に変わってお詫び申し上げます。
365 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:11
366 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 18:11
ごめんなさい。
私用でどっかいきます。
どっかで復興を願っております。
じゃ、さいなら。
367 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:12
信長は1万も兵が出せたかな?朝倉は策略で封じ込めたから合計35000から50000くらいいたであろう信長軍はきっと出せてやはり20000が限度だな、松永久秀はきっと裏切るだろうからかなりきついだろうな、そうするとやはり信玄には勝てないな。
368 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:13
武田は二万五千、上杉は一向一揆、北条とは例によって同盟で一応ギリギリまで
動員してます。
ちなみに、徳川は上杉と同盟、織田は武田と同盟というわけわからん
状況になっております。
そのため一応敵対勢力はやはり徳川ってことになります。
とても裕著に安心して西上できる状態では無かったということも確かでしょう。
ここで、徳川に粘られたのが致命的でしたね・・・。
369 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:18
あの時の徳川領内っていうのは東西方向には縦深があってまだ
守りやすいのですが、縦方向には縦深が無く脆弱です。
だから信玄ならあのまま徳川領占領するでしょう。
しかしながらその後が分かりません。敵をじらせて攻勢転移し
その後弱ってきたら、叩くかな。
370 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:18
結局信長包囲網の崩壊前に決着がつけられないと
駄目だったのにできなかったってことですね?
371 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:19
今は何の話してるんかな?
伊達無能説?
騎馬鉄砲無意味説?
織田徳川同盟軍非力説?
こんなかのどれ?
372 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:21
もし、武田が織田領に侵入、深くまで攻め込んだとすると、
おそらく徳川は駿河を突くだろう。
ここで、どれだけの兵を守備に置いていおくかがポイントになるが、
正直、どれだけ持ちこたえられるかってとこ。
そうなると、同盟者といえど北条が黙っているとも思えず、
後を見ても分かる通り家康と協定を結んで、北条も武田領に
侵入してくる可能性が高いと思われ。
となると、武田は引き返さざるを得ないという可能性が高い。
ってなことになったら、武田的には骨折り損どころか、
その後いつまで持つかってことになりかねない。
373 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:21
374 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:21
さち子さんの見解が聞きたいな。
375 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:22
北条は黙ってるでしょ。
日本史いた住人ですか、さちこさんってのは?
377 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:25
さちこさんって武田や上杉のスレに良く出てくるレズ女の事だろ?
378 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:25
美濃を攻撃してた別動隊は3千くらいだっけ?短期決戦は信長には有利だったね。信玄が死ななければキーマンは謙信だ。たぶん武田の西上は失敗するが三河、遠江の大半が手に入る。これで武田は無敵になる予定だった…
379 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:25
どっちみち武田は最大の好機を生かせず。
最悪なことに信玄が死んで勝頼がドキュゾ、
ナガシノでボロ負けしたくせにその後も
あちこち出兵の上重税、駄目だこりゃ。
380 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:26
>>369 最終的には徳川には武田が勝てたでしょうが、
徳川領にはまだもう一つの本拠地の岡崎・安祥が残ってますし、
かなりの時間がかかったと思われますね。
>>378 俺もそんな気が。戦略にうとかった謙信が段々と戦略にも
目を付け始めてたみたいなのは確からしいし。
382 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:29
378>そんなら長期戦の方が有利じゃん。
信玄や謙信死ぬの待てばいいんだもの。
お前馬鹿だろ?
383 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:29
日本史板は早々と決着がついてたな>武田騎馬兵
日本陸軍の作り物だってさ。
384 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:29
さち子さんはオカ板に前にいた、UFO信者で
塾講師をしてるそうだ。
385 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:30
ところで、ここまで武田に攻められた割には、徳川ってすぐ勢力戻してるし、
主だった家臣にもほとんど死者が出てないんだよな〜。
負けたけど、死者の数はそれ程でなかったってことか?
>>385 山家三方衆やらはごそっと寝返って三方が原で武田軍一角を勤め
てますし、あの時代土地を保証してくれそうな人間につくのが普通だった
のでは。
387 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:38
慢心だった徳川だからその偽りの自信が脆くもくずれ去った時の逃げ足の早さは尋常じゅなかった。
だがその逃げ足の早さが功を奏して助かったってわけだ。
こんな猿でも分かる事をいちいち聞くなめんどくせー。
今分かった。お前アホだろ?
388 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:39
織田の軍は弱いので有名だし、信玄にとって1573年当時信長はたいした問題じゃなかったと思うが早めに信長を叩、包囲網にカツを入れる必要があった。それはライバルである上杉を孤立させる役目もあり少ないのこりの命を燃やす最後の行動だと思う。
389 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:39
家康の使った、空城の計はどうなの?
390 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:47
382の長期戦は何年間の話しだ?
おれは武田が最初から短期でいったから信長には有利なんだ。城にこもればいいだろ。時間がたてば上杉がいっきを鎮圧するそしたら武田も引くしかなくなるだろ。
391 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:51
三方ヶ原なんかしないで籠城してろって事だ。
家康は憶病タヌキだから穴に籠ってるのがお似合いなのさ。
それで死んでくれても誰も悲しくないだろう。
392 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:53
三方ヶ原は死者1000名負傷者数千名だよ。
393 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 18:56
ていうか今のはなしはもう最初のほうで話してるし、そのときよりレベル低いだろ。
394 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:00
三方原で信玄に挑んだからこそ その後の家康があるんでは?
篭城してたら、遠州・三河の豪族たちは徳川を見限っただろう
そうならないため、三方原に出陣するしかなかったんだと思うよ。
よく言われていることだけども・・・
それと、もし武田が長期戦をできる状態だったら、どうなってたんだろう?
徳川は武田に臣従するしか生きる道はなかったように思うなぁ
そうすれば、北条も 本気で武田と同盟を結ぶだろう
関東の他の豪族も・・・
もし、この仮定が成り立ってたら、、、、
395 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:02
武将は死んでないのに兵は死にまくってる……て事は、武将は早々にトンズラで兵置いてけぼり。
三河武士は強いで評判だけど、武将達は三河人ではなかったって事だな。さしずめ太陽系外の星から来たのだろう。
そんな逃げ腰武将達に一言
「自分の星に帰れ!!」
396 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:02
>>1さん
当時の状況だと、駿河を後回しにすると、そこに北条や徳川が入ってきて
織田攻めどころじゃなくなってしまうでそ
信玄がそんなヘボするとは思えないっすよ
397 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:04
>>395 本多忠勝の例の家康に過ぎたるものってのはこの戦の時だったと
思われ。
おまけにこの後どうにか粘ってるし、おかげで、助かったわけだが・・・。
まあ、煽りにマジレスするのも馬鹿らしいが・・・。
>>394 > それと、もし武田が長期戦をできる状態だったら、どうなってたんだろう?
> 徳川は武田に臣従するしか生きる道はなかったように思うなぁ
糞たらしながら織田領へ逃げるに一票。
399 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:05
396>今更そんな事語っていきがんなよ。
もうとっくにそんな話は終わってんだよ。
てゆーか、お前アホだろ?
400 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:06
>>394 >もし武田が長期戦をできる状態だったら、どうなってたんだろう?
できる状況を作れなかったのが信玄の限界ですな。
401 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:07
>>399 でもその程度のこと認めたがらないで話すすめてる馬鹿も多いんだが
402 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:10
そーなんだよ、家康のアホは糞たらしながら逃亡するね。
403 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:16
家康の事を良く言う奴は鯛を食べて死ね
404 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:18
その当時の信長包囲網の戦況は?
405 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:25
てゆーか、家康はラッキーマン並みの運の良さだね。
あいつ何もしてねーくせに天下に落ち着いてるのがムカツクね。
あいつは、テロに遭って死ねば良かったのにな。
406 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 19:28
>>404 357にも書きましたが、
信長は防戦しかできない状況です。
何より恐ろしいのは包囲網に同調した謀反、裏切り。
信頼できるのは直属の3万ぐらいと徳川軍。
この中でも裏切りが出てもおかしくない状況。
>>406 信長はそれをどうやって撃破したんですか?
408 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:34
この期間の信長の動きはずっと義昭対策だね。
義昭と対立講和を繰り返した後に追放、信玄の死後すぐに
朝倉浅井討伐と、これで信長の天下が完璧に決まったって感じだ。
徳川はホント、織田にとって良い盾だったな。
さすがに尾張に侵入されたら、それどころじゃなかろう。
>>408 義昭→浅井朝倉→本願寺その他→武田ですか?
410 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 19:38
>>407 一つ一つ撃破しました。
武田は三方が原のあと動きが鈍ります。
武田の退却を待たずに対武田軍の何割かを近畿に送ってます。
包囲網の勝因は、信長の流動的な軍団の使い方にあると思う。
守るところは守らせ、弱まったところに主力を終結させ、撃破しました。
411 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:57
テレ朝で武田埋蔵金伝説やってるぞ
412 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:59
今までを纏めるとこんな感じかな?
なぜ信玄は家康を先に攻撃したの?。→家康放置は無謀。
武田騎馬軍団とは何?。→武田軍団のイメージ呼称。補助戦力。
馬ってどうなの?。→人間より早くてタフガイだが畜生。
騎馬隊突撃ってどうなの?。→牽制と追撃戦には有効。
信長包囲網で武田は勝てるの?。→
413 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 19:59
395武将死んでるだろ、どっから武将がしんでないなんてのがでてくんだ?夏目正吉や米沢政信、成瀬正義、本多忠真、平手汎秀、など様々な将が死んでいる。いっとくが徳川の有能な家臣と呼ばれるやつは生き残っているから勘違いしてるんじゃないか?
414 :
無名農民@お腹減った:01/10/07 20:03
直接対決より、毛利元就式の裏切らせ戦法の方が
武田には勝機があった気がする。
415 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 20:09
>>413 それは有り得るね。
早い時期に死んだ武将のことは忘れ去られてしまう。
本多忠真は武将本多忠勝の育ての親とも言える人物だな、
若く無謀なところのある本多宗家の当主をサポートしていたらしい。
家康のかわりに死んだ夏目吉信ってのもいる。
416 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 20:19
そんな奴等は武将とも呼ばれないクズ共だ。死んで当然。
そんなくだらない名前を覚える暇あったら日本語を人と会話できる位までにマスターしとけ。
417 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 20:20
上の奴はバカだ
418 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 20:21
416おまえはまず モンゴル人を笑わせることから始めろ
419 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 20:22
416はエスパー伊藤にケツをかしてるのがむかつく
420 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 20:23
417>だがそれよりバカなのが、徳川>武田と思ってるクズ共だな。
421 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 20:23
>>417 煽りはほっときましょう。
無視が一番です。
422 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 20:23
416のティンポがこんにゃく臭いのがむかつく
423 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 20:25
416のケツからきゅうりのつけものが出てきたのがむかつく
424 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 20:27
420そんなこと思ってるやついんの?
425 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 20:37
昔の当事者達も恐れたって書いてるのに、何故か文献オタクや、一部の少数派意見を述べる歴史学者の定説を信じる信者共は武田家を軽んじたがる。
おいバカ共、歴史って何で学校で教わるのか知ってるか?
昔の人が犯したあやまちや、偉業から知恵や知識を学ぶためなんだよ。それを昔の人が後世に残してくれた文献や事柄を疑ってどうすんの?
信じた上で事柄を学ぶんだよ。僕ちゃん達は理解できたかな?
イジメられた経験から人を信じる事ができなくなった、ひねくれ者のみんなは、コミュニケーションのとり方から学んでいこうね。
426 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 21:04
425>まぁ言い方はひどいが言う通りかもね
捻くれ者ってのは言い過ぎかもしれないけど、過去の人が残してくれた文献は信じないのに、なんで学者の言う定説は疑りもしないで信じ込むんだろうか?
427 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 21:21
427>
教えてあげようか。それは彼等が学者の信者だからさ。自分の思考能力がないから、学者の言いなりになってるから。文献を信じないっていうのは、文献が読めないだけ。従って疑いもなく少数派低能学者の信者ってわけ。
理解できたかな?結構優しめに解説してみたつもりだけど。
428 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 21:23
425に426よ、おれはこのスレでそのことを何度も言ってるぞ。
429 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 21:30
428>だから?
430 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 21:31
よくこの板では学者の定説やら、資料に書いてあるんだからそうなんだとか、まったく自分の思考を使わず反論してくるやつがいる。
おまえはそんなことを言うためにいちいちくるなと思う。それに議論しても資料に書いてあるからそうだのいってんばりだし、まじくそ。
431 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 21:32
だから氏ね
432 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 21:42
遊んでばっかりいないで、勉強しなさい。
次ぎ学校さぼったら許さないわよ。 by母
433 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 21:45
真面目なレスする気があるの、皆?
434 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 21:53
岡田氏ね
435 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 21:59
436 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 22:43
アゲ
437 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 22:53
sage
438 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 23:04
あげぇ
439 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 23:17
だれかかつての古き良きスレを………
425 426 427 430
これらのレスは俺に向けて書いたのか?
27さん私はどうしたら良いのでしょう?
私は軍事的合理とあの時の状況にもとずいて判断したまでなのに。
何故ここでは「武田騎馬隊」が根強いのか(哀
軍事板でも日本史板でも否定されているのに
425 426 427 430
の方々は馬鹿が引用した珍説だとおっしゃられるのならば
このスレにはこれ以上書きこみやめます。
>>442 武田騎馬隊への夢を捨てきれないんですよ。
444 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/07 23:59
>>442 理性と信仰では信仰のが強いってことでしょうかね。
引用だけでなくユニークな検証対決とかあって私も面白かったと
思いますよ。
ただ、否定派の方々は、既に常識として捉えている説が、
まだ一般での認知度が低いのかもしれません。
私も武田騎馬隊の否定は、誰の説ということもなく明治以来の
学会の常識だからくらいにしか思っていませんでした。
正直、ソースが日本陸軍だったこともここで以前に知ったくらいです。
ただ、桶狭間の合戦や長篠の合戦をとっても分かるように、
江戸時代も200年続いた中で、過去のことがかなり捻じ曲がって
伝わってしまっているのが現状です。
伝承をそのまま信じるのも危険で、少しずつ実証していくことが
必要だと思うんですけど。
上で修正された武田騎馬隊ってそんなに魅力ない?
445 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 00:03
>>武田騎馬が弱かった訳じゃなくて勝頼に戦術眼がなかっただけなのに
信長や織田軍団が武田よりつよいって論法がなー
446 :
お山の大将たち:01/10/08 00:07
軍事版、日本史版はのは定説です。これって最高ですかー?
447 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 00:11
>>446 ×版
○板
これくらい覚えとくよーに。
再登場です。
>武田騎馬が弱かった訳じゃなくて勝頼に戦術眼がなかっただけなのに
>信長や織田軍団が武田よりつよいって論法がなー
信長や織田軍団が強いなどといっているのではありません。
確かに武田軍は強かったのでしょう。しかしながらその強さを支えたのは
「武田騎馬軍団」などではなく
>>277@〜Dに書いたような理由だと
考えるのです。
449 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 00:14
450 :
お山の大将たち:01/10/08 00:14
定説によりますとー、武田騎馬軍隊は否定されてんですよー。
この資料にこう書いてあります。実際は・・・・・・・とあります。
451 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 00:16
>>450 で?
学会は間違っている!俺たちが教科書も覆してやるぜ!
みたいな感じ?
452 :
お山の大将たち:01/10/08 00:18
ちょっと違う。
>お山の大将たち
貴方の考える武田軍の強さ、それの合戦での活かし方は何ですか?
批判ばかりで主張が見えないです。
454 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 00:21
>>452 どっかで小説のような武田騎馬隊が存在した証拠でも埋めて、
掘り返せば、信じてもらえるかもよ。
Dに武田の騎馬兵は強かったをプラスしていただきたい。
そうすればよっぽどの武田信者以外は納得。ですよね。
456 :
お山の大将たち:01/10/08 00:23
455の意見に大賛成。私も映画のようなのはないと思います。
457 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 00:28
だって映画の馬はアラブ種やサラブレッド種のような大きな馬だろ?
当時の馬は小さなものだったって聞くけど、どれほどの大きさだったのかな?
「やぶさめ」も今やサラブレッドに乗ってやってるし、実際の歴史の姿と現代人の
抱くイメージはどんどん乖離していく一方だな
458 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 00:31
騎兵の役割については、前レスに特に異論はありませんが・・・
良馬産地の甲信(上州の一部も)を領有していた武田軍の
「騎馬隊」が有名で、その果たした役割も非常に大きかった
というのは全くの事実だと思いますが。
459 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 00:33
>>457 上でガイシュツですが、現在のモンゴル馬に近いらしいです。
現在のサラは500キロ近くあるんですが、
300キロ前後で、サラとポニーの中間くらいをイメージして頂ければ、
宜しいかと。
一回りは小さいんで、サラと比べるとかなり目線は下の方になりますね。
460 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 00:35
武田の馬は他のやつらの馬より速く強かったよ。
甲府駅から武田神社(躑躅が崎の館)までの坂で毎日坂路調教をしていたんだよ。
武田には調教奉行までいたくらい。でも、さすがに全馬鍛えるなんて無理、そこで侍大将の馬を集中的に調教した。
その結果侍大将が戦で死ななくなった。現に上田原で板垣、甘利が死んでから死んだのは信繁くらいだろ。
武田の騎馬はすぐれていたんだよ。でも、それが裏目に出たのが設楽が原さ。
真面目な真田兄弟は「わしに続け−と」敵に突撃したんだけど馬のスピードが速すぎて家臣がついて来れず的の的になりあっさり取られた。
信綱の首は追いついた家臣が信綱の馬に乗り換え見事持ち帰る事に成功した。
>>459 ガイシュツだった?
ゴメソ
小さいと言われるわりには肖像画なんかに描かれる馬がそんなに
小さく感じないんですよね
462 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 00:38
信玄の乗っていた黒雲は誰が引き継いだの?
463 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 00:40
>>461 そうですか?
結構、屏風絵とか見ると小さいですよ。
現在の競馬と人と馬のバランスを比べて見ると鎧もあるんで
結構違いを感じます。
目線の高さとか見ると良く分かるかも。
464 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 00:41
日本や中国の武将で白馬に乗ってた記録あるだろ。サラつまりアラブ馬で白毛の馬なんて十万頭以上で1頭しか生まれないんだよ。
だからこれらの馬は種類が違う馬
武田騎馬兵が個々に強いのは強かったんだとおもいます。
しかしながら奇襲、追撃というような運用、ドクトリンからは変えられ
なかった。こんな感じですかね。
466 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 00:54
武田信玄は戦でよき働きをした物にはその場で碁石金の恩賞を家臣に与えていたほど働きに関しては正統かつ迅速に対応していた、これは馬にもで乗り手が馬によくがんばったなと人参をたらふく食わせていた。
馬もがんばれば恩賞もらえるのでがんばった。これが武田の馬の強い秘密さ。
467 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 01:51
何か競馬と勘違いしてないかい?
早さで優劣が付くのならアラブがぶっちぎりやな。
軍用馬が求められるのはフル装備の武将を支える足腰の強さと
それを集団で運用できる技能でしょう。
468 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 02:06
武田の強さは金の力
黒川金山マンセー
金山みつかるまではただの田舎侍
金が出たら戦国最強
結論はこれでいいのでは
469 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 02:13
>>468 ヴァカかオマエは。金山なんて信虎の時代には
既に採掘が始まっていたんだぞ。
470 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 02:27
>>467 もちろん分かってるよ。
現在のサラと比べスピードは劣るが、脚は丈夫だ。
ただし、体が小さいんで、体そのものへの負担はきついだろうし、
全力疾走出来る距離とかは落ちるだろうとか、いわゆる映画やドラマで
見るのとは人馬の大きさのバランスがかなり変わってくるとか、そんなとこ。
まあ、馬ヲタ的こだわりだな(w
ちなみに日本でもアラブも2次大戦中には軍用馬として
使われてるね。
まあ、ほとんど輸送用だが。
471 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 02:49
>>470 その輸送用ってのがでかいんじゃないの?
馬が多ければその分たくさん物資を持てるってことだよね
弾薬も食料もたくさん持てる
だから強かったんじゃないの?
ま、金の力が一番だと思うけどね。
472 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 02:55
輸送用というか、あの時代は騎馬としての能力ではアラブ種にかなう馬なんて
いないんじゃないの?
ヨーロッパ人とイスラム教徒の戦いの歴史でもアラブ種の騎馬兵の強さは実証済だよ
474 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 04:22
武田騎馬軍団を主張している人って、騎馬の機動力の話でだろうか?
それとも実際の戦闘の衝撃力の話でだろうか?
時代劇でやっているのは衝撃力の方の話なんだろうけど。
ここで主張している武田騎馬隊ってどうも機動性を持った上に衝撃力まである秘密兵器みたいな馬のように感じるけど。
騎馬隊というものがあったとして、機動性があれば装備は弱いし、突撃に強ければ鈍重のはずなんだけど。
西洋の騎士隊は後者に当たるんじゃないのかな。
475 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 04:41
>>474 とすると前者はモンゴル兵とか匈奴とか遊牧民みたないな感じ?
こっちだと、正面からぶつかるとそれこそ弓・石・鉄砲の良い的に
なりそうだし、やっぱ実際も残ってる鎧とか見てもかなり重装備っぽいね。
とするとやっぱ機動力はかなり殺されてたのか?
476 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 04:43
モンゴル兵がどの程度の装備かは知らないんですが、
機動性が高い場合の騎馬隊の使い方は敵と正面からぶつかるのではなくて、敵の弱いところを奇襲したり
高速移動によって戦術的に有利な地形をとったりするのに使うはず。
ナポレオン以降の近代軍の騎兵はどちらかというと機動性を求められている。
衝撃を与える役目は大砲がやるようになったから。
戦車が出てきてまた状況は変わるんだけど。
478 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 05:29
サラはね、調教して速く走らせるようにしてるから馬も速く走るようになっちゃうわけ。
生まれてから、人間乗せたり馬車引かせたりするだけだったら、骨折なんてしないよ。
体の限界越えて使用するから競馬は骨折するの。
結局、馬ネタになってしまうのか、武田スレは・・・
480 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 05:46
サラ、アラブが弱いというのは違うという事だね。サラ、アラブ最強。
481 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 05:49
定説ってやつは日本限定なの?何時代限定なの?。その定説というのがいまいちあいまいでしかも、私の知り合いの考古学者たちも一部のなかではいわれているが、あいまいな点が多いと言っていた。それはこの定説を鎌倉にはつかえない、外国でも同じことはいえないからだよ
482 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 05:56
480サラブレットが昔の日本の山道や獣道を全速で走ったら足がこわれるよ。それにサラブレットは寒さや病気に弱いしきもよわい。モンゴルの馬がなぜいまでも変わらないのかは馬の生命力が強いからだよ。かれらはマイナス何十度の雪の中でも平気で寝ていたりするからね。
483 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 06:04
>>482 日本の競馬馬はみんな北海道で生まれて育つんですよ。寒さに弱くはありません。
484 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 06:08
というかさ、日本の昔の馬が壊れなかったという証拠あるのかな?空馬なら大丈夫かもしんないけど、人乗せたら壊れるだろやっぱり。
485 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 06:16
あーこわれたと思うよ。秀吉の中国地方からの強行軍で馬がバタバタつかいものにならなくなったらしいしね。やっぱり、サラブレットは馬の中では最高に早いと思うけど地形や風土にあった馬が使いやすいよ。
486 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 06:20
少なくとも今の山の中の道よりひどいらしいから、サラじゃきついね。北海道とモンゴルは比べものにならないくらいモンゴルのほうが寒いし、さすがにサラブレットを真冬の雪の中いくら北海道が温かいからって放置するかい?同じ馬でもたどってきた人生違うからね
487 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 06:27
例えば満州とかって夏と冬の気温差がたしか70度以上ある。そこに馬がいたかはわからないけれど、モンゴルも変わらないと思う。そーいえば日本に昔からいる馬ってどーしちゃったんだ?
488 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 06:35
そうだよね。いつからいなくなったのかな?
489 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 07:05
飢饉で食っちまった。日本は牛はくわなかったからね。豚はいなかったし。
490 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 07:18
幕末のときはいたべよ?第2次世界大戦でくっちまったべか?
491 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 07:44
「騎馬隊はありえないだろう」というのが真相だけど、
良いんじゃない?
この板は学術板じゃなくて、ロマン板なんだしさ。
あると思いたい人はあると言うことでね。
492 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 07:56
>>464 それは違うね。
純粋な白馬は珍しいけど、
グレー系統の馬なんて簡単に産まれるよ。
戦国の「白馬」の記述を純粋な白馬と取るのはどうだろう。
493 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 08:06
私は競馬は良くするんだけど、
昔、競馬界で「珍しい本当の白馬デビュー」っていうのが
話題になったんだよね。
その話しを聞いて、私はアレッて思ったね。
何故なら競馬で白馬の馬なんて見慣れているつもりだったんだ。
だけど、その時、競馬界で話題になった白馬というのが
学術的にも認められる「純粋な白馬」というもので、
私が今まで白馬だと思っていたのは「白っぽいグレー系統の馬」という事だったらしい。
>>464さんの言う「十万頭に一匹」うんぬんは学術的基準での白馬っ事だろうね。
それで史書に記述がある白馬なんてのは「ある程度白っぽい馬」程度でしょうな。
494 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 09:57
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495 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 09:58
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496 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 09:58
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497 :
無名農民@お腹減った:01/10/08 10:26
グレー系色の馬ッて芦毛のことでしょ?
メジロマックイーンみたいな
現代の欧米の警察でも、暴徒鎮圧用に騎馬警官隊を組織している。
人間(というか動物は)、本能的に自分の目線より大きな相手を怖がるからだ。
騎馬が絶対にして最強の兵器だった訳では無いが、状況次第ではそれなりの効果があったからこそ、
鉄砲が普及してからも騎馬は使われつづけたのだろ。だが「騎馬隊」だけは絶対に有り得ない。
騎馬武者は独立した小領主・地主であり、数人〜数十人の兵を率いた指揮官でもある。
近代の騎兵隊のように、国から馬を支給された兵の集まりではない。
騎馬武者だけの部隊など戦国当時の社会構成上、有り得ないのだ。
そして「高価」だからだ。
騎馬武者は戦場に3〜5頭の馬を連れていった。
言葉は悪いが「使い捨て」の側面があったのも否定できない。
そして平時からそいつらを養わなければならない。
農耕や輸送に使えるとはいえ、かなりの経済的負担だろう。
結局、騎馬武者は、ある程度の経済力を持った地主・小領主以上の者に限られたのだ。
戦国当時の馬の大きさだが、肩までの高さで130cmそこそこだったらしい。
もちろん系統だった品種改良などされていなかっただろうから、個体差は大きかっただろう。
いわゆる「名馬」と呼ばれたやつとかは、もう少し大きかったのかも。
アラブ種とその改良種が最高の軍馬なのは間違い無いが、サラブレッドの話は論外。
戦場でF1車走らせてどうする?必要なのはハマーやランドクルーザーなのだから。
日本の内国種馬は、明治の頃までいた。
日露戦争の頃から、アラブ種をかけあわせて、第2次大戦まで軍馬として使用した。
戦後、騎兵そのものが必要無くなったし、彼等の本業である農耕馬としての仕事も、
トラクターが行うようになったのだ。
500 :
榎本武揚 ◆6iUxCERM :01/10/08 11:52
日露戦争では騎馬だけで編成された部隊があったんだよな。
確か、偵察・奇襲がおもな任務だった。
日本の騎兵団は戦闘する際は馬から降りて、銃を伏せ撃ちするって言う、なんか雑賀衆と長州藩の奇兵隊を混ぜた様な感じだったんだと。
だけど、ロシアのコサック騎兵団は上記の日本騎兵団と同じ運用法に、さらに騎兵団の突撃による敵中突破があったんだよな。
騎馬突撃によって敵部隊を分断した後に後続部隊による各個撃破というのがロシアの騎兵団を戦闘に用いる際の作戦だった。
騎馬隊は作戦の要を担う程、ロシアでは信頼されていた。
>続く
501 :
榎本武揚 ◆6iUxCERM :01/10/08 11:57
続き>『ロシアと日本では話が別』とか言われたらそれでお終いだけど……少なくとも『戦場の音で馬が落ち着きをなくす』とかってのに対してはそれを否定するための良い材料になったんではないかな?
502 :
榎本武揚 ◆6iUxCERM :01/10/08 12:39
さっきの書き方で少し誤解が生じる様なので訂正しときますが、ロシア騎兵団は伏せ撃ちを行いません。
てゆーか、コサック騎兵団は戦場にでて戦闘行為を行う際には馬からおりません。
コサック騎兵団が騎馬突撃を行う際の手順は以下
@.遠距離からの砲撃
A.中距離に近づいてから、鉄砲わ斉射
B.近距離に近づいて【手槍】+【短銃に近い物】に持ち変えての敵中突破
てな感じです。
503 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 12:57
そのかわり、騎兵団が騎馬突撃を行うとその被害は尋常でなくひどい物ですが、それでも騎馬突撃を行うんだから、騎兵団の騎馬突撃の効果は言うまでも無く、ロシアでは広く認められていました。
戦国時代よりも兵器が発展していた日露戦争で騎馬突撃がある程度の効果を発揮し、あの当時大国だったロシアの信頼を得ていた位ですから、戦国時代には仮に騎馬のみの編成部隊があったとしたら、かなりの効果があったんではないでしょうか?
504 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 13:08
>>498 お前のは、騎馬隊=全員乗馬、という思い込みだろ?
というか騎馬武者=騎馬隊と思ってないか?
幕府の鉄砲組とかも請負制だし、組の手の者が全員銃装備
ではないが、これは鉄砲隊として運用されるぞ。
武田の倉科党は全員騎馬だぞ。そもそも武田は豪族たちの寄せ集めだが、信玄の旗本騎馬軍があった。相手の深くまで進隊や側面を付く隊は数百騎の倉科党などによる騎馬なことは一般的だろ普通?そもそも武田に騎馬隊が無いなんて武田の中隅々まで見ていってるのか?
506 :
いのきいのち:01/10/08 13:42
またみんな戻ってきてくれまた熱く議論しよー!
騎馬隊での突撃は戦争の勝敗を決めるものではない。
なぜなら騎馬隊というのは勝敗が決まって上で
投入されるものだから。
あの時代、追撃するのでも鉄砲が落伍していたらよく逆襲されていました。
それだけ鉄砲の重要性が高かったということです。
>>505 >相手の深くまで進隊や側面を付く
簡単に考えてるけど無茶苦茶難しいぞ。
日本の「小領主集めて」という政治形態上、柔軟な作戦行動は
かなり制限される。
資料は無いのかもしれないが、倉科党や旗本組衆化騎馬軍がどのような
功績のある行動を遺したのか良かったら教えて欲しい
509 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 14:21
269ってアホだろ?
それを決めつける事ができねぇからみんなで議論してるんじゃん。
意見を言う脳味噌が無いとすぐ決めつけてかかるのが、お馬鹿さんの悪い癖だね、直したほうがいいよ。
510 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 14:36
509が言ってる269って507の事?
本題に戻して 「信玄は何故信長を攻めなかったのか」
信長は信玄を恐れていた同様信玄は信長を恐れていた
「当代随一の武将 武田信玄」みたいに言われているが
信玄は神でも仏でもないし、白兵戦の弱い都会兵を
引き連れているといえども都会の人口密度により
兵士数が多く、また一代であの大きさまで拡大した
手腕の信長方を恐れないとしたら嘘になるのでは。
だからこそ美濃にて織田主力を拘束している内に、
「一蹴りで倒れる」徳川を分断撃破しようと企図
した。そしてその徳川に対しても立ち枯れさせる
ような主要城孤立化戦略という慎重な策を取った。
一兵でも損失を抑えたかった。織田を美濃以西にて
拘束できているのか心配だった。
512 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 14:41
そうだよ。
なんで騎馬隊は追撃のみとかって決めつけてんのかが分からん。
500とかにもコサックとかのが書いてあるだろ。
お前の足りない脳味噌で考えた糞な意見をいかにも常識って風に語るな。ヘドがでる。
>>509 >意見を言う脳味噌が無いとすぐ決めつけてかかる
確かに、そういった面がありましたね。反省しています。
ところで509さんは否定派ですか?肯定派ですか?
そこまで言うのなら、日本史板の例のスレッドで日本史の
諸氏の意見を聞くのもいいかも。
515 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 14:49
>>514 だから、日本史板の意見は「騎馬隊なんてなかった」で
一致してるよ。
ただし「騎馬の比率の高い部隊を「騎馬隊」と表現するならそれはそれで正しい。
あと、日本史板は学問板でこことは方向性が違う。
ここではロマン板、騎馬軍団を信じたいなら、それでいいじゃないか。
自らの部隊は小領主たちの兵とちがって使いやすい。まー例を出すならば1542年に諏訪小笠原連合軍との戦いにおいて倉科党百騎による攻撃があり、相手を敗走させている。まーその後板垣信方の軍もつっこんできたけどね。壊滅させたのは板垣の本隊だけど。
>>515 だったらこう言う議題は日本史板でやるべきだ。
最初からロマンで語るのならこんなスレは元から
「ネタスレ」として存在していることになる。
269>こっちも口が悪かった、すまん
ところで何について肯定派?否定派?を聞いてるの?
519 :
榎本武揚 ◆6iUxCERM :01/10/08 14:57
27>ここはここで話を進めてるんだから、日本史板とか言うのを引き合いに出すのおかしいんじゃない?
別に日本史板と同じ意見にしなきゃいけない訳じゃないんだからよ。
520 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 15:00
まあ、でも真実は一つだから同じ結論が出るのも良いのかと。
その折衝が面白いんだし(w
っていうかここはロマン板だったのか・・・、
折れはてっきり隔離板だと思ってた・・・。
521 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 15:01
27>519の榎本某の言う通りだ!
ここのスレは自分の意見を述べて議論する場であり、他のスレでの結果などを報告する場所じゃない!
そんな他の奴の意見ばっか書かないで少し自分の意見を書き込んだら?
522 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 15:04
520はバカだ。
日本史板の結果を真実と思い込んでる信者だな。
27その言い方はよくないんじゃないか?
いままで何人もの人が考えて熱くまじめに議論しているのをバカにしているしか思えない。
それって私が
>>277に書いたDが強化されているのでは?
三方が原みたいな地積があるようなところで敵翼に対して
その騎馬による側撃や迂回機動がなされていない所をみると
日本の戦国時代ってのは「戦場の神様は鉄砲」
の時代だったのかなと思う。
525 :
榎本武揚 ◆6iUxCERM :01/10/08 15:09
520>でも昔の文献がうかがわしい物なら真実を見つけるなんて無理じゃない?
その当時を実際目で見る事なんてできないんだから、どんだけ考えても推測の域を出ないと思う。
それを日本史板の結論がいかにも真実の様に言うのはおかしいと思うね。
>>523 馬鹿にしているとは心外です。
ただ「武田騎馬隊は存在し積極的に作戦行動した」
とおっしゃられる諸氏が出てきては引っ込み
出てきては引っ込みするので。
映像などのイメージで騎馬軍団というのが騎馬だけの集団が突っ込むというのが広まったから、武田騎馬軍団というと馬の大量突撃という概念ができているのではなかろうか。
騎馬突撃があるとしても、それを補強する歩兵や遠距離攻撃部隊がいなければ実際の戦闘では使えないんではないか?
機甲師団とかいうと、戦車だけしか戦闘に使用しないと思い込んでいるのと同じような現象のようなきがする。
あとゲームの影響で指揮官の命令ひとつで手足のように動く軍団のイメージができているから
27さんのいうような戦国時代の命令系統の複雑さがわからない人がいるのかもしれない。
上層部の命令どおりに軍隊が行動するのは現代でさえ難しいんだから。
よっぽど通信がしっかりしていないとここの部隊の連携は難しい。
そのために中級指揮官がいるわけだけど。
戦国時代には近代軍隊の「上官の命令は絶対。」という合理的な指揮系統すら確立していないのだから。
>>509さん
騎馬「軍団」のようなものが存在したかどうかについてです。
一応騎馬「隊」程度(それも騎馬だけじゃない)ならあったん
じゃないかとは思うんですが。
529 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 15:14
>>522 折れは日本史板の連中より知識が劣っているのは自覚しているからね。
その後、もちろん自分でも専門書とかで確認はするよ。
高くて買えねえけどさ(T_T)
その辺では今のとこ武田騎馬隊については肯定的な書物を見たこと無いのよ。
なんかあったら教えてくれ。
27勝頼は織田の援軍をけちらして家康の旗本先鋒隊の背後にまわらなかったか?たしか内藤修理隊は酒井忠次の側面を突いただろ?それに最後は背後にまわって徳川を敗走させなかったか?
474さんありがとう。あの時代の「状況証拠」を集め考えると
絶対的な統制のとれたものなど考えられない。
>>530 それは「騎兵集団の単独行動」なのでしょうか?
269>私も騎馬だけでの編成については疑問です。やはり足軽などもいたと思いますが、やはり騎馬隊と当時の人も語る位ですから騎馬の占める割合が隊の5割以上を占めてるのではないでしょうか。あくまで私の推測ですけど。
(532に追加で)
それは何度も出しますが
>>277 Cに相当する事を
存分に活かしただけなのでは。
535 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 15:22
日本史板の人とここはかぶってるはずですよ。
たんに史学科出身の人くらいなら多いみたいだしね。
474へ
そこで指揮系統をうまく活用して、騎馬隊使って勝ちまくったから軍神って感じで後世に語り継がれてるんじゃないの?
537 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 15:25
>>533 それは何度も書きましたが「騎馬を西国に比べ多めに配備している
寄り子が多かった」ので西国の人から見たら多くしかも山のように
見えただけなのでは。
277のCって何?
537>それで充分なんじゃないの?
騎馬が多ければ騎馬隊じゃんか。
>>536 だから・・・
指揮系統いじったからってどうにでもなる問題じゃないって。
革命でも起きて根本からひっくり返るくらい変わらんと無理。
その点では信虎君の方が戦術予備騎兵隊みたいなのを作れる
可能性は大きかったんじゃないか。
>>509 >騎馬の占める割合が隊の5割以上を
とすると問題なのはどのような階級の人間が
何頭の馬を持ってそのうち何頭が実際に
戦闘で使用されていたかが関わってきますね。
武田の軍令をつたえたむかで衆は?たしかむかで衆を使っていたから武田の軍はうまく動いたんじゃなかったけか?おれもむかで衆にたいしては確信はないがね。
27>革命でも起きないと無理>とか言う理由が分からない
あんたが指揮系統云々言ったんじゃなかった?
第一、無理とか断定した時点で議論にならないじゃん。
もう少し考えて発言してください。
それにあんたが無理と思う様なところをやったから当時の人から軍神みたく語り継がれたんでないの?
545 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 15:36
>>539 でも騎馬が多いってだけだったら、
足軽に合わせて移動しなきゃなんないんじゃないの?
おれはこのスレの27から延々いろんな事を書いた。
なんで強いかは
>>277に書いた。
批判するのならそれからにしてくれ。
合理的な信玄なら財力と土地柄で、ある程度騎馬の、純度の高い騎馬隊ができたと思う。まだ鉄砲が数十丁しかない時代ならば騎馬の価値がそれなりに高いと思うが、戦国期全体では低く考えられるのでは?
>>544 そう俺が言った。ただし日本の「下まで軍政一致」状態じゃ
指揮系統の大幅改革なんぞ無理ともいった。
549 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 15:43
>>544 そういう点で革命的なことをやるなら、
中央集権独裁を目指した信虎の方が、
上を追放した過程から豪族合議制にせざるを得なかった信玄より
可能性があるってことじゃないの?
豪族が力を持っていれば、その分指揮系統を統一することが難しい。
550 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 15:45
大佐五人で戦うより准将一人と大佐3人のほうがいいもんね。
551 :
榎本武揚 ◆6iUxCERM :01/10/08 15:49
545>日露戦争時に日本騎兵団は、急を要する作戦行動時には、砲車など行軍が遅くなるものはあとから輸送させ、ガトリングなど行軍の速度に妨げの無いものを積んで行ったみたいです。
その際に砲撃手や兵舎や遮蔽のための盛り土をする。歩兵部隊は砲車と一緒に後から輸送でした。
戦国の騎馬隊もそうじゃないん?
要は背後にまわれればいいわけだから、足軽とかは、敵の後ろに陣営確保した後からでも遅くないんでないの?
元就の若いころには戦術眼はなく従来の弓隊が弓を放ち一列にならんだ槍隊がつっこむという兵の数により優劣がついた戦いだった。それから数十年で日本の戦術レベルがあがり、そこから考えれば武田信玄の戦は革命的だったし、優れた領主に特権を与えてもおかしくない。
553 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 15:56
>>552 信玄の戦はどう革命的だったの?
信虎の時とどう変わったの?
そこがイマイチ見えてこない。
>>536 どちらかというと指揮系統の合理化を図ったのは後期の信長。
信玄は軍団そのものが強かったというより自分の軍団の特性を把握していてその軍団の長所を発揮できるように戦争を設計しているところではないだろうか?
戦術家よりは戦略家なのだろう。
川中島合戦だって上杉軍より兵力が多いのだから野戦でぶつかれば最終的な勝利を得られるのだから。
その当時の家臣団との関係は近代軍隊と違うことは指摘されているが、信玄といえども家臣団の利益を無視して行動はできないはず。
逆に言えば家臣団の利益をうまく操って家臣を統御したところがその当時の強さといえるのではないか。
たとえばその当時の純軍事的な作戦を作りにくかった例として武勲による恩賞がある。
軍事的に無用だからといって部隊を戦わせなければその部隊は恩賞を得る機会がなくなり不満を持つ。
また家臣も在地領主の一人であるためある地方が襲われたときその地方に兵を送ることが軍事的に不利であったとしても
兵を送らなければその地方の家臣は主君を見捨てるだろう。
三方ヶ原に家康が出馬したのにはそういう事情もある。別に意地とか若さだけではない。
浜松城に篭城していた方が有利であっても遠江や三河の他の地域を見捨てれば信玄には負けなくても
領地経営がなりたたなくなるのである。
では信寅が何十年かけても取ることができなかった信濃を晴信は十数年で取っている。その中で自らの兵を使わずに取った城も少なくないだろ?信虎にマネできるか?信虎は戦上手だがあくまで兵を用いての戦で頭の中での戦はできないと推測するがどうかな?
556 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 16:06
榎本武揚 さん近代国家日本と戦国時代日本は余りにも違います
戦域も違えば状況も違う装備も違う。全く違う。
>>555 信虎は「間接アプローチ」戦略等を使い、長期的な戦略眼にのっとってます。
信玄は戦術的に戦えそうな相手を選んで叩くだけの近視眼的な戦略に
陥らざるをえなかったです。
「信虎=脳筋馬鹿、信玄=天才」
みたいなのはちがう。
558 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 16:14
>>555 いや、だからその実績は分かってるけど、
その戦がどう革命的だったのかと聞いてんのよ。
考え方によっては信虎の長年の改革が実を結んだとも考えられるし、
そんなに簡単に改革なんて出来るもんじゃないし、
結果が大分後に出てくるのも歴史的によくあることだ。
だから、それを信玄がどう変えたか分からないと
評価のしようもない。
27どちらが成果を成したか考えていただければわかるのでは?
信虎がバカだとは思っていません戦に勝つのは勇気だけではむずかしいですから。例外として呂布や張飛などがいますが、あくまでもそれはあるていど演議の創作だと思いますがね。
560 :
榎本武揚 ◆6iUxCERM :01/10/08 16:20
時代は違っても状況はそこまで変わらんね。
日露戦争時、日本騎兵団は独立部隊だったし、大山巌によって各師団に戦場での独断での命令権が認められていたからね。
561 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 16:26
>>559 夏侯操さん、
>>558のようなことは考えられませんか?
それと、結局、信玄の革命的な戦とはどんなのですか?
562 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 16:28
日本騎兵団は独立部隊 まずここが違うんだってば。
無知男さん同様私のレスは読みましたか?
信虎がやったのは「善光寺〜諏訪」と言う大動脈を巧く利用する
政治的戦略です。はっきりいってすごい。
563 :
榎本武揚 ◆6iUxCERM :01/10/08 16:32
装備の重さは日露戦争時の方が軽いがその代わり移動距離は倍以上だ。
状況的には両軍が対峙してる中に、日本軍左翼に位置していた騎兵団が左翼から敵の横腹に廻りこんだ。
武田の時の状況に似てません?
城の攻め方一つにしろ、金堀衆をつかって穴掘って相手を不安にさせたり、城の兵より兵を使わないなどある程度あたり前だがその当たり前の事を徹底した(家康が強くなった理由はこれ)。大規模な乱波を日本各地に放っているし、金をつかった調略は秀吉もお手本にしてる。
>>563 あのねー日本戦国時代の騎馬が翼に配置されていましたか?
ハンバーガーのパテみたいなところにいるんです。
信長は楽市楽座や槍を長くしたり、関所を廃止しているが全て道三がやったことである。信長も家康も秀吉も戦国時代の先駆け的存在の彼らの行動をマネしてさらにまた成功している。それでも革命的なのでは?君の革命という言葉の使い方をどうとればいいんだ?
567 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 16:39
>>564 すいません、
>城の兵より兵を使わない
ってのはどういうことですか?
ちょっとわかりませんでした。
それとこれくらいだと「戦に関しては革命的」とまでは言えないんじゃないですか?
前の方で騎馬隊について話してたんで、なにかその辺にも
変化があったのか聞きたかったのですか。
568 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 16:40
562>あなたが当時の武田は命令系統が確立してなくて、上からの命令は絶対とかそういうんじゃなかった、とか言ってたんじゃなかったんだっけ。
だから各師団が独断命令権を持っていて、指揮系統が確立してないってところが似てるじゃん。って言ってるんよ
569 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 16:41
>>564 金を使った調略は信虎時代からだし、
乱波は諏訪攻略の副産物じゃない?
570 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 16:41
楽市楽座やらは内政の充実。
槍を長くするのは戦闘での工夫。
>>564 精神攻撃は常道だと思うのですが…
古来では田単とかもやっていますし、
それに既存の戦術を成功させたのなら
「革命的」とはいわないのでは?
572 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 16:45
>>566 ?
なんかわけわかんないです。
それで言うと多くの戦国大名が革命的になってしまって、
武田の特別性が無くなってしまし、なぜ戦に強いのかの説明に
ならないんじゃないですか?
革命的と言うのはそんな安っぽい言葉なんですか?
もっと決定的なことだと思ったんですが。
>>568 >各師団が独断命令権を持っていて、指揮系統が確立してないって
>ところが似てるじゃん
それだけじゃん。あなたは戦争の歴史や戦国当時の組織編成状況
を知っていってるんですか?とてもおもえんけど。
外交・戦略の充実、内政の充実、戦術の発展、戦闘での工夫
これがごっちゃになってる。分けて考えろって。
あのね革命というのは1というものを2にするんだよ革命という言葉のつかい方もいろいろだろ?それに革命になぜこだわるのかがわからない。武田がなぜ強いかをおれがいままで言ったのでわからないならばもうわからないだろうね。当時のじてんでってこともわからないかな?
>>575 何がどう変わったのか書かないと「革命」かどうか分からん。
真実なんてどうでもよくなってるな。
革命の事をとやかく語る前に、あなた達は『脳内革命』を読んで脳に少しでも刺激を与えた方がいいんじゃないんでしょうか?
特に27と269には、うちの子供が通ってる幼稚園に通学する事をお勧めしますよ。
幼稚園児みたいに人に『革命ってなぁに?』とか恥ずかしげも無く訪ねる癖と親指をしゃぶる癖を直してからここに来ましょうね…坊や達。
>>575 議論が出来なくなったからって逃げるのは卑怯です。
579 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 16:56
>>575 >>552で自分が言ってんじゃん。
革命の言葉の使い方が色々って、そんな3流政治家みたいな言い訳されても・・・。
貴方の言った改革のどこが「1を2にしてる」んですか?
それとさっきから具体的なことを全然答えてもらってないんですけど、
あなた自身も感情論だけで、よく理解できてないんじゃないですか?
>>577さん
ではあなたは信玄についてどう考えてるんですか?
そうそう小城などを兵の数にまかせて力押しして城兵よりも兵の被害を出したら勝ったとはいえないので城の兵より多くの兵で戦うのは良くない。まーようするに同じくらいの兵で落とすことを心がけなさいってこと。
582 :
榎本武揚 ◆6iUxCERM :01/10/08 16:58
だからどこが違うのか言ってくれよ。
俺が懇切丁寧に知的障害を克服できずにいるお前達にも解りやすく説明してあげるからさ。
ある意味、子供電話相談室だな。
583 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 16:58
>>575 革命的とうのは「1を2にする」のではなく、
「2を1にする」もしくは「1を10にする」くらいのことを言うと思われ、
「1を2にする」というのは発展的・応用的程度と思われ。
>>582さん
信玄の「革命的な」(偉大なではない)業績ってありますか?
585 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 17:02
>>581 なんか全然質問に答えないで自分だけの世界に逃げてる
気がするんだけど・・・。
心がけって・・・。
587 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 17:05
>>582 信玄の革命的な戦って何ですか?
信虎時代より格段に変わったことってなんですか?
武田騎馬隊って具体的にどんなものだったんですか?
私が言いたいのは
574に書いた事は全てあったのはあったと思うが
こと戦闘教義(バトル・ドクトリン)に関しては私が
>>83に書いたのからは
逃れられなかった。と言うこと。ここにはその頃の軍事・政治形態が
密接に関連し、そんなに簡単に出来るものじゃなかった。
うーんじゃー簡単な例として東信濃と中信濃への政策の違いがあるね。東信濃では君たちにわかりやすいように簡単に言うとひどいことをして中信濃ではやさしい事をして結果をみた。東信濃はママー首3000個ならべちゃったよ事件があるから最初から反抗的だからね。
>>589さん
仮にそれが革命的だったとしてその結果どうなったんですか?
591 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 17:07
>>589 だからそれは戦のことじゃないやん・・・(;´д`)
×:そんなに簡単に出来るものじゃなかった。
○:そんなに簡単に変えることが出来るものじゃなかった。
593 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 17:10
588に追加。
だからこそ「武田騎馬隊」なる物の「革命的戦術」が
産まれ得る可能性が殆どなかった。
595 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 17:14
583革命という言葉を辞書で引いてみなよ。1が10になるって良くなるって意味とか進歩するって意味でとらえればいいのかな?それとも革命は今までの事を否定して新しくすると取ればいいのかい?心がけるってわかりやすく言うとわかんなくなっちゃうのか?
結論として我々(一応)は夏侯操さんの言う
信玄の革命的な「戦」についての解説を求めて
いるのであって革命と言う「言葉」に対しての
議論は後にしましょう。
身勝手な振る舞いかもしれませんが、すみません。
それに晴信が信虎の政策を革命的に批判なんかしてないし、いいところは引き継いでいるだろう。信虎のいいところと晴信のいいところを合わせてるんじゃないの?悪い部分も変えられないところはあるだろうがそれを引いても信虎の果たせなかったことを果たしたしさ。
598 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 17:20
>>595 革命
1、王朝が変わること
2、国家や社会の「急激な」変革
3、「根本的な」改革
「2を1にする」が1(もしくは2)に当たる。
「1を10にする」が2(もしくは3)に当たる。
心がけると言うのは分かりやすいとか言うより、
前から考えて意味不明っす。
>597さん
>革命的に批判
これは最早弁舌の部類です…
600 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 17:24
だから、貴方が言うから、信玄が戦のなにを革命的に変えたかって
聞いてるんであって、だったらその先代時代とどう違うのかって言ってるんです。
それに、信玄は信虎を追放した時点で豪族の力を借りているため、
先代へのアンチテーゼもあり、強引に中央集権をすすめるわけには
いかなかったらしいですよ。
ここはさしずめ晴信信者の巣窟だな(藁
602 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 17:26
>>584 誰も革命的に批判してるなんて言ってないし、
話のすり替え。
信玄自身の革命を聞いてんだよ。
夏候さんが革命的であげてる例は、いまの人から見れば当たり前でとても革命的ではないけど……当時それを始めて行い、後の武将もそれを習うようならば、それで改革的と呼べるのではないでしょうか?
>>602さん
言い方が悪かったですが私もそれが聞きたいです。
605 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 17:28
>>603 ・・・前レス見て。
それを革命的と呼んだら皆革命的になっちゃう。
そうしたら、武田が格段に強い理由にならなくなる、以上。
あのー外からみていると革命派?の人達ってほとんど自分の意見を言わないでつっこみを入れてるだけではありませんか?
自分はよく分からないし外部者なのでなんともいえませんがつっこみのほうが簡単なのではないでしょうか?
それと皆さんだんだんと口が悪くなってる気がします。 少し落ち着いて冷静に話し合いましょう。
>>600 同感。
>>83の火力絶対中心主義で一般的な戦闘教義のどこに
「信玄の革命」とやらを入れる事が出来ますか?
通信網の整備、軍道の整備等とは訳が違うんですよ。
609 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 17:32
>>606 いや、前レス見れば分かると思うけど、革命派?の人間はずっと
具体的に説明してきてる。
それをずっと感情的に批判するんで、だったら、どんななのよ?と聞いた。
すると、全然具体的に答えないんで、こうなった。
そんな感じです。
610 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 17:33
>>606 もう大体言いたいことは言ってあるんで、
前の方を見ておくれ。
605さんへ》
あの〜もし良かったらその「みんな革命的になっちゃうでしょ」のみんなの例を挙げてくれませんか? でないと納得するにいたりません。 それで納得する説明ができるのであれば夏候さんもその点で納得するのでは?
だから、588に書いたような要素は分けて考えようって。
もともと「革命、革命じゃない」の話は
「武田騎馬兵」の運用等の話から始まってるんだし、
そのことについて限定して話すべきでしょう。
だからそれについて限定すると、
588、594、608に書いた意見のとうりです。
これは他の信玄の行った色々なことを批判する事には
繋がりませんよ。
戦国武将は合理化に成功している人は強かった。元就の例を出したように中国にくらべて全体的に戦略や戦術が遅れているんですよ。みなさんが読む三国志の時代より遅れていたと思います。それを元就しかり信虎しかり信玄しかりですけどみな自分なりに進化している。
皆さんの勧めに従い前レスをみたのですが、あまり具体例を挙げてないように思うのですが…。 夏候さんの革命の例にたいするスレも、革命の意味に対するレスしかしてないし…。 ここを見ろって言うような、具体例が乗ってる所があれば教えてください。
616 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 17:47
>>606 上でも出ておりますが、楽市楽座は六角以来、道三、信長などもやってます。
金を使った調暦は信虎以来、信虎の改革は上に他にも出ています。
鉄砲を取り入れてる大名は信長だけじゃないし、雑賀衆なんてのもあります。
信仰を武器にした一向一揆もありますし、朝倉は独自の法度。
心理戦なら今川の得意技ですし、堅固な城で篭城戦を得意とした北条、
などなど、それぞれの大名が皆同じことをやっているのではなく、
個性があります。
その程度のことを革命的と言っちゃうと特別性がなくなると言ってるんです。
信玄だけが強いなどいってません。謙信の戦術眼はすごいと思います。徳河も当時姉川でみせたように強いです。まだみなが兵の数で戦をしていた時代に信玄は兵の多い少ないに気をとられず、進のを遅らせたり素早く進めたりと現時点での最良の行動をしたからです。
618 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 17:52
>>615 革命云々の話になったのは夏侯操氏の書き込みから出た最近の
話題だからね。
基本的にはここの流れは武田騎馬軍団の存在の肯定派否定派だから。
それと、その実態の検証(おいおい、1と違うやんけってのは無しね(w)
その点で、肯定派(革命派?)って人たちは27さんの277だっけ?具体例
を出してるよ。
>>614 だから、それは鉄砲という操作簡単ですさまじい火力の射撃兵器
の登場と普及というものがあるのであって、何も
>>83の形態が変
わるものではない。第一、鳥銃装備率の高い日本軍は陸においては
強かった。
620 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 17:57
>>617 だからそれを革命的と言っちゃうと・・・ってのはもうやめとくか(w
でも、結局、肯定派のいう武田軍の実態が未だによくつかめんのう・・・。
606さんへ》
今、例に挙げてもらった大名はどれも、皆さんが革命的とは言えない革命を行った大名で、その結果一大勢力を築いてますよね?(上の例には勢力を築いた後に滅びた大名も中にはいますが…) 夏候さんが挙げた例だけでも武田が一大勢力を築いた理由には充分じゃないのでしょうか?
信玄の調略技術は信虎のも多いにやくだっていると思いますが、そこに真田隆之が加わった事により完成度が増している。本格的な金山の採掘をしています。それを支えているのは信玄の代に登用した金堀衆です。その技術を後世に証明したのは大久保長安でしょう。
最初は武田騎兵の話をしていたのに「革命」の辺りから
おかしくなってるような。
>>617 それは否定してはいません。
>>621 全くそのとうりだと思います
夏侯操 さんへ
何度も言っているのに無視ですか。それらは否定していませんって。
聞きたいのは武田信玄によって騎兵の運用がどう「革命的」に変わった
かです。
625 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 18:06
>>621 確かに上の中の例は成功例だね。
というか、俺も専門家じゃないんでマイナーな大名の政策まで
詳しく知っているわけじゃない。
ただし、ほとんどは革命的というより、発展。応用させたものだ。
革命的というのは
>>598の通り。
それに、俺は武田が一大勢力を築いた理由そのものを聞いてたんじゃなくて、
彼の言う信玄の行った戦に関する革命的な改革を聞いてたんだけど?
623さんへ》
夏候さんが言う、武田が強い理由にこれ以上具体例をあげさせる必要はないのでは? 反対派の皆さんが反対する理由・その理由を証拠付ける具体例の提示をおねがいしたいのですが、宜しくお願いします。
というかさ、夏候と榎本はまだ子供(学生)
変な拘りやしつこさがある
自分の意見を体系的に語るつもりもない
元気につき合ってると疲れます
628 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 18:10
>>626 だから、武田が強い理由を聞いてるんじゃないって(T_T)
信玄の革命的な戦って何ですか?
信虎時代より格段に変わったことってなんですか?
武田騎馬隊って具体的にどんなものだったんですか?
俺はコレです。
>>チロさん
一応私は武田が弱いとかどうかは聞いていません、
信玄がどう革命的だったのか聞きたいだけです、それだけです。
>>628 ひとことで「戦」というから混乱が生じているのでは。
631 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 18:16
結果を出しているのだから強い、それは皆認めている。
ただ、ここで言う否定派?の人たちは、実態としては映画や小説と違って
こんな風だってのが元々の流れ。
肯定派?な人たちがそれは違うとばかり言うので、
だったらどんなのなの?ってのが今の流れです(チョットおかしくなってるけど)
632 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 18:19
628さんへ》
戦いにおいて革命的だったのは、夏候さんが前レスで挙げてた倉科の騎馬隊ですか?それが革命的+騎馬隊がなんたるかの説明になってるのでは?
627さんへ》議論してる最中に相手に失礼な意味の無い発言は控えてください。
いつのまにか革命論議になっていますが進歩や改良と革命を区別したほうがいいのではないでしょうか?
戦闘の場合革命といえるのは次のような過程を経たものだと思っています個人的に。
1、それまでは一般化していなかった戦闘方法である。
2、その方法をシステム的に確立し使用した。
3、それ以降普及し一般的な戦闘方法となった。
技術的な進歩の著しい近代だと飛行機などのようにあるのだが
戦国だと何なのだろう。
>>633 戦国じゃないけどイングランド軍の
エリア射撃とかかな?
636 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 18:24
>>632 だったらそうと夏候氏に答えてもらいたかったね。
で、それの実在性と戦における戦功を実証しないと、意味がない。
しかも、それが以前に無かったかどうか分からないと信玄の革命的かも
わかんないし、それだけが特別な存在であったなら、
武田騎馬隊の説明にはならないと思われ。
小山田信茂の投石部隊や倉科の騎馬部隊とかがすでに革命的なのではないでしょうか?
それ以降一般に普及する事がなかったのは、鉄砲や大砲などの兵器の登場があったからで、そのような兵器の出現などがなければ信玄以降も普及してたのでは?
638 :
革命的なのは:01/10/08 18:27
兵農分離をしたからでは?
武田軍には信玄の時代から年貢をまったく納めない代りに戦にはいつも出る御家人集が出来し、
年貢を少し免除される代りに兵役に付く半農半武士とか、まったく年貢を免除されない完全な百姓もいたし。
>633
やはり鉄砲の出現なのかな。
そうすると誰が革命的に変えたかははっきりしないな。
長篠は鉄砲の威力だけではないことが最近いわれているし。
鉄砲の集中使用は信長だけではないしね。
なんか話が変わってしまった失礼。
風呂に入ってる間にたいへんなことになってる。映画や小説を信じている人=肯定派になるわけですか?話しを戻すと武田に騎馬隊が存在しないに対して旗本隊や倉科党の例を出してみたところから始まったと思うんですが。それに大規模な騎馬隊が存在するなど一言もいってない
>>チロ
大砲は野戦では有機的に活用されることはなかったです。
存在がどうのこうのでない。
夏侯操 さんへ
存在したのはわかります。しかしながらそれを使って今までと違う
ダイナミックな戦闘教義を作ったと言うので無ければ、
私が
>>277に書いたままだと思います。
636さんへ》
それは反対意見出す人が提示するのではないでしょうか? ディベートとかでもそうですよね? ある意見に対して反対意見を提唱する方が反対資料集めて提示し、それを提示された側はまたそれに対する反対資料を集める…って感じでしょ。
つまり信玄の軍隊だからといって戦場の様相が極端に変わった訳では
ない。ということです。
646 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 18:41
>>637 それは信玄発案なの?
それ以前はなかったの?
効果はどれほどなの?
まあ、いじわるするわけじゃないが、一部隊があったというだけでは
答えにならないでしょ?
正直、革命的というのは夏侯氏がつい言い過ぎたことだと
思うんだけどね。
さっきから問題がゴチャゴチャになってるね。
642さんへ》
大砲は違うとしても、鉄砲が出てきたためではないのでしょうか? あまり揚げ足や細かい事はいいとして議論を進めていただきたいです。
648 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 18:45
>>644 いや、それはいくらなんでも子供の意見だと思われ(w
自分がろくに知らないことを証拠にするなんてディベート以前の
無責任な意見ですよ。
そちらが、どんなものかを言ってくれなければこちらが反論出来る訳
ないでしょ?
提示したのはそちらなんですから。
チロさんへ
そのとうりです。私はこのスレで「戦国時代の戦場は鉄砲火力が
差配した」と言う主旨のことを何回もかいてるはず。
鉄砲と大砲同じにしたら大変なことになるから書いたまで。
650 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 18:48
>>644 んじゃ、武田騎馬隊の中でそれらはあくまで特殊な部隊で、
全体像には程遠い。
これで良い?
648》大本は武田騎馬隊を批判してきたあなた方な訳で、それに対する意見が定説(?)ばかりですから、夏候が倉科を挙げた所にあなた方が証拠の提示を求める。 あまり議論の場で言いたくはありませんが一方的に求める方が子供っぽいのではないのでしょうか?
結局のところ、今何を議論すればいいの?
食事なので落ちます……なんかチャットみたいですぬ。 ではまた後で
654 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 19:01
>>651 また、なんかよく分からん理屈で返って来たな。
大体、倉科を挙げたのは夏候氏じゃなくて、君だろ?
あんまそういうことは言いたくないが内々気づいてるよ。
批判っていうか実証してきただけだよ。
否定派?は一方的に求められても答えてきた。
だから、肯定派も知らないのに文句を言うのではなく、
ちゃんと自分の考えを言って欲しい、それだけだよ。
俺は知ってることを提示して、責任持って答えてきた。
だから、君らも知ってることを提示して責任持って答えて欲しい。
はあ、疲れる。。。
たぶん多くの人が知っていると思いますが
WW2ドイツはフランスに電撃戦で勝ちました。
ドイツは研究された集中運用フランスは歩兵部隊に分散していました。
でも実はフランスの方が戦車は多く戦車の性能は上でした。
武田だけじゃなく全ての大名は政治・軍事体制上騎兵配置をこのフランスの
様にならざるをえず。しかしながら騎兵活用肯定派は
「果敢に突撃や側撃を敢行し・・・」
これが出来るにはかなりの数の統制の取れたまとまった騎兵や
他兵科の密接な援護が不可欠です。つまりフランス→ドイツぐらいの
変化が求められます。其れには政治体制の変化が求められますが
信玄はそんな事が出来得たでしょうか?
656 :
名無しさん@お馬で人生アウト :01/10/08 19:17
サラとアラブは元々は同一種ですが、サラは競争用に創られた品種で最初は三頭のアラブから作られました。
よってサラブレッドとはサラと呼ぶ定義があるのです。
第二次世界大戦時には確かに本物のサラブレッドを利用したかもしれません。
体の構造はサラもアラブも同じです。足の強さも同じ。要するにサラはオリンピック選手同士が結婚して子供が出来たら、嫁さん、もオリンピック選手の子供を貰ったから、遺伝的に能力が高いという事です。
ヨーロッパでは戦場でアラプを使っていましたからサラを使うことは当然出来ます。
戦争中はレースをしているわけではありません。悪路を走る時は馬だってそれなりの走りはします。
障害レースでタイム関係なし、といっても戦場で必要なくらいのスピードで走ればアラブでも、サラでも骨折はそう頻繁にはしないでしょう。
それだったら予備の馬をたくさん引き連れて戦場に行かなければいけません。
あなた達を完全に納得させる革命的証拠はないです。前で話した財力による武田の騎馬の純度の高さや、それによる軍事的優位はわかってもらえたのか?むかで衆の活用による軍令の伝達の速さからなる戦法や、純度の高さからなる早い移動などでどうだい。
一つ疑問ですが戦場で騎兵が縦横無尽に走り回る
ような局面てあったの?
夏侯操さんよ
ワシがなんで655を書いたのかわからんのか。
>純度の高さからなる早い移動
何でだ?解説をたのむ。
ほんとに馬鹿だなあなた達は。
661 :
名無しさん@お馬で人生アウト :01/10/08 19:24
>日本の内国種馬は、明治の頃までいた。
>日露戦争の頃から、アラブ種をかけあわせて、第2次大戦まで軍馬として使用した。
日本の在来種とアラブの掛け合わせは可能ですか?
在来種とアラブは体の大きさが違います。
在来種の体内でアラブの子馬が育ち出産できるのでしょうか?
出産できたとしたら、未熟児でその後の馬の能力に影響がでると思います。
背の低い日本人と背の高いアメリカ人との子供の出産とは訳が違うのではないでしょうか?
わかんねえよ馬鹿
もういい。
2度とこねえよ
馬鹿はお前だげらげら
倉科党の例を出したのはおれだよ。もう何百も前の話でなおかつ何度も同じようなことをくりかえしているしね。兵器の優劣で勝敗はきまらないとおれも思う。状況を理解して勝つための行動を迅速におこなったほうが勝つと思う。
666 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 19:29
チワワにセントバーナード種付けしたらどうなるのかな?子犬はチワワのサイズで生まれるのかな?
>>658 縦横無尽に動けたら奔放に翼は開きっぱなしじゃありません。
弱点を前方火力を生かすよう「陣形」でカバーしようとしたのが
日本戦国の戦術の「知恵」とでも呼びましょうか。
>>655 >兵器の優劣で
今の無茶な電子時代ならともかく当時はそうかも知れませんね。
でもそれだけじゃなく今も当時も勝つ確率を上げるために策を
考え武器を用意し兵をそろえる。
そうした事全てが戦争だと思います。
だから信玄が勝ってきたのはそれら全てを考慮に入れてでは?
戦争に勝つためにあらゆる手を尽くすのが戦略、実践指揮官が
戦闘に勝つために考えるのが戦術ですし。
なんか返答になってませんね、逝ってきます。
669 :
名無しさん@基地外警報:01/10/08 19:34
>665
来てるじゃねーか
>>667 なるほど、陣形ですか。
ご回答有難うございます。
だから戦闘中により有利な陣形に変更し
臨機応変な指揮が求められると。
おれの名前でバカとか言っておとしめようとしてるわけ?汚いなーまったく(笑
そういうことして楽しいか?
672 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 19:37
>>665 いや、君に答えてもらいたいんじゃないんだが・・・。
君はいなかったし
君は過去にそれを話題にしただけで、武田騎馬隊の革命性に
倉科を挙げたのはチロ氏。
>>651 >夏候が倉科を挙げた所にあなた方が証拠の提示を求める。
を見ればわかるはず。
前後からすると、なんか不自然な文なんだけどね。
673 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 19:38
>>668 >だから信玄が勝ってきたのはそれら全てを考慮に入れてでは
655は騎馬隊運用に限定して書いたまでで
其れを考慮に入れた上での信玄采配はすごいと思います。
674 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 19:40
>>661 ロバと馬でもOKなんだし、大丈夫なんじゃないの?
>>670 そのとうりだと思います。信玄は臨機応変な指揮に長けていたんだと
考えて妥当でしょう。
馬鹿が
前から思ってたが、夏侯操はトリップ使えばいいじゃん。
678 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 19:49
信玄が本当に強かったかは別として、武田の強さは騎馬隊の能力ではないのでは?
たとえば、徳川よりは兵全てが実戦経験があっただろうし、信玄個人の力だと思う。
孔明のように相手の考えよんだとか、兵法に優れていたとか。
信玄はおそらく、戦況が見渡せる位置に陣取り細かく指示とか出してたと思う。
これだけでも、兵個人の戦力が全く互角でも勝つことはできると思う。
679 :
夏侯操 ◆d8NlpxDk :01/10/08 19:51
小笠原軍と戦うときに目的地まで1日でいけるところを8日かけて進んだ。その訳はその前に村上に敗れているからこちらの戦意を失ったように思わせるためと、その間に前前からしくんでおいた小笠原家の家臣の引き抜きの結果を知る為。あと鉄砲の仕入れである。
続く
信玄は徹底的な戦術主義者だったことからしても
678の言う通りだと思う。
681 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 19:53
682 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 19:53
>ロバと馬でもOKなんだし、大丈夫なんじゃないの?
え、掛け合わせてるの?染色体違うでしょ
678に関しては夏侯操 も同意か?
684 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 19:55
>>682 確かラバだかが生まれるはずだよ。
動物園とかにたまにいる。
一代限りで子孫は残せないらしいけど。
炎天下のための敵士気の乱れをうながす。数の多さのための油断。そこで信玄は颯のごとく騎馬隊を組織して小笠原軍の見張り所の突破。小笠原軍の前衛陣はあまりの騎馬隊の速さに鎧も付ける間もなく戦った。これでもまだ納得いかない?
686 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 19:58
>>685 いや、書き写したみたいなんで一応聞いとく、
ソースは何?
だから夏侯操 、685は678の部類に分けられるものだろう?
それぐらいわきまえておくれ。
おれは一言も武田の強さが騎馬だけなんて言ってないよ。信玄の能力の高さがあるって前前からいってるしね。今はただ武田の騎馬の能力についてかたっただけ。家康が信玄を学んだのも478のことだしね。異論はまったくないよ、むしろぜんぜん肯定しているしね。
689 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 20:05
夏侯操うぜえ
690 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 20:05
>>688 ソースって分かると思うけど出典な。
何の資料か教えてくれ。
691 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 20:06
夏侯操の親父は自称考古学者だそうだ
>>685 学研M文庫ではないですよね、流石に…
とりあえず戦記物ですか?歴史書ですか?
693 :
夏侯操 ◆hRKFl5jU :01/10/08 20:07
偽者いいかげんにしろ
うぜーよ野郎共。アイボンハアハア
雲峰寺におさめられていた書物だと思う。ごめん名前までは覚えていないんだ。だれかわかる人いないかなー?
697 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 20:14
>>695 今の書き込みは、どうやって書き写したの?
夏侯惇的曹操は何人いるの?
出来るなら原文写して欲しいな。
∧愛∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ´∀`)< 聞いた風な口をきくなっ!
( ) \_________
| | |
(__)_)
701 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 20:17
689、691は何なの?水をさすようなことはしないように。691は相当おれの事しってんだねストーカーかい?自称ねー、人が笑ってるうちにやめときな君は自称大人じゃなかったっけ?たしか資料にはこう書いてあるんだからこうだ!男だよね。ちゃんとお仕事しなさい!
いやがらせが激しいな。うんと自慢じゃないけどおれの家武田家某家臣だから興味本位でよく調べたりしたんだ。原本はもうないよ雲峰寺にも写しかないし。山梨の図書館や町役場にはあると思う。あっ後小説にもそれらしき事は書いてあったのもあったと思う。
703 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 20:28
≫702
ま、小説は置いといて、書かれた時代とか人物が分からないとなると
なんとも言い様がないな。
結構、江戸で色々捻じ曲がっちゃってるから・・・。
参考にはしとくし、俺もまた調べてみるよ。
おもしろい話では現在の信玄餅は飛騨の姉小路家の食べ物を無理やりパクッて信州や甲斐のおみやげにしました(笑)
おれも山梨や長野に住んでいるわけでもないし学校や部活があるため当分たしかめにいけない(涙
あープロレスみわすれたー(涙
くそーくそーくそー
706 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 20:35
>>702 なるほど、ネットで今軽く調べてみたけど、武田家に縁が深い寺で
武田関連の品がかなり残ってるらしいけど、文献のことは全然
書いてないなあ・・・。
山梨に行くことも無いし、こっちからの確認は無理っぽいかも。
歴史は数学みたいに答えが一つじゃないから楽しいし興味深いし違う意見が生まれて議論ができるから俺は好きだー。
諏訪氏の末えいが友達にいるけど良く考えたらごめんなさいってかんじ(笑
そいつは実家長野だからしってるかもしれない。
いつの間にか話が終結していますね……話を蒸し返す様で本当に悪いんですが、倉科を最初に例で挙げたのは夏候さんですよ。 信じない人は最初から前レス読み直してください。 前レス読まずに議論すると恥をかいちゃう、良い例ですね。
709 :
久米ちゃん:01/10/08 21:58
1です。たくさんの方々レスをいだたきありがとうございます。
出来れば、死せる孔明、仲達を走らせるのスレッドのような武田に関する絵文字をお待ちしております。
710 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 22:06
>>708 あんさん、相変わらず話が見えてねーなー。
俺が言ってんのは、「武田の革命性」で倉科を挙げたのはチロ氏だって
言ってんじゃん。
夏候氏は「武田の革命性」では倉科を挙げてない。
過去に別の話で例示しただけ。
それを言ってんのよ。
711 :
久米ちゃん:01/10/08 22:16
ところで他の武将は信玄をなんと呼んでいたのですか?
信玄、信玄入道、晴信?
>武田の強さは騎馬隊の能力ではないのでは?
武田家の馬が戦を何回経験したと思うのですか?
調教の時にも陣太鼓を使っていましたし、武田の馬の動きは機敏でしたよ。
713 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 23:15
>>712 現在でも馬の寿命は平均しても15年くらいです。
その中で何も無かったとしても、軍用馬として使用できるのは10年が
限度でしょう。
しかも、その中で強行軍や戦闘が多々あったとした場合、どれだけ
寿命を全うすることが出来たことか。
馬は一本でも脚が骨折すれば、残りの脚が壊死し即ち死を意味します。
そのため、ほとんどの場合、経験を積むというような事は難しいと
思われます。
もちろん、経験は仔に遺伝しません。
馬は乗り捨てに近いと思った方が良いかと。
714 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/08 23:27
そういえば相馬の馬追いは引退したサラブレット゜が出るよね。
馬追いの時、何頭出て何頭骨折するの?
地元の人おしえて。
サラの足は脆い。しかし、戦国期の馬は、さほど簡単には骨折はしない。
比較の問題だが。
バクスターよ永遠なれ。麦は青春であった。
武田が治めた甲斐、侵攻した信濃は奈良時代より牧が発達し、
その数は相当数にのぼるものであった。
他国に比して、馬の数が多いだろうという予測は間違っていないであろう。
江戸初期に描かれた合戦図屏風などでも、
武田の騎馬は多く描かれ、しかも密集攻撃している。(突撃場面が描かれている)
もちろん、騎乗のままで。
江戸初期なので、伝説的になった武田の騎馬武者を描いたのだろうが、
実戦経験のある人間が多くいた時代、戦のプロである武士のために
描かれた屏風に、さほど極端な間違いがあるとも思えない。
武田軍陣立ての屏風でも、騎馬武者が密集している部隊が確認できる。
武田に騎馬が多く、それをより積極的に活用した。
さらに勝ち戦が多かったことから、騎馬による戦闘場面が、
他の大名よりも多く見られた。
騎馬そのものが多く、牧の多さから補給が容易であったため、
高価な馬の使用頻度が多かった。
こんな感じでは。
716 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 01:45
>>715 同意。否定派の面々には、騎馬=武田最強を否定するのはまだしも
騎馬隊の存在そのものも否定しようとしている輩がいる。
武田の騎馬隊が最強だった、などというのは伝説でしかないが
それが他家よりも有名で、且つ相対的に強かったことは
紛れもない事実として語るべきであると思う。
仕事に行っている間に、スレが育っていてびっくり。
皆、武田騎馬軍団ネタが好きなのかい?
>>498で私が否定した騎馬隊ってのは数百〜1千規模の、騎馬のみで編成された部隊のこと。
近代陸軍の騎馬部隊がイメージに近い。その点は言葉足らずだったと思う。
中世的な数十〜百程度の騎馬の群れなら、鎌倉時代に既に存在する。
もちろんそれに従者が付随するのだが。
騎馬を部隊から特別に抽出して作戦行動に使用した例は、
信玄をはじめ例がある。だが飽くまで臨時的なもの。
旗本所属の数十人規模の騎馬武者の群れも存在したろうが、
それを武田騎馬隊と呼びたいのならそう呼べばいいと思う。
私には旗本衆にしか思えんのだが。
>716
「騎馬隊」と呼ぶか「旗本衆」と呼ぶかは、言葉の違いに過ぎないと思う。
近代陸軍的な、国家から馬を支給された騎馬隊は存在しないはずだ。
当方の不勉強かも知れないが、
武田の倉科党が全員騎馬だと言うのは聞いたことが無い。
武田家中でも独立性の高い倉科党だからこそ、
自前で長槍足軽、弓足軽も引き連れていたと考えた方が妥当ではないか?
弓や長槍が無ければ、射撃戦ではタコ殴りにされ、篭城戦も出来ないし、
退却戦では退路の確保も難しい。
当時は備えと呼ばれた部隊単位で行動していたので、
騎馬のみ、槍のみ、弓、鉄砲のみの部隊は到底考えられない。
ましてや独立性の高い倉科党ならなおさらである。
>>516で「倉科党百騎による攻撃」とあるが、
当時の戦記の書き方として、従者の人数をあえて書かない場合が多くある。
その場合、1騎に付き3〜5人の徒歩従者がいたとして部隊の兵力規模を考えるのだが、
倉科党が4百〜6百人規模の戦力なら妥当な戦力と言える。
武田の倉科党が全員騎馬だったという歴史資料、逸話があれば後学の為御教示願いたい。
>715
私の知る最新の研究発表では、
西国大名の平均的な騎馬率が15〜18%ぐらいで、武田家は25%前後だったように思う。
資料は部屋の中で埋没しているので、細かい数字に間違いがあるかもしれんが、
武田家の騎馬率が高かったのは間違い無いようだ。
余所より少し騎馬率の高い武田軍を武田騎馬軍団と呼びたい人は、
そう呼べばいいと思う。
>>661 哺乳類は母親の骨盤の大きさに合わせて生まれてくる。
母親の個体が小さくても大丈夫だ。
在来種とアラブ種の掛け合せは歴史的事実。
信じられんのなら、畜産系大学の図書館へ行ってごらん。
720 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 02:13
おお、勉強になりました。
やっぱ、ここは良スレだね。
俺も今当時の屏風絵の資料見たけど、
確かに騎馬集団といってもほとんどは数騎〜十騎程度という単位で
足軽やらと敵味方入り乱れてるね。
ってことはやはり武田の強さの秘訣は、俗に言う騎馬隊と言うより
>>678のようなことかな?
721 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 04:05
>哺乳類は母親の骨盤の大きさに合わせて生まれてくる。
>母親の個体が小さくても大丈夫だ。
チワワにセントバーナードを掛け合わせてもですか?
722 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 04:33
>サラの足は脆い。しかし、戦国期の馬は、さほど簡単には骨折はしない。
これはヨーロッパの戦場でどれくらいの馬が骨折したか調べないとわかりませんよ。
ヨーロッパのアラブが骨折しないならそのまま、日本につれて来てもそう大差はないと思います。
723 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 05:14
騎馬軍団スレを立て倒している1は
IPを晒して
この板から追い出すべきだと思います
724 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 07:14
武田の倉科党が足がるをつれている?その考えがおかしい。あなたは倉科党の普段の役割を知っているのか?それにあなたの意見は自分の考えが多く入りすぎてもはや笑いが止まらん。倉科党はその卓越した馬術により戦術面で伝令をおこなったり馬術を基本に活動するんだよ。
725 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 07:47
倉科党ってたしか塩山の先、牧丘あたりの豪族だっけ
726 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 07:57
それに倉科党がろ城戦をしたり、退路を確保するわけないだろ。倉科党は戦術面の強化であり倉科党のみで戦ったなど聞いたことがない。三方ヶ原の合戦の例を出すと。
727 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 08:04
まず武田の軍が25000いた。あなたのいう騎馬率が25%とする(少ないと思うが)。騎馬はおよそ8000騎、武田信玄自らの本陣におよそ3割はいたとみつもり、こちらもおよそ8000である。信玄は自らはあまり動かないので騎馬よりあしがるがたくさんいた。
続く
728 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 08:11
上杉謙信との戦を思いだしてもらえばいい。多くの兵を信玄が用いるときに彼は自分では動かないが一度謙信に自らの陣まで攻められたことがある。そのとき信玄の陣にはいた騎馬は名のある武将ぐらいだったと思われる。そうすると17000の兵の騎馬率は5割近いと思う。さらに
729 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 08:39
>>728 >騎馬は名のある武将ぐらいだったと思われる
想像と憶測を逞しくする前に、きちんと史料(資料でも可)を
調べてソースをつけて議論することを覚えよう。
730 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 08:47
729>>は本当にアホアホだな。
自分の意見も言えないのに人の意見にとやかく言うなよ。
731 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 08:51
想像と憶測で武田騎馬隊の存在を疑ってるアホはどこのどいつだか。
ハァ〜729のアホさには疲れる。
>>719 こんにちは
騎馬が25%とは多すぎますね。
ソースは?
733 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 09:21
武田本陣での騎馬の必要性は伝令による指揮であったのではという見方がたしかあったと思うんだが?気のせいか?
734 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 09:28
またさち子とかいう荒らしか…
【勝頼はなぜ景勝を…】ってスレでも荒らしてたな…確か。
さち子>>そちらが25%が多すぎるという理由を証拠づけるソースは?
736 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 09:43
チロさん、そんな事聞いたらかわいそうですよ。
自分の推測が全て正しいと思って発言してるアホにソースなんて有るわけないでしょ?
さち子は自分の意見を証拠づける史料が無いくせに偉そうに人にソースを聞くな?
わたしの見てきた資料とかでは
武田家の騎馬の比率はせいぜい十数%程度ですよ。
武田軍の騎馬武者はある程度の武士(上位の半農半武も含む)なんですね。
それでですね。
いわゆる「突撃」ですが、基本的に歩兵の突撃に近いです。
例えば、現代戦の突撃は戦車や装甲車両の後ろを歩兵が
走る(戦車等を玉避けがわりにする)のですが。
戦国期の場合は騎馬武者を数人以上の歩兵がガードするように走って行くんです。
なぜなら日本の騎馬兵は馬に鎧を着せないので攻撃に弱く、
馬を長槍で刺されでもしたら、暴れて武者を振り落とすからです。
それと、騎馬武者は指揮官なんですね。
現代でいうところの分・小隊長のような役割です。
はあ、荒らしじゃないですよ。
ソースならありますよ。
例えば武田氏の軍役の記録などで、
元正三年の初鹿野伝右衛門の軍役は
人員10で
騎馬1 持槍5 鉄砲1 弓1 旗1です。
739 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 09:52
人員は9の間違いでした。
さち子>>ですから、その意見を証拠づけるソースはなんですか?
741 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 09:56
武田にはそれが通用するのか?学会でも武田の騎馬軍団があったかなかったの議論がなされるのはまさにそれです。武田の強さは一般的な騎馬の常識なのか?違うのか?などです。意見が分かれるのは必須なのですが、武田の騎馬が並みと同じで少ないという意見は初めてです。
>>740 あなたから先に言って欲しいですね。
武田氏の軍役の記録のほかにも
諏訪頼重のとの戦いの時にも、
諏訪氏の物見は武田勢は騎馬二千、歩兵二万と報告してます(過大報告ですけどね)
さち子>>『武田氏の軍役の記録』の書物名を教えていただきたいです。
そしてその書物を蔵している場所をお教えください。
自分で比較検討をするのが一番納得できますからね。
>>741 別に少ないとは言ってませんよ。
十数%なら多いくらいです。
さち子>>私が先に何を言えばいいのですか?
746 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 10:03
書物の名前を挙げないで、内容書いたって信用できないんだよね。
書物の名前挙げなければ、でっちあげる事だって余裕でできる訳だし。
747 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 10:07
わたしは今は大学を卒業して十年以上にもなりますので、
一次資料は見つけにくいですね。
一般向けの資料でも構いませんか?
一般の史料で構いませんよ。
むしろ一般の史料の方が気軽に読めそうですし。
まず、十数%でも十分に多い数ですよ。
そもそも武田が二万程の兵力としますね。
すると武者につき馬一等としても、じつに数千頭も用意しなくてはなりません。
これだけでも大変な数ではないでしょうか?
しかも替え馬を考えると膨大な数になりますよ。
馬の産地でも、これだけの数の馬を捻出するのはたいへんです。
ましてや馬の産地でもない西国にこれだけの馬がいたのでしょうか?
750 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 10:12
まぁあるなら言ってみて欲しいがな。
ひょっとしたら史料名も嘘かもしれないんで気をつけた方がいいですよ、チロさん。
>>748 はあ?
全然、平凡なありふれた有名な本ですよ。
新田次郎氏も参考にした、
小林計一郎氏の武田軍記です。
ここの65ページに内訳などが書いてありますよ。
>>749はちょっとミス
二万人なら五、六千は用意しないといけませんね。
さらに、替え馬や幼い馬などさまざまな馬の数を考えると
数万頭ほども馬の数がいないとおかしいですけど・・・
兵力を十万ほども用意できるような織田とかも、
そのくらいの馬を抱えていたんでしょうか?
さち子>>はぁ?とか悪態つかれる理由が分かりませんね。
もう少し冷静に話し合おうって気はないんですか?
それと、鎧もつけていない騎馬だけの突撃は無謀ですよ。
少し、それて馬を槍でつけば騎馬武者は落馬して終わりです。
やはり、編成などからも考えて騎馬と歩兵のユニットで取っ劇したわけです。
ただし、戦国期でも騎馬だけの突撃がなかったわけではありません。
北条氏康が河越の夜戦で騎馬武者だけを三百人程集めて、
突撃を敢行したという話しはありますが、
そういうのは特殊なので記録が残ったんですよ。
755 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 10:28
議論する気がないアホ女は消えろ!自分の意見を真実だと決めつけて独り善がりな発言をする女の来る場所じゃねーんだよ!
>>753 不快に感じたのなら謝ります。
でも「はぁ?」というのはタメ息の「はぁ」ではなく、
「えっ」という意味です。
でも、それでも失礼だったかもしれません。
ごめんなさい。
議論する気はあります。
でも、あなたたちも「荒らし」とか「アホ」とか
いろいろ、わたしに失礼なことを言ってますよ?
わかりました。
論点をまとめますと。
武田騎馬軍団とは何か?
突撃は騎馬兵たけか? それとも騎馬+歩兵の突撃か?
騎馬兵比率はどれくらいか?
そもそも「騎馬の突撃」があったのか?
ですね?
さち子>>あーゆう人達はどこにでもいますんで、無視でいきましょう。
>>759 あなた、わたしが謝ってるのに
どうして無視するとか、そんな事、言うんですか?(T-T)
わかりましたよ。
わたしが荒らしみたいですね。
退散します。それでは
わたしはここではコテハンで書くべきではないですね。
「荒らし」とか「アホ」とか言ってる人に対して言ったんですよ。
誤解ですよ、さち子さん。
折角、話がまとまって議論が再開するところだったのに…残念です。
763 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 10:53
被害妄想が凄い女だな。
怖ぇぇ〜
764 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 10:56
三方ヶ原は短期的な西上による戦で長期戦を考えていない信玄が予備の騎馬をたくさん連れて行ったとは思えない。信玄が長期戦で戦ったのは川中島以外にありますか?三方ヶ原も一時間で終わらせたのだし。彼の頭の中に予備の騎馬をたくさん必要とするとは思えない。
あっ、そうでしたか? ちろさん・・・
すいませんね。
では、もう時間が無いです。機会があったら、
また、おじゃまします。
それと、誤字だらけの文章、書いてしまいました(^^;
でも、一番不思議なのはわたしは大学出てから7年しか
経ってないのに、何故
>>747であんな事、書いたかが一番、不思議・・・・
>>747 西上戦の短期説自体、確定してないと思いますよ。
それにもう一つ、わたしの言いたいのは合戦で軍馬を
安定して投入するためには常時に多量の馬が必要だと
思うんですけどね。
それと武田信玄は「領地二百貫以上の者は乗馬の他に引馬二匹を必ず用意するように」
と言ってますよ(信濃資料十四巻)
766 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 11:33
騎馬軍団スレを立て倒している1は
IPを晒して
この板から追い出すべきだと思います
767 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 11:33
騎馬軍団スレを立て倒している1は
IPを晒して
この板から追い出すべきだと思います
768 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 11:33
騎馬軍団スレを立て倒している1は
IPを晒して
この板から追い出すべきだと思います
769 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 11:33
騎馬軍団スレを立て倒している1は
IPを晒して
この板から追い出すべきだと思います
770 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 11:53
武田の西上が短期的にならざるおえないのは、上杉のいっき鎮圧およびあいまいだっ北条との関係からわかるのでは?それに武田信玄は病気がひどい。どうしたら長期で攻めれるのかな?
771 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 11:53
さち子とか言う女はアホだ。
短期的じゃなかったら一揆治めた上杉に攻めこまれんじゃん。
772 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 12:00
771》確かにさち子は自分が大学出てから何年立つかも分からずに適当な事を述べる。
完璧な情緒不安定だ。
きっと生理か更年期なんだろうな。
もしくは、精神分裂かな?
まぁとりあえずお大事に。
言い過ぎです。
でも生理か更年期であるのは確かでしょう。
あんまり、イジメないでくださいよ。
わたしは別に信玄の上洛が長期とも言ってません。
しかし、ある程度は時間がかからないわけもない、と言いたかったんです。
さらに予想される、激しい戦闘による消耗も大きいでしょうしね。
一応、わたしも史学科卒なのですが、
疲れ気味だったし、今一つ、ネットでは落ち着きを無くす方ですので、以後、気をつけますよ。
わたしはコテハンで書かない方が良いのかしら?
名無しで書くと上手くいくんですけどね(^^;
もう、お仕事に行かなくてならないので、
では
うんこ!うんこ!
776 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 12:20
というかチロはただの馬鹿だから気にしなくてもいいよ>さち子
773・775のレスは私ではありません。
偽物は人に迷惑がかかる行為なのでやめていただきたいです。
778 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 12:28
┏━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┓
┃国語┃算数┃理科┃社会┃英語┃体育┃音楽┃人格┃2ch ┃
┣━━╋━━╋━━╋━━╋━━╋━━╋━━╋━━╋━━┫
┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃ -5 ┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃
┗━━┻━━┻━━┻━━┻━━┻━━┻━━┻━━┻━━┛
ミチャダメー
(´フ`) (゚□゚) ──
□ー =│ ──
ハ ┌┴┘<チロ
779 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 12:29
みっともねえ奴だな>チロ
どう考えてもおまえの文章じゃねえか
780 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 12:30
チロのレスは人に迷惑のかかる行為なので止めていただきたいです
781 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 12:30
一応史学科卒とか言ってるバカ女がいるけど、本当に一応だな。
そんくらいの知識や考察力で良く卒業できたな。
よほど偏差値が水面下の大学なんだろうな…。
幸薄いさち子に同情。
寝てる間にまた騎馬の密集突撃輩がいてびっくり
俺がレスしまくったの読んでないのか
突撃ってのは一般人にはお馬さんのイメージが強いが
歩兵でやるものも多い。
またそこは支援火力の空白が生まれる為大変な危険が生じる。
戦国時代は鉄砲と言う其れまでの戦場を変えるような
兵器が登場したためその危険度は増したといえよう。
大規模な野戦で信玄軍は迂回・包囲を敢行しているが
それは○○隊単位でありそこでも射撃戦からだ。
戦国の軍制からして諸兵科の融合(らしきもの)は
横一列単位でしか起こり得ず。
武田軍は騎馬率が高かったのだろう。
しかしながらそれは白兵戦においては兵種が変わった
だけのものであり、その力は追撃時に存分に発揮されたのだろう。
783 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 12:33
781=中卒=チロ
おまえの自作自演ほど簡単なものもねえな(ワラ
784 :
チロ ◆fOLgukps :01/10/09 12:34
本当に私ではありません。
私がコテハンなのを利用して落としめる行為をしないでください。
785 :
チロ ◆fOLgukps :01/10/09 12:38
ずるい人達ですね。
私の偽物になり、自作自演しているのはあなた達ではないのですか?
786 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 12:39
というかチロは消えろ
このスレは27とかいればいいんだよ
おまえの言う事なんて誰も聞いてないし
というわけで、チロは逝ってよし
787 :
チロ◇fOLgukps:01/10/09 12:41
うるせーよ、お前等。
うんこうんこうんこ
788 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 12:41
誰かおまえの自作自演なんてするんだよ(ワラ
さち子にどうこう言うわりにはおまえもたいした被害妄想だな(ワラ
だからこそ近・現代の戦争を
「砲兵が耕し歩兵が刈り取る」と表現するように
日本戦国時代をオーバー目に表現すると
「鉄砲が耕し他兵種がネズミする」
という感じではないだろうか。
790 :
チロ ◆fOLgukps :01/10/09 12:43
コピペをやってる人のログを調べてくれれば分かると思いますよ。
791 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 12:43
27もさち子もその他大勢もチロを無視して話進めてください
チロのせいで全て台無しだよ
27>ここで喧嘩チャットするなよ。
793 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 12:44
>チロ
おまえの言いたいことはわかったから
とりあえずこのスレから消えろ
782を訂正
×:横一列
○:縦一列
795 :
チロ ◆fOLgukps :01/10/09 12:50
偽行為がバレたからと言って開き直って、このスレに来るな!とかの発言はおかしいのでは?
偽行為をする人が去るべきです。
796 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 12:50
へー、トリップ使ってても、解析されるんですね。
知らなかった・・・・・
797 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 12:50
時間がかかるのをふせぐために武田信玄は徳川家康が城からでやす状態にしたとでも思っているんだい?だから武田が京都までいかないつもりだった説が強いんだろ?よく考えろよ。
ワシは織田の後詰めが到着し、数的劣勢の状態で
後詰め決戦をやるとかの地で挟撃されるのが恐ろ
しかったんだと思う。だから急いだ。
っておい797は何処への提言だ?
799 :
チロ ◆fOLgukps :01/10/09 12:58
コテハンの人を見つけては、その人にいいがかりをつけて嫌がらせをする。
私にも、さち子さんにも、夏候さんにも、27さんにも…
もう少しマナーを守れる人間になってからこのスレに来てください。
800 :
チロ ◆FLfPzehM :01/10/09 13:34
偽者が多いのでトリップ変えます。
801 :
チロ ◆fOLgukps :01/10/09 13:58
上の偽物です。
トリップは変えてません。
802 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 13:59
武田騎馬軍団スレは荒らせ!(゚∀゚)
803 :
チロ ◆7P44pfbg :01/10/09 14:00
うざいのでまたかえます。
804 :
チロ ◆fOLgukps :01/10/09 14:20
低レベルな事をするのはいい加減にしてください。
あなた方の御陰で一向に議論が再開しません。
805 :
チロ ◆fOLgukps :01/10/09 14:22
私はトリップをこれからも変えないのでこのトリップ以外のものは、偽物と思ってください。
806 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 14:24
チロ>誤解して悪かったな
とりあえず荒らしや偽物は無視って事で
798なんとために信玄は美濃にも兵を送ったと思う?春になれば朝倉もまた出てくるだろ、信長は家康に3000しか兵を送ってないんだよ、たった3000だがそれでもかなり無理してる。それでもできるのかな?
チロさんおれもそういうのうざいから名前出さないで発言してるよ。
808 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 14:39
名前出してるじゃんという突っ込みはしないで(笑
809 :
チロ ◆fOLgukps :01/10/09 14:44
ありがとう。夏候さん。
六浦人の優しさが身にしみます。
810 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 14:47
信玄が受けだったから。
811 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 14:50
809六浦人ってなに?
うっせーばか
低レベルな事をするのはいい加減にしてください。
あなた方の御陰で一向に議論が再開しません。
名前つかわれた(笑)
うぜーよひきこもり族め。
Drop down
815 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 15:13
あげ
816 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 15:13
あげ
817 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 15:13
あげ
818 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 15:13
あげ
819 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 15:13
あげ
>信玄は美濃にも兵を送ったと
前にも書いたが戦略的に側面をもろに衝かれるのを避ける為と同時に
信長勢を徳川勢の後詰めにつかせないよう拘束する為
(現実)信長は無理していた。あらゆる所で蜂起され迂闊には動けなかった
だから美濃に戦略予備を集めて事態を見据えるのが善策だった
だが、情報(infomation)は入るがIntelligence入らない。信玄には美濃に
おちおち居られる信長の情報を聞き、包囲網が機能していないのじゃな
いかと思ったのでは?そうじゃない限り信玄たるものが無駄な事は
しないと思う。
>信長は家康に3000しか兵を送ってないんだよ
徳川の監視、士気の低下防止、時間稼ぎの遅滞
821 :
武田氏の軍役:01/10/09 15:35
笹本正治著、中公新書『武田信玄』P103掲載の表より。
武田氏の軍役について、具体的な事例が分かるのは永禄年間になってから。
全14例(同表では16例掲載されているが、2例は内訳が不明なので除外)
の軍役量(人数)とその内訳の合計は以下の通り。
軍役:251
騎馬:22
長柄:122
弓:26
持鑓:32
鉄砲:21
甲持:2
小幡持:15
差物持:2
手明:9
文書の残存という偶然性はあるものの、武田氏の軍事構成の参考事例になるだろう。
尚、甲斐よりも信濃の方で軍役負担が重かったことを示す数字も記載されていたが、
直接の話題には関係なさそうなので、割愛した。
戦国時代の軍隊は、藤木久志『雑兵たちの戦場』によると、概ね以下のような構成となっている。
(1)騎馬姿の武士
(2)武士に奉公して、悴者・若党・足軽などと呼ばれる、主人と共に戦う「侍」
(3)中間・小者・あらしこなどと呼ばれる、戦場で主人を補けて馬を引き、槍を持つ「下人」
(4)夫・夫丸などと呼ばれる、村々から駆り出されて物を運ぶ「百姓」たち
(1)と(2)が戦闘要員、(3)と(4)は戦闘から排除されるのが建前(原則)だったが、
激戦の戦場でそのような区別が通用したわけではない。
あまり自信はないが、武田氏の軍役を(1)〜(4)に分類して比率を出すと、
(1)22(8.76%)
(2)169(67.3%)
(3)51(20.3%)
(4)9(3.59%)
となる。『雑兵たちの戦場』にも、戦国大名の軍隊において、騎馬姿の武士は精々1割と
あり、上記の数字も大体妥当なものだと思う。ただ、出典を覚えていないのでいい加減な
情報となるが、西国の大名は騎馬の比率がやや低く、東国では北条氏の騎馬の比率が2割
近くとやや高かったらしい。
信玄、信長共に馬鹿じゃないから情報から類推してやれることは最大限
やっていたてなところか。
823 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 15:37
】==2==C==H======================================================
2ちゃんねるのお勧めな話題と
ネットでの面白い出来事を配送したいと思ってます。。。
===============================読者数:72094人 発行日:2001/09/27
こんにちは、ひろゆきですー。
いやぁ、ついに逮捕者がでましたねー。
これを機に、荒し依頼とか荒らした人とかもバシバシ逮捕されるようになると、
2chの運営も楽になるなぁと溜飲を下げる午後のニュースでありました。
おいらもこれからは荒らしの被害者からの苦情には誠実に対応することにしま
したです、、、
5月には、珍走団からの苦情の電話に「バーカ、バーカ」とイキがってしまい、
その後痛い目にあってしまいましたです。
みんなの前で土下座するのは恥ずかしかったですです。。。
まさか直接乗り込んでくるとは思いもしなかったんです、、、
恐るべし、珍走団。。。(;;)
と、苦い思い出を噛み締める夕暮れでした。。。
んじゃ!
>>821 情報サンクス!「西国の大名は騎馬の比率がやや低く、東国では北条氏の
騎馬の比率が2割 近くとやや高かったらしい。」なるほどね。
あ、それと騎突信者の事を他のスレで「騎馬太郎」って言ってたな。
チョトワラタ
825 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 15:55
武田の軍役の記録って年代により相当ちがうんじゃない?まず当主になった1541年日本には鉄砲の存在すらなかった。だんだん年をおうごとに鉄砲の数が増えそれと同時に騎馬の必要性需要性が減る。たった鉄砲2、3丁の取り合いで落ちた砥石城があるように時代によって価値が違う
>825
永禄年間以降の事例を出したのですが?
表を見たところ、永禄年間も天正年間も、騎馬の比率に
大きな差はないようです。
上につけたすと、鉄砲と騎馬の比率がおんなじってことは1551年とうじからくらべたらすごいことになるね。とうじ武田家全体で鉄砲数十丁ぐらいしかなかっと思うから。上でも述べた通り鉄砲2、3丁を取り合いするようなときのじゃないよね、その軍役は?いつのときのなの?
上につけたすと、鉄砲と騎馬の比率がおんなじってことは1551年とうじからくらべたらすごいことになるね。とうじ武田家全体で鉄砲数十丁ぐらいしかなかっと思うから。上でも述べた通り鉄砲2、3丁を取り合いするようなときのじゃないよね、その軍役は?いつのときのなの?
>828
ですから、永禄年間以降の事例を出したと言っています。
西暦に換算すると、1561〜1578年の間です。
826わかった。ってことは北条よりも騎馬の比率が少ないのか。
みんな251人なんだねよくわかりました。みんなおなじ比率で馬とか鉄砲出すのってつらいね。馬を育ててるところはたくさんあっていいだろうけど、産業がないところは鉄砲きついな。
うぜーよひきこもり族め
>830
同じ比率ではありません。騎馬や鉄砲の負担を命じられていない
給人もいます。また、武田氏は一種の累進課税制度的な軍役体系
も採っていたようで、知行高が多いと一定の知行高(例えば100貫)
あたりの軍役負担が重くなったそうです。
829怒らないでよ書き込みしてるときは新しいの見れないじゃん。
信玄は何百頭も騎馬を所有してなかったっけ?土地土地の状況によって違うんだからそんな軍役最悪だね。
834 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 16:23
北条と武田そんなに兵数も変わらないのにね。武田でさえ数%なのに北条で20%ってことは北条の土地って相当馬の産地なんだね。初めて知ったよ。へぇー歴史ゲームとか前からうそ多いと思ったらそんなとこまで嘘つくなんてたち悪いね829さんのおかげでわかったよ。ありがと
835 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 16:26
また勝手に人の名前つかってるよ。
836 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 16:31
821さん。
ということはですね、騎馬をたくさん出してる人もいるわけですね?
さっきの例題はあまりに極端なのではありませんか?
さち子さんの十数%説や25%説はどーなるんでしょうか?
おかしいですねーどれも資料によりということになってますよ。
837 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 16:35
うんそうだよなーそおすっと武田はかなりの鉄砲所持数になるな。さすがにみんなに証拠として提示する資料なんだから信用して武田家の一般的資料と考えるのが妥当だろうなー。だけど納得いかないんだなーこれだと。
838 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 16:39
スレが死んでる…
839 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 16:40
837>>ただ829がだまらせるために騎馬がすくなめの土地にたいする資料だしただけだよきっと。
だまされるなよ。北条より馬が少ないわけないだろ、馬の産地が少ないんだから。
840 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 16:45
それに837よ、資料でわからないから武田の騎馬隊がある、ないが議論されるんだぜ。資料がちゃんとしてればそんなこととうのむかしにわかるんだよ。
笹本氏の提示された数字については、一切改竄していませんよ。
私も、>821にて示した数字がそのまま武田軍全般にあてはまるか
どうかは、判断を保留しますが、そうもズレはないと思います。
笹本氏は信頼できる研究者だと思いますが、まあこれは水掛け論に
なりますかねえ。
因みに、負担率の違いですが、軍役2人で騎馬1人の負担を命じら
れた給人が一人います。まあ、軍役負担の少ない給人はバラツキが
大きいので(騎馬負担のない給人もいる)、軍役負担10人以上の
給人を見ると、騎馬率が最も高い場合で13.04%となります。
842 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 17:01
信長は「戦術家」ではなく「戦略家」だからね。
信玄が率いる武田騎馬軍団との戦いは、やりたくなかったので
さらーりと避けた。
三河兵は時間稼ぎの捨石だーね。
これが正しいとして、家康は捨石と承知で戦ったのか?知らずに戦ったのか?
843 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 17:04
その学者はおまえとおんなじ思想のやつだよ
おまえとおんなじものの意見など正当化できんは!
いくらでもあやふやなものにたいしてはやりたいほうだいだがな。
北条騎馬軍団萌え
844 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 17:11
捨て石ねー家康は援軍を送ってもらってそんなこと考えるより信長に対してのメンツもしくは責任をそれなりに感じていた。というのはどうだい?もし援軍がこなければ城にこもっただろうね。
845 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 17:33
>>836 >>841 多い場合の比率で13%ですから、
さち子さんの見解の「せいぜい十数%」は
>>821さんの意見や資料と一致すると見るべきでしょう。
問題は「25%」という数字の方の根拠ですね。
正しくないとは思うのですが。
846 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 17:46
>>838 たぶん
>>32あたりでスレタイトルの件は落着したから
話題があさっての方向に向かってしまったのだろうね。
847 :
無名武将@お腹せっぷく :01/10/09 17:51
騎馬軍団信者のオナニースレになってるな(W
848 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 17:54
スレの葬儀を行おう、最早かつての栄光は…
849 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 18:26
847のオナニーがねばっこいのがむかつく
850 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 18:27
848が自分の葬儀なのにきがつかないで一番はしゃいでるのがむかつく
851 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 18:28
847のチンポはでかいのに一度も使うチャンスがないのがむかつく
852 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 18:32
このスレの結論
>なぜ信玄は信長を攻めなかったのか
攻めれるような状況ではなかった。
>武田騎馬軍団は強かったのか?
歩行に比べれば行軍・戦闘に有利だった。
>ほかの騎馬軍団は武田に比べてどうなの?
武田は軍団の構成員(武将でなくて下っ端ほう)
が普段から馬となじんでたからほかに比べて戦さ
でも良い働きをした。
>武田騎馬軍団は多かった?
馬の産地だったからほかの地域に比べ百姓とかでも
保有率が高く比較的徴集できたと思われる。
>信長と戦ったらどっちが勝った?
わからない。
>それでももし戦ったと仮定したら?
直接攻撃しかできない騎馬に対して逆茂木や
堀で囲ってしまえば騎馬の有利さは失われ
信玄不利。
>それでは信玄勝てないの?
信長は四方に敵を受けてるから,信長の主力を
引きつけて自滅を待てば最終的には勝てる。
>家康は?
援軍のない籠城戦で勝った例は希有。
853 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 18:40
652が死ねばまるくおさまるの?
かならずおさまる
652のチンポはくさいの?
かいで生き残った者はいないのでわからない
652と江頭は穴親子なの?
学会ではその説が有力
652はタリバンのテロリストなの?
文献によるとテロリストよりもオナニストである
854 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 18:47
853さんわかりました。わざと6と8を変えてわかりずらくしているところに男を感じます。学界ではその説が有力なんですね。またわかったことがあったら教えてください、先生の話しをまた楽しみに待ってます。
855 :
俺もやってみた(w:01/10/09 19:20
>なぜ信玄は信長を攻めなかったのか
当時の情勢からすると徳川を無視するのは無理。
>武田騎馬軍団は強かったのか?
武田騎馬軍団と呼べるものがあったかは微妙。
武田軍自体(騎馬兵も含め)は確かに比較的強かった。
>ほかの騎馬軍団は武田に比べてどうなの?
甲斐や信濃の民は馬術にも優れ、良質の馬の産地だったので、
比較的有利だった。
>武田騎馬軍団は多かった?
北条のが多いなど意見は分かれるが、極端に多いということは
ないであろう。
>信長と戦ったらどっちが勝った?
完全に勝利するのは難しいが、領土の拡大なら可能。
しかし、最終的には余程の幸運が(or信長の不運)が無いと難しい。
その後を見て結果論的に言えば信長が勝っただろう。
>それでは信玄勝てないの?
徳川を巧く服従させ、義昭&信長包囲網をフル活用、
そして比較的短期間でケリをつけることが出来れば・・・。
駄目でも勝頼以降の代に可能性が残ったと思う。
>家康は?
他に手段が無かったとは言え結果的には偶然成功でも失策。
直後に、信長包囲網が完成するため、信長が援軍を送るには
半年はかかる。
もう一つの同盟者の上杉も、一向一揆との戦いの直後のため厳しい。
856 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 20:35
855のチンポの先は真黒なのか?
ハイ、かなりのものです。学界では卒業式に一般的に知られるようになりました。
855の正体はなんなの
一般的にはみなさんが知ってるようにアメリカで捕まった宇宙人です。しかし最近では野村サチヨ説が有力です。
857 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 21:03
855のチンポの先は卒業式であきらかになったんですね、初めてわかりました。855はあの捕らわれの宇宙人だとずっと思っていましたがやはりサチヨなんですね。まーきもさからいえばどっちもどっちですね。先生の本を読んだんですが855のは先だけではなく玉も黒いんですね。
現在の陸軍だと
http://www.d1.dion.ne.jp/~r_dom/lans_010.htm によると
1、班:兵員3〜4名、最小単位です。
2、分隊:兵員8〜10名程度、班x2+指揮官など、車両なら1台に相当
3、小隊:3〜4個分隊、車両なら4〜5台
4、中隊:3〜4個小隊
指揮官レベルが必要となるのは、分隊8〜10名の段階。
8名中に指揮官1人だと、8分の1で12.5%
9名中に指揮官1人だと、9分の1で11.1%
10名中に指揮官1人だと、10分の1で10.0%
この10.0%〜12.5%という数字が、ここで何度も出てきている
部隊中の騎馬の割合とほぼ一致しています。
騎馬兵=騎乗の身分=指揮官と考えれば当然の結果です。
兵器や装備によって細かい違いはもちろん生じるでしょうが、
混乱の極みの最前線で指揮しうる人数というものは
古今東西そんなに変わらないということでしょうか?
なお中心部隊と荷駄部隊では当然騎馬兵率は異なるでしょう。
でもその場合は分隊レベルの指揮官の腹心の部下が副指揮官格で
騎乗を許されたと考えるのが自然のように思えるのですが。
戦国期の部隊編成などに詳しい方、フォローお願います。
859 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/09 22:55
>>858 ドイツやフランスは、
第一次大戦当時の分隊員14〜13人程度から、
第二次大戦当時12〜9人程度に減らしたらしい。
こちらは変わらないとはいえないようですね。
上杉家臣の軍役(天正3年の軍役帳を平均)では、
槍持65%、手明12%、鉄砲持5%、大小旗持6%、
馬上10%のようです。こちらは10%ですね。
上杉は早くから農兵徴発を徹底しているので、
その点ご注意ください。
上の参考は「日本の歴史(11)戦国大名」杉山博です。
861 :
久米ちゃん:01/10/09 23:00
1でございます。忙しい中レスをありがとうございます。
騎馬に関してはアラブの足が弱いという事ですが、すでに書き込まれているように、
相馬の馬追いでは何頭出走して何頭骨折しているのでしょうか?
また、ヨーロッパの戦場で馬は頻繁に骨折していたんでしょうか?
以上わかる方解答ください。
>>859 情報ありがとうございます。
ところで「最前線で指揮しうる人数というものはそんなに変わらない」
というのは言葉が足らなかったと今になって気づきました。
さっきの書き方だと、8〜10名で指揮官1人についてのこととしか受け取れませんよね。
戦国当時は、人数調整して部隊を編成するほど機能一点ばりではありません。
郷村・集落単位で集まってきた「武士プラス従者」をまとめていくわけですから、
武士一人一人の知行等に応じて人数はバラバラです。
そのままでは戦いにくいでしょうから中隊・大隊レベルでは
それなりに組み合わせて人数調整もしていったでしょうが
分隊レベルの人数では、でこぼこもあったに違いありません。
私としては5〜15名程度の幅を見越した上での
「最前線で指揮しうる人数というものはそんなに変わらない」という発言でした。
それとは別に独仏の件は勉強になりました。ありがとうございます。
>>862 859の平均値は、家臣一人一人の軍役39人分を私が計算し
たもので、例えば同じ動員人数の槍持〜馬上を挙げても、
吉江佐渡守、76、10、5、6、8人、計105人
北条高常、60、20、7、7、11人、計105人
というふうなでこぼこがあります。
両者が配下に動員令を下す場合は、
「お前は何貫だから、指物何本、槍何本、馬上何騎・・を
出せ。それぞれの武装はこうしろ。持ち手の武装はこう
しろ。何日までに来い。その他云々」
と細かく命令します。これが班にあたります。40貫程度
で武士一人といったところでしょうか。貫高が小さいと班
長のみ武士で、その他数人は農兵です。貫高の大小に違い
があっても立場は名目上同じです。
貫高とともに役職があり、分隊長、大隊長となります。
>>859 さらに詳しくありがとうございます。
少しずつ整頓できてきました。
約7貫で動員1人というのは見たことがあります。
40貫で武士1人で班(5人)で、このクラスが土豪なわけですね。。
> 吉江佐渡守 計105人
> 北条高常 計105人
両者105人で一致しているのは偶然ではなくて、
更に大身で役職が上の者から動員指示を受けている
ということでよろしいでしょうか?
微妙に動員内容が違うのは、貫高の高い者の方が
騎馬や鉄砲のように費用がかかるものを負担していたりするのでしょうか?
訂正
40貫程度で武士一人→25貫程度で武士一人、その他3人程度
他にも大名が郷村や代官に命じて百姓兵を動員します。
もちろん兵だけでなく雑用要員も動員します。
866 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 02:23
なんだか厨房全開スレだな。
=============糸冬===============
勝弦峠の戦では、我ら5000の兵が、
典厩殿の騎馬隊に蹴散らされ申した。
数十キロを駆け抜けた典厩の騎馬兵に奇襲された我ら、
兵1000を失い、典厩殿の兵は数十しか戦死しなかった。
武田騎馬隊おそるべし。
また、我が家臣の楽厳寺。騎馬300を束ねる者なれど、
140貫の知行のみである。(それなりに与力を付けてはいるが)
我が支配域の一部、大井氏統率域の資料が残っておるが、
その佐久の貫高は181カ村4万貫。
1000〜3000貫 9人
400〜 9人
300〜 13人
200〜 17人
〜 11人
といった豪族がこの辺りには居り、佐久衆として武田と戦っておる。
これらのほとんどが後年武田方に降るのは、悔しい限りじゃ。
奈良より続く望月の牧。他、ほとんどの地が放牧地じゃ。
ユメユメ軽んずるなかれ。
>>864 7貫で一人なら、私の計算はだいたいあってるようですね。
前の40貫は馬上のみを武士と計算してしまいましたw。
あと、動員と書きましたが、そもそも武士は請負制で、
(検地前は)申告制ですので、「私の知行は〜です。家臣
団はこのようになっています」というのを申告して、台帳
に記される。合戦時はそれをもとに動員命令を出されます。
両者が105人で一致するのは、私が選んだからです。
この台帳には残念ながら貫高は明記されていません。
ズレはご容赦
ソースは
国立資料館 土屋氏 佐久郡絵図
佐久市尾崎氏所蔵 佐久郡絵図
佐久市武藤氏所蔵 佐久郡絵図
論文 平賀成頼による佐久郡支配について
などである。
楽厳寺は、北御牧に砦持つ豪族。
867で300騎と書いてあるが、200の書き間違い。
板垣殿の大物見を、軽くあしらった剛の者にござる。
871 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 06:35
武田軍記に掲載されている、武田軍役を書いておきますね。
皆さん、いろいろ計算してください。
人員 乗馬 長柄 持槍 鉄砲 弓 小旗 手明 他 所領
大井高政 45 5 31 0 1 5 1 0 0 不明
(1562)
大井高政 38 4 18 0 1 4 1 5 5 不明
(1564)
武田信実 28 3 10 5 5 2 3 0 0 397
(1571)
初鹿野 9 1 0 5 1 1 1 0 0 154
伝右衛門
(1575)
小田切 46 6 19 6 6 6 3 0 0 不明
民部小祐
(1576)
大日方 9 0 4 2 1 1 1 0 0 不明
佐渡守
(1576)
大滝 6 1 1 2 1 1 0 1 0 不明
宮内左衛門
(1576)
島津泰忠 20 1 4 ? 1 ? 1 0 0 120(定納)
(1578)
勝善寺 1 0 1 0 0 0 0 0 0 11(定納)
(1578)
玉井
源右衛門 2 1 1 0 0 0 0 0 0 21(定納)
(1578)
原伝兵衛 5 1 1 1 1 0 1 0 0 49(定納)
(1578)
読みにくてすいませんね。
上手に書けませんでしたね。
わたしはドリームキャストで書いてるうえ、
こういうのを上手に書く知識がないんです。
順序はあってるので、解釈してください。
なお、所領は貫高です。
874 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 07:54
>>874 いや、こういう掲示板に
表を書くのって難しいんですね。
わたしはDCでキレイに書いたつもりでしたが
載せてみるとメチャクチャでした。
876 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 08:48
ドリームキャストにハゲシクワラタ
877 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 09:00
しかし騎馬軍団がどうの、徳川がどうの、言う前にやっぱり
距離的なものが一番かつ最大の理由では?
ちなみに地図サイトで検索すると以下の通り
甲府県庁前→諏訪経由→岐阜県庁前 約280キロ
甲府県庁前→東海経由→岐阜県庁前 約320キロ
一日の行程としては30〜50キロだから1〜2日分の差しかない。
しかもこれは橋や安房トンネルなどショートカットありありの国道や
ゆうゆう二車線の高速使っての最短距離。
信州経由は実質1.5倍ぐらいの意味を持つはず。←1.5倍ってのは適当
つまり当時は東海道使うほうが京に近い。
これが理由の7割ぐらいを占めてると思う。
で残り3割がこのスレで言われてること。
甲府県庁ではなく山梨県庁だな。山梨県人すまん。
始めてレスします。
面白く読ませて頂きました。
この板の主題 「何故 美濃ではなく三河だったか?」ですが これには理由があります。
@東の備え/氏康死後氏政と再同盟
A北の備え/難敵謙信には越中一向宗主領勝興寺の一揆対応で時間を稼ぐ→問題はここでした。
それでも謙信には用心しました。つまり冬の始まりの時期を狙いました。
当然越後・北信は雪に覆われます。同様に西信・東美濃も木曽の山岳地帯ですので雪です。
必然 雪の割と少ない東海道へ抜けての行軍となります。
勿論 時期的な要因 例えば何故元亀3年でなくてはならなかったのか?
これは67レスが秀逸の回答に近いように思われます。戦略的には随分遠回りして時間という大切なものを
空費した感が拭えません。ただ軍団創設や最強軍団に鍛え上げた手法及びその運用は鬼神の如しです。
また 騎馬隊の運用の主眼は突破力です。勿論槍衾に突貫した訳ではありません。リッデル・ハート/戦略論参照
甲斐>前レス読めよ!
お前が今更に偉そうに書いた事はとっくにケリ着いてんだよ!
またこの俺に説明させる気か?
もうこれ以上オレの手を煩わせるな!
881 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 13:15
>>27 最初のほうから読んだけど、どうもこいつ、嫌い。
ワシは880ではありません。
880の27は偽者です。
883 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 13:32
どうだかな
文章構成お前そのものじゃん
884 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 13:33
誰がすき好んでお前の偽物やるんだよ。あんま自惚れんなよ!
884に激しく同意
本当です。じゃーこういいかえましょうか。
880だけは偽者です。たぶん今まで夏侯操さんやらチロさんやら
さちこさんやらにも同様の嫌がらせをしていた
ひきこもり君でしょう。
887 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 13:48
その引き籠もり君がお前だろ
888 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 13:56
889 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:01
27に反対意見を出してたチロと夏候にだけ偽物が出てたんだよな。
チロにいたってはあれ以降来なくなったよね。
27は正信並みの知謀発揮してんじゃねーよ。
27<<てめーみたいなひきこもりのきもくてくさくて古事記でチンコ立ててシコッテルようなやつがおれの名前を使うなけがらわしい
891 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:03
889》偽物騒ぎを起こして敵を消してまで議論に勝ちたがる27の努力は認めてやれよ。やり方は卑劣だけどね。
892 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:08
893 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:15
27、お前みたいな偽物使いはナリキリスレにでも行けよ。
はたからみてると27たたいてるやつも怪しいが
895 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:21
27はハンドルをコテハンキラーに変えるべきだな(w
チンコかぁいぃぃぃ。
だれかーかいてくれよーもう限界だよー。
897 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:23
>895
禿しくワラタ
898 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:25
27のはニセモノだな
夏侯操はウンコ君だからオレが虐めてたが
27を虐める意味が無い
煽ってるやつはみんなカントン包茎で親父が自称考古学者のレイプ魔夏侯操君だよ(w
899 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:28
898=27の自作自演(ププ
900 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:32
899は必死だな(w
ウンコ夏侯操にビチクソ榎本の電波基地外コンビか(w
901 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:33
>898
27だってバレてるぞ
27もう少しがんばれぇ(゚д゚)
単純に考えて夏侯操の頭が狂ってることはこの板のいろんなスレ見れば一目瞭然(w
27とどっちが信用できるかなんて言うまでもねーな(w
>901
夏侯操だってバレてるぞ
夏侯操もう少しがんばれぇ(゚д゚)
27>>はまだまだがんばれるのか?
誰か27のチンコかいてやれよ(藁
905 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:35
甲斐に一言謝れば済むのでは?
少し往生際が悪い気が…
906 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:38
甲斐に対するレスが厭味過ぎるから問題なんで、偽物とか言わないで正直に謝ってみれば?
夏侯操はまだまだがんばれるのか?
誰か夏侯操のチンコの皮むいてやれよ(藁
903>>ぼくちゃんがんばるよ。
うんこマンセー、ジークうんこ。
27>>は一人何役なんだーぼくちゃんわかんない。ぼくちゃん夏侯操かっかっかっかっぷっぷぷぷー
909 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:41
>27
あんまり往生際が悪いと今まで築いてきたイメージが悪くなっちゃいますよ
今のうち終わらした方が得策ではないですか?
早くかいてくれよー。
お願いだーよー
なんとなく、27でも夏侯操でもないひとが、便乗して騙り&煽りやってるような気がする。。。
誤れー。厨房誤れー。ぼくちゃんは夏侯操萌え
913 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:45
27でも夏候でもいいから、ここの良スレとしてのイメージが崩れるから消えてくれ
914 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:46
27は確実にニセモノだろ。そんなのこのスレ昔から見てればわかる。
カントン夏侯が無名で荒らしてるんだよ。
27を攻めてるやつは自演じゃないなら相当のメクラだぞ(w
915 :
27&夏侯操:01/10/10 14:48
913のチンコ臭い萌え
916 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:48
911>たぶんそーだね。
917 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:52
夏候のフォロースレが全く無いところを見ると、夏候操に対する悪スレを書いてる914あたりの一人芝居だろうな。
傍目で見るとモロバレ(w
918 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:52
914はなぜ夏候操ばかりを敵視しているんだ?
919 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:54
たぶん夏候も27も関係無い奴の仕業だな。。。
920 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:54
あーそう言われてみればそうだな。暴言吐いてるのと関係あるんじゃないか?
921 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:56
せっかくのスレがだいなしだな。
922 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 14:57
こういう事言うと夏候操とか言われるかもしれないけど…夏候操に恨みを持つ914の一人芝居で間違いないでしょう。
923 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 15:00
914の意見はよくないよ。夏候操氏に失礼なんじゃないかい?
27氏も夏候操氏も914におどらされているんじゃないか?
924 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 15:02
>>918 カントン夏侯が自演してるからだよ(w
917が犯人だろう(w
925 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 15:03
話しがよくわからないけど事の発端になった甲斐への発言は27なのかな?
926 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 15:05
一番怪しいのがカントン夏候操とか言ってる914。
アンチ夏候なのが怪しい。
927 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 15:08
917=926=犯人(w
必死だな、オイ(w
928 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 15:11
容疑者第一候補の914と、その914が容疑者候補と思ってる917の戦い=キリない
929 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 15:11
夏侯操でも27でも914でもいいが、夏侯操も27もいないのに914の暴言は優良スレをだめにしてるぞ。
人の名前をつかわず暴言吐いてないでせいせいどうどう発言したらどーだね
930 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 15:12
カントン夏侯、無名で何言ってんだよ(w
やーだね。バァーカ
「前レス読め」は何度か書きましたが、多くの場合前レス部分も
指摘しておきました。
まー偽者やらはほっておいてと。
>>甲斐さん
>騎馬隊の運用の主眼は突破力です。勿論槍衾に突貫した訳で
>はありません。リッデル・ハート/戦略論参照
では何故集中運用して出来なかったのか。其れは
>>655騎兵の配置、
日本の地形
>>27指揮系統、それに他の支援の問題だと思うんです。
でその騎兵がまだ活躍し得た場が、夜襲、追撃等の
「敵が射撃兵器を使えない(と思うところ)」だと考えます。
もし信玄軍団が上記の問題を解決し、攻撃的に通常の野戦で騎兵を
「迂回、包囲、側撃」等に使っていたのならば、
「備」という制度上前面以外にはほとんど対抗手段を持っていない
敵大名は野戦となれば「戦闘らしきもの」もさせてもらえないで
敗退するしか道がなかったということになります。
しかし現実はそうではなかった無かったところをみて
そのような「集団運用、攻撃的な騎兵」は幻だった
と思った次第です。
933 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 15:14
914は夏候ギライに偏ってるのが怪しいし、917は914に犯人扱いされてるのに冷静なところが怪しい
二人とも犯人で良くない?
934 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 15:14
いきなりこんなことになってしまってさぞ驚いていることであろうが、
甲斐氏には、これに懲りずにまた参加していただきたいと思われ。
935 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 15:15
全部カントンだろうが一応教えておいてやるよ(w
27を偽者だと煽ってる奴、カントンと口調が同じだよ(w
このスレの過去ログにカントンの罵声があるから比べてみるよろし(w
カントンは返答にこまるとすぐ暴れるんだよな(w
27よ、まじめな議論がしたいなら悪い事言わんから日本史板いきな
ここは隔離板だからカントン夏侯みたいな厨しかいねーぞ(w
ウキー914すんごいむかつく。
氏ねーブゥワーカ914に27。
広東夏侯操マンセー
27のバーか。夏侯操萌え
>>914 日本史板は醒めていることを言う人が多いのですが、
あっちはあっちで「アズマ史観」とやらがうざいのと
ちょっと349っぽいところがいやなんで。
940 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 15:33
914は何者?27や夏侯操でもなかろうに。言っている事は夏侯操のわる口なんだがよくわからないスレになったの。
932/では何故集中運用して出来なかったのか。→?何故集中運用出来なかったか?
という日本語の解釈でよろしいですか?
もしそうだとしたら 集中運用の言葉の解釈だと思います。
どこを指して「集中運用出来なかった」と断言されるのか理解に苦しみます。
では何故集中運用して出来なかったのか。其れは
>>655騎兵の配置、
日本の地形
>>27指揮系統、それに他の支援の問題だと思うんです。
でその騎兵がまだ活躍し得た場が、夜襲、追撃等の
「敵が射撃兵器を使えない(と思うところ)」だと考えます。
これも誤解してらっしゃるみたいですね。射程の短いこの時代 野戦において鉄砲・弓は騎馬隊の
格好の餌食でした。もし信玄軍団が上記の問題を解決し、攻撃的に通常の野戦で騎兵を
「迂回、包囲、側撃」等に使っていたのならば、
「備」という制度上前面以外にはほとんど対抗手段を持っていない
敵大名は野戦となれば「戦闘らしきもの」もさせてもらえないで
敗退するしか道がなかったということになります。
しかし現実はそうではなかった無かったところをみて
そのような「集団運用、攻撃的な騎兵」は幻だった
と思った次第です
この三段論法は無理がありますよ。
集中運用出来なかったのはこれこれの理由で
騎兵を使い得た場所としては夜襲、追撃等の限定があり、
迂回、包囲、側撃」等に使っていたのならば、対抗手段が見当たらないが
現実 そんな場所では使って無いから幻です。
要約するとこんなところでしょうが 独創的な考えとは思いますが・・・
>>941 では甲斐さんは私が
>>83の基本的な戦闘経過の様に
武田軍の戦闘教義を書いていただけませんか?
943 :
榎本武揚 ◆6iUxCERM :01/10/10 16:19
俺は必ずトリップ貼るから、貼ってない奴は偽物。
まぁ相手にすると余計増長するだろうから以後は無視。
偽物騒動に俺を巻き込むな。
944 :
榎本武揚 ◆6iUxCERM :01/10/10 16:31
折角元の議論に戻ったのにまた偽物関係のレスをまたして悪い。
甲斐さんと27はまた議論にもどってくれ。話しぎってゴメンな。
信玄の時代の場合
騎兵単独の突撃は無かった
歩騎混合の突撃はあった
と思ってます。一応かいときますけど。
甲斐氏の意見を読みなおしてたら気になるがあったので。
>射程の短いこの時代 野戦において鉄砲・弓は騎馬隊の
>格好の餌食でした。
交戦距離300〜しかも縦列のまま押し出す騎兵+歩兵に対して
無力って・・嘘でしょう。兵士を駒のように考え、○○できる
○○できるといってますが、そんな訳にはいかんのです。
各種指揮官の配置を考え、「君の仕事は○○だ」
とある程度細かく指示できる近代戦争ではなく
作戦について参画するは今の師団長か軍団長以上の人
以下の人は現場判断、前にも書いたことがありますが
個人戦闘の集まり、「行った行った」式の指令にならざる
を得ない。
942に対するレス
武田軍の戦闘教義と言われると 信玄法度の内容を指すのでしょうか?それとも
甲陽軍艦中の「六分の勝ちを良しとす」のような信玄の言葉を指すのでしょうか?
まあ どちらにしても 私が言うまでも無く資料は多々あります。
どちらでもよろしいですが、貴方が考える武田軍特有の騎兵使用法
と其れを使った場合の効果を強調して書いて下さい。
945へのレス
タスクフォース/集中運用は 例えば電撃戦の主役機甲師団にしても
戦車に歩兵のサポートが有って有効に機能します。
騎馬隊も同義です。
「押せや 押せヤ」と「拾えヤ」の役割分担は当然あります。
最初にも書きましたが 集中運用→単独といった解釈上の誤解があるようですね。
948へのレス
武田軍特有の騎兵使用法
士気の高さ 鍛錬度 が他の諸国より高かったことは否めないでしょう。
その証拠資料も甲陽軍艦に有ったように記憶します。ただ27さんの期待されるような
オリジナリティーが有ったかどうかは 同時代を見聞しないとわからないのでは?
また 鍛錬度によって 他国が出来ない芸当が可能なこともありうるでしょう。
951 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 17:32
甲斐さん
>>83のようなのを「武田はどこがどうちがうか強調して」
かいてくれ。そうじゃないとお互いの意見のすれ違いやらのまま
ずっとこんな論議がつずくことになる
戦車に対する自動車化(のち機甲)歩兵の支援と
武田騎兵と歩兵のあり方は違う。
明治以前の日本の騎兵は「騎兵科」じゃない。戦闘指揮車。
952 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 17:47
>>821さんの書いた内訳と
>>872(さち子)さんの書いた内訳はだいたい同じですね。
思うに現代指揮官の割合と騎馬武者の割合が酷似していることから、
さち子さんの言う騎馬武者=指揮官説が正しいように思えます。
952さんナイスフォローありがとう。
954 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 17:56
>>953 はい、
それと、これもさち子さんの弁だったと思うんですが、
騎馬武者を現代戦に例えると
小隊長か分隊長のような役割だったそうですね。
それと
>>872の表のように小さな領主(数人〜数十人)ごとに出陣義務があるとなると、
細かい全体指揮は難しかったでしょう。
955 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 17:57
武田騎馬隊を現実の姿から考察するのは間違いのもとでは?
そもそも部隊設計思想から生まれた名前だろう。
つまり
機動重視の部隊=機動といえば馬=武田騎馬隊=巡航部隊
武装重視の部隊=槍隊とか鉄砲隊とか=歩兵部隊
実際の巡航部隊と歩兵部隊に違いがなくとも問題ない。
しかし設計思想に違いがなかったのなら問題だ。
956 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 18:01
>>955 どうでしょうか?
部隊設計示唆鵜などなく、
偶然におおまかな軍役を伝えるうちに
そうなったんだろうね。
957 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 18:05
足腰が強いだけで敵を突破できるのか?できないだろ。それにそんな各分隊がたくさんありすぎてうまく機能しないというならどうやって信玄はあんなにもうまく兵を用いることができたんだ?27さんの意見は一般の戦国大名にはみごとにあてはまるんだが、武田にはねー。
戦車が何故生まれたか?
騎馬隊の突破力を機械化しただけです。
火器は野戦砲に比べても大したことはない。
>>955 そもそも戦国時代は設計思想に基ずく軍隊なのか
設計思想如何は直接ドクトリンなりを変える事になる。
私が甲斐氏に聞いているのは
>>83のような戦闘模様
から巡航部隊やら歩兵部隊はどこがどうかわるのか。
ということである。
960 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 18:08
>>957 騎馬武者についていくわけだから、
素早いんだろうね。
27さんの兵法によると「迂回、包囲、側撃」等に使うのが有効のような記述が有るが
もし良かったらその資料教えてください。参考にします。
962 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 18:14
ってことはさ。
戦場で殆ど役立たずの代物を頑張って育てたり調教したり
軍役で義務化した理由ってなんですか。
純粋な疑問として。
963 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 18:21
武田の騎馬の必要性がみえないし、前をみると鉄砲と馬との比率が同じであるまったくおかしな軍役を見せられた。そもそも軍役からの歴史の見方は参考程度にみるのが普通である、そのときの戦においての現状からなにが必要なのかは変わる為すべての年代や個々のものが必要
964 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 18:27
「内藤殿は遊軍となり、戦が始まったら回り込んで
敵の退路を絶て!」←武田巡航部隊(騎馬隊)
次の合戦にて
「内藤殿は左備じゃ!」←武田歩兵部隊
でも装備は同じ。つまり騎馬隊とは任務のことではないかな。
>962
戦場で馬が殆ど役立たずだったかどうかはともかくとして・・・。
一つには、馬が武士身分の象徴だったということが挙げられると
思う。武士は、武という芸によって他と区別される社会的存在で、
武士の表芸は騎射だった。武士と馬とは切っても切り離せない
関係にあったのだと思う。鎌倉時代には、後の武士道(士道)に
相当するものは弓馬の道と云われていた。
武士=芸能人説(職能的武士論)に立てば、馬と武士との密接
した関係も見えてくるように思う。
966 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 18:31
武田の騎馬のみの戦や騎馬のみの隊も江戸時代ではなく戦国期の勘市氏の原本の甲陽軍艦にも書いてある。原本は広く読まれていないが創作性はほとんどなく江戸に書かれたものの100倍くらいつまらないが歴史的価値はある。上杉方のほうにも武田の軍とりわけ騎馬を褒めている
967 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 18:32
>馬が武士身分の象徴
だからなんでそんなもの戦場に数揃えて
持っていったのかって事。
部隊設計と書いたが、当然近代的な部隊設計ではなく、
任務に応じた即応部隊の設計思想です。つまり任務。
>967
象徴というか、武士身分の重要な証の一つが馬だった。
武芸により他と区別される社会的存在で戦士であった
武士は、重要な身分の証の一つである馬を戦場に連れて
行く必要があったのでは?
無論、それだけで戦場における馬の必要性が説明される
わけではないだろうけど。
970 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 18:54
なんのために人間が馬を何千年も戦争につかったのかをよく考えてから発言しましょう。
いろいろな視点から柔軟にみてみれば自分の発言のおろかさがわかるでしょう。
>970
考えられる理由の「一つ」を述べただけだが?
972 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 19:54
>>970 偵察、追撃など機動力の点だけでも十分役に立ってると思うのだが?
っていうか、戦においてはまずそれが重要なのでは?
973 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 19:57
>>966 騎馬だけで戦ったとか騎馬のみの隊だったとか書いてあるの?
何人くらいの隊なの?
騎馬の利用価値を武士の象徴などというおろかものは氏ねーい。
やーやーやー我こそは戦国一の傾者、前田利久が嫡男前田慶次朗利益にて候。愛馬松風とともにその首たたき切ってくれるわー
975 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:04
バカばっかだな。
976 :
東海第一の猛者:01/10/10 20:11
騎馬隊も騎馬突撃もあったに決まってるわい。
あったって言われてるんだから信じなきゃダメだぜ。
厨房共もひねくれ過ぎるとかわいくなくなるぞ。
ガハハハハハ
昔の人の文献信じなきゃ歴史なんて語れないわけよ。ガハハハハハ
厨房は厨房らしくオウチで漫画で分かる歴史群像でも読んでなさい。
ガハハハハハ
977 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:16
騎馬は重いし高さがあるので戦闘能力は高いです。
周りの足軽にとっても心強いです。
978 :
戦国時代の敗者:01/10/10 20:20
>>976 ガハハハハハ。
そうだよ、武田騎馬隊は織田の卑怯な鉄砲の三段打ちのせいで
負けたんだ。
桶狭間は雨の中を織田軍が奇襲、今川軍は休んでて気付かなかったんだ。
あったって言われるんだから信じなきゃダメだぜ。
ガハハハハハハ
「昔の人」の文献だけ信じなきゃ俺は歴史なんて語れないわけよ。
厨房は厨房らしくオウチで講談社の歴史文庫でも読んでなさい
ガハハハハハ
こんばんは
あのですね。
日本の騎馬自体がヨーロッパやモンゴルとは違い
突撃など直接の戦闘のためというよりも、
移動速度を生かす「騎馬歩兵」だったという説が有力です。
ルイス・フロイスも「我々は戦う時は馬に乗ったまま戦うが、この国(日本)の者たちは馬から降りて戦う」と記しています。
わたしは騎馬・歩兵混成はあったとは考えますが。
鎌倉時代から刀で騎馬の上から攻撃するために長い刀(佐々木小次郎みたいな長いやつ)を開発したり、騎馬の上から使いやすい量産型の槍がなぜ作られたかを知れボケぇが。騎馬の重要性は世界各地で認められてるんじゃい。
982 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:29
>>978 聖書にケチつけるな!っていう某異端キリスト教徒みたいっすね。
人間はアダムとイブから始まったんだ!
サルから進化したわけない!
恐竜なんて神様の失敗作だ!
聖書にそう書いてあるんだから間違いない(藁
983 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:30
>>981 そうなんじゃない?(藁
ビョーキかも・・・。
984 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:30
っじゃちょっと質問の仕方を変えてみます
育成調教そして戦場の各段階で相応のコストのかかる軍馬を
偵察、追撃、お飾りという限定された目的にしか使用しなかった
効率の悪さを当時の武士たちは誰も疑問に思わなかったのですか?
985 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:30
1000は俺がもらう。
>>982 俺猿から進化したって認めたくないんだよなぁ。
987 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:34
ルイス・フロイスは日本の文化を理解してないくせにしゃしゃったから意味わかんないことやつがいっぱい書いてんだよ。そんなんも知らんのか?一度切腹して人生やりなおせや。
988 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:34
飾りといったら弓も飾りだな。
だから東海道一の弓取りは言われるけど東海道一の鉄砲使いとは言わないわけだ。
つまり弓矢より鉄砲の方が仕えるから弓が神聖化してしまったわけ。
よく考えたらすれ違いだ・・・。けど馬は役に立たないことには変わらないのかな?
>>984 偵察、追撃、お飾りは非常に重要な要素だと思いますが、
お飾りと言っても、高さを利用して指揮を取るのに役立ちますしね。
他にわたしが
>>979で書いた騎馬歩兵という
機動力を生かすという重要な役割があります。
990 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:34
>>984 偵察無しで戦争は始まんないし、今でも情報戦は一番重要視されてる。
軽視して2次大戦で大敗した日本人然り。
ついでに、戦における死者の多くは追撃戦寺における物と言われている。
戦の旗色が見えるとすぐ逃げようとする兵士も多かったというし。
これが重要でなくて何を重要と言うというくらい重要な気がするが・・・。
991 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:35
けど馬は神聖化されてないので十分役に立ったのではないか?
>>988 弓がお飾り?
それはちがいますよ。
戦国期においても
弓は非常に重要な武器でした。
993 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:38
>>992。
違う違う。弓よりも鉄砲の方が仕えるから弓取りという言葉が生まれたということ。
過去に鉄の方が仕えるという理由で銅が神聖化してしまったし。
>>987 別にフロイスの記述だけから、
この結論を弾きだしてるわけじゃありません。
総合的考察です
弓について追加ですが、
関ヶ原の戦いにおいてすら、
弓傷は鉄砲傷、槍傷に次いで3位です(ちなみに4位は刀傷)
997 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:41
さち子の意見は戦国一般のことなので武田のはなしをしている人たちはいくら言っても無駄な努力になるよ。
998 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:41
999 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:41
それ1000が近い。
1000 :
無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 20:41
1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。