義を貫いたは武将は誰?

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1名無し武将
漏れは島左近だと思う。
いっぱいいて一々あげらんない
3無名武将@お腹せっぷく:01/09/16 04:15
高橋招運。義というより親子愛かな?
4 :01/09/16 04:17
小早川秀秋
5無名武将@お腹せっぷく:01/09/16 16:51
松永久秀
6無名武将@お腹せっぷく:01/09/16 16:55
典厩信繁
7無名武将@お腹せっぷく:01/09/16 16:56
大谷吉継
負けるとわかったケンカに加勢するあたりが。
8エノキ:01/09/16 16:59
 曹豹。
9無名武将@お腹せっぷく:01/09/16 17:25
>>7
大谷刑部は義というより情(三成との友情)を貫いたと言えるのでは?
10無名武将@お腹せっぷく:01/09/16 17:28
浅井長政。義に厚くないとあんなへっぽこ朝倉とは
組まんじゃろ。
11無名武将@お腹せっぷく:01/09/16 18:39
柴田勝家。
12まさお:01/09/16 18:40
姜維。
諸葛亮の意思をずっと守り続けたと思う。
最後まで蜀を再建しようとしたし
13無名武将@お腹せっぷく:01/09/16 21:58
浅井久政とか(笑
14無名武将@お腹せっぷく:01/09/17 01:15
志村光安
15無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 11:05
片倉小十郎。
政宗へ忠義を貫いたところが
16無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 11:21
上杉謙信
17無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 18:01
立花道雪
18無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 18:03
中国なら典韋。
日本なら弁慶。
19無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 18:19
ていうか「義」の定義って?
・・と煽ってみる。
20無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 18:22
恩恵をうけた相手に報いること?
21無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 18:31
謙信くんは憲政くんのお世話になってませんが、義によって出陣しました。
22無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 18:34
>>21
それは義じゃなくてむしろ忠じゃないの?
23無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 18:38
義」
道理。条理。
物事の理にかなったこと。
人間の行なうべき筋道。
利害を捨てて条理に従い、人道のために尽くすこと。
「儀」
進退動作の上で手本とすべきもの。法則。
作法に従って進退すること。礼式。
ことがら。わけ。
「大義」
人のふみ行なうべき重大な義理。
特に、君国に対して臣民のなすべき道。
「大儀」
重大な儀式。大典。
軽々しくないこと。費用が多くかかること。
面倒くさいこと。骨の折れること。
転じて、くたびれてだれること。

以上、広辞苑より。
24無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 18:40
>>23
ありがとう。
よく解ったよ。
25無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 18:40
ご苦労さん>>23
26無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 19:14
義理チョコを配る日本の女の子。
27無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 19:57
>>26
それって武将???
・・・なるほど、ある意味武将・・・。
28無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 23:09
織田信長

なんだかんだ言って、あの荒れた戦国で「義」を貫いてた人。
29無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 23:12
でも、寺を焼いたりしちゃったのはマイナス点なんでないかい?
30無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 23:27
>>29
贅沢生臭坊主を焼き殺すのは国や国民のためには良かったんじゃない?(w
結果的に少しはおとなしくなったし。
31無名武将@お腹せっぷく:01/09/18 23:30
>>30
どう考えても私利私欲と自分の怒りを晴らすためだったと思うが。
まぁ、結果的にはOKだけどね。
俺も坊主は嫌いだし(藁)
 やっぱし上杉謙信ですね。
>>1
 同輩の蒲生郷舎は?
34むちむち:01/09/19 00:32
三成・・・かな。最近の三成像に俺はメロメロになった。
脚色だとしても、もう俺の中では最も強く「義」に生きた漢だ。
35無名武将@お腹せっぷく:01/09/19 00:36
加藤剛・・・あんたの三成に惚れた。
最後で家康さえ泣いてたし・・・
36無名武将@お腹せっぷく:01/09/19 10:52
島左近。
37無名武将@お腹せっぷく:01/09/29 13:50
>>35
よかったよねえ。松坂慶子邪魔だったけど。

ミフネの左近もカッコよかった。
38    :01/09/29 13:53
山中鹿之介
39無名武将@お腹せっぷく:01/10/10 12:13
立花宗茂 高橋紹運 島左近 鳥居元忠? 島津豊久 
40無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 19:23
張任
41無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 19:39
柴田勝家とか
42無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 20:07
おいおい、柴田は最初弟についたんじゃなかったか?
43無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 20:11
>42

弟付きの家臣だからな。
44無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 20:30
直江山城守新伍
45無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 20:36
>>43
でもその弟に殉じずに信長に乗り換えたともいえるんじゃない?
とりあえず義を貫いたには当てはまらない気が、、、、
46無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 20:59
関羽は?
47無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 23:36
信行自身が義のない人物だから仕方ない。
48無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 23:55
これが「忠義」を貫いただともっと絞り込みができそうなものだが。
義を貫いた武将なんて当たり前すぎる。
逆に義を貫かなかった武将の方が興味深いね。
49さるぼぼ:01/11/04 23:56
鳥居強右衛門
50無名武将@お腹せっぷく:01/11/04 23:59
やっぱり武田信繁かな。
義昭の葬儀まで執り行った真木島昭光も・・・あれが忠義か・・。
51無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 00:20
戦国大名の義には小義・大義の2種類があると思う。
小義は盟約を結んでる家が攻められてどんなに劣勢でも
盟約を守って味方し、そのために自家が滅ぶのも厭わない
名を惜しむ自己中心的考え。
大義はどこまでも一家の主として家臣や百姓を守ろうとし、
自家が他家の脅威にさらされた場合は涙を飲んで恭順したり、
1570年春の浅井家のような場合であれば
朝倉よりも上方をほぼ手中にした織田家に味方するなど
乱世終息のために働き、あえて汚名を着るという考え。

浅井の取った義は小義だったけど
なぜか小義に生きたものの方が義将として
称えられるのは不思議。
52無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 00:24
>51
本質的に人間は悪になるのを嫌うから。
53無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 00:26
浅井は自分が天下取りたかったんじゃないかなあ?
5451:01/11/05 00:33
朝倉はみすみす上洛の機会逃すなど
浅井家にとって主とし続けるべき家じゃなかったと思う。
当主(もしくは父)一人の意地や強硬派家臣の主張で
いちかばちかの賭けに
浅井領全体を巻き込んでいいものではないと思う。
55無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 00:34
飯富虎昌かな?
56無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 00:42
上杉謙信だな
57無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 00:44
石田治部少三成
58無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 01:02
>57
そこまで書くなら治部少輔
59無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 01:05
直江山城守兼続
60無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 01:30
新伍じゃだめか?
61無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 01:33
>>58
突っ込まれると思ったよ。
ゆうの字がわからなかったんだよ。(w
62三村:01/11/05 01:41
秀頼さま
63三村:01/11/05 01:41
オレがボケちゃったよ!
>>61
「ほさ:輔佐」とかで変換してはどうか?
俺のIMEはこれで出たよ。
65無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 03:03
本願寺教如
66無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 05:26
立花宗茂がいいと思う。主家である大友家を、、、、、、、
67無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 13:31
>>65
坊主と義ってあんま結びつかねーな
68無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 15:25
松平(徳川)家の広忠・家康2代は大義に生きたと思う。
広忠の代には竹千代を織田の人質にされても
私情に流されることなく親今川を貫き、
家康の代には桶狭間の後も1年半は今川方として織田と戦い、
信長に信康切腹を命じられた時には
家臣や百姓を守るため承諾。
69無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 15:28
山中鹿之助

糞尿まみれで斬死も心は錦
あっぱれ武士の鑑
70無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 15:31
松永久秀
71こんな見方もあるよ〜:01/11/05 15:38
>>68
当時の織田は今川に拮抗とまではいえなく
単に子を犠牲に強いほうに日和っただけ

今川方として桶狭間を闘うのは当然。
すでに今川の傍系になってたから

信康切腹も信康に奇矯の行いが多く
家臣からの(反信康派)つきあげ等であえなく斬
また築山御前が武田と内通の噂(噂だけではない説も多い)
大体これを義の行いに数えるのは無理では?
政治や謀略の類いじゃん

だいたい家康が大義に生きたなんて・・・・!
絶句!大義の意味知ってる?
72無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 15:39
>>69
どーやって死んだの?
73さるぼぼ:01/11/05 15:40
竹中重治
74   :01/11/05 15:41
>>68 70
なんだ〜煽りネタか〜
マジ返しちゃった〜
逝ってくらぁ〜
75無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 15:42
>73
秀吉に義をみるか?
76無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 15:50
>>72
たしか〜尼子家再興をめざす鹿やんは
秀吉の中国攻めに前後して秀吉と通じてどこかの城落としたのに
秀吉に見殺しにされて結局宿敵毛利に捕まって
護送中に厠の肥溜めから逃げたけど結局捕まって
斬殺されたって感じじゃなかったけ?
77無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 20:05
幸盛は落城すると勝久に腹を切らせている。
そのあと尼子の血族を捜しての尼子再興を考えてたとすれば、義でなく怨念じゃネーの?
幸盛好きだけど。
らでぃンみたいなモン??
78無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 22:18
家康公は大義のために豊家を滅ぼすっていってたらしいよ。
79無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 22:21
>>78
まあ、そりゃ一理あるけど・・・。
おかげで250年ろくに戦争も無く平和だったわけだし。
80無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 22:30
所詮オレらみてーに2ちゃんで自己主張してる小人に大義なんてわかんねー
81例えば、:01/11/05 22:45
大谷吉継の場合、IN関ヶ原
西軍につく
「石田との友情を貫いた義(小義?)に篤い武将」
東軍につく
「天下のために石田への小義を捨て、大義を貫いた武将」
義なんて所詮、後から何とでも言えるってことだろうな(藁
82無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 22:46
じゃあ、秀秋は何であんなに・・・。
83無名武将@お腹せっぷく:01/11/05 22:48
>>82
奴だって最初から東軍についてれば、
「徳川へのかつての恩に報いた」
とか好きなように言えた。
恩=義に近いんだし。
中途半端なとこで裏切っちゃダメよってことじゃない?(藁
84無名武将@お腹せっぷく:01/11/07 22:28
途中で裏切るからいかんのだ。
藤堂高虎を見習いなさい。>秀秋
85さるぼぼ:01/11/07 22:57
>>76,77
厨房ども、記憶が曖昧すぎるぞ!
86山本勘助@武田騎馬軍団:01/11/07 22:59
大義と小義に分けるのはよいが、大義の方が常に大事とは限らないぞ。

浅井長政や真田信繁(幸村)のような生き方に我々は何故美を感ずるか?
命がけで人と人との信義を守る事は時として人を救わないが、
人類そのものの根本的なもの、誠実さや人情、忠義の思想を支える柱となる。
人が真剣に生きるとは何かを教えてくれる。

逆に言うと、あの時代に「小義」を貫く者が一人もいなかったら、
それはそれで大問題だ。

大義を捨て、小義を貫くも、逆に大義のため、小義を捨てるも、
見様によっては、片手落ちと言う事で、あいこである。
87無名武将@お腹せっぷく:01/11/07 23:05
まあ、ようは勝てばいいのだな?
>>85
せっかくだから、正しいところを教えてください。よろ。
89城塞:01/11/07 23:47
>>86
真田家がそれほど義を重んじる家とも思えないが・・・
>真田信繁(幸村)なんて知識を披露してくれてるんでかなり説得力ないが(w
さすがは武田騎馬軍団かなりの厨房ぶり
90無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 00:10
>86
負けたからでしょ、勝ってたら浅井家裏切り者として名を残したかもよ。
91無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 00:13
>>89
昌幸・幸村父子の反徳川は徹底してるよ。
あの時代ではそれはやはり稀な事だし、戦国末に花をそえてるのは確か。
92無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 00:54
>>91
従ったり裏切ったりじゃなかったか?
それも領土のこととかで。
93無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 01:02
まあどうでもいわ。
94三村:01/11/08 01:03
信繁もかよ!
95 :01/11/08 05:06
清水宗治は?
でもこの人、その昔城乗っ取ってんだよな…
96無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 09:00
んじゃ、土屋昌恒。
97   :01/11/08 09:05
真田家は徳川の本田忠勝の娘と豊臣の大谷刑部の娘と
姻戚関係で二股膏薬してますが、義が何か?

家康の事が嫌いだっただけじゃないの?
98秀家:01/11/08 11:53
わしこそ、疑を、貫いた武将である。
三宅島で、56年、議を、つらぬいた、正則からの贈り物は、酒(白濁り)で、
あった。政宗からは、東北美人の贈り物が、あったのだ。
99無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 15:29
>>98
八丈島だけどな。
100無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 15:31
>>97
嫌いってことで首尾一貫してるだろ。
101無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 15:33
>98
秀家の子孫は明治になって東京に移住したという。
102無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 15:34
梁田晴助
103無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 15:34
>>101
多くは馴染めずに島に戻ったって聞いたけど・・。
104無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 15:36
たしか宇喜多から浮田に改名したんだよね?
105無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 15:38
東京で書店経営してるらしい。
前田家と親戚付き合いあるのかな?
106無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 15:41
秀家君は子孫に生きる力と誇りを与えていると思うよ。
107無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 15:43
直家と秀家、子孫にとってどっちが英雄なんだ?
やっぱり子孫も〇家なのか?
109やまもとさん:01/11/08 16:20
99番さん八丈じまに、間違いは、ないです。
そうなんです。かわさきさん。はじめの1年間三宅にいたのです。
それからずうーと八丈ぐらし、です。
正則、の、進物は、さけだった。
本しか、読んでいないひとは、それしか、信じないのです。
三宅島の社を、現地で、しらべなさい。
110山本勘助@武田騎馬軍団:01/11/08 16:43
>>89
拙者は「家」ではなく、個人でものを言っておるのだ。

武田騎馬軍団と言う事で何かつっこんでやろうとする悪意が
そのように貴殿の心にありもしないものを見させるのじゃな。
111城塞:01/11/08 17:55
>>110
まあ落ち着きなさい
では幸村個人のどういった行動に義が感じられると?
武田騎馬軍団の恥にならない様にお答え下さい・・・
それと>真田信繁(幸村)と書いた理由も(w
112山本勘助:01/11/08 22:42
>>111
まあ意地悪くなさいますな。

彼に義を感じたのは、大阪夏の陣での見事な玉砕振り。
拙者の死後の時代のことゆえ、庶民レベルでの話しか存ぜぬが、
チンピラの因縁にも似た合戦を仕掛けてきた徳川に一矢報いたはまことに痛快。
豊臣恩顧の諸大名ですら見限った戦に命を捨てるはこれ、義の男と呼ばずして
何とするか。拙者には他に言葉が見つからぬ。

それと彼を「信繁」と呼ぶは、武田家家臣としては当然の事じゃが、
これに関して何か文句があろうか?
113無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 23:09
義によって助太刀いたす
114村上義清:01/11/08 23:16
チンピラの因縁とはようも言うたものじゃ。
武田の信濃侵攻。真田の裏切り工作。
ヤクザの縄張り拡張の尖兵が、ようも言うたものじゃ。
義とは、謙信公のための言葉である。
真田や武田風情に使われると腹が立つわ。
115山本勘助:01/11/08 23:20
>>114
ほう。影虎殿の戦に何の義があると申すか。
お主をコマに信濃侵攻を企てたはよいとして、関東への進出なんぞ
戦に破れて落ち延びる憲政氏を生け捕りとし、これを強請り、公方様に
虚偽の報告と賄賂を持って強引に関東管領を受け継いたは申し開きの
出来る事か?
そしてその罪を全て実兄と側近に押し付けて殺害する…。
影虎殿はああ見えてなかなかの策略家よの。
116村上義清:01/11/08 23:25
>>115
何とでも言うが良い。
上洛を果たし、帝より認められた行動じゃ。
帝より攻められる以外、如何なる言葉も無意味よ。
まあ、上洛は無理でも、死に際ぐらい決めてみよ。
117無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 23:31
義って便利な言葉ですねぇ。
118山本勘助:01/11/08 23:31
…判り申した。
我らもそろそろ黄泉の国にかえる時が迫っているようじゃ…。
119幸村:01/11/08 23:37
>>115
はて?父・昌幸が武田家におった頃はまだ幼少にて「信繁」などと呼ばれておらなんだが
120城塞 :01/11/08 23:39
>>118
自分のレスに自信がなくなると「武田騎馬軍団」を名乗らなくなるとは・・・
それも義かね?
121村上義清:01/11/08 23:41
城砦のくせに追い討ちをかけるな(藁
122板垣駿河守信方:01/11/08 23:45
ネタスレに決定!age
そろそろワシの出番かのぅ・・・
御館様はいずこに
123城塞:01/11/08 23:48
>>121
血気にはやった牢人どもの仕業にて候
しかし山本勘助は討ち取り申した・・・助太刀感謝いたす
124山本勘助:01/11/08 23:48
>>120
煽りはしてもレスはせぬか。
やれやれ。
125城塞:01/11/08 23:52
>>124
煽られてくれたのはうれしいけど
どこにレスつけてほしいの?
126無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 23:53
楠一族で決まりでしょう
127山本勘助:01/11/08 23:54
>>125
会話になり申さぬ。拙者はこれからWinMXで拾った画像で
一人で一発激戦を試みた後に寝る事にいたす。
128城塞:01/11/08 23:56
>>127
さようなら。もうちょっと勉強してから山本勘助を名乗りなさい。あつかましいよ。
129無名武将@お腹せっぷく:01/11/08 23:56
>>126
北朝方にバッチリ寝返ってますが?
そのせいで・・・。
130無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 00:04
武者言葉の山本も厨房だが、山本勘助より
城塞のほうが性格が悪い。
131城塞 :01/11/09 00:06
>>130
ごめんなさい
こうでもしないと誰ものってきてくれないんで
132無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 00:07
>>130
2ちゃんで性格を評価するとは・・・お前も厨房か?
>>132
オマエモナー
オレモナー
134無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 00:09
>>131
せっかく乗ってきた山本を追放しなくてもいいと思うが。。。
可愛げのあるキャラクターだったのに。
135山本勘助:01/11/09 00:09
喧嘩はやめなよ。
136134:01/11/09 00:10
>>135
弁護してやってるのに出てくるな(藁
137:01/11/09 00:11
今から「義」について多くの武将を例に挙げ本気で討論したいと思う。
参加者は挙手を願う
138無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 00:12
>>137
城砦くん?
139城塞:01/11/09 00:13
山本・・・悪かったな。仲直りだ、握手しようぜ!
140城塞:01/11/09 00:14
>138
いや・・・ちがうけど・・・誰?
141山本勘助:01/11/09 00:19
>>139
拙者こそ、何かと挑発的で申し訳ござらぬ。
皆のもの、喧嘩はやめよう。
>>1の望む通り、義について語らおうではないか。
なんか、山本勘助とかいう偽善者UZeeeeee!
143山本勘助:01/11/09 00:29
>>142
わかっててやっとるんだから、気にするな。
144無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 00:38
喧嘩はやめようとか言ったら偽善者になるのか(藁
145板垣駿河守信方:01/11/09 00:51
軍師道鬼殿。いや晴幸入道殿かの。
貴殿、劣勢ゆえ、微力ながら助太刀申そう。
そもそも戦後、二四将に数えられし武藤喜兵衛殿の子にて
御館様の御弟、典厩殿の御名を授かりし、源次郎殿のことなどで
「もうちょっと勉強・・・」とはのぅ。
心得た方が良かろう。ここは戦国板じゃ。
しかもネタスレじゃぞ。
146無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 00:53
依田信蕃
武田のために滅亡まで徳川と戦い、
武田滅亡後は匿われた徳川のために死ぬまで戦った。

このスレちょっと荒れて来てない?
147城塞:01/11/09 00:56
>>145
よく調べてきたね。がんばりは認めます。でもしつこい。
148原虎胤:01/11/09 01:03
晴幸殿、甲陽の五名臣の仲で、助だちいたす。
149今川氏真:01/11/09 01:07
マロも助太刀いたす。
で、どの鞠を蹴るのじゃ?
150山本勘助:01/11/09 01:07
>>145 >>148
いやあ、かたじけない。
しかし我らがあまり常駐するは名無しには迷惑かと思うゆえ、
拙者は元より長居するつもりもござらなんだ。
背後より狙うものなくば、本陣に戻る所存ぞ。
151無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 01:10
goo国語辞典より。

ぎ 【義】
(1)儒教における五常(仁・義・礼・智・信)の一。人のおこないが道徳・倫理にかなっていること。「君臣の―」
(2)血縁のない形式的・倫理的な親子・兄弟などの関係。「兄弟の―を結ぶ」
(3)言葉の意味。「斤には、まさかりの―がある」
(4)〔仏〕 教え。教義。
(5)キリスト教で、神・人間がもつ属性としての正しさ。また、両者の関係としての正しさ。
――を見てせざるは勇(ゆう)無きなり
〔論語(為政)〕人として当然行うべきことと知りながら、それを実行しないのは勇気がないからである。
152無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 01:11
何時の間になりきりスレに?
つーかッ、止めてよッ!!
153城塞(小幡勘兵衛):01/11/09 01:11
HNで気付いて欲しかった・・・小幡山城の孫です。武田騎馬軍団に入りたいが為の愚行だったのに
154無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 01:14
道徳・倫理などは時代によって違うから
どういった道徳を元に考えるかを先に述べるとよかろ。
155無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 01:15
戦国の道徳・倫理とは?
156無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 01:17
たとえば家康公がおしつけた江戸時代の義の考え方は
主君に対する盲目的な忠誠心が基本になっているが
これは太平洋戦争を経て現在もそういった考えをもつ人が
多いのではと推測される。
157無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 01:17
消去法でいこーぜ!まずは松永久秀!はい消えた〜!
158無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 01:18
>>157
そんなところからはじめたら、スレッドが幾つあっても足らんぞ。
159無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 01:19
戦国時代では七度主君を変えざるものは武士にあらず、といった
義の考え方があったようです。
160無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 01:21
三河武士の忠実さはまさに犬じゃ!でも主家に対する忠実さゆえ他家に
対しては無茶苦茶じゃ!忠誠心=義と簡単にはいえないっすね
161無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 01:23
>>160
いや、言う事もできる。
義なんてものは見様によっては、いずれもただの理屈ですから。
162無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 01:26
う〜ん・・・また振り出し?
勿論劉玄徳様です
164無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 01:29
もともと人間は自分が傍観者の立場でいる限りは基本的に弱者の味方であり、
義というものが人間の美意識に基づいているとすれば、今の時代の人間が
戦国武将に対して感じる義とは、結果的に社会的弱者の行った行為に
投影されるものと考えられる。
165無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 01:35
>>164
社会的弱者=農民?あんたの言ってる意味いまいちわからん!
消去法でいーんじゃねーか?斉藤道三!はい消えた〜!
166無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 01:47
ここでの「義を貫く」とは、苦しくとも、そして絶望的であっても
愚直に何かを守り通した事を言う
---これでいいんじゃない?
167無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 02:02
>>166
なんかそれはそれで違う気も・・。
大義は無視?
168無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 02:11
小一時間問いつめてみたら?
169原虎胤:01/11/09 02:20
主君をたくさん変えることはべつだん、当時恥る事ではなく、むしろ能力が高いと評価され、仕官しやすかったからのう。
わし?
わしは一度武田を去り、北条におせわになった身じゃがな。
もちろん、ちゃんと帰参したぞえ
170無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 06:00
だれか俺のティムポなめろや
171司馬竜子:01/11/09 15:00
義、とは、?
172司馬竜子:01/11/09 15:10
義。定義は、なかなか難しい問題じゃ。
小生の今の見解では、(義ヲミテセザルハ勇ナキ成)と、心得て候
先生方の見解を、お聞かせねがいたい。
173無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 15:43
義といったら大義とかじゃなくて義理・人情を連想してしまうんですが
174無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 15:45
くだらん事ばっか討論しやがって消去法手伝え!小早川秀秋!はい消えた〜!
175名無し:01/11/09 15:45
戦国武将だったら清水宗治。
176辞世:01/11/09 15:56
浮き世をば 今こそ渡れ武士の 名をクソスレの レスに残して
177松永久秀:01/11/09 16:02
義とは、自分に忠実ということじゃ。ふふふ
178無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 16:04
>>177
もう消去したから出てくんな!
179無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 16:17
義で武将を評価するなよ、藤堂や賈文和はどうにもならんじゃん。
大体人間は自分で悪人を名乗る勇気が無いから義とかで飾り立てるだけ。
180無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 16:19
>>179
誰も評価してねーよ
181無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 16:24
>>179
>藤堂や賈文和はどうにもならんじゃん。

その理由をくわしく聞きたい。
182179:01/11/09 16:41
>181
ただ単に主君を次々と変えてるからです。
183日吉:01/11/09 18:02
藤堂家、子孫昭和52年前後。
三重県にて、一家心中ー読売新聞より。
裏切り者のたたりか?
184無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 18:34
>>182
賈は主君を裏切ったことはないが?
185無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 20:22
>>179
むちゃくちゃ言ってるな。
賈文和がいつ自分の意思で主君を変えたというのか。
小一時間ほど問い詰めたい。
186無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 20:26
義を感じる武将が何人か挙げられているが、
どうやら義については
・不利な状況に陥っても節を曲げない
というのがある程度の共通認識かと思われるが、どうよ。
187無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 20:30
というより、自分を捨ててでも他のために尽くすってことだろ?
その対象が一個人とかだと小義、領民や国のためだと大義、
こんなとこじゃない?
188無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 21:13
結局、答えが出ないので消去法!毛利元就!はい消えた〜!
189無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 21:30
俺のために働くことが最大の義だ
190無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 21:31
>189
友達になってあげよーか?
191無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 23:25
age
192無名武将@お腹せっぷく:01/11/09 23:55
新見ともみつ
193淀殿:01/11/13 11:48
大野修り 
     太閤さまー亡き後
      
       いちばん太閤様に成り代わり。夜の勤めを果たした忠臣である。
        わらわが言うのだからまちがいは、ない。
194無名武将@お腹せっぷく:01/11/13 11:59
そういや、今とちょっと前じゃ転職に対する世間の目も違うよな。
195大野道犬斎:01/11/14 07:35
>>193
お前をヒィヒィ言わせてたのはワシじゃろが!
196周兪:01/11/14 18:03
司馬 仲達であろう。
         五丈原での孔明との戦い。かけひき。何故ならば!
        勝利に導いた。
               ーーぎの武将である。−−
           かあちゃんゴメンちゃい。
197伊達政宗:01/11/14 18:13
キョウウイ ハクヤクただ一人
198きんたま:01/11/26 15:13
西郷輝彦
199無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 01:29
魏延文長
200無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 01:30
ギギギギギ・・・
201無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 04:42
鳥居元忠と奥平信昌様を挙げておこう。
主君のために城を枕に討ち死に覚悟。
これなら文句無いだろ。
やはり真田信繁だな
203無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 06:23
光源氏
ロリの大義を貫いた漢
俺のヒーロー
204無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 06:25
大仁多厚
>>204
それ武将じゃない(マジレスカコワルイ
206無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 08:21
>>203
禿しく同意!
現代版光源氏・・・・・・(;´Д`) ハァハァ
207無名武将@お腹せっぷく:01/12/09 12:13
友情や忠義を貫いた者の中でも
天下統一に立ちはだかって死んだ者が義将と称えられる。
浅井長政やら大谷刑部やら・・・

鳥居元忠と奥平信昌だって十分篭城戦で義を貫いたのだが
なぜかあまり義将と称えられない。
所詮義将とは敗者に対する慰めの言葉。
208無名武将@お腹せっぷく:01/12/18 08:03
取り芋とただ
209無名武将@お腹せっぷく:01/12/18 10:16
夏侯惇元譲
210太田資正:01/12/19 00:51
やっぱ太田資正でしょう。
211無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 01:05
三国志の中では審配が最高!!
212無名武将@お腹せっぷく:01/12/19 02:05
立花道雪は?
213無名武将@お腹せっぷく:01/12/24 18:15
五郎佐
214無名武将@お腹せっぷく:02/01/11 09:35
荊何
武将じゃないが宋の襄公
216メモリ暴騰中:02/01/12 18:22
ムチャ兵衛
217後世の歴史家:02/01/12 18:27
ベルゲングリューン
218>68
>百姓を守るため承諾。・・・信じられんなぁ

小牧・長久手の戦いで家康は百姓が餓死する処まで兵糧を掻き集めていた。