1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/06(土) 22:15:28.98 ID:GuFIdrlA
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/06(土) 23:02:42.60 ID:OnflnNGp
三島くん
人でおわりなさい
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/07(日) 08:23:03.69 ID:uU67pKx3
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/07(日) 10:02:07.84 ID:d96CvKtY
Q――あの戦争をどう呼ぶのが適切だと思ふか。
三島:大東亜戦争でいいぢやないか。歴史的事実なんだから。
太平洋戦争といふ人もあるが、私はゼッタイとらないね。日本の歴史にとつては大東亜戦争だよ。
戦争の名前くらゐ自分の国がつけたものを使つていいぢやないか。
Q――あの戦争をどう意味づけてゐるか。
三島:あの戦争の評価は、百年たたないとできないね。
いま侵略戦争だつたとかなんとかガチャガチャいつてもどうにもならん。
三島由紀夫「歴史的事実なんだ」より
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/07(日) 10:03:20.79 ID:d96CvKtY
Q――自衛隊が存在しなければ、日本は侵略されると思ひますか?
三島:もちろん侵略される。日本はこれまで、ただの一日でも、力に守られなかつた平和を
持つたことがない。侵略に対処するには力しかない。
三島由紀夫「これでいいのか日本の防衛」より
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/08(月) 21:09:08.61 ID:hpWaCNRu
言ひ古されたことだが、一歩日本の外に出ると、多かれ少かれ、日本人は愛国者になる。先ごろ
ハンブルクの港見物をしてゐたら、灰色にかすむ港口から、巨大な黒い貨物船が、船尾に日の丸の
旗をひるがへして、威風堂々と入つて来るのを見た。私は感激措くあたはず、夢中でハンカチを
ふりまはしたが、日本船からは別に応答もなく、まはりのドイツ人からうろんな目でながめられるに
とどまつた。
これは実に単純な感情で、とやかう分析できるものではない。もちろん貨物船が巨大であつたことも
大いに私を満足させたのであつて、それがちつぽけな貧相な船であつたとしたら、私のハンカチの
ふり方も、多少内輪になつたことであらう。また、北ヨーロッパの陰鬱な空の下では、日の丸の
鮮かさは無類であつて、日本人の素朴な明るい心情が、そこから光りを放つてゐるやうだつた。
三島由紀夫「日本人の誇り」より
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/08(月) 21:09:43.09 ID:hpWaCNRu
それでは私もその「素朴な明るい」日本人の一人かといふと、はなはだ疑はしい。私はひねくれ者の
ヘソ曲りであるし、私の心情は時折明るさから程遠い。それは私が好んでひねくれてゐるのであり、
好んで心情を暗くしてゐるのである。これにもいろいろ複雑な事情があるが、小説家が外部世界の
鏡にならうとすれば、そんなにいつも「素朴で明るい」人間であるわけには行かない。しかし異国の
港にひるがへる日の丸の旗を見ると、
「ああ、おれもいざとなればあそこへ帰れるのだな」
といふ安心感を持つことができる。いくらインテリぶつたつて、いくら芸術家ぶつたつて、いくら世界苦
(ヴエルトシユメルツ)にさいなまれてゐるふりをしたつて、結局、いつかは、あの明るさ、単純さ、
素朴さと清明へ帰ることができるんだな、と考へる。
三島由紀夫「日本人の誇り」より
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/08(月) 21:10:18.12 ID:hpWaCNRu
いざとなればそこへ帰れるといふ安心感は、私の思想から徹底性を失はせてゐるかもしれない。
しかしそんなことはどうでもよいことだ。私は巣を持たない鳥であるよりも、巣を持つた鳥である
はうがよい。第一、どうあがいたところで、小説家として私の使つてゐる言葉は、日本語といふ
歴然たる「巣鳥の言葉」である。
「いざとなればそこへ帰れる」といふことは、同時に、帰らない自由をも意味する。ここが大切な
ところだ。帰る時期は各人の自由なのであつて、「いざとなれば帰れる」といふ安心感があればこそ、
一生帰らない日本人がゐるのもふしぎはない。私はこの安心感を大切にするのと同じぐらゐに、
帰る時期と、帰る意思の自由とを大切にする。人に言はれて帰るのはイヤだし、まして人のマネを
して帰つたり、人に気兼ねして帰るのもイヤだ。すべての「日本へ帰れ」といふ叫びは、余計な
お節介といふべきであり、私はあらゆる文化政策的な見地を嫌悪する。日本人が「ドイツへ帰れ」と
言はれたつて、はじめから無理なのであつて、どうせ帰るところは日本しかないのである。
三島由紀夫「日本人の誇り」より
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/08(月) 21:11:03.99 ID:hpWaCNRu
私は十一世紀に源氏物語のやうな小説が書かれたことを、日本人として誇りに思ふ。中世の能楽を
誇りに思ふ。それから武士道のもつとも純粋な部分を誇りに思ふ。日露戦争当時の日本軍人の
高潔な心情と、今次大戦の特攻隊を誇りに思ふ。すべての日本人の繊細優美な感受性と、勇敢な
気性との、たぐひ稀な結合を誇りに思ふ。この相反する二つのものが、かくもみごとに一つの人格に
統合された民族は稀である。……
しかし、右のやうな選択は、あくまで私個人の選択であつて、日本人の誇りの内容が命令され、
統一され、押しつけられることを私は好まない。実のところ、一国の文化の特質といふものは、最善の
部分にも最悪の部分にも、同じ割合であらはれるものであつて、犯罪その他の暗黒面においてすら、
この繊細な感受性と勇敢な気性との結合が、往々にして見られるのだ。われわれの誇りとする
ところのものの構成要素は、しばしば、われわれの恥とするところのものの構成要素と同じなので
ある。きはめて自意識の強い国民である日本人が、恥と誇りとの間をヒステリックに往復するのは、
理由のないことではない。だからまた、私は、日本人の感情に溺れやすい気質、熱狂的な気質を
誇りに思ふ。決して自己に満足しないたえざる焦燥と、その焦燥に負けない楽天性とを誇りに思ふ。
日本人がノイローゼにかかりにくいことを誇りに思ふ。どこかになほ、ノーブル・サベッジ(高貴なる
野蛮人)の面影を残してゐることを誇りに思ふ。そして、たえず劣等感に責められるほどに鋭敏な
その自意識を誇りに思ふ。そしてこれらことごとくを日本人の恥と思ふ日本人がゐても、そんなことは
一向に構はないのである。
三島由紀夫「日本人の誇り」より
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/13(土) 01:54:05.96 ID:T15kqVMB
あ
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/13(土) 21:30:42.32 ID:BzGp87MS
第2の三島由紀夫は現れぬか
三島先生の市ヶ谷演説なるもの、アーカイブ番組でいくつか観たが
口上が稚拙極まりない。
戦後最高の日本語学者とか、政治志向では左向きの五島勉とか三輪明宏に勲董を与えた人の演説とは思えない。
取るものもとりあえず、なんか大急ぎで総監室へ急行して
台上に上がってイザ口上を述べる段で準備不足を後悔した。
進退極まり一身をもって世に問われた。
こんなところか。
15 :
「ぼく、、、幸せ、、」 :2012/10/14(日) 01:25:40.01 ID:1p6upipW
「・・・・私の方から三島さんの体を強く抱きしめ、その首筋に、激しいキスを
しゃぶりつくようにしたのだった。三島さんは、身悶えし、小さな声で、わたしの耳元にささやいた。 「ぼく、、、幸せ、、」
歓びに濡れそぼった、甘え切った優しい声だった。・・・」
福島次郎著『三島由紀夫、剣と寒紅』80頁の記述である。
http://esashib.com/mishima03.htm 三島とともに心中した森田必勝は右翼学生組織・日学同(日本学生同盟)の幹部だった。
43年に出来た下部組織「全日本国防学生会議」の議長だった。
『新右翼・民族派の歴史と現在、新増補版』で森田と親しかった鈴木邦男は言う。
「、、日学同の粛清の歴史はすごかった。「楯の会」に走った人間も、みな除名処分で、
森田必勝などは「共産主義者に魂を売った。」という理由で除名処分にし、そのことを「日本学生新聞」にデカデカと載せていた。
日学同を裏切る人間は即、敵(共産主義者)を利するものであるという理屈だった。
、、、日学同は、、昔のことに頬かむりして、三島事件に便乗した。
、、森田の日記まで出版しさらに、毎年三島、森田を追悼する「憂国忌」までやっている。
これでは「楯の会」ならずとも激怒するのは当然である。
、、、、今でも、楯の会の人間や当時の事情を知っている人間は、だから憂国忌には一切参加しない。、、」
三島由紀夫が武道に走った重要な契機は「右翼に対する深刻な恐怖であったことは
間違いない。」と三島の実弟・千之氏は言う。(『三島由紀夫の生涯』安藤武著)
http://esashib.com/tohokuzisin01.htm http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-19/2012031915_01_1.html 人生は祭りの夜のように、あっという間に過ぎて行く、
神も教祖も天皇も王も、国家も民族も、どこにも在りはしない、
そのような卑小で笑止なものに入れあげる時間など、
どこにもない。
そのようなものに価値を与え、ぶら下がり、すがりつくのは、
楽なことかもしれないが、何の意味もない。
宗教、民族、国家などという薄汚いかたまりを、まず捨てることだ。
そのような小汚いものにしがみつく、情けない男になっては、生まれてきた意味すらない。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/14(日) 09:50:03.31 ID:fmUDY+r3
>>15 三島の弟はそんなこと言ってないと否定してるから、そのコピペはデタラメの寄せ集め。
憂国忌には森田必勝の兄も参加してるよ。
鈴木邦男なんて、ただ三島をダシにして、金儲けしているだけの人だし、
他人のことをああだこうだ批判できるほどのもんでもないでしょう。
福島次郎のそれも、ただの創作部分の描写だし。
バカ丸出しの古いコピペあほくさ(笑)
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/14(日) 09:53:32.30 ID:G691RQIC
国力
あなたは嫌われ者の生徒会長をおりてはいけない。
弱いものいじめをしてはいけません。
廊下は静かに歩きましょうと、
そういいつづけなければならない
NHK女子アナがぐれてチンピラとハワイなどで
遊んでいたならば目もあてられない
さて、落ちこぼれをどうしよう
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/14(日) 10:39:32.07 ID:G691RQIC
三島?三島、三島ねぇ・・・
文学ってのは猿山消してなんぼってことろはあるな。。。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/29(月) 18:35:08.97 ID:+HCRuNf0
三島さんの奥様・弟さん・妹さん・お仲間
みんな、若死にですね。
残っているのは
石原・中曽根・佐々・キーン・村松・持丸・小川・古賀・小賀氏ぐらいですか。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/29(月) 22:11:51.14 ID:FBhXAPxo
三島由紀夫が今のこの時代を見たらどう思う
21 :
驚くほどの、甘えた子供のような声をほとばしらせた:2012/10/30(火) 00:56:48.49 ID:qKaJooqP
三島事件のおよそ4年前1966年、昭和41年8月27日、熊本、「ホテル・キャッスル」。
私が抱きついてゆくと三島さんは急に体の向きを変えて抱き返してきて
小さな声でささやいた。
「しばらくぶりだったね、会いたかったよ。」
、、、、懸命に三島さんの首から、胸、腹に、強いキスを浴びせかけていった。
、、、三島さんはこちらが驚くほどの、甘えた子供のような声をほとばしらせた。
『三島由紀夫、剣と寒紅』
三島由紀夫42歳、福島次郎36歳、熱い再会だった。
三島の熊本行きは明治9年に熊本で起きた「神風連事件」と蓮田善明の取材が目的という
ことだった。『豊饒の海』第2巻「奔馬」執筆のための資料である。
「前略 突然ですが小生急にこの夏のをはり熊本を訪問することに決めました。
、、どうしても熊本へ行かなければ神風連の精神がつかめないやうな気がしだしたのです。、、」
という手紙が福島のところに来たのは7月の半ばであった。
熊本での取材中、福島次郎は三島の傍を片時も離れなかった。
そして31日の取材最終日、新市街地の通りの骨董屋で三島は福島とともに
およそ7万円で日本刀を購入する。(『剣と寒紅』)
「どうしてひとりで死ななかったのですか。」
いまや70歳を目前にした、三島の恋人だった初老の男福島次郎は
全霊を賭けたその著書『三島由紀夫、剣と寒紅』の中で
30年の沈黙を破って二人の男に問いかける。
三島由紀夫と三島が慕い続けた「奔馬の男」蓮田善明に向けて呟く。
蓮田善明も三島由紀夫も、遂に一人で死ぬ事は出来なかったのだ。
人は生まれ、人は死ぬ。
今日、どこかで、ひっそりと死んだ男が三島より強いとは限らない。
明日、人知れず死ぬ男が三島より劇的な生涯だったかは分からない。
「、、どんなに壮烈に遂げられた死も、どんなにみじめな衰弱死も、、、」
と武田泰淳は三島への弔辞の中で言う、
変わらない、平等なのだ、と。
そして
三島由紀夫が身をもって、その滑稽を、その悲痛を、その短い生涯を賭けて顕現させた
誰もさえぎる事の出来ない真実がある。
人生は祭りの夜のように、あっという間に過ぎて行く、
神も教祖も天皇も王も、国家も民族も、どこにも在りはしない、
そのような卑小で笑止なものに入れあげる時間など、
どこにもない。
そのようなものに価値を与え、ぶら下がり、すがりつくのは、
楽なことかもしれないが、何の意味もない。
宗教、民族、国家などという薄汚いかたまりを、まず捨てることだ。
そのような小汚いものにしがみつく、
情けない男になっては、生まれてきた意味すらない。
1999年11月25日
三島由紀夫の少女のような喘ぎ声と、響き渡る高音の笑い声が、
狂いかけた列島にこだまする。
「、、記憶もなければ何もないところへ自分は来てしまったと本多は思った。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしている。、、」 『天人五衰』
http://esashib.com/tohokuzisin01.htm http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-03-19/2012031915_01_1.html
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/30(火) 10:00:13.38 ID:Nt9slnXR
肝胆相照らして、いささか興奮の面もちの鶴田氏は、対談が終わってから、夫人同伴で三島邸を訪問、
さらに深夜まで憂国の論議をつづけた。三島邸辞去のとき、門前の三島夫妻は、鶴田氏の車が
見えなくなるまで、雨の中に立ちつくして見送った。鶴田浩二は、車のなかで夫人につくづく述懐した。
「だから俺はたまらないんだ。こうしてまで、俺を見送ってくれる。あんなキチンとした日本人はだんだん
いなくなっちゃう」
編集後記(三島由紀夫と鶴田浩二の対談「刺客と組長―男の盟約」)より
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/31(水) 23:08:25.24 ID:44Zxwl1n
三島に生き返ってもらって今の乱れきった世の中直してもらいたいよ
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/14(水) 10:01:26.49 ID:OfRUsdxa
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三島由紀夫氏没後四十二年『憂国忌』の御案内
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ことしの「憂国忌」は日曜日にですので、下記三本の講演を予定しております。万障お繰り合わせの上、ご出席いただければ幸いです。
謹白
記
とき 十一月二十五日(日曜) 午後二時(一時開場)
ところ 星陵会館ホール(東京メトロ「国会議事堂前」か「永田町」)
プログラム 総合司会 佐波優子
開会の辞 松本徹(三島文学館館長)
<記念講演第一部>
「三島由紀夫とワグナー 芸術と政治的思想、あるいは愛と死」
在独作家 川口・マーン惠美
「三島由紀夫が下田に来た夏」 横山郁代
(休憩十分)
<記念講演第二部>
「『三島は、日本です!』(モーリス・ベジャール)―世界に向けて発せられたその死と美のメッセージ」 竹本忠雄
「海ゆかば」 全員起立斉唱
「閉会の辞」 冨岡幸一郎(鎌倉文学館館長)
会場分担金 おひとり 二千円(学生千円)
代表発起人 井尻千男、入江隆則、遠藤浩一、桶谷秀昭、佐伯彰一
竹本忠雄、中村彰彦、西尾幹二、細江英公、松本徹、村松英子
○◎○◎○
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
三島由紀夫研究会 HP URL
http://mishima.xii.jp/ メール
[email protected] 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(C)三島由紀夫研究会 2012 ◎転送自由
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/28(水) 13:04:16.23 ID:magRUH3Y
私は陛下のおそば近くで剣道をやらせていただくといふことに精神的に非常に大きな意味と誇りを味はして
いただいてをりまして、極端なことを申しますと、例へば、観菊会や園遊会その他でお招きを受ける、さういふ
ことも名誉ではありますけれども、私の感じとしては、陛下のご面前でああいふパーティ等でお招きを受ける
ことよりも、陛下のお見えにならないところで、この一剣を磨いて万一の時には何とかして、お役に服したいと
思つてゐる方が自分としても光栄ですし、嬉しいといふやうな気持でゐる人間でございます。
三島由紀夫「私の聞いて欲しいこと」より
戦後の民主社会の中で「天皇マンセー」な思考から抜け出せない化石脳。
天皇なんて、古代の権力者が御輿化しただけの存在で、
近代民主社会で崇拝すべき必然性は存在しないのに。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/29(木) 00:09:38.37 ID:N7apkh+1
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/29(木) 00:13:18.80 ID:N7apkh+1
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/29(木) 00:30:06.65 ID:N7apkh+1
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/29(木) 01:18:31.73 ID:N7apkh+1
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「宣戦の詔勅」 が煥発された直後。ちょうど正午に行われた
東条首相によるラジオ演説 「大詔を拝し奉りて」 の全文
「大詔を拝し奉りて」
只今宣戦の御詔勅が渙発せられました。
精鋭なる帝国陸海軍は今や決死の戦を行ひつつあります。
東亜全局の平和は、これを念願する帝国のあらゆる努力にも拘らず、遂に決裂の­已むなきに至つたのであります。
過般来政府は、あらゆる手段を尽し対米国交調整の成立に努力して参りましたが、
彼は従来の主張を一歩も譲らざるのみならず、かへつて英、蘭、支と連合し支那より我が陸海軍­の無条件全面撤兵、
南京政府の否認、日独伊三国条約の破棄を要求し帝国の一方的譲歩を強要して参りました。
これに対し帝国は飽く迄平和的妥結の努力を続けましたが、米国は­何ら反省の色を示さず今日に至りました。
若し帝国にして彼等の強要に屈従せんか、帝国の権威を失墜し支那事変の完遂を期し得ざるのみならず、
遂には帝国の存立をも危殆に陥­らしむる結果となるのであります。
事茲に至りましては、帝国は現下の危機を打開し、自存自衛を全うする為、断乎として立ち上るの已むなきに至つたのであります。
今宣戦の大詔を拝しまして恐懼感激に堪へず、­私不肖なりと雖も一身を捧げて決死報国、唯々宸襟を安んじ奉らんと念願のみであります。
国民諸君も亦、己が身を顧みず、醜の御楯たるの光栄を同じくせらるるものと信ずるも­のであります。
およそ勝利の要訣は、「必勝の信念」を堅持することであります。
建国二千六百年、我等は、未だ嘗つて戦ひに敗れたるを知りません。
この史績の回顧こそ、如何なる強敵をも破砕するの確信を生ずるものであります。
我等は光輝ある祖国の歴史を、断じて、汚さざると共に、更に栄ある帝国の明日を建設せむこと­を固く誓ふものであります。
顧みれば、我等は今日迄隠忍と自重との最大限と重ねたのでありますが、
断じて安きを求めたものでなく、又敵の強大を惧れたものでもありません。­
只管、世界平和の維持と、人類の惨禍の防止とを顧念したるにほかなりません。
しかも、敵の挑戦を受け祖国の生存と権威とが危きに及びましては、蹶然起たざるを得ないのであ­ります。
当面の敵は物資の豊富を誇り、これに依て世界の制覇を目指して居るのであります。
この敵を粉砕し、東亜不動の新秩序を建設せむが為には、当然長期戦たることを予想­せねばなりませぬ。
これと同時に絶大なる建設的努力を要すること言を要しませぬ。
かくて、我等は飽くまで最後の勝利が祖国日本にあることを確信し、如何なる困難も障碍も克­服して進まなければなりません。
是こそ、昭和の臣民我等に課せられたる天与の試錬であり、
この試錬を突破して後にこそ、大東亜建設者としての栄誉を後世に担ふことが出来る­ものであります。
この秋に当り満洲国及び中華民国との一徳一心の関係愈々敦く、
独伊両国との盟約益々堅きを加へつつあるを、欣快とするものであります。
帝国の隆替、東亜の­興廃、正に此の一戦に在り、
一億国民が一切を挙げて、国に報ひ国に殉ずるの時は今であります。
八紘を宇と為す皇謨の下に、此の尽忠報国の大精神ある限り、
英米と雖も何等惧­るるに足らないのであります。
勝利は常に御稜威の下にありと確信致すものであります。
私は茲に、謹んで微衷を披瀝し、国民と共に、大業翼賛の丹心を誓ふ次第であります。
.
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/29(木) 01:28:08.49 ID:N7apkh+1
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「大詔を拝し奉りて」
ただいま宣戦の御詔勅が渙発せられました。
精鋭なる帝国陸海軍は今や決死の戦を行ひつつあります。
東亜全局の平和は、これを念願する帝国のあらゆる努力にも拘らず、
ついに決裂のやむなきに至ったのであります。
過般来、政府はあらゆる手段を尽し、対米国交調整の成立に努力して参りましたが、
彼は従来の主張を一歩も譲らざるのみならず、かへつて英、蘭、支と連合し、
支那より我が陸海軍の無条件全面撤兵・南京政府の否認・日独伊三国条約の破棄
を要求し、帝国の一方的譲歩を強要して参りました。
これに対し帝国はあくまで平和的妥結の努力を続けましたが、
米国は何ら反省の色を示さず今日に至りました。
もし帝国にして彼等の強要に屈従せんか、
帝国の権威を失墜し、支那事変の完遂を期し得ざるのみならず、
ついには帝国の存立をも危殆に陥らしむる結果となるのであります。
事ここに至りましては、帝国は現下の危機を打開し、自存自衛を全うするため、
断乎として立ち上るの已むなきに至つたのであります。
今宣戦の大詔を拝しまして恐懼感激に堪へず、
私不肖なりと雖も一身を捧げて決死報国、唯々宸襟を安んじ奉らんと念願のみであります。
国民諸君もまた、己が身を顧みず、衆の御楯たるの光栄を同じくせらるるものと
信ずるものであります。
およそ勝利の要訣は 「必勝の信念」 を堅持することであります。
建国二千六百年。我等はいまだ嘗つて戦ひに敗れたるを知りません。
この史績の回顧こそ、いかなる強敵をも破砕するの確信を生ずるものであります。
我等は光輝ある祖国の歴史を断じて汚さざると共に、
さらに栄ある帝国の明日を建設せむことを固く誓ふものであります。
顧みれば、我等は今日まで隠忍と自重との最大限を重ねたのでありますが、
断じて安きを求めたものでなく、また敵の強大を惧れたものでもありません。
ひたすら世界平和の維持と、人類の惨禍の防止とを顧念したるに他なりません。
しかも、敵の挑戦を受け祖国の生存と権威とが危きに及びましては、
蹶然起たざるを得ないのであります。
当面の敵は物資の豊富を誇り、これによって世界の制覇を目指して居るのであります。
この敵を粉砕し、東亜不動の新秩序を建設せむが為には、
とうぜん長期戦たることを予想せねばなりませぬ。
これと同時に絶大なる建設的努力を要すること言を要しませぬ。
かくて我等は、飽くまで最後の勝利が祖国日本にあることを確信し、
いかなる困難も障碍も克服して進まなければなりません。
これこそ昭和の臣民我等に課せられたる天与の試錬であり、この試錬を突破して後にこそ、
大東亜建設者としての栄誉を後世に担ふことが出来るものであります。
この秋に当たり、満洲国及び中華民国との一徳一心の関係愈々敦く、
独伊両国との盟約益々堅きを加へつつあるを、欣快とするものであります。
帝国の隆替、東亜の興廃、正に此の一戦に在り。
一億国民が一切を挙げて、国に報ひ国に殉ずるの時は今であります。
八紘を宇と為す皇謨の下に、此の尽忠報国の大精神ある限り、
英米といえども何ら畏るるに足らないのであります。
勝利は常に御稜威の下にありと確信致すものであります。
私はここに謹んで微衷を披瀝し、国民と共に大業翼賛の丹心を誓ふ次第であります。
.
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/05(水) 11:34:33.54 ID:B6i8h8Bp
滝ヶ原分屯地にお世話になりはじめてから、早いものですでに四年になる。
昭和四十二年の春、たつた一人でここの新教隊に、本名の「平岡」の名で入隊してから、翌春一ヶ月、その
夏にも一ヶ月、昭和四十四年の春夏二ヶ月、今年もお世話になり、短期のレンジャー訓練を積み重ねてゐる。
私自身もずいぶん古兵になつた。
滝ヶ原の厳しい冬を知り早春を知り富士桜の咲き乱れる陽春を知り、撫子の夏を知り、秋を知つた。
ここで新隊員と話をすると、逆に滝ヶ原の「昔」を教へるやうになつた。
私の生涯でも、自分の家以外に、こんなに長い時間をすごした場所は他にない。富士学校はわが母校、
滝ヶ原は第二のわが家と人に言ふやうになつた。
ここでは終始温かく迎へられ、利害関係の何もからまない真の人情と信頼を以て遇され、娑婆ではつひに
味はふことのない男の涙といふものを味はつた。
私にとつてはここだけが日本であつた。娑婆の日本の喪つたものの悉くがここにあつた。
日本の男の世界の厳しさと美しさがここだけに活きてゐた。われわれは直接、自分の家族の運命を気づかふ
やうに、日本の運命について語り、日本の運営について憂へた。
三島由紀夫「滝ヶ原分屯地は第二の我が家」より
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/05(水) 11:35:26.92 ID:B6i8h8Bp
それがすべてここでは自然であり、インテリの観念の上すべりも、大衆社会のかしましさもなく、ぢかに手に
ふれる手ざはり、ぢかに足で踏みしめる富士山麓の日本の大地の足ざはりを以て、日本の危機と困難と
非運について考へることができた。
ここは私の鍛練の場所でもあり、思索の場所でもあつた。
私は、ここで自己放棄の尊さと厳しさを教へられ、思想と行為の一体化を、精神と肉体の綜合のきびしい
本道を教へられた。
汗と労苦を男の強情我慢を、忍耐を、極限の自己の探究を、規律を、それを克服した者のみの知る喜びを
教へられた。
これらはすべて自衛隊の教官助教官諸官の無私の指導に負ふところのものであつた。
知らない間に、私は、あの傍観者たちの世界における異端者になつてゐた。
この私に対し、終始温かい後楯になつて下さつた歴代連隊長を始め、滝ヶ原分屯地の方々のすべてに、
私は感謝の一語あるのみである。
同時に、二六時中自衛隊の運命のみを憂へ、その未来のみに馳せ、その打開のみに心を砕く、自衛隊に
ついて「知りすぎた男」になつてしまつた自分自身の、ほとんど狂熱的心情を自らあはれみもするのである。
三島由紀夫「滝ヶ原分屯地は第二の我が家」より
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/10(月) 02:17:05.32 ID:7dA4NuZP
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/10(月) 08:04:18.00 ID:VSJ2382K
小指を落とせといって生きて 小指を落とせない
暴力団は糞以下
腹をキレといって生きて 腹をキレない右翼は
チンカス以下
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/10(月) 17:46:19.14 ID:7dA4NuZP
.
人生は自民党や安倍の為にある訳じゃない。徴兵なら安倍や安倍の妻が行けばいい。
息子は徴兵させない。娘は慰安婦にさせない。これ常識。
自民、徴兵制検討を示唆 5月めど、改憲案修正へ
【自民党憲法改正推進本部(本部長・保利耕輔前政調会長)は4日の会合で、
徴兵制導入の検討を示唆するなど保守色を強く打ち出した論点を公表した。
『自民党選挙公約(案) 政権公約 J - ファイル2012』の11ページ目
61番目の項目に、中高でのボランティア活動の必修化 ボランティア=強制労働
63番目の項目に、高校卒業後に自衛隊などでの体験活動の必修化が書かれています。
安倍談話
「(自衛隊を)軍として認め、そのための組織もつくる。海外と交戦するときは、
交戦規定にのっとって行動する。シビリアンコントロール(文民統制)も明示する」と表明した。
自衛隊を憲法上、国防軍として位置付ける必要性を強調した。
時事通信社 - 11月25日 17:05
↑これ以外、法改正を行い皆さんを海外派兵させます
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/21(金) 11:33:49.57 ID:3x6TPOu9
今、二十五万の自衛隊はピタリと鳴りをしづめて何も語らず、自衛隊の反対勢力の声高なデモはともあれ、
多くの防衛問題研究家がそれぞれ専門知識に基づいて、高遠な議論を展開してゐる。しかし、防衛問題に
限つて、机上の議論は全く無意味だ、と私は考へてゐた。土に汚れない防衛論議、汗に濡れない防衛論議は、
決してこの問題の本質をとらへることができぬと感じたから、私は昨春四十五日間、陸上自衛隊に体験入隊を
させてもらつた。
最近の衛藤瀋吉氏の或る論文で「間接侵略に真に対抗しうるものは武器ではない。国民個々の魂である」と
いふ趣旨があつて、私も全く同感だが、そこに停滞してゐては単なる精神主義に陥る惧れがあり、魂を
振起するには行動しなければならない。動かない澱んだ魂は、実は魂ではない。この点で私の考へは陽明学の
知行合一である。又「自らの手で国を守る気概」といふ自民党のスローガンは立派だが、では一体何をするかと
いへば、国民一人々々は税金を払つて三次防を認めればよい、といふのでは、戦後の経済主義を一歩も出ず、
次元の低い傭兵思想にすぎない。私はひたすら「文武両道」といふ古い言葉で、この両様の機会主義に
反抗して来たのである。
今や空前の素人時代、軍事問題防衛問題も、玄人のほかに、熱烈な素人の厚い層があつてよいではないか。
因みに一言つけくはへれば、私は戦争を誘発する大きな原因の一つは、アンディフェンデッド・ウェルス
(無防備の富)だと考へる者である。
三島由紀夫「わが『自主防衛』――体験からの出発」より
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/28(金) 01:21:54.93 ID:v4DOmRZv
三島は大きな勘違いをしていた。
この日本に貴族がいると思っていた。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/25(金) 08:37:17.11 ID:eUpWLqzv
戦闘経験があるヤツほど、平和的になる。
だからアメリカなんかは、政権スタッフに軍隊未経験のヤツが多いとやりだす。
イラク戦争の時なんかは、経験者はパウエルだけ。彼は一番のハト派だったな。
欧州では、戦争しないようにするために徴兵制を敷くという意味合いがあるそうだ。
疑似でも戦闘やらせれば、戦争したくなくなるだろうと。
徴兵制⇒軍国主義なんて考える日本人はおたんこなすなんだ。
三島みたいに、うまいこと徴兵逃れたのが、平和になってからイケイケドンドンって騒いでも、まともなヤツは相手にしない(しなかった)のは当たり前だわな。
檄文抜粋 三島由紀夫
昭和四五年十一月二五日
われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、
本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、
敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、
日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。
われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。
しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、
御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、
道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、
もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。
アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。
あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。
もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。
しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。
日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。
生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。
それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。
これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。
もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、
一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。
そういうお題目の紹介はほどほどに。
知らない人が見たら、腐った憲法にぶち当たって死んだマヌケな人って思うだろう。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/12(火) 22:21:46.88 ID:AoFjL0Jv
日本的非合理の温存のみが、百年後世界文化に貢献するであらう。
平岡公威(三島由紀夫)昭和20年9月16日「戦後語録」より
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/29(金) 17:25:50.20 ID:slflxKxR
独立という観念はヨーロッパが与えた観念ですね。そして民族自決主義がここへきて再びリバイブした、
第二次大戦後に民族自決主義がリバイブしたのはあくまでも大東亜戦争の直接の影響だと思います。
それによってアジアの諸民族が自信を持って民族独立の道を歩き出したのだと私は信じて疑いません。
三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン その三」より
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/28(火) 09:04:53.89 ID:wv2wKaXv
最近東京空港で、米国務長官を襲つて未遂に終つた一青年のことが報道された。日本のあらゆる新聞が
この青年について罵詈ざんばうを浴せ、袋叩きにし、足蹴にせんばかりの勢ひであつた。青年は、沖縄で
反基地闘争の日本人が米兵の銃剣に傷つけられた報復として、せめて米国の代表者に傷を負はせようと
したのが目的であり、個人的には何の恨みもないと表明した。青年が過激な右翼団体に属してゐたといふ
経歴はなかつた。
私はテロリズムやこの青年の表白に無条件に賛成するのではない。ただあらゆる新聞が無名の一青年を
これほど口をそろへて罵倒し、判で捺したやうな全く同じヒステリカルな反応を示したといふことに興味を
持つたのである。左派系の新聞も中立系の新聞も右派系の新聞も同時に全く同じヒステリー症状を呈した。
かういふヒステリー症状は、ふつう何かを大いそぎで隠すときの症候行為である。この怒り、この罵倒の下に、
かれらは何を隠さうとしたのであらうか。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/28(火) 09:05:52.40 ID:wv2wKaXv
日本は西欧的文明国と西欧から思はれたい一心でこの百年をすごしてきたが、この無理なポーズからは何度も
ボロが出た。最大のボロは第二次世界対戦で出し切つたと考へられたが、戦後の日本は工業的先進国の
列に入つて、もうボロを出す心配はなく、外国人には外務官僚を通じて茶道や華道の平和愛好文化こそ
日本文化であると宣伝してゐればよかつた。昭和三十六年、私がパリにゐたとき、たまたま日本で
浅沼稲次郎の暗殺事件が起つた。浅沼氏は右翼の十七歳の少年山口二矢によつて短剣で刺殺され、
少年は直後獄中で自殺した。このとき丁度パリのムーラン・ルージュではRevue Japonais といふ日本人の
レビューが上演されてをり、その一景に、日本の短剣の乱闘場面があつた。在仏日本大使館は誤解をおそれて、
大あわてで、その景のカットをレビュー団に勧告したのである。
誤解をおそれる、とは、ある場合は、正解をおそれるといふことの隠蔽である。私がいつも思ひ出すのは、
今から九十年前、明治九年に起つた神風連の事件で、これは今にいたるもファナティックな非合理な事件として
インテリの間に評判がわるく、外国人に知られなくない一種の恥と考へられてゐる。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/28(火) 09:06:41.82 ID:wv2wKaXv
約百名の元サムラヒの頑固な保守派のショービニストが起した叛乱であるが、彼らはあらゆる西洋的なものを
憎み、明治の新政府を西欧化の見本として敵視した。電線の下を通るときは、西洋の魔法で頭がけがれると
云つて、頭上に白扇をかざして通り、あらゆる西欧化に反抗した末、新政府が廃刀令を施行して、武士の
魂である刀をとりあげるに及び、すでにその地方に配置された西欧化された近代的日本軍隊の兵営を、百名が
日本刀と槍のみで襲ひ、結果は西洋製の小銃で撃ち倒され、敗残の同志は悉く切腹して果てたのである。
トインビーの「西欧とアジア」に、十九世紀のアジアにとつては、西欧化に屈服してこれを受け入れることによつて
西欧に対抗するか、これに反抗して亡びるか、二つの道しかなかつたと記されてゐる。正にその通りで、一つの
例外もない。日本は西欧化近代化を自ら受け入れることによつて、近代的統一国家を作つたが、その際起つた
もつとも目ざましい純粋な反抗はこの神風連の乱のみであつた。他の叛乱は、もつと政治的色彩が濃厚であり、
このやうに純思想的文化的叛乱ではない。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/28(火) 09:07:15.01 ID:wv2wKaXv
日本の近代化が大いに讃えられ、狡猾なほどに日本の自己革新の能力が、他の怠惰なアジア民族に比して
賞讃されるかげに、いかなる犠牲が払はれたかについて、西欧人はおそらく知ることが少ない。それについて
探究することよりも、西欧人はアジア人の魂の奥底に、何か暗い不吉なものを直感して、黄禍論を固執するはうを
選ぶだらう。しかし一民族の文化のもつとも精妙なものは、おそらくもつともおぞましいものと固く結びついて
ゐるのである。エリザベス朝時代の幾多の悲劇がさうであるやうに。……日本はその足早な、無理な近代化の
歩みと共に、いつも月のやうに、その片面だけを西欧に対して示さうと努力して来たのであつた。そして日本の
近代ほど、光りと影を等分に包含した文化の全体性をいつも犠牲に供してきた時代はなかつた。私の四十年の
歴史の中でも、前半の二十年は、軍国主義の下で、不自然なピューリタニズムが文化を統制し、戦後の
二十年は、平和主義の下で、あらゆる武士的なもの、激し易い日本のスペイン風な魂が抑圧されて来たのである。
そこではいつも支配者側の偽善が大衆一般にしみ込み、抑圧されたものは何ら突破口を見出さなかつた。
そして、失はれた文化の全体性が、均衛をとりもどさうとするときには、必ず非合理な、ほとんど狂的な事件が
起るのであつた。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/28(火) 09:07:53.82 ID:wv2wKaXv
これを人々は、火山のマグマが、割れ目から噴火するやうに、日本のナショナリズムの底流が、関歇的に
奔出するのだと見てゐる。ところが、東京空港の一青年のやうに見易い過激行動は、この言葉で片附けられると
しても、あらゆる国際主義的仮面の下に、ナショナリズムが左右両翼から利用され、引張り凧になつてゐることは、
気づかれない。反ヴィエトナム戦争の運動は、左翼側がこのナショナリズムに最大限に訴へ、そして成功した
事例であつた。それはアナロジーとしてのナショナリズムだが、戦争がはじまるまで、日本国民のほとんどは、
ヴィエトナムがどこにあるかさへ知らなかつたのである。
ナショナリズムがかくも盛大に政治的に利用されてゐる結果、人々は、それが根本的には文化の問題で
あることに気づかない。九十年前、近代的武器を装備した近代的兵営へ、日本刀だけで斬り込んだ百人の
サムラヒたちは、そのやうな無謀な行動と、当然の敗北とが、或る固有の精神の存在証明として必要だ、
といふことを知つてゐたのである。これはきはめて難解な思想であるが、文化の全体性が犯されるといふ
日本の近代化の中にひそむ危険の、最初の過激な予言になつた。われわれが現在感じてゐる日本文化の
危機的状況は、当時の日本人の漠とした予感の中にあつたものの、みごとな開花であり結実なのであつた。
三島由紀夫「日本文化の深淵について」より
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/03(水) NY:AN:NY.AN ID:DE8Edrcf
市ヶ谷自衛隊総監部で三島由紀夫の介錯した後に
自らも切腹し果てた楯の会・森田必勝(22)の
同棲相手(許婚)は”やる気、元気”の井脇ノブ子
三島由紀夫は決行2日前に”楯の会”会員4人(森田必勝、小賀正義、
小川正洋、古賀浩靖)とパレスホテルで最終打ち合わせをした。
三島「森田、お前は生きろ。お前は恋人がいるそうじゃないか」
後の井脇ノブ子である。
今でも井脇は森田必勝の咽喉仏が入ったペンダントを
身につけている
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN ID:jWy8Tay8
.
.
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN ID:wK0niFCW
それで、私はまたしても憲法の問題に戻つてくるんです。私共のやうな人間が絶えず憲法を改正しろと言つて
ゐなければ、もう憲法改正の気運は永久にどつかへ消えてしまふでありませう。私はあの敗戦憲法を敗戦の
日本に残した、この傷跡をですね、なんとかして改善しなけりやならんといふことを永年考へてきたんです。
しかし、我々がいくら言つてもダメだといふやうな悲しい事態になつたのに、国民はそれについて憲法改正
できないといふことは、何を意味するんだといふことを考へないできたんです。
それでは憲法改正すりや、ファッショになるだらうか。これが非常に問題なんですね。ナチスはワイマール憲法を
改正してないのは、皆さんご存知と思ふんです。ナチスはたうとう憲法改正事業つていふことを、やつて
ないんです。そして、全権授権法つていふのを成立させたのは、ワイマール憲法下で成立させたんです。
あくまで平和憲法下でナチズムといふものは出てきたんです。この事実、歴史的な事実をよく知らない人間は、
憲法改正すればファシズムになる、ナチズムになると言ふんです。
ところが、ファシズムやナチズムになりたかつたら、憲法を変へる必要がないんです。そして、国家の根本の
精神といふものを作り直すには、何もそんな難しいことをやらなくたつていいんだつてことを、だんだんと
分かつてきてるのかどうかといふことを、私は非常に疑問に思つてきたわけであります。私はだいたいさういふ
やうな疑問を持ちました結果、どうしてもこの書斎にたてこもつてゐることができなくなつた。私は、その書斎から
飛び出して、何とかして自分のわづかな力でもつて、国民といふものがもうゐないとすれば、大衆といふもの
かもしれない、何か分からないが、どつかに自分の気持ちを分かつてくれる人がある、それに訴へかけようと
思つてやつてきたんです。
三島由紀夫「我が国の自主防衛について」より
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/02(水) 09:04:10.04 ID:hnm5ucVV
学徒出陣70周年戦没学徒追悼会のご案内
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
大東亜戦争がいよいよ苛烈を極めてきた昭和18年秋全国の青年学徒が祖国の危急を救わんとペンを捨てて剣をとり戦場へ赴きました。
その学徒出陣から満70周年を迎える今年、出陣学徒壮行会が行われた10月21日場所も神宮外苑競技場(現在の国立競技場)において戦没学徒追悼会を開催します。
どなたでも参加できますのでご案内いたします。
記
日時 平成25年10月21日(月)12:00〜12:30
場所 「出陣学徒壮行の地」碑前
東京都新宿区霞ヶ丘町10−2
国立競技場マラソン・ゲート内
地下鉄・大江戸線「国立競技場」徒歩1分
JR「千駄ヶ谷」、「信濃町」徒歩5分
内容 黙祷、献花、追悼挨拶など
主催 海軍第14期飛行予備学生の会
早稲田大学出陣学徒の会
慶應義塾戦没者追悼会
その他各大学OB有志
連絡先 実行委員会代表
玉川博己 (弊会代表幹事)
E-mail
[email protected]
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/02(水) 22:31:42.12 ID:XOf4OK7P
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/03(木) 02:13:37.50 ID:ytM9QcGr
朝鮮右翼に家族殺されるって脅されてこうなっちゃったんだょな
遊ばれた俺らヒキニートの親分だ
女に神秘を求め右も左も関係なく
ただ腹筋だけを求め腐女子のご機嫌を伺いキモオタ左翼に臭いつば飛ばされしまいには棒个か
脅されて怖い思いして意味不明な事しちゃった三島は馬鹿だと言いたい
臭えよ大陸返りしね
南方言い訳に使ったチョンコ死ね
>>57 覚えたての日本語ヘタデスよw
ろくに三島由紀夫を知らない頓珍漢はお国へお帰りなさってください。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/21(木) 15:49:29.21 ID:u4yQ801n
三島由紀夫氏没後43年 追悼会「憂国忌」
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
11月25日 午後六時開演(5時半開場予定)
星陵会館大ホール
http://www.seiryokai.org/kaikan/map.html 会場分担金 おひとり 二千円(賛助会員は無料ご招待)。
ご来場のかたには記念冊子と論文集を差し上げます。
<プログラム>
司会 佐波優子
開会の辞 『三島由紀夫の憲法草案について』(富岡幸一郎)
シンポジウム 『憲法改正か自主憲法か』 パネルディスカッション
(三島由紀夫の改憲への意気込み、檄文)
井尻千男(評論家、拓殖大学名誉教授)
小川栄太郎(文藝評論家、『約束の日』の著者)
藤井厳喜(政治学者)
松本徹(三島文学館館長)
映像の案内 DVD「葵上」「卒塔婆小町」について 製作者
語り芝居「冬のゆめ」について挨拶 村松英子
事務局より
全員で斉唱 「海ゆかば」
○◎ ◎○
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/23(土) 14:29:55.86 ID:FflaP8Rr
こんにちは。
三島由紀夫の晩年の対談とか読んでて、
非常に良いな〜と思いました。
現在読んでみると全く極右でも何でもない、至極真っ当な主張ですよね。
ところで三島由紀夫は一水会と何か関係があるんでしょうか。
一水会は三島の追悼会みたいなことしてますよね。
三島の思想を受け継いでいる??でも、調べてみると何だか違う気もするんです。
.
第 3 次 佐 藤 内 閣
第3次佐藤内閣(だいさんじさとうないかく)は、佐藤栄作が第63代内閣総理大臣に任命され、
1970年(昭和45年)1月14日から1971年(昭和46年)7月5日まで続いた日本の内閣である。
概要
この第3次佐藤内閣時代のトピックスとしては、
1.日本万国博覧会が大阪府吹田市に於いて、1970年3月14日〜1970年9月13日の183日間開催されたこと。
2.赤軍派活動家による日本航空国内線351便(ボーイング727-89型機、愛称「よど号」)ハイジャック事件(いわゆるよど号ハイジャック事件)が発生したこと。
3.日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約が1970年6月23日に10年の期限が切れたものの、条約の規定で自動延長となったこと。
が挙げられる。
閣僚
内閣総理大臣 - 佐藤栄作
法務大臣 - 小林武治(- 1971年2月8日)/秋田大助(自治相兼任)(1971年2月9日 - 同年2月16日)/植木庚子郎(1971年2月17日 -)
外務大臣 - 愛知揆一
大蔵大臣 - 福田赳夫
文部大臣 - 坂田道太
厚生大臣 - 内田常雄
農林大臣 - 倉石忠雄
通商産業大臣 - 宮澤喜一
運輸大臣 - 橋本登美三郎
郵政大臣 - 井出一太郎
労働大臣 - 野原正勝
建設大臣、近畿圏整備長官、中部圏開発整備長官、首都圏整備委員会委員長 - 根本龍太郎
自治大臣 - 秋田大助
内閣官房長官 - 保利茂
総理府総務長官 - 山中貞則
国家公安委員会委員長、行政管理庁長官 - 荒木万寿夫
北海道開発庁長官、科学技術庁長官 - 西田信一
防衛庁長官 - 中曽根康弘
経済企画庁長官 - 佐藤一郎
環境庁長官 - 山中貞則(総理府総務長官兼務)(1971年7月1日設置)
内閣法制局長官 - 高辻正己
内閣官房副長官(総務) - 木村俊夫
内閣官房副長官(事務) - 石岡実
総理府総務副長官(総務) - 湊徹郎(1970年1月20日 -)
総理府総務副長官(事務) - 岩倉規夫(1970年1月16日 - 1971年1月8日)/栗山廉平(1971年1月8日 -)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC3%E6%AC%A1%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%86%85%E9%96%A3 .
.
自衛官に、このような状況で話すのは悲しい・・・・・・・
なぜならば、私は自衛隊というものに、この日本の(聴取不能)と思ったからだ。
そもそも日本は、経済的繁栄にうつつを抜かして、すでに精神的空白状態に陥って、政治はただ謀略・自己保身だけ!
そこに出てくる体制は、何者に歪められたんだ!
そこで、それは日本でだ、ただ一つ日本人の魂を持っているのが自衛隊であるべきだ。
われわれは自衛隊に対して、日本人の根底に(聴取不能)・・・・・・・・
しかるにだ、われわれは自衛隊というものに(バカヤロー、やめろ)・・・・・・・・
静聴しろ、静聴! 静聴せい!
自衛隊には、日本の国軍たるべき裏に、日本の大本を正すということはないぞ、ということを、われわれが感じたからだ。
それは、日本の根本が歪んでるんだ!
日本の根本の歪みに気がつかない。
それからだ、この日本の歪みを正すのが自衛隊だ、それはいかなる手段においてだ! 静聴せーい!
そのためにわれわれは、自衛隊に教えを乞うたんだ!
(罵声が激しくなる)
静聴せいと言ってるのが分からんのか! 静聴せい! (英雄気取りになるんじゃないぞ)
しかるにだ、去年の10月の21日には何が起こったか。
去年の10月21日には、新宿で反戦デーのデモが行われて、これは完全に警察力で制圧されたんだ!
おれはあれを見た日に、それはいかんぞ、これで憲法は改正されない、と慨嘆したんだ!
(それがどうした!)
なぜか? それを言おう、なぜか?
それはだ、自民党というものがだ、自民党というものが、警察力でもって、いかなるデモも鎮圧できる、という自信を持ったからだ。
(110番だ、110番・・・・・)
治安出動は要らなくなったんだ! 少なくとも要らなくなったんだ!
少なくとも要らなくなったのが、すなわち、憲法改正は不可能になったんだ!
分かるか、この理屈が!
(分かんない、分かんない)
諸君は、去年の10・21からあとの、
諸君は、去年の10・21からあとだ!
もはや、憲法を守る軍隊になってしまったんだよ!
自衛隊が20年間、血と涙で待った憲法改正ってものの機会は無いんだよ!
もうそれは、政治的プログラムから外されたんだ! ついに外されたんだ、それは
どうしてそれに気がついてくれなかったんだ!
去年の10・21から1年間、俺は自衛隊が怒るのを待ってた!
もうこれで憲法改正のチャンスは無い! 自衛隊が国軍になる日は無い! 建軍の本義は無い!
それを私は最も嘆いていたんだ!
自衛隊にとって、建軍の本義とはなんだ!
日本を守ること!
日本を守るとはなんだ!
日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである・・・・・・・
(さらに罵声・野次が激しく)
おまえら聴けぇ! 聴けぇ! 静かにせい、静聴せい! 話を聴けぇ!
男一匹が、命を懸けて諸君に訴えてるんだぞ!
いいか! いいか!
.
それがだ、いま日本人がだ、ここでもって立ち上がらなければ、
自衛隊が立ち上がらなきゃ憲法改正ってものは無いんだよ!
諸君は永久にだねえ、ただ アメリカの軍隊になってしまうんだぞ
(バカヤロー!)
諸君の任務というものを説明する
アメリカからしか来ないんだ!
シビリアン・コントロール・・・・・・・・
シビリアン・コントロールに毒されてんだ!
シビリアン・コントロールというのはだな、新憲法下でこらえるのが、シビリアン・コントロールじゃないぞ!
・・・・・・・・・・・・・・・・・
そこでだ、俺は4年待ったんだよ、俺は4年待ったんだ、自衛隊が立ち上がる日を!
そうした自衛隊の・・・・・・・・
最後の30分に、
最後の30分に・・・・・・待ってるんだよ!
諸君は武士だろう
諸君は武士だろう
武士ならばだ、
自分を否定する憲法を、どうして守るんだ
どうして自分を否定する憲法にだね、
自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ
(大声の笑い)
これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ
諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に諸君が合憲の如く装っている。
自衛隊は違憲なんだよ!
自衛隊は違憲なんだ!
貴様たちも違憲だ!
憲法というものは、ついに自衛隊というものは、
憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ!
(降りてこい、降りてこい)
どうしてそこに諸君は気がつかんのだ!
俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ったんだ!
諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりに惑わされて、
本当に日本のために立ち上がるときは無いんだ!
(そのために我々の総監を傷つけたのは、どういうわけだ!)
抵抗したからだ
(抵抗とは何だ!)
憲法のために、日本を骨なしにした憲法に従ってきたということを知らないのか!
.
諸君の中に、一人でも俺と一緒に立つ奴はいないのか?
(バカヤロー、そんなのいるもんか!、それでも男か!、降りてこい)
一人もいないんだな?
よし!
武というものはだ、
刀というものはなんだ、
自分の使命に対して・・・・・
という言葉だ
それでも武士かぁ!
それでも武士か!
まだ諸君は憲法改正のために立ち上がらないと、見極めがついた!
これで、俺の自衛隊に対する夢は無くなったんだ!
それではここで、俺は、天皇陛下万歳を叫ぶ
(おい、降りろ!)
天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳! 天皇陛下万歳!
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( )は、自衛官の野次・罵声・怒号
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三島由紀夫 森田