日本は北朝鮮とおなじ?

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29名無しさん@お腹いっぱい。
マルクスは「すべてを疑え」といった

 マルクス主義についてもそうだが、この日本国憲法についても、すべてを疑ってかからないと永久に迷宮入りになるだろう。左翼陣営は
マルクス主義の宗教的呪縛力でがんじがらめにされているのであるから別であるが、醒めた正しい考えをもった人々まで、この日本国憲
法に関してはそこに何か動かし難い真理が蔵されているかの如く錯覚しているように私には見受けられる。
 その原因を私は考えてみた。そして発見した結論は、この憲法の中に「理想」を具現化した要素が多分に混入されているということである。
誤解してもらっては困るが、ここでいう「理想」とは「現実的でない」という意味である。この「理想」が日本人の判断を狂わせているのだと思
う。この「理想」とは夢にすぎないものであるが、しかし終戦直後の精神的虚妄状態にあった日本人に、この夢にすぎないものまでがかえっ
て感謝されたのかも知れない。しかし、これは本質的には大衆デマゴギーなのである。大衆心理を考えると、この「理想」が「非現実的」なも
のであってもこれを批判することはできないのだろう。またそうさせているのが「民主主義」というものの悪弊であろうと思う。あるいは日本の
良識ある人々でさえも自らこれを理想的なもの、最も高尚なものと知らず知らずに信じ込んでしまったのだろうか。
 私がここで言いたいのは、何よりも先ず日本人はこの憲法を疑ってかからなければならないということである。従来まで見てきた角度を捨
て、逆の角度からこれをもう一度観察することである。

日本の戦後占領体制はユダヤ人の君臨しないワイマール体制

 ワイマール憲法と日本国憲法は、そのイデオロギー性については全くといっていいほど同じものである。しかるにただ一点、ワイマール憲法
下のドイツと日本国憲法下の戦後日本とでは根本的に異なる点がある。それは、ワイマール憲法下のドイツは直接ユダヤ勢力が君臨するも
のであったということである。日本にはユダヤ人は存在しない。ワイマール体制というのは、少数民族たるユダヤ人が権力を初めて握った時代
であるということである。一方、戦後日本では一時期占領軍(これを事実上支配していたのはユダヤ勢力──もっとはっきりいえばニューディー
ル派)というものがオールマイティであったが、これは日本国内に永久に存在する勢力ではない、いわば国際的ユダヤ勢力である。占領が終わ
れば、引き上げざるを得ない。そこにケーディス以下の焦慮があったわけである。
 だが現実には自分達は引き揚げても、己のエピゴーネン(亜流、継承者)を養成して残していった。それが日本共産党である。このエピゴーネ
ンは真に忠実に主人のために働き、戦後30余年たった今日でもケーディスの心配を吹き飛ばすかの如く日本国憲法には一指だに触れさせて
いないのである。