日本は北朝鮮とおなじ?

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27モルデカイ・モーゼ
 しかしプロイスは、ここでちょっと色気を出した。それは、ユダヤ民族の反撃戦のプログラムの要蹄ともいうべき要素の指示
するところを盛り込んでしまったのである。それは簡単にいえば、19世紀のプログラムであるマルクス主義から一歩飛躍した
闘争方針の要蹄を指示するものといえよう。その一歩飛躍した闘争方針というのは、マルクス主義が経済的闘争の道具であ
るのに対して、これは神経戦、心理戦を主とした闘争の道具とするものといえよう。簡単にいうと、「人間の純度」を落とすこと
を狙いとしたものである。人間を闘争本能まるだしの動物的なものに回帰させるのを目的とするものであり、それにより既存の
国家を内部から崩壊させようとするものである。それに対しては後にゲッベルス宣伝相がドイツ国民に警告する文書を公布し
ている。
 この計画の手段となるのが、フランス革命の時用いた「自由」「平等」である。「自由」「平等」のスローガンは、またもや役に立
つことになったのである。ただし、今回はフランス革命当時の如き、素朴に「自由が欲しい」、「平等が欲しい」といったものでは
ない。この違いは、18世紀の未成熟社会と20世紀のドイツの如き成熟社会との差によって生じる。成熟社会における「自由」
「平等」は調和を崩し、国内を収束のつかない混乱に導くものである。さらに「自由」と「平等」の2つの概念の非両立性によりそ
の矛盾、混乱は幾何級数的に増大する。
 我々ユダヤ人は「自由」「平等」という言葉の裏にかくも恐ろしき毒素を含んでいたことをはっきり知らなかったのである。全く頭
が悪いといわれても仕方がない。プロイスは、これをワイマール憲法に盛り込んでしまったのであった。これはまさしく、教条主
義的態度であったといえよう。
 ワイマール体制というのは、すでに自分達ユダヤ人がとにもかくにもレーテ(権力)を握っているのである。自分達が直接君臨し
ている国家では、敵(非ユダヤ人)に国家を突き上げる「自由」「平等」を吹き込むことは、上を向いてツバするが如き自己撞着で
あるはずである。つまり、自分達の政府の下で「自由」「平等」をかざして突き上げが起こっては、困るのは当然ではないか。しか
るに、プロイスはこれを盛り込んでしまった。これは信じ難いほど頭が悪いといわねばならないだろう。

さて問題は、これに対するドイツ国民の反応である


ワイマール憲法がナチズムを生む


このワイマール憲法に対する闘争として起こったのが、他ならぬナチズムである。

 本来なら、ドイツ国民は内部分裂によって、その突き上げでワイマール政府を倒すことになるはずである。しかるに、ドイツ国民の
反応はそれとは正反対に、完全無比な国民的統合の精神によってそのワイマール体制を倒したのである。何故こうなったのか。賢
明なドイツ国民は、真理に背くものを看破する能力をもっていたということである。「自由」と「平等」は非両立性をもつ概念である。そ
の点をドイツ国民が見抜いた結果起こったのが、ナチズムなのである。
 有斐閣発行の六法全書には日本国憲法の前頁にアメリカ独立宣言の一部が載せられており、これをフィルターにして日本国憲法
を考えよといわぬばかりである。あるいは編者達も、感性的認識ながら日本国憲法のルーツを感づいているのかも知れない。しかし、
漠然とした認識では本質を極めることは困難かと思われる。
 18世紀の大西洋革命(アメリカの独立とフランス革命を合わせたもの)の時代の「自由」「平等」の相反するスローガンが基本概念
として日本国憲法の真理にそむく本質の根源を見究める上で大なる力となることはもちろんだが、直接的にはワイマール憲法にメス
を入れることが不可欠と思われる。しかるに、このワイマール憲法に関する研究は日本では非常に少なく、また日本国憲法との比較
研究が全くといっていいくらいお目にかかれないのは、一体どうしたことだろうか。

それにはやはり理由があるようである。