日本は北朝鮮とおなじ?

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19モルデカイ・モーゼ
第2章:二元論的思考法──典型的なユダヤ的思考パターン

なぜか語られない二元論的思考パターン

最近、若い同胞が一人前の顔をして能書きをたらたらたれているようである。その大部分は、
ユダヤ的思考法をすべからく日本人たるもの学べ、といったもののようである。私はこの恥知
らずな若い同胞のことを考えると、全く穴があれば入りたい心境である。彼らは日本についてあ
まりにも無知であるのみならず、ユダヤ思想のなんたるかについても全く教育されていないので
ある。だからこそ、かくの如き恥さらしが平気でできるのであろうが。

彼らが決して触れないものに、二元論的思考パターンというものがある。

この思考法を知らないなら、もはやユダヤ人とも呼べないだろう。そのくらい大切な思考法が、こ
れから述べる二元論的思考パターンなのである。現在、日本に限らないが、我々のあらゆる面に
おける思考パターンの典型として支配的要素となっているのが、この二元論的思考法なのである。

直接、間接を問わず、この思考パターンはユダヤ教の思想から来たものであるということを知って
いただきたいのである。

現在まで日本人は日常のあらゆる面でこの二元論にはまっているのであるが、残念なことに、ほと
んどそれを意識していないのではないかと思われてならない。

ユダヤ人の思考法で最も基本的なものに、二元論と呼ばれるものがある。論理学的には二値論理
といわれるものである。ユダヤ人は両建て主義ということが多いようである。

この二元論というのは、絶対に相容れない両極端の対応物を設定することから始まる。しかも宗教民
族らしく、この二元論は多くの場合、倫理的要素が混入されているのである。したがってこの二元論は、
善悪二元論、時によっては明暗二元論など、いろいろいわれよう。

○×式思考法はユダヤ人が作った

戦後、教育界に最初に持ち込まれたものに、○×式思考法がある。この思考法も見て分る通り、二元論
の典型的なものである。これを最初に社会に持ち込んだのはルーズベルト政府、つまり、ニューディーラ
ーである。1941年、アメリカが第二次世界大戦に突入した結果、国家総動員ともいうべき戦時体制に飛
び込んだのをチャンスに、ルーズベルトはまず教育界というより一般産業界に持ち込んだのであった。

産業界では、戦時体制生産のため労働力の飛躍的増強が要求された。そこで大量の労働者、技術者の
募集が始まった。その際これら労働者、技術者その他の採用試験には従来の如き主観に基づく要素の
多い問題形式では間尺に合わない。採点作業のスピード化のため、思い切った客観法に基づく採点方法
が焦眉の急であるというのが、この○×式を持ち出す時の理由づけであった。
教育界へ本格的に持ち込まれたのは、日本が最初である。戦後の日本の教育界にとっては、アメリカの
産業界の緊急動員体制時の如き採点のスピード化といったことは、理由にはならないはずである。そこで
つけた理屈が、主観主義の排除ということであった。つまり、科学的、客観的ということである。
しかし、その裏に創造的能力を奪うという大きな問題点を含んでいることは、何故か表面には出なかった。
この点は、最近のアメリカ教育界で大問題になりつつある。アメリカの教育界でも、この○×式試験が大手
を振ってまかり通っているのである。
日本でも戦後一時期、大学受験生に進学適性検査、通称進適といわれるものを実施していたが、現在のア
メリカでは「全米共通進学適性試験」=SATといわれるものが1947年から実施されている。この○×式を標
準化テストと称している。そして全米共通という標準性と比較の単純性、能力の客観的評価の正確性に秀でて
いると理由づけられている。
これに対してこの○×式に批判的な人々は、創造的才能をもつ者に不利だと急所をついている。5つの答の中
から選ぶとすれば確率はすでに5分の1であり、目をつぶってやっても5問に1問は当たる。これを科学的という
のだろうか。さらに問題は、設定された答の中からしか答を出せないことである。そこに設定されたものが全てと
考えることは創造的才能をもつものにとってはこの上ないつらいことである。
また、これだけの手段で人間本来の才能、判断力、リーダーシップ、組織力、表現力、意志の強靭性などが正
確にはじき出されると信じることができようか。