日本は北朝鮮とおなじ?

このエントリーをはてなブックマークに追加
16モルデカイ・モーゼ
さて現在のユダヤ人社会では、戦前の日本にあったようなすばらしいものではないにせよ、
家族制度というものは固持されている。恐らく世界一のものではなかろうか。

親と子は、多くの場合同居している。これは決して住宅難のせいではないのである。子は、
年老いた親の面倒をよくみるのである。特に親孝行という言葉はもっていないが、将来でき
るかも知れない。また、親類づきあいも密である。安息日にはたいてい、どこかの親類と家
庭で交わるのを普通とする。我々は戦前の日本の家族制度を見習いたいのである。

ユダヤ人は、福祉ということはあまり考えない。これは家族制度のアンチテーゼだからである。
福祉とはただ食わせるだけといえるかも知れない。老人ホームに例をとると、そこでの老人に
保証されているのは餓死しないということだけである。生き甲斐というものは何も保証されてい
ない。然るに家族制度の枠内の老人は子の成長、孫の成長を楽しむという生き甲斐をもつこと
ができる。どちらがいいかは、議論の外であろう。

日本では戦後、ニューディール派の改革で姦通罪というものが外されてしまった。これも家庭の
不和を増長させる重大な要素であると考えられ、家族制度の破壊を狙ったのものであると私は考
える。ユダヤ人の社会では、現在でも姦通ということはまずあり得ないのである。十戒において厳
に禁ぜられているからである。

外国の例を見ると、やはりロシア革命後の婦人国有化政策を上げねばなるまい。

レーニンは「家庭は利己主義の砦である」といって、婦人を全部社会へ出してしまった。現在のソ
連で依然として女性が男性と同じ肉体労働までしているのは、その名残なのである。別章で説明
するが、日本人の皆様には驚きかも知れないが、レーニンはユダヤ人なのである。

女性の社会への進出というとなにか進んだ制度の如く感じるかも知れないが、家族制度という観点
から見た場合、これもやはり崩壊へ導く要因であるようである。このへんのところは日本国憲法の内
容と密接な関係があるので、そちらでまた述べることにする。

義理人情は世界に類なき美徳

次に我々ユダヤ人が是非学びたいと思うことに、日本の戦前にあった義理人情という美徳がある。武士
の国日本では、他民族では絶対にもちえない繊細な心の機微というものがあった。本能的な西洋人には
想像もつかない深遠な人間性の発露である。私は、この義理人情が究極点として天皇制に到達するもの
と考えている。

私の大好きなものの一つに大相撲があるが、ときどき「こんちわ相撲」ということを聞かされる。これを八百
長相撲と表現する人もある。しかし私は、この表現は正しくないと思う。「貸し借り相撲」ともいわれる。この
言葉はどちらともとれる言葉だが、「八百長」よりはましだと思う。つまるところ、日本の大相撲のそれは根
本において義理人情から発しているものだという点を理解するまでに、私は相当の日月を要したのである。

武士道的義理人情から発したものであったため、戦前ではこの「こんちわ相撲」のことは角界以外には決し
て知られていなかったものである。つまり、マスコミの好餌となる材料ではなかったわけである。義理人情か
ら出た結果なら、戦前の日本人なら決してそれを追及せず、そっとしておいてやる雅量をもっていたと思われ
る。しかるに戦後、特に義理人情がほとんど失われた今日では、単純に汚い八百長と同次元に考えられるこ
とのほうが多いようである。

ユダヤ人の社会には、日本ほどの義理人情というものは存在しない。しかし、同胞相助け合うという精神では
日本の義理人情には及ばないものの、ある程度のものはもっている。少なくとも、欧米人よりは優れたものを
もっていると思う。ユダヤ人はよく「感動の民族」だといわれる。これはビジネスにおいてもそうである。ふだん
がめついと思われているユダヤ人でも、ちょっとした「感動」により時には利害を忘却したのではないかと思わ
れるようなことがある。

決して恩に着せるわけではないが、この点に関する格好の例として我々ユダヤ人が自慢できるものがある。
それは日露戦争の時、クーン・ローブ商会のヤコブ・シフが高橋是清と会って外債を引き受けたことである。