なぜ日本は戦争に弱いのか?

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98三蔵法師玄奘
 観音菩薩が、深遠な知恵を完成するための実践をされている
時、人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本質的
なものではないと見極めて、すべての苦しみを取り除かれたの
である。そして舎利子に向かい、次のように述べた。
 舎利子よ、形あるものは実体がないことと同じことであり、実体
がないからこそ一時的な形あるものとして存在するものである。
したがって、形あるものはそのままで実体なきものであり、実体
がないことがそのまま形あるものとなっているのだ。残りの、心
の四つの働きの場合も、まったく同じことなのである。
 舎利子よ、この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がな
い、という性質があるから、もともと、生じたということもなく、滅し
たということもなく、よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、
増えることもなく、減ることもないのである。したがって、実体がな
いということの中には、形あるものはなく、感覚も念想も意志も知
識もないし、眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もないし、形
・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞれの器官に対する
対象もないし、それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる
分野もないのである。さらに、悟りに対する無知もないし、無知が
なくなることもない、ということからはじまって、ついには老と死もな
く老と死がなくなることもないことになる。苦しみも、その原因も、そ
れをなくすことも、そしてその方法もない。知ることもなければ、得
ることもない。かくて、得ることもないのだから、悟りを求めている
者は、知恵の完成に住する。かくて心には何のさまたげもなく、さ
またげがないから恐れがなく、あらゆる誤った考え方から遠く離れ
ているので、永遠にしずかな境地に安住しているのである。
 過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたものたち”は知恵を完
成することによっているので、この上なき悟りを得るのである。した
がって次のように知るがよい。知恵の完成こそが偉大な真言であ
り、悟りのための真言であり、この上なき真言であり、比較するも
のがない真言なのである。これこそが、あらゆる苦しみを除き、真
実そのものであって虚妄ではないのである、と。
 そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。すなわち次のよう
な真言である。

往き往きて、彼岸に往き、
完全に彼岸に到達した者こそ、
悟りそのものである。
めでたし。

知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける経典。

三蔵法師玄奘訳 般若心経より