1 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2009/10/12(月) 13:09:59 ID:Ddmjq8e1
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/12(月) 13:19:30 ID:Ddmjq8e1
議事録には次のようなイーカーの言葉が引用されている。
「日本にたいし航空兵力のみの使用を主張する者はきわめて重大な事実を見過ごして
います。それはつまり、航空機のみが敵と対決するときは、航空兵の死傷者数は決して
低下しないという事実です。現在の航空兵の死傷者数は一度の任務につきおよそ二パー
セントであり、一月当たりでは約三〇パーセントです」イーカーは続けた。
「時期を逸すれば、敵が有利になるだけです」
「日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌」(T・アレン&N・ボーマー著)
http://www.endusmilitarism.org/casualty_projections_Giangreco.html "GENERAL EAKER said that he agreed completely with the statements
made by General Marshall in his digest of the memorandum prepared
for the President. He had just received a cable in which General
Arnold also <page 559> expressed complete agreement. He stated
that any blockade of Honshu was completely dependent upon airdromes
on Kyushu; that the air plan contemplated employment of 40 groups
of heavy bombers against Japan and that these could not be deployed
without the use of airfields on Kyushu. He said that those who
advocated the use against Japan of air power alone overlooked the
very impressive fact that air casualties are always much heavier
when the air faces the enemy alone and that these casualties never
fail to drop as soon as the ground forces come in. Present air
casualties are averaging 2 percent per mission, about 30 percent
per month. He wished to point out and to emphasize that delay
favored only the enemy and he urged that there be no delay.
>現在の航空兵の死傷者数は一度の任務につきおよそ二パー
>セントであり、一月当たりでは約三〇パーセントです
34機のB-29を失った
34機のB-29を失った
34機のB-29を失った
正真正銘のB-29です。尾翌の番号から、機体製造番号は、45-21739で、
米国のB-29関連のHPに記載の番号と同じでした。展示説明板には、
ハングルの他に英文で次ぎのように説明していました。
『世界的に有名なB-29は、第二次世界大戦と韓国戦争の3年間を通して
任務を果たした。韓国戦争でのB-29は、延べ22,983機出撃し、197,000
tonの爆弾を投下した。しかし、34機のB-29を失った。
この超空の要塞は、18個に分解され、1972年3月にカリフォルニアの
チャイナレイクからソウルへ輸送した。そのB-29は韓国空軍によって
再組み立てされ、そして、1972年8月以来Yoid Museumに展示された。』
http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.trip/trip.korea.html 10.韓国B-29の旅 ソウルのハムとB-29を訪ねて(2002.11/16〜11/19)
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/12(月) 13:25:00 ID:Ddmjq8e1
>韓国戦争でのB-29は、延べ22,983機出撃し、197,000
>tonの爆弾を投下した。しかし、34機のB-29を失った。
COMBINED SUMMARY OF 20TH AIR FORCE & 9TH GROUP OPERATIONS
20TH AIR FORCE 9TH BOMB GROUPC
From June 5, 1944 on From February 9, 1945 on
Missions 380 75
Sorties
Combat 31,387 1843
Other 1,617 169
Total 33,004 2012
Bomb and
mine tonnage 171,060 11,376
B-29 losses
Combat losses 494 14 + 5 non-combat
Training losses in U.S. 260 1
Air crew losses
Killed 576 26 + 1 ground crewman
Missing 2,406 96 (12 repatriated)
Wounded or injured 433 30
http://www.9thbombgrouphistory.org/Chapters/Chapter_07.pdf
2!
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/12(月) 22:59:33 ID:qlrkX+Iv
>>3 朝鮮戦争の中朝軍と比べたら、旧軍の対空火力は10倍以上はあるよな。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/12(月) 23:07:17 ID:teWTcbQ/
単純に、落ちる前に飛行場へ胴着できる近距離だった朝鮮戦争と、 少々の被弾でも、長い復路で落ちることもある太平洋戦争の違いじゃね? 統計のマジックだと思うが。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/12(月) 23:16:07 ID:qlrkX+Iv
>落ちる前に飛行場へ胴着できる近距離だった朝鮮戦争
当時の米第八軍司命官リッジウェイ大将は本国帰還後、回想の中で、「日本におけるPD調達による
車輌修理および再生役務の実績なかりせば、朝鮮事変は三ヵ月間も維持できなかったであろう」
とのべている。<原注24> 朝鮮戦争で日本が果たさせられた役割りがいかに大きいものであったかは
この一語をもってしても明らかである。
ttp://www.oct.zaq.ne.jp/afalv507/heiwa1.htm ○林(百)委員 そうすると、朝鮮事変か擴大されても、六百五十億以上の費用は持たないという、
いかに擴大してもこれ以上日本は費用は持たないという答弁と私は解釈しますが、それでいいかどうか。
その点とそれからもう一つ、実は本日の新聞にも出ておるところでありますが、国防分担金にからまりまして、
米軍が最近発注する兵器が工場渡しになつておつて、米軍の照明弾二百二十九万四千発、ナパーム爆弾用
タンク十万二千個大阪機工へ注文しておる八十一ミリ迫撃砲四百八十九門、小松製作所及び大阪金属両社の
同砲弾六十二万五千四百発、豊和工業の銃身三千百九十ちよう、迫撃砲弾三十六万三千発、照明彈三万二千発
の入札が在日米軍の調達本部で行われて、
ttp://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/013/0082/01306140082034a.html >少々の被弾でも、長い復路で落ちることもある太平洋戦争
マッターホーンにより、中国・成都に前線基地が建設されるはこびとなり、インド・カラグプルに
B−29専用基地とその大規模な兵站支援施設が設置された。米国の膨大な資金と約四〇万の中国人
労働者をつぎ込んで、一九四四年五月までに成都地域の四ヶ所にB−29専用基地が造られると共に、
爆撃機の飛行場を保護する戦闘機用基地が数箇所に建設された。それらの基地まで、数千の支援要員
となる技術者、兵器係、コック、倉庫管理係に加え、予備部品(交換用エンジンも含む)、爆弾、食料、
燃料を運ぶ必要があった。中国の基地から一〇〇機のB−29による攻撃を実施するには、およそ二三〇〇トン
の物資を運び入れるほかに、肝心の爆撃機をインドの後方基地から中国まで飛ばす必要もあった。
<中略>
一九四四年末までに、蒋介石はもはや有力な盟友と見られなくなっていた。日本軍は中国東部での攻勢で
さらに八省を手に入れ、さらに一億人の中国人が日本の支配下に置かれ、米軍飛行基地は放棄のやむなきにいたり、
中国の東海岸は封鎖された。帰還命令を受ける直前の十月四日、スティルウェルは日記に書きつけた。
「陸軍省が私に味方しているのは明らかだが、この戦域は無価値とみなされ、われわれは何も期待されていない」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 / トーマス・アレン/著 ノーマン・ポーマー/著 栗山洋児/訳 >
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/13(火) 00:16:12 ID:zWh6Bkyp
ハイオクと質の良いプラグがあれば、もう少し活躍できたのにね
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/13(火) 03:50:16 ID:W92Mzcug
ハイオク云々よりもオイルの問題じゃないかな?
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/13(火) 04:26:37 ID:agoaGNQy
>>7 ソースだけ張られても、どういう意図か説明しないと伝わらんが?
B-29は主要基地であるテニアンから往復4000km程度飛んでるし、
硫黄島が落ちるまで戦闘機の援護も受けていない。
(4月から漸くP-51の随伴&緊急時の着陸場所として機能。作戦損失も5%→1%へ減少)
朝鮮戦争時は福岡や沖縄から飛ぶ訳だが、往復で1000〜2000程度しかない。
MIGが出てくるまでは、圧倒的な航空優勢を確保していたし。
また韓国内の緊急飛行場へ着陸できた機体は、作戦中の損失としてはカウントされない。
(スクラップであっても)
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/13(火) 07:19:18 ID:mxWJadev
>10 中朝軍のB-29撃墜率は、旧軍の十分の一以下。旧軍の対空火力もさることながら、 朝鮮戦争にしても基地機能を果たすだけの工業基盤が戦前から磐石だった。 逆に工業基盤の無い中国に航空基地など建設しても役には立たない。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/13(火) 08:50:48 ID:hJOyb+mi
疾風はあの状況じゃ、最後の切り札だったんだし、P-51と互角に渡りあえるのも疾風以外には当時なかったんだから力も入るわな 紫電改厨が湧きそうだが紫電改がどんなに優秀だろうが、結局F4FやF6グラマン相手が限界だった事を考えると 疾風が本土決戦機としてふさわしく、期待され、その結果短期間にあれだけの数が生産されたんだよ
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/13(火) 13:40:56 ID:TkMqOPvv
つ五式戦闘機
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/13(火) 16:44:06 ID:S9Qzuc5j
なんにしても朝鮮戦争の中朝軍と比べれば、旧軍の対空戦力は圧倒的に強い
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/14(水) 07:28:23 ID:HBC12Jdw
戦略爆撃調査団の報告には、昭和18年においても三菱、中島の工場は世界でトップの水準にあったそうで、 本来、その時期までに年間生産機数は3倍くらいあってもおかしくなかった。 さらに、烈風までもおりこんで系統生産していれば爆撃は中止になっていてもおかしくなかった。 ただ、日本の弱点はオクタン価の低い航空ガソリンを使っていたので、エンジンの性能を発揮できなかった。 また高高度に達する時間が40分から1時間と掛かるため、爆撃隊と会敵できずに終わることも多かった。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/14(水) 18:40:54 ID:zEcQCKrS
5式戦闘機も優秀だが、終戦間際の4ヶ月で400機。 同期間で比較しても、4式戦闘機に及ばない。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/14(水) 18:52:32 ID:GU0/ySW2
いくら積み木を集めても集めるだけでは意味ないのにな。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/14(水) 18:53:46 ID:5dd2Nm/C
戦略爆撃調査団の報告を持ち出すなら、結論である「戦略爆撃の効果の薄さ」を理解しろよw (潜水艦による海上封鎖が一番の効果的な訳で) キ-100はあくまで首無しキ-61Uに対する応急的な戦力化であって、正式化されたわけじゃない。 五式戦wなにそれ、おいしいの? ぶっちゃけあんな中途半端な機体を作る意味は、本来無い (なんでもいいから飛ばせる機体を増やしたい国以外はw)
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/14(水) 19:42:08 ID:zEcQCKrS
>結論である「戦略爆撃の効果の薄さ」 爆撃なんて防空壕堀っとけばいくらでも対抗できるから。 硫黄島や沖縄で証明済み。ただし飛行機や戦車や軍艦は使えなくなる。 20年後のベトナム戦争では爆撃精度は遥かに向上してるにも関わらず、 戦略爆撃だけで勝利は得られず、苦手な白兵戦は専ら韓国軍頼み。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/14(水) 19:58:02 ID:5dd2Nm/C
まあ戦略爆撃は、相手国の社会構造や地政にもって効果が変わる、としか言えんが。 (碌な産業の無い産油国とかの第三世界諸国と、高度に集約化された先進国とでは耐久性が違う) ナムの件は、聖域や周辺国の支援とかの政治的な制限がでかいと思うが。
21 :
823 :2009/10/15(木) 07:38:32 ID:PUGLt5P7
良スレw
>>18 性能の中途半端さはともかく、「何とか米軍機と戦える機体」で量産が効いた五式は消耗戦であれば有り難い戦力であり、必要とされていた物ではないか?。
あの場合は「優秀な三式戦の改良型の亡霊」というブランドと「新鋭機」という存在自体に意味があったと思える。
まあ本来なら空冷エンジン載せ換えという妥協点ではなく、エンジンの改良を優先すべきでしょうがw
震電こそ最強! 根拠は全く無い!
五式戦は空冷エンジンに載せ換えたことによって、機首が太くなり空力的には不利になった。 しかし300kgもの重量低減によって、運動性や上昇力は飛躍的に良くなり、飛燕譲りの頑丈さで急降下速度は 天下一品、P-51とも互角に戦える性能(と言うより、相性の良さ)を持った。 もちろんハ-112エンジンの信頼性も、液冷エンジンよりはずっとマシ。
>>15 烈風(局戦型)は地震で三菱の工場が壊滅しなければ、
もう半年から1年早く生産できたらしい。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/16(金) 01:08:18 ID:cERdYWHG
>24 社会主義的って、具体的に何を指してるの?
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/16(金) 21:02:05 ID:zZJCqbHm
元々生産余力がある中で、増産すべき状態にしていなかっただけ。 力を入れたのが遅すぎ。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/16(金) 22:13:08 ID:F75zv9ds
>>21 三式のどこが優秀なんだ?
決定的に馬力不足&低稼働率。
3式装備の戦隊なんて、数回の戦闘で大損害受けて壊滅しかしてないし。
完全な失敗作で、高高度戦闘機としてのU型以外は、まったく評価されてない機体だぞ?
>>28 「(大戦前半までなら)優秀な(軽戦(?)だった)三式戦(ただし稼働機のみ)」と言うニュアンスで使っただけ。
さすがに軽戦から重戦までの繋ぎの機体にそこまで「優秀」という評価はしてないしあり得ないw。
紛らわしくてスマンw
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/17(土) 02:05:09 ID:I2s8YDSN
飛行特性が米軍機よりで、且つ低性能だからな・・・ 飛燕よか隼3型のほうがましかな(飛行特性が違うだけ、まだやりやすい)
後知恵ついでに、 メッサーシュミットに心酔した三式戦闘機よりも フォッケウルフの導入が良かったんではないか? 試験部隊では好評だったらしい。 陸軍海軍ダブル契約の愚もある。 『今次大戦期間において、帝国は空冷発動機の開発運用に専念すべし』とか?
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/18(日) 00:16:38 ID:cnIHAfiX
>>25 海軍の誉エンジンの押し付けが問題
ゼロ戦のエンジンも早めに金星に切り替えるべきだった
どうも軍の指示は後手後手
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/18(日) 00:19:21 ID:at5QD7Jr
まぁ、そこまで言ったら、 陸軍海軍の体質まで語る必要があるがね。 現場の具申を一蹴して、ガドー級1タイプのみ潜水艦を バカスカ就役させた米海軍の、何たる非情と合理主義。 トイレの位置も替えなかったらしい。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/18(日) 00:26:42 ID:cnIHAfiX
彗星も液冷から空冷に アメリカが生産性を重視したのに 日本は各メーカーのバランスを重要視 軍はメーカーの成長と保護に気を配った? 推測だが、癒着があったのではないかと ゼロ戦に中島栄エンジンを最後まで使うとは設計者も唖然だったとか
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/18(日) 00:39:49 ID:at5QD7Jr
実のところ、戦争経験の差なんだよね。 国民の安全と国益を守るか? どこにどれだけ集約するか? 守ってるつもりが、メーカーの利益に気を配り 最後は熟練工まで徴兵して粗悪品ばかり。 現状の自衛隊も、多方針非合理主義だよ。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/18(日) 13:17:53 ID:TeWvxrQU
極論言うなら陸軍は隼を作らずに零戦を採用すれば良かったんだよ。 元々は97戦より足の長い戦闘機が欲しかったんだから。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/18(日) 18:12:03 ID:cnIHAfiX
それを言い出したら97戦じゃなくて海軍96戦を採用すれば良かった と言うかあの時代に海軍と陸軍でいがみあい空軍を創設できない政治に問題ありかな
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/18(日) 22:18:02 ID:TeWvxrQU
>>37 重慶など中国奥地への作戦では、96艦戦でも航続距離が不足で護衛できなかった。
陸軍の97重爆は航続距離が2,400kmだから、96艦戦でもずっと護衛して行くのはムリ。
96艦戦の航続距離は1,200km、零戦21型は3,350km(増槽付き)、隼2型は3,000km(増槽付き)・・・wikiより
もちろん空中戦をやれば燃料消費は爆発的に増えるが。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/18(日) 22:26:36 ID:cnIHAfiX
>>38 俺が言いたいのは海軍に良い戦闘機があっても陸軍は意地でも
それを使用しないと言う事
この問題を解決しない限り陸軍がゼロ戦を採用するなんて無理
>>33 戦車なんてもっと強烈M4がどれだけやられても
ヤラレタラもっと送ればよろしい
重戦車は運ぶのメンドイからダメ
だからなw
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/18(日) 23:03:42 ID:E6uHumZc
>>39 せめて銃砲と弾薬は同口径なら共有するべきだったよな。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/18(日) 23:17:04 ID:G5fIN7UM
>>39 あのー雷電は陸も導入する気マンマンだったんですけど?
84までの繋ぎでさ、期待してた61は糞だったしな。
>>32 44弄る→せっかく大馬力発動機積むなら、機体も全面改修(つか新型w)だろjk→84
零戦みたいな先が見えてる機体弄るより、完全な新型機(雷電)の方がいいだろjk
雷電がモノにならなかったから非難されてるだけで、84みたいに上手くいってれば、誰も文句言わないよw結果論だろ。
もし金星零戦作ってれば、逆の非難しただろうな(先の見えてる機体を弄って無為に時間を費やした!新型機があればry)
そも三菱は仕事抱えすぎてるし、金星は他の機種への割り当てがあるから厳しいしな。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/18(日) 23:30:33 ID:cnIHAfiX
>>41 同意、戦時中わざわざ潜水艦でマウザー輸入する必要あったのかと思う
ゼロ戦の20ミリ欲しくても
陸軍は絶対に海軍に頭を下げない
>>42 >雷電は陸も導入する気マンマンだったんですけど
初めて知ったよ
と言うかB29が爆弾落としてる時じゃないですよねw
ゼロ戦と雷電を比べるのは間違いでは?
鍾馗と比べるなら話は分かるが
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/18(日) 23:55:37 ID:G5fIN7UM
>>43 エリコンFFは零戦に回すだけで手一杯だったんだが…
あのさ、もともと零戦は「艦戦」でしょ
96艦戦の後継機であって、そもそもそんな大量生産する予定じゃなかったんだよ
(当初は1000機位の予定だった)
海軍航空隊は日中戦争の頃から、陸上航空戦力の増強に励んでるし、地域爆撃も行ってる。
こういう件から海軍航空の空軍化とか有名な話でしょ?海上航空戦力は主力じゃないのよ。
雷電は海軍のみならず、後継機に悩んでいた陸軍からも期待されてた重要な期待だったんだよ。
これだけ期待されてた雷電が予定性能は出ないは、トラブル対処で投入遅れるわで、しかたなく
零戦を強化して使ってただけだからな。
陸戦としては、零戦は雷電が出てくるまでの繋ぎの予定でしかなかったのよ。
(堀越も海軍から17年に、零戦へ金星搭載打診されたけど、断ったしね)
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/20(火) 00:14:08 ID:hxd81Ucg
>>44 >海軍航空の空軍化とか有名な話でしょ?
これも初めて聞いたわ
陸軍が疾風やその他の航空機を海軍主体の空軍に譲るとは思えん
>零戦は雷電が出てくるまでの繋ぎの
これも初めて聞いた
雷電がダメなら鍾馗でいいでしょ
と言うか雷電はインターセプターなので鍾馗と同じで太平洋戦争では
主力にはなれない。
堀越はゼロ戦には金星エンジンを付けたかったが、17年に断ったのは
雷電で忙しかったか、過労の為の体調不良が原因だったと思う
19年7月に堀越が自発的に金星への切替を提案したが拒否されている。
君の好きな雷電なんか開発するより陸軍に頭下げて鍾馗を使用すればよかった。
対B-29では雷電は良かったが、その為に主力のゼロ戦の性能向上が遅れた事は
大局からみると失敗
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/20(火) 02:06:02 ID:dpbigS8a
きちんと液冷エンジンが整備できてRRマーリンやグリフォンが ライセンスできていればどんな日本の戦闘機ができてただろうか? けっこうよさげなのができそうだよね。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/20(火) 02:29:09 ID:YYxHxsfV
>これも初めて聞いたわ
>陸軍が疾風やその他の航空機を海軍主体の空軍に譲るとは思えん
海軍航空の空軍化、って言えば通じるのかな?
中攻以降、空母よか陸上航空が主力になり、陸海に縛られない(本質的には「空軍」の任務である)
戦略爆撃たる地域爆撃もこなしてるから言われるんだが。
陸軍も別に海軍航空と完全に共同しよう、って訳じゃなくて、84が実戦部隊に行き渡るまでの
繋ぎとして使いたがっただけのこと(44や61は使えんし)67だって使われてるだろ?
※ただ陸海軍で共同制作の動きがあったのは事実。お互いの意見をすり合わせて性能標準定めてもいるし。
>堀越はゼロ戦には金星エンジンを付けたかったが
零戦の改良より雷電の試作ほうが急務だった
>19年7月に堀越が自発的に金星への切替を提案したが拒否されている
今更金星零戦なんてw意味無いじゃん。
>君の好きな雷電
いや、別に好きじゃないしw 不恰好だし、どっちかてーと嫌いだわw
ただ個人的好悪と史実をごっちゃにしないだけだよ。
海軍が最も欲していたのは重戦・陸戦であって、零戦じゃないのよ
(主力である陸上で、艦戦使う意味無し=艦上機の制限を受けない機体を作れる)
先が見えてる零戦改良するより、大馬力発動機を発展性の見込める新型に移行するのがオーソドックスでしょ?
海軍も普通にそうしただけの話。(君の論で行くと、零戦すら不要だね。96艦戦改良すればいいだけの話になるが)
ただ結果的には雷電がこけて、本来限定生産の予定だった零戦が使われ続けただけの話だよ。
ここの所を理解してないと「実質的に主力になってしまった零戦」を「本命」と勘違いしちゃうわけだ。
君の言う「零戦をもっと強化してれば!」てのは唯の結果論に過ぎんのよ。
42でも述べたが、もし史実がそうだった場合「何で雷電を!」になるだろうねwもうちょっと本読もうぜ?
あと、しょっぼい44使うのはありえねーわ
一応雷電wiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B7%E9%9B%BB_ (%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/20(火) 02:46:13 ID:YYxHxsfV
技術的冒険をしないで、手堅くまとめるor挑戦して、壁を超える どっちも正しいのよ。 ただ当時は数年で航空機の性能が懸絶してた時期だから、後進国である日本が 手堅くまとめると、世界標準からみると「駄作」になってしまう可能性が高い。 96も零戦も、当時の日本航空技術の冒険によって生まれた機体だし 雷電がモノに成らなかったのを一概に責める事は出来ないよ。 -壁を越えるのと、手堅くまとめるのと、両方やらなくちゃいけないのが辛い所だな… (両方うまくやるにはリソース足りてないが)
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/20(火) 03:20:06 ID:YYxHxsfV
>>46 一番大事なエンジンだけじゃなく、ペラやピッチもないとねー
戦争は会議室で云々…
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/20(火) 05:55:58 ID:YYxHxsfV
現場(実戦部隊)の意見が常に正しいわけじゃない。 航空行政や性能標準とか、上の視点から見るのも大事。 一例:現場は96艦戦のような機体を望む→零戦→なんだ、この重い機体は…
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/20(火) 20:32:57 ID:hxd81Ucg
>>47 まあそうファビョるなよw
雷電の大量生産がどこまで本気で考えられていたか疑問だね
対戦闘機戦闘が出来なくて紫電改に主役を奪われてるし
>今更金星零戦なんてw意味無いじゃん。
その意味無いことを終戦間際にしたんですよw
>主力である陸上で、艦戦使う意味無し
同時期に開発された隼より明らかゼロの方が性能が上
君の理論だと陸軍の隼か鍾馗を海軍が使用すればよかったと?
ちなみに自衛隊が使用しているF4は艦戦だけどw知ってた?
それから戦略爆撃が海軍任務=空軍とはならんだろw
問題は空軍新設により、陸海で2重開発している各種航空機開発を
一本化する事、情勢に合わせた飛行機の生産なのだよ
陸軍と海軍で同数の航空機を生産してても意味無いだろ
>君の言う「零戦をもっと強化してれば!」てのは唯の結果論に過ぎんのよ。
話が結果論になるのはしかたないでしょ、事実知りたければwikiや本読めばいいんだしw
ここに書込む必要もない。質問コーナーじゃないんだからw
そして結果論にも色々ある。雷電の軸を延長しなければ良かったと言うのも結果論
どちらの結果論を取るかによるが、ゼロ戦強化の方が良いと思っただけ
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/20(火) 20:47:40 ID:w2gINjCl
結果論万歳、史実とかどうでもいいなら、妄想垂れ流してれば? 当時何を考え、何を求めていたかすら知らず、理解せず、後世の神の視点 でしか話できないとかどうしようもないな…
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/24(土) 23:20:11 ID:PnbFLQtw
ペンタゴンの軍首脳者たちのかんがえは、総体的に、シェンノートの航空作戦 計画、およびそれをささえるための大量補給の努力は、アメリカの兵力、資材の 浪費であって、ほかの作戦を妨害するものであるということに一致していた。 シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に 制約をあたえていた。それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国 に補給がえをしたためである。 この見解は、一九四四年七月四日にルーズベルト大統領に提出された、中国の 危機にかんする統合参謀本部の公式報告に記述された。この公式報告は、シェン ノートの作戦原理に反論していて、第二次大戦中に発行された文書のなかでも、 いちばんおかしな内容の文書であった。 スチルウェル支持の統合参謀本部 統合参謀本部は、シェンノートの主張を否決しようとたくらみ、ほかの戦域 の経験を引用して、つぎのようにのべている 「わが軍が航空兵力で断然優勢をたもっている戦場において、ドイツ軍および 日本軍と戦った経験から、航空兵力だけでは、訓練もじゅうぶんで断固とした 決意の地上軍の進撃を阻止できないことが、すでに証明されている。 われわれはイタリアにおいて、強大な航空兵力をもっても、地上軍の進撃を 阻止することができなかったので、シェンノートが、中国にある比較的小さな 航空兵力をもって、日本軍に決定的な打撃をあたえられるとはかんがえられない。 日本軍船舶にたいする爆撃の効果があればあるほど、日本軍の中国での進撃は、 つよくなるであろう」 <「日中航空決戦」(ロナルド・ハイファーマン サンケイ出版) >
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/10/24(土) 23:37:24 ID:swG2CrPP
お袋が戦争中、工場で働かせられたらしい で俺に言った言葉が、「私たちが作ってた時点で負け」
>>43 陸軍の零戦導入計画は存在したよ。
ソロモン方面に展開する第12飛行団の2個飛行戦隊が零戦を装備する予定だった。
結局、零戦の生産に余裕が無いので白紙。
(陸軍向け改修型(防弾装備の追加とか)を別に設計して生産するのを、
三菱も中島も嫌がったって話も聞いたことある)
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/01(日) 14:51:46 ID:zuPPjrHb
桂林、柳州攻略の航空支援 ・・・・前略・・・・ 第五航空軍は十月末前後、自隊の後方補給のための船舶輸送掩護に戦闘隊の 主力を使用した。 第十一軍の桂林攻撃は十一月九、十日に成功した。第二十三軍の柳州攻撃も十日 に成功した。この地上戦闘間、下山第五航空軍司令官は衡陽に進出して指揮した。 すなわち、戦闘隊による戦場制空、襲撃、軍偵部隊による偵察攻撃を反復した。 そして双軽には依然、敵の前進基地と判断される柳州、安康、シ江、雲南、老河口 の飛行場攻撃を継続し、相当の戦果を報じた。 以上の桂柳攻略作戦は、国軍の近代的最高潮作戦であったレイテ決戦作戦と全く 同一時期に、約二、〇〇〇粁の距離を置き、支作戦の前者が一〇コ師団、飛行約 二〇コ中隊(約一五〇機)で成功し、主作戦の後者が約三個師団、飛行六〇コ中隊 (約二〇〇機)で失敗する奇妙な対照結果となった。 <戦史叢書 陸軍航空の運用<3>―大東亞戦争終結まで―(朝雲出版社)> 十九年春〜二十年初めに実行された一号作戦は、国軍に前例のない大規模 のものであり、陸上戦略指導としては大成功と感じられるものである。しかし B−29の本土空襲は阻止できず、太平洋方面における我が主作戦の敗勢を救う べくもなかった。この間における中國航空作戦は、数質ともに次等の戦力で よく靭軟な奮闘を続けた。中國方面に有力な米陸空軍部隊を吸引牽制し、 しかも彼我主力の決戦方面に対し、その決定的な攻撃威力を及ぼさせなか ったことは、わが中國方面空地作戦の隠れた戦略的成果と評価すべきである。 しかし問題は、中國方面にあった陸軍戦力を、国軍主力の決戦作戦方面に対し、 より有効に直接参加させる戦略方策の有無であり、それは更に深刻な別途の研究 にまたねばならない。 これを要するに、陸軍航空の基本的体質に大きな影響を与えた中國航空作戦は、 支那事変間と大東亞戦争間とにおいて、その様相が著しく変化した。前者は敵が 弱体な中國空軍であり、後者は敵が強力な米陸空軍であり、航空撃滅戦、 制空権の獲得に最大の努力を傾注しなければならなかった。 中国方面陸軍航空作戦 / 防衛庁防衛研修所戦史室‖著 / 朝雲新聞社 , 1974 ( 戦史叢書 ; [74] )
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/01(日) 15:28:32 ID:zuPPjrHb
>後者は敵が強力な米陸空軍であり、 戦争終結時に、60,369人もの米軍人員が中国に居ました。 34,000以上は航空部隊、そして22,000以上は地上部隊でした。 At the end of the war there were more than 60,369 American military personnel in China. More than 34,000 were in the air units, and more than 22,000 were assigned to ground units. tp://beijing.usembassy-china.org.cn/ww2operationaloutline.html
石油さえあれば。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/02(月) 00:09:17 ID:7wwgTI3f
>>56 計画だけならあったでしょう
しかし正式採用には、まだ一山二山あったと思う
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/14(土) 13:18:13 ID:6F8+F0L7
零戦を陸軍、疾風を海軍で使おうとした場合、いつもネックになるのが 「工場が陸軍機(海軍機)の生産が手一杯で海軍(陸軍)」にまわせない」
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/14(土) 16:22:26 ID:Ti64sQXD
>>59 それよりも有能な為政者と部下をきちんと抑えられかつ
有能な軍上層部だな。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/17(火) 23:05:32 ID:JDyN5Mzl
>>1 しかもB-29の空襲の中でだ。
アメリカ人も驚いている、と聞く。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/18(水) 01:28:31 ID:7te5N+Vb
陸軍海軍の仲の悪さは、実のところアメリカの方が酷かったりする。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/18(水) 22:23:27 ID:uhnwxt4q
マッカーサーとニミッツは犬猿の仲っていうのは有名な話。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/19(木) 08:09:44 ID:IMfiJjfz
>>59 純度悪過ぎでエンジンの性能発揮出来てないしなw
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/19(木) 08:11:21 ID:IMfiJjfz
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/20(金) 15:14:45 ID:DNailHVC
>>68 まあ鉄というより国力差ではあるが・・・
国力もない上に向こうよりミスも多く、戦略・戦術がこりかたまって
たんじゃね〜
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/20(金) 15:51:58 ID:TaLvcg/g
鉄も石油も何もかも乏しいくせに、 対米開戦やってしまうやつの脳みそが一番足りてない。
>>70 鉄も石油も何もかも乏しいから戦争したんじゃね〜の?
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/22(日) 04:49:25 ID:wBN6rMpN
たくさん人が死ぬのを考えれば あまり賢い選択とは思われへん。 まぁ支配層からすれば 人命等 軽いんやろう
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/22(日) 05:30:41 ID:lHEscPTU
意外だけど四式戦闘機は大量生産を考慮されてた機体で工程数は零戦の約7割程度。エンジンとかピッチは故障多かったけど機体構造はかなり作りやすいものだったらしい。零や隼は割りに面倒なものだったらしい。 整備なんかも含めればフォッケや米軍機に敵わないけどね。
石油に関してはもし掘りあてても技術がないので精製出来なかったと思う。 ということは意味のない領土拡張になってしまった。 特に満州。 あれこそ余計。 それから、チョウサクリンを殺害しても意味は無かった。 ロシアなんて未開の蛮人とノモンハンで戦ったのも間違い。 全部裏目に出た。 日本は、いずれ白人国家と事をかまえるにしても、我慢して力を貯めておくべきだった。 満州に関してはしなくても良かった争い。 あれがあったから、アメリカに危険視された。 関東軍は馬鹿の集まりだし、海軍は見栄っ張りのかっこつけばかり。 まともな軍人は一握り。 そんなんじゃ勝てる戦争なんて出来ない。 政治家も軟弱なのばかり。
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/22(日) 11:24:50 ID:uQagUgqO
>>74 余計ではないが米英だけには門戸を開放すべきだった。
>>70 40年で取れる選択肢
・開戦して滅亡
・米の海軍拡張計画に付き合って経済破綻、滅亡
・米の海軍拡張計画を放置。準備を整えた米に喧嘩売られて滅亡
・軍の解体とか、米軍の駐留とか、航空や造船産業の禁止とか、何でも言うこと聞いて絶対服従
当時の米にしてみれば、
あの位置に一定の戦力や工業力を持った国は邪魔でしかない。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/23(月) 01:47:48 ID:FyJ8Gk4H
>>72 今でこそ人口減少で国より人命が大事にされるが、
戦争前は人口爆発
余ってる資源(人命)で足りない資源(鉄、石油、土地)を補う(戦争)経済活動
人命重視の世界に生まれて良かった
まあ、拉致された他人の人命を守らない国家も問題だが
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/23(月) 13:58:40 ID:w4VD54F/
>>64 そのすごいドイツを撃破してベルリン入りを果たしたソヴィエト赤軍は「神」!
巨大な巨大な悪の手から世界人類を救済したソヴィエト様に向かって、
なにが北方領土返せだよ、笑止千万だ!!
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/23(月) 15:53:34 ID:/2tSsNJB
>>78 まあ物量的に半端じゃないもんな。
1943年以降防御に徹していればもう少し
持ったかも知れんけど。
歩兵で11倍、戦車で7倍、重火器20倍、制空権なしじゃあな〜
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/23(月) 19:59:00 ID:axCTcMSF
日本に東京大空襲して、広島・長崎に原爆投下して、 国際法違反の民間人大量虐殺した米軍の祭りなんて、 喜んで行ってんじゃねーよ!!
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/24(火) 22:38:50 ID:+f+zWS7Y
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/25(水) 18:51:21 ID:YGnurGjA
1945年4月までに、ルフトバッフェは1200機のMe262が届けられました。
しかしながらその当時、戦闘部隊に供給されたのは180機に過ぎません。
Me262が一日で最も多く飛んだのは1945年4月7日、たったの59機でした。
Me262が一日で最も航空戦で撃墜したその数は、1945年3月31日、たったの16機でした。
1200機の爆撃機と800機の戦闘機で編成される空襲部隊に挑んだ作戦であり、
Me262のベストな日においてさえも、そのジェット戦闘機の印象は微々たるものでした。
そしてそれと全く同じ問題が、戦闘爆撃型Me262の運用についてもつきまといました。
By April 1945, the Luftwaffe had taken delivery of more than 1,200
Me 262s, but at that time, only about 180 served with combat units.
The greatest number of Me 262 fighter sorties flown in a single day,
April 7, 1945, was only 59. Its greatest number of aerial victories
in a single day, March 31, 1945, was only 16. Operating against
raiding forces that comprised around 1,200 bombers and 800 fighters,
even on its best day, the jet fighter made little impact. Much the
same problem dogged the Me 262 operations in the fighter-bomber role.
http://www.flightjournal.com/ME2/dirmod.asp?sid=&nm=The+Magazine&type=PubPagi&mod=Publications%3A%3AArticle+Title&mid=13B2F0D0AFA04476A2ACC02ED28A405F&tier=4&id=0E816CE7EE9343879E3FA2972D25B352
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/11/25(水) 21:13:55 ID:NNxFccKr
>>82 燃料もない、パイロットも足りない、空爆が激しく移動もままならない。
くわえてメンテナンスが大変。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/08(火) 21:32:21 ID:+DH5TjUf
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/09(水) 19:29:29 ID:4LgSI4HF
、、, , , , , , , / ̄ ̄ ̄ ̄\ 、/; ̄', ̄', ̄',\, ./ /フ ヽ 、/、` 、 ' ' , ' ", X / o~ _ ___ | ソ、゙ ` ' "| | / ゚ ヽ / ゚ ヽ | |゙ ゙ /⌒ヽ /⌒l | ,--、 `ー〜' `ー〜 / ,--、 ・ `ー' ・ / ( 6 i―┬┬┬┬i 〈 ( 6 i‐―┬―┬‐; 〈  ̄l \_,二_二ノ ノ  ̄l、 \ ,二二、ノ ノ _\_  ̄ ̄ ̄_,/ _\_  ̄ ̄ ̄_,/ ./ \ ̄7ヾ~~7 \ ./::::lll::/|~7ヾ~|ヽ::\ | /⌒ヽVl_lV /⌒ヽ |:::::::::lll::> Vl^lV<::|:::| |、 / ー'ー' / | | ー'ーf |:::::::::|::::::\ヾV/./::|::::| ヾニニニソ .| | |ニニソ |:::::::::|:::日:::\l/日:|::::|
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/09(水) 19:38:29 ID:bcHWPMBJ
言ってる意味がまるで分かってない・・ だから下品な複製人間は嫌いなのじゃ やかましい ボンバイエ!!ボンバイエ!!まるでわかってない・・ ワールドカップみたいな騒ぎようだ・・ 劣悪にバカみてえだな すっげ 脳味噌が釘だらけに いやいや!まだ言ったらいかん!壮大な物語の結末をまだ言ってはいかん! まるで公平がやってることが理解できてないんじゃこのサルどもは!まだいってはいかんぞ!
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/09(水) 19:40:19 ID:bcHWPMBJ
複製人間がキレた 神族は全知全能神以外は全て複製人間じゃそんな事もわからんのか原始人め
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/09(水) 19:41:16 ID:bcHWPMBJ
神に子どもなんぞあるわけねえじゃろ 分身しか存在しないんじゃ地方出身者
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/09(水) 19:46:23 ID:bcHWPMBJ
神にDNAなんて遺伝子があるわけねえんじゃ 無形から有形が作られてゆく世界でDNAなんて物体が存在するわけがねえじゃねえか すなわち根元的に行けばこの世の全てが理由づけの原理で作られてるだけなんだよ ようするに遺伝などという物は存在しない 永久に残り続ける残留物も存在しない ということは複製人間なんじゃ!!神族も複製人間なんじゃ!!分身以外は全部複製人間なんじゃ!! 神血は一子相伝なんじゃ増えたりしないんじゃ!!最悪じゃ!!
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/27(日) 13:38:49 ID:kn1w3bbb
四式戦は1945年明けまで健闘してるから、老河口作戦までやれてしまったりする。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/28(月) 09:38:23 ID:QZHlzGRY
エンジンの工作精度とシールがきちんとしてオクタン価が高い ガソリンがあって無線が機能してればな〜
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/28(月) 19:18:02 ID:Ztvvnn5p
630キロ/高度1万mの性能を発揮した百式司偵四型を防空戦闘機に改造して、 陸海軍共同で大量生産する予定だったらしいけど、 絶対無理だよなぁ。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/29(火) 10:39:45 ID:stuZq7De
>>92 U型・V型は改造されてるけど、対爆撃機だよね〜
W型できても護衛のP-51とかにぼかぼかおとされそう。
問題なのは当時の日本がジュラルミン細工以外はコピー・ライセンス
ばっかで排気タービンもまともにつくれない技術後進国だったことだわ。
ガソリンのオクタン価も低いし・・・・
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/29(火) 11:54:59 ID:FDnSilbQ
>>92 >>93 ガソリンのこといいだしたらドイツも日本と同じようなもんだし
百式司偵よりキ83のほうがよくね?
もともとキ83は戦闘機として作られてるし。
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/29(火) 16:13:27 ID:i1hOrdO7
>>93 百式司偵四型のエンジンは、
2段2速ターボチャージャーを搭載したハ112Uルなんだよな。
このエンジンを量産できるかかなり疑問だ。
>>94 一応、四型はキ83と違って正式採用されてる機体だし(生産数4機 )
偵察機だから空戦を行えるほど機体強度は強くないけど、
2200キロを3時間15分で飛行した記録があって速度性能はそれなり。
96 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2009/12/29(火) 22:03:15 ID:LaexySPW
いくら叩かれても、「四式戦闘機疾風」は世界レベルで通用する航空戦力として機能したと思うぞ。 そもそも敵機が乱舞する戦域で、地上軍の快進撃なんてありうるのか? もしあるとすれば、中国人の知能障害は制空権では覆らないほどに先天的かつ絶望的だったということで、 中国人がますます惨めになるだけのことだぞwwwww
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/30(水) 09:15:10 ID:GxjXvvFf
98 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2009/12/30(水) 10:04:13 ID:HkLOFYz+
>>97 つかりそれは「四式戦闘機疾風」が果敢に地上攻撃を続けて、乱舞するほどの敵機が無くなったということだな。
>>1 のリンク先にもそのように書いてあるのだし。
99 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2009/12/30(水) 11:45:18 ID:HkLOFYz+
>敵の要撃による、そして成都前進基地への日本軍の空からの攻撃による >B-29の損失はもはや見過ごし得ず、1944年の終りには147機に達した。 十九年春〜二十年初めに実行された一号作戦は、国軍に前例のない大規模 のものであり、陸上戦略指導としては大成功と感じられるものである。しかし B−29の本土空襲は阻止できず、太平洋方面における我が主作戦の敗勢を救う べくもなかった。この間における中國航空作戦は、数質ともに次等の戦力で よく靭軟な奮闘を続けた。中國方面に有力な米陸空軍部隊を吸引牽制し、 しかも彼我主力の決戦方面に対し、その決定的な攻撃威力を及ぼさせなか ったことは、わが中國方面空地作戦の隠れた戦略的成果と評価すべきである。 しかし問題は、中國方面にあった陸軍戦力を、国軍主力の決戦作戦方面に対し、 より有効に直接参加させる戦略方策の有無であり、それは更に深刻な別途の研究 にまたねばならない。 これを要するに、陸軍航空の基本的体質に大きな影響を与えた中國航空作戦は、 支那事変間と大東亞戦争間とにおいて、その様相が著しく変化した。前者は敵が 弱体な中國空軍であり、後者は敵が強力な米陸空軍であり、航空撃滅戦、 制空権の獲得に最大の努力を傾注しなければならなかった。 中国方面陸軍航空作戦 / 防衛庁防衛研修所戦史室‖著 / 朝雲新聞社 , 1974 ( 戦史叢書 ; [74] )
>>64 スイスに独逸の軍需工場があった
>>74 当時、国民を養うための耕作地が日本列島だけでは不足していた。
日本政府が国税を投入して世界有数の穀倉地帯に開発した、特に大豆。
国内だけでは不足していた鉄鉱石が豊富にあった。後は防共。
>>75 門戸開放すればイオンに駆逐される商店街の様に日本の資本が満州から
締め出される。地球規模のブロック経済が日本を満州建国に駆り立てた。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/31(木) 01:15:17 ID:TZZQ6TTK
>>100 >スイスに独逸の軍需工場があった
そんなほんの一部のこといってどーすんのよ。ww
鉄道網もボロボロにされたからあんまし意味ないし。
最大の問題はガソリンだわな〜
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/31(木) 08:51:39 ID:21RAR/7/
>>101 燃料事情の悪い日本でも、
高オクタン燃料前提の新鋭機には、
オクタン価90以上の燃料が終戦まで不足することなく供給されてたらしいよ。
少なくとも、陸軍は終戦まで航空九一揮発油が主流だと。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/31(木) 13:21:40 ID:0b9k/jU5
>>102 まあ国土が爆撃され、機雷で港や航路が封鎖されても
戦力温存で出撃しなけりゃそりゃ残ってるでしょ。
ドイツみたいにレーダー網もきちんとないし出るのが
間に合わないのもあるけど。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/31(木) 13:39:52 ID:lUX3SM/w
ただ、中国戦線はというと、中国人というチンピラゴロツキ蛆虫を殺戮しておればよかったわけだがww
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/12/31(木) 13:48:02 ID:0b9k/jU5
>>104 もっと殺しておくべきだったよ。
反日で企業が進出できず、留学生も密航者もこないぐらいに。
ついでに朝鮮もジェノサイドして全部始末すべきだった。
106 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2009/12/31(木) 13:51:30 ID:lUX3SM/w
キ84 四式戦「疾風」自体が従来の機体より遥かに量産し易い設計だったのと、 モックアップを見に行った航空審査部荒蒔義次少佐の「増加試作機は100機」の意見が通ったから
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/01/29(金) 11:11:04 ID:rAe6jCN7
米軍が何でも勝ったと思い込んだら大間違い、中国大陸では日本軍の四式戦疾風が強かった。 技術的にみても米軍の電波探知機はその大半は日本軍でもコピー済みで対抗戦力としては十分。 あるいは日本軍というのは敵機の乱舞する戦域で、飛行機も追いつけない速さで夜も眠らず明か りも無しに弾薬も無しに真っ暗闇の中でチンピラゴロツキを斬って斬って斬りまくるのか?
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/01/29(金) 12:03:37 ID:ulQFi1O3
>>107 そりゃ戦時中だからどこの国でも工数減らす設計だろ。
誉がきっちり動けばな〜
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/11(木) 12:32:02 ID:23EOs4bg
ってか、中国人なんてゴミみたいなものだろw
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/13(土) 23:11:19 ID:13AGFZSf
.......
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/14(日) 17:08:21 ID:Jl9Lpn4N
>>疾風は、残り1年で3500機 粗製乱造でしょ。まともに動いたのはほとんど無いんじゃないか。合格基準を 大幅に下げたんじゃないの。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/14(日) 18:10:04 ID:krZT+Ex5
日本軍だって品質管理はやってる。だから飛燕2型はエンジン生産不良ということで首なし飛燕にされてる。 飛燕の場合はきちんと管理してるのに四式戦の場合はそうではないなんていえるのか?
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/14(日) 22:04:35 ID:ftSB95/Q
>>113 飛燕は倒立液冷だから品質下げたら、オイル漏れ漏れで動かんからじゃない
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/15(月) 00:44:13 ID:CdPllikF
熟練工を徴兵して、勤労動員の学生で品質管理なんてムリでしょ。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい :2010/02/15(月) 12:48:50 ID:vhQCQgVd
>>115 一応、日本航空機規格や陸海軍航空基本部品規格などがあって、
不合格の部品の使用は禁止されてた
けど、
戦時には要求品質の引き下げや代替材料の使用を許可した臨時日本規格が制定されてたので、
もしかしたら航空機にも適用されてたかも
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/02/17(水) 16:27:53 ID:e6YKXPLh
成増の47戦隊と柏の70戦隊からは 四式戦より二単の方がよっぽどいいって評価だったんだろ。
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/03/20(土) 19:17:48 ID:PfiRY/pB
アメリカは天皇暗殺の為に8月17日に皇居に原爆を落とす予定だったらしいな。 終戦があと2日遅かったら東京の街は今とはかなり違うものとなっていただろう。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/19(月) 15:50:55 ID:0icXYgL6
いくら旧日本軍の非を言い立てても、中国人の何億かはその旧日本軍の支配下に隷属してたからな。 旧日本軍が非道ならその非道な旧日本軍に隷属してた中国人が惨め、旧日本軍が弱いならその弱い旧日本軍に 隷属してた中国人はなおさら惨め。ナチスドイツを撃破してベルリン入りを果たした赤軍と比べてみれば一目瞭然。 ナチスドイツ持ち上げて旧日本軍を貶めようにも、ナチスドイツはベルリンが陥落して終戦だからその支配下に隷属 する劣等人種は皆無だった。これに対し旧日本軍の場合はいくら負けてもその支配下に中国人という劣等人種が居た。 日本軍を貶めようとすればするほど、むしろ「中国人の惨めさ」が際立ってくるww
>>102 海軍では92オクタンが基本だから、当然だろう。
高性能機には100〜120オクタンのガソリンが必要なのだ。
黒江氏が乗り回していたP-51Cには、開戦当初にフィリピンで鹵獲した
アメリカ謹製の120オクタンのガソリンが使用されていた。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/21(水) 20:46:29 ID:RJ2OrApL
ん? アメポチどもの信条は「無条件降伏」なんだろ? 「無条件」降伏ならそれはそれで、降伏に際して日本と日本人は連合国に対し条件を一切は付けられないはずだぞ。 従って「無条件」降伏論者がソ連のシベリア抑留や北方領土占領を非難するのは、とんだ自己矛盾ということになる。 無条件降伏に拘るなら無条件降伏らしく、戦勝国ソヴィエト様に文句をつけるな、ナチの暗黒支配から世界人類を 解放したソヴィエト赤軍様の悪口なんか言うな、共産主義ソ連に感謝しろと自分は言いたい。 そもそもヤルタ協定で示されるとおり、ソ連が極東軍事基地として欲したのは日本の北海道ではなくて中国の旅順口。 中国人というハエやゴキブリにとっての天敵が、日本人という人間にとっての害になるかどうかを考えてみろっての。 ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地としての旅順口の租借権を回復する ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地としての旅順口の租借権を回復する ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地としての旅順口の租借権を回復する 自分の見解を述べると、日本降伏からまもなく重光・マッカーサー会談が行われていることから、 「無条件」降伏とは程遠かったと認識している。「無条件」降伏であれば、重光のような敗戦国の代表が、 マッカーサーのような戦勝国の代表を相手に、占領政策についての交渉などできるだろうか。
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/26(月) 12:52:42 ID:zOs4toWT
共産主義ソ連の対独戦勝について、何をそう日本人が喜ぶ必要があるのかと、疑念を抱く人も居るだろう。
まず第一次世界大戦の独軍は、ロシア軍には敗れておらず、ブレストリトフスク条約で領土割譲させている。
このようにロシア軍には敗れず西側連合軍にのみ敗れたのであれば、ナチの人種論は再び膨れ上がる。
ところが第二次の場合は第一次とは違いロシア軍の勝利であり、赤軍がベルリンに入ってきてゲルマン娘
の膣に劣等スラブ人種の男根がブチ込まれて、ナチの人種論は完全に消滅した。
このようにナチの人種論を消し飛ばしたのは米英ではなく赤軍であり、まさにソヴィエト赤軍こそがナチの暗黒支配
から世界人類を解放した救世主であり、日本人も地球市民の一人としてソ連の対独戦勝を祝う義務がある。
それと満州国について、米英中は承認を拒否したのに対しソ連は日ソ中立条約でしっかり承認してくれた。
残虐行為だがむろんソ連もシベリア抑留などをやっているものの、それで死んだ日本人はわずか5万人程度で、
東京大空襲と広島長崎の原爆だけで30万人虐殺している米軍と比べれば、その「優しさ」に感激してしまうくらい。
さらに戦後の日本の高度成長と技術革新を支えたのも専らソ連で、ソ連がベルリン封鎖をやったり朝鮮戦争
を引き起こしたりして、日本には特需景気をもたらしてくれた、。そして人類初の宇宙飛行で若者に夢を与えてくれた。
1. 第二次世界大戦終了60周年記念式典
冒頭、小泉総理より式典参加は意義深かったとして、式典の成功に祝意を述べたのに対し、
プーチン大統領より「隣国であり重要なパートナーである日本の総理が参加されたことは
極めて重要である。」と述べて、小泉総理の参加に対して謝意の表明があった。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/j_gmn_05/j_r_gai.html 小泉総理大臣の訪露 日露首脳会談 平成17年5月10日
小泉総理は日本代表として、モスクワの第二次世界大戦終了60周年記念式典に出席し、
式典の成功に祝意を述べた。赤軍がナチスドイツを撃破してベルリン入りを果たしたのは、
自由主義共産主義の理念対立を越えた偉業であり、日本人の一人として自分も祝意を表明する。
あ り が と う ソ 連 邦 !
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/04/26(月) 15:53:15 ID:zOs4toWT
強いて「無条件降伏」に拘るのであれば、ソ連にも無条件降伏したんだという理屈で、赤軍ネタで対抗する。 ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地としての旅順口の租借権を回復する ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地としての旅順口の租借権を回復する ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地としての旅順口の租借権を回復する 共産主義ソ連の東欧支配・満州支配をどうして日本人が喜ぶのかということだが、そもそもソ連が東欧支配しようが 満州支配しようが、日本と日本人にとっては痛くも痒くもない。むしろ旅順口についてはこちらから差し上げたいくらい。 ヤルタ協定で明らかになったのは、ソ連が軍事基地として欲したのは日本の北海道ではなくて中国の旅順口ってこと。 再度繰り返すが敵の敵は味方、日本の敵である米英中の敵である共産主義ソ連は日本の味方。 その証拠に、シベリア抑留で死んだ日本人の数は東京大空襲や広島長崎の原爆投下より遥かに少ない。 東 京 大 空 襲 や 広 島 長 崎 の 原 爆 投 下 と い う 米 軍 の 凶 悪 犯 罪 か ら 目 を 背 け さ せ よ う と す る 敵 の 謀 略 に 騙 さ れ な い よ う に し よ う な !
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/04(火) 22:06:05 ID:QO88IZ+8
べつに「四式戦闘機疾風」という一機種に拘る必要はない。
それよりも注目すべきは、大陸打通作戦での制空権は米中VS日本で、いずれの側にあったかだ。
なぜ「四式戦闘機疾風」は、残り1年で3500機?
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/war/1255320599/ >敵の要撃による、そして成都前進基地への日本軍の空からの攻撃によるB-29の損失はもはや見過ごし得ず、
>敵の要撃による、そして成都前進基地への日本軍の空からの攻撃によるB-29の損失はもはや見過ごし得ず、
>敵の要撃による、そして成都前進基地への日本軍の空からの攻撃によるB-29の損失はもはや見過ごし得ず、
大陸打通作戦における日本航空部隊の敢闘は米軍戦史でも認めているが、認めないなら認めないで、
制空権無き地上軍相手に敗退を続けたということで、中国人がますます惨めになるだけのことだ。
そもそも制空権無き地上軍が快進撃などという戦歴が、古今東西どこに存在するのか?
もし大陸打通作戦が例外だとすれば、中国軍は制空権無き地上軍相手に敗退した世界で唯一の存在となり、
中国人という人種は人間と呼ぶにも値しない先天的な知能障害だったという結論になってしまう。
そして中国人は人間扱いされず、中国人は人間ではないからいくら虐殺しても良いということになる。
異論あるか?
>>120 オクタン価ってイソオクタンを100%、もう一つの成分を0としたときの
イソオクタンの比率じゃなかったっけ?
なのに100を越える値って存在するの?
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/06/01(火) 07:54:52 ID:+O0T3VD1
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
エンジンが規定の馬力が出てないってのが原因だから 粗製乱造の大戦末期はどれも似たようなもの 栄搭載のゼロ戦でさえ大戦末期は稼働率急降下。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/06/04(金) 00:42:26 ID:jeO/zXFZ
疾風の工数自体は零戦や隼の八割位。エンジン以外はかなり作りやすい機体らしい。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/06/04(金) 21:17:18 ID:3+NC1EX3
と言う事は、作り易い機体はたくさん出来たけど、エンジンは乱造品ばかりで使い物にならなかった という事ですか?
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/06/04(金) 22:26:19 ID:Wrq5Xj5l
そんなに不良なら飛燕2型のように生産停止になってるはず。いくらなんでも品質管理を怠ったわけではないのだ。
>>130 よく比較される五式戦でさえエンジンの不良と予備部品不足で稼動率が5割を切る状況で、
疾風だけがそこまで悪いわけじゃない
というか、部隊によっては五式戦よりも疾風や飛燕の方が稼動率が高い
>>132 やっぱ一部の部隊に部品と熟練整備兵あつめないと戦力化できなかったわけなのね><;
みんなビンボが悪いのよ!
まあ金持ちだったらアメと喧嘩はしてないか。ww
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/06/05(土) 07:25:43 ID:ZDlyp3tQ
>>124 >敵の要撃による、そして成都前進基地への日本軍の空からの攻撃によるB-29の損失はもはや見過ごし得ず、
とにかく日本軍が虐殺した中国人はおびただしい数に上る。しかも支那派遣軍百万の精鋭は健在。
これだけ徹底的かつワンサイドゲームで中国人を殺戮してしまうと、戦争の勝敗などどうでもよくなってくる。
戦争で重要なのはいかに大勢の敵を斃したかであって、戦勝国になれたか否かではない。
そもそも戦勝国であれば第一次世界大戦の日本は、対独戦勝国で常任理事国だったはずだ。
だがそんな戦勝国であればこっちから願い下げ、それよりも中国人を3500万人虐殺して、
「世界一強い敗戦国」にしたほうが国家の体面が保てる。
135 :
hayate :2010/06/05(土) 16:23:05 ID:gEO+86Td
疾風の機体は優秀ですよ 作りやすく(0なんかより) 速度も 防御も。 米軍が 傑作機と評価してますし プロペラ機の速度記録も (大戦後の米軍のテスト) もっていたはず。 あ ちなみにオクタン価は オクタン100としたときのアンチノック性 の評価基準ですので ですので 120も 200も ありえます。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/06/19(土) 13:34:27 ID:QaglV0N7
>>135 >疾風の機体は優秀ですよ
機体そのものは良好でも、搭乗員の飛行訓練時間が100時間程度では、実力は発揮しにくいだろう。
登場が遅すぎたことが悔やまれる。
したがって、日本は戦争中ほとんどどの月でも、その航空部隊の数字上の機数を増すことができた。
数字上の戦力は戦争勃発時の戦術機2625機から、降伏時の戦術機5000機に加え、カミカゼ機5400機にまで上昇した。
搭乗員総数は戦争勃発時の約12000名から降伏時の35000名強に増加した。
<中略>
戦争全体を通じて平均飛行時間は減少し、降伏時、アメリカ操縦士が600時間だったのに比較して、
100時間強といったところだった。訓練不十分な操縦士は、アメリカで養成された熟練した操縦士に張り合えなかった。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs09.html
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/06/23(水) 17:58:06 ID:XaPQMLr+
モスクワが戦闘状態になっていた間、ソ連は極東から歩兵15師団、騎兵3師団と戦車、航空部隊を移動させ、
西方戦線の対独戦力を強化した。中国の長引く抗戦は日本を拘束し、ドイツが企んだ日本とのソ連挟撃の陰謀は破綻した。
これについてソ連のジューコフ元帥は、「我々が最も苦しんでいた時期に日本はソ連へ侵攻しなかったが、
中国は血の海となっていた。客観的事実をいくらかでも尊重する人はこの争いようのない明らかな事実を
考えずにはいられないだろう」(ジューコフ『中国での使命』、新華通訊社、1980年版、38ページ)と述べている。
http://japanese.china.org.cn/japanese/191409.htm 31回の空中戦で、フライングタイガーの志願者は5機ないし20機のP-40型戦闘機をもって217機の
敵機を撃墜し、みずからの損失はわずか14機だった。それ以後、「中国空軍所属の中国援助アメリカ
志願航空隊」はフライングタイガーのマークを使い始め、そのサメの頭の形をした戦闘機も世に名
を知られるようになり、「フライングタイガー」というニックネームも知られるようになった。
抗日戦争が終わるまでに、フライングタイガーは敵機を2600機撃墜し、積載量223万トン相当の船舶、
軍艦44隻、100トン以下の内陸河川の船1万3000隻を撃沈するかあるいは大破させた。また日本軍将兵
6万6700人を撃ち殺した。フライングタイガーの隊員のほとんどは中国政府から賞を授与された。
10余人の飛行士はアメリカ、イギリス政府から飛行十字勲章を授与された。
http://www.china.org.cn/japanese/170095.htm
138 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/11(日) 09:08:37 ID:tgHBJLj1
のこり1年で3500機ってのは、工業力が優れてたから?
139 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/11(日) 14:40:19 ID:UXlSu9SE
軍事板でだつおの建てたスレに関しては だつお自身がレスを書き込んで、それが雄叫び以外だった場合は 一応は反応してあげるのが礼儀のようだが 戦争板ではそういうことはしなくてもいいのかな? いやもちろんだつおは、疾風なんてどうでもよくて ただ大好きな3500という数字を使いたいだけで立てたスレだってこととかは無視してさ
>>138 実際3500機中何機が戦闘可能で米軍に通用したんだろ?
あと稼働率とかさパイロットの数・質とかもあるし、熟練飛行士
集めた部隊でも損害の方が多かったしそこら辺どうなのよ?
141 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2010/07/11(日) 21:49:22 ID:UXlSu9SE
疾風ですら特攻に出すという時点で戦史がつまらなくなる
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/12(月) 15:37:12 ID:mQixCFF9
| ・ ・ | \◎ / | | | | | | | | [1年] [5年] [3か月]
陸軍は飛行時間を稼ぎにくいんじゃね その点海軍で百時間到達は比較的早い 一般に実戦で通用するのは300時間、ベテランと言われるのが500時間だけど 疾風受領後にどんだけ訓練できたかが一番重要かと思わる
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/07/19(月) 11:57:12 ID:55sUSfEh
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/08/18(水) 11:00:20 ID:kQv6ZdHB
age
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/03(金) 17:04:43 ID:wRzX8y/t
あげ
まあ後期はくず鉄の寄せ集めの兵器に新参兵だからなぁ。 初期の勝ちまくってた頃とは状況が違いすぎる。
148 :
金持ち名無しさん、貧乏名無しさん :2010/12/04(土) 01:09:47 ID:4G7N4ld5
ジャク共め・・・
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/18(土) 19:12:09 ID:iK4p/gBy
>>137 、ワロタ君ですね。
アメリカの記録では”フライング・タイガー”の戦果は撃墜、地上撃破296機、日本兵1,000人以上を殺傷とされている。
一方、日本側の記録によれば被撃墜及び空襲による損害115機、戦死300名となっている。
これは、日本国内に対する「大本営発表」ではなく、正確な損害報告なので日本側の数字が正しいとされている。
航空戦では攻撃側の戦果報告が三〜五倍に報告されるのは常識で、興奮するパイロットからいかに正確な情報を得るかが、その後の作戦に関わってきます。
ましてや”義勇兵”とは名ばかりの金で釣られた傭兵部隊だったので、過剰な戦果報告は有ったと考えた方が良いでしょう。
>>150 続き
開戦当初、FT部隊が有効な戦果をあげられたのは、既に中国空軍は壊滅したものと思い、爆撃機を援護機無しで飛ばしたり警戒を怠った為と言われています。
その後”加藤隼戦闘隊”と互角の戦いをしましたが、所詮戦闘機のみのFT部隊は基地を日本爆撃機に攻撃され、徐々に中国奥地へ後退していきます。
FT部隊が使用したP−40Cは、延べ119機、最後は残った22機に火を着けビルマに撤退しました。
>>137 の戦果は、中国メディアが書いた夢物語で、中国戦線で2,600機も失っていたならば開戦初期の太平洋戦線での制空権は握れません。
青天白日旗を着けたP−40Cが、それまで我が物顔で飛んでいた日本機を撃ち落とすのを見たチンクが、話をどんどん大きくしていったのでしょう。
その後海軍のゼロ戦21型が投入されるに至り、米軍が本格参入するまで中国戦線での制空権は支配されていました。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/18(土) 19:47:15 ID:zyizqoS7
それはなプラモデルなんだよ
153 :
7743 :2011/01/07(金) 17:15:28 ID:tmg6GdWX
でも結果的には疾風に頼むしかなかったんじゃないですか?
オクタン価とわ、パフォーマンスナンバーに過ぎない。 空燃費が濃い時が120、ストイッキーかリーンの時が100オクタン A/R濃い時は対ノック性が上がるから表記上100〜120となる。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/01/30(日) 07:30:17 ID:Po/oIbLk
最初からキ116でよかったんじゃ… 困った時のハ112ですよ
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/12(土) 23:48:53.76 ID:QuooDlIx
>>150 フライングタイガーのホラ吹きぶりも面白いよねw
記者「隼の場合防弾は?」 加藤「操縦席の後ろだけです、人間の形をした鉄板がありまして しかし、わたしらはそんな物外してしまった。つければ重くなるし やられるということは、まあ考えませんでしたね」 糸川は少しは防弾も考えたらしい
隼が付けた防弾鋼板は、正面からは12.7ミリには耐えられません。 が、弾は正面からはまずは来ない。 炸裂弾なら十分防げる。 ですので、絶対に外させない機付長もいました。
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/03/26(土) 00:49:05.33 ID:QJ2znzKV
>>150 その程度なら誤差だな。実践では普通に3倍くらいの誤差が生じる。
>>155 ハ112−IIは予備部品不足で故障が多かったそうだ
五式戦、部隊によっては三式戦IIより稼動率が低かったとか
>>157 設計者は軍の要求に基づいて設計をするわけだから、堀越だって海軍の要求があれば
防弾を考慮した設計をしたと思うぞ。
163 :
忍法帖【Lv=9,xxxP】 :2011/04/09(土) 17:42:00.99 ID:Zo4pg3Xq
紫電改と疾風では、どっちが上?
>>158 >が、弾は正面からはまずは来ない。
対面攻撃って結構あったけどね。
165 :
712 :2011/04/11(月) 14:47:15.15 ID:Uj7p8k/W
>>164 対面攻撃なら、防弾鋼板の出番はありませんね。
ロシア軍機がやってたように、座席を防弾鋼板で作るのは良い手ではないかな。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/04/27(水) 17:53:55.06 ID:XX2RJ/nb
爆撃機相手だと弾はむしろ正面から来るだろ
正面風防を70ミリくらいの防弾ガラスにしておけば良いかな。 これで12.7ミリなら防げます。
ガラス厚過ぎて前方の視界悪くならない?
大戦後半に登場した機体、紫電あたりからはそれくらいの厚さの防弾ガラスを 装着してますよ。
でも圧倒的に後方だよな 下後方から撃ち上げられて足をやられるケースも多い 極論でいうと高価な防弾ガラスより 正面三方だけスリットつきの鋼鈑にしちまったらいいんじゃない 視界とかいうけど大戦末期は敵はさがさなくてもやってくるし 空中戦はほとんど後ろをみていて、グラマンの翼の発色具合で弾道を予測してよけてたみたいだし
>視界とかいうけど大戦末期は敵はさがさなくてもやってくるし はい?
今は亡き、嵐山美術博物館で疾風と零戦を見た時は感激したものだ・・・
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/04(土) 11:56:42.32 ID:8xhYLpwx
おれもかんげき
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/04(土) 13:23:55.25 ID:FI0+baWU
ヒデキ感激
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/06/06(月) 11:16:23.45 ID:A7w9VtZu
埋まったスレ貼ってどーする
179 :
忍法帖【Lv=10,xxxPT】 :2011/07/03(日) 15:08:57.19 ID:nJU6edLW
正真正銘のB-29です。尾翌の番号から、機体製造番号は、45-21739で、米国のB-29関連のHPに
記載の番号と同じでした。展示説明板には、ハングルの他に英文で次ぎのように説明していました。
『世界的に有名なB-29は、第二次世界大戦と韓国戦争の3年間を通して任務を果たした。
韓国戦争でのB-29は、延べ22,983機出撃し、197,000tonの爆弾を投下した。しかし、
34機のB-29を失った。 この超空の要塞は、18個に分解され、1972年3月にカリフォルニア
のチャイナレイクからソウルへ輸送した。そのB-29は韓国空軍によって再組み立てされ、そして、
1972年8月以来Yoid Museumに展示された。』
http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.trip/trip.korea.html >韓国戦争でのB-29は、延べ22,983機出撃し、197,000tonの爆弾を投下した。しかし、34機のB-29を失った
一方爆撃機の損失率を見るとベルリンの 6.6 パーセントに対し、日本主要都市全体で 1.9
パーセント、東京空襲の数値は 3.3 パーセントである。マリアナ諸島から日本本土を爆撃・
機雷投下のため出撃した B-29 の損失をみると、昼間は、11,826 回の出撃に対し、損失数
は 179 機で損失率は 1.5 パーセントであるのに、夜間は 14,596 回の出撃に対し損失数は
138 機で損失率は 0.95 パーセントであった。夜間の損失率は昼間の三分の二だった69。
http://www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/200803/06.pdf
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/07/03(日) 15:12:44.55 ID:YcBVlB9i
During the war, FEAF units flew 720,980 sorties and delivered 476,000 tons of ordnance.
For these numbers FEAF estimated it had killed nearly 150,000 North Korean and Chinese
troops and claimed the destruction of more than 975 aircraft, 800 bridges, 1,100 tanks,
800 locomotives, 9,000 railroad cars, 70,000 motor vehicles, and 80,000 buildings.
This damage was inflicted at the cost of 1,841 men killed, wounded and missing,
and 750 aircraft destroyed by the enemy.
http://www.state.nj.us/military//korea/factsheets/air_f_fs.html >This damage was inflicted at the cost of 1,841 men killed, wounded and missing,
COMBINED SUMMARY OF 20TH AIR FORCE & 9TH GROUP OPERATIONS
20TH AIR FORCE 9TH BOMB GROUPC
From June 5, 1944 on From February 9, 1945 on
Missions 380 75
Sorties
Combat 31,387 1843
Other 1,617 169
Total 33,004 2012
Bomb and
mine tonnage 171,060 11,376
B-29 losses
Combat losses 494 14 + 5 non-combat
Training losses in U.S. 260 1
Air crew losses
Killed 576 26 + 1 ground crewman
Missing 2,406 96 (12 repatriated)
Wounded or injured 433 30
http://www.9thbombgrouphistory.org/Chapters/Chapter_07.pdf
もう一回、疾風を飛ばしたいものだ・・・
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/15(火) 19:26:17.80 ID:9K/XBrtw
戦争やりましょう 中国鶏姦工作員ふざけるな テクノロジー犯罪テロ装置今年の5月に日本の警視庁防課は被害者のSDカード15分を保持した 有る!国民に出せ!! 創価は潰せる *犯人は創刊学会幹部だかキタオカ1962年東北生は、二十代で2人の女性をレイプ殺害して入信した 創価本尊はこれだけで潰せる創価はヤクザ学会 (東芝部品同和も絡む)
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2011/11/25(金) 23:31:22.60 ID:AfxkPLlQ
疾風よりも金星ゼロのほうを怖がってるよムスタングライダーどもは。ソースは「丸」でのムスタング乗り達の発言
何故、実戦に出ていない金星零戦を恐れるのやら・・・
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/01/03(火) 12:08:24.94 ID:rsKhtQTu
アメリカイギリス中国ドイツ、その他諸々の国が、日本とロシアの和解に大反対しているのではないか。 日本とロシアが和解したら困るのはどういう国々なのか、次の例で明確だ。 第二次世界大戦後、アメリカ軍はテューリンゲン州をソ連軍に受け渡し、 第二次世界大戦後、アメリカ軍はテューリンゲン州をソ連軍に受け渡し、 第二次世界大戦後、アメリカ軍はテューリンゲン州をソ連軍に受け渡し、 自国の兵隊が血を流して確保した重要戦略拠点をソ連に明け渡すことになったアメリカはもちろん、 イギリスや西ドイツも共産主義ソ連の脅威を受けることになる。またソ連が対日参戦しなければ、 中国人が意地でも否定したい傀儡満洲国が健在のままになってしまう。 吾 等 ノ 決 定 ス ル 諸 小 島 ニ 局 限 セ ラ ル ベ シ 一方で「日本は無条件降伏をした」といいつつ、もう一方で「ロシアは北方4島を日本に返還すべき」 などと精神分裂病のような言説が流布されているのも、こうした事情から来ているものと思われる。
186 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2012/01/04(水) 21:13:35.67 ID:yKH0WvOH
「アングロサクソン陣営の極東軽視」だが、これは戦争が終わってから、 中国がアングロサクソンの敵に回る原因にもなった。 大陸打通作戦で日本軍が南北縦貫3000キロを進撃しているのに、「極東戦線はマイナーだから」 などという理由で安易に切り捨てたりしたら、中国抗日戦争の値打ちはカス以下になってしまう。 しかも日本占領においては「太平洋戦争」などと教えられて、日中戦争がスッポリ抜け落ちてしまった。 これではいくら中国人が南京大虐殺やら三光政策やらで日本批判をしても、日本人のほうは 「日中戦争ってなにそれ」ってなことで、中国人がますます惨めになってしまう。 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ もし本当に中国人が日本軍国主義の侵略戦争とやらで3500万人虐殺されたのだとすれば、 戦勝国でありながらそんなに大勢虐殺された中国人がチンピラゴロツキ。 偽りだとすれば、そんな偽りの数字を出すのはチンピラゴロツキの所業としか言いようがない。 チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ いずれにしても、中国人は「われわれはチンピラゴロツキです」と自ら公言しているというわけだ。 チンピラゴロツキにはチンピラゴロツキとそう呼んでやるのが、チンピラゴロツキへのご挨拶というものだ。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/04/18(水) 12:29:34.62 ID:uhZjcOLa
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/24(金) 19:31:57.17 ID:9A4KzjDO
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/08/25(土) 01:28:29.62 ID:3cYoq+UY
その例え、チンピラゴロツキに失礼だ!
>>185 調印すれば名実ともにソ連の物になったのに、調印拒否したソ連のおかげで北方領土の名目上領有権が日本に留保された
売買契約で売り手が署名捺印しておとなしく待ってたのに、買い手がすっぽかして契約が成立しなかった
これと全く同じこと
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/31(木) 17:16:31.19 ID:YSGQsIro
ってか、中国人なんてゴミみたいなものだろw
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/02/05(火) 03:21:45.22 ID:+DiJrTgJ
>>166 攻撃機(IL-2など)ならいいけど
もっと運動性高い戦闘機には無謀な重量だろう。
それにエンジンに当たった分は搭乗者まで届かないから、
パイロットへの被弾を恐れるなら、やはり防弾ガラスが求められる。
ソ連の対地攻撃機は液冷が多いから冷却経路が被弾しないよう
装甲したともいうけど。
フィンランド軍がアメリカからブルースター・バッファローを購入した時、特注で装甲板製座席を作らせています。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/04/26(金) 17:56:09.74 ID:DjSiRan+
チンピラゴロツキにはチンピラゴロツキとそう呼んでやるのが、チンピラゴロツキへのご挨拶www
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/06/06(木) 09:27:58.71 ID:kM+lxP4F
昭和20年6月21日
「菊水第十号作戦/第二白菊隊」
1900〜30 白菊8機が、鹿屋基地を発進。
沖縄周辺海域に突入した模様であるが、状況不明。
【指揮官】
古賀一義 中尉
【戦果】
不明
《米軍記録》
沈没:中型揚陸艦「LSM59号」/1機命中戦死2名
囮船元 「バリー」/1機命中
大破:水上機母艦「カーティス」/1機命中戦死41名負傷28名
[陸軍特攻第二十六振武隊の四式戦により]
損傷:水上機母艦「ケネス・ホワイティング」
護衛駆逐艦「ハロラン」
http://pico32.web.fc2.com/kaigun/jitsuyoki/kochi.htm >沈没:中型揚陸艦「LSM59号」/1機命中戦死2名
The plan worked, but unfortunately there were two suicide planes, one striking the decoy and one sinking LSM-59
http://www.navsource.org/archives/10/old/10/14059.htm 但しこの日の出撃も「白菊」単独ではなく、これらの米軍損害には、四式戦その他陸軍特攻によるものも含まれる。
スレ違いとの批判もあろうが、四式戦だろうが練習機だろうが、1945年半ば以降は「特攻」あるのみということ。
四式戦特攻と白菊特攻では、どちらが有効だったと言えるだろうか?
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/06/06(木) 09:36:43.34 ID:kM+lxP4F
戦闘・非戦闘あらゆる原因による日本の陸海軍機の損失は、開戦当初の月平均約500機から、1944年後半に月2000機以上に上昇した。
戦争の過程における総損失機数は50000機の多きに昇ったが、その40%弱が戦闘損失で、残りの60%強が訓練、輸送その他の非戦闘損失だった。
したがって、日本は戦争中ほとんどどの月でも、その航空部隊の数字上の機数を増すことができた。数字上の戦力は戦争勃発時の
戦術機2625機から、降伏時の戦術機5000機に加え、カミカゼ機5400機にまで上昇した。
搭乗員総数は戦争勃発時の約12000名から降伏時の35000名強に増加した。
アメリカの航空機生産と操縦士訓練は大幅に日本の合計を上回っていたが、この戦力の一部だけしか太平洋に配備できなかった。
真珠湾以西の太平洋におけるアメリカの第一線戦力は、1941年の約200機から1945年8月11000機に増えた。我々が戦場で日本の航空部隊
を上回る数的航空優性を達成したのは1943年後半以後のことだった。しかしながら、1942年でも、太平洋における比較的小数のアメリカ
の航空部隊は、数的優位を維持した日本より、より大きな損失を日本に負わせることができた。太平洋戦争中のアメリカの損失機総数は、
アメリカ国内での訓練中によるものを含まず、約27000機だった。これらの損失のうち、8700機は戦闘、残りは訓練、輸送、他の非戦闘での損失だった。
戦闘損失のうち60%強が対空砲火によるものだった。
前述したように、戦争勃発時の日本の操縦士はよく訓練されていた。平均的な陸軍の操縦士は戦闘に投じられる前に約500時間、
海軍搭乗員は650時間の飛行時間を有していた。これらの経験豊富な操縦士は、戦争開始一年半の激しい作戦で大量に使い果たされた。
日本は我々が訓練された操縦士を防護、休養、交替させるのに対し、より少ない注意しか払わず、増大する航空ガソリンの不足によって
その訓練計画を深刻に妨害された。戦争全体を通じて平均飛行時間は減少し、降伏時、アメリカ操縦士が600時間だったのに比較して、
100時間強といったところだった。訓練不十分な操縦士は、アメリカで養成された熟練した操縦士に張り合えなかった。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs09.html
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN ID:ARKE7qPc
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN ID:h0b9l/2E
>>1 なぜ? 大戦末期の陸軍主力戦闘機だったからです。
3500機も作ったではなくて、それしか作れなかった。
だから、隼等の旧型機も現役で稼働させざるを得なかったわけです。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/09/05(木) 15:09:07.96 ID:DeTAJqo2
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/09/05(木) 15:25:15.00 ID:DeTAJqo2
世界の戦場を駆けた「P-51」(渡辺洋二) [対日戦のマーリン・ムスタング] 太平洋戦線で最初にマーリン・ムスタングを装備したのは、中国大陸の第14 航空軍の1隊として、すでにP-51Aで戦っていた第23戦闘グループの第76戦闘 飛行隊。1944年2月からP-51Bへの改変を進め、C型も加わった。9月以降さらに 2個飛行隊が、P-40から切り替えられていく。 同グループの変わり種は、6月に編入の第118戦術偵察飛行隊。偵察機装備が 本来なのに、P-51Cを主装備機とし、戦闘機隊とみなされて作戦した。 第51戦闘グループの3個飛行隊は1944年3月から年末にかけて機種改変。 インド方面の第10航空軍から編入された第311戦闘グループ(旧・戦闘爆撃 グループ)は、P-51B/Cを装備して8月に中国奥地の成都近郊に進出した。 D型とK型の配備は1945年に入ってからである。 逐川、零陵を基地とする第23グループは、10月の香港空襲の掩護、大陸打通作戦 に圧迫される中国地上部隊の支援などを実施。成都防空の第311グループは華北へ作戦 地域をうつし、11月から鉄道施設攻撃のB-25の護衛や漢口、南宛の飛行場を襲った。 雑誌「丸」編集部 P-51ムスタング/P-47サンダーボルト 図解・軍用機シリーズ8
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/09/19(木) 10:41:59.28 ID:UUeccyR9
B-29 losses to accidents, enemy interception, and to Japanese air attacks on the Chengtu forward bases soon
came to be prohibitive, and by the end of 1944 had reached 147.
During Operation Matterhorn, 49 separate missions had been flown involving 3058 individual aircraft sorties. Only 11,477
tons of bombs had been dropped. In spite of the massive effort involved in Operation Matterhorn, only insignificant
damage had been done to targets in Japan.
http://www.joebaugher.com/usaf_bombers/b29_9.html
>>1 ・中島が、米国式の大量生産方式をとっていた。
・隼と疾風の治具が、一部共通だった。
・零式戦闘機や隼よりも、組立が簡素化されてた。
・”特殊疲労回復剤”で、長時間の仕事が出来た。
そんな所ですかね。
205 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2014/01/21(火) 12:31:40.51 ID:+TKyYeEr
表3−3 イギリス戦闘機兵団の戦力(7月9日/9月7日)
戦闘機群 機種別中隊数
スピットファイア ハリケーン ブレニム デファイアント グラディエーター 計
第10群 2(4) 2(4) (1) (1) 4(10)
第11群 6(7) 13(14) 3(2) 22(23)
第12群 5(6) 6(6) 2(2) 1(1) 14(15)
第13群 6(3) 6(8) 1(1) 1(1) 14(13)
計 19(20) 27(32) 6(6) 2(2) (1) 54(61)
(注) カッコ内の数字は9月7日の中隊数
(出典) Basil Collier.The Defence of United Kingdom,HMSO.1979
<前略>
航空機生産省は、当面、ハリケーンとスピットファイアを優先して生産した。
生産量の六五%がハリケーン、三五%がスピットファイアであった。ちなみに、
全戦闘機のうちハリケーンは五五%を占め、スピットファイアは三一%であった。
(ただし、一九四〇年五月初めから一〇月末までの撃墜された戦闘機のほぼ四〇%
をスピットファイアが占め、ハリケーンが三三%ほどであったから、スピットファイア
のほうが撃墜されやすかったということになろう)。
<日本経済新聞社「戦略の本質 戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ」107−108頁 >
Day 22 ? July 31st 1940
July 31, 2010 in 74 Squadron, July 1940 | by Tony Rudd | Leave a comment
Weather: fair everywhere.
FIGHTER COMMAND SERVICEABLE AIRCRAFT AS AT 0900 HOURS:
Blenheim ? 63
Spitfire ? 239
Hurricane ? 348
Defiant ? 25
Total ? 675
http://battleofbritainblog.com/category/july-1940/
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/01/21(火) 13:37:13.52 ID:JVYmFoGb
米軍はB-29による成都から日本への爆撃には、1機あたり23トンの軍需
品(燃料、爆弾、弾丸等)が必要と考えていた。そのため、B-29、100機分と
成都防空の戦闘機が必要とする軍需品を合わせて、最低6,000トンの物資の
集積が必要であった。最新鋭の「超空の要塞」も石油がなければただのアル
ミの物体に過ぎないのである。
昭和19(1944)年6月13日、ようやくカルカッタに待機する第20航空
軍所属の第58爆撃団(B-29)に出撃命令が下った。機体には250kg爆弾2ト
ンが積み込まれた。成都では燃料の補給だけが行われた。
昭和19(1944)年6月15日午後、B-29、75機が成都の飛行場を離陸した。
http://oilgas-info.jogmec.go.jp/pdf/4/4367/201105_065e.pdf 9)在華米空軍は,1941年初めに結成された米人の義勇空軍「フライング・タイガーズ」が
発祥であり,その後42年 7 月に正式に米陸軍航空部隊に改編されて第23追撃隊となり,さ
らに翌43年 3 月に米陸軍第14航空軍に改編された。44年 4 月30日現在の配備機数は,偵察
機10(P38),戦闘機294(P38,P47,P40,P51),爆撃機168(B24,B25)の472機であり,
重慶空軍233機と合わせて705機と判断されていた。当時の日本の第5 航空軍の出動可能機
数は約230機であり,彼我の戦力比は約 3 対 1 であったという。(益井康一『本土空襲を阻
止せよ!―従軍記者が見た知られざる B29 撃滅戦』光人社 2007年 23〜26頁,95頁,98頁)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/12-56/inoue.pdf In January 1944 the air force had 194 fighters, 38 medium bombers, and 50 heavy bombers;
for the 9-month period beginning in October of that year. the totals were
Month Fighters Medium Bombers Heavy Bombers
October 457 105 45
November 535 109 47
December 510 105 56
January 520 94 70
February 521 92 56
March 564 99 65
April 525 103 69
May 500 117 69
June 483 127 65
http://www.ibiblio.org/hyperwar/AAF/V/AAF-V-9.html
207 :
だつお ◆t0moyVbEXw :2014/04/11(金) 12:16:50.04 ID:8IIYpYAp
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/04/11(金) 12:46:57.65 ID:R33/ShAJ
疾風は、大東亜決戦機として作られたと思う。 だけど、エンジンを2000馬力級にしたのは良いがエンジントラブルが多かった。 稼働率が低ければ戦力とはならない。 量産体制は確立していたので、大量生産は可能となった。 ゼロ戦も月産300機以上出来るころだったので。 けっこう、陸軍機で活躍したのは5式戦闘機だと思う。 これは、液冷エンジン(生産が間に合わない)の飛燕を空冷エンジンにしたもので、 特に、20ミリ機関砲4門は強力だった。 B29撃墜に活躍したのは、月光と呼ばれた双発の夜間戦闘機ですね。 疾風も、戦後アメリカの試験結果では、時速620キロ近い速度を記録。 日本の最優秀戦闘機と言われている。 何しろ戦争末期の日本は、ガソリンも、オイルも劣悪な状況だったから・・・
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/04/11(金) 13:19:06.17 ID:R33/ShAJ
P51ムスタングは、朝鮮戦争でジェット機とも戦った名機。 これと、対等に戦えたのは、海軍の紫電改くらい。 硫黄島から飛来したP51と空戦を行い、追い払った戦史は有名。 これができたのは、生き残りの優秀なパイロットが戦ったということ。 飛行機を手足のように、操縦できなければ、民間機と同じ。
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/04/11(金) 20:10:47.08 ID:OHxB57/N
5式戦闘機は機首20mm機関砲(ホ5)2門、翼内12.7mm機関砲(ホ103)2門、580km/h 疾風の最高速度は624km/h、戦後のアメリカ軍によるテストでは687km/h 5式戦闘機はF6FおよびF4Uと互角の戦いが行えたと言われている
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/04/12(土) 03:54:15.39 ID:7PjT1nd3
最高速度で44km/hの差。 トンズラこくには、多少有利なくらいの差だな。
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/04/12(土) 05:35:38.85 ID:9T1UPYMS
>>210 5式戦闘機は、20mmバルカン砲(回転銃)を備えた機種もあった。
これは、機数としては少なかったが、かなり有効であったと言われている。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/04/12(土) 05:47:13.75 ID:9T1UPYMS
アメリカ軍が恐れたのは、巴戦の戦いで、 旋回性能が良い日本の戦闘機と戦うには、一撃離脱方式が有利とみた。 ソロモン諸島の、ガダルカナル争奪戦ではこれが活かされて、日本は劣勢になった。 (中国大陸でのフライング・タイガースの経験を生かした) 日本の優秀なパイロットの多くは、このラバウル航空隊の消耗が大きい。 日本は、もっと早く後退して、時間稼ぎで防御を固めたほうが良かったかも・・・
なんだ、ここいくつかのシロート臭い書き込みはw
巴戦でも連携できたらまず勝てるよね。 一撃離脱が無くなってもロッテは今も残っているんだから。
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/08/09(土) 03:10:57.87 ID:e7X+Ksya
174 :連合軍公刊戦史からの抜粋:03/06/05 23:41 ID:usnD2Jzo タクロバンの混雑 栗田艦隊が後退したとき、日本軍は絶好の機会を失った。 レイテ橋頭堡は危険状態にあり、二十五日朝第七艦隊の軽空母二隻が沈没、 残りの半数以上の軽空母は作戦不能の状態にあった。 日本軍機は二五日一二〇〇〜一六〇〇の間一二回レイテに来襲し、 タクロバンで上陸用舟艇二隻を撃沈、倉庫を破壊、桟橋に損害を与えた。 日本軍の勇敢な一機は夕闇にまぎれ、着陸前の米軍機数機の最後尾から 着陸進入を装いながら接近して、突如大型上陸用舟艇を爆撃、炎上させた。 この艇はのち沈没した。 日本軍はこの夜の間に、増援部隊を載せた最初の輸送船団(五〜九隻 の駆逐艦と五隻の貨物船)をオルモックに上陸させた。我々はこれを阻止 する処置を執らなかった。 二六日、日本軍は合計一五〇機を使用し、一二回の空襲を行った。 最初は〇五一五で、一発の爆弾がマッカーサー大将の宿舎の邸の端にある 比島人民家に命中し、一二人を殺し一〇人を負傷させた。他の一発は 従軍記者の宿舎に命中し、記者一人が死亡し四人が負傷した。 タクロバン飛行場では、日本軍機の執拗な妨害を受けたが、一五〇〇までに 鋼製マット一、〇〇〇呎を敷き詰めた。日本軍の攻撃のうち四回は全然警報が でなかった。我々は壕を入ったり出たりした。これらの飛行機は超低空で 進入して滑走路に沿って飛びながら掃射とともに破片爆弾を投下した。 爆弾の四分の三以上は爆発しなかったが、そうでなかったら我々は大打撃 を受けたことであろう。(注 「タ」弾攻撃と考えられる) 比島捷号陸軍航空作戦 / 防衛庁防衛研修所戦史室‖著 / 朝雲新聞社 , 1971 ( 戦史叢書 ; [48] )
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/09/04(木) 09:50:18.74 ID:mh6mjle0
一九四三年に出版されて絶大な人気を博したウェンデル・ウィルキーの 『ひとつの世界』は、高い志のもとに団結し、ほとんどキリスト教国の ような価値観を有し、西洋世界を愛する「民主」大国たる中国、という 神話をつくり上げるのに大いに貢献した。「皆無」という言葉はまったく 妥協の余地のない強いものだが、バーバラ・タックマンはこの言葉を使って こう書く。「親中国派や教会のグループなどによる強力な宣伝に眼を覆われた アメリカの一般大衆は、実情の認識が皆無である」。中国の実情が少しずつ 明らかにされていったのはようやく一九四四年十一月、解任されたジョゼフ・ スティルウェル将軍が口を開き始めてからのことだった。これでタックマン の言葉を借りると「やっと汚れに汚れていた中国というきたないシーツを 洗濯する日が来た」のである。 誰にも書けなかった戦争の現実 / ポール・ファッセル/著 宮崎尊/訳
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/09/04(木) 19:03:41.72 ID:dIOO/2R6
戦後のアメリカの試験では、四式戦闘機疾風は日本の最高傑作機だと評価された。 しかし、個人的には海軍の紫電改が好きで、これが最高傑作機と思っちゃう。 むしろ、陸軍機では五式戦闘機(三式戦飛燕の改造)が実用的かなと思う。 液令エンジンから空冷エンジンに変えて生まれ変わったww 疾風はエンジントラブルが多く、しかもオイルやガソリンも・・ 戦後のアメリカでは最大評価されたが、実戦では評価は低い。 ちなみにゼロ戦は三菱製だが、エンジンは中島製。 飛行機は昔も今も、大量生産は乗用車のような大量生産は難しい。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/09/04(木) 19:22:17.01 ID:dIOO/2R6
ゼロ戦のエンジンの栄エンジンは、100オクタン以上のガソリンが必要。 ガソリンはオクタン化が高ければ圧縮比があがり馬力が出る。 戦時中はこのガソリンが手に入らずに苦労している。 パレンバンのガソリンを目指した日本軍もこれを手に入れななかった。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/09/04(木) 19:34:53.65 ID:dIOO/2R6
四式戦闘機疾風がなぜ大量に生産されたかは、歴史をみれば明らか。 疾風が何んと呼ばれていたかそれは「大東亜決戦機」です。 しかし、なんか不思議ですねww 大東亜決戦ならインパール作戦に行くべきでしょう。 太平洋の戦いは日本の国是にそぐわない。
>>219 百オクタン必要なのは誉エンジンですが?
>>218 まだ良いところなしで落第の五式戦に幻想をいだいている人がいるとは驚き。
>>219 栄なら、95オクタンでも問題ないよ。
もっとも、大戦中期から国内では
それすら入手が難しくて、90オクタン以下のガソリンしか
入手出来なくなったんだが・・・
実際問題として、100オクタン以上のガソリンなんて
当時はアメリカしか作れなかった代物だ。
>>220 中国や比島なら四式戦を投入していますが?
インパールは現地解決主義だから四式戦をくれとか主旨に反する無茶を言われても困るだろ。
誉エンジンを使った最成功機?
異議あり!
>>225 海軍の艦上偵察機である”彩雲”が、誉発動機を
搭載した最成功機だ!
>>226 生産されていないので却下。
まだ銀河の方が上。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/09/09(火) 23:05:18.26 ID:ymwbpUqO
海軍では陸上で戦闘機を林の中に隠して分散していた。 陸軍はフィリピンでは集中管理し200機近くが陸上で炎上。 疾風は陸軍機でエンジントラブル多く、管理も不行き届き。 海軍の紫電改と陸軍の疾風はほぼ同等な性能だったとは思う。 あとは、パイロットの育成行政が・・・まにあわなかったww
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/01/06(火) 19:09:41.23 ID:PfFl9OtT
♪さらば〜、地球よ〜、旅立つ翼、大東亜決戦機〜、 は〜、や〜、て〜
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/01/09(金) 09:29:37.78 ID:5o6ficA6
千葉県市川市が主な拠点の詐欺グループ大手飛車取(オレオレ詐欺もやってた)の元締めが、実はなんと東証一部の株式会社リブセンス
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/01/09(金) 13:20:57.38 ID:/cn0ZKBG
ゼロ戦の多くは、中島飛行機で生産していたでしょう。 たぶん、量産体制が整っていたという事だと思う。 ゼロ戦のエンジンは中島製だから納得できる。 飛行機の設計と、生産は必ずしも一致しないかもです。 むろん、ゼロ戦は三菱という歴史は変わらない。
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2015/01/18(日) 10:24:36.69 ID:S60pZBRn ★明治維新から昭和10年代までの工業生産力 <鉄道> ・明治5年 鉄道新橋横浜間29km開通 ・明治40年 9000km <電信電話> ・1854年 ペリー献上品 電信機 ・明治5年 東京神戸で電信線開通(支那は外国資本による) ・明治32年 電話 ・昭和10年 電信電話数 世界2位 <電力> ・明治19年 日本最初の電力会社設立(エディソンから6年) ・明治25年 東京の電灯の数1万 <機械工業> ・自動車生産台数 昭和16年トラック7万台 世界2位米30万台 ・自転車生産台数昭和11年100万台超え世界一 <新兵器> ・世界最初の空母 ほうしょう 大正8年(1919) 出典:『大日本帝国の国家戦略』(彩図社)