戦艦三笠は超弩級なのだ

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147名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/22(金) 19:02:02 ID:AcqorBrd

実物大のものが、石川県の加賀にできるらしい。
148名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/24(日) 16:07:30 ID:tegJpAwg
実物大っても、艦首から100メートルの部分だけしか造らないらしいぞ。
どうせ造るなら131mキッチリ復元しろよ・・。日本はやることが小さいんだよ。
149名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/25(月) 00:49:39 ID:8hRPNK4M
三笠、意外にちっこい船だったな。
一万トン級だから当たり前ではあるが。
あの程度の船でそこら中に命中弾浴びながら
回頭後に砲戦開始して勝ったってのは、戦術以前にたいした肝っ玉。
艦への被害はともかく人的被害としては地獄絵図だったろ。
記念艦には被弾箇所も表示してある。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/26(火) 00:07:58 ID:7j8V9tuJ
日本海海戦の敵前大回頭冒険説は、黛さんの著書によれば大迷信なんだと。
砲撃する標的である敵艦隊が定針するまで照準できないから。
(黛さんは大和の初代砲術長)
151名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/26(火) 09:18:06 ID:OQMvE+FC
三笠の被弾は、大半が艦隊回頭中のものなんだが。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/26(火) 11:29:43 ID:s7+6hHFi
三笠の最初の被弾はスウォーロフの15cm砲弾で、14時13分。
三笠転舵後8分。定針するまでは苗頭と距離を砲台に伝えられない。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 03:58:00 ID:HUumk7i7
中身を改造したい
154名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 17:39:24 ID:rnVQdWz6
>>150
弩級艦以後の砲術システムで、前弩級艦時代の海戦を議論しても無駄。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 18:43:06 ID:zAag+iGl
敵前回頭が危険かどうかの話しだろ?
弩級艦と前弩級艦がどうのじゃない。
156名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 20:58:10 ID:UE7MLifr
>>150

これでつか?

書名 海軍砲戦史談−砲将東郷砲を愛して大勝し空将山本砲を侮って大敗す−
著者名 黛治夫著
出版社 東京 原書房
出版年月 1972
157名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 21:40:36 ID:XD3ih0Cz
wikiでは艦隊回頭中に約三十発(?)被弾したことになってるがな。
ソースはたどれんけど。
至近弾も含めてかもしれんが。

目標が変針中でも測距はできるし、射撃もできるはずだが。
もちろん、回頭終了後に速度分の諸元を取り直すのが前提。
海上で射距離7000で敵前回頭すんのは、どう考えても冒険だろ。
初弾から交叉しかねん距離だぜ?
158名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 21:46:57 ID:XD3ih0Cz
そもそも、ロシア艦隊は艦橋での射撃統制システムが未発達で
砲ごとに射撃統制してるんでなかったか?
159名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 23:35:59 ID:RRTR6WjM
夾叉な。
黛さんは「戦術的批判は射撃の技術を基礎にしなければ
適当に行われない」という好例に挙げてるんであって、
敵前回頭冒険説の流布者たちを攻撃してるわけじゃなさそうだ。
「調査も思考もなさず危険極まりないと判決するのは過失」と述べてる。
海軍砲戦史談面白いぞ。
160名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/30(土) 02:01:55 ID:op4rxDO8
射距離7,000て、当時としては夾叉弾を期待できる距離じゃ
ないだろ。
161名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/30(土) 13:38:57 ID:oBAYkQvF
先に命中弾を送ったのは三笠らしいな。
転舵後7分、14時12分でスウォーロフに命中。本射に移ってる。
スウォーロフが三笠に命中させたのはその1分後、試射中だ。
162名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/07(火) 10:31:23 ID:g+RFVmWv
>>147-148

「戦艦三笠」雄姿 加賀、日本元気劇場で公開

18日開業の加賀市黒崎町のテーマパーク「日本元気劇場」で、戦艦三笠の
オープンセットが公開されている。全長80メートル、高さ約50メートル
の艦影は、上空からもはっきりと見える大きさ。訪れた人は「想像以上に大きい」
と目を見張っている。
 戦艦三笠は日露戦争時、日本海海戦で勝利した旧海軍連合艦隊の旗艦。同劇場の
目玉施設として作られた三笠は主砲や副砲、艦橋などが忠実に再現され、今秋に
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」のロケが行われる。

 同劇場は旧百万石時代村を再生し、先月26日に竣工(しゅんこう)した。
本開業を前に、三笠と劇場内の一部施設がプレオープンとして一般公開されている。

【7月7日02時54分更新】
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/TR20090707701.htm

上空からも雄姿が見える日本元気劇場の三笠=加賀市黒崎町、北國新聞社ヘリ「あすなろ」から
http://www.hokkoku.co.jp/subpage/TR20090707701.jpg
163名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/07(火) 18:53:21 ID:xtuoxbhG
なにこの中途半端な造り・・
聨合艦隊を舐めとんのか
どうせ造るなら六六艦隊造って海に浮かべろよ・・
164名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/14(火) 02:30:43 ID:Ia969hoc
The Russo--Japanese War (1904--1905) provided operational experience to validate the concept. The Russian
Navy was decisively defeated during the naval battles of the Russo--Japanese War (1904--1905), especially at
the Battle of Tsushima (May 1905), by the modern Imperial Japanese Navy which was equipped with modern-era
battleships, mostly of British design. The events of the battle confirmed to the world that only the biggest guns
mattered in naval battles at that time. As secondary guns grew in size, spotting and discriminating between
splashes of main and secondary guns became problematic. The Battle of Tsushima demonstrated that damage
from the main guns was much greater than secondary guns. In addition, the battle demonstrated the practicality
of gun battles beyond the range of secondary guns (12,000 yd/11 km). The United States, Japan, and Britain all
realised this and launched plans for all-big-gun ships. During the battle, Royal Navy observers onboard Japanese
ships made reports regarding the battle. These reports were analysed by the Admiralty in London and the approval
to lay the keel of Dreadnought was granted in October 1905.

The Imperial Japanese Navy's Satsuma was the first battleship in the world to be designed (1904) and laid
down (15 May 1905) as an all-big-gun battleship, five months before Dreadnought, although gun shortages
only allowed her to be equipped with four of the 12 12 in (30 cm) guns that had been planned.
165名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/17(月) 10:35:20 ID:/HMy3/Me
日露戦争で東郷平八郎が座乗した記念艦「三笠」訪問レポート
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090815_mikasa/
166名無しさん@お腹いっぱい:2009/10/23(金) 15:39:09 ID:vtJfmqjf
話それて悪い。

ニミッツ提督は、
駐留米国軍人のダンスホール・映画館にされた事は、
ニミッツ提督には耐えがたかったそうだ。
彼は自分名義で是非もう一度戦艦三笠を作ってほしいといった。

167名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/01(火) 01:52:33 ID:grye+Rjf
イギリスに注文したらよかったのに。
168名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/01(火) 13:50:18 ID:kaoNHHTi
夏休みにはまた三笠見学−猿島観光のコンボでもするかな
169名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/27(日) 01:57:32 ID:czTDV3cL
↑今日それをやった。ついでに鷹取山登山と鎌倉見物も1日で
あの辺は見どころが色々あるね。
170名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/27(日) 12:49:47 ID:PL4a3/Fj
三笠って、ドレッドノートの後だっけ?
素朴な疑問。
171名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/27(日) 18:04:27 ID:UImRF8v+
>>170
ドレッドノートの方が後
172名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/23(木) 16:34:19 ID:8GEioyxI
誰も加賀に行ってないのかw。

173名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 18:01:15.17 ID:s4COGwYc
「三笠・長門見学」

船は横須賀の波止場へ着いた。ポーッと汽笛が鳴る。私達は桟橋を渡つた。薄曇りで、また酷い暑さの今日は、海迄だるさうだ。
併し、僕達は元気よく船から飛び出す。三笠の門の前に集合し、そして芝生の間の路に歩を運ぶ。艦前に来て
再び集まり、三笠保存会の方から、艦の歴史やエピソォドを伺つた。
お話が終ると私は始めて三笠を全望した。
見よ! 此の勲高き旗艦を。そしてマストにはZ信号がかゝげられてゐる。
時に、雲間を割つて出でた素晴らしき陽は、この海の館を愈々荘厳ならしめた。艦頭の国旗は、うすらな風に
ひるがへり、今にも三笠は、大波をけつて走り出さうだ。一昔前はどんな設備で戦つてゐたのか、早く見たくなつた。
やがて案内の人にともなはれて急な階段を上り、艦上に入る。よく磨かれた大砲が海に向つて突き出てゐる。
こゝで日本の大きな威力が世界に見せられたわけだ。伏見宮様の御負傷の御事どもをお聴きして、えりを正した。
其処此処に戦士者の写真が飾られてあるのも哀れだ。
(続く)

平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
174名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 18:02:00.37 ID:s4COGwYc
「三笠・長門見学」

私達は最上の甲板に登つて東郷大将の英姿を想像してみた。手に望遠鏡、頭上には高くZ信号。……皇国の興廃
此の一戦にあり、各員一層奮励努力せよ……。とは単なる名文ではなくて、心の底から叫んだ愛国の声ではないか。
士官の室が大変立派なのにも驚いた。又会議室へ行つて此処でどんな戦略が考へられたかと思つた。艦の全体に
ペンキで戦痕が記されてある。こんなに沢山弾を受けたのに一つも艦の心臓部に命中しなかったのは畏い極み乍ら、
天皇の御稜威のいたす所であらう。艦を出て、暫時休憩し、昼食を摂る。休憩が済むと、再び海に沿うた道を歩く。
そここゝにZ信号記念品販売所等と看板があるのも横須賀らしい。さうする中に海軍工廠の門内へ入つた。
クレーンや、色々の機械の動く音と、金槌の音が、あたりを震はせてゐる。「今造つて居る戦艦は、十一月に
進水式をするのです」と案内の人が言つた。あちらでは古い旗艦を保存してゐるのに、こちらでは新しい軍艦が
どんどん生れて来てゐる。一寸面白く思つた。
(続く)

平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
175名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/13(金) 18:03:02.91 ID:s4COGwYc
「三笠・長門見学」

其の内にランチへ乗る。さうして五分も経たないで長門につく。先づ此れを望んで、さつきの三笠と較べて見ると、
余りにその設備の新式なのに驚いた。艦上には四十糎(サンチ)の素晴らしい大砲がある。其の太い砲口から
大きな大きな砲弾が出たらどうであらうと思ひ乍ら、案内の人にともなはれて下へ行く、水兵さんの頭を
刈つて居る所、色々な室、何も彼も物珍らしく面白い。時間が無かつたので、ゆつくり見学することが出来ず
残念であつたが、記念撮影をして再びランチに帰つた。あゝ日本の精鋭長門、こんな軍艦があつてこそ、
日本の海は安全なのであらう。ランチが着き菊丸まで歩いて、かうして今日の有益な見学を終つた。

平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
176名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/16(月) 17:44:27.95 ID:C6xDdaTl
なんだかんだで実物の三笠って重厚でいい感じだよね。
現役復活させようぜ、海賊程度ならあの勇姿で一発でビビルだろ。
177名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/27(金) 10:11:05.92 ID:Eed4DM2e
三笠ってもう浮いてないんだっけな
なんかコンクリで固定化してるとか何とか
178名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/30(月) 18:43:04.47 ID:GRF8Fn9e
嘘の沈没場所の慰霊碑を観光地にしている

http://s1.shard.jp/rabbit1/02/4/46_2.html

戦艦大和の沈没地点は、嘘の公表でごまかされていた。
179名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/01(水) 00:11:40.32 ID:T1A24f6A
前弩級だろ。
180名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/02(木) 21:02:48.31 ID:DzvNHNx/
いいやDQNソだろ
181名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/03(土) 20:53:30.95 ID:Xq7bD/ga
保守
182名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/06(火) 04:02:31.56 ID:ahbziZyr
三笠は戦後かなり荒廃したからね甲板から上はほとんどレプリカ、戦後の混乱で部品や砲塔、艦橋まで持ちさられ現在も所在不明
その挙げ句に米軍が娯楽施設や水族館に改造している現在存在している三笠は実物大の模型に近い状態
183名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/20(金) 02:09:47.55 ID:dV63CtK5
つまり超弩級って大したこと無いってことだよな
だって大和に比べたら三笠なんて軽巡みたいなもんだろ
184名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/21(土) 10:19:43.91 ID:iAc1McAc
曾祖父が三笠の艦長だったらしいけど、凄さが全くわからん。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/14(金) 23:55:16.17 ID:SlY8hrEO
三笠
186名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/15(土) 23:42:19.22 ID:R54If0zT
>>184
艦長は大佐ポスト
戦前の官僚制度だと大佐の官等は高等官3等で、文官で言えば中央官庁の課長や大学教授と同格
一高・三高(今の東大・京大)と並び称される難関の海兵を出ても大佐まで行くのは半分以下
187名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/17(月) 00:39:09.62 ID:O8v+M5sP
加賀市の日本元気劇場のハリボテ三笠見てきた。
実際に触らなければハリボテとわからんレベル。
サビもでてるし汚れもあるのである意味では本物以上にリアル。
リベットがちょっとうるさいかな。
四番目の煙突から後ろがぶったぎりだった。

入場料1000円。
横須賀の本物に比べるとパフォーマンス悪い。
映画とかドラマのセットみて面白いと思える人ならお勧め。
188名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/17(月) 00:47:39.35 ID:O8v+M5sP
ぶった切りは二本目の煙突の後ろ打った。

小松、加賀周辺は自動車博物館とか航空プラザとか他にもみるところがあるのでお勧め。
189名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/22(土) 13:34:10.81 ID:C4FQ9Xl4
 
190名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/24(水) 23:11:54.45 ID:Jocf/FQp
191名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/04(火) 19:57:10.42 ID:srM8JP1O
 既に何度も書かれているが

ドレッドノートの肝はスチームタービン機関と主砲中心の配置

日露戦争の戦訓を元に設計された戦艦なんだから超弩級な訳は無い。
192名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/04(火) 20:08:23.87 ID:srM8JP1O
 それよりも 「2万トンの巨大ラジコン戦艦 摂津」の方が余程気になる。
193M君:2012/12/05(水) 20:23:46.75 ID:zEIPE1l7
三笠ホームページ
<山岳写真>
http://life.a.la9.jp/hp/mountain/

美しい山の写真を眺めたら、いかがでしょうか
194名無しさん@お腹いっぱい。:2012/12/09(日) 12:01:42.18 ID:ZNU9V1mw
ワシントン軍縮条約によって廃艦が決定した

http://music.geocities.jp/jphope21/0204/48/312.html

廃艦後の荒廃が凄まじかった戦艦「三笠」のことだ。
195名無しさん@お腹いっぱい。:2013/01/14(月) 00:49:15.13 ID:4o49z+kt
【核分裂パルス推進宇宙戦艦・大天使(ミカエル)】
SF小説『降伏の儀式』(こうふくのぎしき、FootFall)に登場する宇宙戦艦。
軌道上にある「旅する群れ(フィスプ)」(アルファ・ケンタウリからやってきたと推測される異星人)の母船を攻撃するためにアメリカ合衆国が総力をあげて建造した「宇宙戦艦」。
原爆の爆発を推進力として利用するとともにγ(ガンマ)線レーザー兵器のエネルギーとして利用する(核分裂パルス推進宇宙船「オライオン」と同じ原理である)。
「旅する群れ(フィスプ)」の知識には「γ(ガンマ)線レーザー」に関するものがなく、それが突破口を切り開くこととなる。
天からサタンを追放した大天使ミカエルにちなんで「ミカエル」と名づけられた。
艦載機としてスペースシャトルを数機搭載しており大気圏突入用の耐熱シールドは彼らのレーザー兵器をかいくぐって肉薄攻撃することに貢献する。
http://www.up-ship.com/apr/images/Michael1a.jpg
http://www.up-ship.com/apr/images/Michael5a.jpg
http://www.up-ship.com/apr/images/Michael2a.jpg
http://www.up-ship.com/apr/images/Michael4a.jpg
http://www.up-ship.com/apr/images/Michael3a.jpg
追記:21世紀前半(現在)の技術水準で実現可能なロケット推進方式
推進システム:核分裂パルス推進
(1)比推力:6000 - 10万秒
(2)推力:1GN (ギガニュートン)《10万1970トン》 - 1TN(テラニュートン)《1億197万トン》
(3)最終到達速度:秒速1万km
※『オライオン計画』について(英語版)
http://en.wikipedia.org/wiki/Project_Orion_(nuclear_propulsion)
196名無しさん@お腹いっぱい。
 
旗艦「三笠」はマッカーサー親子に捧げられ
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0204/48/312.html
それは、まさに、旗艦「マッカーサー」だった。
戦艦大和とは全く違う運命を辿ったのは当然だった。
(仮説を含む)