私のメモ紙

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32元傍観者 ◆yl9eJeHHJM
●なぜ、男性差別に『気が付くことが出来ない』人が居るのか?●

問題がある。っと多くの人は、気が付こうとしない(思考停止)ではなく、気が付けない。
これは、物の見方、捕らえ方であるので感情・感覚つまり主観・客観が多分に関係してくる。
主観、客観については説明するまでもないので割愛するが、このバランスが崩れている
人物が『気が付けない』人と言う事になるだろう。

気が『付かない』ではなく、気が『付けない』。
この違いは非常に重要で、つまり当人は公平に物事を見ているつもり≠ナあり、
客観的な視点で全体のバランスを取って自身の判断、結論をしていると誤認している。
実際には気が付いていない訳だが、そもそも何故、主観に偏っている事それ自体に
気が付かないのか?

Aさん、Bさん、二人の人物が議論をしてるとしよう。
互いの主張が異なるため、中々議論がまとまらない。そのような状況はよく見かける
光景ではないだろうか?

A「結論が出ないのはBが私の主張を闇雲に否定ばかりするからだっ!」
B「闇雲に否定された等とはAの感情論。結局、持論を押し通したいだけじゃないか。
  それじゃ議論にならないし、だいたい持論が通らないのはA本人の論証能力が不足して
  いるせいなんだから、 こっちに責任転嫁しないように。」

Bの反論そのものは正しいと思われるし、指摘している部分も妥当性がある。

だが、この「責任転嫁をするな」と言う発言に注目してもらいたい。
この言葉を特に注意しないで見かけると「この発言をした人物は客観的に物事を見ており、
公平なバランスの元に責任を追及している」と、漠然と判断してしまう事が多いのでは
ないだろうか?
33元傍観者 ◆yl9eJeHHJM :2006/06/29(木) 12:24:25
Bの発言の問題点は、一見Bの言う事は客観的であり、Aだけが主観によってBを批判
しているように見えると言うこと。
しかしBの発言も実は、主観からの発言であり、それを客観的に判断していると当人も
周囲も思い込んでいるだけなのである。

責任転嫁とは自分の責任を他人におしつける℃磨B
これは、自己責任を意図的にでも無意識にでもおしつけた¢、が存在し、逆に
押し付けられた¢、が存在すると言う意味。

ここまで読めばお解りだろうが、押し付けられた≠ヘ物的証拠でもあれば別だが、
議論のように物質が存在しない場合においては、感覚的に感じる物であり、相手が
責任を押し付けてきた≠ニ主観で判断したと言う意味に他ならない。

A・B両者に感情移入する事無く、冷静に成り行きを見ていたCが居るとしたら、Cは
客観的に判断し「Aが自己正当化しようとしている」と称すだろう。
何故なら、AがBに責任を押し付けた=ABがAから責任を押し付けられた≠ニ同時
に二つの感覚を感じるので、どちらか一方の視点(主観)のみには偏らない(偏れない)
のである。

このように、当事者は客観的に見ている・判断している「つもり」であっても、あくまで
「つもり」であり無意識に主観に偏ってしまう場合は多々あると言える。
更に、AよりもBの方が、周囲も当人も、気が付きにくいと言う点においては、より問題が
あると言っていいだろう。
主観・客観のバランスと言うのは、案外簡単に崩れやすく、偏りやすい物であり、しかも
一旦偏ってしまうと自分では気が付けない場合が多いとお解り頂けたのでは無いだろうか?

だが、ここで、疑問が生じる。
主観・客観のバランスを崩すのは、誰であれ同程度の可能性で陥る筈なのに、何故、
女性の方が男性に比べて主観的な意見(感情論)に偏り易いのか?
34元傍観者 ◆yl9eJeHHJM :2006/06/29(木) 12:25:16
これは性差(脳の違い)も関係してくるだろうが、あえて心理的な側面からのみ言及する。
(男性でも気が付かない$lが多数居る為、性差を除外して考えるのが妥当と判断)

そもそも、主観による発言、つまり感情論がどうしていけないのか?
を考えなければならない。

感情ほど不確かで、正しく理解できない事は他に中々ないだろ
どんなに細かく詳細に説明されても、当人と全く同じように理解出来るとは考えにくい。
まして、相手の感情を相手以上に知っているなどと通常はありえない。
だが、しばしば主観に偏ると人は『相手以上に相手の感情を理解している』と錯覚する。


先の議論の例を再掲示するが、

B「闇雲に否定された等とはAの感情論。結局、持論を押し通したいだけじゃないか。
  それじゃ議論にならないし、だいたい持論が通らないのはA本人の論証能力が不足して
  いるせいなんだから、 こっちに責任転嫁しないように。」

この発言の問題は
>結局、持論を押し通したいだけじゃないか。

この部分である。Aは闇雲に#ロ定された事を非難したのだから、理解しようとしない
態度、あるいはAへの反論だけでBの持論が提示されてないのかもしれない。
それらを抗議した可能性もある。Aの真意はAにしか解らないのである。

この部分は「責任転嫁している」と結論付けた根拠の部分にあたるが、その根拠が
相手の感情部分と言う事。相手の感情を相手以上に理解しているとの錯覚であるため、
自ずと導き出された「責任転嫁している」と言う結論も妥当性があるとは言えなくなる。
主観(感情)に偏ると、導き出す結果に正当性がなくなると言う事である。
35元傍観者 ◆yl9eJeHHJM :2006/06/29(木) 12:26:17
男性は論理的思考が強いので、自身が結論付けた、その根拠に妥当性があるかを
指摘され、そこに矛盾があると結論が誤りであったと自覚できる。
逆に導いた結論が誤りだと気が付ければ、その原因(何故それを根拠としたか)を自覚
する事も可能であり、比較的主観・客観のバランスを取り戻しやすいといえる。

だが、女性は普段から感覚・感性で物事を捉え、自身の中で論理的に考えを纏めたり、
筋道立てて論として完成させていると言う事が殆どない。
これは、女性の会話がどんどん元の話から反れてしまう事や、目先のことに流されて
当初の目的が遂行されない、等から容易に推測できるだろう。

つまり、感覚的に物事を捉えているので、筋道立てて説明し、一度は納得させる事に
成功したとしても、その女性自身の感覚≠ナ理解出来ていないと、また新たな筋道を
(無意識に)作ってしまい、同じ結論になるように再構築してしまうのである。

又、自身と似た感性・感覚の人物を同一化・同一視して見るのも特徴だろう。
(相手に共感を求める、酷くなると共依存となる)
自分ではないが、同一視できる要素があると、その人物の美点を自身の物として投影
してしまう。これは団地の奥様達が、同じ主婦と言う立場でありながら、旦那さんの役職に
よって優劣が生じる。あるいは、何か主張する時に「みんなも〜」「女は〜」など、まるで
集団の統一された意見であるかのように主張する事に見て取れる特徴だろう。

これによって、自分ではない誰かに逃げ道を拡大する事も出来てしまうのである。

一つ、注意しなければならないのは、主観に偏った人物とは自己を中心に相手を
見ているだけだと言う事。それが利己的で傲慢、自分の利益だけを考える人物とは限らない。
36元傍観者 ◆yl9eJeHHJM :2006/06/29(木) 12:27:16
例え話をしよう。
あなたが、砂漠で行き倒れ寸前になってると想像して欲しい。僅かな水だけを頼りに
彷徨い続け、疲労はピークに達し、更に極度の空腹と喉の渇きに襲われている。
そんな過酷な状況に耐え、命からがらやっとの思いでオアシスにたどり着く事が出来た。

これで地獄のような空腹と喉の渇きを癒せる!数日ぶりに飲み食いできるっ!と、
安堵し、一刻も早くこの空腹と喉の渇きを癒すべく、水と食料を懇願するあなた。
そんな切迫したあなたを見たaさんは

    『カロリーメイト』 と 『ユンケル』 だ け =@を差し出したAさん。

「工エエェェ(´д`)ェェエエ工 」と思う疲労困憊のあなたの傍らで、aさんは大漁のご飯と
水に囲まれ、実に満足そうな微笑みであなたを見ながら飲み食いしていた。

aさんを「何て冷たい人だろう?」「鬼ですか?」と思うだろう。当然だ。
だが、実際は違うのである。aさんの視点では、

「こんなにボロボロの状態で、体が弱りきった人に急に大漁の水と食料を与えたら
お腹を壊す(体に悪い)に違いない。少量でも栄養価が高くて滋養に良いもの…そうだっ!
丁度カロリーメイトとユンケルがあるっ!!あ〜良かった、これで栄養もつくし、
お腹も壊さなくて済むだろうっ!」

と考えたのである。なるほど、ある意味、相手の身になって考えているし実に親身に
あなたを心配してくれている。しかも、言わんとしている内容も、間違ってるとも言えない。
37元傍観者 ◆yl9eJeHHJM :2006/06/29(木) 12:28:30
aさんが決して悪人ではないと解っても、あなたは
「腹壊してもいいから!全然平気だからっ!とにかく今、空腹と渇きを癒したいんだ!」
と再度、懇願するだろう。だが、aさんは

「気持ちは解るけど、我慢しなきゃ駄目だよ。あなたの体のため何だから。」
と答えるだろう。確かに相手の事を考えた上での発言であり、内容的にも間違ってない。

気持ちは有り難いが、なんとしても飯を食いたいあなたは、無理にでも飲み食いする
だろう。するとaさんは、あなたは我慢が出来ない。心配している人の気持ちを考えない、
ちゃんと説明しても解ってもらえない。あなたこそが独善的であると思ってしまうのである。

aさんは決して、傲慢で利己的な人物ではない。むしろ優しく、思いやりがある。
だが、主観・客観という根本的な部分が間違ってしまうと、傍から見たら思いやりが
無いように見えてしまうのである。そして、一旦崩れると曖昧になって気が付けないのである。

このように、気が付けないと言うような状況を繰り返していく事と、aさんのように
無意識に 相手が悪い→自己正当化(私は善) と繋がってしまうのである。

この、【同一化】と【自己正当化】のコラボレーションは、単に主観・客観のバランスを
欠いて公平差に欠けるだけではなく、正しい事だから皆もしているし(同一化)、だから
自分も正しい事をしている(自己正当化)。と信じ込めると言う特徴があり、ただ主観に
偏っただけより、当人にとっては根拠がある為、性質が悪い。

問題を指摘されると、同一化できる要素があり、指摘されている問題点が無い別の
人物に自身を投影し「○○さんが悪くないなら、私だって悪くない」と、他者に置き換えて
自身を捉え、更に自己正当化により自分は正しいと信じている為、指摘する相手が悪で
あると結論付けてしまう。
これは、指摘されればされるほど、指摘する相手が悪いと考えてしまうと言う事。
38元傍観者 ◆yl9eJeHHJM :2006/06/29(木) 12:29:35
自分の行動(自己責任)と、同一化した他者の責任(他者責任)の違いが曖昧になり、
自分に指摘してくる相手の責任だけが、自分以外の責任と認識してしまう。
これは、自己責任の放棄、あるいは他者責任との混同によって、指摘してくる相手の
自己責任(他者責任)だけが理解できている状態にあると言う事。

いづれにしても、指摘する相手の自己責任(他者責任)にばかり目が行くため、
自身の責任(自己責任)にまで考えが至らない。自己責任は無いと考えてしまう。
要は「自分は悪くない(正しい)」と言う結論ありきで、その結論を導き出せる根拠のみを
探すようになるのである。


この【自己正当化・同一化】し易い人物とは、物事を二極化で捉える人物に多く見られる。

敵味方の構図で物事を捉えるので、自身に同調すると善であり、同調しなかったら悪と
なる訳だが、
@自身に都合が悪い事を否定しようと同調する場合(自己責任の消失)
A自身にとって都合が良い事を肯定しようと同調する場合(他者責任との混同)
上記の2点があるだろう。

どちらも自分が基本である。相手にとっての都合などは、そもそも客観視が出来てない
事を自覚出来て無いので考え付かない。だが、当人は公平に相手の事も考えている
「つもり」なのである。
39元傍観者 ◆yl9eJeHHJM :2006/06/29(木) 12:30:23
女性優遇に賛同する人物とは、男女問わず理由としてはAになる訳だが、
先に述べたように、まず結論ありきなので既に主観的に女性優遇は善であると確定して
いる。後はその結果を導き出せるような根拠を探すだけだ。

1)企業利益の追求。
  (企業の責任(他者責任)の追求≒自己責任の回避=自己正当化)
2)以前は女性が迫害されていた。
  (男性及び社会の責任を追求≒迫害された女性と同一化(責任の混同)=自己正当化)

等が代表的主張となるだろう。


@の理由は就職、つまり社会進出などが問題となった時の理由だろう。

1)男性社会だから。
  (自己責任の消失=自己正当化)
2)企業や政府のバックアップが不十分。
  (他者・自己責任の混同≒自己責任の消失=自己正当化)

等が多く見られるのではないだろうか。

このように主観に凝り固まって自己正当化・同一化してしまうと、当人は客観的に公平な
視点から見ているつもりでも、実際は一方からの視点(主観)のみなのである。
これら、自己責任の消失、他者責任と自己責任の混同が、気が付けない人の主だった
特徴であろう。
40元傍観者 ◆yl9eJeHHJM :2006/06/29(木) 12:31:33
ここで留意しなければならないことがある。

それは女性優遇に反対する人、社会進出に反対する側の人も、やはり主観で捉えて
いる可能性があると言う事。
つまり、優遇に反対している人の理由が@になり、就職、社会進出に反対している
理由がAに摩り替っただけの可能性がある。

真に男女平等を求め、バランスの取れた理想的な社会を目指す人間は、自己批判を
忘れてはいけない。

どちらかを排除する考えは二極化による自己正当化・同一化に陥る可能性が非常に
高く、正当性が疑わしい、周囲から受け入れられない主張・運動となってしまうだろう。
先のオアシスaさんのように自身は良い事を、人の為と思って取った行動でも実際には
的外れな行動・思想となってしまうのである。
41元傍観者 ◆yl9eJeHHJM :2006/06/29(木) 12:33:55
相手を受け入れる寛容さ(客観)、自身の軸を見失わない自尊心(主観)、
どちらも共に同程度、内包するのが理想であり、その為に常にバランスを意識し
偏った見解とならないよう、心がけなければならない。

自己が確立している、自立した人間であれば、相手の意見に対して聞く耳を持って
いるものであるし(寛容な精神)、同時に自身の見解(信念・自尊心)を周囲に主張する
事も必要になってくる。これらは既に持ちえている感覚・感情であろう。

であるならば、このバランスについての問題をクリアーするのはそう難しい事ではない。
一時偏っても、指摘あるいは自己批判によって自己矛盾を解消しようとし、結果的に
客観を取り戻せる筈であるから。


以上の事から「気が付けない人」と言うのは、主観と客観のバランスを崩し、偏った考えで
ある事に気が付かない。自己批判が出来ず、他者の指摘を受け入れる柔軟な思考に欠けた
人物であり、端的に言うと自立が出来てない自称大人であると結論付ける。

以上。


誰に読んでもらう訳でもなく、こんな事を書いてる自分の馬鹿差加減に
乾杯(^^;ゞ
ただ、纏めたかっただけなの…orz