私の言葉が終はる頃には美幸は興味深げに其の瞳を輝かせ、感嘆したかのやうに小
さな口から幽かな吐息を洩らした。
「……面白かつたかね?」
私が美幸に問うと、美幸はハタと氣がつゐたかのやうに頬を赤らめ、慌てて視線を
囲炉裏の焔に向けた。其の初々しひ仕草が微笑ましく、愛らしひ。私は老婆の方に向
き直った。此の儘、話の流れとして私が訊きたかつた事を訊ゐてみやう、と思つたか
らで或る。
「如何でしよう、此の村に長らく伝へられた風習と云ふものは御座ひませんでしよう
かね」
「………ねヱ」
老婆は私の顔を見る事も無く、呟くやうに云つた。
「ふむ……實の處を申し上げますと、私は此の村に或る謂ひ伝へが在ると聞ゐて参つ
た譯なのですが」
「…………」
「其れが、不思議な事に『語ラズ黙スルベシ』と云ふ謂ひ伝へのみでしてね。其れじ
や何を『黙スル』のかが判らな……」
「黙つとらにやなんねヱものは黙つとらにやなんねヱんだ」
老婆は私の言葉を遮つてさう云つたきり、無言で鍋の木蓋を取つた。味噌汁を一掻
きすると「ヨイシヨ」と小さな掛け声を掛け立ち上がり、竃に向かつた。釜の蓋を開
けると濛々とした湯氣と供に飯の甘い匂いが囲炉裏端迄漂つて來る。老婆は飯を釜か
ら御櫃に移すと、嗄れた声で美幸を呼付けた。美幸はそつと靜かに立ち上がると、老
婆から御櫃を受け取り、囲炉裏端に持つて來る。
後から老婆が盆に載せた椀や漬物を持つて來て、古めかしい杓文字で飯をよそつた。
艶々とした飯は湯氣を纏い、實に美味そうだつた。其の飯と味噌汁、漬物を載せた小
さな膳を美幸が私の前に寄せ、幽かに御辞儀をすると、靜々と自分の席に下がる。
「此れはだうも……」
私は膳を前に御辞儀をすると、「いたゞきます」と手を合はせた。質素では在るが、
恐らく出来得る限りであらう持成しを受けやうと一口箸を動かさふと思つた時、私は
美幸が黙つて坐つて居るだけの事に氣が付ゐた。彼女の前に卓袱台は無く、相変はら
ず囲炉裏の焔を見つめてゐる。
「美幸ちやん……?」
だが、老婆は意に介することもなく、ゆつくりと箸を運んでゐる。
「あの、美幸ちゃんの御飯は」
「ぬが心配する事でね。構わねから食(ケ)」
「然し……」
「わたしはだいぜうぶ…」
然し、と私が口篭つた時、美幸が苛細ひ声で呟ひた。其の時、私は氣付ゐたので或
る。此の貧しひ家に客が来る事は先ず無ゐのであらう、膳が弐人分しか用意されてゐ
なひと云ふ事に。如何に客の身とは云へ、幼子に食を与へぬ譯には行かぬ。私は膳を
美幸の前へ寄せると、
「食べなさゐ」
と勧めた。然し、美幸は頭を小さく横に振ると、目を伏せた。此んな小さな娘が飯を
食べたく無ゐはずは無ゐ。
「だうしたんだい?」
「…わたしは、食べなくても良ひの」
「え?」
「……もう食べちやゐけなひの」
「何を云ふのだい。其んな譯無ゐだらう?」
「…………」
美幸は目を伏せた儘、再び小さく靜かに首を横に振るのみで、黙つてゐる。だが私
は此んな少女を差し置ゐて、ノウノウと箸を運ぶ氣にもなれず、困惑してしまつた。
美幸は何か言ひ含められてゐるのであらう、此の儘押し問答をしても解決はつかな
い。私は老婆に向き直つて云つた。
「あの、私は構ゐませんので、美幸ちやんに……」
「ヱヽんだ」
「は?」
「食わさんでもヱヽ」
「いや、然し……」
「此の子に食わすもんはねヱ」
私は老婆の言葉に唖然とした。ゐつたひ、無碍に「食わすものはない」と言ひ切つ
てしまうのはだう云ふ事何だらう。
「其んな莫迦な。食べ盛りの子供じやないですか」
「美幸。奥行け」
老婆は私の言葉に耳を貸さぬ儘、美幸を奥の部屋に追い遣らうとした。
「待ちなさひ、美幸ちやん」
ゆつくりと立ち上がらふとした美幸を私は制止した。
如何に家の中とは云へ、此の囲炉裏端から離れるには酷な程、空気は冷へてゐる。
ましてや、奥の部屋は襖一つ隔ててゐるので暖が及ぶ事も無く、冷込みは厳しいであ
らう。
「お婆さん、何故其んな事を云ふのですか」
「他所モンが口サ出す事ぢやねヱ」
「然し、御飯も与へず、暖すら取らせないとはあんまりと云ふものではないでせうか。
私は美幸ちやんに助けられたのです。此の子には恩が有るのです」
「…………」
「御持成しは心より有難く思ひます。しかし、幾ら何でも、子供を差し置ゐて戴く譯
には……」
「小父さん」
少々激してしまつたのか、私が声を荒げてしまつたとき、美幸が幽かな声を出した。
「わたしは良ひの。もともと、帰る場所は無ゐはづだつたんだもの」
「帰る場所が無ゐ?」
「うん……でも、小父さんは死なゝくて良ひんだから」
「……其れは、だう云ふ事何だい?美幸ちやん、前にも其れを云つてゐたよね?」
「…………」
「まるで誰かが死なゝくちやならなひやうな……」
私は其処迄云つた處で自らの言葉に絶句した。
「……まさか」
「…………」
じつと美幸を見つめ乍ら、私の頭の中で厭な考えが巡る。美幸は今迄の放心したやう
な瞳から、今は何かを堪へるやうな瞳で囲炉裏の焔を見つめてゐた。きちんと揃へた
両膝の上に載せた小さな拳に、幽か乍ら力が入つてゐるやうだ。
「ウヽム……」
語るには憚られる自分の考へを巡らせつつ、私は腕を組んで唸つた。若しや、此処に
『因習』が存してゐるのでは有るまゐか。然し、其の仮定の的中は決して喜ばしひ事
では無く、寧ろ外れて欲しく思ふ程忌むべきものであつた。
待ちつつ保守
ふと目を上げると老婆が何も云ふ事無く黙々と箸を動かしてゐた。さう云へば、老
婆の事を忘れかけてゐたが……先程迄、私の言葉を遮つてみたり、私の質問に答へず
に、何かを隠してゐるやうな素振りがあつた老婆は、今はただ黙つてゐる。
「あの、少々立ち入つた事を御伺いしますが……お婆さんと美幸ちやんに血縁は無ゐ
のですよね」
「…………」
「何か理由があつて、美幸ちやんを預かつた、という譯なんですか?」
「ぬには関係サねヱ事だ」
「其れはさうですが……然し、せめて御飯ぐらゐは……」
「…………」
老女は口を開かぬ儘で、此の儘では埒が明かぬと考へた私は、美幸に向き直つた。
「美幸ちやん、食べなさゐ」
「………でも…」
「子供はチヤンと食べなゐと為りません」
美幸は老女の事をチラヽヽと見遣る。育ち盛りの子供の事、腹が減つて居なゐ譯は無
ゐ。只、老婆の事を怖れて居るのであらう。
「良ひから、食べなさゐ。お婆さんには私から言ひます」
少し強めに諭すと、美幸はゆつくりと箸に手を伸ばした。老婆は最早其れを咎める事
は無ゐやうである。黙つた儘、味噌汁を啜つて居る。私は美幸が白飯を箸の上に十粒
程乗せ、口に運ぶのを見ると、再び老婆に向かつた。
「差出がましゐやうですが、矢張り子供には食を与へる冪と考へます」
「…………」
「それで……私為りに氣に成る事が有るのですが」
「…………」
「此れには……因習が絡んでゐるのではないでせうか?」
私がさう云つた時、老婆の眉が幽かに動ゐた。何か、必ず心当たりが在るに違ひな
ゐ。然し、此処で急ゐては事を仕損じる。私は、慎重に話を進めやうと考へた。
37 :
あら~夢精 ◆MUSEI/g. :02/06/15 07:39
次、つぎっ!!
ハアハア
続きが気になる
イイ!
あぁ、一気に読んでしまいました。
どうか、続きをお願い致します。
最早六拾年を経て怪しう為りつゝ有る記憶を手繰りつゝ書き綴つて参つた
前回の論述拠り早一月が過ぎやうとしてゐる。拙文を御待ち下さる諸兄には
誠に申し訳無く思つて居る処では在るが、私事乍ら、現在急激為る多忙に
見舞はれて居る最中に在る故、美幸の物語の継続に附ひては当スレツドが残る
限り今暫く御待ち下されば幸ひに思ふ次第で在る。誠に勝手為る事、心拠り
御詫び申し上げると共に、決して継続を忘るゝ事有らざる故、誠に申し訳無ひ事と
思ひつつ、伏して御願ひ申し上げる所存にて何卒宜しく存じ上げる次第で在る。
のんびりとお待ちしております。
どうぞご自愛ください。
必ず帰って来ると信じてましたよ。
えぇ、待ちますとも!!!
まさかココまで延びるとは思わなかった・・・。
一応保守しておこう
ホッシュホッシュ
●´∀`●σ)´∀`●プニョプニュ 新スレおめでとうございまーす♪
俺はまだまだ待ってるぜ
ここは正直ageてみるべきだろうか・・・
個人的意見としましては、
ageずに待った方が良いかと思います。
堪え忍ぶときなのねん…
保守
保守しる
56 :
壁に耳あり、障子にメアリーさん:02/09/07 02:10
耐えヽ(*`Д´)ノきれーん!!
57 :
壁に耳あり、障子にメアリーさん:02/09/07 08:35
,,,,.,.,,,.
ミ・д・ミ <ほっしゅほっしゅ!
""""
まま、時が期すのを待つべし。
59 :
(´Д`*プッスリーノ☆ ◆GoToDark :02/09/15 07:46
イイ!!
続き気になる!
保守
hosyu
ほしゅでつ
保守
正直保守するわけだが
65 :
壁に耳あり、障子にメアリーさん:02/10/27 20:10
保守
保守とかしてみていいでしょうか
まだ?
干す!
保守保守!
保守しつづける
hosyuするさ!!