第3回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-13
118 :
名も無き飼い主さん 1/3:
本日、敗者復活戦出場のペット大好き板、
今回も懲りずにうさぎネタです
徳川幕府とうさぎ
江戸時代、徳川家の元日の嘉例として兎の羹を食べる習慣がありました。
なぜ兎の羹だったのかというと、
徳川家の先祖が流浪していた頃、
信州山中で正月に兎の羹で接待されたという故事にちなんだそうです。
冬、雪深い山の中でようやく獲った一匹の兎。
ささやかな正月を迎えたという先祖の苦難の歴史を偲んだ一品だったようです。
さすがに生類哀れみの令が出されていた徳川綱吉の時代には中断されたようですが、
その後も幕末まで続けられた習慣でした。
その頃の兎は宮中にも献上されているほか、
当時の書物には『妊婦には食べさせてはいけない』という
「本草綱目(中国の薬学書)」からの引用が紹介されているところを見ると、
兎はよく食べられていたと思われます。
119 :
名も無き飼い主さん 2/3:2008/06/14(土) 14:44:56 ID:Tm8kBC2V
帝釈天とうさぎ
昔々、神様が様々な動物がどう暮らしているかを窺いに地上へ降りて来ました。
年老いた姿と粗末な衣服の人間として、森の中へと入ります。
哀れともいえるその姿を見た動物達は、自分達に出来ることをしてあげようと動きます。
あるものは木の実を取って来て与え、あるものは薪となる枝を集めて体を温められるよう火を起し、
動物達は各々にできる事をして、その老人をいたわりました。
ところが、うさぎには何もできませんでした。
心優しいうさぎは、何もできない自分が歯痒くて、考えを巡らせます。
そして火にあたっている老人に向かって言いました。
「僕を食べて下さい」と。そう言うや、自ら火の中へと身を躍らせました。
うさぎはその老人に力を付けるため、自分の身を食べさせようとしたのです。
それを見た老人は慌てて助けようとしましたが、それは既に後の祭り。
うさぎの命を助けることはできませんでした。
老人はその姿を変えながらうさぎに語りかけます。
「私が疑ってしまったばかりに、お前はこんなことになってしまった。これからは天の月で暮らすことにしなさい」
神様の姿に戻り、焚き火の中からうさぎを出すと、うさぎを月へと送ります。
神様は仏教の帝釈天と呼ばれる神様でした。
それ以来、仏教徒はうさぎを食べることはなくなり、月ではうさぎが暮らしているそうです。
120 :
名も無き飼い主さん 3/3:2008/06/14(土) 14:46:43 ID:Tm8kBC2V
なぜ、うさぎの数え方は「匹」や「頭」ではなく「羽」なのか?説は多数あります。
・肉(獣)食が禁じられていた時代、これは獣ではなく鳥だと言って逃げる為
・獣を食べる事を禁じていながら、正月に兎の羹を食べる徳川幕府(前述参照)が
逃げ口上として、うさぎを鳥類とみなして「羽」と数えさせた
・味が鳥と似ており、体温が高く、ニワトリと筋肉の性質が似ているから
・うさぎは仏教徒が食べてはいけないものになってしまった(前述参照)が、
「う(鵜)」と「さぎ(鷺)」(=鳥)を食べるのだから仏罰はないとした為
・うさぎは坂道を降りるのが苦手なので、
鳥と同じように丘の上から追い下ろして網にかけるので鳥と同じ「羽」にした
・長い耳を羽と捉え、鳥のように数えた
!"'ヽ r'"i
ヽ ハ ノ
( ▼_▼) とまぁ、こじつけな言い訳は多数見当たります
ノ ヽ どれをとっても「食べる」ことがポイントになっている所が・・・
C(_r'")r'")
オランダ人が愛玩用兎を連れて来日、明治時代に愛玩用兎ブームが起きる
更に時代を遡ると戦国時代にもうさぎが飼われていたという記述もある模様
∩∩ しかし、これだけ食用とされていたはずのうさぎも、今や食用より愛玩用が主流
(*・ω・) 時代の流れは不思議なものです
c(_uuノ 以上、ペット大好き板からお送りしました