第3回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-12
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お酒・Bar宣伝物資【予告編】1/5 :
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お酒・Bar板 宣伝物資 【各都道府県の地ビール紹介】 予告編
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宣伝物資としてご紹介予定の「地ビール」の蘊蓄を、予告を兼ねて投下させて
いただきます。これを参考に、各都道府県の紹介を見ていただくと楽しめます!
本編は、後ほど改めて宣伝致しますので、宜しくお願い致します。
【ビールと酒税法】
1994年4月まで、ビールの製造免許は1年間に製造する見込み量が2,000キロリットル
なければ許可が得られませんでした。清酒のように小さな造り酒屋とはいかず、大規模な
施設を持ったメーカーによる生産しか許されていないような状況でした。
【地ビールの普及】
地ビール製造は、政府による規制緩和の一環(緊急経済対策)として、1994年4月の
酒税法改正によって、ビール製造免許を与える最低規模を年間2,000キロリットルから
60キロリットルに引き下げられました。
これを受けて、各地の特産品に地ビールをとの動きが活発化、ドイツ顔負けの
プレミアムビールから、特産の色を濃く出したビールまで様々な地ビールが製造
されました。
ちなみに、地ビールの発端とも言えば、1988年に京都のミニブルワリーで誕生した
キリン限定醸造地ビール「No.1497」が最初と言われています。生産性を下げて、
品質の高いビールを造っておられます。
【地ビールの発展】
各地で地ビールのレストランが登場して、地ビールや観光地ビールの製造も増えて
話題にもなっていました。観光客のお土産に、地元の特産に、少々高くても本格的な
プレミアムビールを歓迎する酒板住人や一部マニアから支持などから、ヨーロッパより
マイスターを呼んだり、広報や生産体制にも力を入れてきました。
【不遇の時代】
地ビールが安定して各都道府県に見られるようになってきたころ、市場に「発泡酒」が
登場しました。こうした低価格アルコール飲料の普及は凄まじく、地ビールを経営する
大手業者でさえも衰退の一途をたどり、やがて不遇の時期へと突入します。
1994年のサントリー「ホップス」の登場を皮切りに、その競争はスタートしましたが、
消費者が発泡酒の味に慣れるまで、それほどの勢いではありませんでした。その後、
1998年にキリン「麒麟淡麗〈生〉」が大ヒットとなり、定着していきました。ここが大きな
分岐点だったと言えます。時代は「プレミアム」より「低価格」を求めたのです。
廃業する業者や閉鎖するレストランが増え続け、生産のコストを抑える為に原材料を
輸入して製造だけ行ったり、OEM製造するなど、各業者は窮地へと陥ります。
【プレミアムビールのブーム到来】
時代は巡り、みんなの記憶から徐々に地ビールという言葉も消えかけていました。
その時、価格競争が加速する発泡酒以下の雑酒とは別で、独身者や富裕層を中心に、
「プレミアムビール」という言葉が浸透を始めました。
プレミアム、ちょっと贅沢な、ワンランク上の、上質な、厳選された、限定の・・・など
プレミアムを象徴する言葉が踊り、今ではビール売り場を二分する状況となっています。
お店でしか飲めない生ビールにも「プレミアム」が普及して、ご近所の居酒屋まで
ブームが波及している状態です。
【そして、地ビールへ】
ここで改めて、プレミアムビールによる本格的なビールを求める消費者に対して、
地ビールへの感心が高まってきました。一般的に普及しているピルスナーだけでなく、
アルト、エール、スタウトなど、地ビールの良さを広く受け入れてもらえる時代になって
きたのです。モンドセレクションのような世界的な品評会や、ジャパン・ビア・カップなど
地ビールの普及を促す広報活動も根付いてきたとも言えます。
【最後に】
この宣伝物資が、ご近所で「生」で飲めるプレミアムな地ビールを見つめ直す
きっかけとなれば幸いと、最近のブームにのせて各地の地ビールを1つずつ、
紹介させていただきます。
今でも多くの地ビールが生産されており、数々の賞を受賞された栄誉ある地ビールが
いっぱいあります。各都道府県に1つずつと割愛させていただく心苦しさにも、ご理解を
いただければ幸いです。
長々とした前口上、失礼しました。のち程の地ビール紹介をお楽しみに!