第3回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-12
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i ld,,゚ヮ゚ノ <こんばんは。軍事板です。
ミ∧
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(_)' |ミ < 馬です。
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i ld,,゚ヮ゚ノ <今度は2001年に立っていた「泣ける話」スレから良レスを紹介させていただきます。
ミ∧
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(_)' |ミ <念のために断っておくと、旧日本軍の割合も多いが、別に過去の戦争を賛美したりあるいは貶す意図はどちらも無い。
あくまでも、戦場という極限状態において、あるいは死を目前にして示された人間性という物の何かを紹介したいだけだ。
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i ld,,゚ヮ゚ノ <野暮な前置きではありますがご了承ください。 戦争という現実に過剰に思想や主義を混ぜられるのは辛いのです・・・
「いいえ、ただ私は軍事上の問題のみ気に懸けているのです。」
2 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/03/12(月) 14:47
左ノ電文ヲ次官二御通報方取計(とりはからい)ヲ得度(えたし)
沖縄県民ノ実情二関シテハ県知事ヨリ報告セラルヘキモ 県ニハ既二通信力ナク 32軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルニ付 本職県
知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非(あら)サレトモ 現状ヲ看過(かんか)スルニ忍ヒス 之二代ツチ緊急御通知申シ上クーー
ーー若キ婦人ハ率先軍二身ヲ捧ケ 看護婦烹飯婦ハモトヨリ砲弾運ヒ挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ 所詮(しょせん) 敵来リナハ老人子
供ハ殺サレルヘク 婦女子ハ後方二運ヒ去ラレテ毒牙二供セラルヘシトテ 親子生別レ 娘ヲ軍衛門二捨ツル親アリ 看護婦二至リテハ軍移
動二際シ 衛生兵既二出発シ身寄リ無キ重傷者ヲ助ケテーー
ーー沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲー―
8 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/03/21(水) 01:39
セブ島から特攻出撃した大和隊隊員植村少尉が幼いわが子に
あてた遺書。
素子 素子は私の顔を能く見て笑いましたよ。私の腕の中で眠りも
したし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって
私のことが知りたい時は、お前のお母さん、佳代叔母様に私のこと
をよくお聞きなさい。私の写真帳もお前のために家に残して
あります。
素子という名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思いやり
の深い人になるようにと思って、お父様が考えたのです。
私はお前が大きくなって、立派なお嫁さんになって、幸せになったの
を見届けたいのですが、若しお前が私を見知らぬまま死んでしまって
も、決して悲しんではなりません。お前が大きくなって、父に会いたい
ときは九段にいらっしゃい。そして心に深く念ずれば、必ずお父様の
お顔がお前の心の中に浮かびますよ。
父はお前が幸福者と思います。
生まれながらにして父に生き写しだし、他の人々も素子ちゃんをみると
真久さんにあっている様な気がするとよく申されていた。
またお前の伯父様、叔母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって
下さるし、お母さんも亦、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福を
のみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあっても
親無し児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護って
おります。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。
お前が大きくなって私のことを考え始めたときに、この便りを読んで
貰いなさい。
昭和十九年○月某日 父
植村素子へ
追伸 素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて
自分の飛行機にお守りにして居ります。だから素子はお父さんと一緒に
いたわけです。
素子が知らずにいると困りますから教えて上げます。
18 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/03/22(木) 23:26
落合信彦の本からだからそのつもりで(笑)。オイラが泣いたのはこれ。
ノルマンディ上陸作戦で戦死した兵士のポケットに入っていた紙に書かれていた、
I die today, for your tomorrow.
(あなた達の明日のために、僕は今日死ぬ)
71 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/03/25(日) 23:30
終戦後。ビキニ環礁での核実験。「長門、沈まず」の報を聞き元艦長の未亡人曰く
「幾万もの英霊たちが水底をささえているのですよ」
核の直撃を受け傾斜したものの未だ浮いている長門に驚嘆した米海軍の被害調査隊の一人は
艦橋にこう書き残したという。
"Old Navy Never Die!(海の古強者は死なず!)"
100 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/04/01(日) 00:33
陸軍衛生伍長 伊藤 甲子美命 二十六歳
マリアナ島にて戦死
季代子 かう呼びかけるのも最後になりました。短かつたけど優しい妻でした。
有り難く御礼申し上げます。まこと奇しき縁でしたけど、初めて幸福が訪れた様な気がして嬉しく思つていました。
折角永遠の誓ひを致しながら最後になりますのは、何かしら心残りですけど、
陛下の御盾として果てる事は、私にとりましても光栄と存じます。
短い生活で、もう未亡人と呼ばれる身を偲ぶとき、申し訳なく死に切れない苦しみが致しますが、
すでに覚悟しての事、運命として諦めて頂きたいと思ひます。
若い身空で未亡人として果てる事は、決して幸福ではありませんから佳き同伴者を求めて下さい。
私は唯、幸福な生活をして頂きますれば、どんな方法を選ばれませうとも決して悲しみません。
さやうなら季代子、何一つの取り柄のない夫を持つて、さぞ肩身の狭き思ひで有りませう。至らない身、お詫びを致します。
何日の日か幸福な妻にさして上げたく思ひ乍ら、その機会もなく心残りでなりません。
どうぞ御健やかに御暮らし下さいます様、お祈り致しています。さやうなら。
昭和十九年五月三日 伊藤 甲子美
季代子様
122 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/04/02(月) 01:35
アラン・ムーアヘッド/「神々の黄昏」よりコピペ(不味いかな?)
これは、ユーゴスラヴィアの愛国者の胸に浮かんだ思いであり、自分が間もなく死んでいくことがわかっていたので、
まだ生まれていない子供のために書き残していったのだ。
まだ闇の中で眠っていて、生まれいずる戦いのために力をたくわえているわが子よ。私はお前の幸せを祈る。
今は、まだお前は一人前の恰好もしていないし、息もしていないし、目も見えない。しかし、時がきたら、お前と、
私が心から愛しているお前の母親にとって重大な時がきたら、空気と光を求めて戦う力を与えてくれる何かが、
お前の中に生じるだろう。理由はわからないながらも、光を求めて戦い、そして戦いつづけること――それが
人の子としてお前が生まれながらに持っている権利であり、お前の運命なのだ。
いつまでもいのちを愛し続けること。しかし、死に対する恐怖は捨てるのだ。いのちは愛さねばならない。さもないと、
失われてしまう。しかし、愛しすぎてもいけないのだ…。
常に新しい知識を貪欲に求めること。常に嘘を憎み続けること。そして、常に怒りを爆発させる力をたくわえておくのだ。
私は死んでいかなければならない。そして、生まれてくるお前を待ち受けているのは、私の過ちがもたらした瓦礫の山で
あり、お前はその上に立つしかないのだ。こんなことにしてしまったことを許しておくれ。こんなに乱雑な住みにくい世界を
お前に残していくことを、恥ずかしく思っている。しかし、こんな世界しか残せないのだ。
心の中で、最後の祝福として、お前の額にキスを送る。おやすみ――そして、爽やかな夜明けが訪れるように。
149 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2001/04/06(金) 03:29
五六振武隊 陸軍少尉 上原良司
大正十一年九月廿七日生
本 籍 長野県東筑摩郡和田村一七三
現住所 長野県南安曇郡有明村一八六
出身校 慶應義塾大学経済学部
所感
栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ
身の光栄これに過ぐるものなきと痛感いたしております。
思えば長き学生時代を通じて得た
信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合
これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが
自由の勝利は明白な事だと思います。
人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく
たとえそれが抑えられているごとく見えても
底においては常に闘いつつ最後には勝つという事は
かのイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。
権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも
必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。
我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事ができると思います。
ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツまたすでに敗れ、
今や権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく
次から次へと滅亡しつつあります。
真理の普遍さは今現実によって証明されつつ過去において歴史が示したごとく
未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。
自己の信念の正しかった事この事あるいは祖国にとって
恐るべき事であるかも知れませんが吾人にとっては嬉しい限りです。
現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。
すでに思想によってその闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。
愛する祖国日本をしてかつての大英帝国のごとき
大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。
真に日本を愛する者をして立たしめたなら
日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。
世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人
これが私の夢見た理想でした。
空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。
操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、
ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。
理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で
しいて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。
一器械である吾人は何もいう権利はありませんが
ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を
国民の方々にお願いするのみです。
こんな精神状態で征ったならもちろん死んでも何にもならないかも知れません
ゆえに最初に述べたごとく特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。
飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、一旦下りればやはり人間ですから、
そこには感情もあり熱情も動きます。
愛する恋人に死なれたとき自分も一緒に精神的には死んでおりました。
天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと
死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。
明日は出撃です。
過激にわたりもちろん発表すべき事ではありませんでしたが、
偽らぬ心境は以上述べたごとくです。
何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。
明日は自由主義者が一人この世から去っていきます。
彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。
いいたい事を言いたいだけいいました無礼をお許し下さい。
ではこの辺で
出撃の前夜記す
昭和20年5月11日出撃
戦死