第3回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-12
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人間七七四年:
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六月十四日 二次敗者復活 戦国時代板出陣!!
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326 :
【戦国時代支援 辞世の句紹介1/7】:2008/06/13(金) 20:20:08 ID:Llbrstvu
『戦国時代の魅力とは?』
人によって答えは様々ですが、今の時代では感じられない
命を賭けた「ロマン」も理由にあがるでしょう。
そこで今回は、戦国ビギナー様でもロマンを感じられそうな
「辞世の句」を、その武将の簡単な略歴を添えてご紹介します
天寿を全うした人生を振り返る者、志半ばで散った命の儚さを嘆く者・・・
短い歌の中に、戦国時代に生きた人々の息吹を感じて貰えると嬉しいです
.∧_∧
.,<\.政/> ちなみに、有名な信長の「人間五十年〜」は辞世ではなく、
くノ.●∀・ヽゝ 信長が好んで舞ったといわれる能「敦盛」の一節です
ノ=(~|!!y!!|~)=ゝ 織田信長が最後に発した言葉は
く(U)廿(U)ゝ 「是非に及ばず」だったと言われています
327 :
【戦国時代支援 辞世の句紹介2/7】:2008/06/13(金) 20:20:37 ID:Llbrstvu
【天寿を全うした武将編】
まずは天下を取ったり江戸時代まで生き残った人、
または寿命で世を去った武将の辞世の句をご紹介します
『露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢』
羽柴秀吉(1537-1598)立身出世の代名詞。百姓の出身といわれ、始めは今川、次に織田信長に仕える
信長の元で才覚を現し次々と戦功を立て、信長を討った明智光秀を滅ぼし、柴田勝家との権力争いに勝利して
信長の後継者の地位を確立。ついに天下を統一するも、後継者に憂いを残したままこの世を去る
『嬉やと再び醒めて一眠り 浮き世の夢は暁の空』
徳川家康(1543-1616)いわずと知れた江戸幕府の祖。三河(現愛知県東部)に生まれ、
幼少の頃は人質として今川家に送られる。今川義元の死後は織田信長と同盟し、
後に秀吉の下で五大老として権力を持つ。秀吉の死後ついに関が原の合戦で勝利し、戦国の世は終焉を迎える
『曇りなき心の月を先だてて 浮世の闇を照してぞ行く』
伊達政宗(1567-1636)奥州の戦国大名。東北地方に一大勢力を築く。戦の才に加えて機を見るにも優れ、
羽柴秀吉に下った後に関が原では東軍に回り、江戸に入ると仙台藩の初代藩主になる。
生まれる時代が早ければ天下を取れた人物と評する人も多く、現在でも人気が高い
328 :
【戦国時代支援 辞世の句紹介3/7】:2008/06/13(金) 20:20:58 ID:Llbrstvu
『大ていは地に任せて肌骨好し 紅粉を塗らず自ら風流』
武田信玄(1521-1573)甲斐(現山梨県)の戦国大名。甲斐守護の名門武田家の当主として信濃国をほぼ平定
信濃を巡っての、上杉謙信との五度に渡っての川中島の合戦は特に有名。第四次川中島は双方死闘となる
その後も今川・北条・徳川等と戦い勝利を重ねるが、将軍による信長征伐令に応じて上洛(京へ上る)途中に病没
『四十九年一睡夢 一期栄華 一杯酒』
上杉謙信(1530-1578)越後(現新潟県)の守護代、長尾家の生まれ。大の酒好きと伝えられる。北条氏康に追われた
関東管領上杉家に頼られて管領と家督を相続して上杉を名乗り、北条・武田と激戦を繰り広げる
後に織田家と対立し、手取川の戦いで信長の軍勢を撃破するが、その次の遠征準備の最中に急死。
『なかなかに世をも人をも恨むまじ 時にあはぬを身の科にして』
今川氏真(1538-1614)桶狭間で信長に打たれた父、今川義元の後を継いで今川家の当主になるが、
武田家に攻められ大名家としての今川家は滅亡。徳川家に庇護されて生き長らえる事となる
和歌や蹴鞠などの技芸に優れた文化人であった。父の仇の信長の前で、得意の蹴鞠を披露したとの逸話も残っている
『思ひ置く言の葉なくてつひに行く 道は迷はじなるにまかせて』
黒田孝高(1546-1604)通称・官兵衛。優れた智謀を持ち、秀吉の家臣時代は竹中半兵衛と共に両兵衛と並び評された
信長横死の際に秀吉に「御運が開かれる機会が参りましたな」と言い、秀吉にその野心を恐れられた
関ヶ原の役では東軍として九州で挙兵。一説では九州を平定した後に、家康と対決するつもりだったとも伝えられる
329 :
【戦国時代支援 辞世の句紹介4/7】:2008/06/13(金) 20:21:30 ID:Llbrstvu
天寿を全うした人の辞世は、
未練を残すまいというような清清しい内容が多いですね
今川氏真は蹴鞠上手だったので、現在に生まれていたら
Jリーガーになれた筈などと良くネタにされてます
____
/ ヽ
\jノ,==∞=; / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
_ミ,,._´Д`) < でたー!うじざねくんの ドライブシュート!
/=/」:|_V」lヾ_, \_______________
(乃彡;:::::::::| /つ ←解説の山本勘助さん
お次は、無念の最期を遂げた武将達の辞世の句です
330 :
【戦国時代支援 辞世の句紹介5/7】:2008/06/13(金) 20:28:10 ID:Llbrstvu
【無念の最期を遂げた武将編】
ここからは、討ち死にや自害、処刑された武将の辞世の句をご紹介します
志半ばで命を捨てなければならなかった人間の言葉は、尚更感慨深いものがありますね
『心しらぬ人は何とも言はばいへ 身をも惜まじ名をも惜まじ』
明智光秀(1528?-1582)いわずと知れた本能寺の変の主犯。青年期の経歴は不明な点が多い
信長に仕えた後は頭角を現し重臣となるが、1582年、突如謀反を起こして信長を横死させる
その僅か11日後に、遠征先から急ぎ引き返してきた羽柴秀吉によって討ち破られた
『筑摩江や芦間に灯すかがり火と ともに消えゆく我が身なりけり』
石田三成(1560-1600)豊臣政権の五奉行の一人。秀吉の小姓として使え、後は豊臣氏の重臣となる
秀吉の没後、台頭してきた徳川家康と対立。西軍の中心として関ヶ原で徳川方の東軍と戦うが
敗北し、捕らえられて京の六条河原で斬首された
『昔より主をば討つ身の間なれば 報いを待てや羽柴筑前』
織田信孝(1558-1583)織田信長の三男。信長の死後、柴田勝家と共に秀吉と対立するが敗れて自害した
あからさまに秀吉への怨嗟がこもったこの辞世の句が非常に有名(後世の偽作のと説もあります)
筑前とは秀吉の官職である「筑前守」の事。当時は下の名前は呼ばず、通名や役職で呼ぶ風習があった
331 :
【戦国時代支援 辞世の句紹介6/7】:2008/06/13(金) 20:28:52 ID:Llbrstvu
『五月雨は露か涙か不如帰 我が名をあげよ雲の上まで』
足利義輝(1536-1565)室町幕府の第13代征夷大将軍。当時既に将軍の権勢は衰えており、管領だった細川晴元、
後には細川家の配下から勢力を拡大した三好長慶に度々京を追われる。長慶と和解して京に戻った後も、
将軍家の威光を取り戻すべく活動するが、長慶の死後に三好家を乗っ取った松永久秀と三好三人衆に殺害された
塚原卜伝より剣術を学び、最期も自ら剣を振るって多数の敵を切り伏せたとの逸話から、剣豪将軍との異名を持つ
『屍をば岩屋の苔に埋みてぞ 雲居の空に名をとどむべき』
高橋紹雲(1548-1586)豊後(現大分)の大友家家臣。島津家が紹雲が守る岩屋城へ四万とも五万とも言われる大軍で
攻め入って来たのを、僅か763名の兵で徹底抗戦。半月近く持ち堪えた末に 高橋勢の763名は全員討ち死に、自害する。
この戦いで島津軍の被害も甚大となり、結果、島津の九州制覇の夢をくじき家を守る事となった
『君がため捨つる命は惜しからじ つひにとまらぬ浮世と思へば』
平塚為広(生年不明-1600)織田家臣、後に豊臣家臣。関が原の合戦では大谷吉継と共に西軍として参戦。
西軍を裏切った小早川秀秋の大部隊を相手に奮戦するが壊滅、大谷吉継に討ち取った敵の首と共に
この和歌を送った後に自刃したと伝えられる
『契りあれば六つの衢に待てしばし 遅れ先だつことはありとも』
大谷吉継(1559-1600)豊臣家臣。病の為に顔を布袋で覆っていたと伝えられる。石田三成の親友で、
徳川との戦いに勝ち目が無い事を三成に諭すが聞き入れられず、敗北を覚悟で西軍として関が原に臨む
辞世の句は上の平塚為広の和歌への返句である。六つの衢(巷)とは、死後に送られる六つの世界、六道の事
332 :
【戦国時代支援 辞世の句紹介7/7】:2008/06/13(金) 20:29:27 ID:Llbrstvu
いかがだったでしょうか?
短い言葉の中に、戦国時代のロマンを感じて頂けたでしょうか
『散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ』 (細川ガラシャ)
何かと命の価値が取りざたされる今の時代。
家の為、誰かの為に自分の命を賭けて死んでいった戦国時代の人々に、思いを馳せてみるのも良いものです
<´ ̄愛ヽ.
〉 .ロ===} 辞世の句は死の間際に作るのではなく
/=/〉´Д`) 戦の前にあらかじめ詠んでおく場合が多かったです
|ゝ∪ ∪ 今あなたが辞世の句を詠むとしたら、どんな句になりますか?
と__)__)
以上、戦国時代板の支援でした!
ご投票の際には<<戦国時代>>板をよろしくおねがいします