第3回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-11

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1958年日本シリーズ 西鉄ライオンズvs.読売巨人軍

 1958年の日本シリーズは三原脩率いる西鉄ライオンズと、水原茂率いる読売巨人軍の対決でした。
 まず、話は2人の監督が若い頃に遡ります……。

 水原と三原は同じ香川県出身で水原が三歳年上。
 水原は高松商業、三原は高松中学校で競い合います(当時は5年制でした)。
 水原は2回甲子園優勝、三原も1回甲子園出場と、なかなかの成績を挙げています。

 そして水原は慶大、三原は早大に進学。
 1931年春季の早慶戦第2戦では投手・水原を相手に三塁走者・三原が勝ち越しのホームスチールを決め、
早慶戦史にその名を留めています。
 三原は途中で結婚退部しますが、水原はその後もしばらくプレーしました。
 しかし、1933年、両校の大応援団が激突した伝説の大乱闘「リンゴ事件」が発生。
 水原はこの事件のきっかけとなっており、結局退部を余儀なくされます。
 そして1934年、三原は職業野球契約第1号選手として大日本東京野球倶楽部(後の巨人)に入団。
 続いて水原も1936年に入団しますが、二人とも徴兵で野球ができなくなってしまいます。
 
 三原はビルマから復員し、1947年、総監督として巨人に復帰しました。
 一方、水原は、シベリア抑留。
 劣悪な環境と過酷な強制労働で多くの人が亡くなった、この過酷な抑留から、水原は復員を果たします。

 帰国から4日後の1949年7月24日、後楽園球場、読売巨人軍対大映ユニオンズ戦で復帰します。

 「水原茂、ただいま帰ってまいりました!」

ファンは戦前の名選手の復帰を万雷の拍手で迎えました。
 ここでファンや選手から水原のプレーを期待する声が高まります。
 しかし三原は水原を起用しません。
 シーズン終了後、巨人選手達が三原を排斥して水原を擁立しようとする運動が起こります。
 選手達は要求が聞き入れなければ巨人から移籍するという姿勢を打ち出します。
 水原はこのときの監督交代には反対でしたが、球団はこの騒動を見て、
「総監督・三原、監督・水原」の人事を発表してしまいます。

 総監督とは言っても所詮は名誉職。三原の仕事はなく、退屈しのぎに碁を打つ屈辱的な日々。

 しかし同年、西鉄クリッパーズと西日本パイレーツが合併して西鉄ライオンズが福岡の地に誕生。
 三原に監督が要請されます。引き受けた三原は最初のキャンプで選手達に高らかと宣言しました。

 「我いつの日か中原(ちゅうげん)に覇を唱えん」

 こうして、水原と三原の対決が再び始まろうとしていました。
 水原ジャイアンツは与那嶺要、川上哲治、千葉繁、別所毅彦などを擁し、
1951年から1953年まで日本シリーズ3連覇、1955年もリーグ優勝。
 第二次巨人黄金時代と呼ばれるようになります。

 一方の三原ライオンズも大下弘の獲得に成功すると、
豊田泰光、中西太、稲尾和久なども入団。
1954年に初のリーグ優勝を果たします。

 そして、1956年、ついに水原ジャイアンツと三原ライオンズが日本シリーズで
激突するときが来ました。結果は4勝2敗でライオンズが初の日本一に。
 翌1957年にも対決しますが、4勝1引き分け無敗でライオンズが連覇を達成。
 水原の采配にも批判が集まります。

 もう負けられない。
 そして1958年、ルーキー長嶋茂雄を加えたジャイアンツはリーグ3連覇。
 一方のライオンズもリーグの宿敵・南海ホークスを破ってリーグ3連覇を達成。

 「巌流島の戦い」と言われたジャイアンツ・ライオンズの3度目の対決が
はじまろうとしていました。
 こうしてはじまった1959年日本シリーズ西鉄ライオンズvs.読売巨人軍。

 ところで皆さんはスピッツの「さわって・変わって」(作詞作曲:福岡県出身草野正宗)という曲をご存知でしょうか。

 私はこの曲を聴く度にこの1958年日本シリーズを思い出します(←お前だけだ)。
第1戦 後楽園 ○ジャイアンツ9-2ライオンズ●
 先発はジャイアンツ藤田元司、ライオンズ稲尾和久のエース同士。
 しかし、稲尾の体調は万全ではなく、1回表・4番ルーキー、日本シリーズ初打席の長嶋茂雄にタイムリースリーベースを打たれ、先制点を許します。
(長嶋は7回にもホームラン。以後、引退まで日本シリーズで出鱈目な強さを発揮し続けます)。
 ジャイアンツはその後、7回表に6点を奪ったりして、圧勝。幸先のよいスタートを切りました。
 5回ツーアウト、水原はあとワンアウト取れば勝利投手の権利が得られる藤田を交代。
 このシリーズで何としても勝つのだ、という意志が感じられる采配でした。

第2戦 後楽園 ○ジャイアンツ7-3ライオンズ●
 ジャイアンツ堀内庄(≠堀内恒夫=前監督)、ライオンズ先発島原幸雄。
 ジャイアンツは1回の表に先制すると、一つのアウトもとらせずに島原を降板させ、結局初回に7点を取ります。
 堀内は11三振を奪い完投勝利。またもジャイアンツの圧勝でした。

第3戦 平和台 ●ライオンズ0-1ジャイアンツ○
 再び藤田vs.稲尾。3回に広岡がタイムリーを放ち1点を奪い、その1点を藤田が守りきりました。
 稲尾も力投し、投手戦となりましたが、結局この1点が物をいいジャイアンツが3連勝。

 残り4戦で1勝で優勝。
 ついに水原ジャイアンツが三原ライオンズに雪辱を果たす、誰もがそう確信しました。
♪天神駅の改札口で 君のよれた笑顔
♪行き交う人の暗いオーラがそれを浮かす


λ......         λ......       λ......
  λ......            λ......     λ.....
 λ......      λ......
        λ......                  λ......
    λ......              λ......
                λ......
 λ......       λ......          λ......

↑西鉄が負けそうで暗いオーラの福岡市民

当時天神駅はなかった?知らん。
 10月15日開催予定の第4戦は雨のため、午前8時に中止となりました。
 しかし、午前10時には雨は上がっており、確実に試合ができたため、水原は
「稲尾を休ませようとする三原・西鉄の陰謀だ」
と激怒し、三原の自宅に電話したといいます。そして―。

第4戦 平和台 ○ライオンズ6-4ジャイアンツ●
 第4戦先発は大友と稲尾。ジャイアンツが1、2回に計3点をあげてリード。
 このあたりでライオンズナインはベンチで不思議な音を聞きます。ゴトゴトゴトゴト……。
 何だろうと思ったライオンズのナインの一人が球場を調べると、何と主催者側が表彰式の準備をしている音でした。
「なめやがって!!!」
 激怒したライオンズは高倉のタイムリー、豊田のホームランなどで逆転。
 稲尾は4点を取られながら完投し、初勝利を挙げました。

 プロ野球史上で、このような勝利をあげて絶体絶命のピンチを脱出することを

 「球史に一勝を得る」

と言う。
第5戦 平和台 ライオンズ?-?ジャイアンツ
 先発はライオンズ西村貞朗、ジャイアンツ堀内。
 1回表、ウォーリー与那嶺要の3ランホームランで巨人が端役も先制します(西0-3巨)。

  ウォーリー与那嶺=与那嶺要……日本野球にスライディングを持ち込んだアメリカ帰りの名選手。
  ホームスチール11回の日本記録保持者。

 7回裏、ここまでなりを潜めていた中西太が2ランホームランで1点に追いすがります(西2-3巨)。

  中西太……本塁打王を5回取るなど、戦後初の三冠王あと一歩のところまで、何度も迫った"豪打者"。
  そのホームランこそ史上最長距離とも、ファウルチップでボールが焦げる臭いがしたとも言われます。

 9回裏ライオンズ攻撃、先頭小淵の三塁線を襲ったファウルかフェアか微妙な当たりを、
ジャイアンツ長嶋はファイルと判断して見送ります。しかしこれがフェアの判定。抗議の末、判定は覆らず、
ピッチャーは藤田に代わります。豊田泰光の打席。

  豊田泰光……史上最強の二番打者の一人にして史上最強のプロ野球OBの一人。「オレが許さん!」
 三原はひねくれ者の豊田にバントがしてもらいたいので「打ってみるかい?」とたずねてみます。
果たして豊田の選択は送りバント。チャンスが1死三塁まで広がりました。
 しかし次の4番中西はサードゴロ。この打席を中西は「生涯で最も印象に残った打席」と答えています。
 次はここまでシリーズ1安打と大不振の関口清治でしたが、三原の「シュート一本に絞れ」との指示を受け、
藤田のシュートをセンターへはじき返し、1点を返します(西3-3巨)。
 試合は延長へ。そして10回裏、ピッチャー稲尾が何とサヨナラホームラン。これで西鉄の2勝3敗となりました。

第5戦 平和台 ○ライオンズ4-3ジャイアンツ●


第6戦 後楽園 ○ライオンズ2-0ジャイアンツ●
 予告スタメンに玉造陽二を入れていた三原でしたが、当日花井悠と入れ替えます。
 第5戦での負傷のため、予告時に「変更になる可能性もある」と述べていて、審判団にも了承されていましたが、
これに対して水原は抗議、40分試合が遅れました。
 この結果、ジャイアンツ先発藤田のリズムが崩れ、2失点。その後立ち直りますが、
稲尾がこのシリーズ最高のピッチングを見せ結局2-0のままライオンズ勝利。

♪もういいやとか言いたいときにこらえるオロカさで
 3連敗のち3連勝して街が光る
 さわって変わって絶えず転がる玉を止めて
 さわって変わって春が忍び寄ってくる心地 優しい風 二人を包め


第7戦 後楽園 ●ジャイアンツ1-6ライオンズ○
 先発は堀内と稲尾。
 3連勝している西鉄は1回表、中西の三試合連続ホームランで3点を先制。
 さらに5回にも追加点を上げます。
 投げては稲尾が当時シリーズ記録の26イニング連続無失点を8回まで続け、結局8回裏に長嶋が
ランニングホームランによる1失点のみ。
 セカンド仰木彬がウイニングボールを掴み、ライオンズの3連敗から4連勝での逆転優勝、3連覇となりました。

 ―その後、水原は東映フライヤーズ・中日ドラゴンズの、三原は大洋ホエールズ・近鉄バファローズ・
ヤクルトアトムズの監督を務め、なかなかの実績を上げます
(♪伏兵潜む三原の大洋〜あたりはこのシリーズで取り上げることができるか……たぶん無理w)

 二人の最後の対決は水原中日ドラゴンズ最後の日の第1試合、ヤクルトアトムズ戦。
 この1956〜58年シリーズなどのため、ちょっと三原に負けている印象の強い水原でしたが、
この試合には勝ち、長年の悔しさを少し晴らしたのかもしれません。

 「勝負師」水原茂と「魔術師」三原脩。
 高校、大学、プロの三つの舞台で戦った、日本の野球が生んだ最高のライバル。
 今、2人の故郷香川には、半ば向き合い、半ば同じ方を見つめている2人の銅像が建っています。
 http://www.d7.dion.ne.jp/~xmot/shasinkan2.htm
1976年 日本シリーズ 阪急vs.巨人

 九連覇時代の巨人に敗れ続けた雪辱を狙う上田阪急ブレーブス。
 前年の最下位から一転、リーグ優勝を果たした長嶋読売巨人軍。
 1977年日本シリーズはこのカードで行なわれました。

 第1戦 後楽園 ○阪急6-4巨人●
 第2戦 後楽園 ○阪急5-4巨人●
 第3戦 西宮 ●巨人3-10阪急●
 この時代の阪急は黄金期。下手投げの大エース山田久志、ベテラン下手投げ足立光宏、
後に伝説となる剛速球投手山口高志が投げ、盗塁の名人福本豊、強打者加藤秀志、
職人大熊忠義、優勝請負人ボビー・マルカーノ、捕手中沢慎二、名外野手バーニー・
ウィリアムスなどが攻守で活躍し、巨人に3連勝します。

 3連勝した試合後、福本はインタビューに対しこう答えました
「近鉄だってうちと3試合やれば1回は勝つぜ(だから1勝もできない巨人は近鉄以下)」
これを聞いた巨人ナインは激怒。王貞治は
「福本は言ってはいけないことを言ってしまった」
と怒りをあらわにしました。
 第4戦 後楽園 ○巨人4-2阪急●
 第5戦 後楽園 ○巨人5-3阪急●

 激怒した巨人は第4戦、堀内、小林繁のリレー、柴田勲の活躍で勝利。
 第5戦ライト、加藤初、小林繁の好投で西宮での連勝を阻止しました。

 第6戦 西宮 ●阪急7-8巨人○
 先発は山口、堀内。阪急は初回表、マルカーノ、ウィリアムスのタイムリーヒットで2点を先制。
4回表にも中沢のタイムリーヒット、大橋穣のスクイズで堀内を降板させます。巨人二番手は
加藤初でしたがウィリアムスがスリーランホームランを打ち、
 5 回 表 ま で で 7 - 0 。誰もが阪急の勝利を確信します。
 しかし、 そ こ か ら で し た 。

 5回裏、淡口が四球、柴田が二塁打で無死二、三塁。張本のゴロの間に1点。王の
センター前ヒットで7-2。
 6回裏、連続四球の後、淡口がスリーランホームラン。7-5。
 8回裏、代わった山田久志から淡口のヒットの後、柴田がスリーランホームランを打ち、 7-7と追いつきます。
 そして延長に入り10回裏、張本の二塁打から王が敬遠され、小林がバントの構えから
ヒッティングでノーアウト満塁。打席にはこのシリーズ不振だった高田繁。
    __              へ
    i. ツ               ゝ_!
.   !_l     _r' ⌒ヽ    ノ ,/
.   l ゝ、  ゙T ̄了:), ri' ' ,/ ←王
    ゙ゝ、 `)"ー、._,r:'"`  l、,/
      ヾ、     l :  i ,/
       Y Giants '|
        !     l : ,l
        l、   l : l
        /~ ニ口ニ{   高田
          !    ヽ ゙!  ↓
        ゝ   ヾ. ゙! ,D.
         \   ヽ.゙!ー七ヽ,   __
          \   )゙! く ゝ、  /゙ンニヾヽ,
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/   / ゙!" ̄ ゙ ̄ト;'(_)゙lー! ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
          /ゝ,/ l  !    l.l l_/ヽ.ヽ,H、
         / ,/   ゝニl    `¨¨ ↑ ~~~
         (ゞヘ、   | |       山田


 見事二塁打を放ち、サヨナラ勝ち。最終戦に持ち込みます。

 3連敗から3連勝。流れは圧倒的に巨人で、場所は後楽園、ファンも巨人の方が多い。
 9連覇巨人に敗れ続けたトラウマが甦ります。
 しかし阪急の先発投手は彼でした。
 阪急初優勝に貢献し、日本シリーズで9連覇巨人に敗れ続ける中、唯一気を吐いた下手投げ。
「ドカベン」里中智のモデル。

 そう、足立光宏でした。
 第7戦 後楽園 ?巨人-阪急?
 阪急は3回表、福本の二塁打で1点を先制(巨0-1急)。
 しかし、5回裏、昨日の主役高田が再びホームランを打ち同点、逆転ムードが漂います(巨1-1急)。
 そして6回裏、ワンナウト2、3塁の場面で、張本のゴロを加藤秀志が悪送球し逆転(巨2-1)。
 なおも王が敬遠で歩きワンナウト満塁。巨人ファン一色の甲子園は大いに沸き立ちます。
 しかし足立は冷静でした。

| 騒げ、もっと騒げ。たかが野球じゃないか。
| 負けたって命まで取られるわけじゃない。
\______________________________ 
                o
                 o
                 。∧
                  ●γ⌒σ
                   ノ⌒\

 5番淡口をダブルプレーに仕留めて、この危機を乗り切ります。
 7回表、内野安打で出塁したウィリアムスが盗塁で2塁に進み、森本が2ランホームラン(巨2-3急)。
 そして8回、福本がソロホームランを打ち、ダメ押し(巨2-4急)。
 終盤、敗色濃厚な巨人ファンの一部が数少ない阪急ファンに物を投げるなどの空気の後楽園で、
足立は見事9回を2失点で投げきり、阪急が2連覇を決めました。
 阪急の巨人への6度目の対決の末の初勝利でした。





1978年日本シリーズ ヤクルトスワローズvs.阪急ブレーブス

 日本シリーズ4連覇の偉業がかかる上田阪急ブレーブス。
 対するは、
            _   _,ィ=ァ=、      |
            \`ー(i 。 ゙て_ゝ.     .| 
      ( (    /ヽ.)ー\-ト,rっ.)|  ) ) |  わがヤクルト!!
           i   \m\゙ー' !     .|  初優勝だぁ!!
           ゝ.__,.ィ'´ \ j _./     |  日本一だぁ!!
          <.,  |   ノソ/バノ ,r=ァ;  │ ヒロオカ監督だぁ!!
         匸[_  `ー''"l レ''/~ 三'    |
          └┘`ー-、ヽY~フ /     .人__________
         r'ヽ._     ノ ノ" ∠,,      ー┼     ー┼
         >、二ニニン「ノ~ 三      ┌┼┐ヽ   ┌┼┐ヽ
     r=ロ<~∠.ノ~  「 ̄_ノ~       └┘┘   └┘┘
         /     ー┴i"      ┼ ‐   l    ┌─┴││
        ./       |       ┌┼     .   |
    ,.ィーv'_        |       └┘ ┌┴││ └─‐
r‐-、_/ \  `ー、__∧.   |        l  └─     │ │
`ー┴l_ _/`ー''ー-、   ̄|~   │ゝ      _       /
     ̄      `r─ーl    └┐  あ   く
           /  /     ‐┘  あ  ┌┤
           (二エエ)     あ     └┘
 と、オカダ応援団長が喜んでいる通り広岡ヤクルトスワローズ。  7戦までもつれこみ、最後はあまりにも有名な結末となりました。

第1戦 後楽園 ヤクルト5-6阪急

 ヤクルトの本拠地・神宮は大学野球のため使えず、この年の日本シリーズは全て後楽園で
行なわれました。
第1戦阪急先発はエース・山田久志。一方のヤクルトのエースは松岡弘でしたが、
この年15勝を上げている
                  /r┬r‐-、\
     __ /⌒ヽ.      / r'‐ ム Y′ l
  /  \   l⌒(`ー亠‐`ー┴‐く _  |
 /⌒ヽ.   ヽ_」  ハ7ア二ミ ̄>='、Yi}
 |    \    / 〃::::r-、:}i{;;;:、:::::;バト、     ,. −‐ 、 ミノガシテクダサイ
 〕T7T7l   /,.イ {f^ー′ .. `´   {h}   l     l ミノガシテクダサイ
 |└亠┘ //`V  、   cっ   ,,   V     ヽ._ ノ
 ヽ.___ ノヽ/  /l  ;゙ 、_,ィ7Tヽ_ぅ ;   }      ,  ,
         \ //{ ,.  ヽL{ノ'´ ッ゙ 丿     (  (
         〈/ ヽ、  `ー‐'  ゙,. -‐'⌒ヽ、   )   )
           \ /´ ̄ヾ辷ラ<く       ハ  (   (
           /   _n-‐´   ヽヽ   ′ ',
            |   と' \     〉〉/   ハ
            l   └Lハ__/´      人,、
           ト、            22  /, | |
           { ヽ、 __ __ ,.--、_/    l l
              ヽ  └─'^='´` ̄´    ,ノ丿
             \ ___ ー┬r‐<___ /^´
             >ー-二Zフ
              ` ̄ ̄  ̄   「遅球王」「ペンギン投法」安田猛。

 2回表、阪急は1アウト1、3塁のチャンスで山田自身がタイムリーヒットで1点先制(ヤ0-1急)。

 3回裏、船田和英が犠牲フライで同点(ヤ1-1急)、なおもチャンスが続きましたが、
若松の走塁ミスで追加点の機会を潰してしまいます。

 5回表、後に代打王として名をはせる阪急高井保弘がソロホームランで勝ち越し(ヤ1-2急)。
 しかし5回裏には船田がソロホームランで追いつきます(ヤ2-2急)。

 さらに6回裏ヤクルトは最強外国人の一人チャーリー・マニエル、名捕手大矢明彦(現横浜監督)のホームランで
2点を取ります(ヤ4-2急)。

 7回裏、名打者杉浦亨がタイムリーヒットを打ちますが、マニエルのオーバーランで1点止まり(ヤ5-2急)。

 すると8回表、ここまで高騰していた安田を捉え、島谷金二の2点タイムリーヒットのあと、代打河村健一郎の
ツーランホームランで鮮やかに逆転(ヤ5-6急)。

 ヤクルトは再三の走塁ミスが響きました。
第2戦 後楽園 ○ヤクルト10-6阪急●
 ヤクルトはここで通算197勝を上げるエース松岡弘が登場。
 一方阪急はこの年に完全試合を達成した今井雄太郎が先発しました
(余談だが完全試合は弱気な投手が達成することが多い)。
 しかし、マニエルの超特大ホームランなどでこれをノックアウトしてしまい、 結局10-6で圧勝しました。

 翌日、移動日の練習で剛速球投手山口高志が腰痛を発症し戦線離脱。
 佐藤義則も欠いていた阪急は一気に苦しくなります。

第3戦 西宮 ○阪急5-0ヤクルト●
 前回のシリーズで投球を披露したシリーズ神足立光宏が登場。
 ヤクルトは鈴木・”王に756号を打たれた”・康二朗、
(鈴木・”草魂に「鈴木は2人もいらん!」と言われた”・康二朗)(泣)。
 膝の故障でシーズン後半を棒にふり、シリーズの登板が心配
されていた足立でしたが、やはり神。5回までパーフェクト、結局
許した安打はわずか3本。9回表には角、若松、大杉という名打者を
ピッチャーゴロに討ち取り、完封勝利を上げました。
 試合後のインタビューで足立は
「日本シリーズは西宮(の6戦目まで4勝して)で終わりますよ」 と余裕のコメントをします。ところが……
第4戦 西宮 阪急?-?ヤクルト
 試合前、広岡監督は阪急の先発投手について
「ウチを強いと思うなら山田、ナメてくるなら今井」
と語っていました。果たして阪急の先発投手は今井。
一方ヤクルトは安田(AA略)。5回裏までで急5-0ヤと一方的な展開に。
 しかし6回表、若松のヒット、大杉のゴロ、マニエルのヒット、杉浦の
ヒットで急5-4ヤ。
 そして9回表、今井が内野安打で打たれ、ツーアウト1塁、バッターは
ヒルトン上田監督は投手交代のためにマウンドへ向います。
 今井は続投を志願。
 今井vs.ヒルトン……。
 ヒルトンは2ランホームランを打ち、逆転します(急5-6ヤ)。
 9回裏、ヤクルトはエース松岡がクローザーとして登板。
盗塁の達人・福本が出塁し、盗塁を試みますが、名捕手大矢がこれを刺し、
後続も絶たれ敗れてしまいます……。
 ●阪急5-6ヤクルト○
第5戦 西宮 ●阪急3-7ヤクルト○
 阪急先発は満を持して山田久志。しかし、前日リリーフのための準備をしていて、
疲労が抜けていませんでした。ヤクルトは梶間。
 ヤクルトはこの山田を捉え、1回に2点を先制(急0-2ヤ)。
 阪急は梶間にノーヒットに抑えられていましたが4回に捉えて1点返します(急1-2ヤ)。
 6回表にヤクルトが追加点(急1-3ヤ)、
 7回裏に阪急が追加点(急2-3ヤ)。
 8回表にヤクルトが若松がホームランで突き放します(急2-4ヤ)。
 しかし、阪急は8回裏、連日リリーフのエース松岡からマルカーノがホームランを打ち、
急3-4ヤと追いすがります。
 しかし9回裏、ピッチャーの松岡が内野安打。大杉が3ランホームランを打ち、急3-7ヤ と突き放しました。
 ヤクルトは松岡がリリーフ登板できるのに対して、阪急は山口が使えないのが響きました。

第6戦 後楽園 ●ヤクルト3-12阪急○
 この試合、ヤクルト先発は再び鈴木。 一方、後がない阪急。
先発はこの試合の登板がなかったベテラン白石 (現四国アイランドリーグ徳島インディゴソックス監督)。
白石は顔面に打球を受け、 不安視されていましたが、見事完投して阪急が圧勝します。

 これで3勝3敗。第7戦で全てが決まることになりました。
 ここで本筋とは関係がないがせっかくなのでヤクルトのホームランバッター
大杉勝男という男についてちょっと解説しちゃいたい。

・飯島滋雄コーチに指導を受ける。夜練習していたときの名台詞
 「月に向って打て」
は名台詞として知られる
(浦沢直樹の漫画に「月に向って投げろ!!」があるほどだ)

・張本、白仁天、土橋正幸、大沢啓二、大下弘、八名信夫、山本八郎などを擁し、
宿舎に入った泥棒をボコボコにして
「 お 願 い で す か ら 警 察 に 連 れ て 行 っ て く だ さ い 」
と言わせたり、ヤクザと喧嘩してプロレスラーに止められたりして史上最強
(野球が強いと言う意味ではない)と言われた東映フライヤーズでも強豪と言われた

・「ライオン丸」の愛称で知られる監督無視・悪行で知られるジョン・シピン。彼が
鈴木康二朗を襲撃したとき、逆に殴り倒す

・球界で神扱いの長嶋茂雄監督を乱闘の最中に殴り倒した唯一の人物

・ビジターの試合で一塁側スタンドから執拗に野次に耐えられず、試合中に
「てめぇ、表で待ってろ!!」
と凄む

・東映時代、南海の野村克也が打席で囁きかけたところ、10歳年上でありながら
「うるせえ!」と一喝

・でも他の選手がアドバイスを求めると、相手が敵チームの選手であったとしても、
自分の練習時間を削ってまでとことんコーチ役を買って出ていた世話好き

・毎日克明に日記を記していたが、その内容の殆どは妻へ宛てたものであった
という愛妻家

こんな愛すべき名選手・大杉と、前述のシリーズ神・足立、名将・上田利治。
第7戦で交錯する……!

第7戦 後楽園 ?スワローズ-ブレーブス?
 スワローズは松岡、ブレーブスは足立と、互いに最も信頼の置けるピッチャーが先発しました。
足立は3日前に膝に溜まった水を抜いての登板。
 試合は両チーム無得点のまま5回表まで終わりますが、5回裏、ついにスワローズが1点を先制。
足立の日本シリーズ25回連続無失点の記録を止めます。

 そして、運命の6回裏。

 バッターは大杉。ピッチャーは足立。レフトポール付近に大飛球を放ちます。富沢線審の判定は
ホームラン。しかし、上田監督は「ボールはポールの外を通っていた」とファールだともう抗議します。
 「審判を代えてくれ」と主張する上田監督。抗議は長引き、コミッショナーとパリーグ会長が止めに
入りますが、上田監督は譲らず、抗議は1時間を超えました。
 その間の視聴率は最高61.5%(第7戦全体では45.6%)。今なお日本シリーズ史上最高の数字として
残っています。

 ようやく上田監督が引いたのは1時間19分経った4時過ぎ。
既に足立は膝に水が溜まり投げられる 状態ではありませんでした。
代わった松本正志がマニエルからホームランを打たれてヤ3-0急。
 しかし阪急は諦めず、7回から山田が登板しはじめました。

 一方、このホームラン・抗議の件に別の意味で不服な当事者がいました。
「男の仕事にケチをつけられてたまるか!」
他ならぬ大杉です。
 8回裏、山田から文句なしのホームラン(ヤ4-0急)。
 結局、スワローズが4勝3敗で勝ち、ブレーブスの日本シリーズ4連覇の夢は潰えました。

 その後、試合終了から2時間後に上田監督は 「4年連続日本一を逸し、最終戦で長時間
抗議したことへの責任と謝罪」を理由に辞任。その後、ブレーブス監督に戻り1984年に優勝を
果たしますが、日本シリーズでは優勝できないまま阪急ブレーブスは消滅。またファイターズの
監督も務めますが惜しいところで優勝を逃しました。
 一方、スワローズ、次の優勝は1992年まで待たなければなりません。
 シリーズ、足立はこの投球が日本シリーズ最後の投球というあまりにも残念な結果と
なりましたが、今なお、伝説の投手として語り継がれています。
 そして、大杉は1992年逝去。多くのファンや野球関係者がその死を惜しんでいます。

 あの一打は、果たして本当はどうだったのか。みなさんの目でご確認ください。
http://es.youtube.com/watch?v=deOJDOlYFe0

1983年 日本シリーズ 西武ライオンズvs.読売巨人軍
 1979年に所沢に移転し、革新的な設備とフロントの力でもって前年日本シリーズ初優勝を達成した広岡西武ライオンズ。
 球界の盟主を自負する藤田巨人軍。
 この2チームが対決したシリーズは今なお「史上最高のシリーズ」とも言われる玄人好みの名勝負となりました。

第1戦 所沢 ○ライオンズ6-3ジャイアンツ●

 ライオンズ松沼博久(=松沼兄)、ジャイアンツご存知江川卓。
 1回裏の「必殺仕事人」太田卓司のヒットで先制したライオンズは、5回までに6-0とリード。江川を降板させます。
 6回表に3点を返した巨人。ここでライオンズは東尾修が登板。
 満塁にピンチになりながら何とか抑えて、ライオンズが逃げ切りました。

第2戦 所沢 ●ライオンズ0-4ジャイアンツ○
 ライオンズ高橋直樹、ジャイアンツは西本聖。
 ライオンズ野手陣は、戦前、西本投げるシュートを最も警戒していました。徹底的にビデオを観察。
 「夢にまで出てくるんですよ、西本のシュートのお化けが」
投手陣にも意見を聞き、対策を取ったライオンズナイン。
 しかし全く打てない西本のシュート。
 終わってみれば21のアウトを内野ゴロで取るという驚異的なピッチングで
前々年に続く日本シリーズ2試合連続完封で西4-0巨。
(ジャイアンツの得点は原のホームランなど)。

 ライオンズ打線vs.西本。このシリーズの軸となる対決の初戦は、西本の圧勝でした。
第3戦 後楽園 ジャイアンツ?-?ライオンズ
 ジャイアンツ槙原寛己、ライオンズ杉本正の先発ではじまった第3戦。
 2回表、ライオンズは石毛宏典のタイムリーで1点を先制します(巨0-1西)。
 4回表、ジャイアンツはワンナウト一、二塁、ここでライオンズは杉本を諦めて東尾を投入します。
ところが東尾は駒田にタイムリーヒット、槙原に押し出しフォアボールで2点を取られてしまいました(巨2-1西)。
 6回表、テリーが3ランホームランで逆転(巨2-4西)。
 ライオンズは東尾が投げ続けますが、ジャイアンツ、8回裏にはクルーズがホームランを打ち、追撃します(巨3-4西)。
 9回裏ツーアウトランナーなし。しかしここからジャイアンツの脅威の反撃がはじまりました。
 篠塚、原と連打し、一二塁。バッターはレジー・スミス。
 ここでライオンズは守備位置をスミス用に変えた「スミス・シフト」をしきます。
しかし、MLBで314本塁打の名打者はこれを抜くセンター前ヒット(巨4-4西)。
 同点となったところでライオンズは東尾を諦め、当時のシーズンセーブプロ野球記録を作っていた森繁和を投入。
しかし、ジャイアンツ絶好調男中畑清がサヨナラヒットを放ち、奇跡的な逆転が果たされました。

第3戦 後楽園 ○ジャイアンツ5-4ライオンズ●
第4戦 後楽園 ジャイアンツ?-?ライオンズ
 ジャイアンツ江川、ライオンズ松沼兄の先発でしたが、1回表、江川は肉離れを起こし、ベンチへ下がってしまいます。
しばらく後に再登板しますが、球場は異様な雰囲気に包まれました。
 ジャイアンツは1回裏、原のツーランホームランで先制(巨2-0西)。
 2回裏にも山倉和博のホームランで追加点を上げます(巨3-0西)。
 ここで西武は早くも松沼兄を諦めて弟への兄弟リレー。
 ライオンズは3回表に1点、5回表に2点を挙げて同点(巨3-3西)。
 しかしジャイアンツは6回裏、江川のタイムリーヒットで勝ち越します(巨4-3西)。
 ここで代走が送られて江川降板。次のピッチャーは加藤初でした。
 が、8回表、ライオンズ立花が逆転ツーランホームラン(巨4-5西)。
 9回表には太田のタイムリー、山崎裕之がホームランで巨4-7西と差を広げます。
 9回裏、リリーフエース森はツーアウトを取りますが、ここから前日と同じように原、スミスが出塁し、一二塁のチャンス。
 そして打席には中畑。この全く同じシチュエーションでしたが、今度は森が中畑を打ち取りました。

第4戦 後楽園 ●ジャイアンツ4-7ライオンズ○
第5戦 後楽園 ジャイアンツ?-?ライオンズ
 ジャイアンツの先発は西本。
 初回表を無失点に抑え、あの稲尾和久の日本シリーズ26イニング連続無失点の記録を更新します。
 しかし4回表、田淵がホームランを打ち、エラーでも1失点。その記録を29でストップさせます
(巨0-2西、29イニング連続無失点は現在もなおシリーズ記録)。
 ライオンズは高橋-永射保-東尾と繋ぎますが、7回裏、東尾から原がホームラン。
中畑・クルーズにも連打を浴び、同点となってしまいます(巨2-2西)。
 ライオンズは森が登板。9回裏ツーアウトからスミスが出塁し、盗塁で二塁へ。
 中畑を歩かせてクルーズ勝負に出た森。
 しかし、クルーズの打った当たりはフェンスを越え、サヨナラホームラン。
 これでジャイアンツが3勝し、あと1勝で優勝ということになりました。

第5戦 後楽園 ○ジャイアンツ5-2ライオンズ●
第6戦 所沢 ライオンズ?-?ジャイアンツ
 ライオンズ先発は杉本、ジャイアンツは槙原。
 ジャイアンツは1回表に原のタイムリーで先制しますが(西0-1巨)、
ライオンズは4回裏、石毛のタイムリーヒットで追いつきます(西1-1巨)。
さらに5回裏にも太田のタイムリーで勝ち越し(西2-1巨)。
 このまま両チーム点が取れないまま、9回を迎えます。
 杉本は9回表もワンナウトをとりますが、篠塚、原を連続四球で一二塁となってしまいます。
クローザーの森という手もありましたが、2度救援失敗していることから、杉本続投。
 スミスを打ち取ってツーアウトとした杉本。
 打席は中畑。中畑はまたもタイムリーを放ち、逆転に成功しました(西2-3巨)。
 9回裏、西本が登板。ワンナウトを取りますが、山崎、片平晋作、鈴木葉留彦の連続安打で満塁に。
石毛が痛烈な内野安打を放ち、同点となってしまいます(西3-3巨)。
 10回表、ノーアウト一二塁のチャンスを得た巨人。石渡茂がバントでツーアウト二三塁に。
打者は篠塚。しかしここで投入された「左殺し」永射の前に打ち取られてしまいました。
 10回裏、ジャイアンツエース江川が登板します。ライバルとして知られた西本・江川、最初で最後の黄金リレー。
しかし、太田、テリーの連続ヒットを打たれ、金森栄治のサヨナラヒットの前に沈みました。

第6戦 所沢 ○ライオンズ4x-ジャイアンツ●
第7戦 所沢 ライオンズ?-?ジャイアンツ
 最終戦、ジャイアンツは松沼兄、ライオンズは西本が先発しました。
 ジャイアンツは3回表、山倉のホームランで先制(西0-1巨)。5回表にもエラーで追加点を上げます(西0-2巨)。
 劣勢のライオンズは7回表から東尾を投入。
 ジャイアンツはワンナウトから西本のヒット、篠塚のフォアボールで一二塁に。
バッターは原。しかし東尾は三振に切って落とし、ピンチを切り抜けます。
 7回裏、ライオンズはスティーブヒット、田淵がフォアボールで一二塁に。
太田がバントを試みるが失敗し、ヒッティングに切り替えます。
この当たりはだピッチャーゴロ、ダブルプレーかと思われたのですが、名手西本が弾いてしまい、ノーアウト満塁に。
 ここでテリーが西本のシュートを弾き返し、走者一掃のタイムツーベースリーヒット(西3-2巨)。
 しかし西本はテリーを牽制でアウトにし、山崎にはヒットを打たれたものの、盗塁失敗でアウトにし、ピンチを切り抜けます。
 9回裏。ジャイアンツの名盗塁者「青い稲妻」松本匡史がフォアボールで出塁。
 が、東尾は執拗に牽制をして松本に盗塁を許しませんでした。
 最後のバッターは篠塚。セカンドゴロに倒れ、この瞬間、長いシリーズの優勝が西武ライオンズに決まりました。

第7戦 所沢 ○ライオンズ3-2ジャイアンツ●


 この後ライオンズは順調に優勝を重ね、日本プロ野球史上一、二を争う黄金時代を築きました。

 このシリーズの終盤広岡監督はつぶやいたと言います。
「もうどっちが勝ってもいいじゃないか。藤田に勝たせてもいいよ。」
 勝負師にそう言わせるだけの死闘、1983年日本シリーズが名勝負と言われる所以でしょう。




 お読み頂きありがとうございました。