第3回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-10
世界史板よりお酒・Bar板支援(全5回)
3〜4世紀の魏〜晋の時代、とりわけ晋が中国南部に逃れて出来た東晋王朝
の時代には、北方は異民族に占領され、自国内では政治不安や粛清が相次ぐ
中、俗世を越えた生き方が求められました。
そこで仏教や道教の影響を受けた自然体、悪く言えば傍若無人な生き方が広
まり、「竹林の七賢」らが登場します。
俗世間を離れた人々が心遊ばせたのは、古典と音楽と酒でした。
そんな彼らの逸話を、今回御紹介致します。
・劉チョウ(永+日)
大の酒好きで、「相手を選ばず誰とでも飲んでいる」と周囲からは敬遠さ
れていましたが、彼は非難の声などなんのそのでした。
「わし以上に飲める奴となら、飲まずにはいられない。わしより飲めない
という奴とでも、飲まずにはいられない。わしと同じくらい飲める奴とでも、
また飲まずにはいられないのさ。」
・劉怜
これまた酒好きで人目をはばからず、家の中で酔っ払って褌一丁で寝てい
たことがありました。それをとがめた人に対して曰く、
「わしは天地を家とし、家をふんどしにしておるのだ。君、なんだってわ
しの褌に入って来るんだね(それこそ失礼じゃないか)。」
・張翰
俗世の事に対して簡淡な性格であった彼は、人目を気にしませんでした。
あまりに酒好きであったので、友人が「後代に名を残す気になって真面目
に生きてはどうか」と言ったところ、返答して曰く、
「僕にとって後代に名を残すことは、眼前の一杯の酒に及ばないよ。」
・畢卓(ひったく)
ここまで述べて来た人間全てに言えることですが、彼もまた有能でありな
がら酒好きで、ある時など役所の酒を盗んで飲んでしまうほどでした。
しかし、全く問題にしなかったと言います。
「片方の手に蟹のハサミを持って、もう片方の手に酒を入れた器を持った
まま、酒の池につかっていられるようであれば、一生に値するね。」
・周凱
こちらは普段な真面目な人でしたが、宴会の席でセクハラをしてしまい、
「貴方らしくもない」と怒られてしまいました。そこで曰く、
「長江だって、まっすぐではありますが、千里に一度は曲がりますよ。」
この表現、飲酒ほどではありませんが日本の文人にもとられています。
大伴旅人や菅原道真など、中国の文人にあこがれた日本の文人たちも、こ
こまでではなかったとはいえ、詩文と共にお酒を楽しんでいました。
こんな彼らのことを「だらしがない」と思われるかもしれません。
しかし、家にお金がなかったので「蛍の光、窓の雪」で勉強したという孫
康・車胤の二人の内、車胤は政界で失脚し、自殺させられています。
彼は意外と華やかな人で、お酒の席では「今日は彼がいないからつまらな
いね」と言われるような人でした。
俗世間の栄華があてにならない時代、人々は高位高禄よりも目の前の一杯
のお酒に「本物」を見出したのでした。(まだ4回ですがおしまいです)