第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-030

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         ヽ_」     ト‐=‐ァ' ! < フランスは偉大さ無くしてフランス足り得ない
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       / ̄/  | /`又´\|  |  ̄\         シャルル・ド・ゴール@関係ないAAスレより

 こんばんわ。
 「ねぇねぇ、何で学問系の板なほにネタスレの方が伸びるの早いん?」「黙れ。」皆さんの世界史板です。

 前回はロシアへ行ったヴァイキングについてお話しました。
 今回は、西ヨーロッパへ行ったヴァイキングたちについてお話いたしましょう。
 たまに変なノリが入るのは見なかったことにして下さい。寛容は美徳ですよ?

 「主よ、北方人の猛威から我らをお救いください」 〜 おフランスの場合。

 ヴァイキングとは、「入り江(フィヨルド)の人」という意味だと言われます。
 彼らは北ヨーロッパに住み着いたゲルマン人の一派で、ルーン文字を使い、オーディンを信仰していました。
 ヴァイキングの来寇が欧州に知られるのは、西暦793年、リンディスファーンのへの襲撃からです。
 原因はヴァイキングの故郷であるスカンジナビア(今のノルウェー・スウェーデン・デンマーク)での人口爆発。
 食べるものに事欠いた人々は、遙かな海原の彼方へ希望を見出したのでした。(べべん♪)

 さて、当時のヨーロッパは世に言う暗黒時代真っ盛り。(その表現はどうよ)
 ゲルマン人諸民族の大移動によって、東西に分裂したローマ帝国もその西側は早くも崩壊。
 かつて繁栄を誇ったローマは見る影もなく、その栄光を支えた街道も各地で寸断され、
 ローマに踏みとどまった(行く場所無かったの?)ローマ教皇ですら危ういという無法の時代でございました。

 そこに登場したりますは、彼の有名なゲルマンはフランク族のカール大帝。
 度重なる遠征により、現在のフランスからドイツに至る地域を統一して、ある程度の秩序を回復します。
 そしてキリスト教に改宗した彼はこの偉大なる功績により、ローマ教皇からローマ皇帝の位を授けられたのでした。
 その国の名はフランク王国。8世紀も末のことでございました。(べべべん♪)
 しかしこれで全てうまく回るかと言えばそうは問屋が回らない卸さない。
 ちょうどこの頃からヴァイキングの侵攻が始まるのですが、フランク王国は金の掛かる海軍を持ってませんでした。
 さしものカール大帝も、広大な海からやってきてはあっというまに引き上げてしまうヴァイキング相手に有効な手を打てません。
 そうこうしている内に、カール大帝も寿命を迎えます。
 その後を継いだのがルイ敬虔王。
 これが使えない。(失礼)
 この信心深いが無能な王様のもとで、「こりゃあチョロい」と思ったかどうか、ヴァイキングの侵攻はその規模を増します。

 丁度この頃のヴァイキングの猛威を示すエピソードがあります。
 その主役はロアール川(フランスの真ん中から大西洋側に流れる川)の河口にあった聖フェリベール修道院。

 この修道院、ヴァイキングを恐れて疎開するのですが、その遍歴がすごい。
 819年頃から、ヴァイキングの来る夏の間だけ対岸のルーに疎開していたのですが、836年には遂にそこに定住。
 でも限界かと思ったかどうか、858年にはロアール川中流域のクノーに避難。
 しかしそこに踏みとどまったのも僅か4年で、更に上流のポアトゥーのムセーに疎開。
 更に十年後の872年には、ロアール川上流域にあるフランス中央山岳地帯に避難。
 それでも安心できなかったのか、更にソーヌ川流域のトゥールーニュまで逃げて、やっとここに定住します。
 逃げに逃げて、気付けばフランスを半分ほど横断していたのでした。ちゃんちゃん。
 因みに彼らは逃避行中、家財道具と一緒に聖フェリベールの遺骸を運んでいたそうです。ど根性。
 しかし修道院がそこまで逃げたのもむべなるかな、ヴァイキングは非常に厄介な敵でした。
 なにしろ、その船の喫水がわずか1m。ちょっと大きな川なら平気な顔で遡上してくるんですから。
 しかも、川の難所にさしかかれば、船を陸上に上げて迂回してくる。
 正に神出鬼没。たちが悪いことこの上なし。
 更には攻城戦にも長けていて、彼らの前に陥落した城塞都市も枚挙にいとまがありません。
 簡単に上げるなら、ボルドー(ワインで有名ですね)、ナント(ナントの勅令でry)、オレルアン(ジャンヌ=ダルクとか)など、
そうそうたる都市が彼らの前に屈しています。フランスの首都パリも攻囲されてみたりしてますね。

 さらに843年、フランク王国が分裂します。
 次男のルートヴィヒは東フランク王国・今のドイツ。
 末弟のシャルル禿頭王(ノーコメント)は西フランク王国・今のフランス。
 長男のロタール1世は、その間のオランダ・ベルギーからブルゴーニュ、スイスを経てイタリアに至る地域にロートリンゲンを建てます。
 ただでさえ弱体だった王権が、三つに分裂したわけです。処置無し。

 ルートヴィヒの東フランク王国はヴァイキング、更には騎馬民族のマジャール人を撃退することに成功しますが、
その分西フランク王国がヴァイキングの被害にあったのでした。ひゃっほう。
 更には王国内でも権力争いがおこり、彼らがめいめいヴァイキングに貢ぎ物をしたり、傭兵に雇ったりしたものですから、
まさしく西フランクはヴァイキング天国(?)になってしまいました。
 そのうち長男の国ロートリンゲンが東西のフランク王国に分割されますが、大した解決にはなりません。
 これが後にフランス王とブルゴーニュ公の確執に繋がったりするわけですが、それはまた別の話。
 閑話休題。
 更に更に、9世紀後半になると、彼らの故郷スカンジナビアでも王権の確率が始まります。
 これがまずかった。
 何しろ、政争に敗れた有力者達が、こぞって新天地を求めてやってくるんですから。正直勘弁して頂きたい。
 最初期の海賊としてのヴァイキングから、土地を求めての「民族移動」となったわけです。ゲルマン民族としては最後の大移動ですね。

 そこで出てきましたのが、フランスはカロリング朝の我らがシャルル「単純王」。
 ルーアンの大司教、ヴィトーは単純王にこう進言しました。

 「勝てないなら、土地でもやって懐柔すればいいじゃない」 (※この台詞はイメージです)

 単純王はその提案を容れ、西暦911年、ノルマンの族長ロロが、領土の防衛とキリスト教への改宗を条件にノルマンディーの地と
王妹ギゼラを与えられ、ノルマンディー公になります。
 因みに「ノルマン」とは北方人の意味で、「ノルマンディー」とは北方人の土地と言うことです。
 ノルマンディーの位置は英仏海峡、すなわちフランスのイギリス側海岸。
 WW2のノルマンディー上陸作戦や、ブルターニュとの間にあるモンサンミシェルの大聖堂でも有名ですね。

 この頃のフランク人のヴァイキングに対する印象を示す故事として、こんな話があります。

 ノルマンディー授封の儀式が進んで、ロロが単純王に臣従の礼(オマージュ)をとることになったときのこと。
 ロロの側にいた司教が、「跪いて王の足にキスしろや」(超訳)といった所、ロロは「ヤじゃボケ」(超訳)と拒絶。
 さて困ったフランク人。なんとかロロに頼み込むと、ロロは家臣のひとりに「おい、お前やれや」(ry)と指示しました。
 本来なら陪臣では駄目なのでしょうが、強く出れない司教はしぶしぶ了承。
 しかしむかっ腹が立ったのか、その家臣はおとなしく単純王の足下に屈むとその足をひっつかんで立ち上がり、
単純王を逆立ちさせたまま悠々とキスをしたのでした。

 以下は棒人間による貴重な映像です。

 ケース1・正常な体位。

     ○ 足にキスを。
     ノ|
  >T○/)

 ケース2・ノルマン(ヴァイキング)と単純王による形式。

 @ 呼びかけを受ける。
    ,,
  ○    ○ 足にキスしろ。
  .<|>   <|>
  Λ .  /)

 Aうやうやしく跪く。

      ○ 
      ノ|
  >T○ /)

 B素早く王様の足を掴む。

      Σ○ 
      ノ|
  >T○ヾ/) ガッ
 C引き倒す。

  ○/(┌ 
  .<|  (
  Λ  <○ヽ アヒャァ

 D優雅に足にキスする。

   チュッ
  ○(┌ 
  .<| ̄(
  Λ <○ヽ

 エレガントですね。(?
 正直この話の信憑性は薄いのですが、彼らに対するフランク人の印象が窺い知れるエピソードです。
 降伏したのではなく、帰順して「やった」のですから、当然っちゃ当然ですが。

 彼らがノルマンディーを得て大人しくしたかと言えばそんなわけはなく、その後もあふれ出るバイタリティーで
イギリスや南イタリアなどで大活躍します。
 その素晴らしい行動力、ちょっと分けて欲しい物です。