第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-017

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93野球総合板支援第五弾「あの一戦」 1/5

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誰にでも「あの一戦」がある。長い年月を経て、今なお忘れられない一戦である。
甲子園大会においても、多くの人々の胸にさまざまな「あの一戦」が刻み込まれてきた。

高校球児のアイドル第一号。彼にとっての「あの一戦」、そして長い甲子園大会の歴史の中でも
今なお「あの一戦」として語られる、伝説の松山商業−三沢戦を挙げてみたい。
94野球総合板支援第五弾「あの一戦」 2/5:2005/04/11(月) 17:10:55 ID:9r5pELJI

      ★☆☆伝説の決勝戦、松山商―三沢☆☆★

    (決勝)
    松山商 000 000 000 000 000 000=0
    三  沢 000 000 000 000 000 000=0
    (延長18回引き分け)
    (松山)井上 (三沢)太田

    (決勝・再試合)
    松山商 200 002 000 =4
    三  沢 100 000 100 =2
    (松山)井上、中村、井上、中村 (三沢)太田
95野球総合板支援第五弾「あの一戦」 3/5:2005/04/11(月) 17:11:44 ID:9r5pELJI
       ★☆☆伝説の決勝戦、松山商―三沢・その1太田☆☆★
過去、甲子園ではたくさんのスター選手が生まれ、その中にはアイドルと呼ばれた人気選手がもいる。
全国的なアイドル選手の元祖といわれているのが、青森県三沢高校の太田幸司である。
父親がロシア系で甘いマスク。そして「腕も折れよ」とばかりに投げる剛速球。
さらに北国でハンディがある東北青森。それまで2回の甲子園出場では、いずれも2回戦どまりだったが
3季連続出場の昭和44年夏、1回戦で延長十回にサヨナラ勝利をおさめると西の強豪校を連破して、
東北勢初の決勝進出を果たした。しかも決勝戦の相手は優勝候補、愛媛の古豪・松山商。
判官びいきの日本人の心情をこれ以上ないほどくすぐった。そしてこの決勝戦があった。

決勝は松山商業、井上明と三沢高校、太田幸司両投手の投げ合いを軸とした一歩も譲らぬ投手戦。
両チームの攻防はすざましく、お互い絶体絶命のピンチをしのぎながら、ついに「0−0」のまま結局、
延長18回、4時間16分の死は終わった。
翌日の再試合では、松山商業は井上・中村哲の両エースの継投に対して、三沢高校はエース太田に
頼らざるを得ない。1回戦から1人で投げ抜いてきた太田は、最後に力尽きた。
地力に勝る松山商業が「4−2」で勝利をおさめ 深紅の大優勝旗を手にしたのだ。
決勝戦、再試合で27回383球の熱闘。そして、太田幸司は”最も美しい甲子園の敗者”となった。
96野球総合板支援第五弾「あの一戦」 4/5:2005/04/11(月) 17:12:26 ID:9r5pELJI
       ★☆☆伝説の決勝戦、松山商―三沢・その2激闘☆☆★
三沢が最も優勝に近づいた瞬間が決勝1試合めの延長15回裏だった。
一死満塁で0−3という絶好のチャンス。松山商にとっては絶体絶命のピンチである。
松山商井上投手はマウンド上で、一点を見つめて何度も何度もボールをグラブの中に投げつける。
もうストライクしかないという状況。5球目のボールは低いと思われたが主審の手が挙がり2−3…
ここからは観衆の目はすべてボールに注がれた。井上が投げ、バッターが打った、ボールが飛び、
打球が投手、井上のグラブをはじく!あっという間もなく遊撃手がカバーに入りバックホームする。
ここで観衆の目は審判に・・ほんの一瞬の沈黙、「アウト!」・・・
観衆の落胆と安堵のため息が球場をつつんだ。
完全なゴロであれば打った瞬間に三塁走者が走るのが、一瞬ライナーにみえる打球だった事も明暗に。
二死満塁も後続が打ち取られ、結局三沢の攻撃はこの回も無得点に。
ピンチを切り抜けてベンチに戻ってきた松山商の選手達は井上をはじめ皆泣いていたという。
それはそれまでに 体験したことのない恐怖感から来るものだったという。
井上は後年「この年齢でこんな経験をすると、あとの人生がおつりのように思えてくる」と語ったとのこと。
一方インタビュアーが「延長15回の無死満塁、0−3のとき、どんな気持ちでしたか?」と当時三沢の
二塁ランナーだった選手にきくと、「井上はストライクがはいるといいのになぁと思った。 四球は
かわいそうだなぁと思ってました。」と意外な答えを返した。
東北青森らしいこの純朴さがひょっとすると一歩、勝利へ届かなかったのかもしれない。
翌日の決勝戦再試合もきっちり事前練習してきた松山商と力を出し切ってサバサバした三沢は対照的で
甲子園の古豪との間には、こんな差もあったのかもしれない。
97野球総合板支援第五弾「あの一戦」 5/5:2005/04/11(月) 17:13:00 ID:9r5pELJI
      ★☆☆伝説の決勝戦、松山商―三沢・その3番外☆☆★
1999年(平成11年)11月6日午後、甲子園球場で、松山商業−三沢高校の試合が再現された。
当時の両校ナインがそれぞれ母校のユニフォームに身を包み、30年ぶりに再会したのである。
井上・太田の両エースは5回までを投げ、その時点では「5−7」で三沢高校2点のリードであった。
しかしその後、松山商業が「13−8」と逆転し、またしても勝利を得た。
なんと、この試合の「MVP」は、松山商業・三好威徳マネジャー(当時)だった。
6回から井上投手を リリーフして2イニングを完璧に押さえ、勝ち越しのタイムリーヒットまで放ち大活躍。
30年前はベンチ入りできなかった彼の言葉は、「30年間、この日を待っていたんです!」であった。