3.「早慶戦」のはじまり
早慶戦(そうけいせん)は、早稲田大学と慶應義塾大学とのスポーツでの対戦を総じて呼ばれて
おり、ラグビーとレガッタ、それに野球が有名である。
「早慶戦」の始まりは、両大学の野球部が対戦した1903年11月。早稲田野球部が慶應野球部に
挑戦状を送り、試合が実現したことに始まる。それ以来、両大学の野球部が諸事情で中断され
ながらも定期的に対戦を重ねることになり、「早慶戦」と俗に称され定着するようになる。
なお、慶大生および卒業生、ならびに関係者は「慶早戦」(けいそうせん)と伝統的に呼ぶ。
慶早戦が一発変換出来るようになればアナタも慶應ファン。筆者のATOKもfjdklsjfkaふじsl;
そのような野球の「早慶戦」に明治・法政・立教・東大が加わり、東京六大学野球連盟が創設
されて、明治神宮野球場がつくられ、そこで組織的にリーグ戦が展開されるようになった。こ
れが東京六大学野球リーグの始まりである。リーグ最終戦は始祖である早慶戦で締められる。
以前は優勝決定戦の意味合いが強かったが、近年はそうでもないorz
かつて早慶戦は全国的にプロ野球より人気が高かった。あの吉本興業の草創期、漫才コンビ
エンタツ・アチャコの「早慶戦」が大ヒットし、それまで不安定だった「漫才」の地位を
揺るぎないものにした。吉本興業の現在の隆盛も、早慶戦があってのことだったのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E6%85%B6%E6%88%A6