第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-015

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530日本と野球の歴史など 3/10
2.ベースボールから野球へ

アメリカ人によってもたらされた野球は当初そのまま「ベースボール」と呼ばれていた。平均
的なねらーの曽祖父母様ぐらいの年代であれば、野球はむしろ「ベースボール」であって、
「野球」という言葉は新しいものであったようだ。
当時海外から輸入されたスポーツは一応ひととおり和訳が試みられた。野球をはじめ、籠球・
排球・蹴球・卓球・庭球など。籠球はバスケット、排球はバレーである。
ボールに「野球」という訳語が当てられたのは1894年、第一高等学校(現東京大学)野球部の
監督を務めていた 中馬 庚(ちゅうまん かなえ) という人物。一般に正岡子規説が有名であ
るが、これは俗説。
「野球」の語源 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%90%83#.E8.AA.9E.E6.BA.90
中馬庚氏 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%A6%AC%E5%BA%9A

http://etc3.2ch.net/test/read.cgi/vote/1113012398/452 の「四月馬鹿」暦はこの事実に
基づいて採用されたものだと言える。日本で「野球」が誕生して今年で111年なのである。

ここで「○球」のちょっと難しいのをクイズで出題。全部分かりますか?
 1)鎧球 2)送球 3)氷球 4)撞球 5)闘球 6)避球

答えはこの支援の最後に。
531日本と野球の歴史など 4/10:2005/04/11(月) 11:31:59 ID:9r5pELJI
3.「早慶戦」のはじまり

早慶戦(そうけいせん)は、早稲田大学と慶應義塾大学とのスポーツでの対戦を総じて呼ばれて
おり、ラグビーとレガッタ、それに野球が有名である。
「早慶戦」の始まりは、両大学の野球部が対戦した1903年11月。早稲田野球部が慶應野球部に
挑戦状を送り、試合が実現したことに始まる。それ以来、両大学の野球部が諸事情で中断され
ながらも定期的に対戦を重ねることになり、「早慶戦」と俗に称され定着するようになる。
なお、慶大生および卒業生、ならびに関係者は「慶早戦」(けいそうせん)と伝統的に呼ぶ。
慶早戦が一発変換出来るようになればアナタも慶應ファン。筆者のATOKもfjdklsjfkaふじsl;
そのような野球の「早慶戦」に明治・法政・立教・東大が加わり、東京六大学野球連盟が創設
されて、明治神宮野球場がつくられ、そこで組織的にリーグ戦が展開されるようになった。こ
れが東京六大学野球リーグの始まりである。リーグ最終戦は始祖である早慶戦で締められる。
以前は優勝決定戦の意味合いが強かったが、近年はそうでもないorz
かつて早慶戦は全国的にプロ野球より人気が高かった。あの吉本興業の草創期、漫才コンビ
エンタツ・アチャコの「早慶戦」が大ヒットし、それまで不安定だった「漫才」の地位を
揺るぎないものにした。吉本興業の現在の隆盛も、早慶戦があってのことだったのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E6%85%B6%E6%88%A6