第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-015

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326三戦板 その0
【三国志豆知識】    〜字〜
古代中国では、諱(いみな)を呼ぶのは大変失礼なこととされており、呼んでいいのは親や目上の者に限られていた。
したがって、諱の代わりとして成人前は小字、成人後は字(あざな)というものがあった。
曹操で例を取ると
姓:曹、諱:操、字:孟徳、小字:瞞
となっている。

字は自分で決めることもあれば親や目上の人物が決めることがあった。なお、適当に決めているわけではなく、ある程度の法則があった。

伯仲叔季:伯は長男、仲は次男、叔は三男、季は四男に付けられる。そのため、字からその人物が何番目に生まれたかが分かる。また、孟や興にも長男の意味があった。
       兄弟が四人以上となった場合は適当に決められたが、末子は幼が付けられることが多かった。
諱との縁語:呂蒙(子明)の場合、蒙は「暗い」という意味を持つので、字には対義語の明が使われている。
        張遼(文遠)の場合、遼と遠はともに「とおい」の意味を持つ。
通字:兄弟間では一字を共通させることがあった。司馬の八達や馬氏の五常が有名である。他にも夏侯淵の息子が「権」を通字としている。
その他:主君や親、皇帝と同じ文字を使うのは避けられていた。

この例に従うために字を変えた人物もいる。それが諸葛瑾の息子の諸葛喬である。
諸葛喬はもともと仲真と言う字だったが、子のいなかった諸葛亮の養子となったため、字を伯松に変更した。
このことから諸葛瑾の次男であったが諸葛亮の元では長男となったことが分かる。
327三戦板 曹操小ネタ 1/7:2005/04/10(日) 20:32:56 ID:ZMr4BPHl
●曹操 背が低くても偉いんだぞ

 曹操にはふたつのコンプレックスがあった。ひとつは
宦官の孫だということ。もうひとつは、背が低いことであ
る。細目長髯、身長七尺。三国志の英雄たちの身長は
だいたい七尺五寸以上はあるから七尺ではいささか足り
ない。だから大将軍らしくない自分の風貌を気にしてい
た。一度、冗談で部下と服を交換して自分は臣下になり
すまして、使者にあってみたが、ついに本物の曹操とは
気がつかなかった。情けない話だが、逃げる時に変装
がしやすいという利点もあった。
328三戦板 曹操小ネタ 2/7:2005/04/10(日) 20:33:35 ID:ZMr4BPHl
●曹操と袁紹

 後に天下を争う2人は若いときは友人同士であった。あるとき、2人で
嫁入り前の娘の家に忍び込む。目当ての娘をさらうまでは順調に運ん
だが、あと一歩というところで袁紹が足をくじいてしまう。

 俺はもう動けない、という袁紹を見た曹操、大声で
「盗人はここにいるぞ!」
と叫ぶ。袁紹は仰天して足の痛みも忘れて2人は無事逃げ仰せた。
329三戦板 曹操小ネタ 3/7:2005/04/10(日) 20:34:08 ID:ZMr4BPHl
●悪ガキ曹操

 各地で悪戯し放題の放蕩息子曹操にたまりかねた叔父は曹操の父
曹嵩に悪業の数々を告げ口したので、曹操は父にひどく叱られた。

 これでただでは済まさないのが曹操。しばらくして叔父と道で出会っ
た曹操は卒中のふりをして倒れる。叔父は曹操を心配して曹嵩にこの
ことを告げた。

 しばらくたって曹嵩は曹操に「お前は卒中と聞いたが出歩いても大丈
夫なのか?」と聞いてみると、曹操は「ああ、また叔父さんですか。あの
人は私が気に入らないのか、あることないこと父上に吹き込むんですよ」
と言う。

 かくして以後叔父は曹嵩にとりあってもらえなくなり、ますます曹操は
放蕩の限りを尽くすのであった。
330三戦板 曹操小ネタ 4/7:2005/04/10(日) 20:34:45 ID:ZMr4BPHl
●法は尊きに加えず

 ある夏、曹操が張繍征伐の出兵をした時のこと。ちょうど百姓が田畑で仕事を
する時期であったため、曹操は村長たちを呼んで
「わが部隊は断じて田畑を踏み荒らすことのないよう命じてある。また略奪など
する兵がいれば斬り捨てるであろう」
と言って安心させた。

 ところが、曹操の乗馬が突然跳ね上がり、麦畑に突っ込んで麦を損ねた。曹
操は全軍に止まるよう命じ、
「不覚にも自分は、自らの出した法を犯してしまった。何をもって人を律し、服さ
せることができようか。自害して法を明らかにする」
と言って、剣を抜いて自刃しようとした。

 重臣郭嘉は、
「法は尊きには加えず、と言います。殿は大軍を統率なさる身、殿の生死は軍
全体の死活。自害だけはとどまり下さい」
と言って自害を止めた。曹操は断罪の代わりとして自らの髪を短剣で斬った。
これを見た将や兵士は例外なく法の遵守を誓ったのであった。
331三戦板 曹操小ネタ 5/7:2005/04/10(日) 20:35:19 ID:ZMr4BPHl
●梅酸、渇を医す

 ある夏、曹操軍は張繍軍の征伐に向かった。山脈を越える難行、
山道の岩砂は焼けきって一滴の水も見当たらない。多くの兵が倒れ
ていった。

「水が飲みたい」 「水はないか」

 曹操は突然馬上から鞭をさして叫んだ。
「もう少しだ!この山を越えると梅の林がある。疾く参って梅林の木陰
に憩い、思う様梅の実をとれ!」
 
 これを聞いた兵は、
「梅でもいい」 「梅林までがんばれ」
とにわかに勇気づいた。そして知らぬうちに梅の酸っぱ味を想像して
口の中に唾をわかせ、自然とのどの渇きを忘れてしまった。
332三戦板 曹操小ネタ 6/7:2005/04/10(日) 20:35:53 ID:ZMr4BPHl
●腹が減っては戦ができぬ

 皇帝を自称した袁術に対し、曹操は討伐軍を出した。形勢不利と見た袁
術は寿春に籠城する。ちょうどその頃田畑が水害のため被害を受けていた
ため現地で糧米を調達できず、たちまち曹操軍の兵糧が枯渇していった。
兵糧総監の王垢はついに悲鳴をあげ、曹操に兵糧難の窮状を訴えた。

 それに対し曹操は、「糧米を兵に配る枡目を小枡に替えるとよい」と言う。
その通りに王垢は小さい枡を使い始めた。1日あたりの食べる量が減らされ
る訳だから腹が減っては戦などできぬと、兵士は曹操に対し不満をもつよう
になった。

 曹操は王垢を呼ぶ。そしてやってきた王垢を問答無用で斬り捨ててしまっ
た。そして陣中に首が晒され、そばにこのような立て札を立てる。

 王垢、糧米を盗み、小枡を用いて私腹を肥やす。
 罪状歴然。軍法に依ってここに正す。

 すると兵士は王垢を恨み、曹操への不平は忘れてしまった。この士気が
上がった一瞬の好機を掴んで曹操は一気に寿春を陥落させた。
333三戦板 曹操小ネタ 7/7:2005/04/10(日) 20:36:22 ID:ZMr4BPHl
●奇人禰衡

 袁紹との大戦を控えた曹操は、周辺の勢力に傘下に加わるよう使者を出す。
しかし荊州に勢力を広げる劉表は一顧だにもしない。そこで新たに使者を出そう
とした時、侍臣孔融は禰衡なる人物を使者として推挙した。

 この禰衡という男、どうして使者として推挙されたのか理解に苦しむほどの毒舌
家。居並ぶ曹操配下の名将をことごとく切り捨てる。
「荀イクは葬式の使者、荀攸は墓守、程イクは門番、郭嘉は文書の読み役。張遼は
陣太鼓打ち、許ネ者は牛飼い、李典は飛脚、楽進は手紙の読み役、呂虔は刀鍛
冶、満寵は酒粕食らい、于禁は左官、徐晃は屠殺業、夏侯惇は五体満足将、曹仁
は銭取り太守、どいつもこいつも服を着てるから衣服掛け、酒を飲むから酒袋。手
足があり口から音を発するからといって人間ではない。蟷螂だってそれくらいできる」
と、もう散々。自らを万能の天才と言う禰衡を辱めようと曹操は太鼓を打つよう命じる
と見事に名調子で打ってのける。粗末な衣服を咎められると全裸になって清潔な身
体だと豪語する。

 怒りを抑えて曹操は劉表の許に使者として送り出したが、禰衡は劉表の部将黄祖
を同様に怒らせて惨殺されるのであった。