第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-015
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(´∀` ) ̄ < 英国は各自が己の義務を果たすことを期待する。
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(_(__) ホレイショ・ネルソン(トラファルガル岬沖海戦時、信号旗にて)
期待してくれていた人(居れば)こんにちは。その他の人にもこんにちわ。皆さんの世界史板です。
さて、本日は三国志、戦国板殿の支援に駆けつけました。
すでに
>>21-28の方で三戦板さんがやってらっしゃいますが、折角ですのでこちらからも三国志に
登場する人々の紹介をしたいと思います。被ってるって言うな歴史は多方面からの考察だよ兄貴!
人物紹介第一回は、三国志演義の主人公、劉備が立てた「蜀漢」(中国の西、チベットの東ら辺です)
の主要人物に絞って紹介してみました。
おっと、本文に行く前に予備知識。「三国志」とは後漢の末、魏・呉・蜀の三国が乱立して滅びるまでの
物語です。ただ「三国志」というと陳寿が編纂したものをさします。
それと別なのが「三国志演義」。これは三国志を元に、明代の作家・羅貫中の書いた小説です。
ではいってみましょう、抗議は蜀漢成都尚書省まで!
((パパ))
(;´Д` )っキモイヨー
(つ /
| (⌒)
.し⌒^
■ 劉備 字は玄徳。
いわずと知れた(?)三国志演義の主人公。
黄巾の乱を契機に一介の筵売りから蜀漢の皇帝まで成り上がる。
しかしその前半生の戦績はさんざんで、戦っては負けてばかりいる。
だがその度に見事な逃走っぷりを見せ、各地の有力者の食客になって
生き延びる。素晴らしい生存能力である。
ちょっと上がってはまた下がりとその人生には同情を禁じえない。
でもそんな人生でも、義兄弟の関羽・張飛を始め、簡ヨウ、ビ竺など
付き従ってきた人々は大勢居る。なぜだ。これが人たらしというものか。
なお、演義では「徳の人」と言われるが、それなりにミスやえげつないこともやっている。
物語冒頭、関羽・張飛と義兄弟の契りを結んだ「桃園の誓い」は、それなりに有名。
ノ__ゝ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
((┏┓`)⌒フ < わしの出番無し?
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ヽ二二二二二二∽∽∽∽===(lll(======
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\___ . 赤兎 ノ~
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■ 関羽 字は雲長。
劉備の義兄弟。蜀の五虎将軍の筆頭。
何処へ行っても負け続ける劉備に愛想を尽かすこともなく、最後まで付き従う。
曹操に徐州を落された際は劉備の家族を守るために曹操に下り、対袁紹戦で猛将の顔良、
文醜を討ち取る手柄を立てる。しかし劉備が生きていると分かるや否や、
曹操のラブコールを振り切って劉備の元に馳せ参じる。
その赤心(誠意のこころ)は後世の人々に感銘を与え、遂には神として祀られた。
どこの中華街に行ってもある「関帝廟」がそれである。
でも、今は何故か商業の神様になってるらしい。神様の中の人も大変だ。
/l + この人
l.」+ 》 ↓
廿 __ +《 ∧∧∧
‡ ノ__ゝ .‡ =∞=
‖( '┏┓) ‖(´Д` ) ダイジョウブカ……
⊂ ▼ )⊂ ∨V∨) コンナノナカマニシテ……
‖| | | ‖| | |
‖(__)_)‖(__)_)
■ 張飛 字は益徳。
劉備義兄弟の末弟。蜀の五虎将軍のひとり。
何処にでも居る猪突猛進キャラ。
しかしその武勇は大した物で、長坂橋では曹操の軍を一喝して追い返したと言う
逸話もある。
付いたあだ名は燕人張飛。
酒が大好きで、酒の上での失敗は数知れず。
しかし、訪問してきた劉備を追い返した孔明の庵に火をつけようとして関羽に
制止されるなど、しらふでも暴走することがある。
のちの蜀攻略戦で「おお、成長したじゃん!」という所を見せておきながら
その最後はあんまりじゃないでしょうか。
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[二二] /
ハァ.. ( ´Д`) < 北伐もアキチャッタ。劉禅タンと遊びたいなぁ
/⌒つ ⌒ヽ \__________________
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し ⊂二二ノ___( / \______
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J J
■ 諸葛亮 字は孔明。
劉備に三顧の礼をもって迎えられた軍師。
劉備の生前は内治に励み、死後は南伐北伐と八面六臂の活躍をみせる。
外交官としても優秀で、曹操に降伏すべきか悩む孫呉を説き伏せ、開戦に
導いたことは有名。ウフフ(横山光輝風)
演義では神のごとき采配を振るう軍師として描かれているが、実は戦争は
あまり得意ではなかったんじゃないかともいわれる。
彼の本分はやはり内治にあったというべきだろう。
北伐時の「死せる孔明、生ける仲達を走らす」の逸話で有名。
三国志演義で彼に功績を奪われた人物は数知れず。
でも抗議は羅貫中(演義作者)にして下さいね?
((( )))
(; ´Д`) キモイヨ〜
〜 / つ _つ
人 Y
し'(_)
■ 劉禅 字は公嗣。
劉備の実子。父の死後、蜀漢の帝位を継ぐ。
三国志演義では、讒言を信じて孔明や姜維の足をひっぱたり、奢侈に溺れ
たりと暗君・無能者として無類の名声を誇るが、「三国志」の著者である陳寿に
よると、「周りの人間が有能なら良く、悪かったらダメになるような人間」という
事である。
魏に降伏して蜀漢2代目にして最後の皇帝となる。
降伏後は魏に保護され安楽な余生をおくったようであるが、その辺りが人々の
癇に障るのかもしれない。
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/⌒\/( 禅 )ヽ| |/ |;,ノ .| 長坂 |
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■ 趙雲 字は子竜。
蜀の五虎将軍のひとり。
いろいろあったのち劉備の配下となる。
その武勇は誉れ高く、まだ幼い劉禅(幼名・阿斗)を懐に抱き、単騎駆けで
曹操軍でごったがえす長坂を突破したのは有名である。
劉備死後、老境に入るも、孔明の北伐に従って渋い働きを見せる。
青年キャラであると同時に渋い老将キャラでもあるというお徳な人物である。
こっち
↓
∩ |⌒|⌒P
(´・ω・`)[二二]
ピュ.ー (*´Д` ) (*´Д` ) <これからも僕たちを応援して下さいね(*´Д`)。
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= ■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 孔明&馬超
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■ 馬超 字は孟起。
蜀の五虎将軍のひとり。
涼州(中国北西部)の豪族、馬騰の息子。
その颯爽たる勇姿は、「涼州の錦馬超」と讃えられた。
曹操の漢中攻略を恐れて韓遂らと挙兵、曹操が直垂(マントのような物)を捨てて
逃げ出す所まで追い詰めるも、賈クの離間の策に嵌まって自壊する。
そののち漢中の張魯を頼るが、蜀攻略中の劉備に鞍替えする。その八年後に病死。
劉備の配下になってから微妙に影が薄い気がするのは気のせいか。
/ )
/ / 老いてなお
/ /  ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
./ /忠\ , -つ
/ / ´Д`) ./__ノ ますます盛ん!
/ ∪\ / / ⊂_ヽ、  ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
.| 黄 へ/ / .\\ /顔
| レ' /、二つ \ ( ´Д`)
| /. . > ▽ヽ ( ※この画像は検閲済みです)
■ 黄忠 字は漢升。
蜀の五虎将軍のひとり。弓の名手。
劉備の荊州南郡平定の後より臣下となった。
蜀平定戦でも勇猛果敢なところを見せ、また漢中攻略戦の折には、軍師・法正と
組んで魏の猛将・夏侯淵を討ち取り、要衝定軍山を攻略する大功を立てる。
しかし彼が輝くのはなんといっても三国志演義の中である。
南郡平定戦では関羽と名勝負を演じ、また漢中攻略戦では厳顔(画像右)と老将
コンビを組んで曹操軍を手玉にとり、また夷陵の戦いの折には孫呉の軍を蹴散らした
後に主君・劉備に見取られて死ぬ。
最後の夷陵は演義の創作であるが、作者の愛が感じられる話である。(個人的に)
今なお、中国では元気な老人のことを彼にちなんで「老黄忠」呼ぶと言う。
さて、三国志のことを多少は分かった気になっていだたけましたでしょうか。
これでもまだ1/3国、いまだ曹魏・孫呉が残っておりますが、今日はこの辺りに致したいと思います。
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∧''"""ヘ、
/∵≡゚ ▼)
`゙''ヽ (,,゚Д゚) なお、AAは三戦板殿の「八頭身の武将はキモイ」スレから拝借
し 、乂つ いたしました。この場を借りて御礼申し上げます。
人::,,,,,ノ 長々と失礼致しました。
U"U