第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-015
囲碁スーパースター列伝
本因坊算砂(日海)1559〜1623年
信長、秀吉、家康に仕えた名人。
1582年6月1日、本能寺において信長の御前で鹿塩利玄と対局するが
この対局は3コウという珍しい形となり無勝負。
翌日本能寺の変が起こったことから以降3コウは不吉と言われるようになる。
家康に時代になって、本因坊算砂と名乗り家元制度の基礎を築く。
昨年第1回囲碁殿堂入りした。
なお、家康もスポンサーとしての功績から同じく囲碁殿堂入りしている。
辞世の句・「碁なりせば 劫(コウ)なと打ちて 生くべきに 死ぬるばかりは 手もなかりけり」
(碁だったらコウにするとかして何とか生きて見せるのに、リアルで死ぬのは打つ手がねー。)
本因坊秀策 1829〜1862年
幼名虎次郎。藤原佐為が進藤ヒカルの前に取り憑いていた人。
井上因碩との耳赤の一局が名局と名高い。観戦していたやじうまが
「漏れは囲碁のことよう分からんけど、これは秀策先生が優勢だな。
井上先生の耳が真っ赤だ」というようなことを言ったらしい。
御城碁では19戦19勝無敗の大記録を作る。
とくに秀策流と呼ばれる布石で戦う黒番では無敵と言われ、
勝敗を聞かれた秀策は「黒番でした」と答えたこともあったとか。
江戸にコレラが流行したとき、周りが止めるのも聞かずに患者の看病にあたったため
当人が感染しそのまま34歳で死去した。
呉清源 1914〜
ttp://www.ruralnet.or.jp/nbklib/book/wadai/goseigen02.jpg 福建省生まれ。昭和の碁聖。
7歳のとき父から囲碁の手ほどきを受け、北京で頭角を現す。
その噂は日本まで届き、14歳の時に瀬越憲作名誉九段らの誘いにより来日。
木谷実と新布石を発表し、現代囲碁の道を切り開いた。
読売新聞主催の打ち込み十番碁で強豪棋士を次々と打ち破り
「十番碁の王」として天才棋士の名をほしいままにした。
彼の生涯を描く映画『呉清源』の制作を田壮壮監督とともに発表。
2004年10月、日本でのロケが始まった。公開予定は2005年秋。