さて、話は飛んでトルコのお話。何故トルコ?と思うかもしれませんがトルコと日本の間には「エルトゥールル号」というお話があるのです。
1890年9月、トルコ軍艦のエルトゥールル号が和歌山県串本沖で運悪く台風に巻き込まれ沈没。
沈没した時に投げ出されたトルコの友好使節団と乗組員約700人程の一部は漂流しているうちに和歌山県沖の大島に漂着。
この時大島の住民は一人でも多く乗員を救う為村長の指揮の元に約70名を救出しました。
彼らを助ける為に島中から物資をかき集め、緊急時用の食料も使用しエルトゥールル号乗員の生き残りを看病し続けました。
台風が収まると内地から明治天皇の命により医師と看護婦が到着、生き残りの乗員は日本海軍の軍艦「比叡」「金剛」によりトルコへ無事到着しました。
また民間で義捐金が大量に集まり「山田虎次郎」という日本人が義捐金を届けた所熱烈な歓迎を受けました。
また、この時の好印象が元でトルコは日露戦争の際バルチック艦隊の出動を日本に通報した事もあります。
このエルトゥールル号事件が日本とトルコの友好関係を築き上げ、トルコは日本に感謝の念を抱くようになる。
その感謝をトルコはずっと忘れずに記憶し続け、1985年のイラン・イラク戦争の時にイラン滞在中の邦人に対する救援便をトルコ航空が派遣。
その救援機派遣時にトルコ政府が答えた派遣理由は「エルトゥールル号のお返し」でした。
トルコの人々は1世紀前の恩を忘れずに返してきたのでした。これは是非知って欲しい歴史の1ページです。
#余談ですがイライラ戦争当時エルトゥールル号に触れたマスコミはなく某(-@∀@)は「援助金増額目的」と書いたとか・・・触れなかった日本政府も悪いけど・・・('A`)
これまでのお話
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