第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-013

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454たれ ◆TAREurn8FE
次のお話は「パラオ共和国」という国です。・・・殆どの方が名前を知らないのではないだろうか、と思います。
それもそのはず、独立した年は1994年、東ティモールが誕生する前は世界一新しい国として知られていました。
パラオは第一次世界大戦でドイツから日本に管理権が委譲、日本領となります。
1941年から始まった太平洋戦争(大東亜戦争)の際、日本軍は追い詰められパラオも戦場となってしまいます。
戦闘は「ペリリュー島」という名前の島で戦闘が始まりました。その際原住民はどうしたか、というと日本軍の手によってコロール島(隣の島)に移されていたのです。
とある新聞のコラムにそのときのお話が書かれていました。

>遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
>太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。老人は村の若者達と共にその作業に参加した。日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
>やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。仲間達と話し合った彼は代表数人と共に日本の守備隊長のもとを訪れた。
>自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。それを聞くなり隊長は激高し叫んだという「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
>日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…
>船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
>そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。その瞬間、彼は悟ったという。
>あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。
・・・日本軍は戦闘になる前に住民を非難させ、民間人を巻き込まぬよう注意していたのです。
日本軍玉砕後にペリリューに戻った島民は、島中に散乱する日本人の遺体を見て非常に悲しみ、放置されていた日本兵の遺体を埋葬してくれたそうです。
パラオの話は次のレスへ続きます。
これまでのお話>>432-433,440