第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-013

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32世界@名無史さん
美味しんぼの元ネタつながりでもうひとつ。

木下謙次郎といえば、あの「美味しんぼ」の元ネタとなった料理小説の
名作「美味求真」の作家として知られる人ですが、
彼にとって作家業はいわば余技であって、
その実体は衆院議員や中国の関東庁長官を務めた政治家であると同時に、
深い教養を備えた博物学者でもある大人物でした。

彼が長官として中国の旅順にいた時、当地の実力者である、
奉天軍閥の最高幹部だった常蔭槐という人物に食事に招かれたことがあります。
これも教養人だった常は木下のために山海の珍味を用意し、
料理の一つ一つを自慢げに講釈しましが、それを黙って聞いていた木下は常の話が
終わると中国の古典から傍証しながら静かに自説を述べたと言います。

常は、木下の態度に打たれ、その後は彼に敬服したとか。
33世界@名無史さん:2005/04/05(火) 22:55:26 ID:5C7T0sDt
紙のお話。

禅の公案(禅とは何か、悟りとは何かをクイズ形式にしたもの。禅問答)の
中に、「禅とは何か」と問われて、「便所の糞かきべらだ」と答えたというものがあります。
その意味はさておき、日本でもかつてはお尻を拭くのには、
こうしたへらを使用していました。

では、紙の使用は何時からというと、鎌倉時代に描かれた『餓鬼草紙』という
絵巻の中で、道端で用を足した人々の足元に、紙が落ちているのが見えます。
当時の京の庶民たちは、大路の脇の決まった場所を公衆便所にしていました。
そこで用を足す人の中に、お尻を紙で拭く人がいたのです。
34世界@名無史さん:2005/04/05(火) 22:55:47 ID:5C7T0sDt
勿論、中には紙で鼻をかんでいる人もいました。
16世紀〜17世紀に朱印船貿易が盛んになると、海外に出て紙で鼻をかむ
日本人商人の姿がヨーロッパ人に目撃され、驚かれています(彼らは手鼻)。
宣教師ルイス・フロイスによれば、当時のヨーロッパの紙は四、五種類であったのに対し、
日本のそれは五十種類を越えていたとか。それからしばらく後、
寛永年間(1624〜1643)には、甲斐産のはな紙に税がかけられそうになった時、
「日本のもろこしよりまさりたる物は紙にて候」と言われ、
どんな貧乏人でも買っているものに負担をかけるべきではないと反対され、取り止めになっています。

なお、ナポレオンは兵士たちが鼻を垂らした時、
袖に鼻をこすりつけていたのを嫌って袖に三つのボタンをつける事を始めさせたといいます。
かくして、冬将軍の襲い来る中、青っ洟もぬぐえぬ羽目に。哀れ・・・。