第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-013

このエントリーをはてなブックマークに追加
26おぎまる ◆JJi5gOTcvk
最期までやりまっせ。

<世界史トリビア>

劉邦の子孫は



丹波哲郎であるといわれている。

27おぎまる ◆JJi5gOTcvk :2005/04/05(火) 22:48:48 ID:Qll7Zwew
<世界史トリビア>

魏の曹操の子孫は



筑紫哲也らしい。
28世界@名無史さん:2005/04/05(火) 22:48:51 ID:5C7T0sDt
猿。
今は肉を食べるとはあまり想像しませんが、昔は違ったようです。

陶芸家・書家・そして稀代のグルメとして知られる北大路魯山人
(「美味しんぼ」の海原雄山のモデルになった人)によると、
少なくとも明治二十年代の京都では、割と普通に猿の肉を売っていたらしいんです。
当時の京都では猪に比べて豚はまだあまり食べられておらず、
京都人は豚よりもむしろ猿を喰っていたと彼は述べています。

魯山人自身も、時々猿を食べたそうで、
「その肉はちょうどかつおの身のように透き通ったきれいな肉であった。
感じから言えば兎の肉に似ているが、当時の印象では、これも脂がなくて、
そううまいものではなかった。しかし兎の肉よりは美味かった」
という感想をもらしています
29世界@名無史さん:2005/04/05(火) 22:49:15 ID:5C7T0sDt
実は日本における猿肉食の伝統は意外と深いのです。
東北地方や北陸地方では昔から、漢方薬や民間薬として尊ばれて良い値がついた
「黒焼き」用の猿の頭や、同じく薬用の「胃」目当てにさかんに猿が捕獲されてきましたが、
その際、値の付かぬ肉は、狩猟者たち自身が食べていたといいます。

ある石川県の山村などでは、
狩猟法で猿が保護されるようになった昭和に入っても猿狩りが行われていました。
目当ては頭や胃ですが本当は、味噌煮が良く合うその肉もなかなか好まれていたらしく、
特に脂がのる秋に捕れた猿については、美味しすぎたせいか
「秋猿は嫁に食わすな」という諺さえあったそうです。

ナスと同じ扱いですか。