第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-012
世界史板支援のお時間です。
∧∧ ネタがないので
(´ ・ω・) もう寝よう。
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おやすみなさい。
<⌒/ヽ-、___
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一晩寝ればよい知恵が出るものだ プーシキン
冗談です。
ネタはまだまだ大量に。
正直、使いきれるんでしょうか…。
今回は長いネタですがお付き合い下さいませ。
世界史小話劇場、今度はミイラの話です。
ミイラ。漢字だと木乃伊。読めません。
ミイラの話題も色々あるけど、今回は薬としてのミイラの話、
そう、ミイラって薬にもなるんですね。
もともと人肉を医薬品として珍重するのは、地域を問わず古代からありますし、
東洋においては唐の陳臓器の「本草拾遺」という書物に
結核に対する人肉の効能が述べられていたために、
これが我が国にも伝わり、当時の漢方医学、
民間医学に強い影響を与えたことは事実なんですけど、
近代(日本だと江戸時代)になってからミイラが薬として認められたのは、
実は必ずしも「人肉」としての効能からではないんです。
しかもこのミイラ君を薬として日本に持ち込んだのは中国じゃなくオランダ。
そうミイラって「西洋薬」だったんですよ。
もともとなんでアレのことミイラっていうのか、考えてみると不思議です。
だって西洋語だとマミーとかムミーとかになるはずでミイラなんて発音になるわけがない。
じつはこれ、西洋では古くから薬として尊重されてきた没薬(ミルラ)のなまりで、
このアラビアなどで採れる植物の樹脂は古くから薬や香料、防腐剤として使用されてきたものです。
だから中世から近世にかけての西洋社会では、
没薬を大量に使用して造られるエジプトミイラも没薬同様に結核を含む呼吸器系、
循環器系、消化器系の諸病に対する万能薬として珍重されてきた伝統があって、
この「知識」とともに江戸時代にミイラが入ってきたらしいんですね。
多分、漢方の人肉の薬効に関する知識とも混同されながら。
その結果がスゴイ。17世紀後半の日本は空前のミイラブーム(?)に湧くことになります。
もう、上は大名から下々まで飲まない香具師はいない、というぐらいの。
でも、そんなにミイラって輸入されたんでしょうか。いや、確かにされました。
1673年のピーク時には648ポンドという、
一人分10ポンド程度といわれるミイラ数十体分が。
でもこの量そう長く続いた訳ではありません。
なのにブームは数年間続いた。
当然この需給ギャップを埋めたのは偽物ということになります。
いや、最初から輸入ミイラにも「古手」と呼ばれる包帯の布目付きの
本物に対して「新渡り」と呼ばれる偽物臭いものが混じっていました。
布目もなく湿り気を帯びたこれ、正体はどうやら馬肉だったらしい。
いや、まだ馬肉のジャーキーならマシかも知れません。
それどころかこの時代、方々の薬種屋で「みいら」という名で売られた薬の大半は
新見伝左右衛門正朝という人の「八十翁疇昔話」という本によれば、
何か薬種二、三種を松脂で練ったもので、一時みんな飲んでいたけど
毒にも薬にもならなかったので七、八年で廃れてしまった、
とある通り、全くのインチキ薬でした。
しかしここに一つ疑問が湧きます。
西洋医学においてミイラの効用はそれに染み込んだ没薬によるはずで、
となればミイラと同等に効果があるだろう巻いた麻布はどうなったのだろうか、という問題です。
実はもうこの時代、西洋ではミイラは異なった用途に使われ始めていました。
当時の西洋社会の悩みは製紙用材料であるぼろ布の不足で、
この解決のためにエジプトからミイラを輸入し、巻いてある亜麻布を使ったりしてたんですね。
で、もしかするとあまった「中身」の方が日本まで来たのかもしれません。
それにしても古代のエジプト人も、外側はひん剥かれて紙の材料に、
中身はすり潰されて薬にされるとは思いもしなかったでしょうね。
最後にミイラの名誉のため付け加えると、現代医学の立場から見ても、
ミイラには強力な止血作用成分が含まれ、これが外傷の出血、
結核の喀血等に効を現すだろうことは十分予想されるんだそうです。
∧''"""ヘ、
/∵≡゚ ▼)
`゙''ヽ (,,゚Д゚) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
し 、乂つ < 世界史板よりミイラのお話でした。
人::,,,,,ノ \_________
U"U
語り始めたら止まらない。
そんな世界史板住人の薀蓄話に
お付き合い下さったみなさま、ありがとうございます。
次回の投下をお待ちください。