第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-012

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187【指揮の巨匠達】第3回:フリッツ・ライナー(1/7)
これまでにご紹介した巨匠たちのエピソードの数々は、一見高尚そうな世界に見えるクラシック音楽界
でも、虚実入り乱れた様々な人間模様が渦を巻いていることを示しています。今回はシカゴ交響楽団の
常任指揮者としてその黄金時代を築き、またトレーニングの厳しさでも伝説的となっているハンガリー
出身の大指揮者、フリッツ・ライナー(1888〜1963)のエピソードです。

ライナー没後、シカゴ響はの常任指揮者はショルティ、バレンボイムと引き継がれて
世界一流の地位を一応保っていますが、ライナー在任中のシカゴ響がいかに
素晴らしかったか、名無しの2ちゃんねらーによる一つの評価をご紹介しましょう。

ライナー期:ブルース・リー
ショルティ期:スタン・ハンセン
バレンボイム期:チャック・ウィルソン

・・・・少し難しいたとえだったかな?
188【指揮の巨匠達】第3回:フリッツ・ライナー(2/7):2005/04/04(月) 22:11:41 ID:J7032SuS
1)
ライナーは情け容赦なく気に入らない団員をクビにした。自分の葬式の時も、
棺桶に入りながらかつぎ方が悪いと、かつぎ人をクビにしたとのジョークもあるほどだ。

ライナーは棒の動きが極端に小さく、それによって楽団員の緊張感を高めていた。
とある団員がほんの冗談のつもりで練習中に双眼鏡で指揮棒の動きを観察していた
ところをライナーが発見、問答無用、即座にその団員のクビを切ったというから
冗談が通じない怖い人だ。

2)
そんなライナーが一目置いていたのがトランペットの超名手だったハーセス。
リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラ(例の『2001年宇宙の旅』で有名になった曲)」
録音時のエピソード。 LPレコードではB面最初の方に当たる部分で、トランペットが
「タッタタッ・ターーーン!!」とHigh C(非常に高音で難しい音)を吹くところがある。
ライナーはハーセスが、いつかはミスるのではないかと、フルートや他の楽器に難癖を付け
この部分だけを十数回やったが、ソロトランペットのハーセス氏は毎回完璧。
結局ライナーが諦めたとのことですw
189【指揮の巨匠達】第3回:フリッツ・ライナー(3/7):2005/04/04(月) 22:12:09 ID:J7032SuS
3)
もう一つライナー&シカゴ響の録音時のエピソード。リムスキー=コルサコフの
「シェエラザード(『千夜一夜物語』をネタにした華麗な曲だ)」の録音時、第2楽章にある、
セカンド・トロンボーンのソロの部分。「♪タッタターー、タタタタ、タッタターー」

トロンボーン:「♪タッタター」
ライナー:「フォルテ!」
トロンボーン:「♪タッタター!」
ライナー「フォルテ!!」
トロンボーン:「♪タッタター!(汗)!!」
ライナー「フォルテ!!!」
トロンボーン:「♪タッタター!(大汗)!!!」
ライナー「フォルテだ。フォルティッシモじゃない」

早く言ってくれよぉー(^^;)
190【指揮の巨匠達】第3回:フリッツ・ライナー(4/7):2005/04/04(月) 22:12:35 ID:J7032SuS
4)
ライナーの厳しさは楽団員だけに止まらなかった。
協奏曲といえば、主役は独奏者(ソリスト)、指揮者はその音楽にうまく
合わせ、ソリストが弾きやすいように振るのがシゴトです。が、

ソ連から鉄のカーテンをくぐって初渡米、「幻のピアニスト」としてセンセーションを
巻き起こしたピアニスト、リヒテル。シカゴ響でライナーと共演することになった。
ところが、その音楽はライナーの気に喰わなかった。
リハーサル時から喧嘩し、コンサートでは指揮者とソリストが
お互いを完全に無視しあった(いったいどんな演奏になったんだ??)。
その後、ライナーは「あのバカと演奏するのは御免だ」と言い放って、
予定されていたブラームス第2コンチェルトの録音を拒否した、という。

泡を食ったRCAレコードはピンチヒッターにラインスドルフをつれてきて、
やっと録音を終えた、というオマケ付き。
(そのためにラインスドルフはライナーの怨みを買い、秘かに狙っていたライナー後任の
 シカゴ響のポストをふいにした、という話にまでなると、いかがわしすぎてどこまで
 ホントかどうかわからなくなる)

ちなみにリヒテルはドタバタの中で生まれたこの録音について「最低の出来」と語っている。
191【指揮の巨匠達】第3回:フリッツ・ライナー(5/7):2005/04/04(月) 22:12:58 ID:J7032SuS
5)
当時アメリカの「TIME」誌が世界の5大ピアニストの筆頭に上げていたピアニスト、
ルービンシュタインとライナーの共演によるラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」のレコードが大変
好評だったので、RCAレコードは「第3番」の方も録音を計画し、実際にセッションまで組んだ。
この曲は演奏会で取り上げる予定がなかったので、録音のために特別にリハーサルを行うことになった。

第1楽章に入ってしばらくしてから、ルービンシュタインは大きなミスをした。「第2番」と違って
「第3番」は、ルービンシュタインのレパートリーではなかったのである。ライナーはオーケストラを
止めて、指示を与え、少し前から演奏させた。ルービンシュタインは同じ箇所に来ると、もう一度同じ
ミスをした。ライナーは、今度は何も言わずに、もう一度繰り返させた。
明らかに気が立っていたルービンシュタインは、やはり同じ所でもっと派手にミスをしてしまった。
ライナーは指揮棒を置き、オーケストラに向かって、
 『ピアニストが練習をするので、20分間休憩します。』と言った。
むっとしたルービンシュタインは顔を上げて、
 『あなたのオーケストラはミスをしないのですか?』と尋ねた。
ライナーは一言、
 『しません。』
ルービンシュタインは立ち上がって無言のままステージを去り、二度と戻って来なかった。
そして、ライナーが指揮をするなら、シカゴ交響楽団からの出演依頼も断ってしまった程である。
RCAにはラフマニノフの「第3番」の冒頭15分のテープだけが残されていると言う。
192【指揮の巨匠達】第3回:フリッツ・ライナー(6/7):2005/04/04(月) 22:13:34 ID:J7032SuS
6)
同僚指揮者に対してもドライだったライナー。
クリーヴランド管弦楽団の指揮者だった同じハンガリー出身のセル
(セルも厳格な完璧主義者として有名だった)がライナーに客演を依頼したとき 。

ライナー:
 『私が客演するには2つの理由があります。
  1つは十分なギャラが支払えること。もう一つは名声につながること。
  残念ながらあなたのオケにはそのどちらもありません。』

ひょえー、こんな断り方をするなんて・・・。

さらに、作曲家に対しても容赦がなかった。ライナーとラフマニノフは、ラフマニノフの
ピアノ協奏曲の2番を共演した際に、 ライナーがピアノ独奏のラフマニノフに意見をした事から、
仲が悪くなったらしい。ラフマニノフは、「これは私の曲だ」と言ったとか・・・。
7)
なんてやつだ、と言われれば確かにその通り。
しかし、そのトンでもないトラブルメーカーが創り出した音楽が、
空前絶後の超一級品揃いであったこともまた事実。
これぐらいの厳しさと緊張感があって初めて人を感動させられる芸術が生まれるのかもしれません。
最後に、EMIレコードの凄腕プロデューサーだった
ウォルター・レッグの怖ーいお言葉をご紹介して締めくくりましょう。

『音楽に民主主義は不要だ。音楽における民主主義とは、質の低下の婉曲表現だ。』