第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-004

このエントリーをはてなブックマークに追加
110「リンゴ」「ジャージ」「太陽」
 上下ジャージを着たお婆さんというものを見たのは生まれてこの方初めて
だし、またリンゴに話しかけるお婆さんというものを見たのも生まれてこの方
初めてだった。好奇心も手伝ってか、僕はお婆さんに話しかける。
「お婆さん、リンゴは今日の天気の事なんかに興味ありませんよ」
「おやおや、太陽が出ているとリンゴだって喜ぶんじゃないかえ」
お婆さんの、いかにも戦前の人の台詞らしい答えに一瞬言葉を詰まらせた
僕だが、すぐに反撃の言葉を吐く。この婆さんボケちゃいないみたいだ。
「でもお婆さん、リンゴは返事をしないんだから、聞いてみたって無駄ですよ」
「ああ、寂しくてねえ。ついついこんな事をしてしまうんだよ。悪い人だねあたしは」
 寂しい、か。やはり人間、この年になれば誰しも孤独になってしまうものなのか。
「別に悪いことでは無いですけど……返事もしないリンゴに話しかけたって、
余計に寂しくなるだけでしょう?」
 僕がそういうとお婆さんの顔が突然笑いに崩れた。何だ? と訝しがる僕に
お婆さんは言う。
「いやね、こうしてリンゴに話しかけていると、あなたみたいな人が必ずやって来て、
話し相手になってくれるのよ。でも、これを言うとみんな怒って帰っちゃうんだけどね……」

 何が孤独だよ。僕よりよっぽど人生を楽しんでいるんじゃないか? そう考えて、
僕はため息をついた。
111「息子」「晩酌」「演説」 :05/03/12 19:26:49 ID:Tb6KqZK6
『彼ら』

夕闇に包まれるあの時間。きっと彼らは空を見るのだろう。
何者にも咎められたくない、そんな気持ちを胸に抱いて。
訴えたい。
世界に何かに伝えたい。演説なんて言葉じゃない。
それは悶えに近い気持ち。
癒される期待を微塵も見せず、
壊される期待に躊躇を見せて。
それは白紙の答案を出した生徒の試験結果。
それは晩酌に付き合わされた息子。
全てが全て、既知の思い。
嘆いても。嘆いても。
訴えたい。
だから彼らは叫ぶのだろう。

ジークジオン、と。
112「バイキンマン」「オスマントルコ」「修羅場」 :05/03/12 19:27:19 ID:Tb6KqZK6
 彼は修羅場をむかえていた。
 彼の手は今しがた撃ちはなったばかりの鉄砲が握られている。
 目の前に倒れている男に泣きすがる彼女の姿を、見つめるしかない。
「最低よ!残酷だわ、こんなこと!」
 泣きはらした目の彼女が、怒り狂って彼を怒鳴りつけた。
 彼はその剣幕におびえ、しどろもどろに答える。
「ざ、残酷だと君はいうが……中世ヨーロッパにおける、かのオスマントルコ軍の侵略の残虐さはだね、」
 彼は豊富な知識を駆使し弁解をしたが、彼女はきかない。
「そんなのどうだっていいのよ!!…あなた天才科学者でしょ?彼を助けてみなさいよ。治してよ、彼を!!」
 そういってまた目の前の男を呼びながら、泣き崩れた。
 途方にくれたのは彼だ。
 目の前の男は、彼の憎むべき宿敵の同胞だった。彼は敵に当然のことをした。
 しかし、彼女はきかない。愛してしまったというのだ。
 偉大な科学者であり、医者であり、工学にも長けている彼には作れないものなどない。
 だがいくら彼でも目の前の男を蘇らせることなどできない。
「……くっ」 彼は目の前の男のふやけてしまった頭部をにらみつけた。
 手から水鉄砲が落ち、床にあたって乾いた音をたてる。
 不可能、という言葉が誇り高い彼を傷つけた。
 たかがしゃべる食パンを作る、それだけなのに……彼には無理だった。
 バイキンマンは唇をかみしめるほかなかった。
113「彩り」「草原」「春」 :05/03/12 19:28:01 ID:Tb6KqZK6
老人は部屋の中央の円椅子に腰掛け、両腕を膝のうえにのせ、
腕の肘に互いの手をはべらせていた。前かがみになって、
まるで縮こまるようにしてじっとカンバスに見入っていた。
部屋は老人が昔からアトリエとして使用してきた空間だった。
ここ50年だれひとりそれ以外のものとして、この空間を見たものはなかった。
老人は沈黙のなかにいた。そのなかで唯一のものは老人であり、
老人以外のものはなかった。彼のしわは、ぴくりとも動くことなく、
老人自身彫刻のようだった。
彼はカンバスに彩りを見ていた。
老人の眼は、つねにそこに向けられ、まばたきというものを知らなかった。
カンバスは空虚だった。
以前、老人は風景画を描いた。彼は、春には夏の太陽を、夏には秋の風雨を、
秋には冬の静寂を、冬には春の憂鬱を描きだした。いま、老人の頭のなかには
白い草原があった。草原はカンバスだった。カンバスは老人だった。
老人の白髪が彼の眼前にたれかかった。
彼は目を閉じた。
114「ギター」「腕時計」「目つきの悪い男」:05/03/12 19:32:13 ID:Tb6KqZK6
 俺は子供の頃から目つきが悪い。ちょっと目を向けただけで、子供は泣き出し
大人は眉をひそめる。
 しかし半年くらい前から、俺の目つきの悪さはさらに強力になってきた。
 まずそれの被害にあったのは蚊だ。うるさいうるさいと思いながら睨むと、ポトリと
落ちる。最初は何かと思ったが慣れれば便利なものだった。
 調子に乗ってポトリポトリと蚊を落としていると、部屋の中にあった観葉植物が枯
れた。次はギターの弦が劣化してちぎれた。睨んだ猫がパタリと倒れて動かなくなっ
た。眺めた空にたまたま飛んでいた鳥がいきなり落ちた。アパートの中のものは残
らず動かなくなるか劣化してボロボロになった。
 それからも俺の目つきの悪さはどんどん進行している。
 先月からは、腕時計など眺めただけでプツリと針が止まるのだ。おかげで何十と
安物の時計を持ち歩かなければならなくなってしまった。
 そして今。私は常に真っ黒なサングラスをしている。
 どうか冬場に真っ黒いサングラスをした人を見かけても興味本位で近づかないで
欲しい。俺はいつも、ちらりと見た先にいた人を「止めて」しまうかビクビクしている
のだから。
115「造成地」「吸血鬼」「ロリコン」 :05/03/12 19:32:37 ID:Tb6KqZK6
 蜘蛛を食べてしまった。
 小学生の頃よく遊んだ原っぱを歩いていて、ふいに、くちのなかに舞い込んできたのだ。
はじめは粉雪のようでもあった。いくら寒くなってきたとはいえ、血まよった蚊が吸血鬼を
倣ったとは思えない。くちびるに妙なひきつりを覚えたので、髪を噛んだのかと指で引くと、
それは透明であった。白髪ではない。舌のうえに動きを感じ、てのひらに違和感を吐き出す。
 そいつは気丈にも糸を切らなかった。くちびるとてのひらをつなぐ糸につばの玉が雨粒の
ように光り、つらなり、風に揺れる。かすかに味がある。この透明で細い一糸を舌に感じながら、
てのひらの蜘蛛を見つめる。ああ、そうだ。この味は知っている。小学生の頃、まだ造成地となる
まえのこの地で味わった、陵辱の味だ。
 声が聞こえた。私は振り向いた。吐き気を腹からつめこまれ、さらに咽喉から吸われる。顔の
よこでコオロギが鳴いていた。とっさに動かされる私のからだに驚くのか、鳴き声がつづかない。
そのとき涙を流したのを覚えている。まさか私が泣いていたから、鳴かなかったというわけではあるまい。
 病院に運ばれて最初に聞いた言葉はロリコンだった。意味もわからず覚えていたが、おもちゃの
ような響きが可愛かったのだろう。母に意味を尋ねると母は黙ったままであった。そのとき母が
味わったであろう思いを知ることは無駄のようには思えず、私は蜘蛛を飲み込んだ。
116「にんにく」「にぼし」「青年団」 :05/03/12 19:32:59 ID:Tb6KqZK6
 私は大学時代に、菜食主義青年団という、サークルに入っていた。
活動内容は、名前が示す通り菜食主義を斡旋するというものであった。
 植物以外は食べないのであるが、みそ汁も煮干しで出しを採ったものは
食べてはいけない。にんにくも植物ではあるが、薬効成分が多く含まれ、
効き過ぎるので慎むべきものとされる。
 私は興味だけで入ったのであるが、活動に参加していく内に
菜食主義の不思議な魅力にとりつかれた。毎日の食事も植物のものばかり
になり、スーパーの肉屋の前を通るだけでも、生臭い臭いに思わず
鼻と口を手で塞いだ。
 サークルに入ってしばらく、私は自分の嗅覚を疑った。いや、それには驚いた。
ある日を境に、だんだん人間の体から発せられる臭いに敏感になった。
一般の人の言う体臭とは比べものにならない、生ゴミのような臭いであった。
まさしく生き地獄というものである。私はそれでも菜食主義をやめられなかった。
 ある日、彼女と出かけた帰り、彼女の部屋へ寄ることにした。もちろん、
彼女もすさまじい体臭を放っている。彼女の美しい顔立ちとは、対照的である
その臭いは私を官能的な世界へ連れて行った。
 若い二人が同じ部屋にいればと、そういうことだった。お互い生身で
触れ合ったが、彼女の放つ臭いはだんだん異常なものになった。私は
彼女の腕に抱かれたまま、失神してしまった。
 それからはもう肉も魚も、どんどん食べるようになった。
117「転覆」「眠り」「船」 :05/03/12 19:33:27 ID:Tb6KqZK6
 雨が三日も続くと池之端から鯉や鮒が流れ出し三味線掘の市場のあたりに下ってくる。
「おーい、網をかけるぞー」
 その声を聞くと、漁を休んでいたおとなたちは昼の浅い眠りもそこそこに起き出し、四
手の網をかけて鯉を捕る。高橋のあたりはとくに泥が溜まりやすく、船着場のあたりは泥
沼のようになってしまう。汚穢船を漕ぐ太一の父親は、鯉の網を尻目に、まる二日にわた
って何度も隅田川を上下することになるのだ。
 泥んこになった父親が帰って来るのを見るたびに、ああ、また今日も鯉を食べるのだな
と太一はげんなりした。太一は泥臭い鯉も父親の姿も嫌いだった。汚穢船で働いているな
どいうのは漁師にもなれない者と決まっている。太一はそんな父の仕事を卑屈に受け止め
ていた。
「太一坊は、ばかだなあ。海に漁に出れば、いつ波に揉まれて船が転覆しちまうかわから
ねえんだぞ? だけどなあ、汚穢船は真っ平な筏のようなものなんだ。どうやっても転覆
なんてしようがねえんだよ? 」
 太一は漁に欠員が出ても、滅多に海に出られない父を恥じていた。
 ある日、父が三崎まで漁に行くことになり、太一はうれしかった。荒れた海に出かける
頼もしい後ろ姿に太一は満足した。父を見た最後の朝だった。
118「ワイン」「脱出」「セイウチ」:05/03/12 19:33:57 ID:Tb6KqZK6
 ちょっとしゃれたホテルのバーで僕はそこで知りあった女の子とワインを飲む。
 うらびれた通りに面したちいさなホテルだったが、なかなか綺麗に装っていた。
 僕は作家のぐちを聴きに出張でやってきて、彼女は友達の結婚式でやってきたのだ。
 それぞれにすこしいやな想いをしては、うまく場から脱出することに成功した。
 そして寝る前に一杯飲み直そうとしたらたまたま知りあったのだ。
 彼女は酔いの廻った顔で僕に訊く。
「男の人の性欲っていったいどういうものなの?」
「とても暴力的なものなんだ。感情はそのあとについてくる」と僕はすこし考えてから答えた。
「それはセイウチの牙のように?」彼女は潤んだ瞳で確かめる。
「そう、セイウチの牙のように」僕は反芻するように繰りかえす。
「私はね、離婚したの」彼女は左の薬指の指輪を弄りながらつぶやく。
 そしてためらうように指輪を指先まで運んでから、おもむろに抜いてカウンターに置いた。
 僕はその仕草をながめながら、北極に住むセイウチの牙を想像していた。
119「憂鬱」「カタカナ」「おやつ」 :05/03/12 19:36:16 ID:Tb6KqZK6
バナナの黄色い皮に張られているシールは紛れもなく安物だった。
カタカナでビューティフル・バナナと記されている。
確かに美しく彎曲してもいるし、黒く潰れた痕もない。
しかしそれは人工的な美しさなのだ。決してそれは自然が作り上げた大地からの贈り物ではないのだ。
チンパンジーが喜んで飛びつきそうなオーラがまるでない。
「おやつにバナナか」
横溝慶介は苦笑した。彼の妻は結婚以来慶介を子ども扱いし続けていたのだ。
「たまの休日なのにおやつにバナナか」
最近購入したテーブルに肩肘を突き、慶介はタバコをふかした。襲いくる憂鬱。
襲いくる憂鬱と戦う慶介。襲いくる憂鬱と格闘する慶介。襲い繰る憂鬱と和解する慶介。なだめる慶介。
とりこになる慶介。あてどなくトイレと応接間を行き来する慶介。
慶介はバナナに張られていたシールをはがすと額に張り付けた。ビューティフル・慶介。
慶介の夏は終わった。