第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-003

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586水矛(1/5)
彼がそこについた時、そこには先客がいた。
彼女は今まで彼が一度も見たことの無い服で着飾って、大理石の前に手を合わせていた。
「あら、来たの」
彼女は振り返ってそういうと目をそらせ、二度と見ようとはしなかった。そして、水桶を手にしていそいそと墓前から退いた。
彼は背面からの斜陽を受けながら、花屋に白い目で見られながら買ってきた花束を手に抱えて墓石の前へと歩み出た。
「ヒーローの鑑ね。ライバルの墓参りに来るなんて」
帽子を脱いだドキンが蟻を潰すような口調で言った。墓標に頭でっかちの滑稽な影が落ちた。アンパンマンは手を合わせるでもなく墓の前に立っていた。不思議な気分だった。ついこの間まで憎みあいしのぎを削っていた相手が、今はその生涯を終えて永遠の眠りについている。
バイキンマンの死因は、天然痘だったという。おそらくは宿敵のアンパンマンを今度こそは倒すためにどこからか入手したものに誤って感染してしまったのだろうが、ばいきんの親玉とでもいうべき男が細菌にやられるとは、皮肉な最期だった。
「まさか、あいつが俺よりも早く逝ってしまうなんて、思ってもいなかったんだ」
アンパンマンが、ぽつりと言った。ドキンは何も答えなかった。
587水矛(2/5):05/03/11 15:54:17 ID:+PAr4ral
そう、終わりがあるとは思っていなかった。自分とバイキンマンとは、いつまでもこのままだと思っていた。
自分はいつまでもみんなのヒーローで、彼はいつまでもみんなの恨みを買う悪役であり…
しかし、そんな事が間違いだったと、あの日を境に知ってしまった。それも、自分だけが間違っていたのだと。
「なあ…あいつはさあ、僕を倒すために生まれてきたんだよなあ?」
アンパンマンはドキンに尋ねた。ドキンはアンパンマンの方を見ること無く答えた。
「ええ。そう聞いているわ」
「じゃあ…」
太陽はいつのまにか山の向こうに沈もうとしていた。
「僕は何のために生まれたのかな」
バイキンマンは、自分を倒すことが生きることそのものだった。
その理由は分からない。しかしだとすれば彼の生涯はそれなりに充実していたはずだ。一方、自分はどうだろう。
彼よりも先に生まれて、そして、彼の方が先に逝ってしまった。見ようによってはバイキンマンがアンパンマンの
人生の暇つぶしに存在したように思えるが、実際には…
588水矛(3/5):05/03/11 15:55:05 ID:+PAr4ral
「自分がバイキンマンよりも不幸だなんて思うんじゃないわよ」
ドキンは冷たく言った。
「それとも…あの葬儀がよっぽどショックだったのかしら、あなたには?」
アンパンマンの脳裏に、再びあの日の光景が蘇ってきて、柔らかいパン生地の顔がこわばった。
彼の目前にあるバイキンマンの墓には、「バイキンマン 享年16」と彫られた後に、こういう文字が刻まれていた。
「生涯みんなを振り回し町に活気を与え続けた愛すべき悪役 ここに眠る」


アンパンマンは湖の上を飛んでいた。あたりはどうしようもないほど薄暗かった。
アンパンマンの瞳の裏では、一月ほど前に行われたバイキンマンの葬儀の情景が再現されていた。
それは異常な光景だった。そしてそれを異常な事と思っているのが自分だけだということが異常だった。
589水矛(4/5):05/03/11 15:55:37 ID:+PAr4ral
町の大通りいっぱいに掲げられた、「ありがとうバイキンマン」の大きな垂れ幕。音楽隊の奏でる荘厳な音楽のなか、ドキンたちに担がれて町を行進した立派な黒い棺。そしていつまでも泣き続けた町の人々…ジャムおじさんも泣いていた。
バタコさんも、カレーパンマンも、食パンマンも泣いていた。ミミ先生も、学校のみんなも泣いていた。涙を流す者の中には、おむすびまんや鉄火のマキちゃんなど、わざわざ遠くから足を運んだ人々もいた。
アンパンマンだけが泣いていなかった。ただ、泣きたくなっていた。
そんな取り返しのつかない時になって、初めて気付いた。正義のヒーローと許し難い悪役という構図など、自分の中にしかなかったのだ。みんなはもっと高いところから自分たちを見ていたのだ。おそらくは、バイキンマンも。
湖面がまだ僅かに差し込む光を精一杯反射していた。その爬虫類の鱗のような波模様を見下ろしながら、アンパンマンはふと思った。
自分が死んだら、あれほどの葬儀が与えられるだろうか。
590水矛(5/5):05/03/11 15:56:08 ID:+PAr4ral
バイキンマンは自分を倒すという自己の目的と同時に、町のみんなに胸踊るアトラクションを提供するという公のための役目を、おそらくは自覚して行っていたのだろう。
もちろんそのアトラクションは自分の存在無しに成り立たなかったが、しかし彼のいない自分に一体何ができただろうか。悪役が活躍するのにヒーローは不可欠な存在ではない。しかし悪役無くしてヒーローは活躍できない。
ヒーローが悪役がいないのに活躍しようとしても、単なる「いいひと」になるだけだ。
自分が今までやってきたことは幼すぎた。そして幼さを脱して成長するための機会は、もう自分には残されていないのだ。
目の下のあたりのパン生地が湿っているのに気がついた。自分が泣いていることを知って、もっと泣きたくなってきた。バイキンマンのこと。自分のこと。今までのこと。これからのこと。
最近のこと。すべてが泣く理由だった。
眼下には薄黒い湖が広がっていた。飛び続けていると、涙が風に流され横に流れた。


その日がアンパンマンの生涯の最後の日になったことをみんなが知ったのは、四日後湖のほとりに流れ着いた彼の服が見つかった時だった。その服にはもう生命は宿っていなかった。
おそらくは誤って湖に転落したか、あるいは湖の上を飛んでいる時に雨にでも打たれたのだろうと思われた。その日は雨など降っていなかったのだが…
そして、盛大に葬儀が執り行われた。