第2回2ちゃんねる全板人気トーナメント宣伝スレ-001

このエントリーをはてなブックマークに追加
674クラシック板支援(1/4)
「平和を! 平和を!」〜チェロの神様 パブロ・カザルス

 かつて、チェロと言う楽器は今ほどの表現力を持たなかった。チェロの奏法を
大きく進歩させた「チェロの神様」が、カザルスである。

 カザルスは、スペインのカタルニアに1876年に生まれた。11歳でチェロに
めぐりあった彼にとって、以後チェロは「自分の分身」とも言うべきかけがえの
ない存在となる。

 ある日、バルセロナの音楽学校生だったカザルスは、古本屋で自分の演奏する
ちょっとした曲を探すための楽譜を探していた。すると、そこで埃にまみれた
古い楽譜を発見した。

 歴史に残る大発見であり、カザルスが後にこの曲の真価を全世界に知らしめる
事になったその曲の名前を、「バッハ 無伴奏チェロ組曲」と言う。180年
もの間忘れられていた作品を発見した事にカザルスは興奮し、以後12年間、
欠かさずこの曲の研究に明け暮れた。
675クラシック板支援(2/4):05/03/04 22:02:07 ID:TYQSX3Yk
 1897年。チェリストカザルスの活躍が始まった。ヴァイオリニストのティ
ボー、ピアニストのコルトーの3人で組んだ、「カザルス・トリオ」は
大絶賛を博し、現在でも彼らの演奏は高い評価を得ている。

 カザルスのチェリストとしての評価はどんどん高まっていった。しかし、そんな中、
故国スペインの情勢は悪化の一途をたどっていく。スペインでは内戦が勃発した。

 カザルスは、独裁者フランコに反旗を翻し、共和国側に立って、積極的に
チャリティコンサートを開き、世界へ支援を呼びかけた。しかし1939年、
内戦は独裁者フランコの勝利で終わる。カザルスは、スペインから亡命した
人を、積極的に支援し、基金まで作った。

 カザルスは、故国に自由と平和が戻る日を心待ちにした。1945年、第2次世界大戦が
連合国の勝利で終わると、カザルスは歓喜した。これで祖国にも平和が訪れるはずだ。

 だが、イタリアのムッソリーニ政権、ドイツのヒトラー政権が倒れたのに、
スペインのフランコ政権は存続し、イギリスなどの国はむしろ積極的にフラ
ンコを支援した。カザルスは激怒し、そして絶望した。
676クラシック板支援(2/4):05/03/04 22:02:29 ID:TYQSX3Yk
 人道家であるカザルスは、憤懣やるかたない思いだった。自分の武器は何か。
音楽家である自分には音楽しかない。では、音楽を持って愚かな行いに
鉄槌を下す以外にない。

 カザルスは、フランコ政権が倒れない限り、スペインに足を踏み入れない事を
宣言した。そして、既に世界的チェリストだった彼には、莫大な報酬で演奏の
オファーが殺到していたが、フランコ政権を認める国からの要請は、全て断った。

 音楽家であるカザルスの、それがささやかな抵抗だった。カザルスはその後も
平和への強い思いを持ち、音楽祭の支援など、活動を続けた。核兵器廃絶や
軍備拡張中止などと、再三に渡って呼びかけている。

 そして晩年になってから、カザルスはようやく自由諸国での演奏を再開した。
老い衰えても、音楽と平和への熱い思いは、少しも衰えていなかった。