何故知的障害者も人間として認められる?真面目

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37へー
例えば、無差別に何人もの人を殺し続けた人は捕まると死刑になりますよね?
彼も、一応は人間です。人間から生まれたわけだし、目や鼻のパーツもそろってます。
しかし、彼が生きていること(=死刑を免れ社会に復帰すること)は他の人にとって害になるわけです。だから彼を殺します。
知的障害者も、一応は人間です(人間から生まれたという意味では)。
ところが、彼らが生きていることは他の人にとって害になります。
更にたちの悪いことに、改善の余地は全くありません。それどころか、こちらの保護を必要としていて、それを消費し続けることで生きているのです。
だから、殺します。
何がおかしいでしょうか?

わたしが、知的障害者に生まれたとしても、殺してくれて結構です。
むしろ、本人は殺される恐怖もないわけです。
周りの同情(この憐れみは本人が感じている不憫さよりもはるかに大きい)をどうのこうの言いますが、
自分の子供が知的と分かった時点で公的機関で殺すことが出来るとすれば、ほとんどの人がそうするはずです。
(私だって、生まれた子が障害者だと知れば、消すように頼みます)
我が子が知的障害者と知らされて悲しまない親がいると思いますか?

遺伝子の選別により、知的障害者が生まれるのを避ける=”命の選別”が生まれるのもこれを裏付けているでしょう。
みんな、知的障害者が自分の子供であるのが嫌なのです。
是非とも、欠陥人間を除去する仕組みを社会は作って欲しいものです。