所謂『肉ゴミ』発言について
暫定的に真意をお伝えします。まぁ、あの放送直後のフレイムの中で
不適切な発言をした事は悔いています。
僕が『肉ゴミ』という表現を使ったのは、ある山手線車内での経験と、
息子が行っている歯科医師会病院の知的障害者治療の現場での経験
からです。
山手線での経験
昼間の山手線車内で、車椅子に乗った脳性マヒの女の子とお母さん
を見ました。女の子は20近いと思いましたが、知性の片鱗すら見いだ
せない状態でした。お母さんは疲れ切っていました。
女の子が途中で起きて何やら唸り始めました。お母さんは鼻の
チューブから茶色いペースト状の物を注射器で二本注入しました。
注射器の残りをお母さんが味見していたので、それが食事とわかりました。
女の子は宇宙食みたいな物で満腹になるとすぐに寝てしまいました。
疲れ果てた母親と体が白く細くねじ曲がり、ただ、食事と排泄だけ
しているおそらく成人近い子ども。親が死んだらどうなるのだろう。
そもそもあの子どもには意識という物はあるのだろうか。元々意識が
あったのが20年近い敗北の経験で深層にもぐり込んでしまったのであろうか?。
夢も希望も無い人間、アフリカの最貧難民ですらごく僅かとは言え
夢と希望を持ち合わせている。北朝鮮のコッチェビ(浮浪児)達も石炭
灰をベットに寝ながらも明日の為に必死で生きている。なんらかの希
望があるからだ。文明社会でこんな事が許されるのだろうか。