【1972年ミュンヘン】深尾吉英総合スレッド【五輪金メダリスト】

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1名無し@チャチャチャ
2名無し@チャチャチャ:2010/02/25(木) 15:07:37 ID:UI9pfOSt
なんなんだ
ここも南も
同時に
3名無し@チャチャチャ:2010/03/01(月) 12:57:12 ID:zIclFHdX
この人もミュンヘン五輪の直前に大古同様
サントリーから声がかかっていたんだよね
大古はミュンヘンが終わった後にサントリーに移籍したけど
この人はそのまんま東レでバレーをやっていた。
しかし、ミュンヘンの最中にもしかしたら大古と
大古「俺は鋼管をやめてサントリーに行く決心はついているんだが、お前はどうするんだ」
深尾「菅原さんとのこともあるからまだ決められません」
なんて会話をしていたのかな?
ミュンヘン大会で活躍すればサントリーはいっぱい給与をくれるかな、とか想いながらプレーをしていたのか。。。
これくらいのこと会話したり、考えたりするよね
普通だよね
しかし東レ九鱗会って昔ぽい会社だったよな
何の会社だったんだろうか、東レって。
4名無し@チャチャチャ
どうせだからもう少し詳しく書き込みしましょうかね
サントリー移籍は大古深尾の他、ミュンヘンオリンピックの全日本のメンバーでは
南将之、中村佑造、左藤哲夫、そして大古とエース対角を組んで活躍した横田忠義や
日本鋼管の森田淳悟にも声がかかっていたのである。
またこれは全日本メンバーではなかったが、富士フィルムのセッターの岡野にもサントリー
の関係者は交渉していたわけである。サントリーバレー部監督には後にペルー女子の監督で
活躍した加藤明にとの構想があったようだったが、これは実現しなかった。
この交渉の時期だが、それが驚きなのである。
ミュンヘンオリンピックは1972年の9月に行われたのだが、その僅か2ヶ月前の7月にサントリーは
これらの選手に直接交渉していたのである。
松平監督もこのことは当然耳には入っていたのだが、もしもオリンピック前にマスコミにリークされると
オリンピックどころではなくなり騒ぎになると判断してミュンヘンへ旅立って行ったということであったのだ。
サントリーは1973年度から本格的にチームを始動させようと考えていたので、オリンピック終了後に大古と
富士のセッター岡野が移籍してあのときは騒ぎになったんだよね。
しかし、大古の他全日本メンバーの半分の6人もサントリーが直接交渉していたとは
だれも考えられなかったのではないのか。

                                                 トリビアー♪ トリビア〜♪

1972年のミュンヘンオリンピック後に大古がサントリーへ移籍したが、このときは大古のみならず南、中村、横田に深尾と左藤そして森田もサントリーから移籍話をもちかけられていた
トーリービーアー