【あの頃は】女子バレー昔話 第1話【よかった】

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1名無し@チャチャチャ
昔はよかったなぁ
2名無し@チャチャチャ:2009/09/16(水) 17:07:51 ID:CrNdVItG
昔と今の比較や思い出話などなど女子バレーの今昔を自由に語り合い議論してください
3名無し@チャチャチャ:2009/09/16(水) 17:16:13 ID:ERfleWmG
たった今、ヲカマのガセビアの今井計さんから誘導されましたので
このあだしが、ここに来てあげました
              ↑
           ageのヲヤジギャグね、偉そうに言ったわけじゃないからね

そのうちたっぷり語らせていただきますからよろしくね

           ト〜リ〜ビ〜ア〜♪

4名無し@チャチャチャ:2009/09/16(水) 17:44:53 ID:oPxpAsy5
あだしさんは何年のバレーから知ってるのかな?
5名無し@チャチャチャ:2009/09/16(水) 17:46:12 ID:oPxpAsy5
あだしさんから見て過去から現在までのアタッカー、MB、セッターの順位つけてよ10位くらいまでよろ!
6名無し@チャチャチャ:2009/09/17(木) 10:19:46 ID:+Ck0+tNb
ところでそのMBって何?
あだしの知っている時代はそんな言葉はなかったわね
あだしは1974-1988頃までかしらね
特に力を入れてたのは1976-1984の8年間かしら
7名無し@チャチャチャ:2009/09/17(木) 12:33:12 ID:s2YcYh/E
MBはミドルブロッカーです。
センターのことっすね
8名無し@チャチャチャ:2009/09/17(木) 13:35:29 ID:+Ck0+tNb
10位まで、それもそれぞれのポジションで、難しい。
けど、あだし的にはこうなるのかしら
アタッカー
1ビック白井
2ジュリ
3前田悦智子
4水原理枝子
5吉田真理子
MB
1江上由美
2矢野広美
3飯田高子
4廣紀江
5三屋裕子
セッター
1松田紀子
2小川和子
3中田久美
4金坂克子

あだしは、江上とジュリが好きだったわけなんですよ
9名無し@チャチャチャ:2009/09/17(木) 15:55:45 ID:Z/RaESXb
>>8
海外選手はどんな感じ?
10名無し@チャチャチャ:2009/09/17(木) 16:15:56 ID:gyvlSRqA
あだしさんと同じく樹里さんと江上さん、そして三屋さんが好きでした。
昔は、日韓戦、日ソ戦、NHK杯などありましたね〜懐かしい!
11名無し@チャチャチャ:2009/09/17(木) 16:38:36 ID:+Ck0+tNb
>>9
アタッカー
1郎平
2ルイス
3ハイマン
MB
1オギエンコ
2クロケット
3周暁蘭
セッター
1孫晋芳
2ブルダコーワ
3柳貞恵
辺りかしらね。
>>10
ジュリは樹里でなく樹理ですぞ!うそ臭いファンだわね
そう、昔は春に日ソと日中があって6月のNHK杯ではキューバとやって
恒例で試合が組まれていたから良かったです。
ああいったのを最近やめたのは日本が弱くなったからですかね
で、人が入らず赤字になるから
という。

12名無し@チャチャチャ:2009/09/17(木) 17:56:11 ID:gyvlSRqA
>>11
すみません。樹理なんですね?
母の影響でファンになって…当時は五歳だったんです。
樹里だと思い込んでいましたm(_ _)m
13名無し@チャチャチャ:2009/09/17(木) 18:00:09 ID:gyvlSRqA
連投すみませんm(_ _)m

ハイマンがあの当時の日本リーグ、松江体育館で急に倒れて亡くなったときはショックでした。
島根県出身なので、学校ではその話題で持ちきりでしたよ。
14名無し@チャチャチャ:2009/09/17(木) 18:23:13 ID:+Ck0+tNb
>>13
あだしはねぇ、アメリカが本格的に強くなった1978年からはアメリカと日本の試合を
会場で観た事なかったんだよね
81wcのアメリカ戦も会場が仙台だったしね
1976年頃、モントリオールの頃に日立体育館にアメリカチームが来た事があってそのとき
たまたま日立の見学していて観ただけだった。後はテレビでばっかりだった
1976年頃は、1セットで日立(といっても全日本だったけど)に0から3点しかとれなかった
のに、その後急速に力をつけたチームでしたね。
ハイマンが日立との試合で亡くなった日は寒い日だったと記憶しているわ
元々彼女はスタミナがない選手で貧血気味だったのではなかったかな〜
日立体育館でもすぐに息切れしていて練習中休んでいたから
現役引退−ダイエー入りして松田や吉田は復帰していてかつての敵がまた同じチームで
やったのだから、
そして松田のトスでハイマンが打って、打ち巻くって松田の古巣の連勝中の日立に勝った!
因縁を感じましたよ
えっ君って当時もしかして小学生だったのかな?
あだしは25-6だったのかしらね
歳はとりたくないわね。。。
15名無し@チャチャチャ:2009/09/17(木) 18:57:18 ID:j9zy654x
郎平よりもルイスのが遥かに上じゃない?
16名無し@チャチャチャ:2009/09/18(金) 11:00:09 ID:kDgbpDTc
スパイクの高さや威力はルイスのがたしかに上だとは思うが
バレーボールはそれだけではないので他のプレーや2人の失点などを
考慮してみたときは郎平のがまとまりのあるプレイヤーだとして
遣い易い、という気がするね。

17名無し@チャチャチャ:2009/09/18(金) 17:51:56 ID:EhSfSca9
ルイスは、確かに鳥人と呼ばれるほどの驚異的なジャンプ力があったが、
荒削りでミスも多かったように思う。
まぁ、ミスを補って有り余るほどの身体能力の高さだったがw
しかし、アタッカーとしてエースとして総合的に見ると、郎平が上だったように思う。
18名無し@チャチャチャ:2009/09/19(土) 04:36:31 ID:OYN8ki9U
90年代からバレー見始めたから郎平の現役時代はあんま知らないなぁ
映像とかではあるんだけど。
なんで今まで見た中で一番凄い選手はルイスかな。
子供の頃生でルイスのスパイク見て仰天した。化け物を見たとw
19名無し@チャチャチャ:2009/09/19(土) 09:07:33 ID:ej3k3Hi6
>>18 身体能力ではルイスが遥かに上だからじゃないかな?
あのジャンプ力とパワーは化け物だもんw
郎平は上手さはあるけどそつなさすぎて物足りないかもね。
20名無し@チャチャチャ:2009/09/19(土) 09:14:36 ID:7oZroqH4
でも結局ブルマの話になるんでしょ?
21名無し@チャチャチャ:2009/09/19(土) 13:07:47 ID:ZH7eSIZ3
ソウル五輪までは見てたけど、ソウルで初めてメダルを逃して見るのをやめた。
たまに新聞で結果だけ見ても、あまりの低迷ぶりに見る気もしなくなった。
数年前、何気に見た大会でユニフォームがブルマじゃなくなっててびっくりしたw
4年前くらいからまた見出したんだけど、昔とはルールとかも変わってるし、
別物と思って見てたら楽しめるかも♪
別物だから史上最強世代ってのも納得して見てたw
これ、葛西さんや白井さん、樹理の時代と同じに考えるとツッコミどころ満載だけどねw
22名無し@チャチャチャ:2009/09/19(土) 13:33:16 ID:BDpim+ND
20年以上前から選手をしてるキリロワやベルがまだ現役なのに驚いたw
多治見も20年近くになるかな?
23名無し@チャチャチャ:2009/09/21(月) 18:33:41 ID:DGnYXeKG
あだしさんが入らないと本当につまんないスレになるのね
お話に盛り上がりがない、自演が下手
24名無し@チャチャチャ:2009/09/21(月) 18:43:35 ID:lRM3G+0N
あだしさんのためにスレ作ったのに消えるんだもんw
25名無し@チャチャチャ:2009/09/21(月) 20:49:39 ID:L6nhTO5o
あだしさんは、今の全日本チームに対して具体的にどんな印象をもってらっしゃるんだろうか?
栗原、木村、狩野、荒木、竹下、佐野などの個人に焦点をあてた意見も聞いてみたいけど、
今の選手にあまり興味がなさそうw というか今の全日本のチームにどんな選手がいるのかを知ってるのかな???
26名無し@チャチャチャ:2009/09/25(金) 10:49:49 ID:neMCFmOT
あだしは、今の全日本についてあまりというか全く研究してないから
ここでどうこう言うのはよしていたのですが、たまにテレビでやっているのを
観た限りでは、大きくなったなぁ〜全日本も、というのがまずひとつ。
でもレシーブがあんなんじゃ今のトップレベルの国にはなかなか勝てないだろうな
と思ったな
ミスが多いチームですね。それもイージミス
監督が柳本さんから真鍋に代わったのは良かったんでないかな、とも思います。
これは柳本がどうこうということではなしにね
60年代後半から80年代半ば頃までの女子は、日本リーグで優勝したチームの選手が
中心となって全日本として3大会に出場していたから当時は監督も山田か小島で限定
されていたけど今はどんどん入れ替わって、これ全日本としてはとてもいい傾向だね
何がいいかというと
昔の体質でやってると高校や中学で活躍した選手が優先的に全日本の選手として早く
決められてしまい日立かユニチカにそれらの選手が入社してし、それらの選手が
入社後3-4年経過した頃にはとても全日本選手としての実力もないのにそのまま全日本
に残っている、というのが昔はあったからね
あんなのも監督が選手を入社させる時に何か個人的に約束をしてしまっているのだろうが
あれはとてもフェアーでないなとあだしは昔から思っていた。
つまり実力がないというか全日本の選手としての旬や賞味期限そして耐用年数がとっくに
終わっているのがいつまでも代表として残っていて全日本の向上の妨げとなってしまうという
ことに繋がり、これは悪だった、ということですね。
それに10年も20年も同じ人間が監督でいるというのも良く無い
これは監督が陳腐化した戦術にいつまでもしがみついてしまうからだ。
今の女子のプレーについて言えば
守備がもっとよくなればスパイクもブロックももっとよくなり外国に勝てる試合も多くなるのではないかと思う。
今まで1-3や2-3で負けていた試合が3-2で勝つ試合になりそれが続けば今度は
日本が3-1で勝ち続ける事もあるように思う。
メンタル面も昔に比べると少し弱いかな、という気がする。
27名無し@チャチャチャ:2009/09/26(土) 12:37:26 ID:CKAwApCC
>>26

> あだしは、今の全日本についてあまりというか全く研究してないから

あだしさんは昔のバレーを語った方が饒舌> 観た限りでは、大きくなったなぁ〜全日本も、というのがまずひとつ。
> でもレシーブがあんなんじゃ今のトップレベルの国にはなかなか勝てないだろうな
> と思ったな
> ミスが多いチームですね。それもイージミス
> 監督が柳本さんから真鍋に代わったのは良かったんでないかな、とも思います。
> これは柳本がどうこうということではなしにね
> 60年代後半から80年代半ば頃までの女子は、日本リーグで優勝したチームの選手が
> 中心となって全日本として3大会に出場していたから当時は監督も山田か小島で限定
> されていたけど今はどんどん入れ替わって、これ全日本としてはとてもいい傾向だね
> 何がいいかというと
> 昔の体質でやってると高校や中学で活躍した選手が優先的に全日本の選手として早く
> 決められてしまい日立かユニチカにそれらの選手が入社してし、それらの選手が
> 入社後3-4年経過した頃にはとても全日本選手としての実力もないのにそのまま全日本
> に残っている、というのが昔はあったからね
> あんなのも監督が選手を入社させる時に何か個人的に約束をしてしまっているのだろうが
> あれはとてもフェアーでないなとあだしは昔から思っていた。
> つまり実力がないというか全日本の選手としての旬や賞味期限そして耐用年数がとっくに
> 終わっているのがいつまでも代表として残っていて全日本の向上の妨げとなってしまうという
> ことに繋がり、これは悪だった、ということですね。
> それに10年も20年も同じ人間が監督でいるというのも良く無い
> これは監督が陳腐化した戦術にいつまでもしがみついてしまうからだ。
> 今の女子のプレーについて言えば
> 守備がもっとよくなればスパイクもブロックももっとよくなり外国に勝てる試合も多くなるのではないかと思う。
> 今まで1-3や2-3で負けていた試合が3-2で勝つ試合になりそれが続けば今度は
> 日本が3-1で勝ち続ける事もあるように思う。
> メンタル面も昔に比べると少し弱いかな、という気がする。
28名無し@チャチャチャ:2009/09/26(土) 14:01:36 ID:CKAwApCC

わたし=>>25はタイスレのあだしさんの書き込みを見たものです。
読んでいて、なんてユニークな考察をされる方なんだろう…と心を鷲づかみにされてしまいました。
とくに「バレー界30年ぶりのシャッフル説」や「力関係における優越感と劣等感」など(勝手にタイトルをつけてしまいましたがw)、
とても興味深く読ませていただきました。
そこで、数十年来バレーを見続けた あだしさんならではの独自の視点で、現在の女子バレーチームを語っていただきたかったのですが、
もうひとつ歯切れが悪かったように思えますw。生意気な事を言って、すみません。
今のチームはあだしさん的には魅力を感じないせいもあるのでしょうかね?
やはり、あだしさんは昔のバレーを語る時の方が水をえた魚のように饒舌になるようですねw。
これからも、楽しい話を聞かせてください。ありがとうございました。
29名無し@チャチャチャ:2009/09/26(土) 14:04:31 ID:CKAwApCC
>>27はミスです。失礼しました
30名無し@チャチャチャ:2009/09/28(月) 10:38:47 ID:QgANHRmN
70年代後半の白井さんなんかの時代の時は、キューバやアメリカなんてチームは守備も本当に下手糞でバレーになっていなかった。
しかし高さは当時からありましたが、守備が下手だったしアタッカーも真下に叩きつけるスパイクが多かったから日本のそれほど高くない
ブロックの餌食になったりして
そしてそれを避けるために今度はふかしてアウトにしたりと本当にミスが多かったですね。
日本の選手も高さは今以上なかったので当時からやっぱりキューバのブロックは脅威だったと思います
しかし、小細工なプレーでかわせたんだよね、当時は。
レシーブがキューバは下手でしたから
しかし70年代後半になると徐々にキューバやアメリカは守備力をつけてきた
そして速い攻撃を取り入れて78世ではキューバが優勝した。
その後日本は白井らのときよりももっと小型化したけど1980年前後の日本のチームはその高さのキューバに対して絶対的な自信を持っていた
このときの日本チームのそれぞれの選手を振り返って見た時
それぞれがとても上手いプレーをしていたのではないかと思うのですね、あだしは。
どういうとこが上手いかと言えば
まず江上
最高到達点298でしたが、ブロックのタイミングがとても素晴らしい選手でしたね
水原
この選手も174.298でしたが
相手のブロックの上に軟打で乗せてホールディングを誘うプレーが上手かった、あれかなりの高等テクニックだと思う。
この時代のエースだった横山も174.298でしたが
アンテナとブロックのわずかな隙間にストレートに打って決めるのが上手だった。
しかしこれらの個人プレーは日本の守備が良かったからできたプレーだったとあだしは思うんですよ。
今の日本のメグや荒木そして狩野や坂下なんかがこのプレーができたら、と思う事、しばしばですね。
当時のキューバにいたウルヘリエスやバルネットなんかは最高到達点が327あったので日本の選手とは約30センチの
開きがあったのにネット際のプレーが日本の選手は上手かったから勝てた、ということなんですね。
しかし本当はその前の守備が上手だったからこそできたプレーだということ。
31名無し@チャチャチャ:2009/09/28(月) 11:00:19 ID:QgANHRmN
今の子たちのバレーをテレビで観ていると
拾えて当たり前のボールが拾えない
褒めるほどのファインプレーでもないプレーに
対して解説者がべた褒め
観客が盛り上がる。
素人ファンと日本チームのミスの増加のせいだとあだしは思う。
やる側も観る側もあだしの時代とは全然違う
だからあだしは今はバレーをあまり観ないのだ
樹理の頃なんて相手に13点をとられて日本は4点くらいしかとってなくても
もしかしたらって期待して観ていたが、今なんかじゃこちらが22で相手が14とかでも
もしかしたら逆転されてしまうかもという不安しかないもんね。
劣勢な状態なのに期待できた1980年前後
かなり優勢なのに不安に思う現在
だわねwww
レシーブが下手すぎ
敗因はいつも守備
32名無し@チャチャチャ:2009/09/28(月) 18:22:36 ID:QgANHRmN
3連チャンかしらね
あだしはいつも守備、守備ってレスしているからユニチカにいた小島さんみたいだと
思う人間もいるかも知れないがあだしは1980年頃のバレーを当時は否定していたんですよ、
本当は。
拾って繋いでというバレーはあまり当時は好きではなかった。なぜならば、消極的に見えたからね
その前の白井さんなんかのやってたバレーが攻撃型で強かった、というのがあったからかも知れないが
とにかくあまり好きではなかった。
しかし今振り返ってみるとあの1980年頃のバレーを今の全日本は見習って行く必要があると思うんですよね。
緻密さや精神力という点で是非見習って欲しいですね。
あだしは当時、みんなチビなんだからミスが多かったら外国の大きいのに勝てるわけもないんだから
横山江上水原は上手で当たり前って冷めた目でいたんだけど、あれ本当はとても素晴らしいバレーだったんだと
今振り返ると思うな
本当にミスが少なかった、大事なところでミスをしなかった。
そうやってくうちに相手が根負けしてミスをしてくれるんだよね
弱気にフェイントをしてくれたりね、それをチャンスに変えて広瀬がなんなく拾ってポイントをしたり
江上がブロックしたりで点数を稼いで勝利に繋げていた。
そう、リズムを大切にしている、と表現するといいのかな?
日立の山田監督はこのバレーをこう表現していたね

最高到達点が3メートル以内だったら世界一のバレー だと。

だから中国やアメリカに対しては苦手だった、で次の江上なんかのチームではアメリカと中国にやっと勝てたが、
84ロスでは3位だった。
その後はどっちつかずのバレーで衰退したという感じ
33名無し@チャチャチャ:2009/09/28(月) 18:59:09 ID:26unV1ej
拾って繋ぐバレーは基本だと思います。
広瀬は当時、男子のスパイクを全て拾うくらいのレシーブ力を誇っていたとか?
あと、話は変わりますが、郎平がまだ19、20歳のころ、
日本に負けた中国が銀メダルだった試合ってどの大会でした?
郎平が表彰台で悔し涙を流してて、その涙を当時の解説者が「怖い涙」と表現していたような…?
その言葉通り、そこから中国(郎平)の時代が始まったわけですが。
34名無し@チャチャチャ:2009/09/28(月) 20:30:12 ID:C+FyaESO
NHK杯復活しないかな
日本韓国キューバ日本ジュニアの対抗戦
ガラマッチもまた復活願います
優勝国(ブラジル)VS世界選抜
35名無し@チャチャチャ:2009/09/28(月) 20:31:59 ID:C+FyaESO
たしか1983年に福岡で開催されたアジア選手権だと思う確かストレートで中国が負けたんだよね
36名無し@チャチャチャ:2009/09/28(月) 20:57:04 ID:C+FyaESO
李恩敬 李明姫 朴美姫 金貞順 金松根 林恵淑 辺京子 李栄宣 李云任 韓敬愛
沈順玉 ユン貞恵 ウルヘリエス NゴンザレスLaゴンザレス Eディアス ポマレス カポーテ ペレスサンタクルス オファリル Aディアス ガルシア テリエス
37名無し@チャチャチャ:2009/09/28(月) 21:34:47 ID:26unV1ej
>>35さん ありがとうございます。
80年代前半は一番熱心に観戦してたはずなのに、なぜか記憶が曖昧で…
すっきりしました!ありがとー!
38名無し@チャチャチャ:2009/09/28(月) 22:51:35 ID:9VeQJ83/
>>32

> あだしはいつも守備、守備ってレスしているからユニチカにいた小島さんみたいだと
> 思う人間もいるかも知れないが


そうですね。守備、守備…って、なんだか小島監督みたいですねw。
確かに守備は大事ですよね。いくら、日本が大型化して、ブラジルの高速立体バレーを目指していても、
緻密で精度の高いバレーをやっていかないと、世界の強豪とわたりあえませんよね。

話はかわりますが、昔の事はあまりよくわからないのですが、わたしは江上選手のターン打ちが好きでした。
体はクロスを向いているんだけどターンにひねるクイックが華麗でしたね。
江上選手はタッチ攻撃も多用していましたよね。
そういえば、ルール改正してタッチ攻撃に対してのホールディングが厳しくなりましたが、
あれって日本への嫌がらせかな?wなんて思ってたんですけど、どうなんでしょうかね。

あだしさんの書き込みは独特の味わいがあって、見ていて楽しいです。
また、いろいろとお話を聞かせてください。
39名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 11:06:54 ID:yUFyynu9
また調子に乗って来てしまいました、あだしがw
>>33そして>>35
すでに解決しているので何もあだしがここで言う必要は本来ないのですが
郎平は1983年のアジア選手権の時は、23才だったですよ。
1979年のアジア選手権の時が、郎平は19才で大会期間中に18から19になったのですよね
郎平の生年月日は1960.12.10なのでこれが正しい
なので郎平や張が泣いて悔しがったのは1983年のアジア選手権ですが、郎平が19才の時の
大会は1979年のアジア選手権ですね。
この79アジアで初めて、日本はアジアNo.1の座を中国に奪われてしまったのですよ
まぁその2年前の77wcの予選でも日本は中国に負けたのですから初めて中国に負けた試合では
なかったのですが、1979年の大会では白井らはその前年に引退していた日本チームで、方や中国は
それまでのエースだった楊貴に代わって郎平が加入して優勝した。
ここから日本は次の1983年アジアまでずっとその中国に勝てなかったわけですよ。
1979年当時の郎平はただ大きいだけって印象でしたね
ひょろひょろした長身選手っという感じで日本のブロックの上からスパイクを打っていたが、スパイクの球質は
ビーチボールみたいだった。当時は郎平は最高到達点が317だったと記憶しているが、その後ウエイトトレーニングを
やり81wcのときは330になっていましたね。
1980年の秋の日中対抗では中学生の中田と大谷が選ばれて大谷が、郎平のスパイクについて
『ただ高いだけでボールは軽い、ジュリさんのがパンチ力がある』と生意気言ってましたね


40名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 12:10:56 ID:yUFyynu9
76モントリオール大会の時のスパイク・ブロック・サーブのチーム別ランキング
の記録を押入れから引っ張り出してみたので下記に
 まずは、順位から
1.日本
2.ソ連
3.韓国
4.ハンガリー
5.キューバ
6.東ドイツ
7.ペルー
8.カナダ

スパイク決定率
1.日本  49%
2.キューバ44%
3.ペルー 41%
4.カナダ 39%
4.ソ連  39%
6.韓国  38% 
7.東ドイツ37%
8.ハンガリー 36%

41名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 12:29:04 ID:yUFyynu9
ブロック(1セット平均得点《得権も含まれる》)
1.キューバ4.67本
2.東ドイツ4.32本
3.ハンガリー 4.14本
4.カナダ 3.67本
5.日本  3.53本
6.ソ連  3.05本
7.韓国  2.76本
8.ペルー 1.81本



サーブ決定率
1.ハンガリー 6.2%
2.東ドイツ5.8%
3.キューバ4.9%
4.ソ連  4.8%
5.ペルー 4.4%
6.カナダ 4.0%
7.韓国  3.7%
8.日本  2.6%


スパイクだけだったんですね、日本がすごかったのは、ブロックとサーブはひどい成績ですね、特にサーブは最下位です
けど圧倒的な強さで優勝したと言われてた。だから何?

守備が良かったのとミス(失点や失権)が日本は少なく他国は多かった、ということなんでしょうね。
 
42名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 13:31:03 ID:VDr6xkNf
>>39
>>33です。すみません。うろ覚えで郎平の年齢を勘違いしてました。
あだしさんに質問です。
郎平の悔し泣きを見て、誰かが「末恐ろしい選手になると思った」と後に言っていたと思いますが、当たってますか?
また、当たってるなら言っていたのは誰かわかりますか?
質問ばかりすみませんm(_ _)m
私の記憶はたびたび捏造されてるようなので(^^;)
43名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 14:42:35 ID:yUFyynu9
>>42
あのとき(1983年の)はすでに郎平は世界No.1のエースだったので
末恐ろしいも何もw
すでにあの時点で恐ろしい選手でしたよ
末恐ろしい、と言われたのは1979年のアジア選手権大会でデビュー
したときではないでしょうか
まず、前提をこうふに取り替えてからお答えしますが
1979年の時に言われていた
これは当たっていたでしょう
なぜならばその79アジアで優勝しその後、80モスクワ不参加を越え81wcで優勝、82世、84ロス、85wc、86世でも優勝したわけですから
3大会で5冠だったわけです。
女子ではそれまで日本の74世、76オ、77WCの3冠が最高だったわけですからね
なので、1980年頃までは3冠監督だった日立の山田さんはかなり威張っていた
のだが、中国が5冠を達成したら途端に山田監督も陰が薄くなってしまったようでしたね。
とにかく元気がなかったwwww
郎平をべた褒めした人は、松平さんじゃなかったのかな?
他にもいたのかも知れませんが、あだしが知っている人で言えば、松平康隆氏ですね。
けど、松平さんって新しい物好きな所があってすぐにワーワー言うとこが昔からあったからなぁ〜。。。。
他にも郎平の事を素晴らしい選手になる、と言った人は沢山いたんじゃないかなぁ〜
と思います。
松平さんは目立つタイプでしょ、お話は面白いし明るくタレント性もあるから
目立つキャラしてるからwwww
審判員をやってた中島さんというおっちゃんや前田豊さんあたりだってみんな郎平はすごい
選手になると言っていたはずだわ
44名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 14:49:38 ID:1hTSHRR/
江上がアジア選手権優勝したときに郎平及び中国選手の涙を見て『これから中国の逆襲がはじまる』と思ったって語ったやつのこと?
45名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 15:24:20 ID:yUFyynu9
>>44
ああそれね、それだったらばあの時、解説していた生沼さんが
『張容芳が泣いてます。日本に負けて相当悔しかったのでしょう
これからの中国は怖い、きっと巻き返してくると思います』
と、だれもが思った事を生沼さんが、このように言ってましたね。
で、これとは反対にその中国がロス五輪の予選でアメリカに1−3で
負けたときは、張がニヤニヤしていてとても不気味でした。
なんなんだ、あのミステリアス・スマイル
はと、あだしは思ったけど。
46名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 15:44:01 ID:vTWiKXDU
あだしって人はロス五輪当時、全日本のスタッフだったそうですよ。
仮想中国チームの張蓉芳役として全日本と練習ゲームしたり、
張蓉芳の分析を専門的にやっていたそうです。
また山田全日本監督の茶飲み友達で大変親しい間柄だったそうです。



www
47名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 16:01:36 ID:vTWiKXDU
因みに83年アジア選手権での張蓉芳の涙には敗戦の悔しさもありますが、
単にそれだけではありません。あの大会の表彰はちょっと変わってました。
普通、表彰台に登るのは選手だけですが、
あの大会では監督やコーチも表彰台に登っています。
大会運営側からそう中国に要求があったそうです。
張蓉芳はこんな不名誉な表彰台に監督を登らせたくないとの思いで、
「どうか監督は表彰台には立たないで下さい」と懇願したそうですが、
大会運営側から催促され仕方なく従ったそうです。
負けたことの悔しさだけでなく2位という不名誉な表彰台に
尊敬する監督を立たせたことの悔しさ、
WCや世界選手権で優勝した時の表彰台に立ったのは選手だけだったのに、
なぜこの大会に限っては監督やコーチまで表彰台に立つことを要求されるのか、
という大会運営側=日本に対する怒りがあの涙を誘発したと語っていました。
48名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 16:12:53 ID:yUFyynu9
>>47
そうだったんですか
そういえば、72ミュンヘンの時の代表の松村選手もソ連に負けて2位になったときに
もらった銀メダルを見て、「こんなのいらない、2位なんて私にとってはビりと一緒」
と言ったそうですね。
こういうのもそのときの時代の選手にしかわからない事のひとつなんだと思いますね。
ミュンヘンから日本に帰国して選手たちが、原宿の町を歩いてたら道行く人達に
「男子は金メダルをとったのに何をお前らはやっていたんだー!!」
と罵声を浴びせられて部屋でみんなして泣いていた、と語っていたらしいですし。
本当に王者は大変だなってあだしは思う。
49名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 17:02:18 ID:yUFyynu9
そういえば数年前にこのあだしに対して
ロス五輪の予選のアメリカ対中国の試合は中国が八百長をしてわざとに負けたんですよね、
と言っていたのがいたわね(苦笑)
準決勝で中国が日本とやるよりもペルーと戦う方がやり易いから、だと。
なんで何も知らないど素人がこんなこと言ってしまったのでしょうかね
もしかしてあだしのことを只のバレヲタではないなと感じて気をひこうとしたのかも知れないが
あだしはそういった電波ちゃんをからかうことはあってもまじめに対応するわけもなく
さんざんからかってやったらいなくなった。
だからもういいんだけど、あの馬鹿なヲカマはどこに行ったのかしらね〜byPPM
PPMの歌は、花はどこに行ったの、だけど。
それにしても古いわね、www
きっとあの馬鹿は、風に吹かれて♪どっかに行ったのでしょうね
くよくよするなよ♪という感じなんだわさ
3曲もPPMの歌のタイトルを入れたが、古すぎてみんなわからないわよね

50名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 17:11:27 ID:VDr6xkNf
>>44
こちらのほうが私の記憶に近いのかな?
自分ではちゃんと覚えてたつもりなんですが、記憶が曖昧だと今頃になってきづきました(>_<)
51名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 17:12:25 ID:yUFyynu9
あら間違えたわ、あんまり非常識なガセだったので
中国が準決で日本を叩いて決勝でアメリカとやったのがいいという理由でわざとに
予選のアメリカ戦で負けたんだ、だったわね。
中国が順当にアメリカに勝っていれば、日本は準決勝でアメリカとやり勝ち
決勝で中国と戦えばその中国に日本が負けても2位だったのに、でしたね。
で、日本はアメリカには絶対的な自信を持っていたんだと。
どんだけ嘘よ、これ。
日本はホームグランドでは確かにアメリカに勝ち越してたがアメリカシリーズでは
アメリカのがずっと勝ち越していたんですよね。
だからどっちと準決を日本がやっても負けていた、と思うなあだしは。
52名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 17:17:41 ID:cpxsHafe
昔話ってどこまでが昔話なのよ
80年代ぐらいまで
53名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 17:37:17 ID:yUFyynu9
昔といったら
1999年以前でいいのではないか。
つまり1964〜2000年の間
だって世間では10年一昔と言うじゃない?
けどあだしみたいなおじさんからしたらば
1980年代は少し前
1970年代後半で最近の昔という感じになっちゃう
選手で言ったなら
素子は最近やめた子
江上は10年前までやってた感じの選手
横山で15年前?って感じなわけよ(本当は27年前だが)
54名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 18:07:00 ID:yUFyynu9
こないだの世界陸上?で
黒人女子選手で男性なんじゃないか、彼女は、というのがあったけど
昔1968年から1972年頃に北朝鮮にいた金増福という168の選手にもそんな噂が
あった事がありましたね。
ゴツイ体格で良く跳ぶ選手だったというだけで
この選手が試合後のセックスチェックを拒否したからだとも
あだしは彼女は女だと思ってたけど
日本のバレー関係者やマスコミは大袈裟に当時騒いでいたんだよね
垂直跳びで1メートルは跳ぶとかw
たぶん、70か80くらいだったと思うが
キューバ男子に1972年頃から活躍した、マルチネスやラペラも140跳ぶって言われてたが
実際は110くらいだった。
昔って各国が鎖国をしているみたいだったからこんなガセを平気でみんなが言ってたわねw
特に共産圏の欧州の国や中国北朝鮮の選手らにこんなのが多かった。
けど、その後、金増福はどうなったのかしら
55名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 18:27:59 ID:1hTSHRR/
日本が初めて韓国に負けたのが84年ってほんと?
90年代まで負けなしだと思ってたんだけど。
56名無し@チャチャチャ:2009/09/29(火) 18:34:28 ID:vTWiKXDU
モントリオールの前にも負けてたはず。ロス以降は結構負けてますね。
ただ今と違ってここ一番って試合はきっちり勝ってた。
57名無し@チャチャチャ:2009/09/30(水) 10:05:03 ID:VYZO7UIA
>>56
そうです、その通り。
モントリオールの前年に行われたプレオリで日本は韓国に負けた
あのときは協会も少しあわてていましたね。
しかし本番ではその韓国には準決勝であたり3-0で勝った
この試合も1セット目は13-13という場面があり
まさか、このセットをとられてもつれる試合になるのでは、と一瞬ひやりと
したが、ジュースにもならず15-13で日本がとると後はすんなり???
試合をして
3-0で勝った。
しかし3セット目はいきなり0-4で韓国にリードされたんですが、このセットも
15-5でした。
韓国は日本と同様、昔からミスが少なく粘りのバレーでしたのでそれほど高さのない
日本は何かひとつの凡ミスをすると流れが韓国に行きもつれた試合になる、ということは
昔は良くあった。
日本が韓国に負けた試合というのはいつもこんなパターンの試合ではなかったか
58名無し@チャチャチャ:2009/09/30(水) 12:15:52 ID:Nd1tA6tX
確かに 今はバレーボール競技自体面白くない。 みんな同じ戦術だから最後は身体能力の差で決まってしまう。
59名無し@チャチャチャ:2009/09/30(水) 14:07:40 ID:VYZO7UIA
シャッフル理論をやってもよろしいですか
韓国女子のお話が出たので
韓国は76モンや77WCの頃まではいつも日本とソ連の次に実力があるチームだったんですね
しかし、いつも日本とソ連に本番では勝てずに3位か4位になってしまうというチーム。
で、78世の時は
韓国は、予選準決リーグでは中国とソ連と同じグループに属していたが
当時台頭してきた中国に負けたが、ソ連には勝った
ソ連は中国に勝ち
この3チームが星のつぶしあいをして三つ巴になり結局、そのグループの1位通過は
韓国で2位通過がソ連だった。
そして準決は日本と韓国で日本が3-1で勝って日本の決勝進出もうひとつの準決では
キューバとソ連、これは3-1でキューバが勝った。
中国は5-6位決定戦でアメリカに負けて5位でしたかね
決勝では3-0で日本をキューバが叩いて初優勝だった。
この結果を見ておもしろいな、と思うわけなんですよ、あだしは。
韓国はあの時代で限界を迎えた国だったと感じるのです。
もうこれまでの万年3位もこれからはおさらば、だと。
これからは良くて4位、実力通りで5.6位、下手をすると7位以下もありえるというチーム
になっていた。そうエースがいない韓国にはもうこれからメダルは無理だと言う事。
この大会の予選で日本を2-3で苦しめたアメリカは中国に勝って5位を決めた
これで相当、自信持ったのでしょうね。
で、ロスでは優勝した中国を予選で叩いて決勝では負けたが、アメリカ魂を見せてくれた
大会だったですね。
そうそう韓国でしたね、ロスでは何位でしたっけ?
5位以下だったのは確かですが、とにかく準決には出られなかったでしたね
だれか、正式な順位がわかる人がいたら教えてくれる???
78世頃に、それまで強かった韓国が凋落したのがきっかけで世界のバレーが
このように変化したんだと言いたかっただけですから
けど84ロス後にはこういった激しい入れ替わりはない気がしていたんですよね
まぁイタリアが1980年代後半から本当に強くなった事くらいですかね
60名無し@チャチャチャ:2009/09/30(水) 17:51:25 ID:VUNwR3SP
イタリアって80年代はおろか98年頃まで全く強くなかったよw
とくに96年の五輪予選では日本に0-15で負けている。
61名無し@チャチャチャ:2009/09/30(水) 22:27:55 ID:3PjW9C0a
アトランタOQTのイタリアは国内の分裂でまともなチームが組めなかったらしく、
イタリア帰りの大林もえって言うような選手が外れてる、
でもこのメンバーのイタリアなら絶対に勝てると言ってた。
実際にイタリアは90年代半ばにはそれなりのレベルだったと思う。
62名無し@チャチャチャ:2009/10/01(木) 01:43:28 ID:Qwhs4Cr6

> イタリア帰りの大林もえって言うような選手が外れてる
 ↓ ↓ ↓
イタリア帰りの大林も「えっ」て言うような選手も外れてる


イタリア帰りの「大林もえ」って言うような選手も外れてる


イタリア帰りの大林、「もえ(萌え〜)」って言うような選手も外れてる
63名無し@チャチャチャ:2009/10/01(木) 09:22:47 ID:GjRUBFv/
ソウル五輪の準決勝でもし日本があのままペルーに勝っていたら
金メダル取れたかな?一応予選ではソ連と死闘の末にフルセット勝ちしてるけど。
64名無し@チャチャチャ:2009/10/01(木) 10:40:16 ID:pygd7HVw
>>60
ソウルの前に中田が怪我をしたがその中田がソウル前に復帰した試合が、ジャパンカップ???の
イタリア戦の途中だったという記憶があだしはあるんだね
で、当時イタリアなんてそんなに強くないから簡単に日本が勝てるだろう、と観ていたのだが
なかなか強かったのですよ。
なので80年代後半としたんですね
まぁあだしの見方は他の人々とは違って先々を予想してるから強くなりそうだ、という時点で
強くなったと表現するからかも知れませんが
>>63
予選の東独戦で日本は負けたし韓国戦でも1セットとられたりしたので
感じとしては、決勝へ進めても今度は2-3か1-3でソ連にやっつけられていた、とあだしは見たね。
65名無し@チャチャチャ:2009/10/01(木) 11:11:08 ID:UqnuaZGM
東独戦で日本がわざと負けたという説もあったわよね
66名無し@チャチャチャ:2009/10/01(木) 11:56:52 ID:pygd7HVw
>>65
そんな説、あだしは聞いたことがなかったけどねw
それって準決で日本が中国とやるよりもペルーと戦った方が決勝に進めて
銀以上になる可能性が高い、って事で?
よくわからないけど。
が、ソウル前に日本でやった東独戦では2勝2敗?だったようにあだしは記憶しているから
東独に負けてもおかしくはなかったと当時は普通に思った。
しかしその2勝2敗の試合の内容は日本のが良かったからソウルではまず初戦のソ連をやっつければ
その波に乗っかって韓国と東独には問題なしだとも思ってたが、負けちゃったんだよね、日本は東独に。
韓国の試合もラインズマンのミスも多く地元韓国に有利な試合というのもかなりあったように思ったが

あと、あの大会の日本の試合だけど、どの試合も日本チームよりも日本の対戦チームの方に韓国国民は
応援していたね。
韓国人は日本がやっぱり嫌いなんだなって思いました。
ペルーや韓国を応援するのならわかるけどあのソ連とやったときでさえ
韓国の人達は、ソ連を応援している人が多数派だった。
試合が終わってからルウルの町で道行く若い人に日本のメディアが、「日ソのどちらを応援してましたか?」
と、訊いたら『日本には悪いけどやっぱりソ連よ〜』
と答えた人が多かったですからね。
67名無し@チャチャチャ:2009/10/01(木) 13:53:36 ID:pygd7HVw
ルウルってどこの国にあるのかしらね
自分で笑っちゃったよ
ソウルですね
68名無し@チャチャチャ:2009/10/01(木) 14:40:15 ID:J2ITShL1
今年のWGP韓国ラウンドでも
日独戦はドイツを応援してた韓国人が多かったらしいですね。
69名無し@チャチャチャ:2009/10/01(木) 14:50:59 ID:2ssLiyi1
日本も03、04年のころは韓国をあまり応援してなかったよ、イタリアに大逆転で勝った時も、会場はシーンとしてた
最近は韓国の事を応援する観客多いけどね

70名無し@チャチャチャ:2009/10/01(木) 15:06:12 ID:pygd7HVw
韓国も日本もお互いに顔が似ているし体格も同じくらいで地理的にも近いから
意識している部分があるから
韓国人は日本が負ければいいとなるし
日本人も韓国チームが勝つとおもしろくない
みたいな感覚なんだろうね、きっと。
そんな気がする
71名無し@チャチャチャ:2009/10/01(木) 15:12:19 ID:J2ITShL1
韓国のホームで韓国に勝つと気持ちいいしね
最近は勝ちすぎで飽きてきたけど
72名無し@チャチャチャ:2009/10/01(木) 15:30:08 ID:pygd7HVw
ソウルのときは韓国も予選で敗退して準決にも決勝にも進める実力で
なかったから日本も沢山負けてくれればいいな、と思っていたのもあるな。
>>71
最近の事はあだしは知らないが
1975年頃から1985年頃なんて日本は3大会で韓国に負ける
と言う事はなかったがね。
この時代は韓国の選手はとても小さくて175あったら長身選手という感じだったもんね
なので、180の平均身長を誇るソ連をライバルとしていた日本にとっては韓国なんて敵じゃ
ない、といった感じだったのではなかろうか。
粘るが怖くない、といったチームでしたからね

73名無し@チャチャチャ:2009/10/01(木) 17:48:02 ID:envfAMlA
80年代は韓国に負けてないしよ ワールドカップ 世界選手権 五輪 NHK杯 アフターNHK杯 アジア大会 アジア選手権 負けてないよ
74名無し@チャチャチャ:2009/10/01(木) 20:08:28 ID:J2ITShL1
>>72
あだしさん、ご返信恐れ入ります。
いつも拝読しているだけの若輩者です。
是非今度のグラチャンをご覧になってご感想をお書きください。
何卒よろしくお願いいたします。
75名無し@チャチャチャ:2009/10/02(金) 00:35:45 ID:eeh7kq1H
多分85年に日本国内で初めて韓国に負けたんじゃないかな。
ロスの後はたまに韓国には負けてましたね。
ソウル直前のNHK杯でも負けてなかったかな?
もっともお互いに手の内は明かさずって試合内容でした。


ソウルの頃の東ドイツはかなり強かったと思う。
直前にキューバとの親善試合でも五分だったらしいし、
86年世界選手権、87年欧州選手権でもきっちりソ連に勝ってる。
むしろソウル本番で韓国に負けたのが不思議なくらい。
結構守備もよかったし、いいチームでした。
76名無し@チャチャチャ:2009/10/02(金) 02:48:48 ID:eQBU1sg1
89アジア選手権は韓国に負けて初の3位転落しのでは?
日本チーム、88年まではロスの遺産と大林のデビューで期待できましたがそれ以降は
ブラジル、イタリアの台頭
日本チームの守備未完成からくる攻撃の弱体化
で世界との差は広がるばかりでした。
やはり88ソウルが最後のターニングポイントだと思います。
あそこでペルーに勝って金か銀ならば最低バルセロナまでは強化もスムーズに行き90年のような無駄な年もなかったはずです。
90年代に入ってから世界の3大大会で強豪と言われる国に勝ったのは92バルセロナ予選のアメリカ戦、94世界選手権7-8位決定戦の中国、99ワールドカップ中国戦くらいなのでは?

77名無し@チャチャチャ:2009/10/02(金) 03:34:44 ID:d5zym91p
03ワールドカップでキューバに勝ってる。
キューバは84年、88年と国のボイコットで五輪に出れず残念だったね。

そういえば、世界で初めてブロード攻撃をしたのはアメリカのワイショフだということなんですが。
いつごろだったのかわかる方いますか?
78名無し@チャチャチャ:2009/10/02(金) 08:30:43 ID:eeh7kq1H
ワイショフではなく中国女子の李延軍が最初と当時は言われてました。
79年から81年ぐらいじゃないでしょうか。
李延軍はナショナルチームでは控えだったのでこの攻撃をメジャーにしたのは
中国男子の王嘉偉なんじゃないでしょうか。
80年代前半は男子選手も普通にこの攻撃をやってましたね。
79名無し@チャチャチャ:2009/10/02(金) 10:14:58 ID:W0L+vQaY

>>77
この板で時折『このプレーを最初にやったのは、〇〇』というお話がでるが
こういうのってはっきり言ってとてもナンセンスな事だと思うな
ポーランドのヴォイト・ヴィッチが76モンで最初にバックアタックをやったのではなく72ミュンで日本の横田がやっていたとかw
つーのも過去にあったが、こんなのもどっちが先だったかを論ずるよりもどちらがより完成度が高いプレーだったかを論じた方がいいと
あだしはいつも思う。
女子のブロードならば日本の江上だって81wcでやっていましたし、となる。
けどこれも今のブロードのイメージではなく
センターブロックに江上が跳んだ後に小川が、ライトにだれもいないことを知っててオープントスをあげて
それを江上が走りこんで打って決めた、というものだったし。
しかし対戦相手のアメリカのハイマンは、まさかライトに小川がトスをあげるとは
思ってなかったみたいでボッーとしていてブロックに跳ぶのを躊躇していて遅れて跳んだから江上が決めた。
たまたまですね
けど解説の生沼さんは平然と『江上がブロードで決めました!』と言ったが、
あだしはあんなのブロードじゃない、と思ったよ。
江上で具体例をあげたけど全部こういうことなんでないのか
ということですね。
80名無し@チャチャチャ:2009/10/02(金) 10:53:23 ID:6JL/VSrw
>>79
あだしさん、すげー
まじ読んでで面白い!
元全日本選手だったんですか?
81名無し@チャチャチャ:2009/10/02(金) 11:03:00 ID:6JL/VSrw
千葉の高校バレー女子にさっき書き込んだんだけど、おいらはサッカー小僧です。
バレーは男子はミュンヘンの頃から、女子はモントリオールの頃から見てました。
といってもミュンヘンなんかアニメの影響ですけど。w
ただリアルな試合なんか観て、バレー選手のカモシカのようなバネには子ども心に感動したもんです。
大学卒業後は、実業団の強豪?だった某メーカーに入社したので、バレー選手の知り合いも何人かいます。
なんかスレチなこと書き込んでしまいすみませんw
82名無し@チャチャチャ:2009/10/02(金) 12:54:04 ID:W0L+vQaY
>>80
あんた!!
このあだしが、元全日本選手だったわけないだろうに
違います。
あだしは一介のバレーファン
只のファン
それも1980年前後の時のですね
只そこいら辺のファンの人達よりも少し基地なファンだったから
この頃の事は特に憶えているのですよ、只それだけ。
特に江上のファンでしたから
ビデオに撮っちゃテープが擦り切れるほど何回何十回と観ていましたよ
んで、ここは小川は水原にトスをあげるべきでなかったとか
この相手のサーブミスに日本は助けられたとか
色々研究するのが高校生の頃からロスの頃まで趣味だったわけですよ。
あだしがビデオを購入したのは81wcが日本で行われる直前の事で当時あだしは
高3だった。
だからそれ以降10年間分くらいの3大会の記録は今もとってある。
しかし日本はもう金をとることができないとあだしが判断した92バルセロナ以降のものは
一切ない。
なのでこんな感じになるかしら
1974-1980年までの事は記憶
1981-1992年までの事は記録にあるが1986年頃からは記憶はうっすら
1993年以降は元々試合を観ていない場合が多くわからないこと多し
記録にもおさめてないので。
1993年の5月か6月だったでしょうか、たまたまテレビをつけたら日本VSキューバをやっていてね、そのとき山内を観て
この子はなかなか綺麗だし高さもあっていいな、と思った事があったね、で、これが最後くらいかな
その後もこんな感じでずっと観ているわけなんです。
それからすぐに日立で例のあの事件が起こりなんやかんやあってその翌年だったかな
またテレビでバレーを観たらおおがけいくみとか高橋美由紀とかちっこいのばっかりに
なってて、これであだしも完全に引退だなって思ったんですよ。
8382:2009/10/02(金) 14:10:40 ID:1mG0EUnP
ありゃま!
81年で高3ということは、あだしさんはおいらと同い年じゃないですかぁw
ビデオ研究とはまた熱心というか、当時機材を持ってらしたなんてお金持ちですねぃ
でもその気持ちわかりますよ。
サッカーは当時はもちろんJリーグなんてなく、それでも東京12chが頑張っていて
「三菱ダイヤモンドサッカー」という番組を毎週放映していたんですが、
厨房の頃はOPに流れるオランダのヨハン・クライフという選手のクライフ・ターンなんか
それこそ画面に鼻くっつけて必死に観ては、あーでもないこーでもないと皆でいいながら
クライフ・ターンのまねごととかしてましたw

いやいやスレチ失礼しました
あだしさんの書き込みからは、あだしさんがいかにバレーが大好きか、真剣に取り組んできたか?
全日本を愛しているか、が伝わってきます。
おいらみたいなバレーのど素人でもそれが手に取るようにわかります。

んでは!
またお邪魔するかもしれませんが、その時はよろしくお願いします
8481:2009/10/02(金) 14:13:13 ID:1mG0EUnP
>>83
すみません、名前間違えましたw
言うまでもなく、自分81の者です
85名無し@チャチャチャ:2009/10/02(金) 14:52:40 ID:W0L+vQaY
でね、あだしはビデオを購入した1981年のときからこんなのも自分が20代を
すぎたら録画なんかまでして観るのはきっとやめるだろうな、江上なんかが
引退してしまったならもうこんなにバレーに熱中しなくなるだろうな、って
思ってたわけなんですよ。
そしてそれはその通りになった。
で、そうかも知れないが、また自分が40を過ぎ、子育ても一段落したら
ジュリや江上を再び観たくなるときが来るだろう、と。
そのためにビデオを買ったのだからこれからしっかり10年間は撮っておこうと
思ったら、これもこの通りになった。
本当に昔、録画しておいて良かったですよ。
ビデオがなかったというか一般に普及していなかった1970年代なんてカセットテープで
解説だけ録音していた事もありましたよ。
そしてそれをイヤホンで聞きながら映像を思い出して眠るというなんともヲタッキーな
事をあだしはしていたんですねw
なので試合をテレビで観ているときなんて12名の動きを真剣に観るわ見てるわ、という
少年でしたから本当におかしな奴でしたよ。
今も本当におかしな中年ですがね、あだしさんは
ビデオは本当はモスクワのときに欲しかったのですが、そのときはお金がなく買えなかった。
樹理や水原はこの大会で引退してしまうだろうと、しかし1982世までやってくれた。
なので81wcと82世までの樹理や水原の記録も撮れたので、あだし的に、これかなりの儲けだった。
80モスは不参加だっだしね
水のお話で思い出した事があったので次に行くわね ソーレ!!
86名無し@チャチャチャ:2009/10/02(金) 15:08:55 ID:W0L+vQaY
ユニチカの水原理枝子選手の81か82年の頃の日本リーグでのお話なのですが
試合前の練習中にユニチカの他の選手のだれかとぶつかって頭をかなり強く打った
らしいのですが、試合はそのままやれて痛みもなくいつも通り試合でも活躍し終えて
ロッカーでみんなで着替えていたら突然に、水原選手が大声で
『さっ、これから試合だから、がんばってこなぁー』
と言ったらしいんです。
そこにいたチームメイトの一同は唖然としたらしいですよ
真顔で水原さんがそんなこと言うから
水原さんは試合をしたことを忘れてしまったみたいなんですね、ほんの10分前まで
コートにいたのにね。
しかし試合中はいつも通りやってたし小川とのコンビもばっちりでサインミスもなかった
らしいです。
こんなことってあるんですね、
これってもしかして普段厳しい練習を積んでたので体がなんでも憶えていたんではなかったのか
と思うわけなんですよ。頭脳プレーと言われるプレーも本当は体が憶えているプレーなのかも知れませんね
これが本当の神業かしら?
今の子たちなんて実際にマジに試合してるのにボッーとしてそうなのいっぱいいるもんね
過酷な練習を積むともしかしたら水原さんみたいになれるのかしら???
87名無し@チャチャチャ:2009/10/04(日) 09:50:42 ID:LCIwuQDV
ここはあだしが一人二役するスレみたいですねw
88名無し@チャチャチャ:2009/10/04(日) 10:42:59 ID:lgqJa9MN
それでもいいんです!
89名無し@チャチャチャ:2009/10/04(日) 11:31:41 ID:Fw3YRskE
ここは、あだしさんを堪能するスレなんです。
90名無し@チャチャチャ:2009/10/04(日) 12:41:59 ID:zgSc4emd
あだしさん、サイコー
91名無し@チャチャチャ:2009/10/05(月) 14:05:16 ID:6sI5fcaM
日本の女子バレーはあだしが山田監督に書いた手紙の通りにしないから
こんなことになったわけよ。
少なくてもあだしが、1980年当時に手紙に書いたことを山田監督が守っていれば
こうはならなかったのにね、そこんとこがとっても残念なのよね。
あと、新しい若い指導者がどんどん出てこなかったのも衰退理由のひとつだと思うな
前健ひとりだけだった
で、彼はいつのまにかいなくなっちゃったし
米田や西村をあだしは数に入れてなかったからね。
1984年頃に当時強かった日立を破る実力がある日本人監督がいたら、おもしろかったね
92名無し@チャチャチャ:2009/10/05(月) 14:44:56 ID:9U/ka0br
何者ですかあなたw
93名無し@チャチャチャ:2009/10/05(月) 16:58:57 ID:6sI5fcaM
あだしはあだし、それが何か???
94名無し@チャチャチャ:2009/10/05(月) 18:43:12 ID:GXjBERdV
♪何歳(いくつ)に見えても あだし 誰でも
じれったい じれったい
あだしは あだしよ 関係ないわ

特別じゃない どこにもいるわ
あ・だ・し バレヲタ…
95名無し@チャチャチャ:2009/10/06(火) 12:13:54 ID:SR6AptvF
どこにもいないわよ、あだしは。
96名無し@チャチャチャ:2009/10/06(火) 13:13:54 ID:2rOdkcdw
あだしは元全日本アナリスト。あだしは一人二役がばれて失禁w
97名無し@チャチャチャ:2009/10/06(火) 13:26:49 ID:xSmnv/IU
あだしさん、トリップつけたら?
98名無し@チャチャチャ:2009/10/06(火) 14:05:17 ID:2rOdkcdw
あだしはトリップも付けられないし、スレも立てられないの。
99名無し@チャチャチャ:2009/10/06(火) 14:05:44 ID:SR6AptvF
>>97
お前はばかか
ここには、あだしとガセビアの二人だけしかいないんだから。
トリップなんかつける必要ないわよ
ガセビアさんがスレ主
あだしに絡んでくるのもたまにいる友好的なのも全部ガセビアさんwwwww

可哀相ね、ミュンヘン♪

100名無し@チャチャチャ:2009/10/06(火) 15:44:29 ID:SR6AptvF

もしもあだしが株屋さんだったらこうなるかしらね
1977年のWC直後には、もっていた全日本の株の全てを売り払い
中国株を大量に購入する。
この時にはまだ中国株はあまり人気がないから安く買えたはず
キューバ株もそこそこ人気が出てくる頃だったけど魅力を感じないから
あだしは買わなかった、と思う。
1978年世界選手権直後に、アメリカ株をまた買う
まだこの頃は安かったから手持ちの資金で充分買えたと思うからね
この時にはキューバ株が高騰し日本株とソ連株と韓国株がかなり暴落したので
これらの株を持っていた人はかなり損をしただろうね。
あだしは前年に全てを売っていたので大損は免れたかな
1980年のモスクワ直後にキューバ株が暴落してキューバ株を持っていた人間は
またここで大損をしたでしょう。
で、あだしは1986年世界選手権直後に持ってる中国株の半分を売ってその資金で
ブラジル株を買ったと思う。
この時はまだブラジル株も安かったので大量に買えたはず
で、あだしはそのブラジル株を2008年北京オリンピックまで持ち続ける、というわけ
そうそうアメリカ株はね1984年に全てを売ってしまう。
こうしてあだしは日本株とアメリカ株と中国株とブラジル株で儲けただろう。
で、これからどこの株を買えばいいのか、というのが今のあだしのテーマなんだが、
この世界から引退して20年が経過しているのでどこにしようか、今とても迷っているんです。
キューバ株と中国株を買おうとは思っていないがね
日本株とアメリカ株もありえない、といったところ
101名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 01:34:29 ID:dcimYblz
あだしは基地害。あだしはヲカマ。
102名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 09:54:49 ID:ZV8+wCXV
>>101
あだしは深夜の1時にそんなつまらんレスをするためにここへ来る基地害
では、ありませんからね。
103名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 13:20:17 ID:AMcw1I9W
>>100

> で、これからどこの株を買えばいいのか、というのが今のあだしのテーマなんだが、


ご存知かもしれませんが
先日、行われました世界選手権の各大陸予選最終結果を貼っておきますので、
今後の予想の参考にしてみてくださいw
104名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 13:21:31 ID:AMcw1I9W
2009欧州選手権

【最終順位】
金)イタリア
銀)オランダ
銅)ポーランド
4位:ドイツ
5位:トルコ
6位:ロシア
7位:セルビア
8位:ブルガリア
9位:スペイン
10位:チェコ共和国
11位:ベルギー
12位:アゼルバイジャン
13位:スロバキア
14位:ベラルーシ、フランス
16位:クロアチア
105名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 13:26:20 ID:AMcw1I9W
2009北中米選手権

【最終順位】
金)ドミニカ共和国
銀)プエルトリコ
銅)キューバ
4位 アメリカ
5位 カナダ
6位 メキシコ
7位 コスタリカ
8位 トリニダードトバゴ
106名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 13:27:17 ID:AMcw1I9W
2009南米選手権

【最終順位】
金)ブラジル
銀)アルゼンチン
銅)ペルー
4位:コロンビア
5位:ウルグアイ
6位:ベネズエラ
7位:チリ
8位:パラグアイ
107名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 14:35:59 ID:ZV8+wCXV
>>104-106
ありがとうございました。欧州であのロシアが6位とは強豪国がいっぱいだ、
という事がわかりました。まぁ元々というか、昔の1960年代は欧州のバレーの
レベルは男女共に高かったですからね。その名残が今もあるとしても、日本に
とったら相手としてとても嫌な国々ですね。
1970年代後半から1980年代前半の欧州バレーは一時衰退していたようでしたが
ここに来て特にこの10年間は、また息を吹きかえしてきた感じがいたします。
北中米、これも秘かに強豪国揃いですね。
5位につけているカナダが不気味にあだしは思いました。
さてさて、今後の行方はどうなるのやら
108名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 14:37:34 ID:SRcGd2bY

あだしは昔のことしか知らないしそれしか知りたくもないので今の予選順位も興味ない
余計なことはしなくていい。
株の話をしたのは自慢したかっただけで、その自慢話も金銭レベルに換算すればバカな皆が納得するからそうしているだけであって、それを間に受けてるあなたは本物のバカなの
109名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 15:09:26 ID:AMcw1I9W
>>108

お前、つまらん奴だなw
110名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 15:14:41 ID:ZV8+wCXV
>>108
その通りだわねwww
あだしは1975年前後から1984年あたりまでの予想屋だったから
白井から江上三屋の引退の頃までの時代の予想をするのが好きだったんだね
人間の集中力ってそんなに長い期間、続かないからね。
けどこの75-84までの10年間はとてもあだしは充実していた日々だった
今よりも国際試合が多く生観戦にも多く出かけて選手たちをいっぱい観る事が
できたし、憧れもしたよ。
しかし当時は金がなかった、学生だったからね。
この期間のあだしは、10才から20才くらいになるわけだからそれも仕方なかったが
もしもあの時代に今戻れるならば、1974年世界選手権の時の試合をビデオで観たいから、
借金してでもビデオを買いたいですね。
しかし流石のあだしでも小5であの時代に高々バレーのために、この発想力はなかったわね、
残念だけど。
111名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 15:51:49 ID:AMcw1I9W
>>108

なんか勘違いしていたようだw。 >>100は、あだしさんの書きこみかと思ってたよ。
IDを見直してみたら、どうやらお前の書き込みのようだな。
そう見てみると なかなか面白いたとえだよw。 すまんw
112名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 15:51:56 ID:ZV8+wCXV
更に追加
>>108
あだしのレスを自慢ととろうがどうとろうがどうでもいいが
数年前にこのあだしが、あるスレで
1977年頃に中国はかなりの力をつけてきて77日中対抗では全日本と2勝2敗だったし
77wcでは、予選で日本は負けたし78世ではグループ分けの関係でその中国と試合はやらなかったけど
もしか、78世でやってたら日本は直前に白井さんなんかがやめてたから負けたかも知れなかった。
と、レスしたら
当時はまだ、中国はそれほど強くなかったwww
だいたい日本は78世では中国に勝ったからだとガセったのがいたわけなんですよ。
そうね、あだしは正しいバレー史を素人さんに分かりやすく宣説しているだけなんです。
78世では日本は2位で中国が6位でしたが、中国は5-6位決定戦で日本を予選で3-2で苦しめた
アメリカとやって負けたんですからね
その試合も13.11.10点とカウントこそは、0-3だったが、白熱したいい試合で中国が3-0で勝っても
おかしくはなかった。

こういったことも全然知らない人からしたら、あだしが言ったことが全部自慢になるのでしょうが
仕方ないわね、知らないんだから。
113名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 16:18:14 ID:CskuSU2o
あだしはあだし
他のあだしはあだしでない
114名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 16:28:23 ID:AMcw1I9W
>>107

上にも書き込みましたが、>>100が あだしさんの書き込みだと勘違いしてしまいました。
あだしさんにとって現在の各国勢力図に興味がないのであれば、
余計な事をしてしまったようです。
申し訳ありませんでした。
それと、あだしさんの話が仮に自慢話であろうとなんであろうと、そんな事はどうでもいいと私は思うのです。
夢中になってバレー話を語るあだしさんを可愛いらしくもあり、とても微笑ましく思えるのです。
気分を害されたら、すみません。
また、楽しい話を聞かせてくださいね。
115名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 16:40:05 ID:CskuSU2o
みんなあだしを他のあだしと勘違いしている。
あだしなのはあだしだけで、あだしを名乗ってるのはあだしじゃないのに
116名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 16:44:16 ID:AMcw1I9W
>>115

お前は偽あだしw
あだしさんは、常にage
117名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 17:29:40 ID:AMcw1I9W
>>108


> あだしは昔のことしか知らないしそれしか知りたくもないので今の予選順位も興味ない
> 余計なことはしなくていい。
> 株の話をしたのは自慢したかっただけで、その自慢話も金銭レベルに換算すればバカな皆が納得するからそうしているだけであって、それを間に受けてるあなたは本物のバカなの
118名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 17:36:39 ID:AMcw1I9W
>>108

それと、言っとくけど二度と あだしさんの物真似すんなよ!この蛆虫w。
本物のあだし節が聞きたいんだから邪魔すんな!
お前は都はるみの物真似する松居直美レベルじゃw
119名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 17:46:19 ID:ONzODnMB
>>118
みやこ松居を知っているお前はあだしになりすましているあだしさんと同じぐらいの世代だな
いくらあだしに化けようとしてもそういった点でほころびがでるもの。
ここはあだしのためにたてられたスレなんだから、成りすましのニセモノは成りすましそのものはもちろん、自演するのもやめなさい
120名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 18:00:40 ID:AMcw1I9W
>>119

そういうお前こそ、なりすまし婆ア。 お見通しだよw
もしかして、人気者の あだしさんに嫉妬してるのかな?ww
121名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 18:08:16 ID:ONzODnMB
>>120
あだしは人気ものなんかじゃない
ガセピアさんとあだしだけが書き込んでるだけなのに、それをお前さんが勝手に勘違いしてるだけ。
うぬぼれはあだしの成りすましだけにしときなさい
122名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 18:42:52 ID:AMcw1I9W
>>121

今日のあだしさんはID:ZV8+wCXV。
あだしさんは基本的にIDは変わらないし、長文が特徴。
お前のなりすましは松居直美のものまね以下
といよりもお前は、都はるみの物真似をするためにつけた付けボクロ。
鼻糞みたいなつけボクロww
鼻糞レベルの下手くそななりすましはやめときなさい
123名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 19:30:54 ID:AMcw1I9W
スレ汚し、すみませんでした。
いつの間にか蛆虫がわいてしまいましたね。
この蛆虫どもは駆除して、サンポールでピカピカキレイにしておきますねw
これから夜勤の仕事に行ってきます。
あだしさんの書き込みは、この世知辛い世の中では、私にとって心のオアシスになっています。
数々の見苦しい発言、申し訳ありませんでした。
明日もあだしさんの書き込みを楽しみにしていますね。
124名無し@チャチャチャ:2009/10/07(水) 23:33:30 ID:ge5D8Bie
その他にも楽しみにしている私のような人間もいるわけだが
125名無し@チャチャチャ:2009/10/08(木) 10:29:29 ID:kJ8yvMmH
いいかな、
あだしの文体はアホッぽいが、レスの内容はとても深く濃い
ガセビアのはあだし風なだけであって、本当のこのあだしから
見たら
文体は賢そうだが、内容はまったくない

だってガセビアは
74世では中国はまだ国際舞台に登場していなかった
なんてボケかましてくれるんだからね。

本当に何も知らないヲカマなわけですよ
あだしの輝きに憧れてあだしの真似をしたくなる気持ちもわかるが
あだしにばかにされて終わるだけだからね。

いいじゃない、そんなにあだしに対抗して古い知識を持たなくたって
あだしみたいに知らない事は知らない、と最初からはっきりしておいたのが
自分のためだぜ
126名無し@チャチャチャ:2009/10/08(木) 13:52:32 ID:85Fk/fRk
一連のあだしさんの成りすましはガセビアさんという人だったんですね。
そういえば何かとガセビアさんをアピールしてましたもんねw。
タイスレで あだしさんにからんでいたのもガセビアさんですよね?
お二人からすると、わたしなどは新参者みたいなものですが、バレー板の昔からの常連さん同士の いろんな人間関係がありそうですね。
お二人はなんだかんだ言い合いながらも仲が良さそうで、やりとりも漫才みたいで面白かったですよw。
また、お二人のレスの応酬を見てみたいです。
127名無し@チャチャチャ:2009/10/08(木) 14:28:14 ID:kJ8yvMmH
>>126
ガセビアさんにはあだしのような芸当はできないから
いつもあだしに、ばかにされて終わるわけなんですよ。
データもない、知識もない、そしてバレーとは何か、と言う事も
全く知らないから。
2ちゃんなんだから少しくらいのガセもいいとは思うが、
バレー史を変えてしまうのはいかがなものか・・・・
ロスの中米の予選は八百長だった、と。
あれもガセビアさんは、自分でほんまにアホ言っている、という自覚はあるのでしょうが
あだしに言わせたら中途半端なんですね、
もっともらしい、裏づけをソースとして出してくれたら、そこからまたお話がふくらんで
面白くなるのだけれど、何もなく『八百長は常識だよ〜』『中国が勝てば準決で日本はアメリカとやって
勝ち、1位か2位にあのとき獲得できた』
と、素人の域を抜け出す事ができないので、本当につまらなかった、と言いたい。
例えば、これを〇セット目の〇−〇のときの郎平のスパイクミスはわざとらしかった、とやってくれたら
本当に楽しくなるのに勿体無い子なんだと言いたい。
バレー史を変えてしまう、これは只このあだしに勝ちたいだけでヒスッて良く知らん事を感覚でレスしたのでしよう、
兎に角、このあだしとやるのならもう少し74世かに84ロスまでの事をもいちど勉強してからやっていただきたい。
128名無し@チャチャチャ:2009/10/08(木) 14:30:10 ID:kJ8yvMmH
74世から84ロスまでのに訂正だわね
129名無し@チャチャチャ:2009/10/08(木) 14:50:17 ID:kJ8yvMmH
まぁ、あのときもしも日本が準決でアメリカとやったとしても勝てなかった、とあだしは
思うがね
だって82年から84ロス直前までの日本とアメリカの試合の日本の勝率は35%程度だったから
これも日本シリーズでは確かに日本のが多く勝っていたが、アメリカシリーズではアメリカのが
滅茶苦茶強く勝ち越していたからね
130名無し@チャチャチャ:2009/10/08(木) 15:00:51 ID:5OYEi/Ci
この既知害、まだいたんだ(笑)
131名無し@チャチャチャ:2009/10/08(木) 15:19:29 ID:kJ8yvMmH
82世で日本がペルーに負けた試合
84ロスで中国がアメリカに負けた試合
88ソウルで日本が東独に負けた試合
どれも八百長無し、だとあだしは思ってる。
荒木田と米田でうまいことをやろうとしたドイツ戦だけでしょ
八百長らしいのは。
あと、試合ではないが
過去に日本男女の選手の公式記録の身長に誤魔化しがあったと思うなwwww
なのでミュンヘン五輪の男子の平均身長は、190超あったというのは嘘だとあだしは思う。
>>130
思わず登場!!
132名無し@チャチャチャ:2009/10/08(木) 15:27:07 ID:85Fk/fRk
>>129

> これも日本シリーズでは確かに日本のが多く勝っていたが、アメリカシリーズではアメリカのが
> 滅茶苦茶強く勝ち越していたからね

アメリカシリーズの話は、以前のあだしさんの書き込みで、初めて知りました。
実は、私もロスオリンピック当時、日本の方がアメリカよりも実力が上であると認識していたのですよw。
当時、山田監督はアメリカに対しては自信ありげな様子だったように記憶しています。
133名無し@チャチャチャ:2009/10/08(木) 15:42:28 ID:n38bnU7e
ロス五輪の予選で中国はやっぱりわざとアメリカに負けたと思う。
近年?では02世界選手権で八百長負け(しかも2回)やってる国だもの。
134名無し@チャチャチャ:2009/10/08(木) 15:55:54 ID:kJ8yvMmH
>>132
山田さんは、日本のチームを率いる監督として、中国とやってもアメリカとやっても
日本が決勝に進める可能性はほとんどない、とは言えなかったのだと思いますよ。
当時は、日本女子バレーは本当に衰退していたが、マスコミや国民はまだ強いと思って
いた、その状況ではー。
そう、みんなに思わせる事しかできなかったのですよ。
本人はかなり厳しいな、と思ってたはず
3冠監督としてのプライドもあったでしょうからー。
しかし彼はロス直前にこんなことも言ってましたね
『予選でアメリカに負けて自信をなくした中国とやって勝ち、その中国を叩いてその勢いで
アメリカに勝つ、しかしこの流れで金メダルを日本が獲れる可能性は30%だ』と。

つまり、金メダルを獲れるとしたらこれしかないのだ、と。
そして準決でその通り、中国と戦ったが負けてしまったわけなんですね。
70%の方に日本は転んでしまった。
仮に日本が中国に勝っても、アメリカに勝てたかどうか??

監督が大会前に弱気になったら選手はどうなる
精一杯の監督のやせ我慢だったのでしょう。
135名無し@チャチャチャ:2009/10/08(木) 16:38:03 ID:85Fk/fRk
>>134

ロスの数ヶ月前、山田監督は
「中国と日本はプロとアマチュアぐらいの差だ。実業団でいえば、日立と最下位チーム(8位)ぐらいの実力差がある」と、
はっきりと中国との実力差を認める発言を聞いて、軽いショックを覚えました。
なので、山田監督は狸オヤジ柳本と違って、マスコミ向けに割と本音を言う人だったんだなと今にして思えるんですよ。


> しかし彼はロス直前にこんなことも言ってましたね
> 『予選でアメリカに負けて自信をなくした中国とやって勝ち、その中国を叩いてその勢いで
> アメリカに勝つ、しかしこの流れで金メダルを日本が獲れる可能性は30%だ』と。


これらの山田監督の発言からすると、
アメリカは中国と相性がいい。日本はアメリカと相性がいい。中国は日本に対して絶対的な自信がある、
こんなふうに考えます。金メダルをとるための30%の確率というのは、中国戦に多くの比重がかかってたのではないでしょうか?
金メダルを獲得するには自信のなくなった中国をたたくのが一番の近道。つまり、ここをクリアすればアメリカ戦は なんとかいけると手応えを感じてたのではないかと思うのですが、
どうでしょう?
136名無し@チャチャチャ:2009/10/08(木) 21:41:22 ID:b2gvu/hT
ロスで中国がアメリカにわざと負けるメリットはない。
アメリカはハイマンやクロケットが乗るとなかなか手強い。
中国は81WCではアメリカとフルセットの辛勝、
82世界選手権の予選でもアメリカに負けていたはず。
中国がロスの予選でアメリカに負けても別におかしくない。
ただ中国も別に予選でアメリカに負けてもなんとかなるとは考えていた筈。
137名無し@チャチャチャ:2009/10/08(木) 22:51:17 ID:mQo61HHy
消去依頼
138名無し@チャチャチャ:2009/10/09(金) 11:11:45 ID:Wy2IkwgN
オリンピックやワールドカップそして世界選手権という大会はどのチームと戦っても
一発勝負になるのでその大会での流れに左右される。
例えば、ソウル五輪で準決で日本がペルーに負けた
完全に勝ち試合であったが負けてしまった
しかし日本はその前の初戦のソ連戦に勝ったものの韓国には1セットをとられ東独には
負けてしまった。もしこれが、韓国にストレート勝って東独にも勝っていたらペルーにも
楽勝できたのではないかと思う。
ペルーは準決で日本に勝てた事で決勝でもあのソ連に対して素晴らしい試合ができたのだと
思う。
これは83アジアで日本が韓国を破りオリンピックの出場を決めた次の試合で世界一の実力を
持っていたあの中国に3-0で勝てたのに似ているようにあだしは思うのですが、いかがなものか。
大会前の親善試合などは4−6試合をするので3勝していたので日本が有利だとか言うが、これは
あくまで大会前の試合をする前までの優越感にすぎず、実際の試合が始まったら
そのときの調子がいいチームが勝利するもんだと思う。
だから中国が地元アメリカに負けた
地の利を活かしてアメリカは世界一の実力があった中国に予選で勝てた
しかし、決勝では負けてしまった。
その反対に準決で中国に負けた日本は
自信を失いペルーとの3位決定戦で1セットを落としたということ
なのでしょう。
優越感と劣等感、そしてその大会のムードや流れで勝敗は決まるからどのチームも八百長してわざとに負ける余裕など
ない、とあだしは考える。
日本がかつて金メダルを狙っていた1976年までの大会はいつもライバルはソ連だけだったが
1980年ではソ連の他にキューバが登場した。
1980年代は中国とアメリカとソ連のいずれかの2チーム以上が常にあったので、84ロスはあの3位という成績は妥当だった
とあだしは言いたい。

139名無し@チャチャチャ:2009/10/09(金) 12:41:46 ID:yG4YOXIg
>韓国にストレート勝って東独にも勝っていたらペルーにも
楽勝できたのではないかと思

東独に勝ってたら準決勝で中国とじゃんw
140名無し@チャチャチャ:2009/10/09(金) 13:14:10 ID:Wy2IkwgN
まっ、そういうことになるわなww
そしたらどうなったのだろうか?
日本は中国に苦手意識があった
しかし、その中国は予選でペルーに負けていた
どうだったんだろう?
日本は当時の最強だったソ連を叩いてきた
わからない・・・・
この場合は優越感と劣等感で日本が準決で中国とやったとしたら
負けた、かな。
141名無し@チャチャチャ:2009/10/09(金) 13:15:56 ID:Wy2IkwgN
実際に3位決定戦で、中国に完敗したし
142名無し@チャチャチャ:2009/10/09(金) 13:17:34 ID:yG4YOXIg
中国×ペルーって確か
5セット目の中国14-9のマッチポイントから負けたんだよね。
143名無し@チャチャチャ:2009/10/09(金) 14:45:35 ID:Wy2IkwgN
だから江上のホールディング2本はセーフだったんではないのか、
ということになっちゃうんだよね
ああゆうのも日本で行った親善試合ならセーフ
セーフというか問題にもならない。
しかしあの頃をきっかけにホールディングの基準が厳しくなった
144名無し@チャチャチャ:2009/10/09(金) 17:48:39 ID:Wy2IkwgN
2連投だわね

めずらしくスレが大人の流れになっていますね
やれば出来るじゃないか、ガセビアさん!!

いつもこうだといいんだけれど・・・・
145名無し@チャチャチャ:2009/10/09(金) 20:31:08 ID:Ys5PRtvz
85WCで日本はペルーに勝ったけど、それ以降はほとんど負けてたんじゃないかな。
ペルーは86世界選手権3位のチーム。どこよりも安定していた。
87年のジャパンカップでも中国を破ってのりにのっていた。
ソウルの日本戦は2セット連取して一息ついてしまった感じ。
力的には日本がストレート負けしてもおかしくないぐらいの差はあった。
だからこそ日本はよく健闘したなと思う。
ソウルは下手したら最下位もありえたぐらい。各国とも実力伯仲していた。
146名無し@チャチャチャ:2009/10/11(日) 00:26:47 ID:D+s0OCi5
あだしの一人二役スレw
147名無し@チャチャチャ:2009/10/13(火) 10:32:17 ID:yuPQKlbD
あだしがペルーチームを意識してマジに観たのは77wcのときだったけど
あのときすでかなり完成されたチームだったとみたね。
監督も加藤明から朴萬福に変わってしまっていたけれど174のカリリョの
強打が素晴らしい、と当時思った。
この選手は豚鼻をしていてはじめ人間ギャートルズみたいだった。
ここのメンバーの人達ならばこの表現で理解できますでしょう
この大会の成績はたしか中国の次で5位だったけど
これからは日本もこのペルーに対しては要注意だなって
そしたらその4-5年後から本当に強くなった。
池知がいた頃だったので1979年だったかしら
そのときの南米遠征の時
江上や吉永そして小川やジュリまでもが体調を崩してしまい
ペルー戦では池知−奥嶋のレフトに、塩川−水原、清水−石川で
何戦かやって勝った、と言っていたがこんなのもこの時代だけでその後は
日本と力の差がほとんどなくなっていって82世と88ソウルでは大事な試合で
日本はこのペルーに負けた。
82世ではこの大会の直前に、アキラ・カトーが亡くなったので日本の代表から
もれたユニチカの鈴木ひとみがアキラ・カトーの遺影を抱えて開会式で入場を
したんだけどあのときのペルー国民の歓声はすごかった。
148名無し@チャチャチャ:2009/10/13(火) 10:57:59 ID:2oAZrAjR
>>142
youtubeにあるよね
中国があまりに決めないんでわざとやってるのかと思ってしまった
でもオリンピックでわざと負けるなんてありえないよな
149名無し@チャチャチャ:2009/10/13(火) 11:14:03 ID:yuPQKlbD

わざとに負けたとか八百長だって言ってたガセビアさんは
普通な事を言っていたらこのあだしにばかにされてしまうから
そういうこと言ったのでしょ
で、何を言っても結局はこのあだしにばかにされてしまうのですがね
150名無し@チャチャチャ:2009/10/13(火) 17:46:46 ID:7ujTTVFX
チュンピタス セシリアタイト マラガ ファハルド デルリスコ ペレス ペルー最強布陣
151名無し@チャチャチャ:2009/10/13(火) 18:01:00 ID:yuPQKlbD
でも1980年代後半のペルーは世界一にはなれないチームだというイメージだった
強い事は強いのだけど
ソ連や中国のような強さではない
良くて2位か3位
実力通りならば4位か5位
下手すると6位以下もある、というチーム
だった。
152名無し@チャチャチャ:2009/10/13(火) 18:14:10 ID:5JRZLt9X
今や圧倒的な強さのブラジルが80年代はしょぼかったのが意外だな。
153名無し@チャチャチャ:2009/10/13(火) 18:38:20 ID:yuPQKlbD
ブラジルって本格的に国際大会にデビューしたのが、1981wcだったよね
あの時も順当ならペルーが南米代表として日本に来ると日本のバレー関係者は
思っていた。
しかし南米代表を決める試合でペルーと大激戦をやり勝ってブラジルが来た。
結果は最下位の8位で総当りだったのでどこにも勝てずに全敗した。
中国、日本、ソ連、アメリカら辺には当時勝てるとはブラジルは思ってなかった
みたいだったが、日本はこの時、1セット目にブラジルから13点もとられたんだよね
あれは、まさかだったけど
潜在的な力や高さは80年代初頭からかなりあったんだと思ったよ、あだしは。
ペルーは、日本や韓国みたいなバレーをするチームだったけどブラジルは全く違った
アメリカや欧州的なバレーだったわね
で、81wcに出て世界レベルを認識したんだろうね
その後、82世やロスに出て徐々に力をつけていって86世で日本に勝って7位になった辺りから
本当に強くなったんだと思った。
国自体が本気で取り組んでいなかっただけだと思うな、ブラジルは。
男子なんかは70年代初頭から強かったんだけどね
バレー後進国だけだったんだよ
ビーチでお遊びでやるスポーツだ、くらいに選手も監督も国も思っていたのではなかろうか?
1980年頃までは。
本気でやっていなかったというだけ
154名無し@チャチャチャ:2009/10/13(火) 19:07:30 ID:goG+PYth
確か男子に影響されて強化をはじめたとか言ってたな
ブラジルバレーの歴史って険しかったと思う。90年代はキューバに阻まれて
21世紀はいろんな国から阻まれて…2002の世界選手権で中国に対戦を選ばれたり…
これほど悲劇という言葉が似合うチームはないと思う。でも今は世界一だからその逆襲中って感じかしら?
155名無し@チャチャチャ:2009/10/13(火) 22:20:08 ID:wiRKj+/X
♪ガセにしないでよ そっちのせいよ
それはゆうべの  あだしの台詞  気分次第で書くだけ書いて
アメリカ戦は 八百長なんて
ガセビア いったい何を教わってきたの?
あだしだって あだしだって 疲れるわ…
156名無し@チャチャチャ:2009/10/13(火) 22:44:51 ID:2ulsPVOE
86年世界選手権でブラジルが7位って


相変わらずこのアスペルガーはデタラメばかり。
最近じゃ一人二役までやって惨めすぎ。
157名無し@チャチャチャ:2009/10/14(水) 10:25:47 ID:UOLYJ53D
>>156
86世ではブラジルは5位でしたね、そこだけしかつっこめなかったようですね。
もひとつあだしはわざとにガセを書いていたのだけど気づきませんでした?
あー面白い
81wcで日本が13点をブラジルからとられたのは、1セット目ではなく3セット目だったんだけどね。
その試合は3.10.13点で日本との試合中にブラジルがどんどん強くなっていって解説をしていた生沼さんが
『高校生の野球チームで甲子園に出て試合をする度に強くなるチームがありますが、ブラジルチームは
まさにそんな感じのチームだと思います』
と、言っていたのをあだしは憶えてる。
けど、ブラジルは78世にも出ていてこの大会で8位だったんですよね
84ロスでも7位、85wcでは6位で、86世では5位、88ソウルでも6位と、コンスタントに
Bクラス入りしていたからそんなに弱いチームでもなかったんですよね。
70年代から80年代初頭の頃までは日本がいつもAクラスで1-4位だったのでBクラスの
ブラジルのことを弱いと思っていただけなんですよ、きっとね。
それが、80年代後半から江上なんかが抜けた日本が86世でブラジルに負け7位になり
日本がBランクに堕ちたからブラジルは強いぞ、となっただけなんではなかろうか。
この頃のブラジルにしたら、
あたしらそんなに順位をあげてるわけではないわよ
10年前と同じ成績なのに、勝手に日本やソ連や韓国があたしらに近づいて来ている
だけなのよね、って感じではなかったのだろうか。
尤も成績には結びつかなかったけど徐々にコンビを取り入れて、速いのもやるようになったし、大きい子たちを入れてもいるけど
てな、感じだったろうね

ガセビアするならあだしみたいにやっていただきたいわねWWWW


158名無し@チャチャチャ:2009/10/14(水) 10:45:53 ID:UOLYJ53D
いいかな、あだしは中途半端な事は大嫌いなのよ
つっこむならば全てをつっこむ
あんまり分からないならば中途半端につっこむのはやめる
ここらをこれからは徹底していただきたい!!
あだしは天才だから
こう書いたらどう来るかを予想して最後に言いたい事は残しておく
という方法をとるのだけど。
それにしてもつっこみが遅すぎだわね>>156
もっと早くにつっこんどけば昨日の夕方には上記のレスをあだしがすかさずに
入れて今日は別の話題を提供できたのに
159名無し@チャチャチャ:2009/10/14(水) 11:00:09 ID:SfoqLkGz
アスペルガーw
160名無し@チャチャチャ:2009/10/14(水) 13:54:53 ID:UOLYJ53D
ここに来てあだしにつっこむのはみーんな、ガセビア
これがあだしの被害妄想でもいい
あだしはどんなことがあっても平気よ
いいのあだしはあだし
あだしの世界をここに披瀝するだけなのよ、このあだしは。
あだしの邪魔をしてくる人間はあだしにとって、みーんな、敵
へなちょこな、敵
だからあだしは平気


161名無し@チャチャチャ:2009/10/14(水) 14:03:35 ID:2NesT2R5
このスレ早く消去してくれ
162名無し@チャチャチャ:2009/10/14(水) 14:42:32 ID:UOLYJ53D
前にいた松田紀子ヲタやミュンヘン小僧にHなお兄さん、そして真鍋で抜いている
とか言ってたホモ、時折出てくるサッカー少年だったという小僧
これらはみんな同一人物www
あだしとお友達になりたがってる人々なのよね
山田先生の事が大好きだったフケ専のヲカマもいたわね
これもそう
あだしはそういった変な趣味はないけどみんなみんなバレーが大好きな人達
そういった意味ではこのあだしと同じなのよね
あだしのお話を聞きたい、2ちゃんだけのあだしの仲間
素敵なお友達
あだしももうすぐ46才
敵だけど仲間
素敵なグループ
こんなのもここだけならいいかもね
163名無し@チャチャチャ:2009/10/14(水) 17:00:50 ID:SfoqLkGz
最近は「あだし」のファンとか言ってた人来なくなりましたねw
あだしの一人二役だったんだね。
164名無し@チャチャチャ:2009/10/14(水) 17:39:38 ID:UOLYJ53D
敵と素敵をかけるあだしはやっぱり天才です!!
>>163
あだしはこの頃、というか前から自演する趣味はございませんので
あしからず

81WCの日米戦のときに、ハイマンがサービスエリアに入った刹那、男子高校生のグループが『ハイマーン』と大声で叫んだら、そのサーブがサービスポイントになった。。。。
81WCの日中戦のときに、中国の陳亜涼がとても速いAクイックを決めた刹那、当時の流行語であった『おーみーごーとー』と叫んだ男子学生がいたが陳亜涼は、出っ歯を出してコート内を走り回っていただけだった。。。。
81WCの日米戦のときに、ブロックに飛んだ三屋さんが、汗で濡れた床に滑って尻からそのまま落下してしまった。。。。

ガセビアのヲカマはいくつ知っていたであろうか
サイさんのは有名だったが、他2つは知らなかったのではなかろうか

81WCの日韓戦の会場にビック白井がショッキングオレンジのスーツを着て来ていたのをあだしは見逃さなかったんだから。。。。
あだしの隣に座ってたおっちゃんもそれを見て『ウォーでけーな、白井』と独り言を言っていた。。。。
やっぱりビックは韓国チームの事が気になったのだろうか。。。。。

トリビア〜♪




165名無し@チャチャチャ:2009/10/14(水) 18:19:50 ID:1N8CB2jx
>>163
あだしさんの自作自演で間違いないな
真性のキチガイだな>あだしさん
166名無し@チャチャチャ:2009/10/15(木) 08:49:13 ID:T0jC1gtq
本当に何をやらせてもダメダメ人間のアスペルガーあだしw
一人二役の自作自演みっともな〜い。
167名無し@チャチャチャ:2009/10/15(木) 09:39:40 ID:D2ftLKWX
>>165
>>166
中途半端なつっこみをしてこうふに書くしかなくなったのねwww
>>165
あだしは18持以降にはもういない
>>166
あだしがここに来る時刻をしっかりと熟知しているお方みたいで
あげといてくれていつも本当にたすかりま〜す

168名無し@チャチャチャ:2009/10/15(木) 13:16:39 ID:D2ftLKWX

日本男子が1972年のミュンヘンで優勝した頃から日本の女子が1976年のモントリオールで優勝した頃までの頃

日本のバレー関係者のあいだでは、西洋人やキューバ人は足が長く腰高だからレシーブがとてつもなく下手だから世界大会で優勝をすることはこれからもできないであろう、とまことしやかに語っていて、それが一般のバレーファンの間では常識になっていた

同じ頃、国際舞台に登場しはじめた中国チームの事を、海外遠征をすると必ず選手が体調不良になるので、中国は強くなれないともまことしやかに言われていた


1977wcの男子の日本vsキューバの試合解説をしていた松平氏は、あるキューバの選手がミスをした後に、『あの選手、相当ビビッて、青くなってますよ、黒人なのでわかりませんが』と笑いながら失礼なことを言っていた

それから数年経った頃に引退した白井が解説者として喋っているときに『キューバの選手はバカだから』と言ってしまった


トーリービーアー♪ トーリービーアー♪   トーリービーア〜♪


169名無し@チャチャチャ:2009/10/15(木) 14:08:56 ID:D2ftLKWX
男子の話題で悪いがもっと傑作なトリビアを行くわよ〜

1980年前後に日本男子の代表だった田中と岩田と花輪に山田の公式記録の身長が、1980年のモスクワ五輪を境に、それぞれ2−3センチ程度小さくなっている


田中幹康195→193
岩田 稔197→195
花輪晴彦192→190
山田修司190→187

            トーリービーアー♪


170名無し@チャチャチャ:2009/10/15(木) 14:37:05 ID:EcxJG3D3
どーでもいいゴミ話ばっかw
171名無し@チャチャチャ:2009/10/15(木) 15:33:55 ID:D2ftLKWX
知らなかったくせにw
あの時、伊坂っていたでしょ
サントリーの選手にいた?
いたんですよね
彼も203がそれまでの公式記録だったんだけれどこれも201になっとるし
セッターやってた松倉というのも176から174になってる
松尾と青山は190が189だし岩月も花輪と同じく192から190になってた
あだしは昔のミュンヘンの頃からこういうのがありそうだ、と観ていて薄々感じていたから
あーやっぱり!という感じで何も驚きはしなかったのだが、数年前にこのデータをある人間に
教えたら、かなりびっくりしていたよ。
まぁそいつは、ミュンヘン大会の日本男子は、平均身長190オーバーで世界一の高さだったので日本が優勝
したんだ、なんてだっさい自論をあだしの前で披瀝したからだと思うんだがね
wwww
しまいには、そのデータを知らなかったなんてしょんぼりしてたからこのトリビアはそれ以来やめてたんだよ。
もう彼もここにいないと思って久々にやったわけだ。
今の若い子がこれを見たら
・当時は日本もかなり適当やっていたんだなぁ〜とか思うのかしらね
・そんなのに最近まで騙されてたのがいたんだぁ〜めでたい人だなって、
思うのかしら?
どうでもいいけど、楽しいでしょ、こういうの。

女子にもあったね、次でやるね

172名無し@チャチャチャ:2009/10/15(木) 15:51:53 ID:D2ftLKWX
明日以降にやるのよ
今日は疲れたしこれから入れ歯を直しに歯医者へ行くから
今日はこれでおしまい。
173名無し@チャチャチャ:2009/10/15(木) 15:56:36 ID:EWutGOAf
45歳だかで入れ歯とはまた老けてるな
174名無し@チャチャチャ:2009/10/15(木) 16:06:02 ID:9JNgz8ay
他スレから昔話スレをたてろとか言われたから立てたのにみんな煽るなよ
このスレが荒れてあだしさんがこのスレからいなくなったらまた他のスレで昔話始めるんだぜ?
自演だろうがなんだろうがいいんだよ。ここはあだしさんや他の人が昔話をするためのスレだから
175名無し@チャチャチャ:2009/10/15(木) 17:01:06 ID:fgcjJCAd
>>174
ようあだしさん、必死だなw
あんた牽制書き込みを自演しても、やっぱ長いんだなwww
176名無し@チャチャチャ:2009/10/16(金) 10:33:15 ID:9WDfTz+n
45なんですよね、あだしは
あだしは子供の頃から虫歯の多い子供だったのね
で、ブリッジをしていた箇所が3年前のある日、焼肉を食ってたらボロってとれてしまい
その箇所だけ部分入れ歯になったのです。
うーんこんなのとんでもないスレチじゃない
わかっていますよ、今日は女子のサバ読みをやるわね
72-76年頃に日立の選手に岡本真理子って人がいた
この人は76モンのときにビックの対角でレフトをやっていたんだけど
あんまりこの岡本という名前がこの板で登場することはないみたいだわね
だから登場させた、というわけでもないがスパイクフォームがたいへん美しい選手で
昔のバレー教本なんかの連続写真には良く載せられていた選手でしたね
この選手も72年の頃は身長が173とか174と公式記録として出ていたが76モンのときは175になっていた。
あとこの頃の選手では矢野という人がいた、この選手はユニチカの樹理と同期だったけどこの人も76モンまでは
173とか174だったのに76モン以降78世までは175になった。両者とも成長して伸びたのかしらね
ビックさんも72年でデビューしたときは180とか179だったが77WCでは182になった。
これとは逆だった子もいた。
高柳ってこれも日立の選手だったけど73年までは172が公式記録だったのに76以降は170になってる。縮んだのかしらw
生沼スミ江さんもそうだった。
この人は大きくなったり小さくなったりしていたわね
大会によって171だったり172になってたり173だったりした
んで、引退して解説者をやってた頃の82年のときにはこんな事を言ってた事があった。
バレーをやめたら背が縮んだみたいで今は170くらいしかないです、と。wwww
中田の同期だった、宮島さんや大谷さんもそうだったわね
宮島は大会によって177だったり178だったりで大谷も177だったり178だったり179になってたりした。
広瀬という選手も169〜171までまちまちだった。
174でずっと変わらなかったのは樹理くらいだった


177名無し@チャチャチャ:2009/10/16(金) 10:51:13 ID:+zSp8pOD
何度も同じネタばかり、しかもつまらんネタばかり。
アスペルガーは空気を読めないらしいがまさにその症状が当てはまる。
他人とのコミュニケーションが取れず、
自分が興味あることだけを繰り返すそうだ、まさにあだしはアスペルガーそのもの。
178名無し@チャチャチャ:2009/10/16(金) 11:27:34 ID:9WDfTz+n
81WC直前に当時のセッターをしていた小川を取材したフジテレビの番組で
ある記者が小川に対して
身長は何センチですか?、と訊ねたら
小川は、『160センチです』と答えたが、
81WC大会のプログラムには162と出ていたしwww
その前の時代にセッターをやっていた日立の松田も現役のときには169が公式記録だったが
引退してから出した自叙伝には、
『身長は学生のときに167.5で止まったまんまでその後は伸びていない』
とあったし


きっと全日本での身長の正しい計測の仕方は、靴を履いて測るのでしょうね
で、選手もぬいで測るのが正しいのではないのか、とぬぐ選手がいたりしなかったり
でこうなっているのではないのか、とあだしは推測したんですぞ

けど田中のミキティーは76モンで大古らと一緒にプレーしたけど
背の順で選手が整列するときは194の大古よりも背の高い方に並んでいた気がする
ということは、もしもミキティーの身長が193で正しいとすれば、大古は194もなかった
ということにならんのか。
ならば、ミュンヘン大会の男子の身長の公式記録はサバ読み記録ではなかったのか
という仮説も立てられる。

この話題はどうやら不人気みたいだったわねwww
新しいの用意してるから安心してくんなまし
山田先生が、1980年のモスクワ大会の直前に、出場参加チームの分析をした予想を
書いてるわけですよ、まだ日本の不参加やアメリカ中国の不参加が確定する前に書いた手記
これをやろうと、あだしは思ってる。
そのまま、でね。
月バレ1980年の5月の臨時増刊号 80新全日本の顔700円
という雑誌からね、 お楽しみに〜
 
179名無し@チャチャチャ:2009/10/16(金) 13:24:56 ID:bTghQBbF
大昔の話題ばっかりでつまらない。
あだしさんがバレーを見なくなったソウル五輪以降も面白い試合がいっぱいありましたわよ。
180名無し@チャチャチャ:2009/10/16(金) 13:42:27 ID:9WDfTz+n
大昔からバレーを観ていたあだしが、
1980年までが、面白かったと思っているんだから
その時代が面白いんだよ。
>>179は、1980年以前のバレーをどのくらい知っているんだよ
知らないで、そういった事を言っているだけなんじゃないのか
あだしは、日本が弱くなった時代のバレーは大嫌い
あだしは、世間が日本バレーは
永遠に強いんだ、みたいに浮かれていたのが今も許せない。
1977年頃のことかしらね
だってあだしは、そんなことにはならないわって1974年のメキシコ世界選手権の頃に思っていたんだから
当時あだしは小学校の5年生だったのかしら
今に中国やアメリカにあっさり日本はやられてしまうのでしょうね、と。


だって
181名無し@チャチャチャ:2009/10/16(金) 13:47:16 ID:9WDfTz+n
そうでしょ、そうだもの

で、ほらね、だったもの

先生の手記はものすごく長いわけなんですね、1980年当時は、月バレはB5判だったんだけど
増刊号だったためか、A4判なんですよ。で、丸々6ページもある
なので本文は来週の月曜から
今日はこのあとにもくじだけ書いておわりにしますね

ということで。。。。
182名無し@チャチャチャ:2009/10/16(金) 14:55:43 ID:bTghQBbF
>>179は、1980年以前のバレーをどのくらい知っているんだよ

そんなものあなたみたいな年寄りにしかわからないですよw
183名無し@チャチャチャ:2009/10/16(金) 16:42:12 ID:9WDfTz+n
では行くわね、お待たせいたしました
ジャジャジャ〜ン!!

GO!!モスクワ
全日本女子
金メダルの可能性は?

全日本女子はモスクワで金メダルを取ることができるだろうか。躍進を続ける恐るべき
ライバル、中国、アメリカ、キューバとの力関係は・・・・。世界3冠監督の山田重雄氏(前全日本監督)に、
小島全日本のモスクワでの可能性を語ってもらった。メダルへの願いを込めて・・・・。

小島全日本に期待する ロスの切符を取ってください!
小島監督が全日本を引き継いで1年半。
その間、アジア大会で優勝、プレ・オリでも優勝、そして1昨年、昨年、ことしと8回にもわたる海外遠征を経験したこのチームは、
セッター小川を軸にエース横山、補助に水原と、ユニチカ勢が中心で、しかもそのユニチカは第13回日本リーグで優勝しています。そこに
江上、川又、清水、吉永らを加えて、少々のことでは崩れない、レシーブをがっちり固めたチームができあがりつつあり、小島監督としても、
すでに相当な自信をお持ちではないかと思います。
また、小島監督自身、四天王寺高校時代に数多くの全国制覇を遂げ、70世界選手権、72ミュンヘン・オリンピックなどビックイベントの監督経験も豊富。
このキャリア豊かなベテラン監督に、私事がいまさら言うべきことはありません。小島監督はひじょうに楽天的でユーモアがわかる人。大試合には強く、持ち前の
ユーモアで選手を緊張から解きはなし、必ず好結果をもたらしてくれることでしょう。
強いて申し上げるならば、もうそろそろ深酒を慎んで、タバコも一日ピース一箱くらいに減らして、体調を万全に整えて、日本のために戦って欲しいと願うだけ。
金メダル−明るいニュースです。今、世の中は随分暗い。政治家がラスベガスで大博打をやった、物価はあがる、大学生の不正入学、イラン問題、アフガン問題、
オリンピックボイコット・・・・。そんな暗いニュースの続くとき、ぜひオリンピックで勝って、私たち日本国民に明るさを与えてほしいと思うのです。

つづく
184名無し@チャチャチャ:2009/10/16(金) 16:54:54 ID:9WDfTz+n
日本の金メダルは、大会ごとに少なくなっています。特に女性スポーツでは、もう世界一になれるのはバレーボールくらいしかないのです。
がんばってください!!
●ロスまでが、苦しい日本の女子バレー
●拾うバレーを徹底的に!


日本の金メダルの可能性は?
予選ゾーンを抜ければ取れる!
●自信に裏付けられた海外強化方式
●すべてをさらけ出す?アメリカ、中国
●ミュンヘンのくやしさが生きる!
●日本が中国に負ける要素はない!?
持久戦に持ち込みたいアメリカ戦
●天狗のキューバは恐るるに足らず!


と来週から続きます 
185名無し@チャチャチャ:2009/10/19(月) 10:17:16 ID:1hud92Dd
●ロスまでが苦しい日本の女子バレー
もうひとつ、日本の女子バレーの台所事情からいっても、ぜひ勝ってほしいと思います。期待というよりも願望です。
小島全日本監督は今が年齢的にもキャリアからいっても萬を持したチームです。かたやソ連やアメリカ、中国は体が
大きいうえにまだ若い。恐らく、モスクワでやめる選手は少なく、4年後のロスへ向かって進むでしょう。特に中国は
ロスに焦点をあわせていると断言してもいいと思います。つまり諸外国はますます強くなるわけです。
是が非でも小島監督に金メダルを取ってもらって、ロスの切符(出場権)を日本女子バレーのために持って来て
いただきたいと思っております。
過日、松平専務理事から『モスクワ後の強化のために、この秋、全日本女子の若手チームを作って東南アジア遠征でも計画したら
どうか』という話が、強化本部員の私にありました。そこで、現在の13名以外に、各チームから若手を拾ってみましたが、正直いって
海外遠征させるだけの技術、体力、精神力を持った選手はほんの1人か2人しかいません。男子も先のソ連対抗でゼロ敗を喫しましたが、
女子も同様、モスクワ後はお寒いかぎりなのです。
今の若手たちで、アジア予選や世界の最終予選に出るようなハメにでもなれば、とうてい太刀打ちできません。だからこそ、小島全日本に
ふんばっていただいて、なんとか切符を手にしてほしいのです。去る3月から4月にかけて、高校の選抜強化合宿が行われましたが、この中に、
すばらしい選手がおおぜいいます。この選手たちが順調に成長すれば、ロス後はなんとかなります。また、てまえごとですが、私の下には
全国から選んだ20名の中学生がいます。中学の強化合宿もスタートしました。男子同様、ロスまでが最も苦しい時期、時間がほしいわけです。
ロスの切符さえあれば、そのあとはこの高校生や中学生が日本の伝統を引き継いで
がんばれる見通しがあります。プレ・オリンピックのあの勢い、そしてベテラン小島監督の采配があれば金メダルは可能です。勝手な事をいってしまい
ましたが、こんなことも心の片隅に置いて戦ってください。
186名無し@チャチャチャ:2009/10/19(月) 13:53:53 ID:1hud92Dd
●拾うバレーを徹底的に
金メダルを取るために、残された期間に何をなすべきかー。これまた私ごときが言うまでもなく、また、だれが考えたって
決まっています。小島バレーは拾うバレー。これがキャッチフレーズであり、ご本人も周りもこれしかないと知っています。
やはり最も得意とするところをじっくりやっていくしかありません。ゲームが近づくと、あれやこれやと監督は眠れぬ夜を過ごし
ます。そして、あれも足りないと思うものですが、あれもこれもと中途半端な練習のまま本番に向かうと、それが選手の不安に繋がり
アガってしまうもとにもなります。やはり守備。守備を徹底的に鍛えることが勝利への活路だと信じます。ミュンヘンオリンピック決勝
第5セットの13点目、飯田(高子)がサーブをダブッて、それが致命傷になりました。緊迫したオリンピックの決勝では、1本のミスが命取り
になります。日ごろから殺気立った雰囲気の中で練習、いつもオリンピックの決勝のつもりで練習することが、ミスをなくす道だと思います。
そうすれば 火事場のバカ力 がふだんの力にもなるわけです。

187名無し@チャチャチャ:2009/10/19(月) 15:22:34 ID:1hud92Dd
予選ゾーンを抜ければ取れる
ボイコット問題はさておき、アメリカも中国も参加するとしましょう。
まず、はっきりいえるのは、予選Aゾーンからはキューバとソ連が出てくる事。
これは100%確実です。
一方のBゾーンは日本、アメリカ、中国の激突。これも100%確実といえるでしょう。
問題は、この予選ゾーンをどう勝ち抜くかー。実力伯仲となると、あとは小島、袁、
セリンジャー3監督の争いではないかと思います。監督同士の戦略の立て方、健康度、
選手掌握の程度、過去のキャリア、今までどんな練習をどんな雰囲気の中でやってきたか
ー要するに、これまでの過程でどれだけの努力をしてきたか、ということです。
ここに予選突破のカギがあると思っています。
そこで、最近の3者の動きを追ってみましょう。
188名無し@チャチャチャ:2009/10/19(月) 16:20:56 ID:1hud92Dd
●自信に裏づけられた海外強化方式
小島全日本は、日本リーグ終了後、4〜5日の合宿でキューバに飛び、そして4連敗しました。しかし、キューバからの
江上やマネージャーの方の手紙では、『負けたけれど惜敗だった。いい方はおかしいが、負けて自信を深めた。あのキューバなら
勝てると監督以下全員が信じている』という便りでした。ただしこのキューバ遠征では、アクシデントもあったようです。三屋が右足首を
脱臼したとか、横山が左手首を痛めてギプスをはめたとか・・・・。そして次のペルーに着くと、今度は半数近い選手が悪性の下痢で、倒れ、
最後のオーストラリアの10日間しかみっちり練習を積むことはできなかったようです。
小島監督は昨年もそうでしたが、ことしも国内での合宿はどういうわけかゼロに近く、強化合宿はほとんど海外で行っています。この方法は
男女を通じて今までにはない新しい試みです。そういった意味で、この海外強化合宿の成果には注目したいと思っています。
それはともかく、この中南米・オーストラリア遠征のあと、都市対抗のために選手を各チームに返し、大会終了後、すぐにまた集めて、その初日に
アメリカと対戦する・・・・このあたりは、ずいぶん大きなかけだと思います。しかも、その翌々日には南京大会に向けて中国に出発、敵地で日本、アメリカ、中国の
対戦を行っています。私はこの激しい戦いを見るにつけ、小島監督が自分のチームに絶対的な自信を持っていなければ消化できないスケジュールだと感心しております。
やはり、小川、横山、水原が全日本の軸であるために、あえて思い切った方法をとることができるのでしょう。
もちろん本番を考えた場合、チームに不安がないわけでもありません。強いて探せば、第1に小川のワンセッター。
もしも、小川がネンザでもしたら控えにはブランクが長かった古橋しかいません。
これは危険です。そしてもうひとつは、三屋です。あのすばらしいジャンプ力、
ブロックNo.1の三屋の復調度。一刻も早く回復してほしいと思います。

189名無し@チャチャチャ:2009/10/19(月) 22:51:12 ID:UjgePMd1
あの頃はよかったと言えば、あの頃はブルマーだったからよかったというこ
とにつきるよね。(^-^)
190名無し@チャチャチャ:2009/10/20(火) 10:52:04 ID:jgBEt95K
>>189
もう少しつづきます。

●すべてをさらけ出す?アメリカ、中国
アメリカはこの3年間、コロラドスプリングスという、2,000メートルの高地で合宿を重ねてきました。選手村の部屋にはテレビや電話はおろか、トイレも
シャワーもない。ガランとした中にベットが一つ置いてあるだけ。いわば刑務所の中のようにハングリーな生活、苦しい強化合宿を3年間続けてきました。
昨年私が訪れたとき、こんなことがありました。クリスマス休暇をどう取るかということで大論争をやっていたのです。そのとき、セリンジャー監督の奥さんが
やって来て、選手を前に次のような大演説をぶったそうです。
『私の夫は3年間も家庭を捨ててアメリカチームの強化に努めてきました。もう家庭は破綻寸前です。それでも私は金メダルのために我慢して、寂しさに耐えてきました。
私のほんとうのクリスマスプレゼントは、モスクワの金メダルです。そのためには私は休暇がなくてもいい、クリスマスの夜をひとりで過ごしてもいい。だから、ぜひ金メダル
を取ってほしい。選手の皆さんも練習してほしい』
選手はこれを聞いて、みんな声をあげて泣いたそうです。それでも、ヤンキー娘たちは休暇はちゃんと取りました。しかし、この休暇が明けた1月3日からは再びあの選手村で鍛えられ
2月末には、ソ連と対戦しております。そして、オリンピック前には西ドイツでキャンプを張って、体調を整えるためにモスクワとのあいだを何回も飛行機で往復しながら備える計画を
立てていたそうです。それが今、オリンピックの出場にブレーキをかけられています。そんな社会状況の中で都市対抗に出て、そして南京大会に向かったわけです。
『オリンピックに出られない』−チーム全員が1つのアクシデントに苦しんでいる。モスクワオリンピックに振り上げたこぶしは恐らく都市対抗、南京大会に振り下ろされるでしょう。
惜しげもなく、すべてをさらけ出してしまうでしょう。小島監督は、たぶんこのあたりをポイントと考えていると思います。





191名無し@チャチャチャ:2009/10/20(火) 11:04:06 ID:jgBEt95K
上記>>190からの続き

アメリカがすべてを出しつくすのを待っているのではないでしょうか。小島監督の目を持ってすれば、このアメリカを
見ることによって新たな作戦が生まれてくると思います。南京大会でアメリカ、中国を見て、小嶋監督のいうところの最後の50日間
ラストスパートで対アメリカ、対中国作戦を選手に植え付けていく・・・・。ベテラン監督でなければやれないワザ、腕の見せどころだと
思います。また、中国は昨年のアジア選手権で初優勝しました。そして、オリンピックの2ヶ月前に日本とアメリカを迎え撃ってこれをたたき
自信を深めて一気にモスクワへ・・・・激しく厳しい階段を昇りつめようと考えていることでしょう。
192名無し@チャチャチャ:2009/10/20(火) 12:44:46 ID:jgBEt95K
●ミュンヘンのくやしさが生きる!
最後の50日間の短期決戦にかける小島全日本。国内にライバルを呼び込んでたたき、一気にモスクワへなだれこもうとする
中国。日本、中国と武者修行の旅を続けるアメリカ。それぞれが、虎視たんたんと金メダルをねらっているわけです。しかし、
私は小島監督を信じています。ミュンヘンで采配をふるった経験、残念ながら2位だった・・・・。この負けたくやしさを持った
人は強いと思います。くやしさが大きければ大きいほど、大勝負には強いものです。私はメキシコで負けて、なんとかして金メダルを
取りたいと願い、苦節8年、努力してモントリオールで金メダルを取ることができました。ミュンヘンから数えてちょうど8年目。
小島監督にもモスクワの地で金メダルを取るチャンスが出てきたわけです。
日本の女子バレーには、優勝以外は負けという十字架があります。これには私も小島さんも見に染みています。
がんばってほしいと思います。ともかくこの予選ゾーンを抜け出す事が出来れば、もうしめたもの。その勢いで突っ走れば、決勝ラウンドでは
敵無しの戦いも可能だと信じています。



193名無し@チャチャチャ:2009/10/20(火) 13:12:09 ID:jgBEt95K
>>192からの続き

もう少し具体的に考えてみましょう。私はどんな相手でも、戦うときはあらかじめ計算します。バレーボールの技術はトス、サーブ、サーブレシーブ、
アタック、ブロック、レシーブ等の部門がありますが、各部門別に自チームと対戦相手の代表的な選手を選んで頭の中で勝負させます。そして、半数以上の
部門で自チームの代表が勝っていれば、ゲームはまず勝てると思っています。ただし、その代表というのは、その部門ではだれもが認める選手でなければなりません。
だから、日本一になるためには日本一の資質を持った者でなければダメです。
モントリオールのセッター松田、これは世界一です。
スパイクは白井、これも世界一です。コンディションなどというのは二の次で、やはりバレー選手は技術を持たなければダメなのです。例えばこんなこともあります。
味方は90点のレシーブ力の選手1人と50点の選手が5人。相手は6人とも70点。平均点では相手が上ですが、ゲームになると味方の勝ちです。90点の自信のあるプレーにひっぱられて
50点の選手がそれ以上のプレーをするからです。これは、レシーブだけでなく、他の部門でも同じです。
幸い、小島全日本にはセッターに小川、エースに横山、補助に水原、サーブと速攻に江上、ブロックに三屋と、どのチームと対戦しても見劣りしない一流選手がそろっています。
あとはベテラン監督の采配に任せておけばいいのです。
194名無し@チャチャチャ:2009/10/20(火) 15:06:24 ID:jgBEt95K
●日本が中国に負ける要素はない!?
対戦カード別に考えてみましょう。まず、日本対中国。小島監督になってから、公式戦の戦積は1勝1敗です。
中国の泣き所は海外遠征に不慣れなこと。香港は別にして、海外で力を出したためしがありません。恐らく、中華料理
じゃないと力が出ないのでしょう。モスクワではたいへん苦労するはずです。もう一つ、袁監督が郎平に期待しすぎるのでは
ないかということに多少の不安があります。控えに回ってしまった楊希を代表とする不満・・・・。チームワークをとるうえでむずかしい
問題です。具体的な分析をしてみます。まず小島監督と袁監督。キャリアにおいてはるかに小島監督が上で日本の勝ち。次にキャプテン。
横山は、小島監督の秘蔵っ子で大事に育てられた選手。一方の曹慧英は軍人で、半月板手術からカムバックした根性の持ち主です。精神的な強さで
曹に軍配があがりそうです。セッターは小川と孫晋芳。孫は左利きで大型。しかし、トスの球質が重く、また自分が打てることが災いして、しばしば
チームのリズムを崩します。ていねいさにも欠けます。一方の小川は小さくともジャンプトスを多用してカバー。下半身がしっかりしているので動きが速く、
トスにリズムがあります。それに人間的にもしっかりしていて、セッターとして広い視野を持っているだけでなく、ゲームメーカーという感じです。素人目には
孫のほうがすばらしく見えるかも知れませんが、もうこれは圧倒的に小川の勝ち。エースは横山と郎平。監督の秘蔵っ子どうしの戦いです。こういう選手は大勝負
でばかを出すか、それともシャットアウトをくらってシュンとするか、どっちかでしょう。最後は両エースの精神力の勝負ですが、意外に早くどちらかがギブアップ
する可能性もあるわけです。高さの郎平、パワーとうまさの横山。まず五分五分と見るべきでしょうか。センターは江上と周暁蘭、または183の陳亜涼。これはすべてに
おいて江上が上です。これだけ比較しても3-1(1引き分け)で日本の勝ちです。おまけにレシーブでは、全員、断然日本が上ですし、サーブでは江上、ブロックでも三屋がいて
ヒケをとりません。こうしてみると日本が中国に負ける要素はないのです。3-1で日本が勝ちと見ます。
195名無し@チャチャチャ:2009/10/20(火) 16:32:31 ID:jgBEt95K
ここまででやっと7割という感じなのでなんとか明日までに終わりにしますからね
しっかし山田監督って当時としてもかなり時代遅れな事を言っていたね。

中国は中華料理を食べられない場所では、力が出せないからモスクワでは苦労することだろう、だなんて。
更に小川のが孫よりも上、素人目からは逆に見えるだろうが、だって。

中国はすでに77WCの予選でそのとき優勝した日本に3-1で勝っていたし、どう考えても孫の方が小川よりも上で
あったとあだしは思うな。
まぁこんな事を言っても許されたのは3冠監督という実績があったからなんだろうが、このあだしは当時からまたばか言ってる
と思ってたよ。
こんな事を書いてそれを信じるのなんてマスコミに洗脳された一部の素人のバレヲタだけだろうなってwwww ね。
196名無し@チャチャチャ:2009/10/20(火) 22:49:01 ID:dDaoh63Z
あの頃は、良かったの究極は、東洋の魔女の話になってしまいそうだ。(^^:
197名無し@チャチャチャ:2009/10/21(水) 09:20:23 ID:U4s21wBs
>>196
そうですね、その通り。
1980年頃なんて全然良くなかった
本日も山田監督の残りの手記を続けますが、その前にこのあだしっからコーヒーブレイク
として豆知識を
>>190で書いた『都市対抗』と『南京大会』の結果です
都市対抗では、特別参加枠としてコロラドスプリングス・シティー(アメリカナショナルチーム)ですね、が参加しユニチカ(これもほぼ全日本と言ってよい)
を3-0で破り優勝した。この後、全日本とアメリカナショナルチームが日本で2試合行い、これも
アメリカの2勝。その後、日本とアメリカチームは南京大会に行き、この大会では日本がアメリカを3-2で叩き勝ったものの決勝では中国に0-3で負け中国が優勝、
日本は2位でした。その後、南京で中国ナショナルチームと全日本は親善試合を2試合しましたが、どちらも0-3で日本は負けてしまい、モスクワ大会直前の前哨戦では
日本はアメリカに対して3勝1敗で中国には0勝3敗という成績でした。

引き続き
●持久戦に持ち込みたいアメリカ戦
●天狗のキューバ恐るるに足らず!
をお送りいたします。
198名無し@チャチャチャ:2009/10/21(水) 09:51:13 ID:p1yxYPWy
アスペルガーの症例


自分の関心がある分野について長々と話してしまい、
他人がその話題に興味がなくそういう雰囲気になってもそれに気付くことができない。


ご愁傷様。
199名無し@チャチャチャ:2009/10/21(水) 10:43:56 ID:U4s21wBs
●持久戦に持ち込みたいアメリカ戦
次にアメリカとの対戦です。日本にとってはこのアメリカのほうが強敵だと思います。なんといっても高い打点からの
スパイクが日本の守備をかく乱します。国内の大会ならフェイントが落ちる位置に鋭角にスパイクが飛んでくるからです。
しかし、この攻撃に耐えてフルセットに持ち込めば、もう日本のものです。なぜならエースのハイマンが強度の貧血症ですし
対角のドゥデルも腰に古傷を持ち、疲れが早くきます。思いおこせば、78年5月、白井、松田が引退して、わずか1ヶ月半でチーム
作りをして世界選手権に臨んだとき、予選の第1戦がアメリカでした。このとき、私たちは練習ゲームではアメリカにコテンパンに叩かれ
ましたが、じっと我慢をして、スパイクコースを徹底的に研究しました。そして本番では、耐えに耐えて5セット目を向かえ、そこで大逆転をして
勝ったのです。あの当時の1ヵ月半の即席チームに比べれば、小島全日本は1年半の歳月を費やしています。チーム力は少なくとも30%はアップしています。
前半はブロックの上から打たれるかも知れませんが、それも10本のうち2〜3本でしょう。それは捨てて残りの7〜8本を拾いに拾って我慢すれば、後半に勝負を
持ち込む事ができます。あとは根性の戦いだと思います。もちろん、そんなことは小島監督は先刻承知のはずですが・・・・。


>>197で訂正です。
日本はアメリカに対して1勝3敗 でしたね。

200名無し@チャチャチャ:2009/10/21(水) 12:02:56 ID:U4s21wBs
●天狗のキューバ恐るるに足らず!
決勝ラウンドに進むと相手はキューバかソ連です。ソ連は地元で必死に巻き返しを図ってくるでしょうし、
負けても負けてもウラロチカ主体を貫くカルポリ監督の鉄の意志には不気味さを感じさせます。しかし、どう
考えてもあのチームはキューバやアメリカのようなコワさはありません。この5月の日ソ戦を見ないとなんとも
いえませんが、やはり最大の敵はキューバだと見ています。さて、そのキューバですが、世界選手権優勝以来、あまり
芳しい噂を聞きません。監督も選手もすっかり天狗になっている、という声さえあります。確かに、最近は日本へ来ても
以前のようにひたむきに日本バレーを学ぼうという姿勢は見受けられません。昨年のプレ・オリンピックにはヘオルヘ監督も、
エースのペレスとポマレスも参加しませんでした。聞けば、カストロの夕食会と重なったためとか・・・。おまけに、ペレスが5回目の
結婚に走ったとか、バルネットが出産したとか・・・・忙しいことです。
また、キューバはナショナルチームを4つにわけて強化してきたそうですが、その意味もよくわかりません。選手層を厚くしょうとしているので
しょうか・・・。それにしてもオリンピックまでわずか2年間しかないとなれば、1つにまとめて強化するのが本筋でしょう。ここいらあたりは余裕なのか
慢心なのか、とにかくチーム力に対する過信が感じられます。金メダルを取って英雄気取り、1人相撲を取っている感じの今のキューバは、日本にとって
戦いやすいかも知れません。
バレー選手は頭がよくないと大成しないと言われています。その点日本選手はみんな聡明ですが、キューバはそのほうはどうもいただけません。非常に単純で
作戦を立て易いのがキューバです。77WCのときも、食事時間や練習時間のズレですぐカッカして、いざゲームになるとメロメロということがありました。もちろん、
もてる力には恐れるべきものがありますが、スタートから拾って拾って拾いまくれば、必ず勝機が訪れると思っています。小島監督なら、なんとでも料理できる相手です。
下記につづく
201名無し@チャチャチャ:2009/10/21(水) 12:10:05 ID:U4s21wBs
>>200からのつづき

とにかく日本としては、予選ゾーンを抜け出ることに全力を尽くすこと。決勝ラウンドに入りさえすれば、もう金メダルは
確実だと私は考えています。最後に小島全日本にもう1度、声援を送りましょう。

  『がんばれ! 全日本。金メダルは頼んだぞ!!』


             完

                (1980年4月18日・談)

202名無し@チャチャチャ:2009/10/21(水) 13:08:13 ID:U4s21wBs
では全日本の監督だった小島さんはこのときどんなことを考えていたのか?
知りたい、ですね????
それはまた明日以降にあだしがまたやっちゃうからね
今日はまた、その予告として目次を下記に書きますから

●ヨコのつながりは遠征最大の収穫
●拾うためには腰を低くして走ること
●だれをはずすか教えてほしいぐらい
●キューバ・ソ連が相手なら絶対勝つ

        お楽しみに

急に人がいなくなったけどどうしたのかしら、ここは自由参加の場所なんだから遠慮しないで
どんどん参加してくださいましね。
ってここのスレ主はあだしではないんだけれど
そうですよね、スレ主さん!!
あだしの手と頭からどんどん古ネタが繰り出されるわけなのねwwww
ロスでもソウルでもどんどん話題を出したらいいのに
そんなのをやりたい、みたいなお人が少し前にはいはずなのに、どうしたのかしら
203名無し@チャチャチャ:2009/10/21(水) 14:31:14 ID:CL0Dy+TF
オリンピックに出場するのが目標じゃなくてメダルを取るのが必須だったからなぁ。
204名無し@チャチャチャ:2009/10/21(水) 14:52:15 ID:U4s21wBs
70年代までは日本は五輪も世界選手権やWCではいつも1位か2位だったし
アジアの中ではライバルと呼べるティームは韓国くらいしかいなくて無敵
だったからね。79アジアで中国の郎平が登場してから現在みたいになってしまった。
丁度その頃時同じくアメリカにハイマンとクロケットが現れた。これで完全に変わったね、
世界のバレーが。その少し前に、キューバが強くなっていたのもあるね。
キューバが日本やソ連を叩いた、と世界が知るや否や
私らももう少し頑張れば、とどんどん80年代になると台頭してきた国が多くなっていった。
それが、ブラジルやペルーやイタリアだったのではないかとあだしは思ったね。
山田監督が上で、キューバは日本からバレーを学ぼうとする姿勢がなくなっている、と書いて
るが、これほんまに阿保みたいだ。だって77年頃からはキューバのが日本よりも強くなってきていたからね。
日本のバレーを学ぶ必要はなかったということなんですよ。
日本がキューバから教えてもらわなくてはならなくなっていた、ということ。
なんで、下の者から教えを乞う必要があるんだいって感じですよ、あだし流に言わしめれば
あと、この少し前の頃の事、日本が強い事をいい事に、他国に沢山の指導者を派遣していたのも良くなかったね。
アメリカ女子にも日立でコーチをやっていた吉田さんとその妻の元メダリストの高柳さんがバレーを教えに行っていた。
205名無し@チャチャチャ:2009/10/21(水) 16:08:49 ID:U4s21wBs

いつまでも日本女子のバレーは強いんだと天狗になっていたのは山田本人だったということ
www
このモスクワ大会では優勝したのはソ連でしたが、キューバはなぜか、というか前評判ほど
強くはなくて結局は、準決勝にも進めず5位だった。まぁここは山田氏の予想が当たったとも言えるが
ww2つくらいか、ダブリューは。
しかしこの大会は中国アメリカ日本がボイコットになってしまったのでヨーロッパ選手権みたいな大会
だった。もしも、中国米国日本が参加していたなら日本が決勝に進めただろうか、とあだしはこの大会を
振り返り考えるといつも思うわけであります。
予選リーグで中国にもアメリカにも負けてしまい、キューバと4-5位争いの試合をしていたのかな、と。w
それともあの無敵のキューバでも崩れてしまったので国際大会の経験が乏しいアメリカもキューバと
同じようになってしまい崩れて準決勝に進んだのは中国と日本だったろうか
そうなると日本は中国に前哨戦で1度も勝てなかったことから日本2位通過の中国1位通過になりそうだ。
となるとこの後どうなるのだろうか?
206名無し@チャチャチャ:2009/10/21(水) 22:26:26 ID:/Vp2OuHq
ブログやんないの?長文勿体ない
207名無し@チャチャチャ:2009/10/22(木) 09:45:24 ID:YOnmqYsK
>>206
やりません!キッパリ

モスクワ大会の最終順位は、
1ソ連.2東独.3ブルガリア.4ハンガリー.5キューバ.6ペルー.7ブラジル.8ルーマニアだった。
つまり準決勝に進んだのは、上位4ヶ国で決勝はソ連と東独だったということになる。東独とソ連は予選ゾーンが
一緒のグループでしたから、もしも日本と中国が予選で、1.2位通過したとなると日本はソ連と東独には恐らく勝つ事ができたであろうから
どちらと当たっても準決勝はクリアーできこの大会では日本は金か銀であったろう。当時の日本にとって一番の敵は中国であったが中国はなぜか、ソ連には
苦手意識があったように思うので中国がもしも準決勝でソ連とやっていたらソ連が勝ったのではないかとあだしは思ったりもしたけどね。そしたら日本は決勝で
ソ連をやっつけて優勝したように思うが、もし中国が決勝の相手だったらこれは負けで日本は銀メダルだったろう。準決勝進出が日本とアメリカというケースも考え
られましたね。中国とアメリカというケースも。
まぁこのチームのすべてが不参加だったのでどうなったのかは本当のところはだれにもわからない、という結論になるのだがwしかし、当時モスクワ大会に日本が出ていれば
優勝は間違いなしだったという人がとても多かったが、日本が出場したとなると当然アメリカも出る事になった。とすれば優勝は間違いなしだったとは言い切れないといつもあだしは
思っていたね。上記に書いた8チームの参加ならば日本は間違いなく優勝だったという事は念の為に。

しかし日本は78年に松田や白井や前田そしてその後矢野金坂吉田らが引退し、中国には郎平や陳が入って来てここの79年から80年あたりで力関係が逆転してしまいましたね
白井や松田らがそのまま残っていたとしてもこれは同じだったと思うが。あと、山田監督と小島監督がしっくり行ってなくて全日本の選手を選ぶときにいつもゴタゴタしていま
した。矢野や吉田や松田は全日本を辞退してもそのまま日立ではプレーを続けているなどと
で、小島さんも実業団リーグの選手である日電の吉永やミュンヘンの代表の古橋(旧姓・塩川)を代表に選んだり
とまぁこんな感じでした。
208名無し@チャチャチャ:2009/10/22(木) 10:23:51 ID:lAiNafrZ
ブログでもやってそっちで引きこもってればいいのにね。
209名無し@チャチャチャ:2009/10/22(木) 10:48:48 ID:YOnmqYsK
山田監督は小島全日本に日立の優秀な選手を簡単に貸すもんか、ということろがあったし
小島監督はそっちがその気ならばこちらはお前さんの力なんか借りずにユニチカや東洋紡
やカネボウや富士そして大学生の中から選んで全日本を作り勝負したる、東京の日立のもやしっ子
なんかいらんわ、というスタンスだった。で、三屋さんを79アジアに選んだ。
江上は日立の選手でしたが、江上は別格で77WCのときから日本のセンターには絶対必要だ、という感じだったので
これに異論を唱える人はなく、江上は江上で試合に出ればいつもコンスタントに活躍していた。やっぱり石川や清水
なんかとは違い、高いレベルのプレーをいつも見せてくれていた。
しかしいつも山田VS小島だったので山田監督のときには樹理や小川が、そして小島さんのときには江上がやりずらかったのではなかったのか
三屋さんは、モスクワ大会のときは大学4年生であったがユニチカの広瀬とは同い年だったのでかなり仲がよかったらしく広瀬は翌年にはサイは
ユニチカへ来てくれると思っていたみたいだった。モスクワでサイがレギュラーで活躍し金メダルを取っていたら81年春にはサイは日立ではなくユニチカへ
入社したのではなかろうか、ともあだしは思ったね。となると、ロス前の日立の躍進もなかったかも知れん・・・・・。
210名無し@チャチャチャ:2009/10/22(木) 14:08:03 ID:YOnmqYsK

これだけは賭けて戦おうという心意気で金メダルを取る!!

●ヨコのつながりは遠征最大の収穫
VB(月バレ編集、以下同じ)最初に今回の遠征について簡単に振り返っていただきたいのですが、まずキューバから・・・。

小島 まぁ、わかりきったことだけどね、中途半端な高さでもって対抗しようというのはまったく無理だということ。つまり、
高さに神経を使うよりも現状の日本の持ち味をもっと充実化すべきだということがはっきり再確認できたね。

VB ということは・・・。

小島 だから、もう高望みせず、今のチームでいちばんのマイナス面を埋めていくということ。それは何かといえば、基礎技術の
未熟さだね。いまさら・・・・といわれるかもしれんが、結局、一発勝負になっていちばん大事なのはやっぱりそこなのだと痛切に感じたよ。

VB そのキューバで期待の三屋がケガ、そしてペルーでは下痢騒動とアクシデント続きでしたが・・・・。

小島 今回の遠征でいちばん鍛えたかった三屋がおらんのだから、これは痛かったね。それにペルーでは、人間はおるが練習はできん・・・。しかしね、
ただ集まってるだけじゃ意味がないんでね、技術的なマイナス面は精神面、人間性でカバーしていこうということだったんですわ。そういう意味では、
チームのヨコのつながりというのは非常に密になったと思ってる。

下記へつづく
211名無し@チャチャチャ:2009/10/22(木) 15:01:27 ID:YOnmqYsK
>>210のつづき
VBつまり、逆境からチームのまとまりが生まれてきたと・・・・。

小島 そういうこと、問題はそれですよ。いまさら個人がどうこうじゃなくて、もうチームですよ。チームのつながりです。
まぁオーストラリアへ入ったら、環境がすばらしいしね。正直いって、40日間の遠征のうち、正味やれたのはこの1週間
だけですわ。だけどね、つながりができたあとのそういう練習は、日数以上の効果があったと思っている。

212名無し@チャチャチャ:2009/10/22(木) 15:41:16 ID:YOnmqYsK
●拾うためには腰を低くして走ること

VB ところで、オリンピック問題が揺れ動いていますが、それはともかく、所定の期日に行われることを前提として、
そこまでの持っていきかたというのは?

小島 もう・・・・やっぱりなんやねぇ、4持間の練習を8持間くらいにもっていって、チームのスキ間をなくしていくことやろね。
昔の軍隊やないけども、出陣の前に1度家に帰って、次に集まるときは玉砕するまでいくと・・・。これからの合宿はもう、それと一緒
ですよ。選手たちも今度はそれくらいの覚悟をしてるやろ(笑)

VB具体的に、戦術・技術面での重点項目は?

小島 やっぱり・・第一は守備やね。一人ひとりの行動半径を広げること。とにかく高さでは勝負できんのやから・・・。
乞食みたいにはいつくばって、床上2cmで勝負するんやからね。それとコートサイド4m50cmずつは拾わんといかん。だから、
腰を低くすることと走ること−だれもがいやがるこの2つを徹底的にやれば、もっと拾う率はアップすると思う。
それともうひとつ、拾いまくるためには第1関門のブロックで絶対諦めてはいかん。前衛は『なんとかさわれ』バックは『どこまでも
走れ』ですわ。

下記へつづく
213名無し@チャチャチャ:2009/10/22(木) 15:54:22 ID:YOnmqYsK
VB攻撃についてはどうですか?

小島 攻撃はね、1回で決めるもんやなしに『3回までいけ』です。壁にぶつけていくうちに向こうが自然に
足元から崩れてくるような攻撃・・・・。ということは、こちらが崩れてはいかんわけで、『ボールを落とさない攻め方』
というのがモットーです。それに付け加えると、ブロックアウトの技術やね。向こうは日本ほど走らんからね、走れん
距離だけボールを飛ばせるようにしないと・・・・・。

VBいまさら新戦法はないと・・・・。

小島 ない。もう、チームです。泥臭いといわれても、それで固めていく。それしかない。あと何もない。

214名無し@チャチャチャ:2009/10/22(木) 15:56:33 ID:YOnmqYsK


つづきは明日また

215名無し@チャチャチャ:2009/10/23(金) 09:42:34 ID:eLQwveG6
●だれをはずすか教えてほしいぐらい

VBメンバーについては、まだ入れ替えはお考えですか?

小島 もう無理やろ。それに、今のチームは固まってきているからね。

VBとなると、不安点としてまず頭に浮かぶのは、万一小川がケガをした場合どうするかということあたりでは・・・。

小島 小川のスペアは古橋と、たてまえとしては、そういわなしょうない(笑)これは古橋がアカンということじゃなしに、
今は完全に小川のリズムのチームになってるからね。それと、古橋はやっぱり4年間のブランクが痛い。頭ではわかっていても
体の慣れがたらんから、それが本番までにどこまで解消できるかや。あと、江上もやらせてみたいけど、日立ではやれても全日本では
無理やね。うまい下手は別にして、本人もいまさらセッターをやろうという気にはならんやろ。

VBつまり小川が崩れたら万事急すだと・・・。

小島 やっぱりね・・・ホントに戦えるというのは8〜9人だけやからね。その中にセッターは1人ですよ。だからもう正直い
って、そうなると手の施しようがない。あとは一丸となってやるしかないですよ。無計画といわれるかも知れませんが、結局最後は
そうなってしまう・・・・。これは弁解やなくて予定のコースです。

VBあとのメンバーはどうですか。

小島 まず、ライトは川又と水原。サイド攻撃主体なら川又、センターでの移動攻撃中心なら水原。この2人がうまく
かみあえば心強い。それから、横山の対角は、シャープさを買えば奥嶋、四つに組んでいくなら安定感のある吉永。
レシーブもいいしね。だから両サイドはもう心配ないと思う。問題はセンターやね、やっぱり・・・。

下記につづく
216名無し@チャチャチャ:2009/10/23(金) 11:15:37 ID:eLQwveG6
VB三屋は果たして間に合うか、ということですかね。

小島 う〜ん、1人は江上で決まりやけれど。もう1人、アクシデントはあったけど、高さといったら三屋を
買うんですわ。ただ、今の全日本は速いバレーをやっているから、このブランクで、その速さについていけるか
どうか・・・・。だけどね、僕はね、他の5人が完璧にそろえば、これはもう絶対に間に合わせます。合わんもんでも
合わせます(笑)だから先発は三屋(笑)

VB控えはいますしね。

小島 そう、ブロックが抜かれてきたときには石川、とにかくボカンと打っていけというときは池知
そしてピンチにチームをまとめていくのが、清水。人間バレーやからね、清水は。それに、レシーバーの
広瀬・・・。だから適材適所、各パートでみんな全日本のために有益に働いているわけですよ。13人のうちだれを
はずしたらいいのか教えてほしいよ(笑)

VBで、結局、キャリアのある選手で固まってきたと・・・・。

小島 正直いってね、世界選手権でキューバに負けて、そこから『さぁ、大型化』というのでは、間に合わんかったですよ。
だけど各チームの協力でいろんな機会をとらえて若手を入れてやった。こいつらはね、次の大会には絶対働くと思うんですよ。
例えば、村田(日立)、真方(カネボウ)、西川、若生美(ユニチカ)、松尾(富士)ら・・・・。この都市対抗のあと、チャンスは
半年あるからね。それで出てこなかったヤツはやっぱりダメですよ。
結局ね、技術を要する、人のつながりを要するものは、新人では無理だったということ。
やはり、キャリアのある者が自然の流れに沿ってセレクトされてきた、というふうに感じています。そういう意味では強いよ。

下記につづく






217名無し@チャチャチャ:2009/10/23(金) 12:17:41 ID:eLQwveG6
VB粘り強いチームが実を結びつつあるというわけですね。

小島 問題はそこだと思う。戦術や技術的に新しいもの、新聞の見出しになるようなものはないけどもね、中からジワジワ
と充実してきた・・・・というのが今の全日本やと思う。

VBそれだけに簡単には崩れない・・・。

小島 僕はそう思っている。やられるとしても簡単にやられんよ。おかしないい方だけど、
やられんということは勝てるチャンスが多いということやからね。絶対的な強さとか華々しさ
というのはないけど、非常に粘りのある、負けを知らないようなチームができつつあるように思うな、
僕は。

218名無し@チャチャチャ:2009/10/23(金) 15:16:03 ID:eLQwveG6
●キューバ・ソ連が相手なら絶対勝つ

VB確か昨年のインタビューで、ライバルチームのランクづけとして、『1位にチャンピオンのキューバ、2位に地元のソ連
3位に次期開催のアメリカ、そして中国』というお話がありましたが、それから1年たってみて、いかがでしたか?もちろん、
全チームの参加を前提として、ですが・・・。

小島 そうやねぇ・・・・、やっぱり本番では、キャリアのある選手を擁するキューバがいちばんだろうね。だけど、ソ連も今度は
やると思う。あのプレ・オリンピックで負けたということが、逆にソ連が強くなる起爆剤を与えたんじゃないかと心配している(笑)
このソ連とピッタリと並んでいるのがアメリカ。で、やっぱり落ちるのは中国と見ているけどね・・・。

VBそこでまずキューバですが、遠征で4連敗したが、確かな手応えは掴んだと・・・。そして今度、6月にもう1度やることになりますが・・・。

小島 そうねぇ・・今度は勝ちたいことは勝ちたいけどね。ただ、全力で戦うのは1つか2つでいいと思う。あとはもう、じっくり
見たほうがいいんじゃないかな。もちろん弱気の面は全然ないよ。

VBチェックポイントとして、サーブ対策があげられると思うんですが・・・。

小島 うん、やっぱりキューバにだけは別のシフトを考えんといかんだろうね。

VBキューバ用のシフトとは?

小島 日本の場合はW型のシフトでしょう?それを全体的にワンステップかツーステップ下げたほうがいいと思う。つまり
バックについては自分の目の位置より高いボールはアウト、低いものだけ捕っていくという方法。

VB高さとスピードのある攻撃についてはどうですか?

小島 高さといっても鋭角に打ってくるからね。これはブロックでさわればなんとかなる。問題はスピードやけど、これは
日本がサーブレシーブを崩されてチャンスボールを返すから速い攻撃が返ってくるんであって、やっぱりこっちのサーブレシーブ
しだいですよ。

下記につづく
219名無し@チャチャチャ:2009/10/23(金) 15:37:01 ID:eLQwveG6
だから、攻撃はサーブよりも恐ろしくはない。これは、今回の遠征でも、選手たちははっきりわかったと思うね。
むしろ、こちらのサーブポイントのほうが多くならなくては・・・。そうすると、レシーブにも余裕ができる。

VB日ソ戦の戦い方は?

小島 これもキューバと同じで、真剣に戦わないかんのは1つやろね。あと1年ぶりやから最後の総チェックですわ。

VB南京大会(5/5−5/9)はどうですか?

小島 はっきり言ってこれは余分ですわ(笑)集まって次の日出発やからね。だから全然問題にしとらんですよ。
ただ、中国だけは1度たたいとかないかんかもしれませんね。

VBアジア選手権で負けたから?

小島 いや、それはない。中国というのはそんなこわいと思ってないもん。やられるかもしれんけど、
全然こわいと思ってない。むしろアメリカのほうがこわいだろうね。

下記につづく
220名無し@チャチャチャ:2009/10/23(金) 16:04:45 ID:eLQwveG6
VBということで最後にズバリ!!

小島 まあアメリカ、中国がどうなるかわからんからね。だけどソ連、キューバ相手やったら、僕は絶対勝てると思ってるよ。
それはね、これだけは賭けて戦おうという、女子バレーのいちばん大事なもんが残ってるもん。またそれがなかったら今までやってきた
意味がないし、これから本番までやっていけへんですよ。だから僕はね、ここまでせっぱつまって来て、まずやらないかんのは自分やと
思ってるし、選手もみんなわかってくれていますよ。そういった意味で、今までとはまた違ったかたちの強さが出てくると思う。

VB大和撫子の心意気で金メダルを取ろう、ということですか。

小島 そういうこと。もう、絶対やりますよ。ホンマ。僕も選手もやります!!

         (1980年4月18日)

                 完

221名無し@チャチャチャ:2009/10/26(月) 11:14:37 ID:b7K9HAUf
この週末はロスやソウルのお話に移っているかと思ったのにずっとストップしたまんま
だったのね、ココ山岡wwww
それともあだしは月曜日から金曜日までしかいないのを知っていてガセビアは
レスできなかったのかしら

けどどんどんやらないとガセビアはひとりしかいなかった事がバレバレになっちゃうぜ
そんなのとっくにバレている、という噂もあるけどwww

だね
222名無し@チャチャチャ:2009/10/29(木) 20:24:13 ID:nxnz7SdR
ロス五輪前の試合で、中国と米国に勝てない全日本女子を見て、
「日ソの時代は終わった」と痛感した。
銅メダル取れたら御の字だと思った。
ペルーは、確かに力をつけてきたチームではあったけれど、
あの当時は負ける気はしなかったので。
ソウル五輪…いよいよ日本のメダル獲得は危ういと思った。
が!予選でのソ連との戦いを見て夢を見てしまったw
それから衰退の一途をたどる女子バレーに見切りをつけた。
06世界バレーだったかな?たまたま見たら面白かった。
それから、全日本の試合だけ観てる。
223名無し@チャチャチャ:2009/11/04(水) 19:34:06 ID:+HAa0jSH
昔の試合をつべで観た。
当時は小学校低学年だったが、大人になった今みても、
江上さんと三屋さんの速攻はスピードとキレがあると思った。
そして広瀬さんのレシーブは、子供心にもすごいと思ったが、今観ても神業だ!
224名無し@チャチャチャ:2009/11/05(木) 22:29:18 ID:2EgQrXKJ
あだしさんのウンチク聞きたいなぁ
225名無し@チャチャチャ:2009/11/05(木) 23:42:00 ID:JWBBRTpC
うざい
226名無し@チャチャチャ:2009/11/06(金) 17:49:32 ID:MX53dOOR
♪ あだしさん このスレから 突然きえたりしないでね

時をかける あだしさん レスはウンチク長文

過去も未来も 1000レスこえるまで 書き込んで〜
227名無し@チャチャチャ:2009/11/10(火) 09:53:17 ID:j6rCtzQ2
あだしは消えないぜ
言いたい事をほぼ言ったのでもうどうでもいいと思ってね
そんなにあだしに出てきてほしいならば、だれか面白い昔話でも
ふればいいのに〜
228名無し@チャチャチャ:2009/11/10(火) 11:04:54 ID:9dLTLxlA
巫丹
229名無し@チャチャチャ:2009/11/17(火) 07:36:44 ID:+gqts5F4
>書き込みたくてうずうずしてたのに書き込めなかったんだぞ。
>この気持ちがわかるか?
>って誰もわからねーか。
>俺、話す相手がいないんだよな。
>書き込めない気持ちなんてわかんねーよな。
>誰も聞かないし、聞かれてもいわねーし。
by かま
230名無し@チャチャチャ:2009/11/17(火) 10:29:04 ID:rEzmNR3u
今回のグラチャンの日本の試合だけど負けた3試合
あだし流に言わしめれば全部、勝ち試合だった
少なくても1980年前後だったらあのような展開になったら
いつも、試合のどこかで日本に波をひきつけて勝っていたよ。
1980年前後の頃の日本チームは高さも力も本当になく当時の強豪だった
アメリカ、キューバ、ソ連、中国と日本の差は今回のブラジルイタリアドミニカと
日本の差よりも大きな開きがあった。
しかしひらってひらって拾いまくりのバレーで、相手を疲れさせて集中力が切れたところを
狙い、日本が最後に決めて勝利していた。
まぁ今回もドミニカにもしも勝っていればイタリアにも勝てたかも知れない、と思った。
今の日本も非力で高さもないが、サーブレシーブ返球率をアップさせればロンドンで銅を確実に
狙えるチームになるとあだしは思うから頑張れ!!
といいたい。
231名無し@チャチャチャ:2009/11/18(水) 08:32:33 ID:c/d74poO
>>230 銅かよ。
232名無し@チャチャチャ:2009/11/18(水) 11:07:04 ID:HrXtNGj6
>>231
金か銀と言いたいのだが、
1980年以降は本当に日本は弱くなってしまったから。
昔ユニチカにいた小島監督あたりに言わせたら
今回の負けた3試合なんてどれも勝てた試合だよ、と言うと思う。
彼は楽天家なのか強気だったのか昔からわからなかったが、常に先を明るく見ていたもんね。
小島さんが良く言ってた言葉にこんなのがあった。

『相手とこちらの差が6−4ならば必ず本番では勝つチームを作れる自信がある』と。

今回の3敗を真鍋監督はどう思っているのか
ロンドンに向けて日本女子バレーの方向性をどう考えているのか

あだしはとても気になるわけなんですね
これはあだしの感想だけど
柳本に監督が代わって日本女子バレーは一歩前進した、そして真鍋に代わってまた一歩前進したと思う。
簡単に、真鍋に代わって良くなってきた、と言ってもいいんだけど
こう言うと柳本バレーを否定しているように聞こえるでしょう。
だからあだしはこう書いてみた。

233kingyo:2009/11/18(水) 12:03:15 ID:EkbA5lOJ
日本がメダル
いつの時代の話ですか
バレーボールの進化が日本を置き去りにしてしまったのではないでしょ
うか
日本人という器を越えてしまったと思います
234名無し@チャチャチャ:2009/11/18(水) 12:28:34 ID:HzfArdyv
つうか、狩野と栗原を欠いた段階でメダルは無理。
まあグラチャンなんて日本以外どこも本気じゃないからw
韓国なんて完全に育成モードじゃん。
あそこは強くなるよ。
235名無し@チャチャチャ:2009/11/18(水) 12:42:03 ID:HrXtNGj6
時代が違ったとは言え
1970年代の監督だった、男子の松平さんや女子の小島さんや山田監督は凄かったのでは
なかったか、とこの頃あだしは思うわけですよ。
男子の例で言えば64東京で銅、68メキシコで銀、そしてついに72ミュンヘンでは金
そして金をとったときはブルガリアに大逆転。
女子も64東京で金をとった後しばらく金をとれずにいたが山田日立全日本が10年ぶりに
74メキシコ世界選手権で金をとった後は76.77と3冠に輝いた。
こういった実績を一言で時代が良かった、からだと言い切ってしまっていいものなのか?
これではあまりに乱暴すぎるのではないかとあだしさんは思うわけなんですね。
当時は男女共に一歩も後退することなく常に前進だった。
時代も確かに良かったかも知れないが選手や監督の精神力や集中力もかなり強いものがあったから
これだけ輝かしい成績をあげられたのだと思うな。
それに比べると今回の女子は3つも負けた
あの3つのうち全て勝て、とは言わぬが1つくらい勝てても良さそうだと正直あだしは思ったな
勝てないとしてもひとつくらいフルセットの試合があってもいいのだか−。
同じ負けにしても強かさが昔は感じられたものだった、ということなんですね
236名無し@チャチャチャ:2009/11/18(水) 13:43:34 ID:HzfArdyv
たかが「その他」のおまけみたいな大会なんだから
そんなに熱くならなくてもいいじゃないw
日本は主力抜きでは戦力ががた落ちすることが分かったことと
強豪国のデータがとれたと思えばいいのさ。
237名無し@チャチャチャ:2009/11/18(水) 14:30:45 ID:HrXtNGj6
ジュースで競っているときに勝てない
昔はジュースになると勝てた、という場面が多かったと思う
こんなのは時代とは関係ないでしょ
接戦になるといつも負けてしまう、というのは精神力の差かなってね。
時代の違い、と今は言う人が多いが
例えば樹理や広瀬が中心にやっていた頃だってアメリカにはハイマンやクロケットがいたし
中国には郎平や張容芳がいた。キューバにもウルヘリエス、ソ連にはアハミノワがいた。
入れとかなきゃいけない時にゆるいサーブを打てばこれらの選手に強打や巧打を打たれてしまう。
状況的には今も昔も変わらないんですよね。
優越感と劣等感なのか
とにかく今の選手は気持ちで負けているのではないのか
いい試合をした、データをとれた、といっても試合に勝つ事ができなかったら自信がつかずに劣等感を
持ち続けてしまうだけ。
で、次またやって負ける。試合にはやっぱり勝たなければ
今回最悪にはならなかったがね
あだしは今回タイに負けたら、と。これが一番心配だったんですよ。
238名無し@チャチャチャ:2009/11/18(水) 15:17:31 ID:HrXtNGj6
その中国も今は今回最下位だった中国にこないだ負けて大会に出られなかったしw
けど日本にとってはアジアでは中国がダントツでいてくれて次が日本という形が望ましい
のだが、
239名無し@チャチャチャ:2009/11/18(水) 16:49:21 ID:HrXtNGj6
1行目訂正でしたねw
その中国も今は今回最下位だったタイにこないだ負けてこの大会には出られなかったしw
に。
けど中国もかつての日本みたいに、少しいい若手の選手が現れたら『郎平二世出現!!』
とかって騒いでるのかしら?
75年の須藤や78年の村田に80年の杉山そして83年の大谷みたいに
けど今の所、日本には本当の意味での白井二世は現れていない・・・・
ちなみに白井さんは大谷が白井二世と騒がれていたとき、「〇〇二世と呼ばれて大成した選手などいないのだからそういうこと言うのはやめた方がいいと思うわね」
と言っていたがw
ああそういえば、大林と同世代の選手で習志野に武藤美佐子という185の選手がいましたね
この人は、たしか『和製郎平』と高校時代に呼ばれて日立に入ったけどその後、今一ぱっとせずいつのまにか引退してしまいましたね。

日本バレー界において〇〇二世と呼ばれて、その通りになった選手はだれもいなかった。。。トリビア〜♪


240名無し@チャチャチャ:2009/11/19(木) 06:41:44 ID:5/Xsy3+/
斎藤真由美はやたら人気あったよな
241名無し@チャチャチャ:2009/11/19(木) 12:49:33 ID:DMFHiUff
あだしは、斉藤さんが活躍していた頃にはあまり熱心にバレーを観ることは
なくなっていたからあんまり斉藤さんのことは知らないな
1980年代後半よね、斉藤さんや益子さんにスポットが当たっていたのは
甲斐さんとか篠原さんとかがヨーカドーで一緒にやっていた、という記憶だけある
日本女子バレーのついに堕ちるとこまで堕ちて盛り上げるために少しルックスのいい
若い斉藤を多くマスコミに取り上げて協会も必死だなって感じの時代の代表選手
だったしあだしよりもかなり年齢が下に見えたから興味なかったんだと思うな、きっと。
あだしは1980年にトリビア理論の完成を見た後は、日本のバレーボールはこれからは
低迷しても上昇はしない、と確信してからは気合が入らなかったわけなのです。
なのにあだしと同世代の輩たちがいつまでも斉藤や益子に熱くなっているのが、いるんだぁ〜
へぇ〜と涼しくなってたは、この頃のあだしさんは。
人それぞれだからそれを頭から否定したりバカにするつもりは毛頭ございませんがね

242名無し@チャチャチャ:2009/11/19(木) 14:23:00 ID:TnAp4CUu
低迷というか
世界のレベルが上がり過ぎたんだよ
昔は日本が頭を使って回転レシーブ?とかいろんなの考えて世界のトップにいたけど今は頭脳だけじゃ勝てない
ブラジルとかイタリア見てたらわかるだろw


それに昔はこうだったとか
今と昔じゃ全然レベルが違いすぎる

昔話しはもういいよ
243名無し@チャチャチャ:2009/11/19(木) 14:50:32 ID:DMFHiUff
勝てたじゃない昨夜の男子が
福沢君や清水君そして石島の活躍で。
しっかし福沢君って良く跳ぶ、すごい。
跳びます跳びますって感じじゃんか
彼って身長187しかないんでしょ?公式記録が正しいとすれば、正しいと思うけど。
で、最高到達点が357って凄すぎですよ。
新日鉄にいた小田で198.351だったのだから
で、当時は高い高い、と言われてた。本当に高かったのが
だから日本人もやればできるわけなんですよ。
昨日のポーランド戦だって3-0もありえた、3-0で勝てた試合だった。
4セット目後半で日本が素晴らしいレシーブを見せたからポーランドが浮き足立って
しまいこちらのリズムになって勝てた試合だった。
そう今までだってあのプレーが1つ出ていれば勝てた試合が沢山あった。
しかし今日もあの集中力が続くかどうか?
ブラジルイタリアを見なくたってわかりますよ、そんなの。
精神力の低下だけですよ
昔っから日本は小さくて非力だったんだもの
レベルなんかたいして差はない
あるとすれば精神力や集中力の差
244名無し@チャチャチャ:2009/11/19(木) 15:59:58 ID:DMFHiUff
ロス五輪の頃の日本の森田なんかで言ったら
彼女は170か171しかなかったけど決めるところでは
しっかりと決めていたなって思う。
流石にあの高さでは豪快にコートに突き刺さるようなスパイクを打って、
というのではなかったのだけど、なんとかしてくれた。
ブロックアウトで逃げるとかリバウンドをとってフォローして速攻に繋げたり
してこういうのが本当に上手かったですね、昔の選手は。
自分ができる最大限の事をやっていた
そういった意味では、チームの貢献度が大きかったね
が、今の選手らは、只大きいだけで打てばすぐブロックに止められてしまいシュンとして
おしまいになっていて何も工夫がないように思うわけなんですね。
周りもメグでだめなら仕方ない、と。
これは違う
実業団と世界の1.2とやるのは違うのだから
245名無し@チャチャチャ:2009/11/19(木) 18:13:57 ID:5Sgt4Qf9
あだしさんに質問です。
横山樹理と同期ぐらいでユニチカのキャプテンだった方の名前わかりますか?
佐々木真理子だったように思うけど、間違ってたらすみませんm(_ _)m
246名無し@チャチャチャ:2009/11/20(金) 09:53:29 ID:3o/ES640
>>245
たしかにその佐々木さんはジュリさんと同期入社でしたね、S.48 1973年
四天王寺高校からユニチカへ入った綺麗な感じの人でした。
しかしこの人はキャプテンなんかやっていたかな?
ジュリの時代はキャプテンはずっとジュリだとあだしは思ってましたがね
佐々木さんは、この時代の小島全日本のマネージャーをやっていた。
これだけしか、あだしは知らないです。
247245:2009/11/20(金) 15:33:41 ID:3wkxl66b
あだしさんありがとうございます。
キャプテンというのは私の思い違いかもしれません。
私もユニチカのキャプテンは樹理さんだと思ってましたが、
あるとき佐々木さんが…みたいなことをどこかから聞いたんです。
子供だったので日本リーグのしくみもあまり理解してませんでしたし(^^;)
佐々木さんと同郷なので、周りの大人たちが佐々木さんの自慢話をしているのを聞き間違えたんだと思います(笑)
248名無し@チャチャチャ:2009/11/20(金) 16:52:42 ID:3o/ES640
でもあだしがジュリがキャプテンだったのではないのか、
と言うのは1980年頃のことですよ。当然ジュリが入社した1973年からの
4〜5年間、つまり1978年くらいまでは他のだれかがキャプテンだったのでしょうが
だからもしかしたらその佐々木さんがユニチカのキャプテンだった時代もあったかも
知れませんよ。特に四天王寺高校卒だったしね、けどあだしは、良く憶えていない、というか
当時から良く知らなかった。
佐々木さんて島根の人でしたよね、確か。
四天王寺だったけど島根だった、という記憶はあった。違ったかな
249名無し@チャチャチャ:2009/11/20(金) 17:07:32 ID:3o/ES640
間違えた、あだし。
>>246
佐々木さんとジュリは同期ではありませんでしたね
佐々木さんはジュリよりも1つ学年が上でしたから
入社年は、1972年でした。ミュンヘンがあった年でしたね
と、なるともしかしたらジュリの前にキャプテンをやっていたかもよ
???
250名無し@チャチャチャ:2009/11/20(金) 17:09:37 ID:m6W6Hnsv
益子直美ちゃんが一番綺麗だったね..
他にも綺麗な選手いたけど。
益子直美ちゃんは綺麗(だった)じゃなく今も綺麗。
って言うより今のほうが綺麗。
スタイル抜群であの美貌。
たまらんね!
251名無し@チャチャチャ:2009/11/20(金) 17:30:53 ID:3o/ES640
あだしは益子選手にはあまり興味がなかったな
ごめん、こんなならレスつけなくてもいいのにね
現役のときのユニフォーム姿を観ているときは、
なんて胴長な選手だろう、と思ったが
数年前にバレーを観に会場へ行ったらそこに益子さんがいて
すごく足が長かったのでびっくらこいたことがありましたよ
顔もとても小さくてキュートで可愛かった。
バレーをやめてから洗練されたのかな、元々ですね。
252名無し@チャチャチャ:2009/11/20(金) 17:31:23 ID:3wkxl66b
>>248 そうです!島根です!
あだしさん、よくご存知ですね♪
253名無し@チャチャチャ:2009/11/20(金) 17:52:18 ID:3o/ES640
佐々木さんて170くらいだったと思いますが、ユニチカ入社の時は
セッター志望で入ったのかな
島根出身なのに大阪の四天王寺だった、ってこれ当時としたら中学の時
相当優秀だったと言う事なんではないのかな
だからどこのポジションだったかとても気になるんですよね、多分セッター
だったと思うけど。しかしユニチカのセッターと言ったら松村と小川しか
あだしは知らない。
>>252
あなたは島根出身?島根のどこ市? 別にどこでもいいわけだが。
254名無し@チャチャチャ:2009/11/20(金) 20:36:04 ID:3wkxl66b
>>253 出雲市出身ですよ。
佐々木さんは中学のときに全国大会に出場されたはずです。
確か優勝されたんじゃないかな?
子供の頃、ユニチカの選手がバレーボールを教えに来て、
「こんな田舎に何で?」と子供心に不思議でしたが、佐々木さんのご縁だったんでしょうね。
ポジションまでは覚えてないですが、私はアタッカーと思い込んでいました(^^;)
255名無し@チャチャチャ:2009/11/24(火) 10:37:08 ID:VLDwJyHG
ならばやっぱり佐々木さんは、ユニチカのキャプテンではなかった、という
ことになりそうですね。
1980年頃にも日本リーグでの選手としての登録はしていたものの出番はなく
もうこの頃は全日本のマネージャーとしての仕事が忙しそうだったもんね。
佐々木さんがユニチカへ入社した1972年は、ミュンヘンオリンピックが行われたので、
まだこの頃には松村さんがいた。
そしてその控えには塩川さんもいたから仮にセッター修行中だったとしても当時はほとんど
出番はなかったはず
そして松村さんはミュンヘンが終わったらすぐに引退、それでも塩川さんはモントリオール直前までは
やっていた。が、その後は小川が入りそのままチームではセッターになったので
もしも佐々木さんがセッターだったとしてもほとんど出番はなかったはずだったのでは
ないのか。
それにセッターだったとしてもアタッカーだったとしても国際試合に度々出ていれば選手としての印象が
あだしに残っているはずだね。
たぶん、中高のときにはかなり将来が期待されていたもののその後今一だった選手という選手だったのかもね

256名無し@チャチャチャ:2009/11/24(火) 12:27:32 ID:C3D1biQh
あだしさん、ありがとうございましたm(_ _)m

私も、佐々木さんの国際試合出場の印象はないのです(^^;)
残念なことではありますが、すごい田舎からそんな選手が出ただけでもすごいことなんで…w
257名無し@チャチャチャ:2009/11/24(火) 13:20:07 ID:VLDwJyHG
別に田舎だからだめってことでもないし
只、人が都会よりも少ないというだけでしょ
もしも田舎はだめって事になったら
キューバや中国の選手はみんなだめになっちまうし
258名無し@チャチャチャ:2009/11/24(火) 16:19:32 ID:GgJ+Cu9+
イトーヨーカドーの甲斐、ユニチカの三田村は大好きだったなあ。全日本でのプレーは甲斐しか見た記憶がないけど。共に独特なフォームしてたよなあ。

259名無し@チャチャチャ:2009/11/24(火) 17:02:19 ID:VLDwJyHG
どちらも右利きなのにライト打ちが上手かった選手だった
三田村さんはなにげに打点が高かった
甲斐さんはするするするってどこかから出てきて涼しげにスパイク
打って決めていた印象の選手でしたね。
ちょっぴり、サリーちゃんのお友達のよし子ちゃんに似ていたね
260名無し@チャチャチャ:2009/11/25(水) 05:32:47 ID:PV25DcmF
三田村みたいなライトプレイヤー今はいないもんね。
真ん中に切り込んで時間差とかは甲斐も含めて迫力あった。

ユニチカなら木村もライトだったが、三田村のほうが全然器用だったな。今の東レの芝田も。

261名無し@チャチャチャ:2009/11/25(水) 10:25:01 ID:dN8oz6mq
真ん中に切り込んできて、というのはユニチカの水原が良くやっていた。
江上のBのおとりでその間に入りこんできて打つ
小川がどちらにトスをあげるのか最後の最後までわからなかった。
タイミング的に言えば水原も江上も打てるトスをあげていた
81WCでは、このプレー
ほとんど決まっていたね。
ラリー中もやっていたし
たまにレフトのジュリが江上のすぐ後ろまで入りこんできたり、というのもあった。
懐かしいな、あだしは
262名無し@チャチャチャ:2009/11/25(水) 11:42:22 ID:fzdmiE3A
81年小島バレーって攻撃のバリエーションは少なかったけど
十分にネットの幅とさらに個人技をうまく生かして攻撃面でもなかなかいいバレーをしてたよね

で、そのあと山田さんの高速バレーになってからはその速さのなかでも個人技を活かせたのは
江上、森田あと中田?くらいだったんじゃないかな

三屋や杉山がもう少し個人技でも中国やアメリカを翻弄出来るくらいになればもっと面白かったかもしれない
263名無し@チャチャチャ:2009/11/25(水) 11:54:53 ID:dN8oz6mq
そう、小島バレーはやることがいつもワンパターンだった
けど、良く拾うバレーだったから面白かった。
小島バレーはコートの下にボールが堕ちたらバレーは点数が入るのだからとにかく拾うことが勝つためには必要だ、という考え方
一方の山田バレーは         〃              相手コートにボールを落とす事が勝つ事なのだ、というね
264名無し@チャチャチャ:2009/11/25(水) 12:18:46 ID:PV25DcmF
ユニチカはあのラグシャツがよかった。赤、青、黄と3色あったし、尻の部分に選手名が入っていたり……
中村と橋本は本物のラガーに見えた。橋本は中村より好きだったがすぐに退団したような。
265名無し@チャチャチャ:2009/11/25(水) 13:32:28 ID:dN8oz6mq
ユニフォームと言えば一番格好良かったのは
77WCのときに着た全日本のやつかな
森田が良く似合ってた、男子の森田だけど。
266名無し@チャチャチャ:2009/11/27(金) 12:22:23 ID:T2vxI0s5
今さっき、モントリオール会のページを見たらびっくり!!
横山樹理がスパイクをしている写真が出ていたが、そこに
あったコメントが・・・・
ブロックをしているのは、キューバ、とあった。
76モントリオールのときは日本はキューバとは対戦していなかったんですがね
そう、これ完全な間違い、ミスです。
ペルーの黒人選手だったのですね
当時はペルーにも黒人選手がいたからキューバの選手と間違えたのでしょうが
あだしはユニフォームでその間違いにすぐ気づいた。
あの当時のペルーの黒人選手は、キューバの黒人選手みたいに赤味がかった黒ではなく
本当に真っ黒な黒人だった。
キューバの黒人選手はのこぎりクワガタの色
ペルーの黒人選手はカブトムシの色
76年当時あだしは中1だったんだけどこんな感じに覚えたのを今も記憶しているんだね。
けど本当にその通り
とにかくあれは間違えだ、ということとのこぎりクワガタとカブトムシで覚えましょう。
267名無し@チャチャチャ:2009/11/27(金) 13:12:38 ID:T2vxI0s5
ちょっとわかりずらかったな
訂正
朝鮮クワガタのオスがキューバで
カブトムシ、のこぎりクワガタのメスがペルー

こうしたのが良さそうだ
268名無し@チャチャチャ:2009/11/30(月) 13:14:48 ID:ydIUJz0q
日本女子が3冠を達成した頃って本当にホールディングの基準が甘かった
矢野や飯田がやるプッシュやタッチ攻撃なんて1990年代なら完全にホールディング
になっちゃうよ。矢野の後の日本のセンターで代表的だった選手といえば江上になる
わけだが、この江上もロス直後に引退してソウルの前年にまた山田監督に頼まれてソウル
限定で復帰した選手でしたが、そのソウルのペルー戦でこの江上がいいとこで2本つづけて
ホールディングをとられてペルーに負けてしまって決勝に日本は勧めなかったんですよね。で、その頃から
ホールディングの基準が本当に厳しくなってしまって日本に不利だなってずっとあだしは思って観てたんだが
ここんとこまた、ホールディングの基準が甘くなっているかなって思うけど、いかがなものか???
269名無し@チャチャチャ:2009/11/30(月) 13:36:32 ID:rd1zGV0R
要するに、ペルーはゴキブリの黒で、

キューバはあだしおじさんのウンコの黒ということで宜しいかしら(苦笑)。
270名無し@チャチャチャ:2009/11/30(月) 14:29:47 ID:ydIUJz0q
そうですね
それでもいいかも知れません。
ペルーは墨色でキューバは茶褐色
黒は黒でも。
あと76当時のペルーの黒人はずんぐりむっくりしていたのに対してキューバは手足がとても長くてスタイルが良かった。
まぁこれはともかくとして76モンで日本はキューバとは対戦しなかった。
モントリオール会のページの樹理がスパイクしている写真のコメントは間違いだ、ということですね。
けどなんでこんな事間違えたのだろう
チャンピオンボケでもしていてソ連以外の試合は全然当時から眼中になく
黒い選手=キューバ、だと思っていたのか???
ミュンヘンでは日本はキューバと戦っていたから、それと間違えたのか?
しかしこれもなぁ〜
271名無し@チャチャチャ:2009/12/01(火) 10:52:13 ID:QvQny/P9
女子バレーで一番よかったという時代は一般のファンにとっては74世から77wc
あたりの3冠獲得の頃になるのだろうか。
74世では東京五輪の東洋の魔女から10年ぶりに金メダルを獲った
そして76五輪と77wcでも
77wcは地元日本で行われた大会でもあった
フジサンケイグループの協賛で大変盛り上がった大会だった
強い日本の女子バレー、新東洋の魔女と言われ騒がれた
視聴率も40%を超える試合もあった
白井、松田、前田がいて若い19才の江上のデビューもあった
これからも日本の女子バレーは世界で永遠に勝ち続けることであろう、とだれもが確信した。

でもどうだろうか、あだしは72ミュンヘンで白井さんがデビューしてソ連には負けたものの
ソ連の監督に「白井は日本の秘密大砲」と言われ、日本のバレー関係者もこれから白井が育てば
、と騒いでいた頃からその白井が日立に入り70年に入社していたセッターの松田と73年頃から日立第二期
黄金期に突入した72年頃から73年頃までの2年間、そのたった2年間のみが一番いい時代であったように思うな

272名無し@チャチャチャ:2009/12/01(火) 16:36:11 ID:QvQny/P9
男子も同様72ミュンヘンの前頃の68メキシコから71年頃が一番良かったと思うね
だって頂点立つとあとは下るのみでしょ、なんでも。
だからあだしは、
74世で女子が一番になったときも72オで男子が一番になったときも
嗚呼これで日本のバレーは終わりなんだなって思ったんだよね
白井松田前田そして吉田矢野高柳の補助というメンバーはもう日本には集まらない
だろうな、と思ったし、世界の強敵がソ連と韓国という力関係もこの大会で終わるのだろう
となんとなく気づいてたんだよね。


こういうのって理屈ではないものだから説明できないけど何かそんな気がしたというわけなんですね






273名無し@チャチャチャ:2009/12/02(水) 10:30:22 ID:NECc98TX
で、76では優勝した
77WCでも優勝できたが78世では銀メダルだった
このときは、白井前田松田らが一機に引退してしまった
セッターの金坂もやめちゃった
矢野や高柳そして吉田は残って78世には出たが本当はもうあんまりやる気は
なかったんだよね
山田監督に渋々説得されてレニングラードへ行っただけだったと思うな
当時の選手は今の選手よりも引退年齢が若かった
このときの矢野や吉田や高柳らは23か24だったと記憶しているが受理も同世代
だった。
で、結局矢野さんなんかはこの78世が終わったらすぐにやめちゃった。

274名無し@チャチャチャ:2009/12/03(木) 13:06:13 ID:iaS9fTa4
78世の直後にあの松平さんはこんなこと言っていたな

自分がバレーをやめても全日本の力が堕ちない、というならばその選手は引退してもいいが
そうでなかったらまだバレーを続けてそのときがくるまでバレーだけに打ち込むべきだ、と。

あだしは当時、この言葉が何を意味しているのかが、今一理解できなかった
というよりも松平さんは何を言っているのだろうと思って聞いてたのだが
その後すぐに理解できたんだね。
それは当時、キューバと中国そしてアメリカが驚異的な力で台頭してきてたから
今、白井前田松田らが引退したら日本はモスクワでは金も銀も取る事がとできなく
なってしまうから選手の引き止めにかかっていたということだったんでしょうね

白井松田前田は仕方がないとしても矢野吉田高柳金坂らはまだ年齢的にも行けるだろう、ということだったのでしょう。

でも日立の中堅どこのこの4人はやめちゃった。
金坂はすぐに結婚した、高柳もその数年後に日立のコーチの吉田さんと
結婚したが、矢野と吉田そして松田はそのまま日立に残ってチームでは
日立がピンチになると出ていた。
その後、矢野も結婚したが松田と吉田は、何をすると言う事もなかったのでは
なかろうか。なぜならばダイエーバレー部が発足したと同時に選手として再び復帰したのだから
78世から80モスクワの頃までの日本はまず、キューバ打倒ということでユニチカの小島監督以下選手も
一丸となっていたが、そのキューバにはモスクワ本番前までに射程圏内に追いつけたように思うが、それに替わり
新たな強敵、中国とアメリカが現れた。当然、ソ連と韓国もこの頃の日本は気を抜けない相手だった。
つまり、キューバと中国とアメリカ、それにソ連と韓国と日本の6強が出揃ったというわけだったのである。
79年頃からは日本は中国とアメリカと戦うとほとんど勝ててなかった様に記憶しているが
もしもこの時、ベンチにだけでもいいから松田か金坂がいてくれていて、矢野と吉田も全日本に残っていたら
もう少しアメリカと中国と互角に日本は戦う事もできてその後もあそこまで負ける事はなかったように思うな。
あの時代に戻ってなんとかすれば、81WCでも日本は中国にもアメリカにも負けなかったのではなかったのか、そして
84ロスでも金か銀を取れていたとね???
275名無し@チャチャチャ:2009/12/03(木) 17:22:16 ID:iaS9fTa4
そりゃあ矢野さんや吉田さん、そして金坂さんに松田さんがモスクワまで
残ってくれた、としても結果として中国やアメリカの台頭を防ぐ事はできなかった、
と思いますよ。しかしこの3人から中国やアメリカを見るのと当時の須藤さんや
小川さんそして水原に池知が見るのでは全然違ったとあだしは思うわけなんですよ。
優越感と劣等感ですね
これで随分と試合の運び方が変わると思うのです。そして台頭台頭と言うが、弱小国だった
ところが、王者日本に追いつくときはいつも弱小国の力が伸びているだけではなく
日本の方の力が戦力ダウンしているときでもあるのですよね
それは、78世や86世がそうだったでしょう。
男子も76オと78世のときがそうだった
なので、78世のときにもう少しここいらの事を考慮して繊細に監督が考えていけば
と思ったのでした。
国を挙げての取り組み
これはアマチュアスポツを強くしていく上でとても大切な事ですよね
特に女性の場合は結婚や出産があるので難しいことではあるとは思いますが


276名無し@チャチャチャ:2009/12/03(木) 18:05:35 ID:74Lt0nHW
そんなに昔の事はわからないけど、女子の場合は選抜チームより単独チーム+αみたいなチーム作りしてた時代の方が結果が出てたんじゃない?

年がら年中コンビも合わせてるわけだし?

メダルを逃したソオルくらいから選抜チームの色が濃くなったような気がする。

今は単独チームなんて無理だろうけど。

まあ、時代の流れについていけず、口を出しまくっていた松平独裁政権長期化が全日本男女衰退の他にも色々あるけど最大の原因であるのは間違いないとは思うけど。
277名無し@チャチャチャ:2009/12/04(金) 10:08:35 ID:xiDa9Hnw
松平さんが、悪者だったと言う事ですか?
それはどうかとあだしは思うな
ソウルのときだって日立色が強かったチームだったじゃないか
セッターは中田でその控えに高橋
エースは杉山と藤田そして左藤伊で
センターは廣さんと丸山(旧姓江上)
ライトは大林
だったのだから。
ソウルで日本がメダルを摂れなかった理由は江上前後の世代の人間で期待された選手が
今一伸びなかった。これも世界が強くなったからですが。あと次々に引退してしまった
からでしょ。須藤、村田、池知、三屋、石田、小高、大谷、宮島
まだいたかも

278名無し@チャチャチャ:2009/12/04(金) 10:36:17 ID:R/6UY1K3
ソウルでは高橋はピンチサーバー。
セッターとして中田の控えは滝沢。相変わらずデタラメばかり。
279名無し@チャチャチャ:2009/12/04(金) 12:10:37 ID:xiDa9Hnw
それは、そういうことにしただけで
本当は高橋が中田の控えだと山田監督は思っていたはずですよ
中田がケガして入院してた頃はもしも中田の回復が芳しくないときは
高橋で行く、と山田監督は日立体育館での練習のときに選手たちの前で
言ってたし、事実全日本のゲームでは中田が復帰してからも度々高橋で
やっていたからね。
江上を再び全日本に呼び戻したときにマスコミには
『江上を中田の代わりに』とまるでセッター江上でソウルでは戦うみたいな風な
事を発表していたが、これも違う。江上はセンターとして使いたかっただけ
これと同じですよ。
セッターの滝沢さんは
けどどうしてあの子は選ばれたのかしらね
高橋さんは74世から77wcの頃にいた松田の控えの金坂さんと
84オのときの利部さんと同じ役割だったと思うけど、あだしは。
サーブも良くてセッターもやれる選手
280名無し@チャチャチャ:2009/12/04(金) 16:13:48 ID:qb9R7EfD
ユニチカの佐々木って佐々木真理子?
なんで知らないの?
全日本には選ばれなかったけど、塩川とツーセッターで出てたじゃない
281名無し@チャチャチャ:2009/12/04(金) 16:51:06 ID:xiDa9Hnw
>>280
すごい、カットイン。
それっていつ頃の事?
282名無し@チャチャチャ:2009/12/04(金) 18:11:52 ID:Bk/llZZO
ちなみに廣はソオル時は筑波大生で丸山は小田急所属だよね。滝澤は確か神戸ユニバでの功績が評価されての全日本選出だったような?

松平が神戸ユニバでの手腕を評価して宗内をコーチにしたからその影響も大きいかと。
283名無し@チャチャチャ:2009/12/04(金) 23:16:37 ID:R/6UY1K3
>>279
それはおまえの妄想。
高橋はソウルでピンチサーバーとして何度も投入されてる。
バレーのルールをご存知なら、
山田が高橋をセッターとして使うつもりが全くなかったことぐらい分かるはず。
284名無し@チャチャチャ:2009/12/05(土) 01:09:48 ID:7EqHex0G
あららら・・・
またしても知ったかがバレてしまった様だ。
285名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 09:55:54 ID:7LCDqNMg
あだしからレスがすぐにつかなかったからってwww
ばかみたいなんだから〜
>>282
そんな表面的な事をレスして何になる
まずは廣さんの件
廣さんは筑波大でしたが、卒業したら日立へ入る事が確実だった。そして山田監督も
筑波大(東京教育大学)出身だった。サイさんも筑波から日立へ入社してたしね
丸山さんの件
丸山は日立の第3期黄金時代の時のキャプテンでしたから
高橋さんの件
高橋は中田が怪我をして不在だったときに日立と全日本を支えていた選手
また高校時代は大林と一緒にバレーをやっていた。

ソウル五輪という大舞台で山田監督が自分が良く知らない滝沢という選手をセッターに
するはずない、つまり中田の控えはあくまでも高橋ということですね。
中田の次にセッターとして全日本の事や山田バレーを知っていたのは高橋だったと思いますがね

で、佐々木の真理ちゃんのことはどうなったのwwwww
あだしは佐々木真理ちゃんの事に最初から興味はないからどうでもいいけど
286名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 12:22:25 ID:RHaxg/nG
「あだし」ってのは本当にウザイな。ご臨終して欲しいわ。
287名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 13:06:10 ID:7LCDqNMg


あっそう

288名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 13:21:44 ID:NVffdlM0
滝澤の件は、中田の仮想チームに勝てず体育館で寝さされたたって有名な話はご存知だと思うが、その時のメンバーが中田、大林、杉山加、佐藤、廣、杉山明だったんだよね。
要は、神戸ユニバのメンバーが三人入ってるわけね。
その構成からみて神戸ユニバの正セッターの滝澤が控えにっていうのは納得できるよね。
289名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 13:26:44 ID:NVffdlM0
ソオル本番も中田がいつ潰れるか分からない状況で、高橋をサーバーとしてコートに入れる時点で、中田が潰れたら滝澤っていうのはルールをご存知なら納得できるよね。
290名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 13:41:16 ID:7LCDqNMg
山田監督がどっかの河原で拾ってきた丸い石を手にとって選手の前で

『いいかいお前たちっこの石のように丸くなるんだよ』

ってあのとき体育館で言ってたね
しかし山田さんはこういうの好きなんだよな
『合宿所では、選手間で親しい友達を作るな』
『チームの人間以外にも友達を作るな、それは男も女もだ』
『遠征中に男子の選手に体育館や空港で会ったとしても話しなどするな、そんな事をしたら軽い女に見られるからな』

って。20もすぎてる選手に一々こんな事を指示していた山田監督って本当にばかみたいだった
で、本人は最後はお金とセクハラ、それも自チームの選手との事を週刊誌に書かれてしまって
消えていなくなってしまった。で、他界したときもそれほどマスコミに取り上げてもらえなかったし

自業自得だとあだしは思ったわね
それにしても金坂さんは、見事に東レの田中選手と結婚したし

高橋さんはサーブが良かったからピンチサーバーということにしたのでしょう
滝沢さんはセッター以外に何もできなかったから中田の控えということにしたのでしょう
ただそれだけの事。
中田の仮想チームってどんなチームだったんだろうか
291名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 13:43:32 ID:NVffdlM0
それに日立単独チームっていうのもロスの翌年までで、86年には中田、大谷、廣、宮島、佐藤伊、佐藤志、本郷、男澤、松沢、小野、梅津、益子と日立単独って流れは崩壊していて選抜チームの流れになってたんですね。
292名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 14:04:01 ID:NVffdlM0
ちなみにソオル翌年が中田、廣、佐藤伊、大林、本郷、益子、杉山明、松下、樫野、中西、福田、斎藤。
90年が中田、佐藤伊、益子、福田、斎藤、鈴木、金子、名取、松川、坂本久、坂本清、吉原。
と山田、小島っていう求心力が無くなり、松平の独裁時代に女子も入り、それと同時に女子も世界から引き離されていくって流れになってたんですね。
293名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 14:08:14 ID:7LCDqNMg
で、それで86世ではボロ負けしてしまったから
また江上を入れたんだろ
エースを杉山と藤田にして
いちこを控えに、と。
でもそのいちこの出番は割と多くてだれがスタメンでだれが控えなのか良く分からなかった。
86世では小島監督だったのでここぞ、とばかりに日立の選手を選ばずにという感じだったな
しかしその>>291のメンバーは終わってた
本郷、益子って選んでる小島さんセンスなさすぎだった
294名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 14:47:29 ID:NVffdlM0
松平独裁時代の件は、米田の監督時代に選手選考から起用法、結果まで松平の圧力が凄かったと後に述べてるが、ソオル後の監督人事も宗内、米田、横田って流れを見れば一目瞭然。その結果、ボロボロ。アトランタ前に小島に頭下げる始末(笑)
295名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 14:54:40 ID:NVffdlM0
要は選手、監督も大事だけど、それを支えるバレー協会も大事。現場に口を出しまくっていた松平さんの罪はとてつもなく大きいんです。
松平は、山田、小島という求心力が高い二人の存在がうざかったんですね。
ロス以降結果が出ない事をいい事に選抜チームの流れを作り、求心力を徐々に下げ、ソオル後は松平さんのやりたい放題だったんですね。
296名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 15:19:08 ID:7LCDqNMg
だったら松平を超える人がいれば良かっただけじゃん、って思うなあだしは
だれもいなかったからそうなってたんでしょ
山田監督も
『松平さんは、ミュンヘンでひとつしか金メダルをとってないくせに私よりバレー協会
ではいい立場になっている。私なんか3つも金をとったというのに』

とこんなダサイ族な事をウダウダ言ってるだけだった。
上手をはれよ、お前ってあだしはずっと思ってたよ
>>286
だってもう登場できなくなってるでしょ
あだしに簡単にやられてしまい

実力を示せばいいだけやん、ということがここでは言いたかったのです。
>>294.295
お前さんはちょっと必死すぎないか
297名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 15:31:00 ID:NVffdlM0
すみません。

必死さに関してはあだしさんの足下にもおよびません(笑)

あだしさんの松平さんのせいじゃないという意見に私なりの意見をあだしさんに分かるように詳しく述べたまでですよ。

松平さんを超える人がいなかったってのも結果論で松平さんの行動も結果論です。

ただ、その反省からアトランタの前年からは現場に口は出さないようになったようですし。

298名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 15:46:45 ID:7LCDqNMg
結果を出せない奴が何を言ってもだめだ、ということ
だから1974-1977年までの山田さんも会社では自分の思う通りにしてきたし
できた、ということ。しかしそのパワーも1982年頃までの事
日立の新体育館を建てた頃までだったと思うのね
それまでの体育館って本当にボロだったからね
2階は落下防止用の鉄柵もないすのこみたいな渡り廊下だったしあちこちいたんでて
ひどい体育館でしたから山田監督、日立バレー部の力で建て替えたのだと、あだしは
思ったね。
そう彼らが結果を残したから会社が動いたということ
だから、松平を批判するならするでいい
しかし松平以上の実績や実力がなかったのならそれをやっても負けるだけですよ、と。
それをみんな分かってたから批判できなかったんだよ。
責任をとれないから
大人の世界はこういうことなんですね
それを分かってたから松平さんが何でも仕切ったのでしょう、とあだしは思うぞ

んで、佐々木の真理ちゃんの件はどうなったの????
もういいのこれで。
あだしはどうでもいいけど

299名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 16:53:45 ID:7LCDqNMg
そうそうあだしは今日は違うお話がしたくてここに来たわけだったのだ

77WCのとき、あのソ連が、76モントリオールで2位になったソ連女子が最下位の8位に
転落したが、このことがあまり話題にならなかった。あのときは総当り方式ではなく予選リーグ
で勝ちあがったチームが、決勝リーグへコマを進めて行くという方式だったために日本とソ連は
戦わなかったのでテレビ中継もなかったと思う。なのであだしもこの大会のソ連を一度も観れなかった。
あの大会の最終順位は、
1位日本
2位キューバ
3位韓国
4位中国
5位ペルー
6位ハンガリー
7位アメリカ
8位ソ連

だったのでソ連は途中で5位以下のチームに悉く負けた、ということになる。それなのにメディアもあまりこの事をあの時はあまりとりあげなかったようだった。
若手とベテランの入れ替えでこうなったのだと思うが翌年の78世ではソ連は3位になってるし準決ではキューバを倒すのではと言われた。77WCでソ連は何かあったのだろうか?
詳しい人だれかおりませんか?
いたらだれか、このあだしに教えてちょうだいっ
選手交代の時期だったとしても当時のアメリカにソ連が負けるなんて何かおかしい気がしたんですよね、あだしは。
300名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 17:57:24 ID:7LCDqNMg
やっぱりいそうもないわね
そりゃそうですよね
今から32年も前の大会の試合のことですもんね
それもテレビ中継をやらなかったソ連の試合のことですし
そして何よりこのあだしが知らないことですからね
301名無し@チャチャチャ:2009/12/07(月) 18:20:54 ID:JPHDPVWQ
残念でしたね(苦笑)。
302名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 10:48:18 ID:VXJO4bVk
77WCのソ連女子はたぶん若手を出して戦ったのでしょう。
正式に言えばこの大会から日ソの時代は終わった
ソ連が脱落した、それも最下位の8位という結果で
しかし、女子バレーは1964年からずっと日ソの二強で来ていたから
やっぱりソ連もこんな成績になるとは思わなかった、と思うですよ
大会直前には。
若手に入れ替えたメンバーだったとしても最下位になるなんて、とはね。
この年の5月の日ソ対抗の日本シリーズでは日本の1勝2敗で、ソ連シリーズでも
日本の2勝3敗、通算成績が日本の3勝5敗で負け越しだったのもあだしは憶えている。
この時は白井矢野のツーセッターでやっていたから強敵ソ連に日本が負けても仕方がない
と思っていたあだしだったが77WCのソ連の8位という結果、こんときはなぜ、こんなソ連に
日本は負け越しなんかしたんだろう、と思ったのですよ。
ソ連の監督や選手はこんな成績になってしまい国へ帰ったら大変だろうなってあだしは思いましたね。
だって当時のソ連といったら、優勝したら一生の生活を国が面倒みてくれるが、そうでなかったら貧乏な
生活を一生、一市民として送らなければならないのだ、というイメージでしたからね。
大富豪になるか、貧乏農場へ行って働くか、という人生ゲームのCMみたいな感じがしたもんね

ちなみに上記の日ソ対抗で日本が勝った3試合はセッターが松田だった事も念の為記しておこう
この年の春に行われた日キ戦も日本の2勝2敗で、これも白井矢野のツーセッターの試合で日本は
負けてしまった。

303名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 14:11:20 ID:VXJO4bVk
このことからも分かるように76モンで2位だったソ連はきっとあまり強くはなかったのだろうね
ソ連、というだけで当時の日本チームは勝手に強豪国扱いしていただけだったのではないのか、
と。そして中国やアメリカの事をこれも勝手に下に見ていたのではないのか、ともあだしは当時
思ったな
だって77WCでは中国に予選で日本は負けてしまったのだから
とても下に見られる相手ではなかったんですよ、当時の中国というチームは。

なのにいつまでも敵はソ連の1チームだと山田監督はじめ日本のバレー関係者その他
マスコミは思っていた。ここに間違いがあったのだと言いたい。
山田監督は1980年のモスクワ直前まで
中国は中華を食えないところでは勝てない、と。
キューバは昔は日本から一生懸命バレーを学んでいこう、といった姿勢が感じられたのに最近は天狗になっている、と。
こんな事を平気で言っていたのが日本の指導者だったのですからねwww
本人もそうだけど、こういった人事を決めたバレー協会のセンスも疑うな
山田監督は、昭和46年頃から狡猾な高校生のスカウト活動で各チームの監督からかなり顰蹙をかっていたみたいだったが
日立武蔵をやっつけるチームがなかったので女子は山田の独裁政治だった。
しかし84ロス以降は、山田バレーは世界に通用せずかなり陳腐化したバレーになっていた。
だからあだしはここのスレタイに該当する時代は1964年から1977年(本当は1974年としたいのだが)の約10年少しだと思っている。
なのに、88ソウルの滝沢や86世の益子に本郷の話題が
なんなのこれって感じなわけなんですよね、あだし的には
1972年頃の佐々木の真理ちゃんのがずっとましだな
304名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 14:23:25 ID:HGoHpK37
あの〜ご自分でブログを作って好き放題やって下さいませ。

少なくとも2チャンネルをご自分のブログ化しないで下さい。

305名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 14:31:47 ID:VXJO4bVk
あだしのバレー知識について来られる人、だれか現れて。
そんなに昔のことではないのだから
あだしと同世代だったら小5から中2くらいのときのことなんですから

で、昭和46年頃に日立に入った選手といえば荒木田や金坂そして矢野なんかに
なるのかな?
306名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 15:10:11 ID:gW+IlUwn
昭和46年なんて生まれてないがな( ゚д゚ )
307ななしのいるせいかつ:2009/12/08(火) 15:24:45 ID:iOrtTPkW
昔と今はバレーの質が違うから単純に成績だけでは決められない。まあ
体力、闘志、根性、レシーブと基本がしっかりしていたのは確かだが。

往年の名選手たちに感動をもらい憧れ、魅せられた、思い出も多いのは分かるけど
当時の選手が現役のまま今にやってきても日本代表も厳しいでしょう。もともとの
身体能力に戦略、戦術、技術が加わった今の世界は強い。
グリンカなど女子でも110K/hを超えてくるスパイク。到達点も320cm近辺まで来ている。
日本特有の変化をつけた早い攻撃も他国だって見習ってか知らないけどやってきている。
これからは簡単にこの国が勝つとはいえない大混戦の時代になってくる。
308名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 15:38:12 ID:HGoHpK37
それはそう思う。
70年代のバレーとは単純にルールもボールも違っていて全く別物になってるね。

昔話をするのはいいが、せめて今、解説している中田以降の話にしてもらいたいね。

そんなに大昔限定なんかにしたら、PCをさわれない人限定になるよ(笑)

どんな層が中心なのかを考えてもらいたい。

無論、個人ブログなら勝手にできるから、ブログを作る事をすすめたわけだが
309名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 15:45:13 ID:VXJO4bVk
>>307
女子で320なんてキューバなら1970年代初頭にいた
もしかしたら1960年代半ばにいたかも知れない
170の選手の指高が220としてその選手がRJで1メートル跳べばいいのですから
そりゃそうですよ
飯田は世界一のセンタープレイヤーと74世では言われた
白井も世界最高のエースと74-5年頃から言われたが
今の荒木のが確実に飯田よりも上だし栗原だって白井よりも上
しかし荒木や栗原よりもすごいのが世界にはいっぱいいる

310ななしのいるせいかつ:2009/12/08(火) 15:47:57 ID:iOrtTPkW
>>308
レスありがとう。でも往年の選手に夢を見させてもらったり、この人が打つと
思ったらひょっこりと思いもしない選手が思いもしないとこから打ってきたり
早い動きと複数の選手によるコンビネーションに度肝を抜かれ魅せられたことは
確かだよ。募る思い出がたくさんあって話きれないんだろうね。

それに昔の選手の気力、体力、根性、闘志、レシーブは今の選手が見習うべきもの。
もちろん持ってはいるんだけどまだ足りない。レシーブが上達すればバレーは強くなる。
レシーブは身長低くったって高く跳べなくても努力で上達するしボールの行方もだんだん
勘で分かるようになるよ。サーブレシーブ返球率が男女揃ってとにかく低い30%台がしょちゅうある。
佐野優子のように80%とはいかないまでも65%はセッターに返せないと各種クイックも速い攻撃もできない。
今の世界の強さに対してもレシーブがもっと良くなればもっと日本の攻撃が決まるようになるよ。
311名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 15:50:02 ID:VXJO4bVk
>>308
それは違う。
この板は極端に人が少ないのです
中田以降のときってあんまり良くないんですよね、日本の女子バレーは。
84.88.92
80のときから良くないのだから。
72あたりから知っているあだし的に言わしめれば
312ななしのいるせいかつ:2009/12/08(火) 15:54:14 ID:iOrtTPkW
>>309
うん、1m跳べるようになるのがどれだけ難しいかわかっておいでなら
そういう言葉は出ませんね。NBAのプレーヤーで80cm跳べない選手何人もいますけどね。
キューバなら70年代でも320cmいった選手がいたことも知ってます
ルイザやカルデロンが330までいってるのも知ってますがイタリアやポーランドとかその他
主な国で平均したら320cm台なので今は320までって言ったまでで。
もしかして70年代を私が侮っているとでも思いお怒りですか。
313ななしのいるせいかつ:2009/12/08(火) 15:57:38 ID:iOrtTPkW
あ、すみませんランニングジャンプですね。ごめんなさい。

>>311
違わない、80年代がよくないのではなく世界がバレーを学習してきたのです。
70年代日本よりわずかぐらい下のスピードとコンビネーションバレーができたら
日本の金メダルを阻止するには十分です。日本が世界を育ててしまったとも言える
314名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 15:58:59 ID:HGoHpK37
この板が極端に人が少ないのは、あだしさん貴方がいるからですよ(笑)

年代とかは全く関係ないと思います。

空気をよんで協調性をもつか、消えて下さい。
315名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 16:06:03 ID:tD6N9tDr
だいたい77WCなんてソ連は最初から捨ててるしw
ソ連は78年地元世界選手権に備えて77WCは格落ちメンバーで参加してる。
こんなの常識。当時はWCなんてその程度の大会だった。
316名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 16:07:55 ID:4ih+PvkR
主は昔と今を比較したり、思い出話を語り合うためにスレを立てたんじゃないの?
あだしさんの思い出話やウンチクを聞きたくて立てたんじゃないかなぁ?
あたしは、あだしさんのレスを楽しみにしてるんだけどなo(^o^)o
317ななしのいるせいかつ:2009/12/08(火) 16:12:13 ID:iOrtTPkW
当時みた衝撃が70年代を愛したあだしさんの中で最高のバレーボールなのです。
あの時の選手が現役のまま今にやって来て日本代表を争いってみる、あるいは
今のポーランドやドミニカ、ブラジルなどと練習試合でもやって完膚なきまでに
叩き潰されるのを見ない限り思想は変わらないでしょう。
わたしもいずれ味わう、30年後の若いバレーファンからあの時はこの程度だったと
言われる日が来るんです。

でも30年後の日本代表が今より強くたって今魅せられている狩野の器用さ、万能さ、
引き出しの多さ、荒木の速さとブロック、竹下の速く正確なトス回し、
前向いたまま後ろへトスなどが最高のバレーだと思っているでしょう。
318名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 16:13:59 ID:HGoHpK37
楽しみにしてる人もいてると思うが、その数十倍うざがられている。

319名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 16:14:30 ID:VXJO4bVk
>>314
それも違います
少し前まではいたのです、(その人間が携帯とPCで自演をしてないとすれば)
しかしあまりに素人だったのでガセってばかりいた・自分が知ってるところだけは
意気揚々とくだらないデーターを出してレスしていた、のだがあまりに幼稚でつまらなかった
ので、あだしが少しつっついてやったんですよ。
そしたらいなくなった。たぶん今もいるけど【ここがとても微妙なんだが】
その人は人のお話がマトモに聞けない人だったんですね
でやっと環境がよくなったんですよ、この板も
ほらね、あだしがバレー史をやると今日もマトモな人だけが集まった、しかも
この時間に
数人もwwwww
この集まり方はなんとなく前に似ているわけで
320ななしのいるせいかつ:2009/12/08(火) 16:26:48 ID:iOrtTPkW
まあまあ仲良くね。あだしさんもわたしもその他の皆様もバレーボール大好きである
ことは変わりませんから。あだしさんは思い出が尽きないんですよ。
次から次へと東洋の魔女たちの妙技が美技が鮮明に駆け巡ってくるのでしょう。
321名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 16:38:19 ID:HGoHpK37
でも客観的に当時の映像みて、白井さんも今じゃ代表は厳しい感じですね。

今でも当時の実力で現代表になれるのはモスクワ以前のメンバーにはいないでしょう。

東京オリンピックの東洋の魔女さんは高校バレーでも優勝できないです。
322ななしのいるせいかつ:2009/12/08(火) 17:00:35 ID:/S5Mah0C
すみません、東洋の魔女はあだしさん世代じゃありませんでした。70年代に
蘇った魔女たちでした。
それとあだしさんも栗原、荒木の実力は認めてらっしゃいますから単に当時の
思い出だけで今のプレー、バレーの傾向も考えず妄想ばかりの爺さんばあさん連中とは
違います。高校バレーかあ、スレチだけど東龍やるねえ。プレミアからセット取ったよ。
たいして高さないチームだけどまずレシーブがしっかりしている。きっと激しく打ち込まれて
受けさせられてきたんだろうな。
323名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 17:02:11 ID:VXJO4bVk
78世でもう白井さんでは通用しなかったのですからね
だからあだしは77から78あたりで女子バレーが大きく変わったと思うのです。
キューバ、中国、アメリカが女子バレーの流れや戦術を変えたのです。
ペルーや韓国もまぁまぁ70年代後半頃から強かったが、世界のバレーを
現代のような形に変えたのは中国キューバアメリカだったのです。
そしてその後の1980年代後半にまた変えたのがイタリアとブラジルだったということ。
324名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 17:11:09 ID:tD6N9tDr
結局あだしは下部構造の変化については述べられない。
だからつまんないバレー史観になってしまう。まあ限界だろうね。
325名無し@チャチャチャ:2009/12/08(火) 19:13:42 ID:tsuo3IC+
白井前田松田辺りは世界で勝てないかも知れないが、今のレベル低い全日本なら十分通用するだろう
今の選手の方が運動能力数段低いし、不器用だし、だいたい性格的にも弱すぎる
326名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 00:42:02 ID:euq2vl6H
モントリオールオリンピックのビデオを見ただけだから、語るのもどう?って感じだけど

前田さんは身長的に今のミドルじゃ厳しい
松田さんは身長もあるしいいと思うけど、俊敏さやハンドリングは微妙。
だけど、今のバレーとはルールも速さ、高さが別次元だから分からない。
白井さんもルールがワンタッチがカウントされるから、垂直飛びが多く、手打ちが多いんだよね。
今の海外ブロックなら、ドンピシャされまくりの栗原よりもドンピシャされそうかな。
ただ守備やつなぎがいいので、ライトとかなら面白いとは思った。後、昔の人はメンタルが強い。
特に白井さんは。
327名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 01:39:30 ID:RQxW7LvX
前田手足長いし最高到達点軽く3M超えてた
元々はサイドスパイカー
松田ハンドリング上手いでしょう、今の選手と比べ物にならない
白井は逆足AB光の早いトスも打てたし最高到達点3M超え
日本リーグでスパイク賞、サーブ、レシーブ賞も取っている
今の根性無いレシーブ出来ないエースと違う
328名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 01:57:48 ID:euq2vl6H
そうですね。
ただビデオを見てたら、敵も日本もサーブゆるいし、攻撃遅いし、選手の動きも遅いし、高さ感じないし、そもそもワンタッチがカウントされるから乱れまくりの二段トスが中心の単調なバレーなので、そもそも比べるのが厳しいですよね。
329名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 10:32:38 ID:5e6m5LTl
>>307>>310
上記のレスでも説明しましたがレシーブ、気力、根性、闘志は昔の人から見習わないと
いけませんな。たしかに木村、栗原のレシーブ力ははっきりいってザルです。特に木村
まともにみれるのは佐野、竹下くらい。でも狩野は希望があるという意味では期待できますよ。
330名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 10:58:33 ID:LUEyrlMO
中田、廣、さらに大林あたりで残念な意味で日本が大型化するとこんな感じになってしまうのか〜ってあきらめのようなものを感じたね
70年代の日本、80年代の中国のような非常に質の高い上手さを兼ね備えたうえで、さらに欧米に対抗できるくらい大型化するってのは
東アジア的にはすごい理想的なんだろうけど、20年ほど経っても現実にはならないので多分不可能なんだろうね
331名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 11:02:06 ID:8XwnxDxP
>>328
今の選手の二段トス見たことあるんですか?
ひど過ぎますよね、ドリブルやアンテナ越えるとかまともなトスの方が少ないだろ、荒木杉山なんか見てられない
それと白井前田松田辺りは現在いても十分通用するだろ、時代のバレーが違うだけで、体力筋力は今の選手より鍛えられてた
今の日本の選手の方がトス遅いです
攻撃パターンも少ない
エースが速攻入ってセンターが時間差絡むとか今無いよね
縦のBも今なんか殆どない
高い遅いトスにしても松田なんかブレて無いよね、今のその辺のセッターなんかまともに高いトス上げれてないよ
332名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 11:36:33 ID:trpt3GlV
いつの時代であってもオリンピック、世界選手権、ワールドカップで世界第一位になるということは
簡単にできることではないから、昔は世界レベルが低かったからとか今は世界レベルが高いからと言うのは
間違いではなくその通りではあるが、それを言ったらお話はすぐにおわってしまう。
東京五輪の河西さんなんかのチームの時とモントリオールの白井さんの時のチームを比較したって
かなりの差があるのは事実だ。
しかし日本が優勝出来たときのチームは、精神的な強さがあったように思う、とあだしは言いたかった。
それは男子の72ミュンヘンの時のチームも同じ
粘りがあった、簡単には負けなかった。

あだしがここで一番言いたい事は
優勝したチームはそのときに世界で一番強かったから優勝できたのだという事、こんなの当たり前のことですが。
しかし、その強さは永遠に続くものではないのだから、指導者たちは日夜、研究を怠ってはいけないのだ、という事です。
72の男子も64.76の女子もその時代の最高というだけだったのですから
いつまでも日本人が編み出した回転レシーブとかAB時間差、光攻撃とか言っているのは違うぜ
って事です。
私は4年間あれば世界一のチームを作る事ができる、などと言った監督もいたが、その人が世界一を獲得した後
世界一になったかw
世界を甘く見たらいかんぜよ、ということ
キューバは強打でせめてくるが、ミスが多いからアウトになるかネットにかけるので
あまり心配はいらないのでサーブは少しゆるめでもミスせずに入れておけばいいのだ、といった
消極的な考え方しかできないような監督はいらない、ということです。
あのキューバがもしももう少しバレーを覚えて足長にスパイクを打ってきたなら日本はどう対処すれば
いいのだろうか、と常に『もしも』を考える事ができる指導者が72と76の後に多くいたら日本のバレーは
今の様にはならなかったとあだしさんは思ったのです。
日本チーム安心理論はいらないのです。
もしもを常に心がけて行けばいいのです。

333名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 14:05:47 ID:trpt3GlV
勝てなくなると見ると否やユニ〇チカの監督にバトンをすぐに渡した人がいましたね
それもバトン交換ゾーンの手前で
こういうの本当にみっともない
威張るのなら最後まで責任をもって威張っていただきたかったですね
最後は週刊誌に負けていたしww
あれには笑えた
334名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 14:13:24 ID:euq2vl6H
う〜ん(笑)私は客観的にモントリオールオリンピックのビデオを見て思った事なんですが。
攻撃パターンは多かったのかも分かりませんが、相手のサーブもゆるいし、ブロックも高さを生かせず、よくにいうぶら下がり状態で組織的でもないので、判断しかねました。
また、松田さんのトスアップの位置がおでこの前で高さがないので、遅く感じたのかもしれません。
今の選手は高いところでトスアップする人が多いので、そう感じたのかもしれません。
335名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 14:22:49 ID:euq2vl6H
後、守備力も相手チームの攻撃が今のレベルとは高さ、パワー、速さ全てが違いすぎて、判断しかねました。
今はブロックに引っ掛けてじゃないと厳しいですが、モントリオール時はラリーが今以上に激しい印象をうけました。
まあ、ワンタッチがカウントされる時代でしたから、当然ではありますが。
336名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 14:32:25 ID:nSSpwr8e
昔の方がドリブル判定が断然厳しかった
ルール的にもサーブレシーブ時のドリブル免除になったのはパワー化を大幅に加速化させた要因しょうね
逆に言うと今の選手が昔のルールで試合をしたらサーブレシーブした時点ですぐ反則をとられてしまい、まともな試合にならないでしょうね
337名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 14:41:24 ID:euq2vl6H
確かにドリブルに関しては厳しいと思いました(笑)

反対にホールディングは緩く感じました。プッシュも多いし松田さんのトスのためも今ではホールディングをとられそうって思いました。
338名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 16:56:07 ID:trpt3GlV
大会で優勝したら
そのチームの監督は最優秀監督
で、エースアタッカーも最優秀スパイカー
そしてセッターも最優秀セッター
だということなだけですね。
こうじゃなかった事も一度だけあったが
それは77WCの男子の表彰式のときのことでしたが
ソ連が優勝したのに
最優秀監督賞は、3位だったキューバのエレーラ監督が選ばれた
選ばれたエレーラ監督は、えっマジ!!本当に俺でいいのって顔で
ニコニコしながら表彰台にあがってた。
一方のソ連のプラトーノフは当然自分が選ばれるものだと思って一度席を
立ったのにエレーラにもってかれて本当に悔しそうでしたよ。
339名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 19:19:06 ID:8XwnxDxP
>>334
今の選手で絶えず高い位置でボール捕れてるのは誰?
中田以来日本人で肘のばして高い位置で捕れてる見たことない
苦し紛れで触ってるのとは違いますからね
ちゃんとしたハンドリングがホールディングって今の選手ドリブルやホールディングだらけですよ
パス下手な人が多すぎますよ
340名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 21:09:55 ID:euq2vl6H
ハイハイ分かりました(笑)

逆質問で私が拝見したAパスでも肘を折り曲げておでこの前でボールをとり、膝を折り低い姿勢から、ボールを持ってから三秒くらいためを作ってブロックを振る形のセッターは今のプレーヤーでいるでしょうか?
ただ松田さんの形を否定しているわけではなく、当時の世界一セッターであることは認めています。

いわば松田さんの形が本来の基本で一番安定したボールを出す事に異論は全くありませんから。

ボールの下に入る速さにも長けていますし。
341名無し@チャチャチャ:2009/12/09(水) 23:56:45 ID:RQxW7LvX
>>340
それで、日本の誰が最新のセッターなんですか?
342名無し@チャチャチャ:2009/12/10(木) 00:08:25 ID:qQ5r1+AD
3秒はオーバーでは?実際は1秒にもみたないのでは?
だって3秒って言ったら20mぐらい走れちゃうよw
343名無し@チャチャチャ:2009/12/10(木) 01:15:06 ID:OIm3h9yG
344名無し@チャチャチャ:2009/12/10(木) 01:32:18 ID:OIm3h9yG
たしかに3秒は大袈裟やなぁ〜
でも松田のブロック振りにいく時のためはホール臭いなぁ
矢野のターンのプッシュはもろホール。

今、松田のような教科書通りにあげる奴もいねえし、中田のようなひじを伸ばして手首だけであげる奴もいねえよ

松田の教科書通りと中田の基本無視って極論なんだよ

だから松田のような奴がいるかとか中田みたいに高いトスアップするやつがいるかとかの質問自体が馬鹿げてる

そもそも中田より高いセッターなんか出てきていない

昔話語るならそれくらい知ってるだろう。
今のバレーが好きで昔のビデオを見たら、びっくりしたやつと遠いいい記憶で話すやつとかみ合うはずがないんだよ。
345名無し@チャチャチャ:2009/12/10(木) 11:05:06 ID:teNXWssk
ずっとここはあだしひとりだったのにここ数日間は少し賑わっておりますね
けどまだ、340を少し超えただけなのでここでコーヒーブレイク・レスをあだしから
してもいいですかね。

77WCの時に初めて監督の手元にタイムアウトやメンバーチェンジを知らせるブザーが
設置されましたよね
で、女子の試合では解説が生沼さんで、実況の人とこんなやりとりが頻繁にあった
実況『身長が低いセッター松田に代わって178センチの富士フィルムの須藤と交代しますね』
生沼「須藤さんがこの大会で初めて登場しますね、ワンポイントブロックで、でしょうが」
実況『だれが、トスをあげるのでしょうか』
生沼「白井さんもできますし、矢野さんもできますから」
実況『今度は高柳に代わってピンチサーバーで金坂の登場です』
生沼「今、日本のコートには3人のセッターいます」
実況『ああー金坂のサーブポイントが出てこのセット15-6で日本がとって終了いたしました」
生沼『彼女はこの大会のために毎朝6時からずっと日立の体育館でサーブの練習をしてましたからwww」

昔の選手ってどのポジションででもできたんだよね
松田は身長が169だったけど腕が長く跳躍力もあったので、175センチくらいのスパイカーと同等な高さがあった
のでブロックがとても得意なセッターだった。
346名無し@チャチャチャ:2009/12/11(金) 10:52:08 ID:ycMCZSTv
また人が突然にいなくなっちゃったなw どうでもいいけど。

あだしが昔の選手と今の選手を観て思うのはこういうことなんだね
昔の松田白井そして江上横山広瀬小川らはいつも自分の能力(身体的・技術的)
を最大限に引き出してプレーしていたのではなかろうか、ということ
それに対して、今の栗原荒木狩野は能力を最大限に引き出せていない
つまり、もっとできる、バレーが上手くなれるのではないかということ

そうなれば、1セット当たりのブロック決定本数やサーブ決定本数が増えて今まで
負けていた試合が勝ち試合になるのではなかろうか、と思うわけです。
ブロックやサーブのポイントが増えれば当然、それをきっかけにチームも盛り上がるので
レシーブも良くなると思う。
レシーブが悪いから、とレシーブの練習をしてもそこそこは上達するかも知れないがそれ以外の
何かが、今の全日本には必要なんではないのか、そしてその何かが上記に記した事なんですね。
もっとも、試合を観ているとまだまだ素人みたいなレシーブだなって思う事もありますがねw

347名無し@チャチャチャ:2009/12/11(金) 13:48:28 ID:ycMCZSTv
ね、相当レスしずらくなっていそうなんだね、今回の場合はwwww

栗原さんだけど、彼女はここんとこ本当に速い攻撃をやるようになった
あれを観ていると数年前の栗原さんとは大違い
あれはあれでとてもいいのだが
あだしはあの攻撃を観ていると栗原さんがとても小さく観えてしまうわけなんですね
それも180とかではなく175くらいに観える
江上かと思ったくらい
たぶん、日本は速い攻撃をやる人に大きい人がこれまでいなかったのと
なんとなく顔や体型が江上に栗原さんは似ているからなのでしょう。
ですが、小さく観えてしまうというのはどうなのだろうか、とも思うわけです。
荒木さんはもう少し動きを速くしないとだめですね。
ということ
348名無し@チャチャチャ:2009/12/11(金) 14:39:15 ID:b0ZXOGCS
質問です。
あだしさんはどうしてキモイのですか?
349名無し@チャチャチャ:2009/12/11(金) 14:57:32 ID:ycMCZSTv
あだしが続けます。
76モントリオールのときの前田さんと飯田さん、この二人は共に174でしたが
どちらも178くらいに観えましたね
この理由をあだしなりに当時、分析してみたのですが、前田さんはスパイクフォーム
がとても美しくゆったりしていて優雅さがあり高さもあったので大きく観えたのではないのか、
と。そして飯田さんはブロックの名手で外国の高さのある攻撃をいいタイミングでとめていたから
ではないのか、と。
なので二人とも実際よりも大きく観えたのだと結論づけた。
栗原さんみたいに逆に小さく観えた、という選手もいましたね
1980年頃から1988年まで?とにかくその時代に日立のエースとして活躍していた杉山加代子という
人、この人は84と88で全日本のエースとしてプレーしていた選手でした。最高到達点も317あった高さの
ある選手でしたが、スパイクフォームがせせこましく、またエースとしての風格もあまり感じられないおどおど
とした頼りない感じの選手でした。栗原さんは杉山加代子似???

350名無し@チャチャチャ:2009/12/11(金) 16:47:03 ID:353nzpqX
80年代バレー競技が懐かしい。理由は個性のあるチームが多かった。身長の高い低い。攻撃や守備の上手い下手など。今は高い身長で全てのプレーをこなす。でもどのチームも個性がない。戦術も止まったまま。皆さんはどう感じますか?
351名無し@チャチャチャ:2009/12/11(金) 17:03:34 ID:ycMCZSTv
カナダ男子を強豪国にして日本に帰ってきた前田健
その後、ヨーカドーの監督をやっていたがそのままなんていうことも
なかった。あだしは山田、小島にかわってこの人が、88ソウル以降には
全日本の監督になったらいいな、と思っていた。そうなったらきっと日本の
バレーも変わるだろう、と。
しかし米田や横田そして葛和が監督になった。そしてますます日本はひどくなっていってしまった。
やっぱり、90年代は前田がよかった。
ヨーカドーというチームはあまり好きではなかったけどね
近年の柳本−真鍋の流れはいい感じに来ているとは思うな
352名無し@チャチャチャ:2009/12/12(土) 09:59:22 ID:8UrxPvc7
ルールが違う時代を比較するのは無意味。
ラリーポイント、ブロックのワンタッチをノーカウント、足でレシーブOK、
リベロ制度という現在のルールの時代と、それ以前のルールの時代では戦略も戦術も、
チーム編成も全く違う。それを訳知り顔で素人が比較するのは滑稽なだけ。
353名無し@チャチャチャ:2009/12/13(日) 07:45:53 ID:aIrJAsPC
戦術戦略以前の問題
ボールが変わろうがルールが変わろうが、日本人はボール扱いが下手になりすぎ
外国人の方がボールの扱い方が上手いんだから勝てるわけ無いよね
身長だけ大きくなったけど体力面で進歩なしってか昔より落ちてる
これじゃ勝てなくなるはずだよね
354名無し@チャチャチャ:2009/12/13(日) 09:19:13 ID:AgYmydUZ
今の日本と強豪国との比較ならばね。今より昔の方が上手かったみたいな
議論は無意味でしょう?ルールは違うし戦略、戦術が違うんだから。
例えば現在の攻撃力重視で尚かつ繋ぎが上手いブラジルや中国相手にして
現在のルールで、昔の全日本が今の全日本より善戦できるなんてあり得ない。
355名無し@チャチャチャ:2009/12/14(月) 11:06:28 ID:pvY2Hsug
ユニチカの佐々木真理子さんて1976年の日本リーグのときからその年に引退した塩川さんに
代わり主将になったよね。そしてセッターとして日本リーグでプレーしていたな
1975年度の日本リーグでは、塩川さんの対角で佐々木さんはツーセッターでプレーしていたし
1976年からは主将としてまた、セッターとしてユニチカ貝塚ではやっていた。
1978年の4月に小川がユニチカに入社してセッターをやりだした頃は佐々木さんもまだセッターを
時折やっていたが78世で山田監督に小川がセッターとして抜擢されてそのまま小川が全日本選手として
セッターになってからは佐々木さんはユニチカでは完全に控えのセッターになった。
そしてその後の1979年アジア選手権の頃からはずっと小島全日本のマネージャーとしてやっていた。
あだし的には佐々木さんもこの時代のユニチカの事も本当に興味がないからどうでもいいんだけどね、
本当は。
そういえば、佐々木さんが新主将になった1976年のときは
セッター佐々木の対角に水原で、センターはだれがやったか忘れたが
レフトは横山と石川だったのを憶えている。

>>349
に書いた杉山加代子選手だけど、彼女は公式記録では180になっていたが、プレーを観ていると
177-8くらいの選手に観えたね。元気がないプレーをしていると4つも年下で一年遅れ日立入社の
中田にコート内で『スギさん、ファイト』元気出していきましょう、みたいによく肩をたたかれてたっけ
杉山は高さもあるんだからもっと強気にやれば決まる選手なのに、と当時のあだしはいつも思っていましたね。
最高到達点も317あったので山田監督も白井を確実に超える選手、と当時はマスコミに言ってた。
1980年頃のことか


356名無し@チャチャチャ:2009/12/14(月) 17:59:00 ID:pvY2Hsug
ここでいきなり佐々木さんのことをマジレスされたら少しやりずらかったかな?
話題を元に戻しましょう。
キューバの女子選手の最高到達点だが、1980年代後半にいたミレーヤ・ルイスの336
というのはキューバ選手としてもこれは別格だったが、1970年代後半にいたバルネット
やウルヘリエスは325だった。もう少し前にいたペレスやディアスは身長こそ169と低かったが
SJが96あったとかで最高到達点は315あったらしい
多分、指高が220くらいあったのだろう、すごい腕の長さだ。
で、キューバは1980年頃から選手のほとんどが305あるバスケットボールのリングにジャンプすると
手が届くとも言っていた。
チーム平均の最高到達点は307だと
この頃の日本の選手で305を超える選手は307の三屋と317の杉山だけだったように思う。
しかしプレー中のブロックやスパイクをキューバの選手と三屋や杉山と比較して観ていると
断然、キューバが高く観えたもんね。
それはなぜか?
滞空力、空中静止時間の差ではないのか
これは中国の郎平や三屋を比べても同じだった。
測定法の違いもあるのではないか
日本の場合は少しでもリングに触る事ができたらokとしているのに対してキューバなんかだとベタッと触れないとダメだ
みたいになっているのではないのか
下で見ている人間にリングに触れた事が分かるように触らなければ認めない、とあるのか否か、と思うんだね
とにかく滞空力の違いは昔から歴然としていたな
白井と前田も同じ305であったが、前田のが滞空力がかなりあったな
今は世界がかなり高くなっていると言うがあだしはそれほど昔と変わってないように
感じるのですがね。
>>352
だれに言ってるんだい、それは。
滑稽と言うかとても恥ずかしいのはあだしから言わせたら
何も知りもしないでバレー史を改ざんしてレスする奴とか
〇カの一つ憶えみたいにだれもが知っている公式データーをここに書いた挙句に
190オウバーだったからミュンヘンで男子は優勝したんだよって書いたヲカマのがみっともないと思うがね

357名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 09:26:57 ID:xp/HjNzr
身長が169で指高が220、って思い切り普通じゃんw
杉山の最高到達点が317?
大抵313と記載されてたけどね。
アスペルガーは記憶も無茶苦茶だなw
358名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 11:08:16 ID:Aw751WkH
>杉山の最高到達点が317?
>大抵313と記載されてたけどね。
NECの公式サイトだと312ですね。
359名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 11:14:17 ID:xp/HjNzr
元日立の杉山加代子のことなんだけどね。
30年近く前の全日本レフト。
360名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 11:28:27 ID:Aw751WkH
そんな古い選手のことだとは思いませんでしたw
失礼しました。
361名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 12:03:19 ID:gSrVagwB
みなさん、あだしさんのレスを本当に良く熟読してくれてありがとう
まず日立の杉山加代子さんの件
これは317で正しい
確かに一部バレー雑誌には313又は314と記載されていたが、彼女は1980年の秋頃に
日立バレーボールチームで月一で行われていた体力測定の時に一度だけ317をマーク
したことがありましたのであだしはそれをその場で見ていたので317と書きました。
当時のバレー雑誌でも317となっているものもありましたが、というわけです。
江上も304をこのときマークしたんでなかったかな
なので江上も298又は300若しくは304と色々でしたね
まぁ杉山さんはいずれにしても310オウバーであったということで当時の日本の選手としたら
最高だったのではなかろうか。現在の選手でも310を超えるというのはあまり聞きませんからね。
次にペレスとディアスの件ですが
ディアスは169.220.315ですが、ペレスは169.230.326でしたので
ここに訂正いたします。
杉山さんで、180.227.317なのでやっぱり腕がペレスは特別に長いように思いますが、どうでしょうか。
ちなみに中田が176.230.300で腕が長い選手だと騒がれたのですから。
>>357
大抵なんて、そんなことだけならば、だれでも分かるw
あだしはそんなつまらんデーターをこんなところにレスしないし
かといってガセも言わないでしょ。いつも。
だからトレビア〜ン
な、わけですよ。
あだしに噛みつくときは慎重に!!
362名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 13:06:26 ID:YVplehuX
今は310オーバーは結構いますよ(笑)
まあ、全盛期の数値でしょうけど。

久光は小山、先野、大村。
NECは松崎、杉山。
パイオニアは佐々木、栗原、今野。
JTは山本。

30年前は杉山さんだけだったんですか?
363名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 13:53:28 ID:YVplehuX
おっと忘れてた

上尾の庄司も310超えてたね。
364名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 14:25:51 ID:gSrVagwB
>>362
白井松田が現役で頑張ってたとき1974年から1978年頃は日本はこのふたりが
305で、バスケットボールのリングに手が届くと騒いでた
で、次の世代の横山や水原江上で298だった
この頃が1977年から1982年頃になるのか
1979年のアジア選手権で小島監督が三屋を全日本に抜擢した
あいつはいいジャンプをしてるから、と。
1980年のモスクワが不参加になってこの頃から三屋が江上の対角でスタメン出場が
多くなった。それまでいた清水や池知はモスクワボイコットで引退しちゃった。
で、1980年に杉山が白井二世と言われ日立に入社した。
池知と同じ富士フィルムに178ある須藤という選手もいたがこの選手も期待されて富士に
入ったが1980年に早々引退してしまった。この須藤も高さがある選手だと言われていたが
最高到達点は298だったと思う。
1981年に三屋が日立へ入社したがこのとき、川越商業出身の小高笑子という選手が一緒に入り
1984年のロス頃でライトとしてスタメンでやってたが、この選手も179あったが最高到達点は298
だったので杉山加代子の317と三屋の307はひかっていたよ。
決定率の高さでは江上がNo.1だったけど
365名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 14:26:56 ID:gSrVagwB
一行目訂正
松田白井でなくて前田白井ですね
松田さんはセッターでしたので
366名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 14:41:32 ID:YVplehuX
じゃ、車体の田原香里さんも、177で307だからその時代なら光る存在になれたんでしょうね。

前田さんもよく跳んでたんだろうけど175の関井は310オーバーだったんだよね。

だけど170代のセンターは厳しい時代になってたから、全日本には選ばれなかったもんね。
367名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 16:37:50 ID:GoIQ+5Ba
ウルヘリエスは身長181で、指高244
強引にセンターから足長のセミクイック打って決めてたな
368名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 16:43:08 ID:GoIQ+5Ba
白井や前田が70年代にやってたバレーじゃ
今は通用しないっていうならわからないでもないけど
白井や前田が通用しないって言い方はどうかな?
今のバレーを覚えさせれば、十分全日本に選ばれる素材だと思うよ

東洋の魔女さんは古すぎてなんとも言えないけど
369名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 16:43:55 ID:GoIQ+5Ba
サーブにしたって今はエンドラインのどこからでも打てるんだし
370名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 16:57:42 ID:YVplehuX
白井さんはできると思う。レシーブ良かったらしいしレセプセションができるサイドとして。
松田さんも今いたら今のバレーに対応してるでしょう。
前田さんはセンターとしては厳しいね。
サイドとしても、その身長なら守備力がほしいけど、石田が選ばれてる現実をみると、選ばれる可能性は十分。
371名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 16:58:40 ID:VhDWomSl
白井はまだしも前田は今は絶対に選ばれないよ。
今センターは185でもチビ扱いされる時代だし。
372名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 17:06:47 ID:YVplehuX
だからセンターとしては厳しいって言ってるじゃん(笑)

前田さんって三洋ではレフトじゃなかった?
だからサイドならって書き込みしたんだけど、私の記憶違いかな?
373名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 17:08:46 ID:VhDWomSl
368に対してです。
374名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 17:12:26 ID:YVplehuX
乙です
375名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 17:43:09 ID:gSrVagwB
今日はここにしてはすごい人ですね
74世から77WCの頃ってセッター松田の対角に吉田、センターに矢野と加藤、レフトが白井と前田
というのがお決まり最強メンバーだったけど強くて余裕があったからか
センター白井と前田、レフト横山須藤、ライト荒木田
とか色々だった。
横山と須藤以外はレフトライトセンターの全てをこなしていた。
山田監督が今日は平均身長を高くしよう、と日立の体育館で言えば
セッター白井と矢野、センター江上と吉田、レフト前田と須藤とか
守りのチームで勝負と言えば
セッター松田の対角に高柳、センターは矢野と江上、レフトは白井と前田とか
自由自在だった。
だから江上世代の川原、青木、金子、森田くらいまでの選手は日立の練習では色々な
ポジションをやらされていたね。けど、この頃より実業団で4位レベルのチームになってたから
結局は本島のチーさんがセッターをやるということになってた。
で、そうこうしているうちに中田がデビューをしてその控えが利部だったり、高橋だったり
という事だった。
矢野−白井のツーセッターも1976年のモントリオールの前頃から日立だけでは練習してたんだよね
しかし、キューバソ連とそれでやったら勝てなかったのでやめた。
つまり、前田も白井も松田もあの頃だからそれぞれが通用しただけなんでないかと思う。
昔の選手は今の選手よりも気持ちの面、つまり精神力が強かったが、あれ、今の時代にも通用するかな?
ブラジル、ロシア、イタリアの選手の強打が来たらもしかしたらすぐプッツンしておしまいかもよ。
84のロスがあった頃、
白井さんは、こんなこと言ってたね、週刊誌で。
私の頃は時代がよかっただけなのよ、今の時代の選手でなくて良かったと思うわ
それと、私の時代にはセッターの松田がいてくれたし裏エースにはエッコもいた。
飯田さんに矢野、そして高柳もいたから良かったのよ。これからの全日本?今にメダルはおろか
オリンピックに出場することすらできなくなると思うわ、このままの実業団主体ではね。
と、だってさ
376名無し@チャチャチャ:2009/12/15(火) 18:11:23 ID:gSrVagwB
レフトに岡本もいたね
この人は72ミュンヘンで白井と一緒に出ていたが、なんとなく陰の薄い選手だった
けど前田も白井もレフトでやるのが一番好きだったように思うな
そういえば、全くお話はかわりますが、88ソウルの韓国戦でセンターの江上が
一本だけレフトから平行トスに近いオープントスを打って決めたんだよね
あの試合の解説をしていた米田も
「今、江上がレフトからいいスパイクを打って決めましたね」
と言っていた。
377名無し@チャチャチャ:2009/12/16(水) 11:21:13 ID:yOlfJYdM
>>367
貴重なデータ及びレスをスルーしてしまいましたね
キューバ選手って本当に指高が高い
ウルヘリエスで
181の244でしたか
最高到達点は、325とか327でしたもんね。
とにかく腕も長く手のひらも大きいのでしょう
1980年前後に活躍した男子のマルチネスという178の選手も身長こそ178と小柄だった
ですが、指高は241で最高到達点は360超でしたからRJで120は跳んでいたということになる
すごい選手がいました。
当時の日本男子のエースの田中で195.243.341でしたからね
いつの時代もキューバの選手は本当に腕が長かった、ということでしょうね。
身長が少しくらい低めでも腕の長さと跳躍力で日本選手の遥か20センチ上を軽々といってしまうという
で、そういった身体能力を持つお国柄の選手たちが多くいるキューバチームにも
男子で200、女子で190が次々と現在は現れている、日本が勝てないのも当たり前だ、という事になる。
ミュンヘンの頃やモントリオールくらいまではキューバも守備やトスがかなり下手でしたから
ウルヘリエスやマルチネスにいい形で打たせることもできなかった
ので日本も勝ててはいたのでしょうが、その後80年代以降は徐々に守備力が向上し、大型化して
日本が勝てなくなってしまった、というのが現実。
378名無し@チャチャチャ:2009/12/16(水) 13:19:21 ID:hC5GJsHN
昔のバレーって単独チーム主体っていうのもあるかもしれないけど、大松、山田、小島ってカリスマ性があったよね。
勿論、賛否両論はあるだろうけど、信頼してる選手が多かったわけだから、長時間の厳しい練習にも耐えてきたわけだろうし、練習量の多さが精神的なタフさやプライドも養えられたんだと思う。
決して練習量の多さを肯定するわけじゃないけど、女子の場合は感情論で動くところがあるから、単独チーム主体で信頼できる監督っていうのは練習に集中できる環境であったのは確かだと思うな。
379名無し@チャチャチャ:2009/12/16(水) 14:25:08 ID:NDdohdSU
キューバ選手は腕が長いというより肩の位置が高いって感じ。
380名無し@チャチャチャ:2009/12/16(水) 14:41:59 ID:yOlfJYdM
選手にうもすも言わせないカリスマ指導者だったかもね、確かにその3人は
今なんて
しょうちゃんなんて言われてるが。
だから練習中の日立体育館の中は本当に暗かったぞー
ユニチカのことは知りませんが。


381名無し@チャチャチャ:2009/12/16(水) 17:18:29 ID:yOlfJYdM
モントリオール五輪のメンバーの12名の中でまだ、独身だ、という人
だれかいるのかな?
樹理、矢野、吉田が一番若かったと思ったがそれでも今は54か55ですね
ロスのメンバーはどうなんだろうか?
三屋さんは独身ですよね?
中田、大谷、宮島、廣が当時は18才カルテットとか呼ばれていたが
382名無し@チャチャチャ:2009/12/17(木) 11:47:33 ID:WMsA4oTd
>>379
またまたスルーしていた
そういうのあるかもね
あだしは小学校入学の時から中学卒業の時までの9年間ずっと地元のスイミングクラブに
通ってた。そのせいかどうかは不明だが今でもいかり肩
バレー部に学校では入部していたが身長の割に指高が高かった
腕も長いし手も大きく指もすらっと長いというのもあったけど
とにかく全体的にすらっとしていて西洋人体型だった
裸になると今でも格好いい水泳体型なんですね、あだしは。
大学の時と社会人の時に街を歩いてたら、雑誌のポパイとメンズクラブのカメラマンに
写真を撮られてしまったことがあったくらいなんだわ
まぁ、これは着ているあだしの服のセンスが良かった、というのもあってなんだろうけど
ポパイなんて最近はあまりあだしは見ないがまだあんの、あの雑誌
あだしが大学生だった82〜86頃には良く
街で見かけた素敵な男の子、ってタイトルをつけて素人のファッションの特集なんかを
やってたわけなんですよ。それにこの格好いいあだしが選ばれた、というわけだったのです。
383ななしのいるせいかつ:2009/12/18(金) 06:24:44 ID:kXTWu9v2
>>382
自分で言ってるよ。あだしさんの武勇伝は別にいいから。
あっレスしてませんが時間が空いてるときここ読ませてもらっていますよ。
僕の知らないバレーボール史がいっぱいあってそうだったのかの連発、
ただしバレーの技術、戦略、戦術云々、現代の選手の評価は多少解釈の違いはあります。
384名無し@チャチャチャ:2009/12/21(月) 14:45:41 ID:443Mpv3N
ソ連とかって今はどうかしらないけど昔から結婚してもバレーをそのまま続けるのが
普通だった。そして子供を産んでも、妊娠中も大会に出ていた
お腹がかなり大きくなっていても試合に出ていた
日本は、と言うと
そういうのは考えられなかった。
結婚=引退だった
今はそんなこともなくなったけど
もしも、生沼さんの時代や松田白井の時代にこんなのが許されてたら
結婚しても選手をそのまま続けただろうか?
続けられるとしても日本選手は、引退して子育てに専念するとあだしは思うな
385名無し@チャチャチャ:2009/12/22(火) 12:28:54 ID:Wp1dn3Iw
>>384
ほんとならすごいなソ連
386名無し@チャチャチャ:2009/12/22(火) 14:48:06 ID:3r0NxsE7
>>385
本当ですよ
76モントリオールの前後の頃だったと思う、そんなのがあったのは
解説をしていた生沼さんが、よくこんなお話をしていたから憶えてる。
『〇〇選手はだいぶおなかの大きいのが目立ってきました。4ヶ月くらいになるのでしょうか』と。
こういうのって個人差があるので、7ヶ月を超えてもあまり大きくない女性もいると思うが
とにかくソ連の選手と戦うときにこんな会話が、多かったと思う。
しかし選手もソ連の代表として選ばれているんだという自覚はあるから
五輪や世界選手権そしてWCのときには産んでから登場していた。
あれっ1990年代にキューバにいたミレーヤも『子供を産んだら前よりも体が軽くなったみたいでジャンプ力が伸びてるみたい』との
語録をのこしてなかったっけ?
ソ連は1970年前後から1978年頃まではよくこんなのがありましたよ。
まぁキューバにしろソ連にしろこういったのはお国柄なんでしょうね
割り切っているというかなんというか
選手たちも団体生活を合宿所のような所でしてないのかも知れない
それぞれが別々に体育館に集まって練習をしているといった感じなのかも、と前々からあだしは思ってましたよ。
日本は少し監督が管理しすぎなのかも知れませんね
アメリカも案外、練習はナショナルチームが一同に一箇所に集まってやっているみたいですがね。
中国や韓国もそうでしょう、きっと。
イタリアやブラジルなんかはどうなんでしょうか?

387名無し@チャチャチャ:2009/12/22(火) 15:02:21 ID:AgF1EvR7
ソ連はロシアになってもオギエンコもバトフチナも最近ではアルタモノワも妊娠してても試合出てたな
388名無し@チャチャチャ:2009/12/22(火) 16:00:17 ID:3r0NxsE7
選手のなかには、流産してしまったとかという選手もいたんだろうな
きっと。
そんな気がする
389名無し@チャチャチャ:2009/12/22(火) 23:43:13 ID:D19qcbC3
日ソを越えるのはどこだと言われてた70年代
東欧か、韓国か、北朝鮮が頂点に立つかもしれないと思われてたけど
私はそういう考えを捨てたと、78年の世界選手権を振り返って山田監督がバレマガで語ってましたっけ
それだけのもがないと
キューバが日ソを越えることになったんだけど、キューバの躍進は衝撃的だったね
日ソよりボール一つ高いところから、ポマレス、ペレス、ウルヘリエスが打ちまくって
ブロックも高いし、サーブも高速
キューバは昔から素材のいい選手が多くいたのだけれど、指導者に恵まれていなかった
バレー界の発展のために、キューバの選手とヘオルヘ監督を日立に招いて指導したんだった
そして1年足らずでワールドカップで2位、翌年に世界選手権で優勝
日本もソ連も手も足も出なかったね
世の中が動く時は、恐ろしいパワーが働くものだね
390名無し@チャチャチャ:2009/12/22(火) 23:54:03 ID:D19qcbC3
キューバのジャンプ力はすごくて男を相手にしてるようなものだ
加えて守備もよくなった
キューバを破るチームは当分出ないだろうと思われていたけど
日本も負けじとディフェンスを強化して、コンビバレーに磨きをかけた
ソ連は大型化を進めた
日本の劣化版みたいな韓国もがんばっていた
これが70年代終わりから80年代の初めだった
キューバは世代交代にさしかかっていた
そのすきに、キューバが女王になって数年のうちに
キューバを超える国が出てしまった
391名無し@チャチャチャ:2009/12/23(水) 21:13:25 ID:djo59Wb3
ソ連はセッターの世代交代につまづいて低迷した
大ベテランのブルダコワやサリチェワが引退して
後任のベルゲンとムラジャンはどっちもどっち
サイドのオープン、遅めのA,Cぐらいしか攻撃パターンがなくて
日本に比べてだいぶスピードとコンビで負けてた
モスクワではリスカル、スモレーワが高齢化して
次のエースがなかなか育たなかった。
リスカル、スモレーワ、ロストワ、シュチェチニーナ、ベルゲン、チェルニショワ、オサッチャヤが
モントリオールの主力だったね
リスカルもこの大会かぎりで引退して、スモレーワも代表を外れると
刈るポリが登場するまで、ソ連は苦しむことになったね
392名無し@チャチャチャ:2009/12/23(水) 22:43:16 ID:8K1sM6c8
>>377
日本男子がモントリオールの3決でキューバに負けたね
試合序盤から明らかにパワー負けしてた
マルチネスはもちろん、ラペラ、サルミエント、ビルチェス、白人セッターのペレスなど
懐かしいですね
393名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 11:23:52 ID:tspo4+QZ
>>389
今後25年はあのキューバを叩くことができる国は現れないだろうとも
山田監督は言っていたが、翌年のモスクワプレ五輪で小島全日本がその
キューバを破って優勝した。そしてモスクワの本番ではアメリカ、日本、中国が不参加
だったにもかかわらずキューバは5位だった。
そして翌年のワールドカップでは優勝は中国だった。
日本はこのとき2位だったが、ハイマンとクロケットがいるアメリカに負けた
そのアメリカは日本中国ソ連に負けてしまい4位だった。
キューバは5位だった。
つまり、1978年当時の本当の強敵は中国アメリカだったということだった。
なのに時代遅れというか先見の明がない古い考えのみに固執していた山田監督は
これからはキューバの時代だ、と78世だけのキューバを見て畏れおののいて監督を自ら
辞任して小島さんにバトンタッチしてその隙に自チームの日立の強化を図ったが
1984年のロスでは3位という結果になってしまった。
この頃に山田さんもバレー界から去っていれば名将知将監督と言われ続けていただろうに
また88ソウルに出て4位
最後の最後まで時代遅れなお方でしたね
ソウルでの秘策をマスコミに訊かれたとき、
『主審のホイッスルが鳴ったらすぐに相手の体勢が整う前にサーブを打つ事』
とか言っていたなwwww
江上がいなかったら5位以下だった大会でしたね、ソウルは。

394名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 11:26:55 ID:tspo4+QZ
>>393
訂正入ります
7行目
アメリカは中国ソ連に負けてでした
395名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 12:24:46 ID:QgGGTYWW
でも山田の功績は何だかんだ言っても凄いな。
しかし出る杭打たれるじゃないけど、プロ化騒ぎの時に日立と揉め、内部事情やセクハラ騒ぎをリークされ、ここがチャンスと松平が潰しにいった。日立と決裂した時点で山田を守る存在がいなくなったから酷い結末やったな。
そのお陰で今だに植田、真鍋も影で操る松平独裁政権が続いてるわけだがな。
396名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 13:08:58 ID:tspo4+QZ
山田は日立と決裂する前からだれも守る人などいなかったと思うが
いかがなものか。
そもそもあの人は昔から他の実業団チームの監督から嫌われていたし、
バレー協会からも嫌われていた。
1970年代初頭から1970年代後半に日立中心の全日本で3冠を獲得したので
協会も会社も山田がやる勝手を黙認していただけでしょ
けど本当はバレー関係者や会社関係のほとんどの人々が彼の事を嫌っていた。
なぜ嫌われていたのかは、日立体育館の練習風景を一度でも観たことがある人なら
わかるはず。
1972年頃には山田さんも松平さんにコンビバレーを教えてもらおうと
足繁く松平氏のもとに通っていたのにね
その後3冠を獲得してから生意気になっちゃったのかもね、もしも松平氏が潰しに
かかったとすれば。
あだしはメキシコ五輪の代表だった日立所属の選手をひとり知っていたがセクハラ事件の
事を事件当時に訊いたらその人は下記のような事を言っていた
『私らの頃の先生はとってもいい人だった、選手とのそういった関係があったとは考えられない』
と。
『もしもあったとすればコーチをしていた方の●イエーの監督をしている方だと思う』
と、しかし、のでその後すぐに大林もこれに似たような事を言ってたのでこれはたぶん本当なのだろう。

397名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 13:19:31 ID:QgGGTYWW
なるほどね。詳しいね。

俺は当時は親が記者をしてたから、日立はある意味企業イメージを下げるから山田潰しを躊躇してたが松平が読売の渡辺と交流関係があり、松平がマスコミを利用しトドメを刺したと聞いているんだけどね。
398名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 13:27:34 ID:QgGGTYWW
連投スマン。
もし396の言う事が本当なら日立の元コーチが松平には逆らえず、全日本の監督時代に松平の言うがままだった事実も、八百長までして結果に固執した理由も筋が通るわな。

396に納得やわ
399名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 13:44:52 ID:tspo4+QZ
本当か否かなんてあだしだって分かるわけない
メキシコ代表だった人だって三鷹高校時代からの恩師だったわけなんですよね
山田先生は。
で、1968年当時はなかったとしてもその後約25年、先生のセクハラ噂を聞いた
としても大人は一々そんなことに動じないし反応しないのが普通ですからね。
それにそもそも自分の恩師がそんな人間だったと信じたくないでしょう
つまり、こういったことはとても微妙なことなんだ、と。
が、あだしの決め手となったのは素子発言だった
があの時の素子さんは日立から解雇された直後だったのでヒステリーを起こして
た可能性もあったわけでなんとも言えないが、日立体育館で練習を良く観ていた
あだしとしたら半々という結論だわね
だってあだしさんは1968年頃なんて幼稚園に行ってた頃でしたから大人の男女のことを
その空間から察することなどできるわけないから。
しかし1978年以降はなんとなく気持ち悪い空気が体育館に漂っていたことは事実
しかしこれもあだしさんの主観ですからね、というオチ
400名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 14:03:42 ID:QgGGTYWW
でも松平も何がしたいんやろうな?
山田崩壊後、男子だけじゃなく女子にも口出し、宗内、日立元コーチ、横田と逆らえない人材を配置し、結果が出ず非難されたら小島に押し付け、現場に任せますと約束した。後に葛和、ガマと松平に媚びない人材が続いたけど、無理やり真鍋強行して逆戻り。
植田の北京若手優先采配も松平の指示だというし、何時まで松平時代が続くんかな?
401名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 14:31:28 ID:tspo4+QZ
松平さんはもうすぐ80才
この人は死ぬまで一生プロモーター
なんだと思う。
402名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 15:27:46 ID:QgGGTYWW
あだしさんに質問なんだが、山田は才能ある若手を育てるのはうまかったのか?

俺は中田世代やから、70年代の事は分からへんからなぁ。

若いうちから騒がれてた中田、廣、吉原、大林、多治見などを一人前にしたのも事実やと思うし、川瀬、宮島とかの不完全燃焼もありだとしても、田島、武藤を筆頭に潰した人材は数知れず。結局、山田の育成能力はどうだったのか、俺にはよく分からへんねんなぁ。
403名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 16:23:07 ID:tspo4+QZ
結局、社会人選手は自分のやる気や自己管理能力で18才以降は決まるのだと思う
日立に入ったから伸びたとかそういうのは基本的にないんじゃないかな
つまり日立に入って伸びなかったからといってもそれは山田監督の指導の仕方が
悪いということにはならない、とあだしは思うな
なぜなら、日立で伸びた選手もいるしそうでなかった選手もいたからね
こういうのって監督やコーチで決まらないような気がする。
同期や同世代にいいライバルがいたとかって言う方が大きいんじゃないかな
江上なんかの例を見ているとこうふにあだしは思うわけだがどうだろうか


404名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 16:47:46 ID:QgGGTYWW
だろうね。
でもふと思うんだよね。
中田世代の大谷、宮島、廣、石掛。+その前後の大林、いちこ。
多治見世代の江藤、坂本、星野、大貫、小野。佐々木世代の中野、満永、大村+鶴田、先野。
メグカナ世代の荒木、橋本+木村、狩野、井野。
こういう風に一つの時期に期待される選手が集まる傾向はあるよね。その人材を昔のように根こそぎ山田が獲得してたら、どんなチームを作ったのかなぁ?とは興味があるなぁ。
405名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 17:02:21 ID:tspo4+QZ
あっひとつ思い出したことがあった。
昭和52年頃のことだったかな?
ヤシカのチームで監督の船山さんの指導方針に反発して
部員が一気に4-5人やめたことがあった。
まぁその後すぐヤシカは日電になっちゃったわけだが
406名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 18:06:37 ID:zvEqweP5
>>393
>1978年当時の本当の強敵は中国アメリカだったということだった。

数年先に強くなる可能性が大きい国という意味では、そうでしたね。
でも中国とアメリカもトップに立つまで数年かかりましたけどね。
アメリカは77〜80年ごろはハイマンしかいなくて、他は平凡だった。
セッターのグリーンはまあまあだったけど、小柄。
アメリカがのしてきたのは80年代に入ってからでしょう。
セリンジャー監督が頑張って選手層が厚くなったんですよ。
マコーミック、クロケットが現れ、ワイショフ、メジャーズ、ウッドストラと役者が揃った。
クロケットの存在が大きかったですね。
81年のワールドカップでは日本に初めて公式戦で勝ったけど
最終日に大型同士に強かったソ連にスト負けしてメダルに届かず。
大型ソ連の維持の勝利でした。
82年の世界選手権じゃタイトとペレスがいたペルーに負けてファイナル進出ならず。
84年のロス五輪で金メダルを狙ったものの、中国に負けて銀。
407名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 18:16:23 ID:zvEqweP5
中国は70年代半ばから女子の強化が始まったんでしたね。
そこから育ったのが、チョウケツウン、ソウケイエイ、ソンシンポウなどで
77年のワールドカップで予選で日本に勝ったものの最終的には4位。
78年の世界選手権はソウケイエイの欠場もあって6位。
79年の日中対抗あたりから日本と五分五分の勝率を上げるようになったけど
まだこの頃はエース不在だった。
ヨウキはシャープだけどクロスしか打てなくて、パワーもなかった。
一方のチョウヨウホウはうまいけど大砲じゃない。
センタープレーヤーも高さはあるけど、それだけ。
シュウギョウランなど山田監督に酷評されてたっけ。
中国が本当の意味で躍進したのは80年代からですよ。
ロウヘイの出現以後です。
チンアリョウとリョウエンなど良いセンタープレーヤーも出ましたね。
ソウケイエイとシュウギョウランじゃ、金メダルは取れなかった。
408名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 18:23:37 ID:zvEqweP5
日本、アメリカ、中国がモスクワに出てたら、私の順位予想はこうです。
1.日本
2.キューバ
3.ソ連
4.アメリカ
5.中国
6.東ドイツ

キューバが5位になったのは調整不足だったと思う。
それと油断があったから。
日本、アメリカ、中国が出るとなれば、万全の態勢で出てきただろうから
メダルは取れたと思う。

ソ連はオーソドックスなバレーで、ファイナルには出られなかったけど
3決でお得意様のアメリカを破ってメダル死守。
アメリカはハイマンだけじゃメダルに届かなかったと思う。

中国も、大舞台の緊張もあるだろうし、5位ぐらいだったんじゃ。
キューバ、アメリカより下だったと思いますね。
409名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 18:37:46 ID:zvEqweP5
どこもオリンピックには万全の態勢で出てくるから
その前の年の成績とか必ずしも参考にならないですよね。
伸び盛りの国よりは何年も蓄積されたものがあるところのほうが有利でしょうね。
その意味で、中国とアメリカより、日ソとキューバに分があったと思いますね。
410名無し@チャチャチャ:2009/12/24(木) 18:41:36 ID:zvEqweP5
70年代の中国選手は、背は高いけどスタミナがなくてひ弱だった。
コンビもそこまで正確じゃなかったし、試合運びもへただった。
411名無し@チャチャチャ:2009/12/25(金) 10:42:35 ID:jskq2H3b
>>407
白井松田が引退したもののまだ矢野吉田高柳がいた1978年の春の日中対抗では
日本が3勝2敗で勝ち越したがその後、その年の9月に行われた世界選手権後、日立の
この3人がやめた。この年の12月に行われたアジア競技大会ではこの3人のメダリスト
抜きの小島全日本で中国には勝てて優勝したものの翌年の1979年の日中対抗では2勝3敗
と日本は始めて中国に負け越した。そしてその年の暮れに行われたアジア選手権で郎平が
本格的にデビューしてそれまでのエースの揚希を控えにした中国に日本は負けた。
それ以降1983年のアジア選手権まで日本は中国に勝てなかった。
揚希を控えにして19才になったばかりの郎平を第一エースにした中国の層の厚さに
只々驚きと恐怖のあだしだったね。



412名無し@チャチャチャ:2009/12/25(金) 11:42:49 ID:jskq2H3b
>>408
おっとなかなか鋭いレスをスルーしていたね、このあだしは。
中国、アメリカ、日本が参加したときの方がキューバの順位が上がり
ソ連は下がる、と。
とてもプロっぽい分析予測だなって思いました。
あの当時は日本から見ると日本の最大のライバルは中国だったでしょうね
アメリカも手ごわかった。
日本はソ連やキューバも楽勝できる相手ではなかったが
ソ連には自信を持っていたと思うな、選手も監督も。
しかしアメリカや中国から見たらソ連は強敵で苦手意識があったと思う。
ソ連は地の利もあった
この辺のことが試合にどう左右するかわからなかったが
とにかく優勝を狙えるチームは日本とソ連と中国だった
キューバは78世では優勝できたがいいときと悪い時の波が激しいチームで
雑な荒っぽいバレーをしていたのでオリンピックというひのき舞台では
予選か準決あたりでボロがひとつふたつ出て途中でコケていた感じがする。
オリンピックは総当り方式で戦わずに予選−準決−決勝だから
本来の実力通りの結果になりませんからね。
難しいが
キューバを2位とした408さんのセンスは抜群だと感じましたね。
413名無し@チャチャチャ:2009/12/25(金) 14:53:58 ID:jskq2H3b
78世でキューバは圧倒的な強さで優勝した
これは事実で、あの時のキューバにはソ連も日本もどうころんでも
勝つ事はできなかった。大会前の南米遠征でも、日本は白井松田が力が堕ちてやる気も
なかったとはいえ4連敗してしまった。このことから山田監督も78世直後の手記でこれから先
25年間は、あのキューバに勝てるチームは現れないだろうと
これで日本は完全にキューバコンプレックスを抱いてしまったようだったが
翌年の1979年に行われたモスクワプレオリで横山吉永江上池知小川水原といったメンバーでそのキューバに
勝ち優勝した。それ以降84ロスの頃まで、日本はいつもキューバにずっと勝ち続けていた。
山田監督の予測は外れた
世界3冠監督が、25年間キューバに勝てるチームは現れないと言ったが灯台下暗しだった
平均身長172-3センチのユニチカ主体の全日本がわずか一年でキューバを叩いてしまった。
その後キューバはモスクワ五輪でも優勝候補であったのに結果は5位で
81WC82世でも3位以内に入る事もできずだった。
山田監督の手記は大袈裟だったのではなかろうか、とずっとあだしは思ってた。
3冠監督の言う事ならば、と皆が信じてしまったのではないのか。
あれは一種の暗示だったのではなかろうか。。。。

日本人はその道のプロが言った事をその真価を良く確かめずに信じてしまう


                             トリビア〜♪
414名無し@チャチャチャ:2009/12/25(金) 16:06:09 ID:+NtaeP/z
>>412
キューバは本番は五輪本番は絶不調だったみたいで、主力がミスしまくって
東欧勢に負けたみたいですね。いわゆる自滅したみたいでしたよ。
ただメンバー的には78年の優勝メンバーがほとんど残ってたんで
自力としてはかなりのものだったと思うけど、あのーチームは78−79あたりが
ピークだったかもしれませんね。よくて銅メダルだったかも。

ソ連は弱体化してたと言われてたけど、78年の世界選手権のあと
カルポリさんが監督に就任して、それなりに成果が出てたんですよね。
78年はセッターがムラジャンで、アタッカーはディナモの選手が中心だったけど
その後国内でウラロチカがトップになって、ナショナルチームの中心になった。
79年ごろから大型化を進めて、良い選手が出てきましたよね。
モスクワのメンバーは、レフトがチェルニショワ、マカゴノワ、
センターがアハミノワ、ロゼビッチ、ライトにラズモワと、アタッカーだけ見ると
金メダル取れてもおかしくなかったけど、セッターのロギノワが丁寧だけど平凡だった。
ソ連の攻撃はサイドのオープンと並行、セッター近くのクイックが主体で
選手が2人、3人と絡むコンビがなかったんですよね。
それからラリーで粘られると決め切れなかった。
だから日本を非常に苦手にしてましたね。何度か拾われて早いコンビで攻め返されると
ヘタヘタしちゃって、ラリーは大体日本が勝ってました。
ただ、おっしゃるとおり、アメリカ、キューバ、中国に対しては結構強くて
ハイマンなんか、よくドシャットされてました。
このへんの相性がどうでたか。
ソ連はキューバ、アメリカに勝って、ファイナルに残ったかもしれませんね。
逆に日本は予選で中国と当たってたら、1敗してたかも。
415名無し@チャチャチャ:2009/12/25(金) 16:21:59 ID:+NtaeP/z
キューバはモスクワを最後にポマレスとペレスが引退して
あの後を受け継いだ若手が思うように上達しなかったですね。
カポーテ、刈るで論の母親のエレニア・ディアス、ゴンザレス、ラタン部レットとか
高さはあるけどうまさがなくて、ディフェンスも粗くなってしまって
ウルヘリエス一人に頼ってるみたいになっちゃった。
ルイス様が登場するまで、そんな状態だったですね。

80年代前半は中国とアメリカの時代だったですね。
アメリカは中国以上に高かったけど、ブロックを含めた
ディフェンスが及ばなくて、どうしても中国に勝つことができなかった。
ロスの決勝なんか、その最たる例だったけど考えてみると
アメリカが三大大会で一度も金メダルを取ってないっていうのも意外ですよね。
416名無し@チャチャチャ:2009/12/25(金) 16:29:23 ID:+NtaeP/z
まあ、ジャンプ力だけじゃ、高さだけじゃ
トップになれないってことでしょうね。
417名無し@チャチャチャ:2009/12/25(金) 17:03:53 ID:jskq2H3b
70年代80年代前半までは攻守のバランスがいいチームが強かった
なので日本が3冠をとることができて韓国とか北朝鮮とかが
銅メダルを狙えたのではなかったのか。
で、77-8年頃から中国とアメリカが台頭してきたんですよ。
当時の中国は日本バレーを真似てコンビで向上してきていた
そしてそこに、あの郎平が加わって81.82.84.85.86と5冠に輝いた。
本当にそつがなくバランスのいいチームだった。
基本はアジアバレーだったが郎平という大型エースがいたので
韓国や日本がやるコンビバレーよりも数段上のバレーをやっていた。
それまでのアジアバレーはアクロバティックで複雑なプレーを信条としていたが
最後の最後に決定力のあるエースがいないバレーであったように思う。
即ち技術はあるが、怖さがないバレーだったのでサーブレシーブが乱されて
しまえばそこで終わりだった。しかし中国の郎平は320の高い打点から打つ事が
できたのでソ連やキューバの選手と同格の高さやパワーがあった。
しかし、1988年以降は力のバレーが主流になっているので日本韓国ペルーに
中国はここのところぱっとしない状態だ。
ということなんでないのか
418名無し@チャチャチャ:2009/12/25(金) 18:03:35 ID:jskq2H3b
けど1970年代後半の頃のバレーについてはこんなこともあだしは感じていた
あの白井前田松田金坂が1978年の春にやめた。そしてその後1978世が終わってから
矢野吉田高柳らも。
日立、全日本の主力が一気にこの一年でやめた。
日本チームはかなりメンバーが入れ替わりユニチカのちっこい選手や富士の須藤やカネボウの奥嶋
といった国際試合の経験のない選手らで小島さんはメンバーを固めた。この時、かなり日本チームの
グレードがおちたとあだしは思ったが、それは山田監督的、日本人的な見方だけだったのではなかったか、と。
キューバやソ連あたりから見たら、力の堕ちてきている白井松田前田矢野吉田らよりも代わって入ってきた
吉永水原三屋のが戦いずらかったのではなかったか、とね。
中国やアメリカから見たら白井前田松田らの時のチームよりもユニチカ主体のチームのが
勝てそうだ、と思っていたように思う。
なので78-79そして80年頃に中国やアメリカとやるときは日立の矢野金坂吉田といった選手を中心としたチーム
で戦い、キューバソ連とやるときはユニチカ主体でやったらアメリカ中国にはあれだけ日本も負けなかったのでは
なかったのではなかろうか。そうしたらこの2チームの台頭を防ぐ事ができ確実にモスクワで日本は金メダルを狙えた
な、と思う。
どうも日本は70年代後半から80年代前半頃に中国とアメリカになめられ始めたように思う。
あの時代にはまだまだあの時の力の中国アメリカに日本が負けてはいけなかったですよ。
なのに試合をすればコロコロと負けてしまい自信をこちらは失くして相手に自信をつけさせてばっかりだった。
当然そんな事はできなかったがしできたとしても時間の問題で中国もアメリカも1980年代は台頭してメダルを
どの大会でも狙えるチームになっていたでしょうが、上記のようにやれたら84ロスの結果そして88ソウルの結果は
変わっていたと思う。
そして88以降現在もね。
が、矢野吉田と樹理さんは同級生で、樹理さんは82世までやったんだからできなくもなかったように思ったな
現実に吉田やセッターの松田はダイエーで84ロス頃まで現役でやっていたしね。
当時の松田で32才か、吉田は29か
矢野金坂は結婚したみたいだったけど。

419名無し@チャチャチャ:2009/12/25(金) 18:06:05 ID:+NtaeP/z
70年代のベストチーム

70 ソ連
71 ソ連
72 ソ連
73 ソ連
74 日本
75 日本
76 日本
77 日本
78 キューバ
79 キューバor日本
420名無し@チャチャチャ:2009/12/25(金) 18:10:13 ID:+NtaeP/z
80年代ベストチーム

80 群雄割拠で微妙 各国同士の相性もあって、やってみないと今よりはっきりしてた
81 中国
82 中国
83 中国
84 中国
85 中国
86 中国
87 キューバ?
88 ソ連
89 キューバ
421名無し@チャチャチャ:2009/12/25(金) 18:28:23 ID:+NtaeP/z
>>418
面白いこと言いますね。
確かに当時は日立が圧倒的に強かったから、日立以外は二流だと思いがちだったけど
他のチームにもそれなりにいい素材がいたんですよね。
白井→横山、前田→須藤、吉永、奥島、矢野→三屋、吉田、高柳→水原、松田→小川。
他の国が強くなっちゃんで、日本はダメになったと思われてたけど
言われてみれば、日本事態の戦力としては、そんなにグレードが落ちてなかったのかも。
422名無し@チャチャチャ:2009/12/25(金) 18:33:44 ID:jskq2H3b
ということは日本のバレーが通用しなくなって30年が経つということですね
バレーの試合みたいに結果負けたとしても途中で1セットとれたとかなかったのか
83-85まではもう少しで金を狙えたとかなかったのかな
ないね、そんなの。
423名無し@チャチャチャ:2009/12/25(金) 18:38:02 ID:jskq2H3b
>>421
センターに、カネボウの清水と富士の池知
ライトに、滑川
セッターに、千葉
を入れてほしかったよ

424名無し@チャチャチャ:2009/12/25(金) 18:38:20 ID:+NtaeP/z
79年からは広瀬もいたし、レシーブは77年頃より上だったかもしれませんね。
日本が三冠取ったころは、あんまりコートで動き回らないで
ピタッと止まってレシーブしてる印象があったけど
小島さんになった79−81年ごろは、動き回って拾ってましたね。
松田と小川のトスさばきもそんな感じだったような。
サーブキャッチの差があったせいか、身長の差かわからないけど
小川も動き回ってトス上げてたような印象があります。
425名無し@チャチャチャ:2009/12/26(土) 10:52:02 ID:/xVojsdp
90年代ベストチーム
90 ソ連
91 キューバ
92 キューバ
93 キューバ
94 キューバ
95 キューバ
96 キューバ
97 キューバ
98 キューバ
99 キューバ
426名無し@チャチャチャ:2009/12/26(土) 10:58:45 ID:/xVojsdp
2000年代ベストチーム
00 キューバ
01 中国
02 イタリアor中国
03 中国
04 中国
05 中国orブラジル
06 ロシア
07 ブラジル
08 イタリア
09 ブラジル

この10年は前半が中国の時代、中盤は中、ロ、ブのトップ争い
終盤がブラジルの時代だったということでいいでしょうか?
427名無し@チャチャチャ:2009/12/28(月) 12:23:28 ID:grfeTfbb
>>424
あのときは広瀬がいたし、というよりも苦肉の策だったように思うな、あだしは。
80年のモスクワで日本は不参加となってしまって
樹理の裏でやってた吉永さんなんかが引退した。
若生とか杉山で吉永さんの代わりをやってたがこの選手らが後ろに下がったときは
レシーブとサーブのいい広瀬を登場させていた。するとリズムが良くなった。
そんなのが何度もあって、広瀬をそのまま前で使ったらアメリカやソ連キューバの高い
ブロックにあててブロックアウトで広瀬がおもしろいようにスパイクを決めて
レシーブがあまり上手でなかった杉山や若生を先発で使うよりも最初から広瀬で行っても
いいのではないか、と小島さんが見出しそのまま82年頃まで広瀬がレギュラーに
なっちゃった、という感じだった。
小島監督も広瀬を全日本のレフトに起用しようなどとは80年のモスクワまでは考えてなかった
と思うな
現実にあだしは、80年の2月3日に東京体育館であった、富士−ユニチカの試合を観に行ったが、
そのときの練習でも本番の試合でも広瀬はレシーブとピンチサーバー要員だったからね。
なので練習のときにレフトからスパイク練習をしていたのは横山と若生だけだった。
3冠チームのときは攻撃が充実していたし、まだ外国チームもそれほど強くなかったので
レシーブで無理して拾わなくても勝てたから動き回らなかったのだと思う。
428名無し@チャチャチャ:2009/12/28(月) 12:29:53 ID:APBpy1N3


>>427


気持ち悪い


429名無し@チャチャチャ:2009/12/28(月) 13:13:03 ID:grfeTfbb
けど84ロスの時は、監督が山田だったので
ピンチレシーバー、ピンチサーバーだけだったね、
広瀬さんは。
山田監督はチビが嫌いだったから仕方がなかった
しかし森田を大谷さんの裏で使っていた。
が、森田だって171しかなかったので広瀬とかわりなかった。
んで、ロスが終わったら
森田は引退し大谷さんは日立に入社せずカネボウへ
杉山さんもぱっとせず
で杉山さんはそれでもなんとか88ソウルに選ばれたものの絶対的なエースというほどの
選手にもなっていず藤田や一子のがいいときもあったくらいだった。
大谷さんや宮島さんは
ソウルの代表にも選ばれなかったしね。

430名無し@チャチャチャ:2010/01/08(金) 17:27:30 ID:u1pTEE+z
(苦笑)ってレスしていた奴
おかまの今井計ってレスしていた奴
山田はイケメンだってレスしていた奴
Hなお兄さんとかって気持ち悪いコテでいっとき登場していた奴
ミュンヘンのときの日本男子代表の平均身長は190オーバーで世界一の高さだったとレスしていた奴
その他諸々
全部が同一人物だったみたいですね
消えた、消えるべきして消えた、全部消えてしまった。
本当にご苦労さん、お疲れ様でした〜
さようなら
>>428
もうここに来なくていいからね
431名無し@チャチャチャ:2010/01/09(土) 17:56:19 ID:FwmZk+R3
ソウル五輪までは見てたけど、ソウルで初めてメダルを逃して見るのをやめた。
たまに新聞で結果だけ見ても、あまりの低迷ぶりに見る気もしなくなった。
数年前、何気に見た大会でユニフォームがブルマじゃなくなっててびっくりしたw
4年前くらいからまた見出したんだけど、昔とはルールとかも変わってるし、
別物と思って見てたら楽しめるかも♪
別物だから史上最強世代ってのも納得して見てたw
これ、葛西さんや白井さん、樹理の時代と同じに考えるとツッコミどころ満載だけどねw
432名無し@チャチャチャ:2010/01/10(日) 15:16:33 ID:yB5hVgdg
>>431
メダルを初めて逃したのは82世だったと思うけど???
その後、ロス五輪では銅メダルをとったものの江上らが引退した翌年の85wc
でもメダルなしだったし、86世でもメダルなしだったから
88ソウルでは4度目のメダル無し大会だった。
オリンピックでは不参加だったモスクワ大会を除き初めてのメダル無しではあったが
433名無し@チャチャチャ:2010/01/10(日) 17:22:47 ID:xPEfk90h
82世、日本はセミファイナルリーグで韓国、ペルーぐらいしか強敵がいないラッキーグループに入った
もう一つのほうは中国、アメリカ、ソ連、キューバと競合が揃ってて
こっちに入ってたら5位、6位もありえたから、4位ならまあまあだったんじゃね?
たしか予選で中国がキューバにスト負けしたしね
434名無し@チャチャチャ:2010/01/10(日) 18:11:26 ID:yB5hVgdg
>>433
あの大会82世での日本の最大の強敵は中国とアメリカだった
実力的に言えばこの2つが頭ひとつ他のチームより出ていたと思う。
結果として1位中国、2位ペルー、3位アメリカ、4位日本だったが
セミファイナルで地元ペルーのクレイジーな応援のせいで日本はペルーに
やられた。韓国はペルーに割と楽に勝って日本はその韓国に3-0でこれも楽勝したので
韓国は日本は韓国を決勝に行けないようにするためにペルーにわざと負けた、と。八百長だ!
といったが、試合後に横山のお話を聞いたところによると、ペルーの応援がすごくて日本は選手間
のコミュニケーションが取れず浮き足立ち、会場の異様な雰囲気に飲み込まれて負けてしまった、と。
で、そのペルーはその勢いで準決ではアメリカにも勝ち決勝では中国には負けて2位になった。
一方の日本は準決で中国に負け3位決定戦でもアメリカに負け4位だった。
ペルーの2位は予想外だったが他はまぁ実力通りだとあだしは思ったな
こういった大きい大会ではこういった事は珍しいことではないからね
なのに、ちょっとした波乱が起こると、すぐに八百長とかって言う馬鹿が現れる
私情を入れる
かつてこの板にも『ロス五輪の予選のアメリカ−中国は中国が八百長をしてわざと負けた』
と言った馬鹿がいた。
この大会で派手応援でペルーが2位になったので、日本もこれからあんなのをやりましょう、と
松平さんが声高に当時叫んでいて85WCで、その真似事をやったが、応援もダサク、波乱を巻き起こせる
だけの実力も日本チームにはなくてその後ずっと低迷していますね。
まぁ理由はなんであれ82世で日本がペルーに負けた事やアメリカにも中国にも勝てなかった事は
その先の全てを暗示していたんだと思いますね。
あの大会でペルーに負けてしまうのだから、日本が中国にもアメリカにも勝てるわけないんですよ
435名無し@チャチャチャ:2010/01/12(火) 10:09:47 ID:e22gznpz
女子の76年から88年あたりの衰退は、男子の72年から78年頃の衰退と全く同じだったね。
男子も72ミュンヘンで世界一になったが、76モントリオールで4位に転落し、それでも
77WCは地の利だったのか、森田が復帰したからなのか2位になったが、78世では史上最悪の11位
になってしまった。
女子も74世で10年ぶりに世界一になり、その後76モントリオール77WCでも優勝をしたが、78世81WCでは
2位になってしまい、82世では史上初のメダルなし。84ロスでは、3位でなんとかメダルを死守したが、
85WC、86世では成績不振で86世では7位と。この頃の女子は10年前の男子と全く同じだな、とあだしは思ったね。
>>433
ここは本当に人が少ないのか、誰もわからなかったのか、あだしみたいにわかっていてスルーしたのかよくわからんが
最後の一行は間違いだね。
中国が、ストレート負けしたのはキューバではなくアメリカだったはず?
あの大会ではキューバは5位だった、予選セミファイナルを終えて、中国が所属していたグループでは
1位アメリカ、2位中国という結果だったのでもしも中国がキューバに0-3で負けていたらそのグループで2位になることは
できなかったはず。というのは、キューバはアメリカに予選かセミファイナルで3-2で勝っていたからね。
しかし最終結果はキューバは5位だったから。
もしもキューバが中国に3-0で勝っていたら、準決に進めたはず
あだしは、中国がこの大会でキューバと試合をしたかどうかも憶えていないが
上記に記した事に間違いはないと思うので、やはり>>433の記述は間違いだ、ということになると思う。
それともあだしと会話がしたかったからガセったのかwwww
スルーしてごめんね

                 トリビア〜♪

436名無し@チャチャチャ:2010/01/12(火) 15:08:25 ID:e22gznpz
あはっははは〜
レスつけづらかったかな
あだしの一人時間差攻撃が見事に決まった!!
という感じだな。
何をやってくるか最近は読みづらい???
わざと間違えて釣ったり
スルーしてみたり
あだしは天才だからね
>>433
今から見ればね
が、当時は金を狙っていたんだよ、あんなヘボな全日本だったのに
だからペルー戦で日本が1-3で負けたときは選手達は試合後ショックで
ずっとみんなで泣き続けたそうだよ。
特に樹理さんなんかは一度引退を決意してやめてたのに小島監督に頼まれて
復帰して出た試合だったし、最後の大会だったから
437名無し@チャチャチャ:2010/01/13(水) 11:56:12 ID:lNg6TgTh
400少しやってわかったのかな?
82年の頃には日本の女子は全然弱かったということが
そしてその後も復活することはなく現在までずっと来ているのだと言う事が
なのにここに集う一部の人間の中にはどうもこのことが理解できてないのがいて
84-88頃の事を語りたがっているのがいるのですね
スレチも甚だしい、とあだしは感じますね

別にこのスレはあだしが立てたのではないのでどうでもいいが、
なぜか84-88の時代に重きを置いて語りたがるのがいつも出てくるんですよね
これはあだしの推測にすぎませんが、おそらくもう少し前の時代の事には詳しくないのでしょうね
ならば下手な知ったかをしなければいいのに

78世では中国に日本は勝ったとか石川は選ばれてないとか74世では中国はまだ国際舞台に登場してない
挙句の果てには
84ロスで中国は八百長試合をやったとか
www
本当に基地外としかいいようがない。

日本女子バレーが本当に良かった時代なんて1962年−1973年くらいの間だけではないのか
とあだしさんは思いますね。
大会で言えば東京五輪からミュンヘン五輪の間まででしょう
つまり大松監督から小島山田監督の手腕でも世界に日本バレーが通用した時代だけだ、ということになりますね。

438名無し@チャチャチャ:2010/01/13(水) 13:11:48 ID:VW+xm+GU
>>434
そのことは何度も出てきている話題だよ
あんただって承知してるんでしょ?
確信犯なんでしょ?
どうして同じこと書くの?

がいしゅつの話題は絶対に書かない心づもりでカキコしてください
じゃないと盛り上がりません

外出ネタを繰り返す≒恥
バレ―通を自称するなら、皆さんそのつもりで書くこと
439名無し@チャチャチャ:2010/01/13(水) 13:20:43 ID:VW+xm+GU
がいしゅつネタでも新しい観点から書くとか
新しい情報に絡めて書くならオーケーだけど
434みたくそのまんま同じこと書くのはコピペにすぎません
少し時間たったからほとぼり冷めたと思ったのかもしれないけど
こんなスレ読んでるのは老いも若きも固定メンバーしかいません
そんなだからジジイババアはいつも同じこと言ってるって嫌われるんだよ

>>437もさんざがいしゅつだね
オールドファソはどうして新しいネタ提供する能力がないんだろ?
440名無し@チャチャチャ:2010/01/13(水) 13:26:36 ID:VW+xm+GU
>>435
皆が知りたいのはどっちが勝った、負けたって結果だけじゃなくて
どうして中国がアメリカに負けたのか
アメリカがキューバに負けたのかってことじゃないかな
その辺どうよ?
441名無し@チャチャチャ:2010/01/13(水) 15:50:13 ID:lNg6TgTh
それは、アメリカはロス五輪を控えて徹底的に強化してたから。
セリンジャーも当時はめずらしかったコンピュータを導入して
試合のデータ分析や各国の選手のスパイクフォームその他をモニターに
映して癖や特徴の分析をだれよりも研究していたからその成果が実ったのでしょう。
どうしてなぜって一言で言うならアメリカのが中国よりもぁの大会で戦ったときは実力が上
だったから勝ったということになるんじゃないのかね。
たったそれだけのことですよ、他に何かあるならこのあだしに教えて下さいなっ
上記に記した理由だってもしもあのときアメリカが負けていたら、彼らはロス五輪に向けてかなり頑張っていて中国をやっつけられる実力を有していたが
試合巧者、百戦錬磨、郎と張のいる、そして何よりも袁監督率いる中国の実力には及ばなかった、となる。
新ネタって
メンバーはずっと一緒って
そんなこと言われなくてもわかっとるわい
>>439
なんで78世や74世のことでそんなアホみたいなことを言ってしまったんかいなw
あだしが古いネタを出してきて弁舌あざやかによどみなくここでぶったからかな
で、それが悔しかったのかな、おまえさん的にはw w w

だれか新しいネタを出したらいいんでない

1980年以降の大会の話題はもうほとんど出たから1968年から1972年あたりで


442名無し@チャチャチャ:2010/01/13(水) 19:10:44 ID:lNg6TgTh
上に続けるわけではないが
日本だってモントリオールのときは山田監督や選手らが口々に
『男子大学生をソ連の選手に見立てて、「仮想ソ連」で練習していたから』
ソ連に勝つ事ができたんだ、と。
これだって日本が優勝したから有名になったお話ですよね
もしも優勝できなかったらあまり知られなかった事ではないかと思うな
現実に、ミュンヘンのときだって、ユニチカで男子大学生を相手に
全日本女子は練習をしていたと言ってたし
吉田って人がいたが彼は大卒ではなかったのでどうか知らぬが、あの人あたりが
当時は仮想をやっていたのではないかな
日立の米田はモントリオールのときの仮想ソ連のスモレーワ役?
だったのではなかったのか。
この米田って人はその後もずっと選手相手に仮想だれだれと言う事ではなく練習をしていたけどね。
84の頃もやってたよ、赤いランパンを穿いてTシャツをまくってスパイク打ってた
ウォー!とか言いながら。
江上がそれをよくブロックで止めていた。
米田は大学のときはセッターだったらしいが身長は173だったので実業団の女子選手よりも少しだけ
高さや強さはあったかな、といった感じに84ロス当時は見えたがね
こんなことをしていてそのまま山田監督や小島監督にスカウトされてそのままコーチになったのだろうね
米田や吉田は
84ロス五輪の仮想張容芳をやってた大学生もその後、そのまま日立に入社してたしね
そうそう江上の旦那も84ロスのときの仮想メンバーだったのですよ。
で、小田急に行った。

443名無し@チャチャチャ:2010/01/13(水) 22:19:36 ID:VW+xm+GU
komedaは一応高校時代にインハイと国体で優勝したらしいけど173じゃ小さいね
ああいう大学生のコートとか、実業団チームはどうやって見つけてくるんだろ?
大学のバイトの掲示板に募集広貼るのかねw
444名無し@チャチャチャ:2010/01/13(水) 22:20:31 ID:VW+xm+GU
コートじゃ意味不明だわね
コーチよw
445名無し@チャチャチャ:2010/01/14(木) 12:01:13 ID:t6ParxCU
>>443
監督の出身大学の後輩選手だったりというのが昔は多かったと思う。
あと、大学出の女子の実業団選手というのはめずらしいのだが、その選手の
後輩とか
日立に井上節子ってメキシコ五輪代表選手がいたのだが、この人は現役引退後に
山田監督の出身校の筑波大(東京教育大)の人と結婚したのだが、この男性は当時、
日立で選手相手に一緒に練習をしていた人だったと思うよ。
福原さんて言ったかな
で、その福原さんは、その後筑波大に戻りバレー部の関係者になっていた事もあって
88ソウルの少し前頃に、廣がセンターに転向するかどうかというときには、井上さんも
廣から相談されたと言っていた事があった。
つまり、まず最初は監督の出身大学の後輩とかから始まりその後はそこからどんどん人脈を
広げて行くというのではないのか。
1980年頃までだったら女子は強かったし、山田監督の日立や小島監督のユニチカで
仮想ソ連の練習役でやってくれるバレー部男子大学生募集なんてポスターを大学の学食や売店前の
廊下にはり出せば、すぐに4-5人は集まっただろうし。
>>444
おかまの今井さんですか
わね、よwにカマ臭を感じますが
446名無し@チャチャチャ:2010/01/14(木) 14:33:23 ID:t6ParxCU
が、この大学生の男子選手の仮想ソ連や仮想中国というのは全日本女が強くなるために
本当に効果的な練習法であったのだろうか?
実際のソ連や中国よりも男子大学生の方が高さや力が上だったのだろうか?
ロスのときの仮想中国をやっていた男子大学生を見ていても良く分からなかったな
確かに郎平役をやっていた大学生の最高到達点は330前後はあったように見えたしパワーも
あったが、郎平が持つ凄さはそんなもんじゃない、という気がした。
もしかしたら1984年頃のその仮想中国をやっていた大学生男子は郎平や張よりも高さや力はあった
かも知れないが、バレー自体は郎や張のが良く知っていてうまさという点では郎平や張のほうが上ではなかった
か。なので日本は準決で中国に負けた。
だからといって郎平や張のようなうまさを兼ね備えた男子選手に仮想をやってもらっても駄目だという気がする。
力の差がありすぎて練習にならないというやつですね。
だとしたらいずれにしても仮想は意味がないということになる
しかし70年代は仮想ソ連の大学生男子を相手にして練習した成果で優勝したなどと山田監督も白井松田も言っていた。
その時代は、本当のソ連よりも強い大学生相手に練習をしたから勝てたと言っていたが、84ロスの頃はどうだったのだろうか?
そして今の全日本女子はどんな練習法で強豪国対策をしているのか?
447名無し@チャチャチャ:2010/01/15(金) 11:25:21 ID:vF0jex5P
>>445
あら、あだし間違えた、だれもそんな古い選手の事に興味がないのでどうでも
いいとは思うが。しかし名前のことだから、訂正しとかないといけないので下記に
書きますね。
4行目の井上節子は×で高山鈴江さんでした。
高山さんは生沼さんらと同期の選手で綺麗な顔をした選手でしたね
廣さんと鈴江さんは日立では先輩後輩の関係になったし、廣の出身大学の筑波大では
鈴江さんの旦那さんが、廣さんの指導者であったことから68メキシコ五輪の頃から88ソウル五輪の
頃までは鈴江さんと山田監督はずっと交流があったみたいでしたね。

井上さん、福原さんそして鈴江さんに深くお詫びを申し上げます
448名無し@チャチャチャ:2010/01/15(金) 16:29:10 ID:vF0jex5P

またここには人がいなくなったみたいですねwwwww
どうでもいいが。
続けます
このように、仮想ソ連というか全日本女子の練習に大学男子選手が、スタッフとして
お手伝いをするというのはメキシコ五輪頃から、日立の山田監督もユニチカの小島監督も
やっていたようですね。
そしてその成果が実り76モントリオールで日本は優勝できた、と。
しかし84ロスの時も男子大学生が仮想中国をつとめて練習をしていたが、準決でその中国に簡単に
3-0でやっつけられて日本は負けてしまった。
76のときと同じことをしていたが84ではその成果がでずにあっけなく負けた
これは一体どういうことになるのだろうか
あの時の中国が強すぎたのか、76のソ連は単に弱体化したソ連だったから日本が勝てただけだったのでは
ないのか
あとひとつ上記でも軽く触れたが、84ロスの仮想中国よりも本当の郎平や張のいる中国の方が強かったのでは
なかったのではないのか
そしてそもそも仮想〇〇の大学男子選手の練習は何の意味も持たないのではないか、という
それを言っちゃあおしまいよ、になるのか。
仮想〇〇っていうのは仮想でしかないんだからね
そもそも論で言ったら。
449名無し@チャチャチャ:2010/01/18(月) 13:14:29 ID:li3ZYYlp
74世から82世まで現役で頑張っていた横山樹理さんは博多女子商業高校時代に
バレー部の監督から『試合中に絶対フェイントをするな!』『どんなボールでも
必ず強打しろ』と言われその教え通りに高校の大会ではフェイントは一切せずに
いつもパワフルなスパイクで強打を決めていた。その後ユニチカに入社した当初も
あまりフェイントなどの小細工はしなかったように思う。
あだしはバレーはやっぱり最後には高さと力があるチームが勝つと思うからこういった
横山さんみたいな選手を育てた博多女子商業の監督みたいな教えは高校生以下の選手に対して
だったらとても良い指導法ではないか、と感じますね。
外国の強豪国のキューバやブラジルそしてアメリカなんてとても打てないようなトスや態勢から
バシバシ打ってくるが、あんなのも高さがあるからですが、日本の選手もいつでも強打できる訓練を
していたらもっともっと高さというものを意識した練習をしてスパイク力がつくんじゃないのかって思うんだけどいかがなものか。
90年代の韓国に一時、日本は勝てなかったみたいだけど当時の韓国も小さい割に、しっかり跳んでしっかり強打していたように思ったな
これは1970年代後半から10年間のペルーもそうだった。
日本の選手はいつも小手先でホールディング気味のタッチでなんとかしていたもんね。そしてそれが上手いとされて高等テクニックだと
賞賛し、いいものだと言われたが、こんなのが通用したのも78世までだった。
450名無し@チャチャチャ:2010/01/18(月) 14:51:28 ID:li3ZYYlp
>>449の続き。
そんなプレーを最初にしたのは72ミュンヘンの代表だった飯田高子さんではなかったのかな
飯田さんは76モントリオール直後に引退した選手だったけど、当時日立に入社したばかりだった
江上やその江上よりも3つお姉さんの矢野さんなんかも、この飯田と同じタイプのセンターでしたね。
というより、矢野さんは飯田さんのプレーを完全に真似していたように思う。そしてそれは江上も同じだったね。
つまり飯田−矢野−江上と72年からの84年まで日本は技巧派のプレイヤーがもてはやされた。世界でもあまりこういった
プレイヤーは当時はいなかったと思う。
敢えて言えば韓国の辺京子という172の選手くらいだったかな
この飯田、矢野、江上があまりに上手だったのがいけなかったともあだしは思うのですよ。
とっても皮肉なことなんだけど、当時の指導者の山田さんや小島さんもこの飯田のプレーは飯田にしかできっこない、と。
そしてこれはレシーブの悪いチームに対してはとても効果的なプレーであると。
これも間違いではなかったが、その後外国チームは益々高くなりかつコンビも覚えてレシーブも上達した。
ここが想定外だったということなんですね。
これがなければ今でも飯田や矢野のプレーは世界で通用していますよ、きっと。
なので、76モントリオール後は日本は衰退の一途をたどってしまったのだということになるわけ
です。78世で日本がキューバにこてんぱんに叩かれ負けたときに日本も本格的に大砲を育てるべきだったが、
悉く当時の有望選手には裏切られてしまった。
矢野さんらがやめる頃にこれから、という須藤の伸び悩みそしてその後すぐに引退というのがまず第一号だった気がするんですよね、
あだしは。あれがその先の全てを暗示していたように今も強烈にあだしの中にありますね。

451名無し@チャチャチャ:2010/01/19(火) 14:24:36 ID:t8hhjH3k
そういえば日立の江上の高校時代(松蔭高校)の監督の岩本さんは
ミュンヘンで活躍した男子の森田淳悟と大学時代(日体大)はバレー部で
一緒にやっていたとかで、江上を『女森田』に育てようと高校生だった江上に
森田のプレーを伝授し育成したみたいでしたね。
江上の現役時代のプレーを観ていると、森田とやることが似ているなぁ〜
とあだしもよく思いました。
フェイントの仕方なんか本当に良く似ていた
江上が中学3年生だったときにミュンヘン五輪が行われたので
当時は江上も森田に憧れていたかも知れませんね。
その江上が19才で全日本デビューした大会が77wcでしたが、このときにその森田が、5年ぶりに
全日本に復帰して当時はかなりその事が話題になっていた記憶があるのですが、なぜ森田はミュンヘン
のときにまだ25才で若かったのに全日本に選ばれても74世76オで辞退し続けたのでしょうね。
会社の仕事に専念ということでしたが、その間に男子はどんどん弱くなっていってしまってたのに
???
この頃は大古がサントリーに移籍したり、女子でも白井が日立に移籍したりと当時はバレーは男女共強かったので
本当にひとつひとつの出来事が世間を騒がせていましたね。
他にも男子がミュンヘンで金メダルをとった直後に例の事件があって松平さんも
世間から少し叩かれておりましたね。
けどあれもなんだったのかしらねぇ〜
バレージャーナリストの小泉志津男なんかに言わせると茶番劇だったとなるみたいなんだけど???
あだしは当時小学3年生だったからそんなのはどうでもよくて只ひたすら選手がギターを弾いてる写真や
選手の手形が掲載されている少年マンガや雑誌を買い漁っているだけだったけど。
しっかしこの頃が一番輝いていたね、日本のバレーは。

>>450
韓国にもうひとりいたね、1980年代に活躍した技巧派プレイヤーが、朴美姫
という175の上手な選手がいた。玄人好みの選手がいた。


452名無し@チャチャチャ:2010/01/19(火) 16:43:00 ID:ZGbFLc7l
森田がミュンヘンに出場した年齢は24歳だよ。
どうでもいいことだけど。
453名無し@チャチャチャ:2010/01/19(火) 18:06:23 ID:t8hhjH3k
森田の生年月日は1947.8.9だからミュンヘンのときは25になるね
本当にどちらでもいいけどw
けどよかったやんお前の得意な分野のキーワードのミュンヘンが出て
やっとそれに食いつきレスできて。
あだしは本当に親切なおっさんだから江上の事を中心に書くのかなぁ〜と
思わせて岩本を持って来て、森田の話題に
そして江上のことは江上でしっかり書くというwwww
江上も生年月日が1957.11.30だったので77wcの大会を終えたかどうかというときに
20になったのですよね。が、森田淳悟は完全にミュンヘン大会前の8月生まれなので
25になったばかりで出場だったというわけですね。
あだしと会話をしたい子がまだいたwww
今日はもうお家に帰ろうと思ったんだけどやっぱもう一度pcを開けてよかったわ
しっかしいつも同じパターンなのよね
ということは森田と江上は丁度きっかり10違いだということになる


454名無し@チャチャチャ:2010/01/20(水) 10:12:55 ID:CeD7EkdD
>>452
どうやら残念だったみたいだな
もう少しいじくってみましょうかwwww
ミュンヘンオリンピックが行われたのは1972年の8月の下旬から9月までであったと思う
これはあだしの記憶であるが、間違いないと思う。なのでやっぱり森田は満25才になったばかりの時に
ミュンヘン大会に出場して金メダルをとったことになる。故にあだしの>>451の25才であったと言うのが
正しいということになる。たぶん、452は森田の生年月日を知らずにミュンヘン大会直前あたりの雑誌の年齢欄の
データで24と記憶していたのではないのか????
が、25が正しい。
まぁ数え年で言っても、森田は1972年の正月の年齢は25だということになるのだが
しかしあだしが451の記述で言いたかったことは、24か25かということではなくまだ、20代半ばという『若さ』であったのに
という箇所、即ち若さということを強調したかったのであるのだが
それをさも、あだしが大間違えをしたかの如くにその直後に>>452が入り込んできたのは
なんなのだろうか、と思うな
そういえば以前にもこんなことが度々あったな、
俺は、ミュンヘン世代だよ
って。
うん、だよ????
しかし452は他人に対してどうでもいいくだらないことをつっこんでいる自覚はもっていたようだな
それは、2行目にどうでもいいことだけど、とあるのであだしも理解できる。が、本来この場合のその
どうでもいいことだけど、というのはあだしの台詞ではなかったのではないか、と思うがいかがなものか
更に、452は自分の文末の最後の最後に WWWとダヴリュウを3つもつけているが、これはどういった意味なので
あろうか。自嘲的な意味だったのだろうか。ここはあだしには理解できないな
ついでだからもうひとつミュンヘン世代とは
森田から江上くらいまでの人間の世代の人々の事を指す言葉でしょうね、きっと。
つまり、現在60代前半から50代前半くらいの人達だということ
俺はミュンヘン世代だよって言っていた人間はこれに該当するのであろうか?
もしも該当したとしたら、年齢の割にはあまりに幼稚な気がするようにあだしは思うな
あだしはもうすぐ46才になるからミュンヘン世代の人間ではない、ということも終わりに付け加えておきましょう。


455名無し@チャチャチャ:2010/01/20(水) 13:24:54 ID:CeD7EkdD
今度という今度はやっぱり出てこられなかったみたいだわね
別話をあだしから続けます
74世の頃から76オの頃まで女子は本当に強かったが国内では当時の山田監督のやり方に
各実業団チームの監督から相当な批判がありましたよね。特にユニチカの小島さんやヤシカの
船山さん、その他のチームの監督もそうだったのでみんな小島寄りの考えだったのだろうね。
山田監督が批判された理由は、1に1971年頃からバレー強豪高校の監督らと個人的でかつ派手な接触
を持ちその高校の選手を日立にスカウトして日立だけに有望選手を送り込ませようとしたことと2にその
結果日立が強くなり日立を中心とした全日本を作る事ができるそして監督もひとりで山田氏がずっとやることになる
ので3に日立以外にいる優秀な選手がなかなか全日本に選ばれない。
だったんだが、こういうのも山田氏が強い全日本を作りたいというのがあっての事なんだから
何も問題なしなんではないのか、とあだしは当時は思ってたね。
まぁ、1の高校生のスカウトの件が一番の問題だとしても、それだって高校の監督が山田を嫌って相手にされない事も
あったろうし選手が日立は嫌だと言うのもいただろう。そして何よりそのスカウトした有望選手が3年後5年後に順調に
育つとも限らないのだから。
なんか大谷さんの事を書いてるみたいだがそうじゃないからね
456名無し@チャチャチャ:2010/01/20(水) 15:26:09 ID:CeD7EkdD
が、78世の直前にビックやマッちゃんなんかが一気にやめた時は78世の代表に
日立以外にもユニチカの小川や石川そして日電の滑川も山田監督は選んでいたから
いいと思いましたね。しかししっかり高校3年生だった妹背牛の吉野も選んでいた。
小川は、5月にあった日ソ戦のときにセッターを日立の矢野で試したが、そうすると
センターは小型の高柳と江上になってしまうので、江上は当時から合格点だったが
高柳のセンターではちょっと低い、となって吉田のセンターも考えられたがそうすると
今度はライトをだれにするのかという問題があったしそもそも矢野が本業でないセッターをやるよりも
エースは樹理そして須藤ということもあってか小川がいいだろう、と小川にしたんでしょうな
5月の日ソ戦のときは当時新人だった日立の鈴木春美さんをエースにして戦ったけど今一だったので
トータルとして、センター矢野、セッターに小川と決めたのでしょう。
しかし滑川も代表に選ばれたもののたいして試合には出場させなかったのであだしとしたら
とても残念だった記憶があったな。
そしてその後、須藤さんもぱっとせず引退してしまったのでどうせだったらこの時にその後モスクワの代表に
なった日電の吉永さんを選んでおいても良かったとも思ったよ。78世のときはそれでも日立の金子や川原も選ばれて
いたが、これは完全に実力で選んだのではなく自チームの選手だということだけで選ばれたものだった事は否定できなかった。
それにしてもなんで石川さんは選ばれたのだろうか???
あだしはレフトとしても使えた池知のが良かったと思ったんだがねぇ〜
けど、もしも5月の日ソ対抗で日立の鈴木春美さんがまぐれな活躍をしていたら
レフトは樹理と鈴木でセンターに江上と金子そしてセッターに矢野ライトは吉田
となったのかも知れない。


457名無し@チャチャチャ:2010/01/20(水) 16:19:54 ID:CeD7EkdD
その池知も79プレオリでは小島全日本に選ばれて活躍したが、その後伸び悩み
その年の暮れにあった79アジアでは当時筑波大3年だった三屋にセンターポジションを
とられてしまったね。このときはもう小島監督になっていたが、もしかして、小島さんは
三屋をユニチカにほしかったのかな
仮に山田監督が全日本監督のときに、大学在学中の選手や高校生を全日本に抜擢したら、轟々たる非難を浴びたと思う。
大谷と中田が中学生で全日本に選ばれたときは1980年のモスクワ大会の後だったが、このときの監督も小島さんだったね
小島さんも考えてみれば山田さんと同じことをしていたのですよ
しっかしビックもサイさんも日立に行ってしまった。
小島さんは自チーム以外の選手でもどんどん全日本に選びレギュラー入りさせていた、というイメージも
あったがそれは単にユニチカの選手が今一でよそから選手を借りてこなければチームとして全日本として
成り立たなかっただけじゃなかったのか?
サイさんが日立でなくユニチカを選んでたら80-82年の小島全日本のメンバーでユニチカでないのは三屋と
江上と吉永(80モスクワ以降は広瀬がレフトだったが)だけですよ。
サイさんは自分の意志で日立山田を選んだ、ビックさんもそう
なぜなら2人共日立を選んだときは高校生ではなく20以上の大人だったのだから。
日立もユニチカも選ばなかったのは須藤と大谷と益子さんだったということになりますね
だからなんてことはない、小島さんも山田スカウト批判をしてたけど同じことを自分もやっていたということだったんですね。
三屋さんが小島全日本に選ばれた後もしもユニチカに入ったならマジに山田さんの批判なんてしてらんなかったということです
しっかしなぜ、78世のときに山田さんは石川を選んだのか、これあだしの永遠のなぞだわっ
ええっあだし4連投だったみたいだね。だって一気に書き込みしようと思ったら本文が長すぎますよ、とかって出て書き込めなかったんだから〜

458名無し@チャチャチャ:2010/01/21(木) 09:59:33 ID:g6taG6m7
>>457
ありゃりゃ、12行目の最後の三屋はいらなかったですね
昨日は日本の女子が本当に強かった頃の時代の選手のスカウトについて書きましたが
これは日立やユニチカのみならずどこのチームでも日立の山田監督と似通った事は当然のように
やっていたんだと言う事が言いたかったわけです。しかし、山田監督は輝かしい実績があったので
優秀な選手を獲得することができたのでしょう。で、それに対してやっかんだ他の実業団チームの監督が
山田のやり方は汚い、と集団で非難したのではないのか。たったそれだけの事だったと言う事
聞くところによると、山田監督は1971年頃から派手なスカウトをやっていたのだ、と。
この頃に日立に入社した選手は金坂とか荒木田、高柳吉田矢野さんあたりになると思うが
しかしいくら熱心なアプローチを山田が高校生にしたとしても高校生が山田日立は嫌だというのもあった事でしょうから
あまりこう言った事で選手に多額の契約金を支払って獲得したのでは、とかと憶測で騒ぐのは本当に馬鹿な事だとあだしは当時から思っていたね。
73年にミュンヘン後に引退した白井が日立へ入社したときも多額なお金が白井へ渡っていたのではないのかと、その後須藤のときも裏で日立山田が
黒幕として動いているとか実践だから須藤は日立へ入るはずだとか色々マスコミが勝手な事を書いてた。が、大谷は入らなかった。益子もどこに行くか
話題になったが日立には入らなかった。
日立山田は当時、大谷は84.4月の時点では本当にほしかったと思うが翌年の益子について言えば本当にほしいかどうか不明だったので
益子についてはどうでもいいと思っていたのではないかとも思われる。1970年代初頭に日立に会田という益子と同じ出身校の共栄学園の選手がいた
会田はどのポジションをやらせてもとても上手い選手であった。まぁこれはともかくとして益子も会田繋がりで日立ではないかと
しかしこんなのもあまり入社動機とは関係がないことだと思う。
山田監督が裏で動く、と。
これだって汚いイメージでこの裏と言う言葉を解釈すればワルにもなるが
山田監督が本当に日立や日本女子を自分の手で強くしたいと思えばこそ熱心に選手にかけあっていたのだととれば
悪にはならんだろう、とあだしは思うんですよね。
459名無し@チャチャチャ:2010/01/21(木) 10:05:22 ID:g6taG6m7
>>458
訂正追加ですね
ケツから9行目
が、須藤は入らなかった。そしてその後の大谷も に 

460名無し@チャチャチャ:2010/01/22(金) 13:15:00 ID:rHDzo9aQ
74.5〜77.8年くらいの時の日本リーグ女子はかなりしらけてたよね
日立があまりに強くて
2位のユニチカと戦うときもユニチカは横山ひとりがオーバーなというか
ダイナミックなスパイクフォームで打っているだけでそれくらいしか日立
以外のチームで目立った選手がいなかったように思うな
でも結局は日立が3-0で勝利
当時の日本リーグは6チーム制で総当りで各チームと2試合で全試合が10だったから
日立10戦全勝、ユニチカ8勝2敗、ヤシカ、カネボウ、富士
って感じだったな、いっつも。
会場もあまり盛り上がってないように見えたな
日立の白井や矢野なんてどこと当たっても日立の2軍のがまだ強いわよっ
て思っていたのではなかろうか。
461名無し@チャチャチャ:2010/01/22(金) 17:42:26 ID:rHDzo9aQ
んで樹理は敢闘賞で
ビック白井が最優秀選手賞
ベスト6は日立の選手がずらっと並び
レシーブ賞はビックが取りスパイク賞は前田さんあたりか
飯田さん、矢野さんというのがお決まりでサーブ賞ブロック賞は江上だったね
石川さんがブロック賞をとったこともあったが、それは日立の金メダリストが引退後
だったように思うな
あだしは当時は、この状況下でひとり孤軍奮闘している樹理を観るのが好きだっが
しっかしこの頃のユニチカは横山ひとりに頼りきっていたチームだった。
まぁそれでも他のチームから観れば、樹理さんがいるんだから私たちよりに比べればいいわよってな
感じであったのかも知れないが


462名無し@チャチャチャ:2010/01/23(土) 13:07:51 ID:6lHvyDNG
先日元読売巨人軍の小林繁さんが亡くなられましたが
小林繁さんは江川卓が巨人に入団するときに阪神へトレードされましたが
江川はこのとき一人時間差のような事をして自分が希望した巨人へ入団した。
このときのことは、空白の一日
と呼ばれ当時のマスコミがかなり騒いでおりましたが、当時このことをまだ20になったばかりくらいの日立の江上に
月バレ編集者はどうことことを思うか、と質問したら江上はそのとき
『江川選手がやった行為は世間ではかなり非難されているようですが、私もこのことをバレーに置き換えて考えたら
江川選手のことを理解できるところもありますね』
と答えてましたが
あだしはこのとき江上は本当に日立に入りたかったんだなぁ〜
日立に入社して良かったと本当に思っているんだなぁ〜
と思いましたね。
 
463名無し@チャチャチャ:2010/01/23(土) 17:59:59 ID:xuyjRUE+
 この人 同じことばっかりいっとるね(ヒソヒソ・・

 ほーだね 石川のこととか 前に何べんもいっとるね(ボソボソ。。

 アルツハイマーわずらっとるのかねえ・・(コソコソ。。。
464名無し@チャチャチャ:2010/01/23(土) 18:04:54 ID:xuyjRUE+
 ほてもって、誰も読まんのに 
 やったらめったら長文書きまくっとるで
 頭やられてるんだわ・・・
465名無し@チャチャチャ:2010/01/23(土) 18:08:50 ID:xuyjRUE+

なんぼなんでも この書きっぷりは どうかしとるで・・・

きのどーくだねえ・・・
466名無し@チャチャチャ:2010/01/25(月) 10:52:08 ID:WBsVqesd
が、江上は入社してからの2年間はラッキーなところも大いにあったと思うのね、あだしさんは
入社後わずかな期間は江上よりも同期入社をした金子のが山田監督は期待していたようにあだしには
見えた。事実、日立体育館の練習中に矢野の対角で練習をやっていたのは金子さんのが多かった。
このまま金子がレギュラーになるのかな
って思わせた時もありましたが、77WCでは江上が矢野の対角で本格的にデビューをして活躍し
それからの7年間ずっと江上が外されることはなかったというか江上なしでは考えられなくなっていた。
ラッキーだったというのは
江上が新人だった76-77年の頃は
白井さんなんかがいて強かったのでいつも日本は当然な感じで勝つことができた
勝つ事が当然な中でプレーをすることができたということがラッキーだったというわけである。
それがもし弱い全日本の中でということになっていたら精神的に試合に出る事が嫌になってしまうだろう
ということ。
こんなだったので江上は日立チームで金子との競争に勝った後は順調に78世そして80モスクワ前までやる事が
できたのだと思うな
467名無し@チャチャチャ:2010/01/25(月) 13:03:21 ID:WBsVqesd
江上がもしも77WC直前に日立のチーム内でのレギュラー争いで
金子に負けていたとしたら金子さんは、江上のように活躍しただろうか
江上もその後、80年以降は全日本に選ばれる事ができただろうか

金子さんていつ頃まで日立でやっていたんだっけか
あだしが80年以降に日本リーグの試合を観に行くと度々
会場で金子さんを見たけれど

468名無し@チャチャチャ:2010/01/26(火) 11:01:08 ID:zdc+7cg2
76モントリオール直後に日立そして全日本の主力選手だった白井松田岡本加藤の4人が一気に引退して
76年暮れから77年の春までの間に行われた日本リーグでは日立は矢野−金子の2セッターで吉田−江上、
高柳−会田という対角で新レギュラーでチームを固めたが、これも今一うまくいかなかった。
で、金坂−荒木田、レフトに会田−吉田、センターは矢野−江上に戻して戦って優勝したんではなかったかな
しかしその後、白井と松田が復帰して、その代わり今度は会田が引退をした。
で、77WCでは日立から白井松田金坂荒木田高柳矢野吉田江上が選ばれた。
76〜77年頃は江上もまだ、18〜20といった年齢だったので1つ年上の富士の須藤や同期の金子や富士の池知、そしてカネボウの
橋口らと一緒にジュニアにも選ばれていてかけもちで本当に忙しそうでした。
須藤は75年入社の選手で75年の春にすぐ全日本に選ばれその年の5月の日ソ戦では
レフトエースで試合に出場した。同じチームの1つ年下の池知も77年の春頃にはかなり期待されていたのに
2人とも80年モスクワ前にやめてしまい残念でしたね。
あだしは76年に一度白井松田前田の3人が引退したときは
80モスクワでは、金坂がセッターをやりその対角に吉田、センターは矢野と江上でレフトは横山と須藤になるものと予想していたんだよね
しかし金坂矢野吉田の引退で全部外れた
そして須藤と池知までもが。
しかし79年には三屋が、大学3年だったのに江上対角で抜擢された
これは本当に良かったと今でも思っている。
もしもそこに橋口とかカネボウの清水とかユニチカの石川とかが入っていたら
80年以降の全日本はかなり厳しいものになっていたと思ったからです。
若い三屋で良かったな、本当に
しかし日立の江上と同期の金子は勿体ない選手だった
彼女はジャンプ力があって最高到達点も304と高かったからね。
また、ユニチカの水原もこの時代に174の低身長ながらよく頑張った選手だったとあだしは思うな
しっかし山田監督の2セッター構想はいつも失敗におわっていたな




469名無し@チャチャチャ:2010/01/26(火) 14:02:57 ID:zdc+7cg2
80モスクワは結局はボイコットで日本は出場せずで終わった大会だったけれど
その前年にあった79プレ五輪では、日本は78世で負けたキューバに勝って優勝
したんですよね。
その時の全日本のメンバーは
小川の対角にサウスポー水原、レフトが横山−吉永、センターに江上−池知で
この大会ではユニチカ所属でなかった池知と吉永が守備で頑張って勝った試合だった。
この2人がユニチカ選手並の守備力をつけて勝ったと小島監督は言っていた。特に池知は
全日本にエントリーされて間もなくだったのによく頑張っていたとあだしは思った。にもかかわらず
その年の暮れの79アジアのときの中国戦では最初のセットに出場したくらいで少し調子が悪いとか伸び悩み
だとかで、すぐに三屋と代えられてしまった。それはそれで仕方がないとは思うが、全日本にもその試合以降
いなくなってしまいそのまま須藤さんと一緒に引退をしてしまった。
あだしは池知がそのまま全日本に残っていてもレギュラーはとることができずに
三屋にはなっと思うが、あの2人のポジション争いをして、その結果三屋が選ばれた、
というのが当時は観たかったんですよね。切磋琢磨が観たかったので残念だった。

他にもカネボウの清水とかもいたけどこの人は中卒でカネボウに入社した人で年齢は樹理と一緒だったけど
現役生活が長かったからボイコットが決定したらすぐに引退した。この引退は納得できたな、あだしも。
470名無し@チャチャチャ:2010/01/26(火) 15:09:34 ID:gT0tRW/c
また同じこと書いとるねえ

ほうだねえ・・・
誰も読まんのに長文だし・・・
471名無し@チャチャチャ:2010/01/26(火) 15:51:38 ID:zdc+7cg2
あんたはきちんと読んでいるから、同じことをあだしが書いてる、とわかるんじゃないか
同じ事もあるが、そうでない部分もちゃんとあるからもういっかい読んでみな!
あだしは日立の会田さんやカネボウの橋口さんの事は当時も今もあんまり興味
がなかったのでそこいら辺について触れたのは今回が初めてだと思うがね
今日は、表と裏というテーマで裏の部分の人々にスポットをあてて書いたんだよ。
つまり裏は会田さんや橋口さんそして清水さんですね。
そうそう、この76後の日本リーグでユニチカは
セッターが佐々木だったって知っている?
レフトも横山の対角は近藤ではなく石川嘉枝選手だったということも知っていた?
これ、本当だから良く覚えておくと良いと思うよ。
お前の地元の仲間に自慢できるはずwwww
トリビアは面白いお話が、いっぱいでしょう
472名無し@チャチャチャ:2010/01/26(火) 16:07:31 ID:zn2rroRj
川島京子は樹里ちゃんが入ってから干されちゃったわね
473名無し@チャチャチャ:2010/01/26(火) 17:05:22 ID:zdc+7cg2
樹理でなくても時間の問題だったでしょう
お京が外されるのは
474名無し@チャチャチャ:2010/01/27(水) 10:37:40 ID:7pzqDRhk
>>452
いいボケをかましてくれたわね
475名無し@チャチャチャ:2010/01/27(水) 16:13:52 ID:7pzqDRhk
どうせならここで、

俺はミュンヘン世代だから何でも当時の事は知っているんだよ
ってやってくれたらマジに笑えたのに、残念!!
これができるあだし、これができないミュンヘン小僧
ということなんですよね。
ほんまに小僧はつかえないね
476名無し@チャチャチャ:2010/01/28(木) 10:54:33 ID:dYN+tSMv
んが、
76.77年の頃の白井松田のチームから78世終了後の吉永らが入った全日本になったときは
時代やバレーがどんどん逆戻りしているみたいに見えたな
72ミュンヘンの頃や68メキシコの時の時代の全日本女子チームの選手かな、とね。
小島監督はどうしてこうマイナーな選手ばかり集めるのが好きなんだろうか、とも。
80のときには72ミュンヘンのときの代表だった塩川を小川の控えとして抜擢したりしたからか
兎に角そんな感じに見えたな
日電の千葉がいるじゃないかとも当時は思ったし
千葉は松田みたいにピュピュとトスしていた選手だったね
山田監督も小島監督も最後にはいつも古株選手を入れてたな
76での飯田、80での塩川、88での丸山。
477名無し@チャチャチャ:2010/01/28(木) 12:33:38 ID:dYN+tSMv
88のときの丸山加入は小田急バレー部創部直後で丸山の旦那が監督で
そこで選手登録をしてやっていたからわりかしスムーズに復帰できたので
良かったな
しかし88は本当にいいところまでいって準決でもペルーに勝てて当たり前の
試合だったのに負けて4位になってとても残念だった。
負けた原因も丸山の2本の連続ホールデングだった
あの判定は厳しかったな
準決で中国やソ連に負けたというのであれば納得できたのだがね
しかし日本はこの大会で東独にも予選で負けたから実力から言ったら4位は妥当だったかも知れない。
が、勝たせてあげたかったな
あだしはあの大会を最後に、バレー観戦から離れた、といっても過言ではないからな。
478名無し@チャチャチャ:2010/01/29(金) 12:09:08 ID:Ls9/1Iax
まぁもっと厳密に言ったらその10年前の78世が終わった直後あたりにあだしは
これからの全日本女子はもう金メダルを取れそうにないから、と思ったので
その頃からバレー観戦をするのが本当はあまり楽しくなかったんだよね。
78年に日立の主力が一気にやめた
あのときビックがやめなかったら松田もやめなかったかも知れないが
この2人がやめるのは時間の問題だったと思うから仕方がなかった。
金坂が東レの田中選手と結婚するために引退した
これもなかったら吉田矢野も引退しなかったかも知れない。
金坂はあのまんま続けていたらその後の監督が山田であろうが小島であろうが、
全日本のセッターは金坂がやっていたであろう
もしかしたら、しなくても松田も後輩の金坂が結婚のために引退する事が決まった
のでいつまでも古株選手でバレーの虫みたいな感じで見られるのが嫌でやめたのではないか
という気もする
まだ松田も当時は25だったので結婚なんてしようと思えばいつでもできる、というのが当然あったのではないか。
そしてその後30で米田さんに誘われてダイエーバレー部に入り現役復帰したのだが、その後数年した頃にこの松田が
書いた自叙伝のやっぱりバレー大好きの中でこう書かれていた。

80モスクワまでバレーを続けてもいいかなって引退前は思った事もあった
のだ、と。
479名無し@チャチャチャ:2010/01/29(金) 19:52:14 ID://mT94rd
たら、ればを言ったらきりがないけど、廣がバルセロナまで現役でいてくれて、斎藤がバルセロナの時に万全だったらバルセロナあたりだったら金狙えたんじゃない?この頃のキューバやロシアはまだまだ雑だったし。ブラジルとはトントン。アメリカには勝ってたしね。
480名無し@チャチャチャ:2010/01/29(金) 22:10:49 ID:KK31MxTX
金は難しくてもメダルはいけたと思う
アトランタはメンバー編成がおかしいから9位は妥当だな
481名無し@チャチャチャ:2010/01/30(土) 08:11:35 ID:dexJfPv+
482名無し@チャチャチャ:2010/01/30(土) 08:39:14 ID:M0HYGkPx
アトランタはなぁ。監督替わりまくり、方向性替わりまくりで選手が可哀想だったね。山内もかなり劣化してたし、佐伯ー大懸のエース対角では余りに貧相だったよね。福田の怪我がなければ、斎藤が召集に応じてくれていれば又別の展開があったかもしれないけど。
483名無し@チャチャチャ:2010/01/30(土) 14:08:28 ID:pGgkMsPk
昔の女子は現役を続けるかどうかのときにネックになっていたのは結婚だった
これは推測であるが、昭和27-8年生まれの松田や白井の時の女性の結婚適齢期は
25くらいと呼ばれていて遅くても30までには、といったのが選手たちの心の中にも漠然とあったのではないのか。
松田が78世直前で現役引退をしたときの年齢は26だったということになる。
当時の女性としたらばとても微妙だ
松田より6才年上の飯田は、30でモントリオールに日本の主将として出場したがこの時すでに
婚約者が決まっていたらしいと聞いた。で、モントリオール直後に結婚した。
松田よりも6才年下の江上はもうすぐ27になるというときにロスに出場しロス終了後すぐに引退。
江上がいつ結婚したかは正確に覚えてないがソウルの前年の87年に現役復帰したときには名前が江上から丸山に
かわっていたので1985年〜1987年頃に結婚したのであろう。28か29のときだったのか
88ソウルまで丸山には子供を作れなかった事になるが、88ソウルの大会のときに松平さんが
丸山君、本当に日本女子の為に復帰してくれてありがとう!そして夫君にもありがとう!!
と言ってあげたい、と言ってたな。
ソ連などのチームは結婚したり子供を産んだりしても即引退しないというのが昔から多かった
日本も最近は既婚女性選手も代表にいたりするが、これ、本当にいいことだと思う。
優秀なアスリートだったら結婚したって子供がいたってそんなの本当は関係ないんだよな
484名無し@チャチャチャ:2010/02/01(月) 11:14:32 ID:EdPVlTGs
あんまり昔は知らないけど、バルセロナで廣現役で斎藤万全だったらメダル絡めたかもね。ただ米田が微妙だけど(笑)
山内はオリンピックで活躍してるの見た事なかったから、実質は斎藤と中村、いちこ。廣と吉原。中田、大林って感じだろうね。佐藤、中西、中田、石掛と精神的にタフなメンバーも多かったしね。
485名無し@チャチャチャ:2010/02/01(月) 15:02:15 ID:q7mxXuE3
バルセロナではキューバに負けたんだよね
廣さん、斉藤、福田があの時仮に万全でも4位に入る事はできなかったのではないか
福田は、いい選手だったけど強い選手オーラが、出ていなかった感じがする
福田斉藤は1980年代初頭にいたらかなりの活躍ができたように思うが1990年代では
通用しなかったというイメージなんだよね
486名無し@チャチャチャ:2010/02/01(月) 18:08:17 ID:q7mxXuE3
山内さんてルックスもスパイクフォームも西洋の選手みたいだったね
あだしが初めて山内さんを観たのはたしか1993年の春に行われたキューバ戦の
ある試合だったんだけど、なかなかいい子がレフトで頑張ってるじゃん、て観た
覚えがあるぞよ。
その試合は日本が勝ったと思ったな
ソウル以降ほとんどバレー観戦をしなくなっていたあだしだったので
山内さんがとても新鮮に見えたな
この子がロスからソウルの頃にいたら、日本はロスで金を取れたかも、そしてソウルでは銀を確実に取れたのでは
ないか、と感じたね。
とにかく伸びやかなプレースタイルだなって思った。
で、その後は結局山内さんはどうなったの?
それから2年が経過した頃再び久々にバレーをテレビで観たら大懸とか高橋が出ていた
監督は葛和で、なんかユニチカ路線のチームだなってあだしは思ったよ
あ〜あ、もう完全にダメだわ
って思った。
それからもっと観なくなっちゃったwwww
もうどうでもいい、と。
487名無し@チャチャチャ:2010/02/03(水) 11:03:53 ID:nV3CaF2Z
ここは、あの頃はよかったというスレタイみたいですが、
日本女子がよかった時代、強かった時代というのは優勝又は2位を獲得していた時代だとあだしは思うわけなんですよ。つまり、敵はソビエト1つで、
決勝相手はソビエトだった時代。
他のチーム相手には日本の2軍でも楽勝することができた時代
大会前の対策、作戦はソビエト1つに絞ることができた時代
こうなると1964年から1976年までではないか、と。
1977年wcも優勝したんだから含めてもいいんではないか、という人もいるかも知れませんが、この大会では日本は予選で中国に負けてしまったし、その年の春に行われたキューバ戦で日本はキューバとは2勝2敗だった
この2敗したのは、たしかにセッターを松田からツーセッターの白井−矢野にしての実験があったからそれのせいで負けたんだ、とするご意見もありそうですが、あだしはそんなのいい訳だと思ってるんですね、受け付けない。
ですから、64-76まで。
この期間限定だということ!!
なのに、バルセロナとかwww
1990年代のお話を〜
認識の違いを感じておる次第です。
488名無し@チャチャチャ:2010/02/04(木) 13:10:43 ID:wja+AIhh
76年モントリオールのときには
白井の光攻撃のみならずに
稲妻おろしと木の葉落しというネーミングのプレーがあったことを知っている人はいるかな?
稲妻おろしは前田さんがセンターからスパイクをしたときのプレーのことだけなんだけど
前田さんの打点が物凄く高かったことから稲妻おろしってネーミングがつけられていたのですよ。
木の葉落しは矢野さんが打つサーブの事です
これもなんていうこともないのだけれど矢野さんのサーブは無回転だったのでレシーブする人から
ボールを見てると、微妙に左右に揺れて見える、そしてストンと手許で落ちる
だから日立の体育館ではこのように呼ばれていたのですが、マスコミはビックの光しか騒がなかったので
前田さんの稲妻おろしと矢野さんの木の葉落しは世の中に浸透しなかったのでした。
ちなみにこの大会での前田さんのスパイク決定率は53%で白井に次いで第2位の決定率をマークしましたが、
矢野さんはサーブで上位20位までに入らずでした。調子が悪かったのでしょう、きっと。
しかしその矢野さんは
77WC後にバタフライアタックというプレーを開発いたしました。
このプレーは、セッター松田からのBクイックのトスを一旦右手で矢野さんは空振りして左手で打つというプレー
です。矢野さんがそのプレーをしている様子が蝶のようだったので、バタフライアタックとネーミングしたのでしょうが、
あだしもこのプレーは、77年度の日本リーグで2-3度観ただけでした。
その翌年に行われた78世では松田の引退でセッターはユニチカの小川さんでしたので、コンビとして使えなかった
のかも知れませんね。そして矢野さんはその大会後すぐに引退してしまいましたから

                                          ト〜リ〜ビ〜ア〜♪


 
489名無し@チャチャチャ:2010/02/05(金) 14:15:41 ID:0iOKTUsd
こうして日本女子が光だ、稲妻だ、木の葉だバタフライだ、それで3冠獲得
して世界一だとかって浮かれている時に中国やキューバそしてアメリカチーム
は本格的なエースを育てていたんですね。
昔聞いた話では
キューバにはバレー学校があった(ある?)らしいし
まぁあったと言ってもそこは貧しい国ですから
炎天下で椰子の木にネットをはってアウトドアーでやっていたみたいでしたが。それにしたって日本は油断しまくりだった
中国もバレーの得意な子供を集めて子供の頃から特訓?合宿生活をさせてやっていたらしい。
そしてその後、登場したのが、中国の郎平とキューバのルイスだったと言う事になります
490名無し@チャチャチャ:2010/02/05(金) 17:35:39 ID:0iOKTUsd

んが、こ〜んな事を言っていたらやっぱりだめだよな
・日立体育館で、ボール拾いをやらせてもらった事がある
・(トリビアさんに対して)どうせお前は日立体育館の2Fで練習見学をしていた根暗なバレヲタのくせに

残念ながら上記に掲げる事柄はあだしが、体育館に練習見学をしていた時代には考えられなかった事でしたね

なぜならその理由は
日立体育館はそれほど広くはなかった事と
体育館の2Fは通路スペースしかなく、またそこには落下防止のための鉄柵もないためにそこで見学をすることは禁じられていたからね。
尤も、そこで見学できるのならあだしは高い所から一度、見学してみたかったので積極的にそこへ登って観てみたかったけどね。


おもしろネタならいいんだけど、ガセビアのお釜は
つまらない
何も知らない
からこうふにいつもなってしまうのだな
少し前には森田の年齢の件でつっこんであっさりこんとあだしにやられてしまいまたヒッキーになってしまったし
491名無し@チャチャチャ:2010/02/07(日) 13:39:18 ID:VqDlnr5H
日本は70年前後にこれからキューバや中国が本格的に強化してきたら
恐ろしいチームになると思っていなかったのだろうか
永遠にレシーブが上達しない国だろう
だからコンビバレーも出来ないし、そもそも一発強打があるからといってもそれほど恐れることもない
なぜならばボールをネットにかけるかアウトにするからとかって余裕ぶっこいていたのであろうか
492名無し@チャチャチャ:2010/02/08(月) 08:55:52 ID:kQAPj2LI
70年前後なんて見てるこっちだってそんなこと全く思いもしなかったわ。
中国は日本にとって今の韓国みたいな存在だったし
その当時のブラジルやキューバはパワフルだけどおおざっぱで雑なイメージだったから
20年後にこれ程の強豪国になるなんて誰も想像できなかったわ
郎平、ルイスを初めて見たときは衝撃的だったもの。
493名無し@チャチャチャ:2010/02/08(月) 09:34:23 ID:7Nqb+Yt4
しかし中国もキューバもそれから10年もしないうちに日本をあっさり
超えてしまったんだよね。アメリカもそう
アメリカなんて76の頃は日立と試合をすると、3点くらいしか1セットで
とれなかったのに、78世では、日本から2セットもとった。
その翌年くらいからは日本は勝てなくなって来ていたし
78世直後に日立が単独でアメリカ遠征したときはたしか、8勝20敗だったんじゃなかったかな
潜在能力の違い
日本は64東京五輪で、地の利もあってか、ソ連に勝って優勝して日本女子バレーは強いと
その後の10何年か世界で思われていたが、本当に強かった期間なんて12年間くらいだったのだと
いうことになってしまう。
今から見て考えれば
ベスト4に入る事ができなくなった期間のがずっと長いということになる。
494名無し@チャチャチャ:2010/02/08(月) 12:18:19 ID:7Nqb+Yt4
もしも84ロスか88ソウルのときに準優勝をしていたら
その後の展開がかなり変わっていたのではないか
という気がする。
84ロスで日本は準決で中国にあっさり0-3で負けてしまい
日本の女子はもうそれほど強くはないのだと世界中に思われてしまったのでは
ないのか。高さも強さもそれほどなく陳腐化したコンビバレーしかできないチームだと
レッテルをはられてしまったのだと感じる。
で、その後の85WC86世ではもう、世界のBランクCランクになってしまってた。
ブラジルやイタリア東独といった潜在能力が高かった国々に、私らももう少し頑張れば
日本に勝てる、と思われてしまった。で、これらの国々が研究と努力を少しだけしたら本当に
日本に勝ってしまい、自信がついたのでしょうね。
これはアメリカキューバ中国が日本に追いつき追い越したのと同じ現象でした
10年遅れでブラジルイタリアが日本に食らいついてきた。
やられた、寝た子を起こしてしまったとあだしは当時思いましたけどね。
なので丁度そのときに日本の主力だった杉山や石田、宮島大谷が期待されたほどの活躍ができなかったのだと思うな
大谷なんかが最初に騒がれた1980年頃は中国キューバアメリカは台頭していたが、ブラジルイタリアなんて
世界10位前後のCチームだったから計算外チームでした。だから日本はなんとなく試合をしていれば勝てるチームだからと余裕でいられたんだよ。
しかし10年が経過してみたらそんなことはなかったという。。。。
この頃にあのビック白井も『私の頃は、時代がよかっただけだもの』
と言っていましたね。
495名無し@チャチャチャ:2010/02/08(月) 23:41:16 ID:kQAPj2LI
いつの時代も世界的なスーパーエース(大砲)がいるチームは強いと思う
日本は白井貴子がいた時代が最強だったし、中国は郎平がいたときが最強
アメリカはハイマンがいた頃が最強、イタリアはトグットがいた頃に世界選手権で優勝して
世界のトップチームの仲間入り、ロシアはアルタモノワがいた頃、
ブラジルはアナモーゼがいた頃が最強だったと思う。

だから日本にもまた白井のような世界的なアタッカーが出れば世界のトップチームに肩を並べられるんだけど
そういう選手ってもう何十年も出てこないし、やっと出てきたと思った大山や栗原は
まったく使えないし、木村は問題外だし・・・・・・
ほんとどうなるんだろうね、全日本女子の未来ってw
496名無し@チャチャチャ:2010/02/09(火) 17:12:55 ID:yXF8+AGw
>>495
それは本当にその通りだと思う
世界的なエースがいる国がいつの時代も金メダルをとっている
東洋の魔女と呼ばれた東京五輪の時の日本の女子はどうだったか定かではないが
76以降はずっとそうではなかったか
80では中国、アメリカ、日本が不参加でしたのであの大会自体が欧州選手権みたいなものだったから
これもソ連が優勝はしたものの除かれるように思うが、76、84、88以降はスーパーエースがいるところが必ず
優勝している。
日本は、76で12年ぶりに優勝したときに白井がいたが、その後は本当にエースらしいエースがいないから
どんどんダメになって来ているのだろうね。
70年代後半に韓国に曹恵貞という165しかないチビッコエースがいたが
銀メダルはやっぱり取る事はできなかったもんな
日本も80年代はいつもそんな感じだったね
横山−吉永の80モスクワ、大谷−森田の84ロス、杉山−藤田(又は左藤)の88ソウル
その後の事はあだしはよく知らないが
おそらくずっとこんな感じだったのではないのか。

けど、白井さんて本当に偉いと思ったな
時代が良かっただけ、と言うのは偉いよ
なぜなら当時は当時の勝つ事の難しさがあったと思うし
当時は金メダルを女子は取らなければ、マスコミも国民も許さなかった時代でしたから
相当なプレッシャーはあったと思いますからね。

優勝して当たり前の時代だったけど、ソ連以外にも当時は韓国もいたし
現実に、モントリオールプレ五輪では韓国に負けたんでなかったのか
で、そのときマスコミが大騒ぎをしていた記憶がある。

497名無し@チャチャチャ:2010/02/09(火) 17:28:02 ID:cmvD7ySp
メキシコのエースは浜、古川、宍倉
498名無し@チャチャチャ:2010/02/09(火) 17:51:15 ID:yXF8+AGw
もしもその人達がすごいエースだとしたらもっともっと騒がれていたはずだよね
499名無し@チャチャチャ:2010/02/09(火) 17:57:55 ID:cmvD7ySp
↑何も知らないバカは黙ってろ!
500名無し@チャチャチャ:2010/02/09(火) 18:20:09 ID:yXF8+AGw
今は白井も河西も騒がれなくなったけど
1980年代までは河西さんや白井さんはマスコミに繁盛に登場していたじゃない。
松田や前田あたりももう少し騒がれ続けてもいいように思うのだが
そういえば10年前くらいだったのか
幻のモスクワ大会だったということで
ソ連と日本のそのときのメンバーが20年ぶりに試合をしていたことがあったな
24時間テレビの企画だったのか?
樹理なんか100キロ近くになっていたように見えたよ
江上はブロックが相変わらず上手で、松平さんに褒められていた
広瀬もレシーブの形が昔のまんまだった
樹理は30センチくらいしかスパイクのとき跳べてなかったな
水原と奥嶋はとてもほっそりしていた
三屋と池知は独身だったのではないのか
>>499
それは森田の年齢を間違えた野郎に言いなさい!

501名無し@チャチャチャ:2010/02/10(水) 10:37:58 ID:0ta6v2SJ

日本が強かった時代の選手ってみんな個性的だったように思うんだね
プレーも性格も
横山のスパイクフォームを初めて観たときも本当にこれはなんなんだ、と思った。
腕を前に振り上げて打つのが一般的でかつ基本なんだが、後ろに回して身体を反って背筋力で打つ
こういったのも普通ならば中学や高校時代のバレー部の監督とか先輩に無理に強制的に直されてしまうのが
日本的なのに、樹理は現役引退までずっとそのスタイルでやっていた。
1980年、幻のモスクワ五輪の直前の頃の月バレの別冊号で松平さんはこの樹理のことをこんな風に言っている

『私は横山選手を見て私のそれまでの考え方を改めさせられた事が2つあります。
ひとつは基本ができていない選手は大成しない、というのは間違えだったと言う事
もうひとつは、肉が嫌いな人食べ物の好き嫌いが多い人はスタミナがないというのは
間違いだったと言う事です』
と。
樹理のスパイクフォームは決して基本通りではなく美しいフォームではないが、外国の高いブロックを打ち破る
力がある。そしてスタミナもある。
もうだめかなって試合の時に最後の力を振り絞って決めてくれるのだが、彼女は大変好き嫌いが多く肉なんか
パリパリに焼いたものでないと食べられないからだと
そしてお米や豆腐なんかが大好きでもあるので、日本人らしいエースなんだろう、とも。

樹理も独特な雰囲気を持っている選手でしたね・・・・
502名無し@チャチャチャ:2010/02/10(水) 13:19:05 ID:0ta6v2SJ

アメリカのセリンジャー監督は1980年頃からコンピュータを戦力分析のために使っていた
こんなのも今なら当たり前だが、当時としたらこれはかなり最先端な事であったのだ
1981WCの直前に、フジテレビの松倉アナがアメリカチームの合宿所やセリンジャー監督に
取材をしていたが、その時のセリンジャーのコンピュータ分析によると
横山選手のスパイクの打ち方は、手を後ろに回してスパイクするので、手の出所がブロッカーにとって
分かりずらいのでブロックがしずらくなるのが特徴であると言っていた
またこれは横山とハイマンの比較になるが
ハイマンのスパイクはジャンプの堕ち際にボールをミートしているので本来の高さを生かしきっていないが
横山のスパイクは元々それほど高さのある選手ではないが、いつも本人の最高点でボールをミートしている
と言っていた。
この頃から日本の日立の山田監督なんかもコンピュータをバレーの分析に使いだしたのではないのかな
だから日本はコンピュータ分析に関して言えば決して最先端を行っていたわけではなかったのですね。
ちなみにそのときこれを知った横山選手は
(バレーをCPで分析することは)すごい事だと思いますが、試合が始まってホイッスルが鳴りラリーが始まったら
このトスをストレートに打つかインナーに打つか強打するかフェイントするかなんて決まってないと思うんですね、だからなんとも〜言えません(CP分析が勝つことに役立つか否か)
と言ってましたね。
しかし、現在はどこの国でも分析にCPを導入していますからセリンジャーのやっていた事は正しかったとあだしは感じておりますというかこういった事はユニチカの小島監督とか選手はあまり興味を持たない感じでしたからね。
アバウトというか面倒なゴチャゴチャした理屈を言うのが好きでなかったのだと思うな
一方の日立の山田監督はこういったのが本当に好きなタイプであったように思ったな。

それは日立の練習を観ていれば良く分かる。分かる人には分かるという感じ

503名無し@チャチャチャ:2010/02/11(木) 16:25:58 ID:TeZavDWi
81WCのときってポーラワイショフはもういた?
504名無し@チャチャチャ:2010/02/11(木) 18:19:17 ID:O6mrig+0
メキシコ
レフト古川、浜、センター生沼、高山、ライト宍倉、小島だったような
505名無し@チャチャチャ:2010/02/11(木) 18:41:49 ID:O6mrig+0
そのほかに日立の大きいレフト、ヤシカのベテランセンター、ユニチカのサウスポーがいたような
506名無し@チャチャチャ:2010/02/11(木) 18:44:44 ID:O6mrig+0
サウスポーは鐘紡だったかもしれない
507名無し@チャチャチャ:2010/02/11(木) 18:51:49 ID:O6mrig+0
ミュンヘン男子はレフト大古、横田、センター森田、深尾、ライト木村、セッター猫田が基本だったね
508名無し@チャチャチャ:2010/02/11(木) 23:30:51 ID:O6mrig+0
レフトのリザーブが佐藤キュウリさんと野口さん、センターの控えが南パパと西本さん
セッター兼補助攻撃が嶋岡さん、中村祐三キャプテンがサイド兼センターとどこでも出てきた
509名無し@チャチャチャ:2010/02/11(木) 23:41:25 ID:O6mrig+0
南パパと祐三キャプがセンターでツーセッターっていうのもあったねw
510名無し@チャチャチャ:2010/02/12(金) 01:11:53 ID:jAe4sKJ6
ユニチカでサウスポーと言えば水原ですね
 
ユニチカで覚えてるのは横山、水原、広瀬だなあ
前衛左の広瀬が後衛右に落ちる球に飛びついてレシーブする場面は芸術的
511名無し@チャチャチャ:2010/02/12(金) 03:12:31 ID:P2qgbM9J
>ユニチカでサウスポーと言えば水原ですね

そんなのつい最近のことだし、広瀬だの水原なんか二流もいいとこだね
そんなものしか知らないんじゃ、かわいそうだね
512名無し@チャチャチャ:2010/02/12(金) 09:52:02 ID:DWTKAK/m
>>511
つい最近だなんてあだしと同じ感覚の人間が秘かに現れました。
が、感覚的にはそうかも知れませんが、水原と広瀬は80モスクワ頃の選手ですから、もう30年も前の昔の選手
ですからねwwwww
水原さんは全日本のデビューは77WCのときだったのでまだ日本が強かったと言える時代でした。広瀬さんは
79アジア選手権であったようにあだしは記憶しているが、この時はレフトには吉永さんがいたので
広瀬さんは、ピンチレシーバー&サーバーとしてメンバー入りしていたんでないのかな。
で、翌年のモスクワが不参加になって吉永が引退してしまって苦肉の策?で広瀬がレフトに抜擢されたんだな
当時は79年に日立に入社した村田や80年の杉山とかがいたが、2人とも期待された割には芽が出なかったので
広瀬になったという感じだった。若生という村田と同じ妹背牛の選手もユニチカ入社していたが、結局ダメだった。
富士の須藤さんもやめちゃったしね。
しっかしあだしが消えた後は
68メキシコから81WCまで、そして男子の72ミュンヘンもwwww
ミュンヘンの時の事をどうしても語りたいお人がいるんですよね、この板には。
しかし、ミュンヘン話を出すとだれもレスをつけてくれる人がいないので、自演であげることになってしまうという
悲惨な事になる????
あだしとチャットをするとあだしに馬鹿にされてしまう????
別にあだしは馬鹿にしているわけではないのですがね
そういうこと。
513名無し@チャチャチャ:2010/02/12(金) 12:04:36 ID:DWTKAK/m
白井って若い頃から凄かったな
72ミュンヘンで注目を集めていた頃に、ある新聞社の記者から取材を申し込まれて、それに答えたら
翌日の新聞には白井の答えた事とは全く違うことが書かれていたそうな
それ以降白井は新聞記者から何か質問されたときは
「どうせ私の言った事なんか書かないんだから、勝手に書けばいいでしょ」とマスコミに言い放ったそうだ
当時白井は20くらいだったし時代的にもこんなことはスポーツ選手が言える空気はなかったはずだ。
全てが型破りな選手でしたね、白井という選手は
こんなのは特例中の特例なのかも知れないが、最近の選手は何かこう覇気がないというか元気がないというか
良くも悪くもこじんまりとしていてこじんまりとまとまっているのが多いように感じるな!!
KYという言葉が少し前に流行っていたが、常に目立たないようにしているのかね
そしてそれを善しとする風潮が社会に蔓延していてスケールが小さい人間や選手が多くなっているとしたら
これはあまり善くないことだとあだしは思うな
エースになるような選手は少しくらい異端なところがあった方がいい。
男子では大古がそうだったもんね
514名無し@チャチャチャ:2010/02/12(金) 15:59:45 ID:P2qgbM9J
>>512
メキシコやミュンヘンの話が盛り上がらないのは、どうしてでしょう?
金銀だったのに
515名無し@チャチャチャ:2010/02/12(金) 16:41:42 ID:P2qgbM9J
あだしさんもモントリオールからソウルあたりのことしか書かないしね
516名無し@チャチャチャ:2010/02/12(金) 16:45:50 ID:DWTKAK/m
>>514
そんなこともないと思いますよ
男子は金メダルだったから盛り上がると思う
現実に過去のスレでは本当に人が多かった事がありましたからね(自演をだれもしていないという前提で)
ミュンヘン男子話は盛り上がった
しかしここは女子の部のお話ですから男子のお話はスレチになってしまうから、と遠慮しているのでしょう。
メキシコは男も女も銀で、ミュンヘンは男が金で女は銀
あまりに昔で記憶が曖昧になっていて話しずらいのではないのか?
あだしはそうだな
あだし的には一番記憶にあるのが74-78頃だから
517名無し@チャチャチャ:2010/02/12(金) 16:51:03 ID:P2qgbM9J
古すぎて話についてけないってことだね
518名無し@チャチャチャ:2010/02/12(金) 16:57:09 ID:DWTKAK/m
>>515
被ったな
あだしがあんまり大昔の事をお話すると怒る人がいてね
あだしはメキシコでもミュンヘンでもおかまいなくって感じなわけなんですが
そんな時代の事をお話すると、だれかがもう少し新しいお話をしたいのかなんなのか
益子や斉藤や大谷あたりの時代のお話をもってくる
あだしはその時代からあんまり熱心でなくなったから、つまらない分けだったんですね
なのでその折衷で76-84頃のお話を選んでる
で、白井松田横山江上あたりになっちゃう
けど、白井は生沼とミュンヘンで一緒だったし
江上は大林とソウルで一緒だった
そして白井と江上は、77WCで一緒
最年長と一番年下でね
519名無し@チャチャチャ:2010/02/13(土) 16:40:35 ID:Qcm/iCOD
だったら72ミュンヘン女子のお話をしたらいいのでは
女子の決勝では惜しくもソビエトにセットカウント3-2で日本は負けたが、この試合でビック白井が彗星の如く
デビューをしてソビエトの監督のギビから、白井は日本の秘密大砲と呼ばれたんですよね。
日本はソビエトから1.3.5セット目を取られたが、その3セット全てが11点だった。
この時の日本のユニフォームは上下共に緑色で日本の国旗の色である、赤白ではなかった。
一方のソビエトは、上が赤で下は青のユニフォームでした。
日本のメンバーには松村、山下、島影、生沼、古川、飯田、岡本なんかがいましたね
ソビエトもチュリナを出してきてこの選手の活躍で優勝したといっても良かった。
後日、生沼さんも、あのチュリナという選手は想定外であの選手が登場したことによって日本のリズムが
完全に崩されてしまったと語っていた。松村さんも、チュリナのスパイクは他のソビエトの選手とはテンポが
違ってブロックもレシーブもとてもやりずらかった、と。
また、5セット目の10点を超えたあたりの最終局面では飯田のサーブがネットを越えないというのもあった。
あのサーブミスの事を後日、飯田は、
会場の観客の笛を主審のホイッスルの音と間違えてしまい焦って打って失敗してしまったと語ってましたね。
520名無し@チャチャチャ:2010/02/13(土) 20:58:08 ID:zHiyWi9s
>この試合でビック白井が彗星の如くデビューをして

白井は前の年から全日本に選ばれて、遠征にも日ソ対抗にも出てたよ
ミュンヘンだって毎試合出たし
あんたミュンヘン五輪観てないでしょ?
521名無し@チャチャチャ:2010/02/13(土) 20:59:57 ID:zHiyWi9s
知ったかぶりは見苦しいからやめて
ろくに知らないこと無理に書かないでいいよ
522名無し@チャチャチャ:2010/02/14(日) 16:12:24 ID:GnFOCrGI
>>520
それはその通りです。ですが、素質は元々あったとみんなから認められていたものの
あのオリンピックという大きな国際舞台の決勝の日本ピンチの場面であれだけやれるとは
思われていなかったのではなかろうか
当時は新人だったし年齢も20になったばかりの選手でしたからね
そういった意味であだしは彗星という表現を使ったわけです。
あの時も白井は肩を痛めていたというし
しかし、小島監督には内緒で前日に針治療受けてベンチに座っていたらしい
そしたらベンチで、とっても肩が軽い感じがしていたので、小島監督の方を何度も見て私を試合に出してよ、と
サインを送っていたともビックは後に語っておりましたね。
私が出て負ければ、日本は白井で負けたと言われるのだからそれでいいじゃない
どうせ私はこの大会が終わったら引退するんだから
って気持ちだったみたいですよ
この辺が本当に大物なんですよね、ということも併せてここに記しておきましょう。
しかし5セット目の10-12のときに飯田がサーブミスをしたときは
あ〜あっやっちゃった、これで日本は負けたな、と思いましたね
あんときはいいムードで飯田のサーブでしたから。
ソウルのペルー戦での江上の2連続のホールディングも同じ感じでしたが
523名無し@チャチャチャ:2010/02/14(日) 16:50:40 ID:GnFOCrGI
>>521
ついでだから書く。物知りそうなのがいたから書く
白井って高校を中退して倉紡倉敷に昭和43年に入社となっている
高校2年のインターハイを終えて入社し、当時の倉紡の白井監督の幼女となり
名前もそれまでの尹正順から白井貴子になったと
しかし白井さんは昭和27年5月生まれなんですよね
高校2年の年といったら昭和44年になると思うが
この辺のことを君は知っているかな
あだしの大昔からの疑問なんですぞ
分かったら教えてほしいな

524名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 08:59:23 ID:W02LW60i
>>521
知っているかな、と思ったのですがご存知なかったみたいでしたね
残念!!
昔聞いたお話なんですが、白井さんは高校2年生のときの夏のインターハイを終えた後に高校を中退して
倉紡に入社したらしかったのですね。しかし別の資料によると昭和43年に高校を中退、と出ているので
白井さんは高校1年生で中退したんではなかったのか、と。
そのことがあだしの長年の疑問になっていたんで訊ねてみたわけだったのです。
しかし白井さんは中学では本当は卓球をやりたかったと言っていたこともありましたね
が、テニス部に入ったwwww
けどなかなかボールを打たせてもらえなかった
そのときバレーの顧問からばれーをやってみないかと誘われたのでバレー部に入部したらしい。
こうして見るとひとつひとつのエピソードが、普通とは言えない
きっともっともっと小さいときから白井さんは普通の子供ではなかったのではなかったか。
ミュンヘン直後にもバレーを引退して
日立に復帰したときも普通では考えられなかった形で入部しましたからね。
525名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 11:33:56 ID:69OKUm52
当時の選手はほとんどが勧誘ではじめてるよ。
男子だけど野球部がなくて仕方なくバレー部に入部したとかは普通。

526名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 11:57:11 ID:W02LW60i
そうじゃなくて
白井さんはバレー部の監督に見込まれるほどの体格があったのに
なぜ、卓球をやりたかったのか、という点と
テニス部に入ってもすぐにボールを打たせてくれないなんて
当たり前なのにバレー部にそれだけの理由で普通入らんだろう、という点
これらが普通ではないとあだしは思ったということなんですね。
見限りが速い
全てにおいてね、ということを言いたかった。
そういえば白井さんは78世の直前に引退したときに
「体重がどうしても80sをオーバーしてしまいもう体調管理をするのがしんどくなった」
みたいなことを言っていたが白井さんは76モンのときの体重は72で均整のとれた体つき
だったのに、77WCのときはかなり太って見えた。日立の山田監督は選手に甘い物はあんまり
食べさせていなかったはずなのに白井さんだけは本当にどんどん太って行ってた。
76モンの後すぐに引退して77WC直前までの1年弱で太ってしまったのだろうか
そしてその後の数ヶ月もずっと食べ続けていたのだろうか
あだしは白井さんのあの性格だったら
夜な夜な合宿所を抜け出して
「先生なんて関係ないわよ」と
ラーメンでも喰っていたんでなかったのかと思ったわけなんですよ。
こっそりケーキやチョコレートを食べていたとかwww
うん、けど76モンの後に復帰したのは、77年の春頃だったな
なぜなら春にあったキューバ戦と中国戦に出ていたからな
ということは9ヶ月かそこいらで一気に太ったということになる。
527名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 14:10:44 ID:n/sARY65
ミュンヘンやらメキシコやらいくらなんでも古すぎ。
あんたらいくつなんだw
528名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 15:20:30 ID:W02LW60i
ミュンヘンはまだいいがメキシコと聞くとかなり古いという気がするもんね
今の20代の若者などから見たら、何戦争直後のバレーなんかをおっさんらは語っているんだ、
という感覚なんでないのかな
日本が世界1.2の実力でなくなったのが80年代初頭の頃
今の40代半ばの人間はこの時代の頃の事ならわりかし知っている事であろう
中田が活躍しだした頃である
メキシコって68年ですよね、古〜wwww
ユニチカ日立の時代の始まりの頃
ということになりますもんね。
529名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 15:38:59 ID:69OKUm52
ニチボーが社名をユニチカに変えたのはメキシコ五輪の翌年ですね。
530名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 16:04:59 ID:W02LW60i
ユニチカって最初はユニチカ貝塚でしたよね
日立も日立武蔵だった
あだしさんはね
日立武蔵工場裏にあった旧い日立の体育館に見学に行くときは必ず
その体育館の守衛室に電話をして見学日の練習時間を訊いてから行って
たんですが、数年前にあだしさんの高校時代に使用していたアドレス張が
出てきた。で、日立体育館の電話番号も記されてたので久々にそこにかけてみたわけですよw
やっぱ
この電話は現在使われておりません
だったよ
そいだけ〜
531名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 16:05:57 ID:EykziymP
生沼さんがセンターラインあたりからチャッチャッチャって駆け込んできて
速攻やってたのw

古川牧子の時間差とか、飯田高子のCクイックとターン打ちは強烈だった

古すぎる?w
532名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 16:26:49 ID:EykziymP
あだしさんでさえ、東京、メキシコは観てない
ミュンヘンのこともうろ覚えで、月バレで後追いで読んだことしか書いてないね
533名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 16:33:46 ID:W02LW60i
生沼さんのセンターからの攻撃ってバタバタバタって感じだったね
が、当時はあれが速いことになっていたwww
飯田さん矢野さんがやっていたBくらいから生沼さん的ではなくなっていたように
思ったな。形になっているというかプロぽくなっているというかとにかく随分と洗練
されたように見えたな
飯田さんと矢野さん、そして江上は本当にブロックが上手かった。
飯田さんのプッシュはイーチョンと呼ばれていましたね、懐かしいな
マジで。
チョンとボールをブッシュして決めるからだけどなにげに差別用語みたいだなや
今言ってみると。
534名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 16:50:53 ID:69OKUm52
ニチボー貝塚だよ。ユニチカの前身は。
535名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 17:04:05 ID:W02LW60i
>>532
だったあだしは、1964年生まれですからね
けどメキシコは観ていますよ
観ているはずだ、と言ったほうがよいのか。
なので当時の選手や試合の雰囲気なんかはうっすらだけど
そういったのは憶えてる。
ミュンヘンの決勝戦の試合は今でも憶えてる
たしか9月8日前後だったと記憶している
なぜそれを憶えているかというとその試合は近所の幼馴染の家で観たんですよ
その日はその幼馴染の誕生日におよばれしてという事だったんだね。
外は小雨が降っていた日だった
蒸し暑い日でしたよ。
ブルダコーワっていたでしょ、ソビエトに。
それをあだしはコルゲンコーワって言ってみんなを笑かした
当時からおふざけだったんだな、あだしって。
白井さんが島影さんと代わって素晴らしい活躍をしたのに、その次のセットは後ろからスタート
したからなかなか打てなくていらいらして観ていた記憶があった。
小島さんもなんであんなことしたんでしょうね
というか、白井の活躍はビギナーズラックだと思っていたのかも知れませんね。
81WCのときだったかな?
アメリカ戦のときだったと思うが、疲れが出ていた樹理をそのまんま使ったこともありましたね
新人の杉山が高さのある攻撃でその前に数本いいスパイクを決めていたにもかかわらずに。
これも同じだったと思ったよ、このあだしは。
勝つことよりも人情みたいなものを優先するんだな、小島って人はいつも
536名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 17:13:19 ID:W02LW60i
>>535
だったあだしは、に訂正じゃん。
そんなことより生沼さんてお元気なのかしらね
87年くらいまではテレビの解説でよく出てたんだけど
88ソウルの頃からは荒木田さんがずっと生沼パートをやっていたから生沼さんをそれ以降は全然見なくなっている。
もう60は超えてると思うが、お元気なんでしょうか
もしか生沼さんがこれを見たとしたら何か一言かきこんでくださいませんかね
日本女子のコンビバレーの先駆者でしたね、今思えば生沼さんは
537名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 17:14:01 ID:W02LW60i
だってじゃん、わざとじゃねぇよ
538名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 17:59:29 ID:EykziymP
>日本女子のコンビバレーの先駆者

は???
気は確かか?
コンビバレーなんぞ、9人制の昔からやってたぞw
539名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 18:23:39 ID:nwhRlBys
81年WCのアメリカチームにポーラワイショフはもういましたか?(2回目)
540名無し@チャチャチャ:2010/02/15(月) 21:03:11 ID:69OKUm52
時間差攻撃は9人制時代から使われていましたからね。
541名無し@チャチャチャ:2010/02/16(火) 09:43:50 ID:AKcqcb2N
>>539
おりましたよ。
見るからにアメリカ人って感じの選手でしたね
松平さんだったかな
84ロスのときにこのワイショフの事を
『アメリカヤンキー娘という感じの選手ですね、このポーラワイショフって娘は』
と言っていた。
78世のときはいなかったが幻の80モスクワのときにはナショナルチーム入りしていたように
思ったけどどうだったかな?
とにかく1980年代初頭の頃からアメリカチームの中心選手になったのではなかったか
542名無し@チャチャチャ:2010/02/16(火) 12:11:46 ID:AKcqcb2N
ミュンヘンのときには松平さんが、モントリオールのときには山田さんが、こんな事をよく言っていたな

優勝しても12名全ての選手が予選から決勝までのいずれかの試合に出場してないと、その出場しなかった選には金メダルを与えてもらえない場合もある、と聞いたので12名全員をつかう予定です、と。

しかしこれって絶対に嘘だとわかりそうなもんだけど松平さんも山田さんも真剣な顔をして言っていた
時代よね????
今なんかメダルなんか獲れないからこんな心配はしなくてもいいが

543名無し@チャチャチャ:2010/02/16(火) 14:14:47 ID:kZVFoVMO
>>541
ありがとうございます。
ほほー、やっぱり居ましたか。
96年のアトランタにも出てたので随分長いこと活躍されたのですね。
544名無し@チャチャチャ:2010/02/16(火) 14:41:18 ID:AKcqcb2N
>>543
えっワイショフってそんなに長く現役でやっていたのか?
81WCの時が20だったとしたら96アトランタでは35になる
とにかく30代後半までやってたことになる
知らなかったな
そんなにまでやっていたとは。
もしかしたら40くらいまでやっていたのかも???
結婚や出産はしなかったのかな
それとも、そこはアメリカで
主婦業をやりながらもナショナルチームの選手でもあったのか
545名無し@チャチャチャ:2010/02/16(火) 15:02:12 ID:kZVFoVMO
>>544
アトランタを最後に引退しましたね。
62年生まれと書いてるからアトランタのときは34歳ですねぇ。
ちなみにキューバのミレーヤルイスも00シドニーまでやってますよ。
546名無し@チャチャチャ:2010/02/16(火) 15:18:16 ID:AKcqcb2N
>>545
へぇ〜じゃあだしとたいして年齢違わない
同世代だな
じゃあ81WCのときはワイショフは19だったんだ
若かったんだね
そばかすがいっぱい顔にあったように記憶している
アメリカの西部出身という顔をしていた
ルイスも1983年のロスプレ五輪に出ていたから
現役生活17年という感じになるのか
まぁロスの頃はまだ16とかだったからね
84ロス直後の江上三屋森田の引退試合が84秋にあって相手はキューバだったが
このときルイスも出ていたもんね
こういうのに比べると昔の日本の女子選手って本当に現役生活がみじかかった

547名無し@チャチャチャ:2010/02/16(火) 16:53:33 ID:MQgo3srT
あだしさんてコンドルさんじゃない?
548名無し@チャチャチャ:2010/02/16(火) 16:55:31 ID:MQgo3srT
ここに書き込んでるのは喫茶のオールド板の常連だね
同じこと書いてるもん
同じメンツが場所変えて同じこと書いてるんだね
549名無し@チャチャチャ:2010/02/16(火) 18:30:37 ID:AKcqcb2N
コンドルって何?
はげ鷹?
サイモン&ガーファンクルの
コンドルがとんでゆく
のコンドルしか、あだしは知らない・・・・
最近のバレーは知らない、というか興味がないんですよ
尤も知りたいとも思っていないのだけど

550名無し@チャチャチャ:2010/02/17(水) 18:48:06 ID:9FIPOHWL
今日は本当に過疎っていたね
無職の子たちはこれから活動するのかしら?
あだしは帰るけど


551名無し@チャチャチャ:2010/02/19(金) 16:06:16 ID:/tvM6TQQ
良かった時代って言ったらこういった感じになるんでないのか

@オリンピックに出場したら金か銀で敵はソビエトのみ
A国内の日本リーグで1位になったチームを主体として全日本のメンバーや監督が選任された
B国内のトップ争いをするのは日立とユニチカとヤシカだけ
Cソビエト以外の外国チームは高さと力はあったものの、レシーブは下手すぎで全てにおいてミスが多くバレー
  になっていなかった

ということから>>1が言っている時代とは、68メキシコから76モントリオールの時代だと思われるが、どうか?

日本リーグって1967年からだったんですね、あだしは東京五輪のあったときにはすでに始まっていたと
ずっと思っていたのだが。
で、その第一回大会で日立が優勝したんでした。
42年第一回、1.日立武蔵 2.ヤシカ 3.ニチボー貝塚 4.全鐘紡 5.東洋紡守口 6.林兼産業
優勝監督賞−山田重雄(日立武蔵)
最優秀選手賞−小野沢愛子(ヤシカ)
敢闘賞−高山鈴江(日立武蔵)
スパイク賞−小野沢愛子(ヤシカ)
ブロック賞−小野沢愛子(ヤシカ)
サーブ賞−小嶋由紀代(日立武蔵)
レシーブ賞−岩原豊子(ヤシカ)
ベスト6 小野沢愛子(ヤシカ)、高山鈴江(日立武蔵)、吉田節子(全鐘紡)、古川牧子(ニチボー貝塚)、
     岩原豊子(ヤシカ)、佐々木節子(ニチボー貝塚)

552名無し@チャチャチャ:2010/02/19(金) 18:21:58 ID:ESBWDYhH
あの頃は良かったとあって、時代は書いていない。
人それぞれ良かったと思った事は結果だけではない。
昔とあるのも昨日の事は昔話なんだから、人それぞれ過去の良かったと思う事を書き込めばいい。
あだし一人の価値観で言うな。
バカ丸出しだ。
553名無し@チャチャチャ:2010/02/19(金) 18:30:43 ID:ESBWDYhH
そもそも2チャンネルは色々な奴がきて書き込めんだから、ある一定期間だけを語り合ってっても変だし、まして四十代後半以降しか知らない時代のみを扱うのはおかしいと普通の人間なら思うだろう。
頭おかしい奴の考えは理解できないが。
554名無し@チャチャチャ:2010/02/20(土) 16:30:46 ID:Xlx2QKc5
バルセロナ五輪のワイショフは凄かった。神がかってましたよね。よく日本が勝てたなぁと思います。
555名無し@チャチャチャ:2010/02/20(土) 16:53:09 ID:12wS8Yw6
昔のことを思い出すと一番印象に残ってるのはカルポリだったりする
556名無し@チャチャチャ:2010/02/20(土) 17:45:18 ID:wBksrsNB
やっぱりソウルぐらいからの方が面白い。
予選から見応えあったし力が入った。
557名無し@チャチャチャ:2010/02/20(土) 20:13:45 ID:P1Q8seZe
確かにモントリオールとか言われても、リアルで知ってる人の方が少ないだろうしね。
558名無し@チャチャチャ:2010/02/20(土) 21:58:25 ID:IbviGi/+
ソウルなんてついこのあいだで、全然昔って感じがしないから
あんまり懐かしさを感じない人も多いと思う
さらに、そのぐらいのことはさんざ書かれてるんで
今更話題にするのも飽き飽き
559名無し@チャチャチャ:2010/02/20(土) 22:52:26 ID:P1Q8seZe
ソオルって88年だよ(笑)
オレは当時七歳。
十分昔ってか大昔だよん。
貴方の感覚は一般常識からかなりズレてるよ。大丈夫?
560名無し@チャチャチャ:2010/02/20(土) 22:55:50 ID:LsE2Xl71




まあ、いずれにしてもどいつもオジサンってことね(苦笑)。



561名無し@チャチャチャ:2010/02/21(日) 14:39:49 ID:bbHIG6N8
今の日本なら、パルホムチュックーコリートワ、チェブキナーオギエンコ、シドレンコースミルノーワにも負けるね。ソウルの時は勝てたけど。
562名無し@チャチャチャ:2010/02/22(月) 09:31:12 ID:1r8eP7ZE
>>552
>>553
そんなことはあだしだって合点承知の介ですぞ〜
あだしだって、1967年から1971年頃のことなんてはっきりとは知らない。
その後の1972年以降に観ていたときに聞いたお話で憶えていたことで印象に
のこっていることを書いてるか、古い雑誌や自分がストックしていたビデオの
記憶で書いている。
だってあだしは1964年の東京五輪があった年に生まれたんだから。
が、1964年でバレーボールが五輪の正式種目になってすぐに女子は金を取り男子は銅を取った
それ以降今までで、日本女子はいつ頃が本当に良かった時代だったのか、と冷静に考えたときは、
68メキシコから76モントリオールの頃の10年弱ではなかったのか、と思うわけなんですよ。
それ以降は男も女も世界に追いつかれて追い越されてしまったというのは否定できずメダルから
どんどん遠のいてしまったのでこの時代はあんまり善くなかった時代だと思ったので>>551でそう書いた。
だからといって1977年以降の時代の事をここに書く人間の事をあだしは否定するつもりはない。

人それぞれだ、インディペンデントなものだ、それは全くその通りだ、同感です。

だからこそあだしはこうじゃないかとあだしの意見を書いたわけなんですよ
>>551で。
が、あだし自身だってその当時は子供でしたからあまり当時の事はわからない
あだしが一番よくバレーを観ていたのは1974年頃から1984年の10年間ですよ。
白井さんから中田までの時代ということになるのか
世界で言えばペレスから郎平まで

けどここって前から人が少ないからかなんなのか、あだしが74-84のお話をすると、ワンパターンだと言ってくる
人間が必ず現れるw
だからそれよりも前の時代のお話をやってみただけなんですね。ということ
563名無し@チャチャチャ:2010/02/22(月) 10:06:27 ID:uEsjsq5a
昔話なんだから90年代バレーの話もあっていいはず
564名無し@チャチャチャ:2010/02/22(月) 12:42:35 ID:1r8eP7ZE
いいんでない
けど人がほとんどいないから。
いいはずもなにも、2ちゃんなんだからフリートークでどうぞ、という感じですぞ
あだしはあまり90年代のバレーは観ていなかったから色々と教えてほしいわけなんですがね
90年代で印象にのこっていることと言えば
1990年に日本で行われたワールドトップ4という大会で日本が久々に中国に3-1で勝ったことと
1994年の秋に山田監督の例の事件があったことくらいかな、あだしは
この事件があったときにあだしは丁度所用で国分寺まで行く事があったので小平の日立体育館の前まで
車で行ったんだよね、そしたら日立の選手が数人で体育館の玄関前でダンボール整理をしていたっけ
何やってたんだろうか。
もしかしたらあだしも選手たちからマスコミの人間でないか、と思われていたかもねぇー
東京五輪の翌年の1965年に山田監督が日立バレー部を立ち上げてから約30年間という時だったんですね
あの時は。
そして現在はあれから16年も経ったということ
月日が経つのは本当に早い!!
565名無し@チャチャチャ:2010/02/22(月) 23:32:46 ID:jUXV7Nve
70年のブルガリアの世界選手権は、松村、山下、古川、生沼、飯田、浜で銀
ソ連はリスカル、スモレーエワ、トレチャコワ、ドユノワ、サリホワ、ブルダコワで
どっちもミュンヘンのメンバーとほぼ同じだった
566名無し@チャチャチャ:2010/02/22(月) 23:44:15 ID:jUXV7Nve
>>561
ソウルではライトはニクーリナだったね
180あったのに守備専門で、ほとんどスパイク打たなかった
567名無し@チャチャチャ:2010/02/23(火) 10:15:27 ID:kRmrwikk
>>565
飯田って1970年にヤシカに入社したとあった。
飯田は中京大を卒業しているから1970年の同じ年に日立に入社した松田よりも
4学年違いだとずっと思っていたのだが、6学年違った。
松田は、昭和27.3月生まれ、飯田は昭和21.2月生まれ
というわけで、飯田は大学卒までにどこかで2年間何をしていたのだろうか?
と調べたら、
彼女は、高校卒業後に帝人名古屋という会社に一度就職したが、この会社が2年後に倒産してしまい
そこを退職後に教師を目指して中京大に入学していたことが分かった。
こんなことだれも興味なんかないと思うけど
あだしはこういった事のネタが大好きなんだよね。
だから白井の高校中退の事や大古の中卒やサントリーへの移籍の事についてはよく調べてしまうタイプなのかも知れない。
568名無し@チャチャチャ:2010/02/23(火) 14:32:47 ID:kRmrwikk
ウィキペディアによるとこの飯田高子は1966年(昭和41年)にヤシカに入社、となっているがこれはウソですね
おそらく飯田はこの頃より日本代表選手として国際大会で活躍しだしたからだと思うが、まだ1966年当時は
飯田さんは大学生であった。ちなみにこの1966年のアジア大会では日本代表に選ばれて活躍していました。
しかし1968年のメキシコ五輪のときは日本代表には選ばれなかった。当時は大学生であったからかな???
が、1970年世からはずっと日本代表に選ばれて72ミュンヘン、73WC、74世、76モントリオールまでやって
引退しました。このとき30才だったが当時としては女子の選手が30までやるというのはとても珍しいこと
だったのではないかな?
飯田さんよりも一学年下の日立にいた生沼さんは72ミュンヘンで引退していましたからね。
569名無し@チャチャチャ:2010/02/23(火) 19:07:52 ID:p1ypTD+n
生沼さんは高校卒業して間もなくからスターだったから現役に未練なかったんじゃないかな
オリンピックに2回出たし、25か6まで続けたから
当時としては選手生活長かったほうだしね

飯田さんは全日本デビューしたのが遅かったことと
センタープレーヤーとしてトップにいたし
ヤシカでもポイントゲッターで屋台骨を支えてたから
早々辞める理由がなかったのかも

570名無し@チャチャチャ:2010/02/24(水) 11:01:40 ID:zcta5sJG
飯田さんも73wc以降はずっとこの大会で引退と考えていたみたいでしたね
現実に74世の直後に一度正式にヤシカを退部して引退したのではなかったのか
しかしモントリオール五輪の前年に日立の山田監督から全日本選手として復帰してほしいとの
声がかかり引退後、郷里に戻っていた飯田さんの実家を山田監督が尋ねたことでまたモントリオール五輪の
ために復帰したというのもあって76モントリオールまでやったという経緯もありましたね。
このときもバレー界は、どこのチームにも所属せず引退した飯田をオリンピックのためだけに復帰させるのは
問題だ、と。マスコミを含めてかなり話題になっていた。
飯田さんをこのとき復帰させたのは山田監督だったけど、山田監督はこのとき
『飯田が入れば全日本の主将としてなんでも知っているお姉さん選手として使いたい』と言っていたが、これ
本音だったと思うな。メキシコ五輪のとき女子の選手村に山田監督は入る事ができずに選手との意思疎通を
はかることにとても苦労したのでベテランの飯田がいれば本当にたすかる、のだと。
で、それに飯田が応えたのでしょう。
飯田はセンターだったが75年当時は加藤と矢野しか本職センターはいずというのもあったし
75プレオリでは韓国に日本が負けたというのもあったからね。
それにモントリオールのときはコンビネーションバレーを完成させて優勝したが、
あれも大砲の白井と前田がいてセンターの飯田がいたからできたんですよね
矢野と加藤だけでは難しかったと思うな
ソウルの時の江上もこの飯田さんの役割でしたね。
>>569
生沼さんのことはその通りだと思います。
生沼さん他、日立の72ミュンヘン代表同期はミュンヘン後に
もう我々の時代のバレーは終わったので新しい選手でチームを作ってくれと
引退したんでなかったのか。
で、そのときの若手が松田岡本会田荒木田高柳吉田矢野なんかでしたね。
571名無し@チャチャチャ:2010/02/24(水) 14:10:03 ID:X9dFPJe6
飯田は74年の日本リーグと75年の都市対抗に出場してます
これが最初の引退前の最後の国内の公式戦じゃなかったでしょうか
572名無し@チャチャチャ:2010/02/24(水) 14:43:03 ID:zcta5sJG
74世は74.10月に行われて74日本リーグは74.12-75.3になります。
75都市対抗は75.5月に行われたと思うので引退は75.5月頃だったかも知れませんね
で、その後すぐにモントリオールプレオリがあってそこで日本が韓国に負けた。
モントリオールオリンピックまであと1年というときに復帰して騒がれたのは間違いなかったと
思うのですが・・・・
少し間違えましたね、あだしの記憶は。
ですが>>571さんはすごいですね
今から35年も前のことをこんなに早く正確にレスできるなんて

74世のときの解説でだれかが、飯田選手もこの大会が終わったら引退でしょう、と言ってたのが
あだしの頭の中に今も鮮明にあったので良く調べもせずに、74世直後に引退と書いてしまいました。
けどあだしが言いたかったことは、引退のことではなく復帰劇のことでしたから
どうでもいいなって気もしていますがね

573名無し@チャチャチャ:2010/02/24(水) 15:22:02 ID:X9dFPJe6
>>570
昔の選手のほうが引き際が良かったっていうか、きっぱり引退したよね。
全日本代表までいかない選手でも、大体が高校卒業して5,6年ぐらい実業団でやって
もう十分やったから引退して新しい生活に入るケースが多かったね。
今はなかなか辞めないね。
社会環境が変わったことが大きいんだろうけど、それだけじゃない原因がありそう。
574名無し@チャチャチャ:2010/02/24(水) 15:23:43 ID:X9dFPJe6
そのあおりでほとんど試合に出れないまま辞めてく若手も増えたよね。
575名無し@チャチャチャ:2010/02/24(水) 16:12:44 ID:zcta5sJG
昔は全日本に選ばれて活躍する選手はそのほとんどが、高卒後3年目くらいで
選ばれていて、オリンピックに1回若しくは2回出て23か26くらいで女子はやめていた。
大概がこのパターンで、その後結婚していたんでないか、と思う。
日本の女子バレーが強かった1970年代までの頃は、日本では女は25までに結婚するべきだ、
そして30前までには遅くても子供を作らないと子供を産めなくなってしまうと言われていたから
バレー選手も引退の時期を常に考えながら現役を続けていたというのがあったのではなかろうか。
あと、昔は男も女も、良くこんなことを言っていたように思う

いいとき(時期)にやめた方がいい、と。

このいいときというのは、オリンピックに出場してソビエトに勝って金メダルを取ったらそこですぐに引退する
ということを指していたのだと思うが、たしかにそういった選手は多くいたように思う。
しかし今は昔と違って結婚適齢期や出産年齢が大幅に変わってきているし、独身女性も多くなっているし
そもそも女子バレーで金メダルなどとることができないのでいいときで引退というのもないw
オリンピックに出場できてその代表に選ばれて出場できたらいいときになるのか。。。。

いずれにしてもどれもこれも環境の全てが全然違うな
荒木田江上三屋世代から杉山中田世代の選手頃からだんだん今のようになってきているように思うな


576名無し@チャチャチャ:2010/02/24(水) 16:47:15 ID:zcta5sJG
なので1972ミュンヘンの直後に20だった新人の白井が
バレーをやってると自由な時間がないのでもうこれで引退します
と言ってやめたのも当時としたらかなり目立った。そしてその翌年に
バレーをやめてみたら何も私にはなかったのでやっぱり復帰します、と日立に復帰したのも
異例なことであったように思った。その頃は男子の森田も全日本に選ばれたとしても辞退しますが
日本鋼管ではバレーを続けます、と。大古も将来の事を考えてサントリーに移籍しました、とか。
当時の男子の小山監督も大古の人間性云々で大古を全日本から外すというのもあった。
アマチュア問題もあった。
当時はどれもこれもひとつひとつが大問題になっていたが、それらひとつひとつの事が現在では当たり前に
なって来ているように思うと同時に、この強かった時代に大古や森田そして白井や飯田などが時代の先駆者と
してやっていたからこそ今こうして開かれて行ってるのではなかろうかとも思うんだね。
監督の山田さんや松平さんも今の監督にはいないタイプでしたよね
選手もみんな個性的であったしな
あれ?結婚したけどすぐに離婚したのでまた復帰したという選手もいたね
ヤシカの岩原って選手だったっけ?
ユニチカの塩川さんはユニチカ引退後に大学も入って結婚もして8年ぶりに80モスクワで小島監督の要請で
セッター小川の控えで選ばれていたこともあったしね。これも飯田さんや江上さんと同じ感じでしたね。

577名無し@チャチャチャ:2010/02/24(水) 18:19:51 ID:X9dFPJe6
今はこれがピークとか、これがいい時って
はっきりした区切りがないのかもしれないね
578名無し@チャチャチャ:2010/02/24(水) 20:41:36 ID:Pt9s96gi
徳光さんが言ってた。
私、以前女子バレーボール選手に一度だけインタビューしたことがあるんです。
ロス五輪で活躍された全日本キャプテンだった江上由美さんという方です。
こちらの質問を真剣に受けてくれて、きちんとした口調で答えてくれる。
頭がよくて、清潔で気品があって実に素晴らしい女性でした。
って。

NHK600こちら情報部の、たしか金曜日質問コーナーにも出演されていた松平ドン。
人柄はこっち側に置いといてw
この人の解説とかよく聞いていたが、バレー以外のスポーツにも共通するいろいろなことを教えてもらったと思う。

あの頃はよかったw
かもねww
579名無し@チャチャチャ:2010/02/25(木) 10:59:00 ID:UI9pfOSt
昔(とてもアバウトな表現だが)って今に比べると一々何事にも大袈裟だったように思うな
アマチュア問題にしても大古のサントリー移籍問題にしても白井さんの移籍も無宿者だった飯田を
全日本に復帰させたことについても・・・・
何かと、アマチュア選手として相応しくない行動とかって言っていたように思う。
だからその頃は品位・品格という言葉を多くマスコミが取り上げていた
男子のミュンヘン直後に起こったアマチュア問題もアマチュア選手としての品位云々とマスコミが取り上げて
騒ぎ、最後のほうにはそもそも品位とは何か、となっていたし。
もっともっと選手が好きなようにやれば良かったように感じたな
現役選手でも普通のOLのようにお休みの日は恋人や友達と遊びに行ったりできる自由な時間を与えてあげ
ても良かったのではなかろうか
月に一二度そんな日があってその日は練習をお休みしたっていいのではなかったか
そしてそれの方がずっと365日練習をしているよりも精神的にも選手はバレーを良い状態で続けられたのでは
ないのか。
現実に白井さんはミュンヘン後に一ヵ年のブランクがあったが、復帰後も大エースとして活躍できたし
江上だって84ロス後に引退してから3年間も全日本選手としてブランクがあった
その間に結婚もしたのにソウルの前年に30で復帰して国際大会で東独とやったときには
東独の監督から
「江上は相変わらず上手いっ えっ3年間も現役を退いていたのかっ 知らなかった」
と言われたくらいでしたからね。

580名無し@チャチャチャ:2010/02/25(木) 12:18:21 ID:UI9pfOSt
アマチュアって言葉を日本で使うときには
国も協会も企業も
選手や監督にお金をそれほど支給しなくて良いということになっていたので
アマチュアだから、と繁盛に使っていたのではないのか。
世界一二になるような集団チームに対してアマチュアという言葉は適さなかったのに
アマチュアだからということにして選手にも監督にも何も補償がなかった。
バレーというスポーツをするために結婚も仕事もお金も学業も家庭も犠牲にしていた選手はとても多かったのではないか
で、金メダルを獲っても国からも協会からも何も補償がない
これじゃあ選手は例えバレーが好きであっても嫌になっちゃうよ〜
銀メダルならマスコミはボロくそ書いてたし
70年代初頭に選手に対する功労金制度みたいなものを作ってあげてればもう少し状況が変わっていたのかな
とも思うんだね。
例えば女子選手なんかには引退してもその後の1-2年は何もしなくても食べてゆけるお金を引退時に支給して
あげるとか、そんなのがあればもう少し頑張ったという選手もいたのではないのか。
世論も、彼女らは170.180とみんなデカイからまともに女として働くことができないからバレーに打ち込んでいるのであろう
と。こんな感じだったよね
581ななしのいるせいかつ:2010/02/26(金) 11:48:32 ID:bxmwOF8s
毎度毎度へえって感じで(もっと真面目に感銘に近いものも受けてますよ)
読んでま〜す。
まあ強いてつっこむなら180cmはでかくないよ(厚底サンダル、ブーツは除く)
582名無し@チャチャチャ:2010/02/26(金) 12:32:56 ID:Tv2qxvdK

それは今の時代のお話でしょ
1970年代、特に70年代初頭の頃なんて、日本の女子選手には滅多に180を超える選手なんていなかった
んですよ。あだしの記憶では72ミュンヘンの白井180と73WCの古田180と永野183と76モントリオールの加藤
180くらいだけじゃないのかな?
とにかく180もある女子選手はめずらしかった。
1975年に八王子実践から富士フィルムに入った須藤という超高校級と呼ばれた選手がいたが
この選手でも178だった。その後1979年に日立へ入った吉野という選手も181とかでかなり騒がれたが結局は
たいして活躍せずに1984年ロス前後に引退したんじゃなかったのか
1980年に日立に入社した杉山180もかなり話題になったくらいですからね
1970年代は女子で175あったら大きい選手だと呼ばれていた時代だったのです。
当時はソ連選手も今のように190なんてのも滅多におらず170台後半が主流で日本もなんとか対処できていた
ということなんですね。
日ソの次に実力があった韓国も170前後のレフトスパイカーしかいなかったし
だから日本も170そこそこの選手でも通用したんでなかったのか
1984年のロスの頃でさえ日本は177の大谷がエースだったチームですよ
まぁ今とは全然違いましたね。
日本では180あってスパイク、レシーブ、ブロックの全てが一流だったのは1976年時の白井貴子だけでなかったのかな
しかし、その白井さんも1978年頃には当時台頭してきていたキューバや中国には通用しなくなって引退したしね
それでも白井が1972年から1978年まで日本にいてくれたお陰で日本は74世、76オ、77Wで3冠が獲れたんですね。
583名無し@チャチャチャ:2010/02/26(金) 13:07:35 ID:fIn4dV+N
あの時代から196もあったハイマンって凄かったのね
584名無し@チャチャチャ:2010/02/26(金) 14:04:47 ID:Tv2qxvdK
それでもそのハイマンは白井さんがいた頃からやっていたが
当時は只大きいだけの選手でスタミナもなく動きも遅かったので
日本はそれほどハイマンの事を怖い選手だとは思っていなかったもんね。
白井さんが引退した直後に行われた1978世のときくらいから
アメリカは本当に強くなったチームだったのですよ。
その後、日立のコーチにいた吉田さんと3冠のメダリストだった高柳さんが
結婚してアメリカでナショナルチームに日本のコンビバレーや守備を本格的に
教えた。丁度、その頃からアメリカ黒人選手がチームに加わりキューバチームのような
高さと力のバレーをするようになって84ロスで銀メダルを獲るまでになったのですね
アメリカは。
しかし80モスクワにアメリカが参加していたとしてもこの頃から相当な力を持っていたので
メダルを獲れる実力はあったのかも知れないとも感じる。

日本が戦力ダウンした78年頃から中国には郎平が現れたり、キューバは守備がよくなっていったりと
で、78年頃から日本は世界で勝てなくなって行った。
この頃はソビエトもそれほど脅威ではなくなってたからもしもアメリカも中国もキューバも力をそれほど
つけてこなければ、80モスクワでも敵はソ連1つで日本は金メダルを獲ることができる可能性は90%以上
あったと思うな
しかし中国もアメリカも出ていたモスクワだったら日本は金メダルは無理だったね。
1978年に白井さんらが引退してから坂道を転がるように堕ちて行ったということですね
日本は。
日本が3冠を獲ったときは日本の人材が豊富であった事と素質のあった中国やアメリカがまだ本気で取り組ん
でいなかったから日本は小手先だけのコンビバレーで優勝することができたんですよ。
ハイマンが凄かったのも1980年から1984年までじゃないのかな
このときは中国にも郎平がいて世界の2大エースでしたね。
585名無し@チャチャチャ:2010/02/26(金) 14:23:40 ID:UzrmERt+
ハイマンが代表を去った直後にキューバのルイスが世界に強烈な印象を残すことになるんだよね。
586名無し@チャチャチャ:2010/02/26(金) 14:44:44 ID:Tv2qxvdK
つまりこんな感じになるのか
リスカル→白井→ハイマン→ルイス
        郎平
587名無し@チャチャチャ:2010/02/26(金) 14:46:07 ID:Tv2qxvdK
あれれ
ハイマンと郎平の位置が逆だね
588名無し@チャチャチャ:2010/02/26(金) 18:35:13 ID:Tv2qxvdK
ハイマンが登場した1970年代半ばの頃は
いくらアメリカ人だからと言ってもこんなに大きな選手は
特例中の特例でもう現れないだろうみたいな感じだったよね
当時は日本の男子でさえ190以上の選手を見つけて集めるのに
苦労していた時代だったから
日本は今でもそうだが。
589名無し@チャチャチャ:2010/03/01(月) 11:44:06 ID:zIclFHdX
日本リーグは前述の通り、1967年から始まったわけですが、
女子は開始当時はニチボーと日立そしてヤシカの3強で1974年頃まで争っていたが
この頃から全日本は単独チーム主体がいいという単独論と各チームの優秀な選手を
ピックアップして選抜して方がいいという純粋選抜論が出ていたが
結果的にはいつも単独チームに3-4人他チームから選抜選手を選び、全日本を作っていた
なと思う。折衷法なのか。純粋単独が良かったのか、純粋選抜がよかったのか、単独主体をベースにした選抜全日本が
よかったのかは当時も今もだれも分からなかったと思う。なのにいつも単独がいいはずだ、選抜がいいはずだ
と協会はゆれていてはっきりしなかった。
そんなの当たり前のことだ、とあだしは当時は良く思った。
なぜなら、どちらがいいのかと言う事を日ソ対抗試合の成績だけで毎年答えを出していたからね。
当時の日ソ対抗は全日本が3戦し他に各実業団チームが1試合ないし2試合していた
なので全日本はソ連に2勝1敗、ヤシカは2勝、ユニチカ日立はそれぞれ1敗で通算日本の4勝3敗
といった形でした。しかしこんな勝敗も日程の関係もあるので必ずしも強いチームが勝つということでもなく
勝ちも負けも時の運だったように思った。
しかし、協会は今回は日立もユニチカも勝てなかったのにヤシカは2勝したから、ヤシカ主体の全日本で行くと決めていた。こういったのは本当に短絡でなかったのか、と感じる。
目先のみを重視して長期的な展望を持つ事もなく企業に頼っていたので崩壊したんだろうね、女子バレーは。
ヤシカ、日立、ユニチカの監督も一致団結しようとする気もなくいつもぎすぎす陰湿な空気があったのもあまりいい感じじゃなかったね。

590名無し@チャチャチャ:2010/03/01(月) 12:36:04 ID:zIclFHdX
まぁ反対から言えば、この程度の体質でやっていた日本女子バレーでも1976年頃まではなんとかソ連に勝てれば金メダルを獲る事ができたんだから当時は本当にいい時代だったということなんですよね。
591名無し@チャチャチャ:2010/03/04(木) 07:29:20 ID:maw0vlmP
まぁ…ハイマンはあんな亡くなり方(しかも日本で)したからちょっと過大評価されてる感じもする。
同時期に同じ位活躍した(ハイマンより評価高い見方もあったくらい)クロケットもいて
二人いたからこそあの頃の米国が強かったともいえる。
どっちか一人だけだったら微妙だったかも。
592名無し@チャチャチャ:2010/03/04(木) 10:07:22 ID:6RAglAxP
>>591
ハイマンだけ、若しくはクロケットだけだったら
日本は80年代初頭にあそこまでアメリカに苦しめられる
ことはなかったですね。
このことは、ミュンヘン男子の大古、横田、森田の例やモントリオール女子の
白井、松田、前田の例と同じ。
もしもこの3人がいなかったら日本は金メダルをとれなかったかも知れないということです。
ハイマンは試合の途中にバテることが多くて投げやりなプレーというか集中力がないところが
良く見受けられたが、クロケットが入ってからはそんなハイマンを良くカバーしていた。
当時のライバルの中国や日本などもハイマンが後ろに下がってもまだクロケットがいるかと思えば
それだけ気を抜けなくなり、大変だったのではなかったか。
当時の中国の張容芳&郎平もそうですね
強いチームにはいつも世界に通用する2人以上の選手がいるということではないでしょうか
593名無し@チャチャチャ:2010/03/04(木) 14:20:46 ID:6RAglAxP
70年代の黄金期に日本女子バレーは世界の事をなめていたな、と思う。

西洋人は腰高だからレシーブは上達しない
高さはあっても馬鹿力だけでスパイクを真下にしか打たないからミスが多くそれほど恐れることはない
日本のコンビ攻撃について来ることができない

10年先の事を何も考えずにあの時点の事だけ見てこんな安心理論を言って余裕かましてたのが悪かったんだね
アメリカや中国が本気になったら身体の違い、人口の違いは歴然としているのだから今後は今までの日本のやり方ではすぐに追い越されてしまう、という感覚がまったくなかったのが80年以降日本が勝てなくなった原因
594名無し@チャチャチャ:2010/03/08(月) 17:28:54 ID:3W5KQz1Q
595名無し@チャチャチャ:2010/03/08(月) 21:38:03 ID:F1deaLiw
ロシアはなぜ日本のように弱くはならないのか?
596名無し@チャチャチャ:2010/03/08(月) 22:32:58 ID:LVchWdaB
カルポリが踏ん張ったから
優秀な人材が豊富にいたから
597名無し@チャチャチャ:2010/03/09(火) 10:16:08 ID:MjzWKgHe
>>594
596の2行目と同じ
>>596
しかし、カルポリ全ソ連も1981年から84年頃は日本と中国とアメリカに勝てなかった時代があったよね。
その時代のソ連だってどんどん大型化していていたにもかかわらずに勝てなかった
1981年から84年頃は中国、アメリカ、日本が3強でソ連は蚊帳の外だったな
しかし80年代後半にはそれまでよりもグレードアップした選手がどんどんソ連に現れてまた巻き返した
それら選手が、ソウル五輪で優勝したときの主要メンバーの
スミルノーワ、シドレンコ、オギエンコだった。
この大会では日本は予選でソ連に勝てたものの最終順位は4位だった。
中国はソウルのときはそれほど強くはなかったのでソ連はそこに上手くつけ込めたのだろう。
ソ連はあのとき久々のチャンスだったよね
ソウルの時の全日本のメンバーは
大林の対角に中田、杉山左藤のレフト、センターは廣と一度引退し結婚して丸山になって29で復帰した江上だったが
これでは、やっぱり4位が精一杯だった気がするな
598名無し@チャチャチャ:2010/03/11(木) 10:31:58 ID:WAXVhzzP
1981年から1984年頃は日本がソ連とやるときは、まず負けることはないという感じだったので
今日も3-0で勝つだろうが各セット何点くらい日本はソ連に与えてしまうのか、という感じだったね。
日本がソ連に勝ち続けていたこの期間は、中国とアメリカが本当に強くなっていた時代でもあったので
日本のこの時代の敵は中国とアメリカだった。この2つだけだった。
1982年後半から日本はユニチカ全日本から日立全日本に替わってからはアメリカに対してもやや日本が
有利かなって感じもしたが、敵地では相当アメリカに日本が叩かれていたようだった。
なのでロス五輪の予選でアメリカが中国に勝ったのも偶然なんかではなくて実力だったと思った。
この頃に、中国アメリカの他にペルーの躍進もあったね
少し前まではキューバが本当に強かったのにこの頃には日本にとってキューバは敵ではなかった。
ペルーチームは77WCにも出ていてその頃すでにかなりまとまったチームになっていたがまだメダルを狙える
といった感じでもなかったが、82世で2位を獲ったあたりから本当にいいチームになっていたな
で、88ソウルでも2位になったんだね。

599名無し@チャチャチャ:2010/03/11(木) 14:01:01 ID:WAXVhzzP
連投です。
この時代の日本は打倒中国!打倒アメリカ!って感じでオリンピックやWC、世界選手権で金メダルをとりあえず目標にしていた。そして当時はそれで良かったのだと思うが今振り返って考えるとこの時代に大きく世界の
流れから日本は外れてしまったように思うんだね。
世界の流れについて行っているようで全然ついていけなくなった
つまりあまりにも中国とアメリカだけを意識しすぎてしまっていたのではないのか、ということ。
1990年以降はアメリカや中国はどんどん衰退して行くだろう、という予想でこれからはブラジルやイタリアが
強敵になるとの想定でチーム作りや対策を練る必要があったということです。
これもまぁ結果論にすぎないのだが
600名無し@チャチャチャ:2010/03/11(木) 17:04:08 ID:j5juxPN1
キューバってロスとソウルに出てたらメダルだったんじゃない?
601名無し@チャチャチャ:2010/03/12(金) 10:41:18 ID:W59a87Y0
ロスのときは日本はキューバに対して相当自信を持っていた時代でしたから
そのキューバが、ロスに出ていたとしてもメダルは無理だったように思うな
ロスでキューバがメダルをとるとしたなら日本、中国、アメリカの3つのうち1つに
勝てないとメダルをとることはできないということになったのでどう考えても無理だったでしょう。
ソウルならソ連、日本、中国の3つのうち1つに勝てないとメダルは無理。これもやっぱりかなり厳しい
感じがした。
キューバチームは潜在的な力はいつも高い力を持ったチームなんだけど、なぜかつまらないところでポカ
をしてしまい予想外の成績に終わるんだよね。
78世で初優勝したときくらいでなかったのか、最初から最後まで圧倒的な強さを見せたのは
80モスクワのときだって日本中国アメリカが不参加だったし、78世のときの勢いがキューバにはあったから
絶対に優勝はキューバだと言われていたのに終わってみたら3位にも入れずにだったし
ということでロスのときの1.中国2.アメリカ3.日本に入り込む安定した実力はなかった。
ソウルも同じく1.ロシア2.ペルー3.中国に割って入る実力はなかったということになる。
602名無し@チャチャチャ:2010/03/12(金) 13:39:45 ID:X5YCCyia
ロスはまだしもソウルに出ていたらキューバのメダルは間違い無しでしょう。
85W杯、86世界選手権どちらも準優勝だし。
どう考えても日本やペルーよりは実力上だったよ。
ソウル翌年の89W杯なんて失セット1の圧倒的な強さで優勝しているしね。
603名無し@チャチャチャ:2010/03/12(金) 16:37:56 ID:W59a87Y0
けどなぜか日本はキューバに対して自信を持っていた、という感じなところが
あったように見えたのですね。
それは1980以降10年間くらいは、ということなんだけど
日本がキューバに対して苦手意識やコンプレックスを持っていた期間って1977年から1979年80年頃までだった
ように見えたな
それは、日本が丁度、白井さんたちがやめて横山全日本になった入れ替えの時期だったという頃になるのか
しかし1980年のモスクワでキューバがまさかの5位になってからはいつも日本有利で戦っていた印象があった。
しかし84ロスで江上らがやめたらまた日本にとってキューバは強敵になったが、中国みたいな強敵という感じでも
なくて3-4戦すると互角でいい試合をしていた印象だった。
中国やソ連にはやっつけられるという試合だったけどキューバは違ったなと思う。
強いけど怖くはないというチームだった。
そもそもどうしてキューバはソウルに出場できなかったんだっけ?
メダルをとれる力を持っていたというキューバがなぜソウル大会に出ることができなかったわけ?
604名無し@チャチャチャ:2010/03/12(金) 17:16:01 ID:X5YCCyia
ロスもソウルもボイコットでキューバは出場できなかったんですよ。
キューバは85W杯以降は常に世界のトップだったと思われる。
605名無し@チャチャチャ:2010/03/12(金) 17:19:42 ID:W59a87Y0
92オリンピックのときは日本がもう少しで勝てそうな試合をしなかったっけ???
606名無し@チャチャチャ:2010/03/12(金) 17:34:05 ID:X5YCCyia
キューバは89W杯優勝以降、圧倒的な強さを見せて五輪3連覇も成し遂げているが、
日本がキューバに勝つ試合もたまにありました。
あだしさんが見たのはバルセロナ後のワールドスーパー4でフルセット勝ちした試合ではないかな?
607名無し@チャチャチャ:2010/03/12(金) 17:54:24 ID:W59a87Y0
そうではないと思うがね
92オだった
それには大林が出ていてまぁまぁ活躍していた印象があった
あだしは92オまでの試合はマイビデオに収めているんだよね
81-92まで持っていた
持っていたというのは何年か前までのお話なんですね
というのはなぜか90年以降のビデオだけが劣化してしまい数年前に棄てた
まぁその時代はあまり興味がなかったのでどうでもいいんだが。
というわけで92オだったですよ、たぶん。
しかしその大会で日本がキューバに勝っておればまたその後の展開も大きく変わって
608名無し@チャチャチャ:2010/03/12(金) 17:57:03 ID:W59a87Y0
ごめん
いたように思うな
78世で惨敗した日本が79プレオリでキューバに勝ってそれ以降の5年間
価値試合を続けたみたいな展開ですね
何をやってるのか途中で書き込みを押してしまった。。。。
609名無し@チャチャチャ:2010/03/12(金) 17:57:44 ID:W59a87Y0
勝ち試合じゃん
再三ごめん
610名無し@チャチャチャ:2010/03/12(金) 18:12:51 ID:X5YCCyia
バルセロナでは日本とキューバはグループが違うんで当たってませんよ。
アメリカ、ソ連(ロシア)と同グループでした。
ちなみにアメリカ戦はフルセットの激闘で勝っています。
もしかして準々決勝のブラジル戦と間違えてるのでは?
611名無し@チャチャチャ:2010/03/12(金) 18:15:23 ID:W59a87Y0
ごめん、ならアメリカだったかも
そんときのアメリカチームって黒人選手が多くいた?
アメリカだわね
612名無し@チャチャチャ:2010/03/12(金) 18:19:02 ID:X5YCCyia
アメリカ戦はファイナルセット(ラリーポイント)5-9でリードされての逆転勝ちでした。
あの試合のワイショフは凄かったです。
613名無し@チャチャチャ:2010/03/15(月) 09:22:01 ID:tDlLO/78
金曜日は尻切れトンボで終わったんだね
しっかしあだしは90年以降の女子バレーをあまり観てなかったんだな
という事に自分でも気がつく。
正確に言えば1985WC以降であるのだが
そう、これは江上引退を境にということなんだろう
こんだけー
614名無し@チャチャチャ:2010/03/15(月) 12:29:10 ID:tDlLO/78
これは76モンや84ロスのときもそうだったけど
山田監督ってソ連やアメリカや中国といったその時代の日本のライバル国とオリンピック直前に戦うときに
わざと日本の主力を外して戦っていた。
こんなことをしたとき山田監督は
『オリンピックが近いので日本のすべてをさらけ出す必要はないと思いましたので』とマスコミにコメントして
余裕があるように周囲に見せていたが、あれ本当は、自分が最強だと思うチームで戦って日本が負けたら
ショックが大きいからあんなことをしていたのではないのかなっていつも思ったな
モントリオールのときは日本も強く、ソ連もたいしたことはなかったから良かったというか、そんな山田采配も
様になっていたけどロスのときの江上をわざとに外してのアメリカ遠征は失敗だったように思ったな。
江上と石田では力が違いすぎだったと思う
あのときは江上が入っていてもアメリカに負けてしまうことがあったからね。
とにかくロスの大会では日本は中国がどう転んだとしても日本は中国に勝つ事などできなかったのではないか。
だからあんときの3位は実力どおりだと思った。
ソウルでは4位だったが準決で勝ち試合のペルー戦に負けてしまったのであの大会は今でも銀若しくは金を
とることができた大会だと思いますね。
メダルをとるためにせっかく江上(丸山)が復帰したのにとても残念でした!!
615名無し@チャチャチャ:2010/03/16(火) 12:23:18 ID:uT29pgf5
76の頃にもソ連や韓国と試合をするときにわざと白井を温存させて戦ってみたりしていた
ポジションなんかもレフトで前田を使ったりセンターにしてみたり、吉田もレフトをやったりライトを
やったりセンターでやったりと当時は相手が弱かったからか日本が圧倒的に強かったからか
こんなのは特別めずらしい事ではなかったですね。
が、76のときは白井前田(岡本)がレフトで飯田矢野(加藤)がセンターでライトが高柳でセッターは松田
これがベストだったのかな
これを基本にしてワンポイントスイッチ的にレフトに横山を使ってみたりライトに荒木田を使ったり金坂セッター
にしたりしていたね。会田って選手もいたがこの人は最後に代表からもれてしまった選手
この会田さんはとても器用な選手で身長は174くらいしかなかったけどレフトライトセンターのどこでもできた。
できたんだけどそれぞれの専門でやっている人達を超える力がなかったために代表からもれてしまったように
思ったな。
それでも高柳荒木田矢野らよりも実力は上だったんだけどね
今後の選手でなかったから76オでは山田監督は会田さんを代表に選ばなかったんだろう。
オールラウンドと呼ばれる選手の悲しい運命を見た気がしたよ
当時、あだしはね。
主力をわざとに外して強敵と戦うときに山田監督は決まってこんな風に言っていたのを思い出したので最後に
『白井(江上)を抜いて今回は戦うからと言っても、だからと言ってソ連(アメリカ)に負けてもいいと言う事ではないんだぞ』
って。それにしても当時は余裕があったね
なぜならば代表もれした会田さんでもそこそこソ連なんかと対等にやれたんだから
616名無し@チャチャチャ:2010/03/16(火) 17:29:25 ID:2LCpizMi
会田カッパは器用貧乏

金坂もよくオリンピック代表にまでなれたものだね
下手すれば日立でもうずもれて終わりそうだったのに

荒木田は期待外れだったね
高校時代から将来の大器とか言われたけど
よくわからんプレーヤーになっちゃった
617名無し@チャチャチャ:2010/03/16(火) 18:22:21 ID:bjLqF+et
>荒木田は期待外れだったね
>高校時代から将来の大器とか言われたけど
>よくわからんプレーヤーになっちゃった


今もよくわからんオバハンよね(苦笑)。

618名無し@チャチャチャ:2010/03/16(火) 18:54:45 ID:uT29pgf5
会田さんは白井と同年齢だったから76オの時点で現役生活も
せいぜいあと2年かどうかという選手だった。74世の代表にも
選ばれて金メダルを1つ取れたからもういいだろう?
とされたのではないのか。
金坂は74世のとき、故障した松田に代わって重責を果たしたので
そのご褒美というのもあって松田の控えとピンチサーバーで選ばれた選手だったように思ったな
ルックスもなかなかだったから山田先生のお気に入りだったのかも、という気もするし
74世のときには金坂を急遽メンバーに加えなければならなかったことにより加藤がメンバーから
外されてしまいコーチとして登録されたので加藤は試合に出られなかった。だから加藤は外せなかった
というのもあったから会田が外されたというのもあったように思う。
会田は特別悪くはないのだが、どうしても必要だという選手でもなかったということだったのだろう???
荒木田はタイプは違うが大谷のように高校のときに注目されたがそれ以降社会人になってからは
特別すごいって感じの選手でもなかったが日立入社のときに山田監督から
『君が日立に入ったならオリンピックに連れて行く、退社後はバレー留学もやらせるから』
と、言ったとか????
で、その約束で選ばれたんだよ、きっと。
吉田矢野はこれからの選手、モスクワに出て活躍する選手として選ばれたように感じる。
高柳は小型選手だったがまとまっていて安定感があったからな
選考理由は当然これだけではないのだろう
性格の良さ悪さ、選手からの人気度、信頼度その他諸々を総合的にかんがみて山田監督が最後にこのメンバーに決めたのだろう。
飯田、岡本、前田、松田、白井、加藤、荒木田、金坂、吉田、高柳、矢野、横山の12名に

619名無し@チャチャチャ:2010/03/17(水) 11:34:24 ID:BGtWfnCn
当時はだれもが日本は選手層が厚いと言ってたが本当に実力がある選手が沢山いただろうか
白井前田松田という選手がいたからそう感じていただけなのではないかとあだしは思うときがあるんですね。
もしもあのときこの3人がいなかったら
エースは岡本と吉田、横山になっただろう、セッターも金坂でその控えは永木さん、塩川さんってところか
こうなると金を獲ることができたのか、銀も怪しい気がするな
かつての中国も郎平と張容芳と孫晋芳に周や陳がいたときに選手層が厚いチームだって言われた。
そうなんですよ
しっかりしたエースがいれば後はそこそこのミスが少ない選手を揃えれば、選手層が厚いチームということになるんですよ、きっと。

                   トーリービーア〜♪
620名無し@チャチャチャ:2010/03/17(水) 15:00:34 ID:BGtWfnCn
現実に78世のときライトをやっていた吉田さんは
77WCのときのような決定率をスパイクであげることはできなかった。
77WCと78世では、白井前田のレフトが横山須藤に代わったのとセッターが
松田さんから小川に代わったという全日本に大きな差があった事、その他
アメリカや中国が強くなった事などが違うといえば違うんだけれど。
優勝したキューバもあのときは本当に強かったというのもあったね
しかし日本はこの大会では中国とはグループ分けの関係で中国とはやってないから
中国が強くなっていたことも吉田のスパイク決定率が下がったこととは何の関係もないことになる。
日本はあのときはアメリカ、イタリア、チュニジア、東独、ペルー、チェコスロバキア、キューバとやったんで
なかったかな?
あれっ、韓国ともやった気がしたが
しかしキューバとこの頃急速に力をつけてきたアメリカ以外は完全に日本よりも格下チームだった。
今じゃイタリアはとても強いがこのときは弱小チームだったからね
それでも日本はアメリカとチェコスロバキアに3-2という思わぬ辛勝試合をしてしまったが。チェコスロバキアは
欧州のチームで、欧州バレーはソ連やポーランド、ブルガリアなんかとともに60年代70年代初頭の頃まで
バレーが盛んな地域だったので白井らが抜けた日本にとっては強敵であったかも知れない。
しかし全体的に見ればたいしたチームと当たったわけでもなかった。
なのにエースが樹理と須藤になった場合の吉田は白井前田のときよりも活躍することはできなかった事は事実
であろう。
現実に吉田は引退後にあるテレビ番組で77wcのときのことをこのように語っていたことがあったもんな

『あのときは白井さんと前田さんがいてくれたので、楽に打たせてもらいました』と。

バレーボールにおいてとても重要な事のひとつに、世界的なエースがいるチームといないチームでは大きな違いがある。
同じ実力の選手でもエースらしいエースがチームにいるのといないのとでは全然その選手のスパイク決定率が違う。

このあたりの事を松平さんは良くこんな風に言うよね
ミュンヘンのときは大古、森田、横田の3本柱がいたからあのときは金メダルを取れた
女子の白井君、松田君、前田君のときもこれは同じなんでないのかな、と。
621名無し@チャチャチャ:2010/03/17(水) 18:27:28 ID:BGtWfnCn
しつこいと怒られそうだわね
そう、
76のときの白井前田以外の補助アタッカーは白井前田という太陽のひかりに照らされてぼぅっとひかっていた
月だったということなんですよ。
月はあくまで月
月は他の生命にいのちを与えることのひかりを発することはできない
ということです。
あだしはそれが言いたかったのです。

622名無し@チャチャチャ:2010/03/18(木) 11:03:05 ID:fdx/iALF
3人の超一流を同時期に揃えるというのは本当に難しいことなんだね
松田も引退後に
あのときはエッコとビックがいてくれたから
と言ってたし。
623名無し@チャチャチャ:2010/03/19(金) 13:01:26 ID:XE6pBfAp
けど、前田さんてジャンプ力はあったしスパイクフォームもとても美しかったが
プレーを観ているとあまり運動神経が良さそうという感じに見えなかったな
ジャンプ力がある選手って普通はキビキビとしていて運動ならなんでもできそうな感じに
見えるのだが、この前田選手はその反対に見えた。
山田監督は前田選手のことを
『あのタイミングのずれた前田のスパイクは外国の高さのあるチームにとても有効だ』
と言ってたが、あだしには前田選手が運動音痴だからああなっているように見えたんだな。
当時は何も知らなくてそう観ていたあだしだったが、この前、前田さんがバレーの事を語っている
ある書籍を読んだらそれにはこんな事が書かれていた。
前田『私はとてもバレーなんかできる身体ではなかったんだけど三洋のバレー部の監督に見初められて
    高校卒業してからバレー部に入ることになったのよ』
    『だから最初はとても下手糞だったのよ』
と。
これを読んでなーるほどってあだしは思ったね。
624名無し@チャチャチャ:2010/03/26(金) 16:14:21 ID:ryHtegwt
久々にここへ来てみました

前田さんのレスでずっと止まったまんまでしたね
郎平がデビューしたのはたしか1979年12月のアジア選手権だったと思うが、
このときの郎平はまだ、ただ高さがある選手ってだけでひょろひょろとしていた
イメージだったんですよね
なので力強いスパイクを決めてくるという感じではなくて
ブロックの上からふわっとした足の長いスパイクを打ってエンドラインのところに決めてた感じだった。
郎平のこの頃のスパイクを見た時、あだしは前田さんのスパイクに似た感じのスパイクを打つなぁ〜
と思ったものでしたが、その後郎平は筋トレに励み1981WC以降は本当に力強いスパイカーに変身しましたね
まぁ、尤も前田さんがいくら高い高いといっても305でしたから、79アジアの時の郎平の317には遠く
及ばなかったでしたが、ジャンプするときの離陸する感じから着陸までの全体がとてもスローモーで良く似ていた。
625名無し@チャチャチャ:2010/03/26(金) 16:30:40 ID:vKrC/Byf
郎平はバスケットボールでスパイク練習していたらしい
626名無し@チャチャチャ:2010/03/26(金) 17:24:44 ID:pmoKkS31
そんなことしたら腕壊すよ
627名無し@チャチャチャ:2010/03/29(月) 09:16:24 ID:jAxv7J2H
当時の中国人ならやりかねない
それが嘘か本当かあだしは知らないが
それに郎平なら自分を鍛えるためにやりそうな気もするんだな
????
冗談でだれかが言った事が一人歩きしてしまい郎平も面倒臭くなって
それを否定しなかったとかもありそうだ

キューバのルイスが子供の頃に高い木の上になってる実を獲ろうとジャンプをしていたから
ジャンプ力が伸びたというお話も、これも嘘ではないが子供の頃ならこんな経験はルイスのみならず
みんなあるでしょ、ってこのお話と一緒のレベルかもよ。
628名無し@チャチャチャ:2010/03/29(月) 10:24:52 ID:jAxv7J2H
60年代70年代のリスカル白井前田スモレーワは現役当時
男性的なスパイクで素晴らしいとみんなから言われたが、
まだまだ女子バレーでは、という前提で男性的だと言っていたが
70年代後半に現れた郎平や80年代半ばに現れたルイスは男性的だと
言うより、男以上という表現があっていた。
この二人の最高到達点も330以上で日本の全日本男子選手並の高さだったからね。
あの当時の実業団リーグの男子の中に郎平やルイスが入ってもそこそこ通用したのではないか
629名無し@チャチャチャ:2010/03/29(月) 17:39:22 ID:ft8xx+Lt
郎平のバスケットボールスパイクは当時本人が語ってるので事実ですよ
630名無し@チャチャチャ:2010/03/29(月) 22:47:29 ID:8kWAyCkI
小泉志津男「日本バレーボール五輪秘話5」ベースボールマガジン社
を読み始めますた
読み応えあって面白いす
631名無し@チャチャチャ:2010/03/30(火) 10:55:58 ID:ghKeW3yK
郎平が79アジアで彗星の如くデビューしたとき、日本のバレー関係者は凄い凄い!と絶賛していたな
しかし当時は高さはあるがまだまだひ弱なもやしっ子というイメージの選手で体力がなさそうに見えた。
打球もふわふわとしていて強打ではなかった。
翌年の秋に、中田と大谷が日中対抗で中3でデビューしたとき大谷が試合の感想をマスコミから訊かれたときに
「郎平の打球はそんなにたいしたことはなかった。ジュリさんのがよっぽど破壊力がある打球だと思った」と
生意気言ってた。
あだしは大谷のこのコメントを聞いたとき
日本は2試合とも中国に完敗したのに話題だけで選ばれたといってもいい大谷がなんて生意気な事を言うのだろうと思ったな。
郎平とジュリの高さの差や潜在能力の違いについて触れずに何言ってるんだか
それに郎平はまだ19でこれからの選手でジュリは24でピークは過ぎているのに、と思ったもんでした。
日本って大谷に限らず昔はいつもこんな事言ってお茶を濁すところがあったと思う。そしてこの安心理論がいけなかったんだよ。
・キューバチームは高さはあるもののレシーブが下手だから複雑なコンビ攻撃はやらないから日本のブロックでも充分対処できる
・中国は国際大会の経験が浅いので体調管理でいつも失敗して勝てない、中華が喰えない異国では力が発揮できない

キューバ中国が本格的に強くなった80年代からはこんなのもあまり聞かれなくなったけどね

632名無し@チャチャチャ:2010/03/30(火) 14:45:29 ID:FctCrHjE
中田ってデビューしたときはセンターだったんだよね?
633名無し@チャチャチャ:2010/03/30(火) 15:08:07 ID:ghKeW3yK
そう。
たしか1-2本スパイクを決めていた。
それだけ憶えてる
セッターは技術的にどうこうでやらさせてもらえなかったというよりも
このときはユニチカ主体のチームだったし小川は78世のときからずっと
セッターをやっていたから中田を急に入れるわけにもいかなかったのだろう。
ということは三屋と中田は途中で代わったということだったのかなぁ〜
このときの監督は小島さんだったから
中田に早くから国試合をさせよう、と。そういった起用だったのでしょうね、きっと。
1セット通してやっていたのではなかったので出来はなんとも言えなかったが
ミスらしいミスはしていなかったと思う。
この年はモスクワ大会の関係でいつも春にあった日中戦が秋になった
大谷は夏の中学生の全国大会でかなり騒がれて抜擢された。
バレー界のONとか言われてた
634名無し@チャチャチャ:2010/03/30(火) 15:09:05 ID:ghKeW3yK
国際試合だね
635名無し@チャチャチャ:2010/03/31(水) 11:29:29 ID:a9i3US3G
このときの日中対抗戦は全日本と2戦し
あとは当時の実業団チームの6チームが戦ったがどこも中国には勝てなかったが
日立がこのとき、あと少しで勝てそうな試合をしたんでなかったか
セットカウントは1-3で日立が中国に負けたのだが、4セット目にいい感じの戦い方をしていた。
このセットを日立がとったら2-2になったら最終セットも日立がとってという流れだったが
惜しくも負けてしまった。
メンバーは江上−金子のセッターで村田がいたのは憶えてるが後は忘れた。
けどこのときの日立を見てもしかしたらこのチームがもう少し経験を積んだら近い将来、中国に
勝てるかも知れないな、と感じた試合だった。
で、それが実現したのがそれから3年が経過した83アジア選手権だったわけだが、
このときはセッターが中田で、金子や村田も消えていた。
636名無し@チャチャチャ:2010/03/31(水) 12:06:10 ID:+NhZh78U
中田がテレビで何度も語ってる話だけど
あの勝ったアジア選手権の中国戦で試合中幽体離脱をしたらしい。
コートの中の自分を、もう一人の自分が外からながめている。
相手チームがどんな攻撃をしてくるかも全部先にわかったとか。
「セッターなのに(コースも読めるので)バックラインにさがってレシーブしまたトス上げたりしていたんです。長い間やって中国と戦って勝ったのはその試合だけでした。」
637名無し@チャチャチャ:2010/03/31(水) 12:37:07 ID:a9i3US3G
三屋もあのときは神がかりを感じた、と言ってた。
けどこれはずっと勝てなかった中国といい試合をして
1セットをとり、2セットも続けてとって気分がハイになって酒を呑んだときみたいな
気持ちになったのではないかなぁ〜と思う。
この試合前には韓国に勝ってオリンピックの出場権も獲得してたから
気分が試合前から良かったというのもあったんだろうね
この中国に負けてもオリンピックに行ける、と。
で試合前から日本チームは盛り上がっていたんだよ
あのときの福岡体育館の応援も物凄かったのも幽体離脱や神がかりを感じた理由だったのでは?
これに似た感じの試合は82世のときの日本−ペルーの試合だった。
日本はこのときペルーに負けてしまったが実力から言えば日本が完全に上だった。
このときもペルー!ペルー!の応援がすごかったじゃないか

けど83アジアで中国に久々に勝った日本だったが84ロスでは完敗だったね
その84ロスではアメリカが地元の応援のお陰で予選で中国に3-1で勝った
これも神がかりだったのかも知れないが
82世以降はソ連もキューバもやや翳りがあってそれに代わりペルーやアメリカが3大会で台頭してきていたので
そういったときは神がかりや幽体離脱といった現象が起こるのかも知れない。
638名無し@チャチャチャ:2010/03/31(水) 15:17:10 ID:a9i3US3G
しかしまぁ中田の幽体離脱は中国に久々に勝てたという喜びの大げさな後講釈
をそう表現しただけだろうね
ハイになっちゃって思わずそんなことを言ったという
少し格好をつけたんですよ、それは。
これは何のスポーツでもそうだろうが
格下チームが到底力の及ばない格上チームと戦っているときに何かのきっかけで
連続ポイントを格下がとると格上チームが浮き足立ってしまいミスを連続する、ということは
よくあると思う。
それが、83アジアの中国だったし82世の日本だった。そして84ロスの中国ですかね
もう少し古いのでは77wcの日本−中国の日本もです。
88ソウルのペルー日本のときの日本もそう
 〃   東独−日本のときの日本もそうだ。

しっかし中田って大げさな女だな
639名無し@チャチャチャ:2010/04/01(木) 09:52:52 ID:dyA8bTcc
が、ソウルのときのペルーは予選であの中国に3-2で勝っていたから
日本よりも格下ではなかったのかも知れない
640名無し@チャチャチャ:2010/04/02(金) 00:51:05 ID:/vhvdwv0
ペルー×中国は確かフルセットの9-14から勝ったね
641名無し@チャチャチャ:2010/04/02(金) 14:11:18 ID:CwENQ0Dt
まぁだからペルーに実力があったという単純なことでもないんだけど
それからの試合でソ連に勝った日本にも勝ったし決勝でもソ連とフルセットをやったから
やっぱり銀の実力だったということなんでないか。
実力のあるチームというのは大事な試合でしっかり勝つからね
642名無し@チャチャチャ:2010/04/08(木) 11:21:36 ID:2cOZDpl8
ソウルのペルーは余裕で日本より格上。
86年世界選手権は3以だし、
87のジャパンカップでも
中国やソ連が参加するなか優勝してなかったっけ?
643名無し@チャチャチャ:2010/04/08(木) 12:54:37 ID:+owRRPjM
>>642 ペレスがいたからあそこまで強くなれたわけで。。。
644名無し@チャチャチャ:2010/04/08(木) 23:20:02 ID:2cOZDpl8
ソウルの頃のペレスはそれ程でもなかった。
ペレス抜きでも日本はペルーには勝てなかったと思う。
90年ぐらいだとペレスも堂々の大黒柱だったけどね。
ソウルの頃のペルーは本当によくまとまってたし、
サイドは小柄だったけど
どの選手もスウィングが抜群に速くてしかも上手かった。
645名無し@チャチャチャ:2010/04/09(金) 00:01:45 ID:t+c9bnMP
ファハルド、マラガ、トレアルバ、タイト、リスコ…
みんな切れ味のいい選手揃いだったね。

でもソウルの準決勝は、韓国お得意の審判買収よ。
日本にソウルで金メダルを取らせるわけにはいかないからね。
江上のプッシュのホールディングはあり得ないし、ペルートレアルバの同様のプッシュはグッドにされた。
大事な最終セットに…。

韓国は栄誉の最下位(笑)
646名無し@チャチャチャ:2010/04/09(金) 00:35:42 ID:OPhVDNqW
中田久美も糞審判に負かされたと言ってたわね
647名無し@チャチャチャ:2010/04/10(土) 04:32:30 ID:k7ZX/xj+
朴萬福(漢字あってる?)さんが名将だったからね。ペレス以外は確かに小粒で巧い選手が揃っていたけど、ペレス抜きでソウルの銀はありえなかったでしょ。
今、キムチョルヨンが監督に就任しているペルーがどこまで息を吹き返すか楽しみです。
648名無し@チャチャチャ:2010/04/10(土) 08:42:52 ID:89yBlJbM
そうでもないんじゃない?
圧倒的な地の利があったとは言え82年世界選手権は2位。
アメリカにも日本にも勝ってる。
ソ連、キューバが不参加とは言えロスも4位。
ペレスがまだ機能していなかった85年も、
日本開催のWC以外では日本はペルーに完敗してる。
ペレス抜きでも十分強いチームでしたよ。
649名無し@チャチャチャ:2010/04/10(土) 15:13:37 ID:k7ZX/xj+
まあ、色々な見方があるから。ソウルの準決勝も日本が勝っていてもおかしくなかったし。最終セットの不可解な判定がなければね。ソウル五輪の頃は、韓国人の日本叩きが異常だったし。韓国で日本にメダルを取らせたくなかったのでは?みたいな見方もあったぐらいだし。
650名無し@チャチャチャ:2010/04/11(日) 02:33:14 ID:1RVS+UoX


  ウリーベ も いたよ
651名無し@チャチャチャ:2010/04/12(月) 09:36:45 ID:ACqOP9tP
日本チーム的にはソウルでのペルーは普通にやれば勝てるって思っていたと思うな
楽勝とはいかないまでも日本が大きなミスをしなければペルーには勝てるはずだって
思っていたのではなかろうか
ソ連や東独に負けることはあってもペルーに負けるということはない、という感じだったんじゃない
優越感を持っていたと思うな
しかし負けてしまった。
ペルーも日本に対して同じように優越感をもっていたんだろうね
ペルーは予選で中国に勝って準決勝に進出してきた
一方の日本はソ連に勝ってあがってきた
それぞれが自信をもっていたということだろう。
しかし日本はあの大会でもう少しで金か銀をとれそうだったからあのペルー戦は本当に悔しく、惜しい負けだったな
日本は予選でソ連に勝てたが東独に負けたので何か今一リズムに乗り切れずにペルーに負けてしまったのではなかろうか
652名無し@チャチャチャ:2010/04/12(月) 13:54:49 ID:282UNr47
そうねー。東ドイツにフルセットで負けたもんね…。
その前のソ連戦が劇的勝利だったから、あれ?って感じだったわ。

その辺の不安定さが、糞審判買収があったとしても、金メダルには届かなかった要因だったと思う。
セミファイナルでせっかく苦手の中国に当たらないという千載一遇のチャンスだったのに…。
ほんと未だに悔しいわ。
653名無し@チャチャチャ:2010/04/12(月) 14:46:00 ID:ACqOP9tP
もしかしたら不参加だったモスクワや84ロスのときよりも
日本が金メダルをとれる可能性が高かった大会だったかも知れない。
あのときのペルーの監督が韓国人だったのと、ソウル大会が韓国だった
ことがああなってしまった原因のひとつではあるが
金メダルを日本がとるならば、そなんのがあったとしてもそれを跳ね除けて
ペルーに勝たなければならなかったのだろう。
東独とは本番前の試合で3勝3敗だったと記憶しているが
もしもそれが5-1とか4-2で日本が勝ち越していたなら本番でも勝てたのでは
なかったかとも思う。
82世以降ペルーは本当に力をつけてきていたよね
チームに上昇ムードがあったんだと思う。
日本はそれを阻止することができる力がなかったということ!
このときのペルーは日本男子が64-68-72で胴−銀−金をとったときみたいな
感じだったんじゃないのかな
654名無し@チャチャチャ:2010/04/12(月) 15:06:33 ID:u+ks7D4t
それはないと思うね。日本はペルーに負け越してたし、
大林も「ペルーにはどうしても勝てないって苦手意識がある」
って語っていたぐらいだからね。
ソウルの日本は金もありえたけど最下位もありえた。
東ドイツが韓国に負けてくれたのは本当にラッキーだった。
655名無し@チャチャチャ:2010/04/12(月) 15:26:52 ID:ACqOP9tP
モントリオール以前までは日本の敵はソ連のひとつだけ
モスクワでは中国、アメリカ、キューバ、ソ連の4つでこのときはどうしても中国には勝てなかったしアメリカと
キューバには5分5分だったがアメリカは年々強くなっていた。ソ連には苦手意識はなかったが地元で地の利
もあったし伝統の力もあったのでうまく行けば金か銀悪かったら胴か4位。5位以下はなかった。
ロスでは中国とアメリカが強敵で中国に勝てる可能性は2割だったがもしも準決でアメリカとやって勝てたら銀という可能性もあったな
ソウルは>>654さんの言う通り。

656名無し@チャチャチャ:2010/04/12(月) 16:38:25 ID:ACqOP9tP
韓国も78世の頃までは必ず準決に食い込んできた。そして3位争いに
必ず顔を出していた常連さんだったのに80年以降は世界5-6位以下のチーム
になっちゃったんだね。
70年代までは万年3位でもしかしたら日本かソ連がへまをどっかでしてくれれば
銀か金も、というチームだったが、中国、アメリカ、キューバが台頭してきたら
まるっきりだめになってしまっていたね。
日本もその時代まで、つまり韓国が3位でいてくれたときまでは金か銀を必ず獲得できていた
ということだった。70年代後半からずっと4-5位のペルーが82世86世88ソウルでまさかベスト3に
入ってくるなんて思わなかったよ。
しかしその後はぱっとしないですね
これもペルーらしいといえばペルーらしいのだが
日本は86世のときも東独にコテンパンにやられたから
そんなのもソウルのときに引きずっていたのかもね。

少し前の大会でやられた相手の顔が相手コートにいたら嫌なもんですよ、きっと。
優越感と劣等感の劣等感というやつですね

今日はにぎわってるね、ココ山岡

657名無し@チャチャチャ:2010/04/13(火) 10:17:26 ID:v4DjDHMF
江上由美選手が現役の頃の日立バレー部では
入社1年目の選手はパーマをかけてはいけないという規則とサインをするときに
崩し字で書いてはいけないという規則があった。
なのでパーマをかけている選手はみんな上級生だけだった
あだしは江上に日立体育館で初めてサインをもらったときは1980年だったが、
その時江上は入社4年目だったのかな
楷書をやや崩した感じの行書風な文字でしたね。
今も持っている
しかしこういった規則は山田監督が決めていたのかな?
ほかにももっと色々あったのでしょうね
あっ思い出したよ
外(日立バレー部外)には友達を作るな、例えそれが女性であっても
チーム内でも特定の人間と仲良しになるな
遠征先で男子の選手と会ったとしてもその選手らと会話なんかするな

どれもこれも不自然だというか、とても気持ちが悪い規則ですね
選手だって子供じゃないんだからこんな高校の校則みたいなので選手を縛りつけなくてもいいのに
という感じですね。
658名無し@チャチャチャ:2010/04/13(火) 13:48:40 ID:v4DjDHMF
70年代後半に中国とアメリカが台頭してきて日本や韓国そしてソ連にキューバは、このアメリカと中国に
80モスクワから84ロス頃まで勝つことができなくなったのだが、ペルーなんかはこのアメリカと中国に対して
日本やソ連が意識するほど意識していなかった感じがするんですよね。
ペルーは当時世界ではBランクからCランクだったのに世界のトップレベルに躍り出た中国やアメリカに対して
割と対等に試合をやれると思っていたのではないかなぁ〜
日本なんかから見たらペルーが中国やアメリカに勝てるわけがない、という感じだったけどペルーにしたら
中国もアメリカもそれほど苦手意識はなかったと思うな
それはなぜか、とあだしが考えるに中国アメリカが台頭してきた数年前、1974世や1976モントリオールが行われた
ときまでは、ペルーの方が中国やアメリカよりも完全に実力が上だったから優越感を持っていたのではないのか。
日本も当然、中国やアメリカよりも1976年までは実力は上だったわけだが、1978年に白井さんらが一気にやめたので
自分たちで戦力ダウンを自覚しすぎてしまい、その頃、中国には郎平というスーパースターが現れてびびってしまい
それ以降現在までずっと苦手意識をひきずってしまったのだろう。
ペルーなんかにしたら中国なんてモントリオールにも出ていない国だしそれほど強いという印象はないわ
ってコンプレックスを持つ事がなくきていたんだろうということ。
日本は国際試合を多くやりすぎて中国やアメリカの強さを知り、勝手にコンプレックスに陥ってしまい
勝てなくなってたところがあるように感じたからね。
ペルーは怖さを何も知らずにやっていたのかも知れない
日本やソ連みたいに交流試合を多くする国はすぐにプレーやデータを他国に盗まれてしまうから選手の入れ替えが
あった後などは数年間、低迷するというのは多々あった。
ソ連が77年から83年の頃そうだったでしょ。
659名無し@チャチャチャ:2010/04/13(火) 14:41:15 ID:v4DjDHMF
あと、強かった時代って相手チームのソ連が主力のセッターやエースを先発からはずしてきたときなど
すぐに日本のバレー関係者は、『手の内を見せないためにはずしてきた』とかって言っていたね
ああゆうのもどうかなって思った。
単に調子が悪いだけだったんじゃないのか?生理だったのではないのか?主力を凌ぐ新人が現れたからテストしたかったのではないのか?
と思ったね。
日本人って裏読みしすぎるところがあるでしょ
そういうのもいけなかったのではないか。
ソ連のギビは策士だからとよく言われたが、あれだって本当のところはわからない
68.72で日本が負けたからそう呼ばれたのかも知れないよ。
山田監督もギビを相当意識していた時代があったね
わざとに白井をはずしてみたり、センターで先発を組んでみたり
しかしそういうことをやって勝手に日本が自滅していたりもしたからwwww
ね、

久々の3連投だった、いや4かな
ごめんね。
660名無し@チャチャチャ:2010/04/14(水) 10:24:16 ID:v5GkzVsP
>>モントリオールにも出ていない中国


中国は政治的理由で参加していないだけ。
661名無し@チャチャチャ:2010/04/14(水) 10:55:21 ID:WHNDG4XH
>>660
あのときの中国は
実力的にも出られるチームではなかったと思うな
アジアには日本と韓国がいたからね
中国がはじめて韓国に勝った大会は78世のときだったもんね
しかしこのときは中国はソ連に負けてしまいソ連が韓国に負けて
準決勝へ進出したのはソ連と韓国だった。
で、中国は5-8位グループにまわり6位だったからね
しかし前年の77wcの予選で中国は日本に3-1で勝ったので76あたりから
メキメキ力をつけていたことはたしかだ。

78世の頃まではまだ韓国のせこいバレーが通用した時代だったということであろう

662名無し@チャチャチャ:2010/04/14(水) 17:38:02 ID:v5GkzVsP
出れる出れないの実力の話ではなく、国際政治的背景とコメント内容の矛盾のコレクトがしたかっただけよ。


でもワールドカップ77の予選で、日本が中国に負けたのは、子どもながら大事件に感じたわ。

よく78世界選手権で銀メダルがとれたこと。
アメリカ戦のフルセット勝ちには落胆したもの…。
663名無し@チャチャチャ:2010/04/15(木) 10:53:39 ID:1ogzAcuo
その78世の予選の一発目で日本がアメリカに3-2で辛勝した直前に山田監督は
日本でマスコミに対して
『今回のメンバー(小川−吉田、矢野−江上、横山−須藤)で最近力をつけているアメリカに対して各セット10点
 くらいやって日本が3-0で勝ったらこの全日本も合格だろう。今回のレニングラード大会で日本が金メダルをとれる
 可能性は20%だが、キューバの次の銀メダルをとれたら善しとしたい』
とコメントしていた。
が、アメリカに3-2、チェコスロバキアにも3-2だった。ペルーにも苦戦した。
キューバ以外にはどこにも楽勝できると思っていたのに相当計算違いをしていたのではなかったのか
とにかく、女子バレーの変化がはっきりとした大会だった。
その後、日立では矢野、高柳、吉田も引退してしまって日本女子バレーは冬の時代に突入したんだよな
キューバにアメリカ、ソ連に中国。韓国もまだまだ日本にとってはあなどれない相手だったし
それまで世界5-8位だったチームが一気に力をつけてきたという大会でしたね。
この大会の直前に引退した松田も引退時の記者会見で
『もう私たちの時代は終わった。キューバや中国は20前後の選手が中心になり相当力をつけてきているし、私も試合のコンディション
を整えるのが精一杯で本当にしんどいのです』
と言っていた。
日立体育館の2Fの会議室でこうコメントして引退したんでなかったのか。。。。
そのときの中国の20前後の選手らが、張とか孫そして周だった
そしてその選手たちに郎平を加えて81wcで中国は金メダルを獲得したわけですね。



664名無し@チャチャチャ:2010/04/15(木) 11:42:56 ID:jjp1CLwo
81WCでアメリカに負けたけど中国戦はもうちょいで土つけるとこまでいったよね?
665名無し@チャチャチャ:2010/04/15(木) 12:19:24 ID:1ogzAcuo
>>664
あんときは日本はキューバに1セットとられていて、アメリカに3セットをとられていたので日本vs中国の前の
日本の失セットは4セットで一方の中国の失セットはアメリカに2セットをとられたのみだったので2セットだったので
たとえ日本が中国に3-2で勝っても日本は優勝できなかったから中国が2セットをとった瞬間に中国の優勝と日本の
2位が決まった試合だったね。なので日本の選手も最終セットは集中力が切れていたように見えた。
勝っても負けても2位だったので
アメリカ戦も接戦だったからあの負けが痛かった。
あのときのソ連は日本にとって強敵なんかでなくて1戦目であたり3-0で楽勝だったのだが、そのソ連がアメリカに
3-0で勝ったのでソ連の3位、アメリカの4位という結果だったが、あの時点での実力は1位中国2位アメリカ3位日本
4位ソ連だったと思うな。
このときには韓国はすでに問題外だったね
78世で優勝したキューバもだったが。

666名無し@チャチャチャ:2010/04/15(木) 12:50:59 ID:1ogzAcuo
日ソの時代は日本ソ連が決勝で戦って勝ったほうが優勝で負けたほうが2位
そして決勝にあがるまでこの両チームはどこかの国に1セットか2セットをとられる
事はあっても負けるということは滅多になかった。(77wcで日本は予選で中国に1-3で
負けたが)
しかし70年代後半から80年代に突入した頃からはこのパターンではなくなったよね
日本は中国に対してかなり苦手意識をもっていたがソ連やキューバには得意だった。
アメリカはソ連を苦手としていたが日本や中国に対してはそれほど苦手意識はなかったように
見えたな。
つまり日本、中国、アメリカ、ソ連、キューバにペルーが出揃った時代には
それぞれがそれぞれ得意不得意があって大会の順位予想がしずらくなっていたな
そう、この時代から日本はメダルが取れなくなっていったのだ。。。。


 また2連投ごめんね


667名無し@チャチャチャ:2010/04/15(木) 14:02:40 ID:KCVQ6NKB
77WC予選で日本が中国に負けたカウントは2-3だったと思うよ…
668名無し@チャチャチャ:2010/04/15(木) 14:50:59 ID:1ogzAcuo
あらららあだしとしたことが間違ったな
2−3でした、その通り
日本は第一と第四セットをとったんだ。
樹理や須藤でやったんだよね、途中で
そしたらチームに軸がなくなってあれよあれよというまに中国にやられて
中国が調子づいちゃって日本も白井さんなんかを最後に出したが、そのまま負けちゃった。
日本が負けた瞬間に会場から、『あぁ〜』『え〜っ』といったため息がもれたんだった
けどその中国もその大会の最終順位は4位だった。
まだまだこのときは中国もレシーブでの凡ミスが多いチームだったからね
しかしあれで相当中国も自信がついたと思ったな
だって世界3冠の日本を破ったのだから
このときの試合後のインタビューで中国の袁監督は
『日本に勝ったのは私が記憶している限りでは1962年の9人制のとき以来だと思います』
と真面目にこたえていたな
しかし、この年1977年の春の日中対抗でも全日本と2勝2敗だったんだよね
まぁその日中対抗では矢野と白井のツーセッターをテストしたりしていたというのもあったのだが
とにかくこのときの中国の成長には目を見張るものがあった。
その後の全日本との対戦成績はこんな感じだったと思う
78日中対抗、日本の3勝2敗
78アジア競技大会、優勝日本
79日中対抗、日本の2勝3敗
79アジア選手権、優勝中国
その後はずっと日本は中国に勝てず
83アジア選手権で4年ぶりに日本が中国に勝って優勝

669名無し@チャチャチャ:2010/04/15(木) 17:27:21 ID:1ogzAcuo
78年頃って日本はずっとキューバ、キューバって言っていてキューバに対して相当脅威を
感じていたが、同時期に中国とアメリカも台頭してきてとても厄介だったよな
モスクワでもきっとキューバが優勝するだろうって見ていたらキューバはまさかの5位で
その後は今一ぱっとしなかった。これも予想外であったが
その代わりに中国とアメリカが本当に強くなっていった。
これはあだしの推測だが、アメリカと中国はずっと世界大会で同じくらいの順位をとっていたから
中国とアメリカで試合をしたときにお互いが強くなっていることもわからずに試合をしていたところが
あったのではないのかなぁ〜
お互いが世界5-6位の力のチームだと。だから同じくらいの勝負をいつもしているのだ、と。
しかしそれまでトップクラスにいた日本やソ連から中国やアメリカを見たら70年代後半の中国とアメリカの躍進は
本当にすごいと思っていたという。
それで、日本もソ連もメダルからどんどん遠のいてしまったんだよ、たぶん。

670名無し@チャチャチャ:2010/04/16(金) 01:20:10 ID:cu3pB3W0
その後のソウルでのソ連の金メダルは見事だったわ。
このまま米中時代かと思いきや、カルポリがまた天下を引き戻した。

世界一のセッター(歴代最高セッターと私は思っている)のパルホムチュク
安定感抜群の当時世界一のレフトのひとりのスミルノーワ
世界一のツナギができるニクーリナ
世界一のブロードのオギエンコ

大好きなチームだった。

このチームは北京の世界選手権でも、郎平が復帰した中国に圧勝だった
671名無し@チャチャチャ:2010/04/16(金) 03:04:09 ID:laHnSrAg
歴代最高はブラジルのベンツリーニね
672名無し@チャチャチャ:2010/04/16(金) 10:01:27 ID:E7renruo
オギエンコってそれまでに世界にいなかったタイプのセンタープレイヤーだったもんな
速さも高さもパワーもあったしとてもクレバーな選手だった
ソウルで金メダルを獲得できたのはオギエンコがいたからだと思ったよ
カルポリソ連もロス前後の頃は日本にも中国にもアメリカにも勝てなくてもう世界一をとることは
できないと思ってたが、ソウルで再び強いソ連を見せてくれた。
ソ連女子も日本と同じようになっていくのかと思った時期もあったがソウルの優勝をきっかけに
伝統の力が蘇ったもんね。天晴れ!

673名無し@チャチャチャ:2010/04/20(火) 13:38:40 ID:f7dqU9do
1982年頃から毎年春に行われていた日ソ対抗がなくなり、というか名称を
ドゥルージュバ(友好?)カップに変えて日本とソ連のクラブチームNo.1
同士で戦う大会に変わったけど
その後また1986年頃からはこれもなくなり
また日ソ対抗になったように記憶しているが
日ソ対抗からドゥルージュバカップに変わりまた日ソ対抗になった経緯を詳しくご存知な方いらっしゃいますでしょうか?
おりましたらどうしてこうなったのか教えてください。
まぁ試合自体は全ソ連対全日本だったけど
なぜなら1982年頃は日本では日立が強くなってきていて
日立がその大会には出ていて一方のソ連もカルポリのチームが出ていたからね。
そしてそのチームが全ソ連だったから
日本は中田−小高、江上−三屋、杉山−森田
という84ロス代表のチームだった。この頃は第三期日立黄金時代に突入した頃で
ドゥルージュバカップという名称で行われた日ソ対抗があった82-83年頃はずっと日本がソ連に勝ち続けていたんでなかったかな
ソ連は、アハミノワやボルコワらが中心でモスクワ大会の選手で来日していたね。
674名無し@チャチャチャ:2010/04/20(火) 14:34:53 ID:0g+Y9MKg
キリロワやオギエンコはいつ頃から代表にいたんだっけ?
675名無し@チャチャチャ:2010/04/20(火) 14:41:00 ID:f7dqU9do
この頃の江上って本当に楽しそうに活き活きとプレーをしていたね
78世の後、矢野高柳吉田なんかが一気にやめちゃってその後数年間は
江上と高校の同級だった本島セッターや河原そして金子や青木にチビッコエースの
吉川なんかでなんとか日本リーグを戦っていたが、ユニチカが強くてなかなか優勝
することができなかった。カネボウもこの頃は強かったしな
で、80年入社の杉山も3年目になり81年には大卒の三屋と高卒の小高それに中卒の中田が
同時入に社して、日立でもこのチームでロスまでがんばろうって燃えてやっていた頃だったからね。
多田さんて子もいましたね、早坂さんてのも。
この2人はダイエーで吉川さんらと一緒にその後はやったのかな
あだしはサウスポーの青木さんに期待していたんだけど
小高さんが、入ったら青木さんを見なくなりましたね。
いい選手だと思ったんだけど。。。。残念でした。

676名無し@チャチャチャ:2010/04/20(火) 15:32:03 ID:y0iBp37l
>>673
なんとなくその大会を覚えてる程度なんですが、
ロスで日本が金メダルを狙うではなくて
日立が単独で世界の頂点を目指すといったイメージを強く印象づけようとしていた感じがしました
677名無し@チャチャチャ:2010/04/20(火) 16:04:09 ID:f7dqU9do
>>676
1976年以降の日立はいつもそんな感じのチームでしたからね
日本とか全日本とか日本代表というのではなくあくまで日立
我々は日立バレーボールチームの人間なのだと言ったスタンスでしたね
日立の面々は
みんながみんなそうだった。
小平の日立体育館へ行ったことがある人ならこれはわかるのではないかと思うのですが
その体育館の壁には日立が日本リーグで優勝したときの大きな写真が、つるして貼ってある
んですよね。そしてそこには、世界一のバレーボールチーム・日立武蔵、と大きな文字で書かれていた。
写真の中央に江上が写っていた記憶があったのであれは77WC直後の大会だったのか?
とにかく日立ってあそこに入ると日立カラーに洗脳されてしまうような感じの一種独特なチームでしたね。
ということは、山田監督主導で日ソ対抗を廃止してドゥルージュバにしたのか?
けど1982年頃に山田監督は協会に対して力があったかなぁ〜
>>674
そうですね、いつ頃から入ったんだろうか
1985WCにいたかどうか???
1986世にはいた木がするが
とにかくそのへんなんだと思う。
1984ロスの頃にはいなかったのではないか
オギエンコって88ソウルのときは幾つくらいだったっけ?


678名無し@チャチャチャ:2010/04/20(火) 16:44:16 ID:f7dqU9do
>>674
あっ、キリロワは、1982年のドゥルージュバカップにきていたな
中田と同い年でテレビ朝日の宮嶋さんが中田とポジションも同じだったから
なんやかんや煽ってたよ。
679名無し@チャチャチャ:2010/04/21(水) 02:08:57 ID:CQTgf6Jb
ちなみにキリロワは44歳になった今もイタリアセリエAで現役!
28年前に試合に出ていたなんて・・・
680名無し@チャチャチャ:2010/04/21(水) 02:11:54 ID:CQTgf6Jb
三谷がキリロワ、オギエンコ、チェブキナ(オフチンニコワ)は現役時代対戦した
と言っていたからロスの頃には代表入りしてたと思います。
681名無し@チャチャチャ:2010/04/21(水) 02:14:43 ID:CQTgf6Jb
三屋だったw
682名無し@チャチャチャ:2010/04/21(水) 10:13:11 ID:QJt+3mAE
キリロワやチェブキナは1982年頃からソ連の代表メンバーにいたことは記憶にあるのだが、オギエンコは
いつくらいからメンバーになったのか思い出せないんですね、あだしは。
三屋さんは84ロス直後に、その年の秋に日本で行われたフジテレビ主催のスポーツフェアーでの
キューバ戦を最後に、江上や森田とともに引退した。そうなるとオギエンコは、84年の秋までにはソ連のナショナル
チームかどこかの強いクラブチームで世界舞台でデビューしていたということになるのか???
まぁ三屋がやっていた頃のオギエンコはまだ10代だったのでレギュラーとしての、つまりスタメンとして出場していた
というほどの選手でもなかったと思いますがね。
あれっ、ソ連って一時、パトキン監督に変わったことがあったね、1985WCのときだったが。
あのときにメンバーをがらっと換えていた記憶があるが、そのときから正式に選ばれた選手ではなかったか?
あだしもこの頃からあまり各国の研究しなくなっちゃってたからあんまり憶えていないんだね
江上もやめちゃったし、という感じで。
けど、その大会の最終日に行われた日本対中国の試合は代々木体育館まで観に行った
そしてあだしにとってこれが最後の女子バレー観戦になったのだった。。。。
日本は4位だったのかな?
小島監督−山田コーチという初の名コンビ?でやった大会だった。
日立の選手たちはどちらの言うことを聞いたらいいのかってとまどっていたね
結果も4位だったので
新聞には、『あれっ日本女子バレー 1+1が、マイナス?』
とかって思い切り皮肉られていた見出しが躍っていたな。
683名無し@チャチャチャ:2010/04/21(水) 10:21:57 ID:DptB0G34
オギエンコは83年の日ソ対抗に出てなかった?
684名無し@チャチャチャ:2010/04/21(水) 11:39:55 ID:QJt+3mAE
>>683
どうだったかなぁ〜
そういえばお話がまた戻るが82世のときと88ソウルのときのペルーの銀メダル
獲得はパターン一緒だったな
82世のときは予選で日本に勝った、88ソウルのときは予選で中国に勝った
で、それで準決勝進出を決めた。
82世ではアメリカに、88ソウルでは日本に勝ち決勝へ
しかし、決勝ではどちらも力が及ばずに負けて銀で終わった。
どちらの大会でもペルー以外の試合で一波乱があったのも似ている
82世では、アメリカが予選で中国を3-0で破ったがそのアメリカはキューバに負けた
88ソウルでも、日本が優勝したソ連を予選で3-2で勝ったが、東独に日本が負けてしまった。

ここでおもしろいな、と思うのは日本は一旦苦手意識を持ったチームに対しては3大会で勝つ
ことがいつもできなかったということだ。
81wcの中国、アメリカ
82世の中国
84ロスの中国
しかし、キューバやアメリカなどは日本ほどこういうのがいつもなかったように思うな
なのでアメリカは82世でも84ロスでも中国に勝てたのではないのか。
日本がペルーに若干苦手意識を持つようになったのは、82世で負けてからだったように
感じるな
というお話をちょっとしたかったわけなんですよ。
さぁ以下にオギエンコのお話を続けましょう
今調べたら85wcのときにオギエンコは20だったみたいですね
ということは中田やキリロワと同じ年くらいだったのかもね

685名無し@チャチャチャ:2010/04/21(水) 13:12:51 ID:DptB0G34
日本の中田、大谷、廣、佐藤
ソ連のキリロワ、オギエンコ、チェブキナは同級生ですね!
686名無し@チャチャチャ:2010/04/21(水) 13:39:23 ID:QJt+3mAE
>>685
中田、大谷、廣、宮島じゃないのか、同級は。
ロスのときにこの4人は数えで19だったから
解説をしていた松平さんが、この4人のことを
19才カルテットと呼んでいた。
宮島君が、サーブカットをした
それを中田のクンちゃんが見事なトスをあげた
大谷君が決めて、
それを喜んだのが、廣君
みんないい体格をしています。次のオリンピックではこの4人が中心選手になってやってくれることでしょう、
と言っていたが、一番残っていそうだった大谷はソウルのときは外されていて
全日本にはいませんでしたね。
その代わりに入ったのが佐藤のいっちゃんでこの選手は東北福祉大の選手だった
カルテットより一級上だったのではなかったか。

85-87年頃まで、つまり江上が引退し復帰する頃までは日本はソ連に本当に勝てなかった
80-84年頃まではいつも勝っていたのに。

687名無し@チャチャチャ:2010/04/22(木) 17:39:06 ID:nMd2MPbR
樹理や広瀬や日立の森田なんかが全日本の代表だった頃にだってソ連には
184のアハミノワや190のボルコワなんかがいたんだよな
それでも、樹理や広瀬森田は、ソ連の高いブロックの横?を狙ってスパイクを
打って決めてチームに貢献していたんだが、85年以降の日本選手はこの3人のような
事を簡単にやれる選手はほとんどいなかった。そして日本は完全に勝てなくなっていった。
横山や広瀬、そして森田のやっていたことはかなりの高等テクニックだったのか?
横山の最高到達点は298であったが、広瀬や森田は290ちょっとだったと記憶しているが
この高さ??低さでも、それほどソ連の高いとされるブロックにかかっていなかったぞ。
なのに、それ以降に代表として選ばれた松並173や宮島177はwc85のときに悉くブロックで
跳ね返されていてなかなかスパイクが決まらなかった。
ジュリのスパイクには何か秘密でもあったのか?
中田よりも小川の方がトス回しがうまかったのか?



688名無し@チャチャチャ:2010/04/22(木) 21:12:15 ID:usvalEnN
>>687
その頃の日本のセンター、特に江上がセンターによくブロックを引きつけていたのもあって当時サイドアタッカーは
非常に楽に打てたのもあったと思うよ
その頃のレフトアタッカーよりもセンタープレーヤーのそういう見えないところでの技術力のある選手が
ロス(ソウルの丸山を除く)以降、日本には残念ながら出てきてないと思うね
689名無し@チャチャチャ:2010/04/22(木) 23:44:13 ID:YmtKH5Dh
アハ箕輪
690名無し@チャチャチャ:2010/04/23(金) 01:24:11 ID:svekiEzY
ポズニャコワ
シャポバロワ
サルツェビッチ
691名無し@チャチャチャ:2010/04/23(金) 09:56:11 ID:TxmMDqNS
>>638
その通り!
あだしも誰からかそんなレスが入ったらいいな、と期待していた
そうですね。
単純にレフトスパイカーだけの比較でこういったことは云々するものではなく、レギュラー全員のメンバー構成を
見て判断しなければならないことだと思う。そしてその江上
江上が日本にいて真ん中や左右でうろうろされたら相手のチームは本当にやりづらかったのではないのか
で、江上に気をとられているあいだに広瀬や森田に決められてしまうというパターンでソ連は日本にやられていた。
しかし森田は日立ででも1981年頃までは、レギュラーという感じではなかったですよね
当時の山田監督は森田を日立のレフトエースにしようなどとは思っていなかったのではないのか?
1978世で世界の女子バレーが変わってきていることがはっきりしたから
これからは日本の選手でも最低、180は必要だと
そんなときに森田170では世界に通用するはずがないと
けれども当時の大型の若手はどれもこれもみな期待はずれだったので安定感と経験がある森田を選んだのではなかったのか。
広瀬も1980モスクワまでは、ユニチカでも全日本でもピンチサーバー・レシーバーの選手でしたが、モスクワ不参加直後に、吉永
さんが辞めたらすぐにレギュラーになって前衛でも使われるようになった選手だった。
が、2人共、実業団クラスでも低身長だったのでレギュラーになれるかどうかという位置にいた選手だったのに
全日本の裏エースというポジションでそこそこやっていたのは立派でしたね。
692名無し@チャチャチャ:2010/04/23(金) 12:30:48 ID:EPKFXTbg
ロスから中国代表は綺麗な選手が多かった
ヨーギョウクンが見たい
693名無し@チャチャチャ:2010/04/23(金) 12:46:12 ID:TxmMDqNS
日本の中では、森田や広瀬は高さのない選手だ、杉山は高さがある
などと言われておったが、ソ連やアメリカやキューバから見たらどの
選手がエースでも高さについてだけで言えば大差なんかないわよって
思っていたのではないのか、という気もするんですね。
それなのに、日本では日立が中心になって全日本を組むと今回のチームは攻撃型である、と。
ユニチカ中心ならば守備型だとかw
そもそもそんなこと度外視してバレーを私たちはやってるから吉永が広瀬になったり
杉山でなく森田になっても何が違うの〜
そんなに低くなってるなんて思ってないからね、とかって思っていたのではなかろうか???

としたら本当に日本のバレー関係者ってばかみたい
694名無し@チャチャチャ:2010/04/26(月) 10:48:42 ID:g6NdZRxa
結局これは男子も同じだけど、昔は外国チームのレシーブが下手だったから
日本の非力な攻撃でもスパイクを決めることが簡単にできたのではないのか。
1980年以降、特に1985年以降はブラジルやイタリアなんかが本当に守備がうまくなったので
日本の攻撃が決まらなくなったばかりか、相手のつなぎからの攻撃力が増し日本のバレーが通用しなく
なったのだろうね。
日本もこの頃に大型選手を集めて必死に盛り返そうとがんばっていたが、高い大きいと言ってもそれまでの
日本の選手と大差もなくせいぜい3-5センチ差でその分守備が下手でまた日本は175センチ前後の選手で代表を
結局は固めていたからね。
1985年以降の180オーバーの選手ではまずまず活躍したのは大林と廣くらいだった

695名無し@チャチャチャ:2010/04/26(月) 13:06:36 ID:g6NdZRxa
81wcや82世頃の日本対ブラジル戦でブラジルチームの誰かが日本のスパイクをたまたまナイスレシーブして
ナイストスがあがりそれを強打で決めたりすると、解説をしていた生沼さんは、
『ブラジルチームは元々スパイクに高さと力がありますから、ナイスレシーブがあがるとものすごいスパイクを
打ってくるチームです』とか言ってたね。
こういうのを観たときに、日本も近い将来ブラジルに勝てなくなるときがくるのだろう、と思ったよな
イタリアなんかもこの頃はレシーブが本当にへたくそでバレーになっていなかったけど高さや力はあったから
怖いチームだなって感じたな。
けどまさか日本が将来こんなチームに負けるとは日本のバレー関係者は思ってはいなかったのではなかろうか
そしてそう思っていたことが問題だったんだね。ばかにしすぎだったんだよ
で、余裕なのか国際親善なのかどんどん日本の指導者を海外に送り込んで日本のバレーを伝授していたし

あ〜あ、という感じだよなっ



696名無し@チャチャチャ:2010/04/26(月) 13:11:23 ID:RufUJgTS
女子のイタリアが本当に強くなってきたのは2000年過ぎてからだけどねw
697名無し@チャチャチャ:2010/04/26(月) 14:37:24 ID:g6NdZRxa
本当に強くなってから気がついているようでは遅いんだよね
磨いたらダイヤになるといつ気づけたかがここでは重要
勝手に言えばw
698名無し@チャチャチャ:2010/04/26(月) 22:11:22 ID:G1XoQ05m
>>670

あの強いソ連に唯一勝ったのが日本だったけど、あの試合はラッキーだったなぁ〜。
藤田のスパイクがアウトで、あわやゲームセットかと思いきや、ワンタッチを審判がとってくれた。
最後はオギエンコが二段トスを上げようとして、ドリブルぎみに手からボールがツルッとこぼれおちて、ゲームセット日本勝利w。
その瞬間スミルノーワが「ちょっと、アンタ何やってんのよぉ!もう〜」って感じで自分の両手をパーンってたたいて、オギエンコに詰めよった。
このシーンは笑えたw。
699名無し@チャチャチャ:2010/04/27(火) 10:03:12 ID:K8eUPfPR
ソウルの時はその2年前に日本も中田が練習中に足の怪我をしてしまい
中田がソウルで復帰できるかどうかとてもハラハラしましたね。
ソウル大会もあと1年というときに日本で行われたジャパンカップの第一戦の
イタリア戦の途中で高橋とメンバーチェンジして中田が見事に復帰をしたが、
山田監督も最初から中田を使わずに途中で交代という演出をして会場にいた観客から
盛大な拍手で中田は迎えられた。
当時のイタリアはそれほど強くはないと思ったので簡単に日本が勝って終わる、と観ていた
のだが、案外もつれた試合だった。
点数やセットカウントはもう忘れてしまったが、すんなり勝たせてくれませんでした。
というのだけは記憶にあった。あの試合を観ていたときになんとなく嫌な感じがしたものだった。
この大会では1セット30点のラリーポイントシステムを採用して現ルールに改正するための試験として
のテスト試合をやったのではなかったのか。
あだしも当時はあまり熱心なバレーファンではなくなっていたのでイタリアなんかたいしたチームでない
と勝手思い込んで観ていたんだが、当時すでにかなり強くなっていたんだね。
日本女子も日本男子のようにならなければいいのだがって不安でいっぱいになった大会でしたね。
男子は、72ミュンヘンで金を獲得したあとは76で4位、77wcでは銀を獲得したものの78世では11位まで凋落してついに
80モスクワの出場権をとれなかった経緯があった。そしてその後はどんどん格下チームに追いつき追い越されて80年代
後半には万年世界Cクラスになっていましたからね。
女子もこのときは86世で7位になってしまい中田の怪我があり日立の大型新人はどれもこれも期待はずれでまるで10年前の
男子を観ているようだった。
それに、イタリアは男子が78世で11位になってしまったときに、その大会で2位になったチームだったので
女子イタリアもこれから本気で取り組めば本当に強いチームになるのではないのか、という空気を感じたチームだったのです。
そして今、それが現実のものとなった。。。。

700名無し@チャチャチャ:2010/04/27(火) 14:36:57 ID:wX4wf/34
>>698
藤田のスパイクがワンタッチ取ったんじゃなく
ソ連のタッチネットで日本に入ったんだよw
本当にラッキーだった。
701名無し@チャチャチャ:2010/04/27(火) 14:42:19 ID:wX4wf/34
まぁイタリアは世界最高峰のプロリーグのセリエAがあったからね。
ただ1996年まではあまり世界の舞台に出てこなかったね。
702名無し@チャチャチャ:2010/04/27(火) 15:37:24 ID:K8eUPfPR
88ソウルの頃はそれまで強かったアメリカとキューバそして中国の力がダウンしていたが、その代わり
イタリアやブラジルが台頭してきた時代であった。70年代初頭の頃から強かった韓国には日本は比較的
自信を持っていたようだったが楽勝できるという相手でもなくほかにはペルーと東独もいた。そして最大の敵
だったソ連も復活してきていた。
703名無し@チャチャチャ:2010/04/27(火) 21:13:25 ID:ya7eiTZA
キャーバはダウンしてませんでしたよ。
704名無し@チャチャチャ:2010/04/27(火) 23:06:45 ID:X5/guosY
>>700

そうだったんだ。 ありがとう。ソ連のミスでもらったようなもんだね。

東独戦は最後、日本のミスで終わったよね。佐藤伊知子がチャンスボールをアンダーで高〜く返したのがアウトになってゲームセットだった。
ドイツのアルルト選手がレシーブの構えをして拾うのかと思いきや、ギリギリのところでジャッジして「あら、よっとぉ」って感じでかわしたねw。
705名無し@チャチャチャ:2010/04/28(水) 09:56:10 ID:WwDqrLTy
>>704
87秋のスポーツフェアのときに日本はキューバと戦って2勝1敗だった記憶があったのですがね
そしてそのときの日本のメンバーはセンターが日立の武内と廣だったのか?
キューバにはあのルイスもいたが、日本は勝ち越せたので、キューバもあんまり
強くはないな、という印象があった。
記憶違いだったらゴメンなさい

706名無し@チャチャチャ:2010/04/28(水) 09:56:53 ID:WwDqrLTy
>>704でなくて>>703だったね
707名無し@チャチャチャ:2010/04/28(水) 13:18:41 ID:jZ2byC3a
>>705
そういう大会で実力を判断するのもどうかとw
そんなこと言ったらバルセロナ金メダル前年のキューバにも日本は勝ち越しているし
銀のロシア(CIS)に至ってはバルセロナ数ヶ月前の日ロ対抗で6戦全勝している。
2チームは戦力ダウンしてたのかな?
708名無し@チャチャチャ:2010/04/28(水) 13:39:52 ID:vw9Qs1LL
>バルセロナ数ヶ月前の日ロ対抗で6戦全勝

それはあまりに露骨すぎて??な予感がしたらやっぱり・・・だったなw
当時の全日本監督の米田でさえ「CISの実力だと思ってない」と言ってた。
709名無し@チャチャチャ:2010/04/28(水) 14:18:56 ID:sd83mG4p
そりゃそうなんだわさ
しかしあのときの日本は元気がなかった、かなり落ち込んでいた時代だった
なのにその日本にあのキューバが勝てなかったんだから。しかし1980年以降
日本はキューバに対して相性が割とよかったというのもあったけど。
そう、あだしさんはだれかから

『日本はキューバに対してずっと相性がよかったんだよ、そんだけだ、ボケッ』

というレスを期待していたんだわさぁ〜

710名無し@チャチャチャ:2010/04/28(水) 14:22:27 ID:jZ2byC3a
相性は良かったね。
ただ、ソウル時のキューバは明らかに日本、中国、ペルーより実力は上ですよ。
711名無し@チャチャチャ:2010/04/28(水) 14:44:40 ID:sd83mG4p
不参加だったからなんとも。。。。
けどもしもキューバが中国とやっていたら案外ポロッと負けたような気がする
中国はミスをしないチームだったからキューバには勝てたのではないか
ペルーもポカをしないチームだったからキューバにはバンバン打たれただろうが
なぜか点差はあまりない、という試合をして各セットの終盤に、ペルーが追いつき追い越して勝利
という展開でペルーの勝利でなかったか
日本とはどうだったろうか
江上中田大林はキューバ自信を持っていたと思うが

明らかというのはちょっと違うな
キューバは本番に割と弱いところがあったから

しかし日本はどうしてあの時代、キューバに勝つことが多かったのだろうか

712名無し@チャチャチャ:2010/04/28(水) 15:04:15 ID:jZ2byC3a
五輪こそボイコットで不参加なものの、自分は88年のキューバの試合動画を見ましたが
ダイナミックで強いチームでしたよ。
713名無し@チャチャチャ:2010/04/28(水) 16:26:29 ID:sd83mG4p
ソウルのときにキューバが参加していたら予選は日本と同じグループになったのか?
それとも中国やペルーと同じだったのか?
もしも、キューバが参加していたら準決勝のペルー−日本、ソ連−中国ではなくなっていた
可能性もあったということだな。そうだったら日本はもっと銀メダル以上を狙えた確率は高かったのか?
だとしたら、キューバに参加してほしかったな。
そもそもキューバの代替国で出場した国はどこだったんだ???

714名無し@チャチャチャ:2010/04/28(水) 16:50:48 ID:jFJJg6O2
ブラジルじゃない?
ソウルのときのブラジルチームは酷かった記憶がある。
715名無し@チャチャチャ:2010/05/10(月) 11:41:27 ID:RvQ4PGE8
ならば日本とは違うグループだったわけだ
そしたら日本はキューバと準決勝を戦いたかったですな
ということはキューバは予選を全勝でくるということになる
そうなるといくら日本がキューバに対して相性がいいとは言っても
絶好調のキューバには勝てなかったかも知れないが、あのときは中国や
ペルーとやるよりは勝ち目があったかもね。
キューバと準決勝をやって勝ったら決勝は日本−ソ連か?
そうだったらモントリオール五輪以来、12年ぶりということになったな

ここって人が多いのか少ないのか良くわからんところだね
どっちでもかまわんがw



          少ないに決まってるのをわかっててこんなこと書いてるのもいかがなものか

            ↑
           とひとりボケのひとりつっこみをしてしまった。。。。
716名無し@チャチャチャ:2010/05/10(月) 12:53:41 ID:RvQ4PGE8
12年ぶりとは言っても
モントリオールのときはソ連すら日本にとっては敵じゃなかったしな
それに比較するとソウルのときはまず強敵には中国がいてペルーにソ連
東独も嫌な相手だった。
地元韓国も厄介な相手
確実に日本が勝てる相手というチームはなかったから
あの大会で日本の4位は実力以上だったかもね
初戦のソ連で勝てたから4位を獲得できたのだろうという感じだった
もしもソ連に負けていたら5−8位グループでの戦いで韓国やブラジルにも
負けていたかも、と思う。
あのときペルーに準決勝で勝って決勝で再びソ連に勝って優勝したら72男子の優勝と同じパターンだったかも?
実力はどのチームも大差がないが日本は運が良かっただけだったという。

717名無し@チャチャチャ:2010/05/11(火) 10:36:39 ID:fleCqpj2

ソウル大会の準決勝のペルー戦の最後に2本立て続けに丸山が、ホールディングを
とられた。で、それが原因で日本はペルーに負けて決勝に進むことができなかった。
今までこのお話が何度オールドスレで出ただろうか。
そしてその度に、丸山のあのプレーは、ホールディングではなかった、審判の誤審だと
する意見も多かったと思うが、それは日本サイドからみたお話であるとあだしは思うのである。
これをペルーサイドからみたらばきっとこんな感じになるのではないのか。
ペルーに負けそうになった日本は、丸山にボールを集めてなんとかしようと思ったのだろうが
流石の丸山もあの場面では相当焦りがあったことからボールを持ちすぎて2本もホールディング
の反則をおかしてしまった。
しかしそれはペルーの守備がいいので丸山もギリギリを狙らおうとしてそうなったのだろう。
とね
日本の応援団の人ならば、丸山のプレーは、ホールディングではなかった、と思いたいでしょうが
それは偏った考えというものであるとあだしは思うわけなのです。
なので、あの審判は誤審だったとかそうではなかったと論ずることは自由ですが
そんなことを言うのはとてもナンセンスなことであると感じましたね。

けどあの試合は勝たせてあげたかったな
そして決勝でもう一度ソ連とやってほしかった


718名無し@チャチャチャ:2010/05/12(水) 09:47:38 ID:q/KM5sJD
80年代以降は中国とアメリカの台頭でどの大会も日本の金メダル獲得の確率は
50%を切っていたということがはっきりしましたね。
銀メダル獲得の確率でも50%を切っていたことが多かったとあだしは思う
不参加だったモスクワ大会でも中国とアメリカと日本が出ていたなら
日本の金メダル獲得の確率は30-40%
銀メダルで50%といったところでしたね。
つまり、1980年代の頃はあの頃は良かったとは言えない時代だったと思うな

719名無し@チャチャチャ:2010/05/13(木) 00:51:20 ID:Y4b6rCYT
白井貴子。以前はたけしのスポーツ大将なんかによく出てたけど最近はまったく見ない。
生きてますか?
720名無し@チャチャチャ:2010/05/13(木) 11:03:23 ID:TQ6bd8bg
東が『あたしは東洋の魔男よ』って言ってたな
スポーツ大将なんて2-3年しかやっていなかったじゃないか
そして白井が出ていた頃だって今から約20年も前のことで
その時点でも久々の登場だったし。
白井、前田、飯田、矢野、松田に金坂そして岡本なんかが出ていたね
水色のブルマ姿でやっていた記憶がある。
当時、白井は36とかその辺の年齢だった
井出らっきょのセンターから速攻がうまかった
セッターは松田さんでなくて矢野さんがやっていましたね。
白井も当時はそのまんま東に対して
『ひがしくん』
とかって言ってたが
あれも自分は10年前までは私は世界一のエースアタッカーだったのよ
すごかったんだからね
あんたみたいな3流のお笑いとは違うんだから
てな感じだった。
ジュリはユニチカだったからなのかメンバーからはぶかれていたのか良く知らんが
出てなかった。
太ってたからビジュアル的に問題があったから白井さんから
『あんたはこなくていいわ』と言われたのかな
ジュリはモントリオールで日本が優勝した瞬間もコートの中にできたメンバーの輪になかなか
入ることができずに輪の周りをウロウロしていたもんね。
江上はモントリオールメンバーではなかった事や小田急もあったか、復帰した頃だったので出られなかった
のかいなかったですね。
荒木田や高柳もいなかったかも
吉田はどうだったかな?
加藤はいつも目立たなかったから忘れたな

721名無し@チャチャチャ:2010/05/13(木) 13:32:41 ID:TQ6bd8bg
まっとにかく、白井さんが日本の女子バレーの流れを変えたという事は事実だったと思うな
白井タイプの選手って72頃までは日本にはいなかったからね
中国の郎平もそうだしアメリカのハイマンもそうだった。
72年当時日本の女子で180は考えられなかった
そして良く跳び、良く拾うというのも
郎平もそう79年当時の中国であれだけの選手はだれもいなかった
そして郎平はその後どんどんパワーアップして進化していったのもすごかったもんね
ハイマンはなんて言ってもあの195というあの身長ですね
日本の男子が、やっとこささば読みして190に届くかどうかというときに
それよりも5センチも大きかったんだから。
ハイマンが有名に鳴り出した頃は、もうハイマンみたいな大きい選手は出てくる事はないだろうと言われてた
そしてそれが常識だったし、当時からあまのじゃくだったあだしでさえそう思ったんだから
しかし今は女子でも軽く200を超えてる、ありえないと思う。
1980年頃に日本にいた男子の岩田
彼は公式記録197ということになってたみたいだがその後その記録がなぜかどんどん小さくなって84ロスの
頃には194になってた。それでも日本の男子にしたらかなり大きな部類の選手だったのだから。
ミレーヤはいましたよね、あのタイプの選手は
68-76頃に活躍したディアスとか68-81頃にいたペレスがそうだった。
とにかく世界の女子バレーを変えたのは、この4人でなかったのか
白井貴子
ハイマン
郎平
ミレーヤ

722名無し@チャチャチャ:2010/05/13(木) 15:27:56 ID:urmZuqf6
白井の扱いってなんか(未だに)微妙のような・・・
やっぱ帰化したとはいえ本当の日本人でないからかね。
723名無し@チャチャチャ:2010/05/13(木) 16:35:21 ID:TQ6bd8bg
けど彼女は日本の岡山で育って韓国語を普段使ってたわけではなく
小学校から高校まで日本の学校へ行き日本人と同じ教育を受けた
のだから。
たまたま両親が韓国人だったというわけなんだから日本人でいいんでない?
縁あってクラボウの白井監督にめぐり合い、日本に帰化したわけ
まぁしてもしなくても本人は子供の頃から日本人みたいに自分のことを思って
たと思うよ。
けど一番笑ったんは、
72ミュンヘンで活躍した直後に白井は朝鮮から帰化した日本人だと知った韓国と北朝鮮が
白井を招いたことだ。
はじめは韓国が白井を招待した。その直後に、ではうちでも、と
北朝鮮の金日成主席が白井さんを招いたらしい。
赤い絨毯が敷き詰められたお部屋でたいそうなご馳走でもビックはたらふく食ったのか
で、日本に帰ってきたら今度は日立の山田さんとユニチカの小島さんが。。。。
で、白井は白井でユニチカの松村さんの家で居候していたのにあっさり日立の山田監督のもとへ
ああ無情。。。
と小島さんが言ったとか言わなかったとか
ごめん、一部あだしの作りが入ったわ
724名無し@チャチャチャ:2010/05/13(木) 17:19:36 ID:TQ6bd8bg
>>723少し追加ね

が、んなこと言ったらアメリカ人やヨーロッパの人々なんて
本当の国を特定できない人ばっかりなんでない?
白井さんは見た目は目が細くて見るからに韓国系の顔をしていたから
やっぱりそうだったんかってあだしは思ったよ
けど日本の人だと世間で自分のことを言ってる人にだって細目の人は沢山いるし
もしかしたらそんな人だって自分のルーツを良く調べたら韓国だったとか、モンゴルだったと
言う人もきっといるのではないか。
松田さんだって北海道の釧路出身でやや色黒な人だったからアイヌの血が入っている可能性だって否定できない。
ああ前田さんも父上が台湾人でなかったか?
母上が沖縄の人で母上の姓の前田を名乗っていると言っていたような。。。?
とにかく混血だったみたい。
そういえば、白井さんの事をヤシカもほしがっていたんだよね
そしたらヤシカに所属していた飯田さんが監督に、『ビックは、大陸的な性格で少しわがままなとこがあるから家に
入れるのはどうかと思う』と言ったらしい。
それで、ヤシカの監督があきらめたのかどうか知らないが、最後はユニチカと日立の一騎打ちだった。
そりゃそうだわな
当時だったらカネボウだってヤシカだって三洋も白井をほしかったはずだ。

ごめんね、混血だの昔のチームの名前を羅列させて
今のヤングの子達はこんなの全部知らないし興味ないね


725名無し@チャチャチャ:2010/05/14(金) 10:42:52 ID:KPn/O7MO
ヤシカの船山監督がビックを獲得していたら74.76.77でのメンバーは全然違っただろうね
それはユニチカの小島さんが獲得していた場合も同じだと思うな
こう考えたら白井は単なる日本の大エースというだけではなかった。
白井がいた日立バレーボールチーム及び日立製作所にもたらした利益は多大であった
ということになる。また、在日の人たちの憧れの存在でもあったように感じるわけでもある。
しかし白井の行動はいつも普通の人から見たら理解できないものでもあったな
まぁそこが、白井の良さなのだがね
726名無し@チャチャチャ:2010/05/14(金) 12:05:20 ID:vSoDL1gv
白井がはじめて女子で平行トス打ったのよね
727名無し@チャチャチャ:2010/05/14(金) 12:35:41 ID:KPn/O7MO
ひかり攻撃、ですね

まぁこれはとても有名な攻撃で76モントリオールの頃はマスコミが光攻撃
ひかりって騒いでいたね
この頃は日本も大きい人間はすばやい攻撃は苦手だ。
だから180もある大女の白井が72男子の森田らがやったコンビバレーができるはずすが
ない、というのが常識だったので当時は本当に良く騒がれた。
1990年頃までは一部の国でしかやってなかったジャンプサーブ
今思えばこれと同じでしたね。
それほど大きくなくても今の選手は女子も男子もみんなジャンプサーブを打っている
しかしこれも1980年頃の日本では考えられないことでした。
モントリオール大会では日本の女子のサーブ決定率は参加国で一番ビリでした
まぁそれでも優勝したのだからそれはそれでいいのだが、もしもあの時代に日本の白井や
前田あたりがジャンプサーブをすることができたらもっとハイレベルなバレーになっていたと感じるな
1976年頃は日本のバレー関係者は勝手に
・キューバチームやアメリカチームは腰高だからレシーブは上達できない
・日本以外でコンビバレーをできる国はアジアの韓国と北朝鮮と中国くらいだろう
と言っていた。
そしてこれらは全部嘘であったことが1982-3年に判明したのだった。。。。
更に日本人よりも大きい外国人がコンビをやるのだから日本のそれよりもグレードが
かなり高いプレーになっていたということも付け加えておきましょう。
そんなことより自国の若手選手をもっともっと鍛えるべきだったね
wwww
真方とか西村とか身長だけは大きいのは日本にもいたが、はっきり言って只デカイだけの選手だったからね
日電に滑川という180のがいたがあの選手はいい感じだったのに結局は運がなかったという結果で終わったよね
藤の須藤もチャンスは沢山あったのにモスクワの頃に故障してそのまんまやめちゃった
ここいらがとても残念賞だったね。
728名無し@チャチャチャ:2010/05/14(金) 15:44:17 ID:KPn/O7MO
そういえば1980年前後に男子のキューバなんかがサーブブロックをやってたね
日本は男子でもそのプレーを戦術として取り入れて国際試合で観ることはほとんど
なかったように思ったが。その後ルール改正でサーブブロックは禁止になったけどあの
ルール改正は日本に有利だったと言えたのではなかろうか、とあだしは思うのだがどうだろう。
女子はキューバチームしかやっていなかったね。1981年のNHK杯で日本女子がキューバと対戦したときに
キューバのウルヘリエスやガルシアが、江上のネットすれすれの低空サーブをブロックしていたのが本当に
懐かしい。しかしこのときの日本の監督の小島さんはキューバにわざとにサーブブロックさせてすかさずそのボールを
拾って速い攻撃で切り替えしてたのには天晴れだった。あれも何度もサーブブロックで決められていたから試合中に小島さんが
思いついた作戦だったんですね。あのときあだしは、日本ベンチのすぐ後ろで観ていて小島さんが、江上にサーブブロックを気にせずに
思い切って今まで通りにサーブを打てと指示していた。そして広瀬やジュリにはブロックで返ってきたボールはしっかりキャッチしていけば
いいと言っていたのを聞いてたから分かったんだよね。そしたら日本の思い通りになってそのうちキューバも諦めてサーブブロックするのを
途中でやめちゃったもんね。サーブブロックって元々昔はなかったプレーだったから禁止になってもその後あまりそのプレーに
ついて云々されることがほとんどなかったと思うが、今またサーブブロックOKとなったら
世界ですぐにこれを戦術として取り入れるのはどこの国になるのだろうか?
どこの国もやらないのか?
日本はやりたくてもやらない気がするけどね。
30年前のサーブと今のサーブは違いすぎるからもう誰もあんなのはできないようにも思うが


729名無し@チャチャチャ:2010/05/17(月) 14:32:01 ID:/SFbZ4DZ
これからバレーボールのルールがどんなに変わったとしても日本の男女が
世界ベスト3に入ることはないでしょう。ここをこうすれば可能性がある、という
のであればいいんだけど何もないから応援する気にならないんですね。
やっぱりバレーは高さのスポーツなんだね
180くらいそこいらじゅうにいるロシアやアメリカとやっとこさ見つけてる日本とは
違いすぎですよ。
730名無し@チャチャチャ:2010/05/18(火) 09:50:26 ID:LtlBBuvZ
以前、
ブロックでのワンタッチはノーカウントでその後3回ふれてもOKになったこと
ブロックのオーバーネットもOKになったこと
アンテナが50センチ内側につけられたこと

これらのルール改正は日本にとり不利な改正だった、と。
だから日本は凋落したのだ、と言っていたのがこの板にいたが
あだしが思うにはこれらのルール改正が行われた頃に時を同じくしてその後
強豪国になったアメリカなんかが国を挙げて゛本腰で強化したから強くなったのでは
ないかと思うのです。
つまり1975年前後のルール改正が日本バレーを衰退させたのではなく、各国がその頃から
本腰を入れて真剣に取り組むようになったから各国が強くなり日本がそれに追いつくことができなく
なったのだろうということ。
まぁ尤もルール改正は背の低い日本にとっては、有利な改正だったことではなかったとは思うがね
しかし衰退した本当の理由は日本人がチビで非力だったからだとあだしは思う。
もしも上記に掲げたルール改正があのときに行われなかったとしてもアメリカは男女共に1984年のロス五輪に
向けて本腰で強化しあのときと同じように男女共に金と銀のメダルを取っただろうね。
72ミュンヘンの頃に強かったブルガリアやチェコスロバキアが80年代初頭の頃に日本と同じように衰退していたのは
日本と同じようにいつまでも過去のやり方にこだわっていたからなのかな????
もしもルール改正が大きな国の選手にとり有利ならばこれらの国が衰退したのはなぜなんだろうか。
まぁソ連はずっと強かったけどね
あそこはいつも次から次へと新しいいいのが出てきてたからね、特に男は。
サービンにセリバノフ
あたりか、当時は。


731名無し@チャチャチャ:2010/05/18(火) 12:15:09 ID:LtlBBuvZ
日本の女子の場合は1970年代に白井や前田の出現により高さが世界標準にやっと追いついた
男子は大古森田横田の出現で世界標準に追いついただけだったのにこれらの選手が入ったときに
たまたま金メダルを獲得することができたのでマスコミが日本は高さのあるチームだと
やんややんや騒ぎまくった。
本当のことを言えば男子も女子もたいして高さはなかったのだが、それまでに比べれば高くはなったが
世界のソ連やキューバ、ポーランドなんかに勝っていたので高さがあることにしていたんだよね。
で、輝かしい成績を収めた後にこれらの選手はさっさと引退しちゃった。そのときは女子の山田監督も男子の
小山監督も、さてこれからどうしよう、どうなってしまうのか、となってしまったのだろう
今までの嘘がばれてしまう、という感じになっていたのではないか。
必死に精一杯、強い日本をアピールしていただけだったんだが、とは言えなかった、そしてどんどん強い国が出現
しているのが現実で日本はこれからどうやって立て直して行けばいいのかってかなり悩んでいた、これが本音で現実だった。
それが、男子は1974-76年頃で女子は1978-80年頃だったのだろうね。
そしてその後はどんどん衰退していったわけだ。
女子が84ロスに3位になれたのが不思議なくらいだった。

732名無し@チャチャチャ:2010/05/18(火) 13:34:36 ID:KH0bbOZ7
>>727
平行トス自体は女子でも60年代にやってましたよ
733名無し@チャチャチャ:2010/05/18(火) 14:01:10 ID:LtlBBuvZ
>>732
そりゃあやっていたでしょうね
しかし戦術として本格的に取り入れたのは白井や矢野なんかが日立や全日本の中心選手に
なった頃の1973-4年頃からだったのではないのか。ひかり攻撃やオーロラ攻撃が出来たのも
この頃でしたからね。そして日本は3冠を獲得した。
まぁこういうことはいつからやっていたかということよりもいつ頃からその戦術で世界を驚かせたか
ということの方が大切なのではないのかとあだしは思うんですよ。
以前、バックアタックならば72ミュンヘンで横田が腰にチューブを巻いてバックアタックを打っていたから
ボイトヴィッチが76モンや77WCで初めてやったのではない、と豪語しているのがいた。
これも同じだな
そんなこと言ったらバックアタックなんて地方の農村で戦時中からやっていたよ、とも言える。
そしてそんなのにきりがないwwww
バックアタックが本格的に戦術として強豪国が世界舞台に登場させたのは1980年以降のことではなかったか
そしてそれが完成を見たのが84ロスでアメリカ男子がやったコンビに取り入れた速いトスからの
バックアタックだったと思う。そういうことだ。

しかし以前、バックアタックはボイトヴッチが最初ではなく横田が最初だよ、と
わいわいやってた奴は一人二役のつまらん自演でやっていたのだがw
そう、とにかく自分はミュンヘンで横田がバックアタックをやったのを観ていて
知っている、と言いたかったのだろう。
しかし本当にイタイやつだったな、こんなことするのは。

たしか今井って言ったかな、そいつは。
最近はたまにしか来ないみたいだがね、こういったところには

734名無し@チャチャチャ:2010/05/18(火) 14:51:07 ID:LtlBBuvZ
ボイトヴィッチ
ヴォイトヴィッチなんて知らなかったかな
あまりに昔の選手すぎて、そして男子の選手だったから。
このボォイトヴッチという選手は1970年代から80年代初頭にポーランドにいた
エーススパイカーでとてもパワーのある選手で1976年に行われたモントリオール大会で
ポーランドを金メダルに導いた立役者です。
上記に記した通り得意技はバックアタックでした。
当時のバックアタックはかなり高いオープントスで現在のようにブロードして打つスパイクではなく
アタックラインの真上あたりからスパイクをしていたのですがね
そしてそれが当時のバックアタックでした。
しかしその破壊力は相当なものがあった。。。。

735名無し@チャチャチャ:2010/05/18(火) 15:04:00 ID:azy35GPC
>>733

「オーロラ攻撃」ってどういう攻撃なの?
736名無し@チャチャチャ:2010/05/18(火) 16:40:42 ID:KH0bbOZ7
>>733
あんたの書いてること間違いだらけだよ(w
知ったかぶりしなさんな
お前さん、実戦経験ないだろ
737名無し@チャチャチャ:2010/05/18(火) 18:10:57 ID:LtlBBuvZ
>>735
オーロラ攻撃ですか
これを説明するその前にひかり攻撃を説明してからオーロラ攻撃の説明したのが
いいかも知れませんね。
ひかり攻撃はセンターの矢野(飯田でも前田でもいいのですが)がセッターの松田から
1.5メートルくらい離れたところで跳びおとりで相手ブロックをひきつけて松田はレフトにトスを
大きくアンテナ付近まで大きく流してそれをレフトの白井が打つプレー。
このときのトスがとても速いトスなので光と呼んだのではなかったのか
これに対してオーロラ攻撃
これは攻撃としては76当時からあったものの国際大会(特に76オ.77WCでは一度もやっていないと思う)
ではほとんどやってない。
オーロラ攻撃とはセンター矢野がBのタイミングでおとりジャンプをして、レフトにいた白井が回りこんで
Aの位置に入り打つ攻撃ですね。81WCで小川−江上B前にライトから水原が回り込んで打ったプレーとほぼ同じ
です。
レフト白井がAにつっこんで入ってくるのとライト水原がAにつっこんで入ってくるのとの違いです。
ひかりは有名ですが、オーロラはあんまり知られていないかも知れませんね。
それはなぜか、といえばこんな攻撃をしなくても本番では割とあっさり日本が勝てたことや
オーロラは日本にチャンスボールが相手から入ってきたときでないと日本もその攻撃が当時はできなかったからだったのでしょう。
しかし、当時はそれをオーロラと呼んで日立体育館ではやっていたんですよ。
そう81WCで小川−水原がやっていたときに初めてその攻撃が完成を見たのかも知れません。
しかしそのときはオーロラとは言わなかったという。
まぁたったそれだけのものですよ、オーロラ攻撃というのはね



738名無し@チャチャチャ:2010/05/18(火) 18:43:09 ID:LtlBBuvZ
76当時は他にもこんなのもあったな
前田がセンターから高い打点から打ちおろす鋭角なスパイクのプレーを稲妻おろし
矢野の無回転サーブは右へ左へゆらゆら揺れながら相手コートに入ってゆくので木の葉落しサーブ

まぁどれもこれもサインはVやアタックNo.1で聞いたことがあるような名前だった。
いかにも頭が悪い体育界の女共が考えた、ネーミングという感じでしたね
あったま悪そう〜

きっと当時は、甘いものはダメ、ボーイフレンドをつくってもダメというストイックな生活を選手らは送っていたので、こんなことで盛り上がって楽しむことくらいしか楽しみがなかったのだろうね、きっと。。。。
別にいいけどw
739名無し@チャチャチャ:2010/05/18(火) 20:53:46 ID:azy35GPC
>>737
よくわかりました

ありがとうございます
740名無し@チャチャチャ:2010/05/18(火) 21:55:27 ID:aCpvt19q
>>737
オーロラ攻撃は77WCで使われてましたよ
741名無し@チャチャチャ:2010/05/19(水) 09:48:08 ID:nKdgnv+2
そうでしたか
77wcでやりましたか
ああそうだったかも知れません
生沼さんがそのときの解説で、
出ました〜オーロラが
ひかりに改良を加えて白井さんと松田さんで考案したプレーのオーロラが
と言ってたかも知れません。
とにかく当時は解説なんかも日本が強かったからか一々大袈裟でわざとらしい賞賛や賛美が多かったですからね。
速い〜矢野さんのBは〜
春の日ソ対抗の頃から比べると一段と速くなっていますね
あのBを今のキューバがブロックで止めることはできないと思います・・・
とかと。

けどその翌年の世界選手権のときには日本は高さのあるキューバのブロックを
打ち破ることができずにあっさり決勝で0−3で負けて2位になってたし

 (苦笑)

そりゃあそうですよね、当時のキューバチームの平均最高到達点は307だったんだから
742名無し@チャチャチャ:2010/05/19(水) 12:42:09 ID:Ec38ERtN
キューバのモントリオール、77WC、78世界選手権時のセッターが
90年の世界選手権(そのときは控えだけど)でも居てびっくりした。
743名無し@チャチャチャ:2010/05/19(水) 13:09:14 ID:nKdgnv+2
それってガルシアさん?
それともテリエスさん?
化粧をいつもしていたのはガルシアで割と綺麗な顔立ちの人
トスの質がべたっとしていて油ぽいトスをあげてたのがテリエス
おばさん風がテリエス、ヤンキーねえちゃん風がガルシア
そのどちらの人だったんだ???
まっ2人共1978世の頃に18だったから1990世のときはまだ30で現役続行は全然年齢的に
も行けたと思うがね。
しかしその二人でツーセッターをやり前では攻撃に参加ということになると厳しかった
かもな、当然78-90年の間には結婚もし、出産もしただろうから。
太っていなかったか? 1990年当時は
まぁテリエスは元々太めだったが。。。。
日本の江上(丸山)だって1977年に19でデビューして
1988年ソウルまでやっていたんだからそんなのもありえるとは
思うが1970年代当時の日本の女子選手は引退年齢が25くらいだったので
30と聞くと昔人のあだしはつい、まじかよって驚いてしまうんだね。
今の選手なんて日本でさえも35とかいるんだけれど。
白井や松田も26.7で辞めているんだよな

744名無し@チャチャチャ:2010/05/19(水) 13:18:19 ID:Ec38ERtN
>>743
たぶんテリエスだと思うけど、解説が34歳って言ってたよw
745名無し@チャチャチャ:2010/05/19(水) 13:54:26 ID:nKdgnv+2
>>744
テリエスさんですか
34才???
ですなぁ〜
あだしの今持っている78世の記録によると2人共78世のときの公式記録は18になっておるのですが
だから1990年では30か29か31だと思う。
34になると78世当時は22才
4つもサバを読んでいたことになるw
しかしかつてウルヘリエスも年齢を詐称していたことがあったからなぁ〜
キューバが発表する公式記録なんてアテにならない
ウルヘリエスは77WCのとき17という触れ込みだったが
81WCでは23になっていたんですよね
????
まぁこんなことは良くあることなのかも知れません、ということでこのお話は終わりにするっきゃないのでしょう。
しかし年齢はともかくとしても10年以上もプレーを続けているのはとてもすばらしいことではありますね。
78世から90世といったら
日本の選手では白井松田の時代の終わり頃から大林さんの時代までですから

746名無し@チャチャチャ:2010/05/19(水) 13:57:19 ID:nKdgnv+2
キューバの選手って数が数えられないのかな
それともそういうのは適当でいいと思っているのかな
なんなんでしょうね
747名無し@チャチャチャ:2010/05/19(水) 13:58:03 ID:Ec38ERtN
>>745
荒木田さんが私がモントリオールに出たときキューバのセッターがこの人だったって言ってたから
テリエスは白井松田と対戦してるんじゃない?
748名無し@チャチャチャ:2010/05/19(水) 15:09:46 ID:nKdgnv+2
>>747
自分>>742でそう書いてるじゃん
モントリオール以降セッターでやっていたよ
テリエスもガルシアも
そのときは2人共16才となっている
いるから76から78までは良い、問題なしだよ。
16ということは日本の中田が全日本でデビューしたときと同い年
だから、日本で中田がデビューしたとき中3で15才ですごいとかマスコミやバレー関係者が相当騒いでいたが
あだしは、そんなのばかみたいって思っていたんだよ。だってキューバやペルーにはそんなのいっぱいいたしって
思っていたから
ほらね、あだしの気持ちが、今わかったでしょ。
そういったことだったんだね
日本っておっくれてる〜
749名無し@チャチャチャ:2010/05/19(水) 16:05:29 ID:nKdgnv+2
76モントリオールのときはキューバは5位でペルーは7位でしたが
12名の代表メンバーの中にどちらのチームも15-17才までの選手が
それぞれ3名ずつ入っていたんですよ。日本といえば一番若い選手が
横山、矢野、吉田、高柳らで21才だった。
このとき代表まであと一歩だったのが社会人一年目の江上で18才
もだったので今は日本は確かに優勝できたかも知れないが、この先、4-5年後の
ことを考えたらとても安泰ではないなって当時中1だったあだしは憂いを感じていたのですね。
84ロスでレフトをやっていた日立の杉山さんはモントリオールのときは中3だったと思うので当時15才
ですね、そう、当時の杉山が全日本に選ばれていたようなものなんですね、年齢だけを見れば
そしてそれが3名も。
だから日本は80モスクワ以降どんどん世界に置いていかれたんではなかったのすかな
あだしは74から77までの3冠を日本が獲得していた頃はとても浮かれた気持ちではなかったよ。
日本のお家芸とかって何それって感じに思っていたね。
このときマスコミに煽られて永遠にバレーボールは、世界一二が続くと思ってたのも多かったみたいだったが
78世ですぐにメッキが剥げて81WCでは2位にとどまったものの4位になったアメリカに日本は負けた
そして82世ではペルーに負けて準決勝で中国に負けて3位決定戦でもアメリカに負けて4位になった。
あだしが感じた通りになっただけなんですよね
750名無し@チャチャチャ:2010/05/20(木) 12:46:55 ID:sSp3KKha
日本はキューバとはモントリオールで対戦はしていないが、モントリオールのときには
すでにテリエスもガルシアもキューバ代表選手でした。77WCでは日本はキューバと対戦
しましたが、その頃からキューバはどんどん強くなってゆきました。
で、翌年の78世で初優勝した
81WCのときもこのテリエスとガルシアが二枚セッターでやっていたな
キューバはセッターというプレイヤーに対する考え方が日本とは違うのでしょう。
少なくとも76年頃はまるっきり違ってたと思ったね。なぜなら国際試合の経験もたいして
ない16才の選手2人を二枚セッターで使ってしまうのだから、まぁ当時は複雑なコンビプレー
をすることはキューバにはなかったからまぁまぁなトスをあげられて、かつそこそこの攻撃力が
あればセッターをやらされていたのかも知れない。チームのほとんどの選手がパンチ力と高さがあったので
日本ほど正確性をトスに要求されなかったのだろう。
しかし78世ではこの2人、かなり成長していてキューバの司令塔になっていたから凄いんだよな


751名無し@チャチャチャ:2010/05/20(木) 14:10:39 ID:sSp3KKha
日本の場合はセッターはあくまでセッターで攻撃力がなくて当たり前という感じだったよね
男女とも。だから猫田はトス専門だからスパイクは打てなくていい、ブロックも
低くて当たり前だからそれらの決定力の有無は問われないという感じだった。
その代わりトスの正確性が重要視された。
職人技と言ったらいいのかな
女子の場合も同じで松田もそうだった
松田は高校時代はアタッカーをやっていたが身長は169だったが腕がとても長く跳躍力もあったので
本人曰く日立のときは175センチの選手と同じくらいのところに手が届いた、と。
それでも男子には攻撃もできるセッターの島岡とか西本とか丸山がいたが女子にはこういうのはあまり
いなかったと思う。生沼さんはセッターもできたが、72のときは松村さんがセッターだったしね
だから中田が80年に全日本に選ばれたとき、中3で174センチの打てる両ききセッター出現!とかって騒がれた
んだろうね。
しかし中田の攻撃力の凄さを現役中に観ることはあまりなかったと思う
しかしそれは中田の問題ではなかったんだよね
中田にトスをあげることができる選手がいなかったからなんだということ
中田は確かにそれまでのセッターの松田や小川らよりも攻撃力はあったと思うが
他の選手でトスもあげられて攻撃もできる選手がいなかったから中田はずっとセッターを
やり続けるしかなかったという。
それでも中田は176あったし腕もとても長い選手でしたからブロックが良く、ネット際のボールの
処理もうまかったですね。しかし彼女は本来はセッターのタイプではなくアタッカー気質の性格だったと思うな

752名無し@チャチャチャ:2010/05/20(木) 14:15:11 ID:sSp3KKha


山田バレー塾の天才中田14才がいよいよ全日本デビュー

だったかな
753名無し@チャチャチャ:2010/05/20(木) 15:26:56 ID:89bIx3v/
90世でテリエスが34歳だったというレスがあったが
前年の89WCでも33歳と言われてるので76〜78のデータは鯖読みでしょう。
754名無し@チャチャチャ:2010/05/20(木) 15:49:39 ID:sSp3KKha
松田さんて76.77年の頃、ツーアタックやトスフェイントが好きだとみえて
よくやっていたよな
しかしあれをやると山田監督に後で「おまえは最近、攻撃に参加したがってるだろう。セッターなんだからお前の仕事はアタッカーにいいトスをあげることなんだよ」
と言われたらしいね。
>>753
つーことはテリエスさんは1956年生まれだったということになるのですかね
江上よりも1つ上だったという
なのでテリエスは1976年当時は20であったということ
4つもサバを読んでいたということ
これに決定なんですかね。
なんでもいいけど。
しかしキューバらしいな
755名無し@チャチャチャ:2010/05/20(木) 17:02:44 ID:sSp3KKha
ああそういえば1979年頃に日電に千葉というセッターもライトもできる選手がおりましたね
173センチの選手で79年に行われたモスクワプレ五輪やアジア選手権のとき日本の代表に選ばれた
松田さんと似たタイプのトスをあげる選手だったが、当時はユニチカ主体のチームで80モスクワの代表
には選ばれずにその大会も結局は日本の不参加だったのでそのまんま引退してしまいましたね。
モスクワのときは小川の控えは古橋さんでしたが。
しかし千葉さんは二枚セッターでやれる選手という感じでもなかったな
あのときはもしも代表に選ばれたとしても水原の控えだったかもね
しかしそうなるとそこには川又さんがいた
76モントリオールの頃の会田さんみたいな感じになっていたんだね、きっと。
が、あだしは千葉さんみたいな渋い選手が好きだったんだよね。
756名無し@チャチャチャ:2010/05/21(金) 14:05:34 ID:l7pyfWL+
76.77.78頃のキューバにはサウスポーのポマレスという選手がいたけど
彼女は77WCと78世で騒がれただけで、その後はあんまり目立たなかったね
アメリカのハイマンやクロケットみたいな感じではなかった。
しかし最初にポマレスを観たときは、凄い、野生児が出てきたなって思ったぜ

757名無し@チャチャチャ:2010/05/21(金) 23:44:14 ID:u5nfNT95
千葉はそんな良いセッターじゃなかったし
ライトアタッカーって感じでもなかった
アタッカーとして水原や川又と比べるのはどうかな
日電はセンターとセッターが駒不足だったね
せめてセッターがもう少しうまかったら
日本リーグで優勝できてたかもしれない
758名無し@チャチャチャ:2010/05/24(月) 09:54:00 ID:2B2uoq8f
小島監督はあのとき樹理の裏で吉永さんを使ってた、そして水原の控えに滑川さんを
起用することもあったので、80モスクワの本番ではどうなるかわからなかったが、
日電の吉永と滑川が同時にコートに入る可能性もある、と考えてそんなとき用に
気心が知れた千葉をプレオリ頃には選んだのかも知れない。
しかしモスクワ本番前では滑川は選ばれなかった、そして千葉も。
滑川さんもいい選手だったんだけどいつも何かひとつ足りなくて万年全日本Bチームの選手という感じだった。

759名無し@チャチャチャ:2010/05/24(月) 14:48:16 ID:2B2uoq8f
できたら日本もこの頃に、中田を全日本デビューさせるだけでなく
本格的にソ連あたりとやったときは日本の正セッターとして一試合通じて
出場させてあげたらいいな、と思いましたね。
このときの全日本の監督が日立の山田監督だったら、それもあったかも知れないが
小島さんだったから無理だったのかなぁ〜
しかし本当にこれからの日本の女子バレーの事を考えたら
中学生だからとか日立山田の選手だからとかこういった事は無しにして、
中田を本格的にデビューさせるべきだった。監督とか企業がどうたらこうたらの問題で
将来性のある選手が試合に出してもらえないのは日本のためにならないとこのときは本当に感じたな
結局中田はモスクワ終了後に行われた、日中戦で大谷と共に選ばれたが、そのときだってほんの少ししか
試合に出してもらえなかったからね。そしてそのときのみだった。あのとき本当にこれから中田が全日本で
活躍できる選手だと信じて育てていく体制が日本にはなかったもんね
81WCでもまた中田は全日本に選ばれなかった、んでユニチカの荻原とかが選ばれてたし・・・・
荻原なんてどう観ても考えても世界一を目指すチームのセッターではなかったのに
中田ははずされてそうなった。
ここで中田を思い切って抜擢してみても良かったのではなかろうか

760名無し@チャチャチャ:2010/05/24(月) 16:27:14 ID:/vUmiVkk
水原と滑川はタイプが違うサウスポーだったね
一発の高さと破壊力は滑川で、速さとうまさは水原だった
当時は守備が良くないと試合に出してもらえなかったから
そういう意味でも水原だったんだと思う
ユニチカ中心だったしね
昔は全日本でも使える左利きが結構いたよね

81年の中田は日本リーグで実戦経験がなかったから
あの時点で全日本には選べないだろう
761名無し@チャチャチャ:2010/05/24(月) 16:30:29 ID:/vUmiVkk
右と左の違いは歩けど現役選手だと、滑川は松崎にタイプが似てるんじゃないかな?
高さと馬力があるけど、もう一つうまさがないみたいな
762名無し@チャチャチャ:2010/05/24(月) 16:55:29 ID:2B2uoq8f
>>760
中田は三屋と小高とともに81年の4月入社だったが山田バレー塾のエリートで毎日
日立のコート横で日立入社前に3年近くやっていたし時にはバレー塾の頃から日立の
メンバーに入ってやっていたから。
だから日立の加藤や武内なんかよりも観ているとバレーが大人だったしキャリアもあった。
だから特別に、出してやってもいいのではないかと思ったんだよ。
当然最初はうまく行かなかったとは思うが、早くから世界舞台のキャリアを積ませてあげれば
もっともっと女子バレーが面白くなったのではないかと思ったわけですよ。
82世で3大会ではデビューしたんだが、ぜひ81WCで出場してほしかった。
そしてそれが中田のためにも全日本のためにも良かったのではなかったか思ったのですよ。
日本の場合さんざん若いとか、天才とかって言っておきながらどうしても大事な試合や大会になると
チームの負けを恐れてか中堅どこの選手で戦うでしょう
で、その選手が2-3年後にいるかといえば、いない。
だったらやっぱり、81WCの小川の控えは荻原ではなく中田が良かった、ということなんですよ。
中田の将来性にかけてみてほしかった。
失敗するかもしれなかったが冒険してほしかった
南米チームやソ連なんかはまだまだ新人って頃からどんどん試合に出してきていたじゃん、当時。
なので日本もああいったのをやってみてほしかった。
で、ダメなら今度からそれをやめればいいし
案外やってくれたらまたやればいいという
そう、中田でテストしてほしかった。


滑川は一発強打の選手で、水原は安定力のある選手でしたね

763名無し@チャチャチャ:2010/05/25(火) 11:39:35 ID:ox0f+aJH
この頃は男子は78世で一気に11位になってしまいその後もアジア選手権や最終予選でも
当時の世界BランクCランクのチームにも勝つことができずに最悪の状態でしたね。
モスクワ五輪の出場権も逃してしまった。
で、80年の春に新生全日本として新たな出発をすることが決まり、
それまでの代表だったミュンヘン組の大古や猫田は勿論のこと、当時中堅選手になっていた
田中や花輪も全日本から外れ、松尾、井坂、藤田、田中義則、清水、岩月そして岩田などで
チームを組んだが、これも失敗におわってしまいましたね。
女子もその後82世で史上初のメダルなし4位になったが、この頃から日立が国内では復活し
日立の江上、三屋、森田、杉山、小高に中田で84ロスでは3位に復活したが、84終了後に江上三屋森田が
引退したら日本女子は86世では、これまた7位と、とんでもない結果になってしまった。
86世の少し前には日立に180級の選手が沢山入ったのだが、この中で88ソウルで活躍したのは大林さんだけでしたね。
他の馬場とか菊地に田島そして武藤なんかは国内でもそれほど目立つ選手ではなかったでしたから。
この86年から88年頃までの時代の女子は、男子の78年頃に似ているなって当時よく思ったものでした。
というお話です
764名無し@チャチャチャ:2010/05/25(火) 18:48:31 ID:FKnQaA1a
男子のほうが外国勢が強化されるのが、女子より10年早かった感じかな。
アジアの韓国、中国、ブラジル、アメリカ、イタリアなど西欧とか
それまでバレーに力を入れてなかった国が強化を始めて日本が勝てなくなりましたね。
東欧勢やキューバも弱体化しなかったし、ライバルが増えましたね。
765名無し@チャチャチャ:2010/05/26(水) 10:15:41 ID:hr0ahFEu
>>764
そうね、約10年くらい早かった感じだね。
とは言っても男子はメキシコやミュンヘンの頃から上位5チームの力は紙一重だった
という力関係だったのでそういった流れを含めて考えれば男子が約10年早かったというのは
当然と言えば当然なのかも知れない。
なので、ミュンヘンで日本男子が優勝したのは圧倒的な力があったからではない
高さでもない
と言い続けていたんですね、あたいさんは。
女子は76モントリオールまで日ソのどちらかが優勝し準優勝するだろう、と言われてた。
そしていつもその通りになった。
しかし男子は、大会が終わるまでソ連、東独、ポーランド、ブルガリア、チェコスロバキア、そして日本にキューバもいるとか。。。
だった。

766名無し@チャチャチャ:2010/05/26(水) 11:33:02 ID:hr0ahFEu
しかしそれほど強化していない国や弱かった国が2-3年で優勝した日本に追いつき
その後また2-3年で追い越してしまうといったケースは男女共に共通して見られた傾向
だったね、男子は1977.8年頃に、そして女子は1985.6年頃に。
こういうのはあたいさんが少し前にここで?書いた『シャッフル理論』なんでないのかって
思うのです。
このケースでは
例えば欧州選手権で強豪のソ連をたまたま何かの拍子でそれまであまり強くなかったチームが
破ったとか勝てなかったがいい試合をした、と。
そしてそのソ連に勝ったチームを別の弱小チームが別の大会で破るという
こんなのを繰り返すうちにソ連を破ったあのチームに私らは勝てたのだから
日本にももうすぐ勝てる、と自信がついて本気でバレーに取り組むようになって
日本の敵がどんどん増えていったのではないのか。
そして運悪くそんなときに日本では日本の主力の江上らが引退して日本の力が相当おちてる
ときだったりして、益々欧州の弱小チームにすぎなかった国にどんどん負けだした。
そして日本が反対にどんどん自信を失っていったという。
で、選手たちは監督や先輩選手に、「あんなチームたいしたことはないわよ」
と言われるが現実は勝てない、決まらない、決められる、負けるでという感じになってしまったのではないのか。
そんなのが男子の1979年頃で幹康は大古とこんなやり取りがあったのではないかと勝手に推測していたのです。
????
あたいさんの空想なんですがね

767名無し@チャチャチャ:2010/05/27(木) 10:22:42 ID:KzYve2F0
上記の事は男子のイタリアのことを例にしたんですがね
まぁ女子だったら77年頃の中国やアメリカ、84-86年頃のブラジル
になりますかね。
男子のイタリアが突然世界第二位になったのは78世のとはでしたよね?
本当だ、やっぱり約10年遅れで女子にも、その波がきていたのでした。
歴史は繰り返す、ということなのか
そしてこれから台頭してきそうなチームはどこなのか
歴史は繰り返すのだったら、女子ブラジルはこれからどこにやられてしまうのか
中国は、タイに負けたけど
しかし中国はここのところ4-5年は圧倒的な強さがなかったからね???


>>763
の田中義則は田中義紀でしたね
>>766
の田中幹康も幹保でした


768名無し@チャチャチャ:2010/05/27(木) 11:38:51 ID:KzYve2F0
しかし男子のイタリアは81WCでは7位だったね
8チームの参加国で最下位のチュニジアひとつだけにしか
勝てなかった。日本は6位だったか、81WCでは
84ロスでも日本とやって接戦だったね、イタリアは
どっちが勝ったか忘れたけど
河合が出ていたのは憶えてた
イタリア男子が本当に世界の強豪国に昇りつめたのは1980年代後半だったのかな
とにかく78世で2位になってからかなり時間が経っていたと記憶するが
ブルガリア男子も78世では日本より1つだけ順位が上の10位でしたね
東独も9位で
78世のときに完全にミュンヘンの時に強豪国と言われた国々のチームはソ連を除き
地に落ちてしまった感があった。
男子の場合は昔から紙一重の戦いでしたからちょっとしたきっかけで3位もあるし
きっかけをつかめずに10位になってしまうという感じでした。しかし女子は中国が
1970年代後半に台頭したらすぐに世界一になってその後、約20年間はずっと女王の座に
君臨していました。しかし日本は男女共に1980年以降復活の兆しが一度もないのですよね。
日本の男子が強かったと言える時代なんて64から72のたったの8年間で
女子も64から77までだということになりそうですね、これも10年ちょっと

おしまい

769名無し@チャチャチャ:2010/05/27(木) 16:18:17 ID:TZ/SMbTc
>>767
ブラジルは去年ドミニカ共和国に負けた。
まぁドミニカも力あるけどね。
770名無し@チャチャチャ:2010/05/27(木) 17:28:22 ID:KzYve2F0

>>769
ああそうだったんだ
けどそれは番狂わせとかたまたまとかラッキーでドミニカが勝った感じではなさそうですね
高さも力もドミニカには元々あったからね。
ちょっとしたきっかけがその試合の中であったのでしょう、きっと
ということは日本はそのドミニカにこれからは何が何でも勝ち続けなければ
ならない、そうやってゆけば今度はまた日本がブラジルに勝てるときが巡ってくるのではないのか、と
あたいさんはそう信じてる。
しかし日本がずっとドミニカに負け続けてしまったら力関係はそのままで
ドミニカ>ブラジル>日本、となってしまい
日本はどんどん苦しくなってしまうので日本が復活するためには、ドミニカと
タイとやったときは必ず勝つということですね、それが鍵だと思います。
そして日本もこういうのを積み重ねて最終的にはブラジルと中国にいつも勝てるように
なれるのだ、と思う。
男子のイタリアチームが78世で2位になったのにその後の5-6年もたもたした期間があった
あのときもう少し気合を入れてイタリアが戦っていれば84ロスあたりで優勝できたかも知れなかった
のに弱小の日本と競り合った試合をしていた。こういうのも、勿体無いんですね。
なので勝ったときはどんどん攻めることです。
771名無し@チャチャチャ:2010/05/28(金) 09:56:10 ID:80FXpUiF

78世でイタリアがまさかの2位になってミュンヘンのときに強豪国と言われた
ブルガリアは10位
日本は11位
東独9位でポーランドも8位
キューバは3位
だったが
その代わりに
韓国が4位なり中国も7位となった。
そうです、それまでの上位国とB.Cランクの国々がシャッフルしてしまった大会だったなと思いました。
その象徴だったのがイタリアとブルガリア、東独、日本であったと。
ちなみにチェコスロバキアは5位でブラジルが6位でしたがこれは妥当というか予想通りの結果でしたね
この大会以降、日本やブルガリア、東独は上位国に復活できていないようでしたね
この現象は82世86世の女子でも同じではなかったか
日本や韓国がこの頃からどんどん衰退していきましたから
そしてそれまで弱小国と思われていた国だったブラジルが急浮上した。
こういうのが起こる大会というものは7-8年に一度くらいの割合で男女共にあったのではとも思うのですね
78世の女子でも上位4つは、キューバ、日本、ソビエト、韓国で一見順当に見えましたが
この大会の予選で日本は5位になったアメリカに3-2で苦戦する試合をしてしまった。
また、韓国は中国に負けたがソビエトに予選で勝った、というのもシャッフルでしたね
で、中国はアメリカに順位決定戦で敗れた。



772名無し@チャチャチャ:2010/05/28(金) 10:49:03 ID:80FXpUiF
>>771のつづき
中国は予選でソビエトに負けた
その後1981年頃までは中国は日本と韓国には絶対的な自信をもっていたが、ソビエトやアメリカには
やや苦手意識があったと思うな
日本はソビエトにはかなり自信をもっていたが中国には勝ち目がなかった
アメリカにもやや苦手意識があったと思う。
アメリカはソビエトに苦手意識があったように思うがそれも1981年頃までで1984のロス頃には
アメリカにとっての敵は中国と日本だったのではないか
しかし、日本ほど中国のことを苦手だとは思ってなかった
で、82世の予選でアメリカに勝った。

773名無し@チャチャチャ:2010/05/28(金) 11:21:55 ID:80FXpUiF
>>772
訂正
82世の予選でアメリカが中国に勝った

それまでの60年代やモントリオールの頃までのような日ソプラス韓国と北朝鮮
他は例外といった図式が、78世で完全に消えました、ということがこれで良く分かったと思います。
こういうのをあたいさんはシャッフルと昔から呼んでいたわけですが、78世でシャッフル(下克上)
した国は、アメリカであったと思います。その2年前くらいのアメリカなんて日立で当時の全日本と試合を
するとセット当り3点くらいしか取れませんでしたから。しかし、たった2年で日本に追いつき追い越そうという
程の実力をつけていた。
そして日本がその頃苦手としていた中国にも勝っていた。
で、1980年ではキューバ、日本、中国、ソ連、アメリカ、
と5チームのどこが優勝してもおかしくなくなっていた。
少し前の日ソ他、次の韓国ハンガリーその他は弱小という力関係に終止符を打った時代であった。

774名無し@チャチャチャ:2010/05/31(月) 12:49:56 ID:qLNroWXc
この頃に日本は日立の矢野さん吉田さん高柳さんが引退してしまい
ユニチカの横山を中心にした全日本チームになりましたが、その全日本チームも
アメリカや中国には1979年頃からは一向に勝てず、という感じだった。山田監督は1978世で
負けて以降、日立チームの指導に主力が置かれていたようでしたが、この頃山田監督は良く
『中国やアメリカチームはそれまでのメンバーの誰かが引退して新しいメンバーが入って来ると、
今までいたメンバーよりも力のあるのが入ってくるのだが、日本の場合はそうじゃなくて力がおちた
のが新しいレギュラーになる』と言っていたが、それは選手の問題ではなく、監督の指導力の問題だと
当時のあだしは思ったね。
けど、ちなみに当時はこうだったが
全日本では
セッターは松田金坂から小川へ
センターは矢野江上から池知江上へ
エースが白井前田から横山吉永へ
ライトは吉田から水原へ

日立でも
セッターは
松田から本島へ(中田が81年春に入社してその年の日本リーグで活躍するまで日立を支えた選手で江上と高校が同じだった選手)
センターは
矢野江上から金子江上、(79年春に石田が入社してからは石田だったが81春に三屋が入社してからは三屋)
ライトも
吉田(高柳荒木田)から河原

たしかに、力が落ちていますね、どのポジションも
775名無し@チャチャチャ:2010/05/31(月) 12:57:45 ID:qLNroWXc
全日本のエースは吉永さんは1979年からでしたね
その前に須藤さんがいたな

河原は川原だったか
この川原さんは、途中で日立から久光へ移ってしまいましたね
セッターレフトライトとオールラウンドプレイヤーの選手でしたが
日立に杉山や小高が入ってレギュラーになった頃でしたか?
けど当時としたら移籍というのはかなりめずらしかった気がしたな
大抵はそのまんま引退していたからね、気が強そうな選手だった、川原さんは。

776名無し@チャチャチャ:2010/05/31(月) 14:26:19 ID:qLNroWXc
が、その力が前よりもかなり堕ちたと言われた横山全日本が
79プレオリでキューバに激戦をやって勝ったのは本当に良かったと
思ったな。あの試合ではキューバは若手でメンバーを組んでいたので1.5軍
だったけど78世の前の南米遠征の時、日本は4連敗を食らった相手だったし、それが
きっかけとなり白井と松田は引退したのだったから。
78世でも2回もそのキューバに日本は負けて2位になって山田監督はそれにビビッて
全日本監督を辞めたのだから本当に良かった。
日本女子バレーの最大のピンチを救った試合であった。
これもシャッフルだった
山田監督は白井前田松田がいてもなんとか勝てるかどうかという相手だとキューバチームの事を
言っていた、そしてそれは本音であったし当時は横山−吉永、江上−池知、小川−水原、といった
国際試合の経験が足りないチームではキューバには勝てないと言われていた。そしてそれが正しいと
されていたのに僅か1年足らずで小島さんはキューバに勝てるチームを作ってしまったのはアッパレだったな
78世の後、日本がキューバに負けた理由を児島監督は
日本の守備が悪い、と言った。もっともっと拾えば勝てるはずだときっぱりと言い切ったが
山田監督は
当分の間は日本はあのキューバに勝つことができないだろう、と。
で、全日本監督を辞退してしまった。山田監督をそこまでの思いにさせたキューバをあのときの日本のチームで
叩いたのは本当に凄かった。そしてそれから84ロス頃までは日本はほとんどキューバに負けなかったもんね。この一度の勝利で
キューバコンプレックスを払拭してしまった小島監督のバレーは凄いとあだしは思ったな。
山田にもキューバにも勝った、という感じだった。。。。

しっかしあの試合は良く日本が拾ったもんな
江上が不調で清水に代えられていたのはめずらしかったが

777名無し@チャチャチャ:2010/05/31(月) 16:17:54 ID:vCYdM1Q6
中国がタイに続きドミニカにも負けてしまいましたよっ
778名無し@チャチャチャ:2010/05/31(月) 17:00:35 ID:qLNroWXc
>>777
それって何の大会でですか?
いつ?
中国もついに来る時が来たという感じですね
日本もこのドミニカやタイに便乗して中国やブラジルが勢いがなくなっている
ところで戦って勝ちたいですね。そしてあだいの願い通り勝てばメダルを再び獲得
できる時が来るはずだわさぁ〜
あだいが生きているうちに銅メダルでいいからとってもらいたいですね。
こうやってシャッフルが起こり出しているときはチャンスなのよね
ペルーがかつて82世と88オで銀メダルをとったじゃない
あんな感じでスルスルスルってとれるといいんだが
日本にはあのパターンしかないものね。

779名無し@チャチャチャ:2010/05/31(月) 17:16:47 ID:vCYdM1Q6
>>778
いま中国でやっている中国国際という大会ですね。
ちなみにキューバもトルコにストレートで負けたりしています。
まぁメンバー的なものもあるでしょうがちょっとびっくりです。
ブラジルは去年ドミニカに敗れたけど去年はドミニカ、イタリアにしか負けてないので
まだ女王の座は揺るぎないでしょう。
780名無し@チャチャチャ:2010/05/31(月) 17:35:12 ID:qLNroWXc
>>779
ああそうですか
ありがとう。
中国はホームグラウンドで負けてしまったということですね
ならやっぱりそれは完全にシャッフルだわ
81wcのときに日本が仙台で行われたアメリカ戦で負けたのに似ている。
キューバは昔からそういったチームなんですよ
強い時はめっぽう強いが、大きな大会とかで案外ポカをやってくれる
で実力はあるのにメダルを逃してることが多いチーム
まぁこれはなんとも言えませんね、日本から見たら非常に勿体無いという。
たしかにブラジルは今も女王かも知れませんが、女王はとても繊細で傷つきやすい
ものだ、と言うこともお忘れなくね。
いつも負けられないプレッシャーとの戦いなんですから
しかしそうやってタイやトルコ、ドミニカが色んな所で暴れてくれるのは
日本にとってはとてもありがたいことです。
ブラジルと中国が世界の5-8位グループの国々にどんどんやっつけられてしまったら
日本にもこれからチャンスが訪れることでしょう
781名無し@チャチャチャ:2010/05/31(月) 20:31:54 ID:vCYdM1Q6
ブラジルは現在の地位を手にするまでは長かったですからね・・・。
常に世界トップレベルの強さはあるけれど三大大会で頂点が取れない。

始まりは94年の世界選手権からで、このときブラジルは地元のサンパウロ開催だったこともあり
安定した強さで決勝まで進むが最後の最後でキューバに苦杯をなめる。
次に96アトランタ。このときは予選でキューバをストレートで破り、順調な滑り出しで
グループ1位で予選を通過するが、準決勝で再びキューバと対戦しフルセット負け。銅メダルに終わる。
98世も準決勝でキューバに破れ、3位決定戦でもイタリアに破れメダル無し。
WC99は3位。00シドニーでまたも準決勝でキューバに破れ銅メダル。
02世は予選から不調。屈辱の6位に終わる。
03WCは不調から立ち直り最強ブラジル復活かに思われたが中国に破れ2位。
そして04アテネ。
圧倒的な強さで予選グループ1位で通過。準々決勝でアメリカをフルセットで破り
準決勝のロシア戦も2セットを連取し決勝まで大手をかける。
ここで油断したのか3セット目を失うが4セット目建て直し24-19でマッチポイントを握る。
このとき控えの選手も握手を交わすなど勝利を確信した雰囲気だった。
しかしここからミスを連発。ロシアの粘りもありなんとデュースの末に奪われフルセットに。
ファイナルセットも優位に進め13−10→14−13とマッチポイントを握うがまさかの逆転負け。
このショックで3位決定戦もキューバに完敗。メダル無しに終わる。
06世でも予選全勝。決勝ラウンドも勝ち続けるが決勝でまたもロシアにフルセット負け。(最終セット13-11からの逆転負け)
そして08北京で決勝まで失セット0で進むが決勝でアメリカに始めてセットを奪われ「まさか・・・」な雰囲気になるが
3-1で振り切りようやく世界に頂点を取る。
本当に長かった・・・。
782名無し@チャチャチャ:2010/06/01(火) 11:01:39 ID:BbSjll9U

どんどん強くなってきているチームとやるときは本当に良く注意して試合をしていかなければ
ダメだって事ですね。日本の女子だって大昔64東京五輪で金メダルをとりましたが
その前まではどうやったってソ連や欧州のチームには勝てない、と言われていた。
しかしソ連をやっつけないと世界一にはなれないのだ、とあの鬼の大松が唱えて選手に厳しい
練習を課し拾って拾って拾いまくるバレーで優勝したんでしたね。
62世でも実は日本は優勝していたんですが
この事はあまり取り上げてないですね。
62世から64オの頃だったか
日本は欧州遠征でずっと連勝して帰ってきたのだ、と聞いた事があったな
おそらくこの連勝と地元開催で日本バレーは勢いづいて優勝したのではないのか。
783名無し@チャチャチャ:2010/06/01(火) 14:14:10 ID:BbSjll9U

そこそこ実力がある国がオリンピックの開催地として決定したりすると
決定後に急速に伸びるというのもありますね
アメリカがそうだった。


784名無し@チャチャチャ:2010/06/02(水) 10:08:33 ID:pPpQ+9vZ
あだしは1978年という年は日本女子バレー界にとって沢山の事があった年だったと
ずっと思っているんですよ。それまでのやり方では今後日本は世界には通用しなくなる
ということがはっきりと分かった年でしたね。
つまり山田日立と小島ユニチカで国内で争って勝ったチームの監督が全日本監督になって
主導権をとって国際大会に出場しても金や銀をとることなどできなくなる、ということです。
それはユニチカや日立の単独主体チーム全日本であっても男子のような選抜方式全日本であって
でもです。ずっとそれまで単独がいいか、それとも選抜がいいのか、と言われていたが
もうこのときにはそういったお話をすること自体がとてもナンセンスに思えた。
実業団チームは会社に頼ってこれまではやっていたが、これからは国レベルで考えていかなかったら
オリンピックに出場することができなくなる時もすぐにやってくると感じましたね。
国をあげて取り組まないと女子バレーはすぐに置いていかれる、と

785名無し@チャチャチャ:2010/06/02(水) 12:13:14 ID:pPpQ+9vZ
76モントリオール五輪が終わった後に松田や白井はすぐに引退したんだったよな、そういえば
で、その年の日本リーグでは松田白井抜きで戦ったが、金坂吉田矢野高柳がまだ日立に残っていたから
優勝した。このときも松田は引退はしたもののまだ日立の合宿所にはいたのかな。そんで、77WCの全日本
メンバーの練習を観て山田監督に『このチームで戦って金メダルをとれるかと思うか』と訊ねられて松田は
無理だ、と答えた。そしてまた山田監督に説得されて復帰をして77WCで日本が優勝したわけだが
どうだったろうか、あのとき松田白井前田はそのまんま辞めていたら77WCでは日本は優勝できなかったかも
知れないが、横山須藤、金坂吉田、矢野江上で早く若手にチームを切り替えていた方が先々のためには良かったのかも知れない。
で、翌年の春の南米遠征でキューバに4連敗をしてそのショックで松田と白井は引退。
しかしそれは松田白井だけでなく矢野吉田高柳らにもプレッシャーになっていったのではないか
当時は中国も急速に力をつけてきていたのと78世でもキューバに完敗した。
そしてその直後のアメリカ遠征でもアメリカに大きく負け越してしまったのもあって
矢野吉田高柳はもしかしたらその遠征中に引退したくなったのかも、という気がするんだが、どうだったのだろうか。

同期のベコさんは結婚が決まり松田白井さんらと一緒にすでに引退してしまったしこれからもバレーを続けるという選択をすれば
80モスクワまでやらないといけないし、そしてそこで金をとらないとならないというプレッシャーが引退に彼女たちを追い込んだのだろうか。
786名無し@チャチャチャ:2010/06/02(水) 15:03:41 ID:pPpQ+9vZ

で、こんな感じで山田監督は全日本の監督を降りたわけだが
山田さんもしたたか者だったから全日本の監督を小島さんに任せているあいだに
自分の日立のチームを強化してモスクワの次のオリンピックで金メダルを獲ってやろうと
考えていたのではなかったのか。
この年高校3年生の妹背牛の吉野も日立に入社するだろうし石田も獲得してロスでは
江上をキャプテンにして日本も平均身長180センチの大型チームで金メダルを、と。
ねぇ、まぁ、こんなところだったことであろう
矢野や吉田が全日本を引退した後を引き継いだ一方の小島監督はこの時は本当に大変だったろうな
エース候補の須藤は足の故障もありあてにならんしセンターの江上はいいとしてももうひとりはどうすべか、と。
で、エースにはカネボウの奥嶋を選んだ。センターは池知、ライトは水原と川又でやってみようと。しかしなぜいつも
こういったチビでコロコロしたのばかり選ぶのだろうか、とあだしは思ったんだよね。
モスクワ前のエースの吉永175はまずまずだったと思うが、奥嶋170とか広瀬170とかこういったのばかり
だったな、小島さんの人選は。
世界のエースは180以上が当たり前になっているのにどうしていつも170程度のを選ぶのだろうか、とこの頃いっつも思ったものでした。
そして85WCのときの松並173とか86世の佐藤のいっちゃん168とかもそうだった。
あだしはこういうのはとにかく辞めてほしかったんだよね
けど山田さんも88オでいっちゃんや藤田172を選んでいたっけ
あれって山田の小島化だと思ったな

787名無し@チャチャチャ:2010/06/02(水) 15:18:35 ID:seoXciio
ソウルで163センチのアタッカーが控えにいたような・・・
788名無し@チャチャチャ:2010/06/02(水) 15:31:51 ID:pPpQ+9vZ
それって日電?にいた山下美弥子さんのことですか ?

たぶん山田監督はその数年前に日立に入社したがどれもこれもダメだった
大型の新人に懲りて大きいのが嫌いになっていたんだと思う。
で、小島化したんでしょ
789名無し@チャチャチャ:2010/06/02(水) 16:21:34 ID:OapaDEDv
02世界選手権はブラジル6位じゃなくて7位
790名無し@チャチャチャ:2010/06/03(木) 10:07:30 ID:3OBOoqP/
だからなぜ、78世で山田監督はユニチカの石川172を選んだのか、とあだしは
少し前にこの板のあるスレッドに書き込んだわけだったのですよ。当時の山田監督は
とにかく高さのある選手が好きでしたからね。
石川さんて国内リーグではブロックが上手い、と言われていたが国際舞台ではあれがそのまま
通用するとはとても思えなかった。年齢もあのときは23か24だったしね
だからどうしても必要だから選んだとは思えなかったのですよ。もしも石川が日立の選手だったら
身内身贔屓で、と納得できたけど。
なのにガセビアさんたら
このあだしに対して

78世では石川さんは選ばれてません、だなんて何もわからない癖に強弁で即座にレスしてくるんですもの。。。。

あだしはとっても呆れたわっ

しかしこのことは選ばれなかったという方が正しい気がするくらいだから
それでもいいのかも、という感じもするんですよねw w

78世直後にあの松平さんが
『全日本に選ばれている選手が、自分が引退しても全日本の力が堕ちないと思ったらそれは、引退しても良い時機だが、
そうでなく明らかにチームの力が堕ちるのであれば引退することは辞めたのがいいですね』
と語っていたな。
あれは矢野さんや吉田さん高柳さんに言っていたわけだったのね。

そういえば、この78年にイトーヨーカドーがバレー部を発足したんでなかったのかなぁ〜
そしてバレー部顧問には元祖東洋の魔女の監督の鬼の大松さんがなる予定だったのに、バレー部発足直前に急逝したんだよな

男子は男子で78世で11位になってしまったりと、
本当にこの年は色々とあったんだよね。
791名無し@チャチャチャ:2010/06/03(木) 14:01:59 ID:3OBOoqP/
この1978.9年って一番女子バレーが面白かった時代だったとあだしはいつも思うんですね
それまで世界1.2位だった日本とソ連を78世でキューバが追い越した
日本はメダリストの白井らが一気に辞めてしまい戦力がダウン
挙句にそれまで世界5-8位グループにいた中国やアメリカが台頭してきた
7しかし9プレオリでは平均身長が172の日本が80モスクワ優勝候補のキューバに勝って優勝したが
その代わりに中国とアメリカに勝てなくなってゆく全日本。
ソ連はこの頃は日本にとっては敵じゃなかったが、そのソ連はキューバとは互角で
日本ほどソ連はキューバの事を苦手だとは思ってなかったのでないのか。
しかし、80年のモスクワ直前には日本もキューバにも勝てそうな感じになっていたが
キューバに代わって新しい敵となっていた中国とアメリカには日本は勝てなくなっていっていた
で、モスクワ大会はアメリカも中国も日本も不参加となってしまい、欧州選手権のような大会だったと
言われた。
優勝候補だったキューバは何があったのか良く分からんが、5位で優勝はソ連だった。
これもキューバがその後ロスまでの3大会で一度も優勝することができなかった原因となってしまった理由だと
思ったね。そうもうキューバは特別強いチームではないのだ、とこの大会に参加しなかったアメリカや中国から
思われてまったのだろう。
キューバがモスクワで優勝していたら
ソ連も中国もアメリカもずっとキューバに勝てずだったのではないか、と思った
しかし、78世の女王が80オでは5位になってしまったのでソ連や中国そしてアメリカは
自信がついてしまい、どんどんその後も強くなっていったんだよね。
しかし日本はソ連に対しては84ロスの頃までほとんど負けなかったがね。
もしもキューバが80オで優勝していたら中米はあそこまで、その後強くならなかったのではないか、とあだしさんは思ったのでしたよ。
80オは日本は出てないが、キューバが5位になった事で大きなシャッフルがあった大会だったのだと言うことです。
792名無し@チャチャチャ:2010/06/03(木) 15:52:35 ID:3OBOoqP/
あだしはこの頃中3から高2だったんだけど
WCや世界選手権そしてオリンピックといった大きな大会があると
どのチームが優勝するのか、日本は何位になるのか、と。よく予想をしていたんだよね
78世のときはこんな予想をしていたのを今も憶えてる
1位キューバ、2位日本、3位中国、4位ソ連、5位韓国だとしかし
これは1.2位は当たったものの3位以下は3位ソ連4位韓国5位アメリカ6位中国で
少し外れてしまいましたが。
そのうちこんなのはつまらなくなって各試合毎にセットカウント何対何でどちらが勝つかとか
何数は何点かとかまでやっていた。こんなことやって仮に当たったとしても当時は誰もこんなことに
興味がないから結局は大当たりしても自己満足でしかなかったのですが、当時は本当に楽しかったんですよ。
もしもあの頃に2ちゃんねるがあったならあだしは間違いなくコテハン登場してレスの流れに関係なく
今日の日ソ戦は、3−0で日本の勝ち!!とか各セットソ連は日本から10点も取ることができないな
とかってレス入れてただろうね。
もしかしたらニワカの人に分かりやすくワンポイント解説もしてたかも知れないな
@今日のソ連戦のポイントは日本がまず第一セットを簡単にとることだ。そうなればまず日本は3−0で勝つ
だろう。しかし横山か広瀬に代えて杉山と若生をレフトで登場させるような事があったら
もつれるかも知れない。しかし最後は横山、水原、江上で決めて日本が勝つのではないか
とかねwwww
昔はこういうの大好きだったのね
今は流石にこういうのはやらんがね。
だって、予想するのが簡単でつまらないんだよ
今日もソ連に0−3で日本は負けるだろう
荒木はクイックに入るタイミングが遅いしメグは肝心なときに頼りにならないし
と。ごめん、本当のこと書いて。

けどさんざん77〜81年頃までこういうのをやってトリビア理論を開発できたんだから
無駄にはならなかったと思ってる。で、今こうして無敵なあだしがここにいるのですよ。
793ニート:2010/06/03(木) 16:38:21 ID:2FL0ApZX
ブルマがないと詰まらないですよ。
794名無し@チャチャチャ:2010/06/03(木) 17:09:05 ID:3OBOoqP/
日本が弱すぎるからですよ、つまらないのは。
75-77の頃なんて1セットとられたから今日の日本の出来は
よくなかったな、という時代だったんだから。
ラリーポイントシステムについてはあだしは賛成派
リベロも別にOKだな
サービスラインもOKだな
そう昔もそんな感じでアンテナの幅が変わったときも
オーバーネットOKもワンタッチ後の3回も全部それでいいと思ってた。
795名無し@チャチャチャ:2010/06/04(金) 10:25:22 ID:m6XMtYIz
昨夜のテレビに斉藤真由美さんが出ていたね
斉藤さんちって経済的にとても大変なお家だったんですね
斉藤さんが現役で活躍していた1990年前後はあだしはバレー観戦を
卒業していたから、斉藤さんの事は良く知らなかったんだな、とにかく元気の
ある爽やかなプレイヤーだってこの程度の印象はあったけど家庭があんなにも大変だったとは知らなかった。
しかしああいった環境であったからこそ頑張れたのではなかったのか、とも感じた
ハングリー精神って最近ではあまり言わないし聞かない言葉ですが、昔の選手は
男女共みんなハングリー精神を持っていたと思った。そしてそれがそれぞれの
強さ秘密だったのではないかなって感じたな、あだしは。

796ニート:2010/06/04(金) 16:22:58 ID:uj478WEC
経済的に恵まれてまいがいようが努力する人間はするよ。


逆に経済的に恵まれてなかったから努力出来たと言う者は私は信じない。
797名無し@チャチャチャ:2010/06/04(金) 17:11:45 ID:t1P8cEdk
男子に大古っていたじゃない
彼も家庭の経済状況が厳しく中学を出て高校には行かず職業訓練学校に通った
そしてその後草バレーみたいな事をやっていた時に松平さんの目にとまりスカウト
されて鍛えられ日本のそして世界のエースになった。白井さんも高校を中退して実業団バレーに
入って頑張ってあれだけの選手になった。
彼女は在日韓国人だったので監督の養女になって白井になったんだよね。
それまでの名前は尹正順、だった。
あれだけの選手になるためには本当に努力したと思うよ大古も白井も斉藤も
しかし、家庭のこういった特殊な問題を抱えていた選手の方がそうでない人よりも
中途半端な気持ちでバレーをしていないと思うからやっぱり強いのだ、と思うのだということですね
あだしが言っていることは。
あ〜もうだめだ、となったときに普通の環境で育った選手よりも数々の困難を潜り抜けてきた選手のが強いのではないか ???
ということですね。
798名無し@チャチャチャ:2010/06/04(金) 17:38:40 ID:t1P8cEdk
これは、中国の選手らを見ても同様な事が言えるのではないか、ともあだしは
感ずるのです。経済発展を遂げた今の中国選手よりも昔の30年前頃の選手の方が
ハングリー精神があった様に感じますが、如何なものか。
日本の女子がそうだったじゃない?
東京五輪の頃は、もはや戦後ではない、と言われてから10年くらい経過していた時代でしたが
様々な面で今より環境が劣悪だった。そして選手たちもみな戦争を体験していた。だから精神的に
とても強く厳しい練習にも耐える事ができる強靭な肉体と精神を持っていた。だから
金メダルをとることができたんですよ。
斉藤さんや白井さんは戦争ではなかったが他の苦労があったからあれだけ頑張れたんだと思う。
しかし努力の他に恵まれた体格を親からもらっていたという事も否定しませんがね、
そしてそれは大古も同じだ。

799名無し@チャチャチャ:2010/06/04(金) 18:24:50 ID:uj478WEC
でも本当の精神は環境に左右されない物だと私は思うけどね
800名無し@チャチャチャ:2010/06/04(金) 18:39:33 ID:+v+TWPtX
時代が違うのか、また環境が違うのか、またスポーツ医学も発展して効率的なトレーニングやメンタルトレーニングも飛躍的に尚且つ科学的に発展してるのに、日本に限らず世界的にバレーボールに関しては淡白な選手が増えたように思う。
性格にもよると思うが女子で言えば、勝つオーラを放つ選手は吉原を最後に見当たらない。勿論、精神的に強い選手は今でもいるが、勝つ事にこだわり続ける気というものは昔の選手は凄い感じた。
文章にするの難しいけど。
801ニート:2010/06/04(金) 22:24:32 ID:uj478WEC
勝つ事だけにこだわり続ける人間は美しいと思う。
802名無し@チャチャチャ:2010/06/05(土) 05:26:06 ID:OK6qifv/
私が好きな、過去のベストメンバーセレクト


■世界選抜編

レフト:郎平、スミルノーワ
センター:オギエンコ、トーレス
ライト:ウータン
セッター:パルホムチュクリベロ:広瀬


■全日本編

レフト:白井、木村
センター:広、山本
ライト:大林
センター:中田
リベロ:広瀬
803名無し@チャチャチャ:2010/06/07(月) 09:27:02 ID:WE36x0r8
76金メダリストの矢野さんは
『金メダルのためなら友達なんかいらない』と言った。
白井貴子さんも
『負けてもいいと思って練習や試合をしている選手は誰もいないのよ、
しかしその勝ちたいという気持ちには大小の差はあるんだよね
だから勝ちたい、と強く思った方が試合には勝つって事になるのだと思う。
あのときの(76オ)のときは全日本のメンバーのすべての人が、勝ちたいと強烈に思ってたんだね
だからソ連に勝って世界一になれたんだと私は思っている』
とこんな風に言っていたことがありましたがね。



804名無し@チャチャチャ:2010/06/07(月) 14:38:36 ID:WE36x0r8
全日本女子ということだけで言えば1960年代後半、メキシコ五輪の頃のが
180前後の大型選手が多かった気がする
ヤシカの古田、永野に日立の宍倉にクラボウの白井
一番180クラスがいなかった時代は1980年初頭の頃だったな
カネボウの西村185と真方181というのもいたが、この2人はジャンプ力がほとんど
なかったから国際大会に出場できる選手ではなかった。
東洋紡のセンターに佐藤裕子182というのもいたが、江上−三屋のところにはとても
食い込むことなどできる選手ではなかったもんな
1985年以降に日本にも使える183以上ある選手が廣以外にもあと2-3人出ていれば
1986世や1988年の結果も違ったものになったかも知れない。
斉藤や福田も悪くはなかったが、あの時代の選手としたらもう少身長があったら良かったのにな
と感じた、残念。
182か3あれば・・・・

1984年に1990年頃の斉藤と福田が日本にいたら、
レフトは大谷、杉山でなく斉藤と福田だったろう
山内さんがいたとしてもこれは同じだな


805名無し@チャチャチャ:2010/06/07(月) 17:50:47 ID:WE36x0r8
もしもツーセッター全日本をやるならば、この頃1968−74年頃までが
一番選手がそろっていたのかも知れないな、という気がするな
180古田−182白井でやったら良かったのに
センターには175の飯田と矢野
レフトは175の前田と岡本

1974世でこのチームで日本がやっていたら
面白かったように思うが、矢野さんはまだ2年目だから無理だったかな
それに日立以外の古田さんと当時は日立に入ってまだ2年目の白井では、これも
難しいかね。
けど当時はソ連だけが敵で他はへぼだったから、そういった状況で考えたらやりやすかった
ようにも思うんだけど、如何なものか。
806名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 10:02:54 ID:cbQ5RRWF
日本はメキシコでソ連に負け頃からずっと
若手の大型選手の育成と言ってきていた。そしてそれは男女共に大会で負けるたびに
繰り返し同じ事を言っていたのに最後の最後まで若手の育成については強化できる体制に
一貫性が感じられなかった。
幸運にもメキシコ大会の後すぐに女子には白井貴子という180のスーパーエースが出現して
74.76.77と3冠を獲得することができたが白井が引退をしたら、また大型若手の育成と
しかしその後も強化体制に一貫性はなく高校生の背の高い優秀そうな子を全日本に早めにデビュー
させていただけでしたね。
しかしどの選手も結局は世界で本格的に活躍することはできなかった
男子もたまたまミュンヘンで金メダルをとってしまったから
そのときのメダリストのエースの身長190を基準にして選手選考をしていただけで
協会としての強化は何もなく実業団や大学に頼ってやっていただけだった。
で、各国が台頭してきた頃にあわてて対策をしていたので日本は後手に回ってしまい
勝てなくなっていったのだと思う。
男女共に68メキシコ大会の頃には本格的な強化体制を敷いていたら80年代ももっと多くメダルを
とれたのではないか。
漠然とまたミュンヘン前と同じ様に190以上の大古森田横田くらいの選手は現れるだろうとか
白井松田前田クラスも集まるだろう、と考えていたのではないのか
そして集まったときには日本は金メダルを再び獲ることができるだろうとも
807名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 10:55:18 ID:xTKTEpbG
>>802
何故ルイスがいないの?

何故中田がセンター?
誰?山本って?まさか旧大友? 有り得ない
木村も有り得ない
大林は微妙
808名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 12:16:33 ID:cbQ5RRWF


あだしにスルーされたからってみっともない



809名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 13:17:59 ID:2/YQRtlZ
あだしさんの嫌いなところ
見てもないこと見たようにいうこと
こいつは絶対に古田のプレーも宍倉のプレーも見たことないよ
西村と真方も怪しいものだ
810名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 13:21:56 ID:2/YQRtlZ
>全日本女子ということだけで言えば1960年代後半
>メキシコ五輪の頃のが
>180前後の大型選手が多かった気がする
>一番180クラスがいなかった時代は1980年初頭の頃だったな

間違ってますよ
そんなことありません
知ったかぶりしないでください
メキシコの頃より80年頃のほうが
日本の女子バレー選手は、はるかに大型化してました
811名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 13:33:07 ID:2/YQRtlZ
>ヤシカの古田、永野に日立の宍倉
>カネボウの西村185と真方181

それぞれの選手がどういうプレーをしたのか、ぜひ教えてくださいましな
どの試合で、どういうプレーしてましたか?
812名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 13:35:29 ID:2/YQRtlZ
見たこともないのに、古田だの永野だの宍倉だのって
どこかで聞きかじった名前並べて、さも詳しいように書いてるけど
詳しく書けるのは白井だけじゃん
どうしてか?
知らないから、見たことないから
813名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 13:36:31 ID:2/YQRtlZ
永野、古田、宍倉って、どんな顔してたんですか?
814名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 13:36:52 ID:cbQ5RRWF
>>809
あだしのオヤジがバレー好きであだしが幼稚園に入るかどうか
というときに良く小平の日立体育館まで車でオヤジにつれられて行ったから
観ていたんだよ。
まぁ本当に記憶にある選手といったら
1972年頃からの選手になるとは思うが。
つまり、松田、荒木田あたりから、ということになるのだろうか
あだしが4−5才のときがメキシコ五輪があった頃だったのかな
そうなるのだろうね。
生沼さんを体育館で初めて観たときは綺麗なお姉さんだ、と思ったし
ぎっちょの宍倉さんもなんて背が高いのだろうとも
真方なんてあだしが中学の頃の選手だったから
しっかりと観てますよ。
日立体育館での練習を観てテレビで選手をひとりずつアップで観る、という感じ
だったから解説者が『今日はいつもより宍倉は跳んでますね』と
聞いて、あのぎっちょは宍倉って言うんだ
とかそんな感じでしたよ。
ここにいるヲカマの今井さんみたいに
古い本とかで確認をしながらレスをしているとでもいいたいのかしら
あだしはそんなだっさいバレキチではありませんから

あだしはテレビや月バレだけがバレーの情報源ではなかったわけですぞ
門前の小僧習わぬ経を読む、というのが分かりやすい例えかしらね
815名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 13:59:18 ID:cbQ5RRWF
アスペルガーの人って例え話とかが良く理解できないんだってね
こないだテレビでそう言ってた
この板にもそういう人がいましたね
なんでもかんでも白黒つけたがるのが
そのテレビでは
まっすぐ帰りましょう、と言われたらどこにも寄り道せずに帰ることだ、
と普通の人は理解するところをアスペルガーの人は、どの道も曲がらずに
帰るものだ、と思ってしまうのだ、と言ってました。
いたよね、こんなのが。

816名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 14:15:09 ID:2/YQRtlZ
>>816
そんなあいまいなことじゃなくて
具体的に、どういうプレーしてたんですかって聞いてるんだけど。
顔はどんな顔でしたか?
印象に残ってる試合は?
817名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 14:26:31 ID:2/YQRtlZ
816は814へのレスです
818名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 14:31:40 ID:2/YQRtlZ
4つか5つでバレーの試合観たって
ルールだってまともに分かるかどうか
ましてやバレー選手の良し悪しが分かるわけないわな
819名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 14:36:58 ID:2/YQRtlZ
>>814
永野、古田、宍倉って、どんな顔してたんですか
どんなプレーしてました?
ポジションは?
スパイクのフォームは?
サーブと守備はうまかったですか?
西村と真方はどうですか?

まさか、ろくに知らないのに「全日本でツーセッター」なんて
書いてないよね?
820名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 14:39:32 ID:2/YQRtlZ
それに、メキシコ五輪の頃日本に180台の選手いたっけ???
誰ですか???
821名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 14:41:39 ID:cbQ5RRWF
あだしはね
あんたがたトリビアチルドレンの質問にいちいちこたえていませんから
それにそんなのとっくに忘れたわよっ
あだしはあだしが子供の頃はこうだった、と書いてるだけ
ポエム
ポエムをやりながらバレーを語ってる
>>816
あいまいなのはお前の方だよ
真方西村はひどかった
プレーも顔も
高山170−生沼173(本当は171だと思う)のツーセッターでは世界一にはなれない
79アジアの時の全日本で最高長身選手は178の池知さんだけでした
68-70頃には古田180永野182宍倉179白井180とかいっぱい使える大型選手がいた

822名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 14:45:08 ID:2/YQRtlZ
>68-70頃には古田180永野182宍倉179白井180とかいっぱい使える大型選手がいた

68−70頃
古田はまだ大学生
永野は中村高校の高校生
宍倉は現役だった
白井は倉敷の高校生

高校生を全全日本で使ってたのかい?
あいまいの知ったかぶりは、お前だよ
823名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 14:47:06 ID:2/YQRtlZ
古田も永野も白井も、まだ全日本に選ばれてもなかったのに
どうやって使えたんだろうねえ(苦笑)
824名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 14:57:17 ID:2/YQRtlZ
>>821
68−70年頃の実業団と高校の女子バレーチームの
平均身長がどのぐらいだったか分かってますか。
各チームに何人ぐらい180以上の選手がいたか?

大体、永野と真方なんてどっちもどっちだったし。
825名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 14:59:15 ID:2/YQRtlZ
永野、宍倉、古田クラスの180台なら80年頃にも結構いたよ
何で真方がだめで、永野が使えるになっちゃうんだろうね
ろくに知らないからでしょ
826名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 15:36:39 ID:cbQ5RRWF
あだしならばどんどん若い高校生とかを全日本に抜擢したと思う
ということですね。
白井さんて、1952年生まれで高校に入ったものの高一の夏のインターハイが
行われた後すぐに高校を中退したんだよね
いいじゃない、そんでいて180近い身長があったら
中田が全日本に選ばれたのは中3の秋だもの
素材としたら白井のが中田よりも全然上ではないのか
あだしはそのくらいの事をやらないと世界には勝てない、そして
そういった選手を本気で育てていく姿勢がないから日本はだめだ、
と言ったのですがね。
>>824
その当時の高校生なんて164くらいでないかしら
170あれば大型だと1975年頃まで春高で騒いでいたから

だからこそ白井は早く全日本にデビューさせてあげればいいということなんですがね。
827名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 15:47:13 ID:F8JPbspc




加齢臭のするおじさんたちが平日の真昼間から必死になって気持ち悪い



828名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 15:47:50 ID:2/YQRtlZ
あだしさんの言い訳とごまかしのテクニックは天才的なものがあるな(w

829名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 15:49:27 ID:2/YQRtlZ
>その当時の高校生なんて164くらいでないかしら
>170あれば大型だと1975年頃まで春高で騒いでいたから

そこまで小さくもなかったけどね(苦笑
830名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 16:00:29 ID:2/YQRtlZ
でもまあ、補欠選手も入れると女子はそんなものだったかも
170で大型とは言われなかったけどねw
831名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 16:20:58 ID:cbQ5RRWF
>>828
だからそれは1-2年では白井や古田がやったとしても
完成できないから74世で、と最初に>>905で書いているんだね
あだしはメキシコ五輪の頃に大型セッター、ツーセッターをやるならば
着手して6年後のメキシコ世界選手権で完成させるくらいの長期的ビジョンで
行えばよかった、と。
そんくらい時間がかかるでしょ?
だからあだしは早め早めに、といつも書いてるわけ
なのに日本の場合は中国やアメリカなんかが完全に台頭しだした頃に、あわてて
矢野−白井のツーセッター体制とか打ち出してるからいつも失敗している。
その後も江上−金子とか江上−石田とか江上−中田とか大林−中田とか全部失敗していた

あだしが高校生の頃に春高だか、夏の大会で平均身長が166の高校が優勝して話題になった
事があったのを憶えてたんですね。とても小さいチームだ、と。
1980年頃の事になるのかしら、なので1970年頃だと各学校も強豪校でもまだ本格的な
選手集めはしていなかった時期だと思い164とした。167くらいあったかもね、あの松田169で
さえ1969年頃には釧路の高校ではアタッカーだったくらいですから。
832名無し@チャチャチャ:2010/06/08(火) 16:45:17 ID:cbQ5RRWF
樹理なんて1972年当時、173で超大型高校生が福岡の博多に登場とか、新聞に書かれてた。

なのに1980年の頃には日本ではともかくとしても世界では本当に小さなアタッカー
という感じになっていたもんね。
この当時の日本のスパイカーといったらまだまだ頼りない選手だったけど
日立の杉山180が期待されてたんだよな
最後まで頼りなかったが。


833名無し@チャチャチャ:2010/06/09(水) 10:03:24 ID:n2AEq3BW
1986の日米対抗メンバー12人って誰だったんでしょうか?そして、12番目(試合開始前にエンドラインに並んだ時、最後に立つ人)はどなただったんでしょう?
834名無し@チャチャチャ:2010/06/09(水) 14:53:16 ID:kuxYYD/a
日立でセッターをやっていた大林の同級生の高橋って1988ソウルの頃までは
身長170となってたが、その後の全日本の時の公式記録では66になっていたね
あれってヨーカドーの苗村168やユニチカの中村170なんかが全日本に入りこれらの
選手よりも並んだときに高橋のがちっちゃくてサバ読みが隠しきれなくなって
4センチも縮めて本当の数字を遅ればせながら出していたのかしらね。
たぶん、そうだったのだろうね
まぁこんなことは昔から日常茶飯事でしたから
他には
猫田179-178
生沼173-171
岡本173-175
岩田197-194
田中幹195-193
山田修190-186
三橋184-186
他にも数名いたような ????

なのでミュンヘン五輪の日本男子の平均が190オーバーで世界一高かった、と言われてもあだしは首をかしげていたんだね、納得。
どう観たってブルガリアやソ連の方が身長は高く見えたもんね
だから、あの時点では日本は(一番)大きい のではなく 一番大型化しましたね〜が正しかった、ということなんだろう
なのに今も190オーバーで世界一だったとか言っているのがいるから本当にやってらんないね
松平さんはあの時は、これからも男子バレーが強くなっていってもらいたいな、と思って数センチのサバ読み有りなのを
知っていて言っていたんだと思うんだ、とあだしは子供の頃から思ってましたがね。
大きい大きい、と騒げば日本各地にいる大きな高校生の情報がバレー関係者の元に集まる
大きい人がバスケや他のスポーツに流れないように
と、まぁこんな感じだったんだと当時小学生だったあだしは感じてたがね。

ねえねえ 78世の頃のお話をしません?  石川さんを山田監督はなぜ、代表に選んだのか?とかについて

835名無し@チャチャチャ:2010/06/09(水) 15:48:06 ID:fltT43iX
宍倉さんは180あったのに179にしてたと聞いたことがある
乙女心で小さく言ってたらしい(笑
836名無し@チャチャチャ:2010/06/09(水) 16:09:27 ID:kuxYYD/a
白井さんの例はもっとすごいけど
76モンのときまでは179か180になっていたのに77WCで突然182になった
このことをあるフジテレビのアナウンサーに直に白井さんは、そのとき

こないだ計ったら2センチ伸びていたんですよ、と涼しげにこたえていた

日立バレーボールチームは毎月身長や体重そして垂直とびを計測する日があった
それも山田監督立会のもとだった
しかし白井はやっぱり天才だ、ともそのときあだしは感じたな
テレビ解説をそんときやっていた松平さんは
身長の高い選手にはそういうことはよくあるんですよ、と言っていたが
これも笑えたな

土地の計測の縄伸びかっ

それより石川さんはなぜ選ばれたのかについてお話しません?
選ばれていたことは事実だったのですから

837名無し@チャチャチャ:2010/06/09(水) 16:12:04 ID:kuxYYD/a
直につっこまれた白井さんは

石川さんなんてマイナーすぎて嫌ですか
838名無し@チャチャチャ:2010/06/09(水) 17:49:12 ID:kuxYYD/a
女子の場合2センチ大きくしているといった例が多かったと思う
あとこれは男女共通の事だが
学生(大學出は大学、高卒は高校)の最終学年の時の身長よりも実業団入りしてからの
身長が2センチ大きくなっていた。
日立の小高177-179
富士の三橋184-186
富士の河合192-194

昔だれかが2センチサバ読みした事の影響をずっと引きずってしまったのかしら
それとも全日本に選ばれる選手は実業団への入社が決まると例外なくどの選手も2センチ身長が伸びるのか
まったく伸びなかった子でも+2しとくとか
明日は何をお話しましょうか?
昨日は盛り上がったのに今日は今一でしたね
石川さんのお話は誰も興味がないみたいですね
ミュンヘン男子も同じ感じだし

あだしは本日は組合の会合があってここに来るのが遅れたけど明日は午前中にここに来る事ができると思うので、また皆さんで楽しく語りましょうね
839名無し@チャチャチャ:2010/06/10(木) 10:25:19 ID:ZShbCcEG
バレーボールがオリンピックで正式競技になったのは64東京五輪からでしたが、その大会で
地元の日本の女子は、決勝進出を果たしソ連を叩いて優勝しましたが、その4年後の68メキシコ五輪では
ソ連に決勝で負けて惜しくも2位だった。その時、女子バレーの指導者や協会で集まってこれからどのように
していったらあのソ連に勝てるのか?と真剣に話をした、という。
で、そのときの結論が大型若手選手の育成や企業間の壁をなくしての国を挙げての強化
だったのに当時は大型選手が白井世代に多くいたにもかかわらず何も実践しないまま机上の空論で
終わってしまった。そしてまた72ミュンヘンでもソ連に負けて2位という結果に日本は終わった。
そしてそのときの反省会でもメキシコの時と同じ事反省していたが76モントリオールで優勝したら
白井前田という大砲と飯田というテクニシャンが日本いるから日本は安泰だ、みたいになっていた。(ずっとこの先10年もこれらの選手が一線でプレーできるわけでもないのに)
が、74世の時も日本は優勝したものの松田が怪我をして日本はピンチだったんですよね、本当は。しかし金坂でなんとか乗り切り優勝できたのだった。このとき山田監督は松田の代わりを
金坂にするか矢野−古田にするか、迷って色々なパターンで練習していたが金坂がいいとそれでやった。
これはこれで良かったとあだしはおもったが、このときもう一度、メキシコ五輪後の時の反省を思い出していただきたかったのですね。

石川さんが78世で選ばれた理由については
1.横山小川をレギュラーに抜擢したからユニチカメンバーのセンターをひとり入れた
2.日立の若手の川原、金子も選んだが他にはいい選手が日立にいないと思ったから
3.富士の池知が伸び盛りでカネボウの清水もいたが個人的に好きなタイプの選手でなかった
ので毒にも薬ならないどうでもいい石川を選んだのだと思うな、あだしさんは。
あだし的には池知178か清水175にしてほしかったんだよね


840名無し@チャチャチャ:2010/06/10(木) 11:37:15 ID:LdjzLIsW
白井って朝鮮人だし
最後のあのポイント見るとムカツク。
絶対私が最後の得点取るんだもん
てな感じなでしゃばったツーが超ムカツク。
841名無し@チャチャチャ:2010/06/10(木) 11:57:48 ID:ZShbCcEG
が、1971年頃に女子も男子のように全日本のチーム編成を単独チーム主体から
選抜方式にしようと、そして全日本の監督も企業色のない監督に、とつまりニュートラル
な立場の人間を監督にする、という動きがあって小山勉に一度決定したことがあったが、
ユニチカ小島もヤシカ船山も日立山田もそれが面白くなかったのか、小山全日本監督に協力しなかった。
自チームの優秀選手を全日本にとられてしまうと自チームの強化ができなくなってしまうからだったのだろうが
そして小山もこの3人らよりも若かったからか、懸命に大型化を計ろうとしたのだがそれが失敗して72ミュンヘンでは
ユニチカ小島が監督で結局は、ユニチカ主体に生沼、岡本や岩原そして飯田に白井でやったんでなかったのか。
しかしこの小島監督になった経緯も裏で前田豊が動いていた、と言われてましたがね
で、小山さんはこういった陰険な女子の体質に嫌気がさして見限って女子に関わるのをやめたんだ、と聞いた事があったが
その後も小山さんは男子の松平全日本を引き継いだもののやっぱりそこでもうまくはいかなかったから
小山さん自身に監督としての能力がなかったのかもね。
けど小山さんのやろうとしていた事はそれまでの監督にはなかった斬新で画期的な事だった事である、ということはこのあだしが認めている。
842名無し@チャチャチャ:2010/06/10(木) 12:21:22 ID:ZShbCcEG
小山さんて米田にタイプがなんとなく似ていたね
74世76オの頃、大古を全日本から外す、とその理由が
大古は協調性がない性格だから、と言ったら今度は松平さんが
監督がそんなことは口が裂けても言ったらダメなんだ、
そもそも大選手というのは他の選手に比べて少々異端なところがあるものなんだ、と。
小山批判をしていたな

まっ松平さんが言う通りだと思ったがね、あだしは。

843名無し@チャチャチャ
話題が少し古くてついてくることができる子が、いなかったかしらね
ならばもう少し時間を進めて1983-1984年の頃の事をひとつ
1983年に日本の福岡で行われたアジア選手権大会で日本は4年ぶりに中国を叩いて優勝して1984年のロス五輪の切符を獲得したが
あの時の試合は日本の作戦勝ちだったな
距離のあるサーブを打って中国のサーブレシーブを乱して勝った試合だったが1984年の大会では日本は中国に逆にそれをやられて
しまい負けたという感じの試合だった。日本が1983アジアでやったサーブは中国のエンドライン付近にサーブを打つという方法だったが
中国が1984に日本にやったサーブはサービスライン後方から滞空時間の長いサーブをコートの前に落とすというサーブだったので日本が
1983でやったサーブよりもグレードが高いものであった。だから日本は中国に対して手も足も出なかったのだろうね。
どのチームもみんな研究をしている、てことですね。
サーブでやられたらサーブでやり返す 恐るべし袁偉民
という感じだった。
この時代の事ならばわかるでしょw