日本社会には未開社会の感覚が残っているといわれる。《日本人は、復活や輪廻を信じても
いないし、現世中心主義に徹するほど合理的でもないので、何となく死後の世界があるよ
うな気がしている。未開社会にはよくあるタイプの感覚ですが、文明国にしては素朴すぎ
ます》(橋爪大三郎「世界がわかる宗教社会学入門」)。複雑社会である日本社会に、未開社
会の感覚が見られるのはおかしいとも思える。しかし、日本社会は、集団が未だ開かれて
いないという意味で、未だ、未開なのである。つまり、人は、一つの集団から出ず、その
集団で終生を過ごす。未開社会における自然との合一といった感覚は、豊かな自然が齎し
ているというわけではない。集団が開かれていないことが、人と人のあいだの主客未分離
を齎し、それが人と自然のあいだの主客未分離を齎しているのである。
しかし、日本社会は、近代化している。そこで、未開社会の社会構成を残しながら、どう
して近代化することが出来たのか、問われよう。拙稿「二重の囲い」(注)は、こうした問
いに対しても答えているので、ご一読いただければ幸いである。
(注)
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