沢城みゆきスレ44

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433名無しさん@お腹いっぱい。
「役人を信じろ、という体制から、市民が信じる市民を信じろ、という体制へ移行するべ
く、その間に、市民を信じるな、役人を信じろ、市民を信じる役人を信じろ、という体制
を挟んでいるということであろうか。」(注)ちょっとだけ推敲してみた。
「役人を信じろ」というのは、近代において、役人は、諺「長いものには巻かれよ」の「長
いもの」に当たるという意味である。この諺は、相対的に強いものには従っておけ、とい
う命令であり、相対的なものしかない風土だが、この命令により秩序が生まれる。「出る杭
は打たれる」などと共に、日本という場所における権力のプログラムを記述したものとい
ってよい。
地下鉄サリンは、一人も死ななかったものの、役人を狙っていた。翌年、薬害エイズで厚
生省の役人が逮捕されたが、これも同じ系列の出来事である。「役人を信じろ」というテー
ゼが、公然と否定されたのである。もはや役人は「長いもの」ではないが、「長いものに巻
かれよ」というテーゼが揺らいでいる。検察に対しても、国策捜査批判が台頭することに
なるが、当然のことであろう。
諺「泣く子と地頭には勝てぬ」も、考えさせるものを含んでいる。「泣く子」とはかわいい
もののことであり、現在では、マンガに当たる。「地頭」とは「長いもの」のことであり、
現在では、石原慎太郎に当たる。つまり、この諺を現代化すれば、マンガと慎太郎には勝
てぬ、ということになる。このように考えれば、次の中原昌也の一節が、現代日本の風刺
としていかに秀逸であるか、理解できる。「慎太郎!マンガ!慎太郎!マンガ!慎太郎!マ
ンガ!慎太郎!マンガ!慎太郎!マンガ!慎太郎!マンガ!それだけが交互にあれば他に
は何にもいらん!と断言しようじゃありませんか」(中原昌也「お金をあげるからもう書か
ないで、と言われればよろこんで」)。泣く子と地頭を、つまり、かわいいものと相対的に
強いものを並置する発想は、他国ではありえないと思われる。
(注)役人を信じろ
http://lovelygantai.jugem.jp/?eid=10

暇でもないけど、推敲した。「信じる」という語が意味をなさない環境、ということだけど。