沢城みゆきスレ44

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394名無しさん@お腹いっぱい。
川島和津美の好きな言葉は、「まっいいかあ」らしい(注)んですが、これはいい言葉です
ね。何もかもうまく行かない。でも、まっいいかあ。こう思えれば、生きていけるでしょ
う。まっいいかあ、で済まない事態に陥っても、まっいいかあ、で済ませるくらいでない
と、この世の中生きていけないよ。
(注)http://clef1993.blog61.fc2.com/blog-entry-24.html
395名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/08(木) 19:27:18 ID:7CEsS7ON0
人間、何にもしなくて、暮らせたらいいな、って思ってきたんだけど、
主婦は、そういう存在ですよね。戦後を代表する存在が主婦だっていわれてる
みたい。見田宗介の60年代初頭の人生相談を分析した有名な論文があるけど、
あそこでも、最後に主婦が焦点として浮かび上がっていた。
レールみたいなのがあって、そこに囚われる不幸みたいなのがあり、
そこに乗れない不幸みたいなのがあり、主婦は、レールに囚われた夫を
家でじっと待ってるって感じ。働き過ぎ(今ほどではない。)で、夫婦生活には
そんなに満足できない。見田のすごいところは、人類の歴史は、そういう主婦
見たいな何もしないことを望んでいたにも係わらず、いざ実現してみると、
それはそれでつらい、みたいなスケールで捉えているところ。
396名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/08(木) 19:34:07 ID:7CEsS7ON0
主婦っていうのは、まあ、近代の存在なんでしょうね。近代以前は、公私が
分かれてなかったから、女も働いてたんでしょうね。農村の女が、稲刈りを
してないってことは、ないと思う。近代になり、主客が分かれたのと
同じように、公私がわかれ、公では工場に行って働かされるけど、私では、
妻子が待ってる家で、一族の長として振る舞う。いまは、私のところ、
核家族さえ崩壊してしまったから、働かされるだけで、砂のように乾いてる。
で、主婦は、こういうシステムの中の存在であって、近代の産物なんだろけど、
主婦がその時代の中心だっていわれた時代は、西洋には多分ないだろう。
主婦が、なぜ中心のようにいわれたのかは、ちょっとした謎ではある。
戦後というのは、都市は核家族で埋まり、農村共同体もなくなったから、
核家族の時代となったのは分かるけど、何もない時代ではあって、
全共闘とか、ああいう連中ではなくて、遍在する空洞みたいな主婦が
中心化する。オタクというのも、似た響きだ。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/08(木) 19:36:20 ID:7CEsS7ON0
主婦は、人類史上初めて、何もしないことが、職業として認められた存在である。人類は
常に、何もしなくても生きていけることを願ってきた。そして、戦後日本という場所で、
それが実現したのである。たしかに、彼女らは、何か物足りないという不満を抱えてはい
た(注)。しかし、その物足りなさは、何かしたいことを見つけようという方向だけでなく、
何もしないことの中に豊かさを見出すという方向でも、解かれねばならない。
(注)見田宗介「現代日本の精神構造」

これが、ひでおとゆかいな仲間たちに書いた、>>395以下の草稿(?)です。
ひでおブログの鬱垂れ流しには、少し推敲して乗っけたい。
今日はこのくらいで退散します。
ご清聴ありがとうございました。