沢城みゆきスレ44

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134名無しさん@お腹いっぱい。
《もともと処女性とは後生大事にいつまでも保持しつづけるわけにはいかないものであり、
したがってそれは、失われ無くなることによって、これまで処女だったことの証となるは
ずのものなのだ。》(フォークナー「アブサロム、アブサロム!」篠田一士訳)
かんなぎといえば、中古騒動ですが、かんなぎDVD1巻に、中古というシールが貼られて
いるところなど、哀しいものでした。しかし、女から見れば、フォークナーのいうとおり
であり、処女とは何かというのは、非処女にしか分からない。同様に、非処女とは何かも、
処女にしか分からない。
ひとたび線を越えると、もはや引き返せないのであり、中古という言葉の厳粛な響きはそ
れを表している。つまり、一度でも使えば、中古ということになってしまう。中古だから
価値がないというようなことはいえないが。
非処女は、もはや処女とは、質的に異なった存在であろう。非処女は、もはや、処女と同
じように思考することはできない。処女も、非処女のようには、思考できない。従って、
その線はどういうものかは、処女にも非処女にも、分からない。
そして、ある線を越えたものは、その線の越え方などに、もはや興味を持たない。非処女
は、処女には戻れないのだから、そんなことを考えても意味がないのである。むろん、線
を越えることが、常に悪いわけではない。線を越えなければ、先には進めない。その線を
越えて行かなければ、朽ちていくだけという線もあるのだ。